ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語を見て、旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、ボランティアして、デモに行って、無いアタマでものを考えて・・・・そんな平凡な日常の記録である。

● 本:『武器になる! 世界の時事問題』(池上彰著)

2020年大和書房

 ニュースや天気予報くらいしかテレビを観ることのないソルティであるが、たまに池上彰がキャスターをつとめる報道バラエティ番組(とでも言うのか)は観る。
 時事問題を堅苦しくない切り口で、非常にわかりやすく解説してくれるので、観た後になんとなく賢くなったような気がする。
 本人がどういう思想や立場の人なのかは知らないが、少なくとも番組上では、本人の主義主張を開示しパネラーや視聴者に押し付けるようなところがないのも、つまり本人はあくまでも鳥瞰的立場にとどまっているところも、観ていて疲れない理由であろう。


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 あんな忙しい人がいったい本など書く暇があるのだろうかと思うが、本書は2019年夏に関西学院大学で行った講義録がもとになっているとのこと。
 学生対象の基礎講座なので、これまたわかりやすいことこの上ない。

 ソルティは昔から時事問題とくに政治経済や国際情勢にあまり関心がない。関心が持てない。
 どうせ昔ながらの権力闘争、領土と資源をめぐる争奪戦、宗教や民族問題の絡んだジェノサイドや紛争、単純に言えば、金と女と名声と権威を欲するオヤジたちの陣取り合戦――といったイメージがあるからだ。
 だが、自分もまたその世界の片隅に生きていて、日々少なからぬ影響を受けているので、たまには、「今の世界情勢を抑えておこう」、「その中で日本の小市民たる自分の置かれている立場を確かめて置こう」という気になる。
 で、読んでみて、相も変わらぬ世界にやっぱりうんざりすることになる。(この「うんざり」は、仏道修行のモチベーションにつながるので馬鹿にならないのだが・・・)  
  • トランプ大統領の誕生した背景
  • イギリスのEU離脱
  • 戦後の日米関係の変遷
  • 沖縄基地問題のいま
  • 中東問題とイスラム教
  • 中国共産党の来し方と行く末
  • 朝鮮半島問題      等々
 まさに今の世界情勢を概観し、時事ニュースを理解するための重要なポイントが取り上げられ、わかりやすく解説されている。
 NHKの記者だった池上の該博な知識と、リアリティを感じさせる“現場”のエピソードの数々に感嘆する。
 それにつけても、今の中国くらい、ジョージ・オーウェルの『1984』に酷似している国は無かろう。
 恐ロシア、いや震えチャイナ・・・・・

 読んでみて、ソルティが外野から生半可な知識なりにとらえていた世界の状況や見方が、それほどはずれてはいないことに気づく。
 それはきっと、時事ニュースこそいちいち追っていないけれど、いろいろな国の映画をよく見てきた、よく見ているからなのだと思う。
 各国の映画に映されている風土や市井の人々の生活や物語の枷となる社会的背景を理解することで、知らずその国の歴史や情勢を学んでいるのだ。
 映画の場合、本や新聞やテレビやネットのニュースとは違って、遠い国の生活者の体温や息づかいや声音や表情まで伝わってくるところが特徴であろう。
 教育的効果を期待して映画を観ているのでは決してないが、間違いなく映画は世界とつながる窓である。

 

おすすめ度 : ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損


● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第12回(第54~59番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】


54への道(瀬戸内海1)
松山~今治間は瀬戸内海を左に見ながら歩く
高知の海岸風景といかに違うことか!
車も多い


54への道(瀬戸内海4)



54への道(瀬戸内海2)



54への道(鹿島)
伊予北条の鹿島(かしま)
「伊予の江の島」と呼ばれる

54への道(鹿島2)
周囲1.5km、標高113.8m
鹿島の野生シカは愛媛県指定の天然記念物に指定されている


54への道(子規マンホール)
マンホールにも鹿島が刻まれていた
粟井坂もこのあたりの地名


54への道(鎌大師付近)
鎌大師付近の峠
子規の句の通り、涼しい風にしばし吹かれた


54への道(瀬戸内海3)


54への道(菊間の瓦)
菊間町は瓦の生産で有名


54への道(太陽石油1)
前方に宇宙都市を発見
なんだあれは?


54への道(太陽石油2)
太陽石油の製油所だった
創業者の青木繁吉は高知出身


54への道(伊予亀岡の菊)
伊予亀岡の接待菊


54への道(星の浦海浜公園)
星の浦海浜公園
ドックの向こうに芸予諸島が見える
54への道(ようこそ今治へ)
行き交う東南アジア系の外人の多さにびっくり
タオル工場の従業員だろう


54番延命寺参道
54番延命寺山門に到着



54番札所: 近見山 延命寺 (ちかみざん えんめいじ)

54番
 延々と 続く海辺の道なれば
 命懸けずに のんびり歩け

御本尊: 不動明王
本歌 : くもりなき 鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
コメント: 53番(松山)から54番(今治)までの34.4㎞をえらく長く感じたのは、風邪をひいて疲れていたから。瀬戸の海の透き通る青さがなければ、さらにきつく感じただろう。このあたりでへたばる遍路は多いらしく、境内では三坂峠(45~46番)で出会った看護師がベンチでのびていた。
【次の札所まで3.4㌔】



54番延命寺本堂
本堂


伊予一宮別宮神社鳥居
伊予別宮・大山祇(おおやまつみ)神社
別宮とは、本社の『わけみや』という意で本社についで尊いお宮。
伊予一宮本社は瀬戸内海の大三島にある。

伊予一宮別宮神社
さすがに大三島まで渡るのはきついので
別宮で御朱印をいただいた。
祭神の大山積大神はアマテラスの兄という。


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55番札所: 別宮山 南光坊 (べっくざん なんこうぼう)

55番
 今治の 東西南北 睨みつけ
 光放つや 天部の神は

御本尊: 大通智勝如来
本歌 : このところ 三島に夢のさめぬれば 別宮とても 同じすいじゃく
コメント: 一般に仁王像が置かれることの多い山門に、四方を護る四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)がいるのが珍しかった。境内の東屋でまた看護師と遭遇。いつの間に抜かれたのか? 疲れ切った表情で眠りこけていた。そう、彼は寝袋(野宿)組であった。起こすのも可哀想なので、そのまま別れた。
【次の札所まで3.0㌔】

55番南光坊
山門


55番南光坊持国天


55番南光坊増長天


55番南光坊広目天


55番南光坊多聞天


今治駅
今治駅
数日前に国際的なサイクリングの大会があった
サーフィン、ラフティング、サイクリング・・・
四国のアスレチックぶりに驚く


56への道(かつや)
56番へ行く途中のとんかつやで昼食



56番札所: 金輪山 泰山寺 (きんりんざん たいさんじ)

56番
 テーブルを 占拠する身の やましさに
 早たいさんす 荷物かついで

御本尊: 地蔵菩薩
本歌 : みな人の まいりてやがて泰山寺 来世の引導 たのみおきつつ
コメント: 風邪と11月初めとは思えない強い日射しとでグロッキー寸前。精をつけるため、へんろ道沿いにあったチェーンのとんかつやに入った。日曜のこととて家族連れで賑わう中、杖に笠に頭陀袋、大きなリュックを背負った遍路姿の自分。ひとり異質であった。もっとも、現地の人は見慣れているのだろうが。
【次の札所まで3.1㌔】



56番泰山寺1
泰山寺



57番札所: 府頭山 栄福寺 (ふとうざん えいふくじ)

57番
 ここがまあ「ボクは坊さん。」 栄福寺
 思いがけぬも 閑かなるかな

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : この世には 弓矢を守る八幡なり 来世は人を 救う弥陀仏
コメント: 映画にもなった『ボクは坊さん。』(2010年ミシマ社)の著者、白川密成が住職をつとめるお寺。森と池に囲まれた静かで地味なたたずまいは好感が持てた。納経所の人の対応も良かった。
【次の札所まで2.4㌔】




57番栄福寺1
境内


57番栄福寺2
境内にあった掲示板


58への道
58番へ登る道から今治市街を見下ろす
あの高い塔、なにに見える?


58番仙遊寺山門
仙遊寺山門


58番仙遊寺石段
よくもまあ登ったものよ



58番札所: 作礼山 仙遊寺 (されいざん せんゆうじ)

58番
 千尋の 高き石段 のぼりきり
 薄暮の庭に 犬と遊べり

御本尊: 千手観音菩薩
本歌 : たちよりて 作礼の堂にやすみつつ 六字を唱え 経を読むべし
コメント: 225mの山腹にある。登る途中に見えた今治市街の景色が素晴らしかった。ひときわ高く聳え立つは今治国際ホテル(地上23階、高さ101.7m)であるが、これが一瞬、弘法大師の後ろ姿に見えた。うれしい錯覚。境内には犬がつながれて、参詣者の人気者になっていた。別格7番の山道以来、一週間ぶりにサニーさんと再会。彼女は宿坊に泊まるという。疲労困憊のソルティはややラグジュアリー(笑)なビジネスホテルに宿をとった。この種のホテルのいいところは、ハズレが少ない点である。
【次の札所まで6.1㌔】


今治国際ホテル
今治国際ホテル


58番仙遊寺境内
境内


58番仙遊寺の犬



59への道(松本バス停)
住宅街のバス停で一休み
ソルティの荷物は大概のへんろより少なく軽かった。
長年の山登り経験で、必要最小限なグッズに絞り込まれていた。



59番札所: 金光山 国分寺 (こんこうざん こくぶんじ)

59番
 国籍の 分け隔てなく 受け入れて
 大師はいます 右手差し出し

御本尊: 薬師瑠璃光如来
本歌 : 守護のため 建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ 薬師なりけり
コメント: この境内でフランスから来た70代くらいのご婦人と会った。なかなか日本語も達者であった。一日20㎞歩くと決めているというから、かなりのんびりペースである。フランスでは、ある女性が書いた四国遍路体験記がベストセラーとなり、それを読んで四国を訪れる人が増えたそうだ。
【次の札所まで17.3㌔】
58番国分寺境内
境内


58番国分寺七福神
お寺でよく見かける六地蔵かと思ったら七体いる
七福神であった
赤い毛糸の帽子がかわいい


58番国分寺大師像
これは名案!



四国の白地図第12回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告
60番横峰寺に転がされました







   

● 「口裂け女」考 本:『うわさと俗信 民俗学の手帖から』(常光徹著)

2016年河出書房新書

 民俗学というと、「ちょっと昔」の庶民の風俗やしきたりや言い伝えを調査研究する学問というイメージがある。
 大体、江戸時代から太平洋戦争前くらいの「昔」というか。
 勝手にそう思い込んでいたが、別に誰がそう決めた、定義したというわけでもないらしい。

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 本書は、第1部「うわさ」編と第2部「俗信」編に分かれている。
 第2部こそ土地に残る古くからの言い伝えを取り上げ考察するという従来の民俗学の範疇におさまるものだが、第1部は副題に「現代の世間話」とある通り、現代それも70年代くらいから巷で流行った噂話が列挙されている。
 いわゆる「都市伝説」というやつだ。
 これが面白い。
  • 学校のトイレにまつわる怪談 「赤い紙・青い紙」
  • 口裂け女 「わたし、きれい?」
  • 人面犬
  • 首なしライダー
  • ピアスの穴
  • 会社訪問のうわさ 「男は黙ってサッポロビール」
  • とんだヘアー
  • フランスのブティックの試着室
等々
 どこから、何がきっかけで起こったかは知らないけれど、子供や若者を中心に一世を風靡(?)した怪談や滑稽譚に光を当てている。
 10~20代をボーっと、どちらかと言えば非社交的に生きていたソルティも聞いたことがあるものばかり。懐かしい感があった。
 上のタイトルだけ見て、「ああ」とすべて分かる人は、ソルティとほぼ同世代かそれ以上だろう。

 著者の常光徹(つねみつ・とおる)は1948年高知県生まれ。
 学生の頃から民俗学に興味を持ち、中学校の教師をしながら北陸や東北の民話について調査研究をすすめていたが、年を追うごとに語り手がいなくなり、伝承の衰退を感じていた。
 そんなとき、児童文学作家の松谷みよ子に、「目の前の伝承をみつめてみては」と言われたのがきっかけとなり、教え子である都会の子供たちを対象に話を採取したそうだ。
 それが1985年(昭和60年)のことというから、まさに昭和末期あたりからの都市伝説が出揃ったわけである。

 こういった都市伝説は、話自体の奇妙さや怖さや不合理さなどの分析、あるいは伝播経路やバリエーションの調査もさることながら、なんでその噂が当時流行ったのか、その話のどこにその時代の若者たちの意識(無意識)を揺り動かすものがあったのか、を探ることこそが面白いと思う。
 著者がそのへんをもう少し突っ込んでくれたら、という感はする。

 たとえば、口裂け女が流行ったのはソルティが高校生の頃(1979年)だったが、いま自己分析すると、当時は意識していなかったが、両耳まで裂けた女の口の形状におそらく女性器を連想し、それに噛みつかれる=去勢恐怖があったのではないかと思う。
 それがひとり童貞少年の怯えにおさまらず、メディアを騒がし全国区になったのは、やはり、「女が強くなった、女が性を語るようになった」という時代風潮が背景としてあったからではなかろうか。

 一方、口裂け女には、怖いだけでなく、どこか孤独で寂しい匂いも感じていた。
 その匂いは、ソルティの中では、後年(1997年)の東電OL事件につながっている。
 やはり、性に絡んでいる。
 性に絡むことは、一般に人々が抑圧し意識に登らせないことが多いので、逆にこういう単純には説明のつかない噂話の形をとって顕在化しやすいのではなかろうか。

口裂け女
 1979年の春から夏にかけて日本で流布され、社会問題にまで発展した都市伝説。
 口元を完全に隠すほどのマスクをした若い女性が、学校帰りの子供に 「私、綺麗?」と訊ねてくる。「きれい」と答えると、「……これでも……?」と言いながらマスクを外す。するとその口は耳元まで大きく裂けていた、というもの。「きれいじゃない」と答えると包丁や鋏で斬り殺される。
 この都市伝説は全国の小・中学生に非常な恐怖を与え、パトカーの出動騒ぎ(福島県郡山市・神奈川県平塚市)や、北海道釧路市・埼玉県新座市で集団下校が行われるなど、市民社会を巻き込んだパニック状態にまで発展した。
(ウィキペディア『口裂け女』より抜粋)
 
 コロナ禍のいま、外を歩いているのはマスク女性ばかりなので、口裂け女にとっては良い隠れ蓑になるはず。
 再来するか?
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Ed ZilchによるPixabayからの画像



おすすめ度 : ★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第11回(第48~53番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】

48への道(重信川)
 重信川
み・みずがない!?

48番札所: 清滝山 西林寺 (せいりゅうざん さいりんじ)

48番

 水草の 揺るぐ小川の 橋渡り
 さいりん(再臨)したき この清き寺


御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : 弥陀仏の 世界をたずね行きたくば 西の林の寺にまいれよ

コメント: 重信川(一級河川)を渡って松山市に入る。が、なんと水無川だった。豪雨が続くと氾濫するという。その先に弘法大師が杖で突いたら湧き出した「杖の淵」と呼ばれる泉がある。その流れが寺の外を巡り、非常に気持ちいい境内だった。水草は刺身のツマに使う“ていれぎ”という種類らしい。この歌は作るのに苦心した。

【次の札所まで3.1㌔】


48番西林寺1
山門へ渡る石の太鼓橋


48番西林寺2
整然とした境内


48への道(tていれぎ)
外の濠に揺れるていれぎ


49への道(いよてつ)
伊予鉄道横河原線

 

49番札所: 西林山 浄土寺 (さいりんざん じょうどじ)


49番
 いよてつの 遮断機上がる その先に
 浄土の門の 護り手ぞ立つ


御本尊: 釈迦如来
本歌 : 十悪のわが身をすてず そのままに 浄土の寺に 参りこそすれ

コメント: 伊予鉄道横河原線の久米駅のそばにある。48番から行くと、踏切を渡った正面に立派な仁王門がそびえる。おっかない顔した左右の金剛力士像に出迎えられるのは、十悪の身としてはちょっと(かなり?)怖い。この本歌、好きである。

【次の札所まで1.7㌔】

 

49番浄土寺山門
山門


49番浄土寺本堂
シンメトリカルで美しい本堂
国の重要文化財の指定を受けている

50への道(墓場)
50番への道中にある墓地



50番札所: 東山 繁多寺 (ひがしやま はんたじ)


50番
 繁多なる 街を見おろす 山寺の
 池に映りし 静寂のかげ


御本尊: 薬師如来

本歌 : よろずこそ はんたなりとも怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ

コメント: 住宅街の路地やお墓の中を抜けて登ったところにある。境内には釣り堀のような池が二つあり、その向こうに松山市街や松山城、瀬戸内海まで見える。繁多(用事が多く忙しい)という名前に似つかわしくない静かな境内であった。

【次の札所まで2.8㌔】

 

50番繁多寺山門
山門


50番繁多寺の池



51
番札所: 熊野山 石手寺 (くまのさん いしてじ)


51番
 不気味なる 石の回廊 経巡りて
 聖俗満つる 庭に立ちけり


御本尊: 薬師如来

本歌 : 西方を よそとは見まじ 安養の 寺にまいりて 受くる十楽

コメント: 道後温泉の近くにあるせいか、観光客や修学旅行生で賑わっていた。門前店は並ぶわ、お化け屋敷のような洞窟(全長160m)はあるわ、国宝や重文や宝物館はあるわ、いろんな慈善活動・政治活動を呼びかけるパンフレットやポスターはあるわ・・・・なんでもありのアミューズメントパークのようなお寺であった。住職がヤル気満々なのか。いや、寺とは元来こういう所だったのだろう。

【次の札所まで10.7㌔】



51番石手寺(バロックな女人像)
参道に立つバロックな女神像
(モデルは若尾文子?)


51番石手寺(境内)
境内


51番石手寺(砂の同心円)

51番石手寺(三重塔)


51番石手寺(洞窟)
お化け屋敷のような洞窟
なにかに憑かれそうな不気味な気配漂う


51番石手寺(洞窟出口)
突貫工事的に山をくり貫いた感じ


51番石手寺(パンフレット)



51番石手寺(衛門三郎)
ここにも衛門三郎が・・・・
いや、そもそも石手寺の名の由来が彼と関係ある。
三郎の死の間際に弘法大師がその手に石を握らせた。
その石を手にした赤子が後年生まれた(輪廻転生)。
石はこの寺に納められたという。
しかし、このサブちゃんの姿は哀れすぎる


松山(ユースホステル)
松山ユースホステルに宿泊


松山(ユースホステル2)
ユースの共同スペース
早朝出発したはずの遍路仲間が戻ってきた
40分歩いたところで靴を間違ったことに気づき、タクシーで戻ったという
なんと彼はソルティの靴を履いていったのだ!
何も知らず漫画を読んでいたのんきな自分


松山(道後温泉)
道後温泉で旅の疲れを癒す


松山(宝厳寺)
道後温泉のそばにある宝厳寺は、踊り念仏で知られる一遍上人の生誕地


松山(宝厳寺2)
宝厳寺境内
時宗のお寺では、藤沢にある遊行寺と相模原にある無量光寺が有名

松山(ヘルスビル)
道後温泉アーケードを抜けたところにあるヘルスビル
「色里や 十歩はなれて 秋の風」(正岡子規)
健康的だ


松山(一草庵)
俳人・種田山頭火が晩年を過ごした一草庵


松山(一草庵2)
一草庵の内部
住みやすそうですな


種田山頭火

どうしようもない私が歩いている
分け入つても分け入つても青い山
また一枚脱ぎ捨てる旅から旅
おちついて死ねそうな草萌ゆる


松山(ゴルフ練習場)
ため池を利用した打ちっ放し
ボートと虫取り網でゴルフボールを回収していた
 (JR予讃線・三津浜駅近く)


愛媛県庁
松山県庁
木子七郎設計により1929年(昭和4年)完成
松山では半日街中を歩き回り、路面電車に乗り、床屋でスポーツ刈りにした。



52番札所: 瀧雲山 太山寺 (りゅううんざん たいさんじ)


52番
 太山の道をも塞ぐ 催涙雨
 人のこひぢ(乞い路)を妬むものかな


御本尊: 十一面観音菩薩

本歌 : 太山へ のぼれば汗のいでけれど 後の世おもえば 何の苦もなし

コメント: 国宝の本堂を拝むことができなかったのは、参道の崖が崩れて通行止めになっていたから。ここでも七夕豪雨が爪痕を残していた。御朱印はふもとの本坊で受けた。催涙雨とは七夕に降る雨のこと。彦星と織姫が会えないことを嘆く涙とか。仏を乞う道まで邪魔しなくとも・・・。

【次の札所まで2.6㌔】


52番太山寺山門
山門


52番太山寺がけ崩れ
この先通行止め


太山寺本堂
国宝指定の本堂
(ウィキペディア「太山寺」より)


 

53番札所: 須賀山 円明寺 (すがざん えんみょうじ)


53番
 誦経する 白衣姿の一群を
 マリアは見やる 円明にして


御本尊: 阿弥陀如来

本歌 : 来迎の 弥陀の光の円明寺 照りそう影は 夜な夜なの月

コメント: 境内の目立たぬ一隅に、聖母マリアの彫られた灯籠がある。かつて隠れキリシタンが礼拝していたという。それを黙認していたお寺のふところの深さを想う。円明とは、理知円満の境地に達して明らかに悟ること。

【次の札所まで34.4㌔】


53番円明字境内
境内


53番円明字キリシタンとうろう

マリア観音
マリア観音



四国の白地図第11回



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次回予告
瀬戸内海を左手に歩きます


 
 







   



 

● 本:『老年について』(キケロー著)

B.C.44年執筆
2019年講談社文庫(大西英文訳、『友情について』も収録)

 マルクス・アウレリウス『自省録』につぐ古代ローマ賢人シリーズ。

 よく考えてみたら、2000年以上前に生きたローマ人の声を聴けるとはすごいことだ。
 現代作家のいったい誰が2000年後の人類によって読まれているだろう?
 むろん、キケロー本人も想像だにしなかったであろう。自分の作品が、2000年後の(キケローが存在を知らなかった)極東の小さな島国の異国語を話す人間によって読まれ、いい加減な感想を書かれ、世界を結ぶインターネットによって発信されてしまうとは!


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 キケローの生きた時代を、大方の読者が「ああ!」と即座に理解しイメージできるように言うならば、こうなる。
 カエサルとクレオパトラの時代――。

 カエサルという英雄の登場によって、それまで元老院が牛耳っていた政権(共和政)に揺らぎが生じ、カエサル暗殺後、アントニウスとオクタビウスが対峙し前者が破れた結果、初代ローマ皇帝アウグストゥス誕生とあいなった時代である。(このへんの知識いい加減)
 政治家であったキケローはまさにこの激動の時代を生きた。

マルクス・トゥッリウス・キケロー
ローマの雄弁家、政治家、哲学者。ラテン散文の完成者。共和政末期の混乱の世に、最高の教養と雄弁をもって、不正の弾劾者、自由の擁護者として活躍。第1次三頭政治のもとで、前 58年追放され、翌年帰国後も自由な政治活動ができず、哲学的著作に従事。カエサル暗殺後再び元老院の重鎮として活躍。
主要著書は『弁論家論』、『国家論』、『善と悪の限界について』、『トゥスクルム論叢』、『神々の本性について』など。
(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』より抜粋)

 キケローのもっとも有名でよく読まれている作品が、本文庫に収録されている『老年について』と『友情について』である。
 ソルティも30代までだったら『友情について』は読んでも『老年について』は読まなかったであろう。50代の今は『友情について』は読む気がしない(苦笑)。
 古代の賢者が老いについてどう語っているか、老いの苦しみを緩和しそれと上手くつき合うコツを伝授してくれていないか。それが本書を手にした理由である。
 なんたって2000年のときをこえて読み継がれている古典であり、本書解説によれば、「老年というものをきわめて肯定的に描き出している、古典古代で最初のモノグラフ(論文)」とのこと。
 きっと、現代を生きる我々にも役に立つ知恵があるはず。

 本編の構成は、二人の優秀なるローマの若者スキピオーとラエリウスが、賢人として誉れ高い執政官カトー(84歳の設定)のところに赴き、カトーのように誰からも尊敬される立派な老年を送るためのコツを尋ねるという趣向になっている。カトーは、キケローの生れる前にローマで活躍した実在の政治家である。
 つまり、キケローは当時の読者にあまねく知られていた偉人カトーにたくして、自らの老年に対する考えを披露しているのである。

 大筋は、まず、「老年が惨めなものと映る理由」として、
  1. 仕事や活動から身を引くのを余儀なくさせる
  2. 肉体を衰えさせる
  3. 快楽を奪い去る
  4. 死が間近である
の4つを上げ、その一つ一つについて吟味し、その理由が決して難点とばかり言えないこと、またその難点を十分補いうるだけの老年ならではの役割や利点や楽しみがあることを論じ、あるべき理想の老年の姿を描く。
 水も漏らさぬ論理展開と巧みな話術は、稀代の弁論家として知られたキケローの面目躍如たるものがある。
 
 これで説得されて、「参りました~」とひれ伏したいところであるが、そしてその降伏は老いについて不安を覚えるソルティとしては嬉しい降伏なのであるが、残念ながら説得されなかった。
 老いを肯定的に受けとめるのに役立ったか、老後不安が解消されたかといえば、答えはNOである。
 いや、いまどき、このキケロー節で安心を得られる高齢者が果たしているだろうか?


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 傾聴すべきところはある。
 生涯打ち込める仕事なり趣味なり(ライフワーク)をもつこと、農業・園芸を趣味とすること、あるいは性欲の低下こそはいたずらに悲しむべきことではなく、精神を安定に保ち理性的な仕事をなすのが容易になるので喜ぶべきこと――なんてあたりは至極納得いく言説である。
 一方、次のような記述はどうだろう?

 間違いなく言えるのは、スキピオー、それにラエリウス、老年に対処する最適の武器は諸々の徳の理の習得とその実践である、ということだ。この徳を人生のあらゆる段階で涵養すれば、長く、また大いに生きた暁には驚くほどの稔りをもたらしてくれよう。

 ・・・・・言葉で繕い、弁解しなければならない老年は哀れな老年だ、と。威信というものは、白髪になり、皴ができたからといって、いきなりつかみとれるものではない。それまで立派に送った生涯が最後の果実として受け取るもの、それが威信というものなのだ。

 老年の報酬は、何度も述べたように、それ以前に獲得した善きものの豊かさと、その思い出だ。

 徳の涵養、威信、立派に送った生涯、獲得した豊かさと思い出・・・・・。
 なんという高いハードルだろう。
 老年に至ってこれらを具備できる者がどれだけいるのだろうか。
 多くの人は、煩悩にまみれ、エゴに振り回され、人間関係に悩み、後悔多くして、孤独と不安に苛まれ、苦い思い出を抱えながら、老年に足を踏み入れるのではないだろうか。
 それが、7年間介護の仕事に携わって多くの高齢者に接してきたソルティの実感であり、またソルティ自身の現在でもある。

 もちろん、そうでない人もいよう。
 カトー(=キケロー)が述べるような、徳と威信を備え、現役時代に獲得した有形無形の財と素晴らしい思い出の数々に取り巻かれている人、人生の成功者と言えるような人もいないことはなかった。
 が、やはりそれは一握りであり、持って生まれた資質と環境と運の良さによるところが大きいと思う。(いずれにせよ、最後は家族と離されて施設で過ごさざるを得なくなったわけだが・・・)
 つまり、キケローが描く理想の老年像はエリート的なのだ。
 決して万人向けではない。
 キケロー自身が飛び抜けたエリートだったという点を考慮して本編は読まれるべきであろう。

 また、80~90代の高齢者の介護に関わってきた立場からすると、キケローは現実の老いのしんどさが実感として分かっていないんじゃないかと思われてくる。
 たとえば、本編では、認知症とか、失禁とか、他人の介助を受けなければならない屈辱や恥や申し訳なさとか、老々介護とか、安アパートでの孤独死とか、いわゆる介護問題にまったく触れられていない。
 これには、当時は介護が社会問題となるほどには人が長生きしなかったという理由があろう。戦前までの日本と同様に。(古代ローマの平均年齢は女性27.3歳、男性26.2歳、60歳以上の割合は女性7.4%、男性4.8%というデータもある)
 古代ローマの裕福なエリートの老いと、令和日本の平均的な庶民の老いとでは、抱える問題がずいぶん異なっている。

 さらに、これを書いたとき、キケローは62歳だった。
 当時のローマの年齢区分では、初老を越えて老年に入るか入らないかの頃合いという。現代日本で言えば70歳くらいか。
 これからがまさに老いの本番ということだ。
 キケローは自身、老いの真っただ中にいる引退したご隠居として、これを記したのではない。まだ政界の中枢にいて、決して軽くはない発言力を有していたのだ。発話者として据えたカトー(84歳)とはそもそも20歳以上の開きがある。
 むしろ彼は、身体の変化や政局からの疎外という形で忍び寄ってくる老いの前兆を認識し、これからやって来る老後を見据え、一種の覚悟や心構えとしてこれを書いたのではなかろうか。
 本作が理想論のように思えるのはそのせいではなかろうか。

 現実のキケローがどのような老後を迎えたか、誰もが知りたいところであろう。
 本編のカトーのように、誰からも一目置かれる智慧と威信に満ちた老人になったのだろうか。
 自ら描いた理想の老年を送ったのであろうか。

 キケローはこれを書いた翌年、なんとアントニウスの放った刺客の手にかかって暗殺されたのである。
 そういう時代であった。



おすすめ度 : ★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損



● 科白が入っていない!    


 舞台の本番を数日後に控えているのに、自分の役の科白を全然覚えていない。
 これからどう頑張っても覚えきれない。
 いったい自分は何をボケっとしていたのだろう?
 
 ―――という夢をたまに見る。
 悪夢というほどではない。
 にっちもさっちもいかない困った状態のまま目が覚めて、「ああ、夢でよかった」とホッと一安心する、というほどのこともない。
 ちょっと、心がざわついて、しばらくすると夢を見たことも忘れてしまう。
 
 似たような夢で、試験が近い夢や試験を受けている夢を見るという人がいる。
 学生時代の延長のようなストレスフルな夢だ。
 ソルティはこちらは見たことがない。
 どういうわけか決まって舞台がかかわっている。
 
 実際、ほんの少しの間だが芝居をやっていたことも過去にあり、そのせいかとも思うのだが、やっていた時は科白を覚えきれないとか、科白を忘れたという経験はなかった。
 トラウマになるほどの悲惨な失敗もしなかった。
 ステージフライト(舞台恐怖)に苦しんだこともなかった。
 
 いつからこの夢を見始めたのか覚えていないのだが、最初のうちは幕が開くのは2~3日後という設定だった。
 がむしゃらに覚えようとすれば間に合わないこともない気がする。
 もっとも、どんな内容の芝居なのか、どんな役を振り当てられているのか、どのくらいの量の科白があるのかまでは、はっきりした設定ができていないのだが。
 ただ夢の中では、「いまから覚えるのは到底無理」と半ば諦めている。
 
 そのうち、だんだんと幕開きまでの期間が短縮されてきて、「明日が本番」という設定がしばらく続いた。
 それがさらに短縮されて、「数時間後に本番」となった。
 だんだん追い詰められていく。
 ついには、「本番直前の楽屋」で扮装も化粧も済んで、幕開きを他の役者たちと待っているところになった。
 ソルティが全然科白を覚えていないことを他の役者たちは知りもせず、それぞれ自分の科白や動きを確認している。
 自分の中では「困ったことになった」と思っているのに、「いまのうち、みんなに告白しておかなければ・・・」とは考えていないあたりが不誠実きわまりない(笑)。
 
 先日、夢の中で気づいたら、ついに舞台上にいた。
 本番最中である。
 数名の役者と一緒に舞台にいて、観客の視線を浴びている。
 戸外のシーンのようで、草や木の大道具に囲まれている。
 周りの役者たちが流れるようなよどみなさで、代わる代わる科白を口にする。
 何を言っているのかはわからないものの、ソルティは「なかなか、上手いものだ」と感心している。
 なんとなくシェークスピアを思わせる科白回しだ。
 と、科白が切れた。
 舞台上を沈黙が支配する。

 ・・・・・

 それは芝居の「間」ではなく、明らかに「途切れ」と分かる不自然な沈黙。
 誰かが科白を忘れているらしい。
 役者間に緊張が走る。

 ・・・・・・・・

 瞬間、「あっ、ここは自分の科白なんだ」と理解する。
 が、むろん何をしゃべっていいのか見当もつかない。
 筋が分からないのでアドリブすらきかない。
 沈黙が続く。

 ・・・・・・・・・・
 
 しばらくすると、舞台袖に控えていた他の役者がその沈黙の理由に気づいたらしく、出番ではないのに舞台に登場して、適当な科白をその場ででっちあげて、事態をうまく回収してくれた。
 そこで夢は終わった。

 これでこの夢は終わるのか、この先があるのか。

 
黒子
 黒子がいれば問題ないのでは?
 

P.S. そうそう、肝心なことを書くのを忘れていた。この芝居の台本を書いたのはソルティ自身なのであった。自分の書いたものを忘れているのだ。






● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第10回(第44~47番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】

44番への道(さらば大洲)
さらば愛しき大洲よ


44番への道(国道56号)
交通量の多い国道56号をいく



別格8番札所: 十夜ヶ橋(とよがばし)

8番
 不思議やな 浮世も沈む 大水に
 十夜ヶ仏の はしも浸からず

ご本尊: 弥勒菩薩
本歌 : ゆきなやむ 浮き世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほゆ
コメント: 橋のたもとの永徳寺で御朱印をもらう。ここは7月7日豪雨の際、近くを流れる肱川(ひじかわ)が氾濫し、本堂床上1m以上が水に浸かった。水はご本尊の足下5センチで止まったという。橋の下に寝ている弘法大師はすっかり水の中だったろう。
【次の札所まで43.6㌔】


十夜ヶ橋1
十夜ヶ橋


十夜ヶ橋2
橋の下に眠るお大師様
眠りを妨げてはいけないという理由から
「遍路は橋の上では杖を突いてはならない」というルールが生まれた


十夜ヶ橋3
永徳寺本堂


十夜ヶ橋4(本尊)
ご本尊:弥勒菩薩


44番への道(内子まちなみ)
内子のレトロ&エレガントなまちなみ


44番への道(内子旭館1)
内子の映画館(旭館)の遺構

44番への道(内子旭館2)



大瀬のあたり
小田川の風景(大瀬)
ノーベル文学賞作家・大江健三郎のふるさと
親戚筋という翁との出会いがうれしかった


44番への道(突合)
突合(つきあわせ)
ひわた峠遍路道と農祖峠遍路道との分岐


44番への道(突合2)
右が農祖(のうその)峠への、左がひわた峠への道
いずれを取るか、歩きへんろが迷う地点である


44番への道(ひわた峠1)
ひわた峠を選んだ
田渡川沿いに至極快適な舗装路が続く
車もほとんど通らない


44番への道(ひわた峠2)
山道は最後の3キロ程度だけ
いまの遍路はラクしてるよなあ~


44番への道(ひわた峠3)
ひわた峠のピーク(790m)


44番への道(ひわた峠4)
久万高原(標高500m位)が見えました!



44番札所: 菅生山 大寶寺 (そごうざん だいほうじ)

44番
 ひわた越え 久万高原に 降り立ちて
 だいほう(待望)の味 「心」のうどん

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌: 今の世は 大悲のめぐみ 菅生山 ついには弥陀の ちかいをぞまつ
コメント: ひわた峠(790m)を越えて久万高原に来てみたら、街路樹はエンジに色づいてすっかり秋であった。ベテラン遍路Kさんに教えてもらったうどんの名店「心」に直行する。開店前から列をなす人気ぶり。評判通り、実に歯ごたえ良く美味であった。
【次の札所まで8.4㌔】


44番への道(うどんの心)
うどんの名店「心」


心のうどん
おにぎり2個つきで550円
生涯食べたなかで最も美味いうどんとなった


44番大宝寺本堂
大寶寺本堂


45番への道(かわいのへんろ小屋)
45番へ行く途中にある河合のへんろ小屋
ここにデジカメを置き忘れ、取りに戻って30分のロス
忘却は忘れたころにやってくる



45番札所: 海岩山 岩屋寺 (かいがんざん いわやじ)

45番
 くれなゐに 染まる岩屋の 絶景は
 アチャラナータ(不動明王)の接待と見ゆ

御本尊: 不動明王
本歌 : 大聖の いのる力の げに岩屋 石のなかにも 極楽ぞある
コメント: 巨岩に囲まれた岩屋寺の荘厳も素晴らしかったが、帰りに通った古岩屋の円錐状の礫岩の迫力と、それをここぞと飾る紅葉のあでやかさに言葉を失った。天気も上々、行楽客もずいぶん出ていた。こんな瞬間に立ち会えるなんて・・・・!
【次の札所まで29.0㌔】


45番岩屋寺1
本堂
はしごで横の岩穴に登ることができる
とくに何があるというわけではない(笑)


45番岩屋寺2
この構図、秩父巡礼札所第28番橋立堂を思い出した


45番岩屋寺3
古岩屋


45番岩屋寺4



46番への道(三坂峠2)
早朝の三坂峠付近
ここから松山市に向かって下りに入る

46番への道(三坂峠)
三坂峠より松山市と瀬戸内海を望む


46番への道(丹波の里接待所)
峠を下りた所にある丹波の里接待所


46番への道(丹波の里接待所2) (2)
へんろを迎える地元の方々
赤飯とおでんとみかんとお茶の接待にあずかった
週一回のオープン日にあたってラッキー!
薪を使ったストーブの火がぬくくて気持ちよかった
ありがとうございました



46番札所: 医王山 浄瑠璃寺 (いおうざん じょうるりじ)

46番
 木の間より ついにあらわる松山は
 浄瑠璃色に かすみ浮かべり

御本尊: 薬師如来
本歌 : 極楽の 浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は 報いならまし
コメント: 関西から来た話好きの看護師の男(40代前半)と連れ立って、足もとの悪い三坂峠を下っていくと、不意に木々の間から松山と瀬戸内海が見渡せた。全行程の3/4は来た。結願の実現がほの見えた瞬間であった。浄瑠璃寺から道後温泉まで短い間隔で寺が続く。
【次の札所まで0.9㌔】


46番浄瑠璃寺
浄瑠璃寺入口


46番浄瑠璃寺付近の道しるべ



47番札所: 熊野山 八坂寺 (くまのざん やさかじ)

47番
 八大の 地獄めぐりが 怖ければ
 ゆめさかしらに 物は言ふまじ

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 花を見て 歌よむ人は八坂寺 三仏じょうの 縁とこそ聞け
コメント :ここは何と言っても、地獄と極楽の絵がある閻魔堂が印象的であった。劇画タッチの絵は誰の手によるものなのだろう。八大地獄とは下から、無間・大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等治をいう。
【次の札所まで1.0㌔】


47番葉八坂寺
境内

地獄絵図47番八坂寺
えんまさま
 

別格9番札所: 文殊院(もんじゅいん)

9番
 後世に 名が残りたる 代価とて
 厳しからずや 文殊の罰は

ご本尊: 地蔵菩薩 文殊菩薩
本歌 : われ人を すくわんための 先だつに みちびきたまう 衛門三郎
コメント: 衛門三郎は、弘法大師に無礼を働いたため、8人の子供を喪うという罰を受けた。改心し、21回目の四国巡礼の際、大師に出会い謝罪した。へんろ道のあちこちに土下座像が建てられていて、ちょっと可哀想。この寺は彼の屋敷跡に立つという。正式には、大法山文殊院徳盛寺(とくじょうじ)と号す。
【次の札所まで3.5㌔】


別格9番文殊院
境内


別格9番文殊院(焼山下の衛門三郎像)
弘法大師に土下座して謝罪する衛門三郎
(12番焼山寺を下りたところにある杖杉庵の像)



四国の白地図第10回


CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告
道後温泉に入ります‼









   



 

● 映画:『ボクは坊さん。』(真壁幸紀監督)

2015年
99分

 四国遍路札所第57番永福寺住職・白川密成の書いた同名のエッセイを映画化したもの。
 新人住職の戸惑いや苦悩、奮闘、そして成長がユーモラスなタッチで描かれている。

 監督の真壁幸紀(まかべゆきのり、1984年生)は本作が長編映画デビューとのこと。若干稚拙なところは見受けられるものの、丁寧な心のこもった演出でカバーしている。
 役者では、主演の僧侶役の伊藤淳史、檀家の長老役のイッセー尾形、そして母親役の松田美由紀が好演である。
 
 何と言っても、実際の永福寺とその周辺でロケしたことが、この作品の最大の魅力である。
 四国(愛媛今治)の穏やかな景色や、お遍路さんが立ち寄る札所の風景が、作品のリアリティを底支えし、先祖伝来の素朴な信仰が根付く土地柄を映し出している。
 むろん、ソルティにとっては懐旧の情このうえない。


57番栄福寺1
永福寺境内

 
栄福寺周囲
お寺の周辺風景


栄福寺池
お寺近くの犬塚池


 本作を見れば、檀家寺というのが、地域の人々にとっての心の拠り所であり、困ったときのサポートセンターであり、生老病死に関わる学びと記録と実践の場であることがわかる。
 さしずめ、住職は村のカウンセラーであり、ソーシャルワーカーであり、魂の主治医なのであろう。
 
 イッセー尾形演じる檀家の長老のセリフが含蓄あった。
 「場を作ればいいというものじゃない。人は場に集まるのではない。人は人に集まるんだ」
 

 
おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損





● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第9回(第40~43番)


  2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】
40番への道(正木トンネル)
正木トンネルを抜けて愛媛県へ入った


40番への道(愛南町看板)
愛南町の観光案内板


40番への道(コスモス畑)
満倉休憩所の前に広がるコスモス畑


40番への道(僧都川)
僧都川沿いに40番を目指す



40番札所: 平城山 観自在寺 (へいじょうざん かんじざいじ)

40番

 観るも自在 聴くも自在の 旅なれば
 のんびり往かん 今ここにあれ

御本尊: 薬師如来
本歌 : 心願や 自在の春に花咲きて 浮世のがれて 住むやけだもの
コメント: 四国の西側は結構風が強いことに驚く。心なしか高知にくらべて穏やかな気を感じた。カツオとミカンの違い? 闘犬と闘牛の違い? 高知の終わりで右足首を痛め、棄権のピンチに陥った。歩くペースを落とし、できるだけ楽な道を選ぶ。いつのまにか先を急いでいた自分を反省した。
【次の札所まで40.3㌔】



40番観自在寺山門
観自在寺山門


40番観自在寺宿坊
宿坊に泊まった
中国人のグループが例によって賑やかだった


41番への道(柏坂付近漁港)


41番への道(ゆらり内海)
ゆらり内海にて昼食休憩


41番への道(ゆらり内海ランチ)



41番への道(宇和島漁村)
宇和島浦知の漁村
かつては真珠の養殖で賑わった


41番への道(削られる山肌)
宇和島に入ったらこのような採掘光景が目立った


41番への道(津島岩松川)
津島の岩松川


41番への道(津島採石場)
採石場の中をへんろ道が通っている(松尾峠付近)
この光景、世界遺産委員会の目にどう映るか?



別格6番札所: 臨海山 龍光院(りんかいさん りゅうこういん)

6番
 宇和島の 鬼門を護る この寺に
 龍の光を 仰ぎ見るかな

御本尊: 十一面観世音菩薩
本歌 : みめぐみの 杖をたよりに 有為の山 越えてくもらぬ 月を見るかな
コメント: 宇和島市街に入って車の量がどっと増えた。が、一歩国道を離れると閑散としてさびれた空気が漂っていた。龍光院は、初代藩主・伊達秀宗(政宗の長男)が入部したときに、宇和島城の鬼門鎮めに建てられたという。高台にある境内から天守閣がよく見えた。
【次の札所まで9.9㌔】



別格6番龍時光寺1
龍光院
別格6番龍時光寺2
境内
別格6番龍時光寺3
境内から宇和島のまちを見下ろす


宇和島城
宇和島城


41番への道(ダルマ石)
宇和島駅近くの路傍に見かけた存在感たっぷりの石


41番への道(三間盆地)
JR予土線・務田駅より41番に向かう一本道



41番札所: 稲荷山 龍光寺(いなりざん りゅうこうじ)

41番
 龍光の 満ちたる朝の 畑中に
 直しき人の 影を見るかな

御本尊: 十一面観世音菩薩
本歌 : この神は 三国流布の密教を 守りたまらん 誓いとぞ聞く
コメント: JR務田(むた)駅から札所へと広がる三間平野の朝の光景はただただ美しかった。龍光寺の参道にある店で、遍路姿の菅直人元総理大臣の写真が飾られているのを見た。2004年から歩き始め、足かけ10年で結願したという。ちゃっかり商売に利用されているのだが、固いことは言うまい。いい笑顔をしている。
【次の札所まで2.6㌔】



41番龍光寺1
境内より参道を見下ろす
神仏習合時代は稲荷神社に札所があった


41番龍光寺3
明治初期の神仏分離後に新たに建てられた本堂


41番龍光寺2



42番札所: 一果山 佛木寺 (いっかざん ぶつもくじ)

42番
 コスモスの 道をたどれと 案内する
 人も仏も 木石にあらず

御本尊: 大日如来 
本歌 : 草も木も 仏になれる 仏木寺 なおたのもしき 鬼畜人天
コメント: このあたりは道標が少なく道に迷いやすい。民家の庭先の老人に尋ねたら、「コスモスの咲いている道をずっと行けばいい」と教えてくれた。境内では地元の参拝者から森永チョコレートパイのご接待を受け、真心と久しぶりに口にする甘味とで脳内エンドルフィンが活性した。
【次の札所まで10.6㌔】


42番への道(コスモス街道)



42番仏木寺
仏木寺山門

43番への道(がけ崩れ)
歯長峠の惨状



43番札所: 源光山 明石寺 (げんこうざん めいせきじ)

43番
 水難の 痕めいせきに 残りつる
 西予(さいよ)のまちに 足重くして

御本尊: 千手観音菩薩
本歌: 聞くならく 千手ふしぎの ちかいには 大磐石も かるくあげいし
コメント: 西予(愛媛県西部)は2018年7月7日の豪雨被害がもっとも著しかったところ。歯長峠のへんろ道は土砂崩れで通行止め、迂回せざるを得なかった。ふもとでは「畑がすっかり水に浸かってダメになったよ」という農家の人の声も聞いた。
【次の札所まで34.6㌔】



43番明石寺
明石寺

ホンダ西予店
国道56号沿いの車販売店
ここでトイレを借りたらコーヒーをご接待いただいた
ありがとうございました


鳥坂番所跡2
大洲藩鳥坂番所跡
鳥坂峠の入口にある
通行する旅人は身分証明書と往来手形の提示を求められた
巡礼者は比較的楽に通行できたという
ところがどっこい・・・

大洲(町の風景2)
伊予大洲に到着
別格7番のある出石山(812m)を背にした大洲城が神々しい


大洲(松楽旅館)
伊予大洲の老舗旅館に泊まった


大洲(町の風景)
この風情ある城下町は
TVドラマ『おはなはん』や『東京ラブストーリー』の舞台となった


大洲(朝の肱川)



別格7番札所: 金山 出石寺(きんざん しゅっせきじ) 

7番
 勇気出し いし強く持ち 来てみれば
 見よ伊予灘に 夕日かがやく

ご本尊: 千手観世音菩薩
本歌 : くもりなき 二名の島の 金山に みのりの光 かがやくを見よ
コメント: 足首の痛みに怖じて、行こうかどうか数日迷い続けた札所。812mの明るい山頂からは、大洲の町を隠す一面の朝の雲海と、黄金に染まる夕焼けの伊予灘とが臨めた。札所に向かう山中の一本道で、降りてきたサニーさんと出くわしてビックリ。足摺岬以来である。前日に宿坊に泊まったとのこと。一日遅れで追っかけているらしい。
【次の札所まで13.8㌔】

別格7番出石寺1
山門


別格7番出石寺(境内)
境内


別格7番出石寺夕の伊予灘2
境内の西側から伊予灘と九州(大分の国東半島か)が見えた
108札所中、九州が見えるのはここだけだろう


別格7番出石寺夕の伊予灘
この出石寺でなにか吹っ切れるものがあった


別格7番出石寺朝の伊予灘
朝の伊予灘
伊方原発で有名な佐田岬


別格7番出石寺雲海
境内東側に広がる雲海


別格7番出石寺(大洲のまち)
下山中、雲海が晴れるにつれ大洲の町が現れる
幻想的な光景にしばし時を忘れた



四国の白地図第9回


CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告
ノーベル賞作家・大江健三郎の故郷に行きます






   

● 救世軍とは 映画:『骨までしゃぶる』(加藤泰監督)

1966年東映
88分、白黒

 藤純子主演『緋牡丹博徒 お竜参上』や『江戸川乱歩の陰獣』などの傑作で知られる加藤泰の撮った明治時代の郭もの、ということで興味を持ち、レンタルした。

 まず、白黒とは思わなかった。
 加藤泰の作品は、そのローアングルに徹した奇抜な構図と共に、色彩のシュールなまでの鮮やかさが印象に強いからだ。
 しかし、66年というのは日本ではまだ白黒映画が主流だった頃か。66年キネ順ベストテンを見ると、白黒とカラーの割合は半々である。(『大魔神』の撮られた年だ)
 舞台は遊郭である。カラーだったら魅力倍増、間違いなかったろう。

 出演者がいい意味で地味め。
 主演の桜町弘子は東映の時代劇や任侠映画によく出ていたようだが、はじめて顔を見知った。
 共演の久保菜穂子は大映の眠狂四郎シリーズに何作か出ていて、ソルティは顔なじみであったが、一般には知られていまい。
 渋い重鎮俳優の代名詞たる夏八木勲がこの作品でデビューしている。遊郭はじめての大工の童貞青年役を演じているのが可愛い。
 本作の出演者中、もっともよく知られているのは、おそらく菅井きんだろう。
 遊郭の情け容赦ないやり手ババアを演じて、まさにドンピシャの名演である。こういう役をやらせたら彼女以上の役者はなかなかおるまい。それでも昔は御職(女郎のトップ)だったというから愉快。

 『吉原炎上』、『海は見ていた』、『赤線地帯』など、ソルティは遊郭映画は結構見ているので、本作で描かれる遊郭のしきたりや仕組みや雰囲気にことさら目新しいものは感じない。
 が、腹が立つのはやはり労働搾取である。
 貧しい家の娘を莫大な借金をかたに遊郭に連れてきて、一晩に何人もの客を相手に性的奉仕させる。
 主人公の娘おきぬ(=桜町弘子)がつとめる遊郭の経営者夫婦が、入ったばかりのおきぬが稼いだ金を勘定するシーンがあるが、おきぬの取り分はそのうちの五分(5%)と言う。
 なんつー、不当搾取か。
 その五分でさえ、そこから部屋の貸し賃やら食事代やら着物代などが差っ引かれていき、結局、最初の借金は減らないどころか膨らんでいく仕組みになっている。親元に仕送りするどころか、永遠に足ヌケできない。客から病気をもらうなり、歳とって売れなくなるなりして、お払い箱になる日まで。

 ソルティは性を売り買いすることにはそれほど目くじらを立てるものではないが、この頑張っても稼げないあこぎな仕組みには無性に腹が立つ。

 おきぬは客として来た大工の青年(=夏八木勲)と惚れ合って、夫婦の契りをし、救世軍の助けを借りて足ヌケする。
 郭ものとしては、数少ないハッピーエンドなのではないか。


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公娼廃止を訴える救世軍のシーン


救世軍とは
プロテスタントの伝道,慈善団体。メソジスト派の牧師であったウィリアム・ブースが独立して,1865年ロンドンのスラム街で Christian Missionの名のもとに貧民への伝道を始め,78年軍隊組織を模して救世軍と名を改めた。聖書を唯一の権威とし,制服をまとい音楽を用いて街頭に進出,貧民への伝道,救済活動を行い,全世界 (約 70ヵ国) に広まった。日本には 95年イギリスより渡来し,山室軍平らの努力で普及,東京に本営を構え,機関誌『ときのこえ』を出し,廃娼運動などの社会改革運動を行い,年末の社会鍋などで親しまれている。
(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』より引用)


 知り合いのカトリックのシスターが、「救世軍」のことをいつも「十字軍」と言い間違えていたことを思い出す。
 プロテスタントの活動だったからなのだ。



おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損





● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第8回(第38~39番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【高知県】

 37番岩本寺~38番金剛頂寺~39番延光寺は、札所間距離がとても長く、足摺岬を回るため見どころも多い。
 よって、今回札所は2カ所のみ。
 岬の東側と西側の風景を楽しんでいただきたい。


38番への道(道路標識)
国道56号(黒潮町付近)
「松山まで〇km」という標識をはじめて目にした瞬間。
いまや「201km」という数字に何とも思わなくなっている自分。


38への道(黒潮町伊の岬あたり)



38番への道(民宿みやこ)
この宿で米国人女性サニーさん(50~60歳位か)と出会い、一緒に夕食をとった。
四国遍路は初めてで、できる限りお寺の通夜堂や善根宿を利用し、
旅費を抑えているとのこと。彼女とは今後、出会いと別れを繰り返すことになる。


38番への道()四万十大橋)
四万十大橋
この日は珍しく雨模様だった


38番への道()四万十川)
雨の四万十


39番への道(四万十川)
晴れの四万十(別の日に撮影)


38番への道(伊豆田トンネル)
 四国へんろ最長の伊豆田トンネル(1620m)


伊豆田トンネル2
雨が降っていたので、トンネルがうれしかった


38番への道(真念庵)
番外霊場・真念庵
38番から打ち戻って39番に向かうへんろのために真念上人が建てた。


38番への道(くもも)
親切で話好きの女将がいる
この宿で九州から来たYさんと出会った(後述)


くももの朝日
くももの部屋から朝日を見る
 「今日は晴れるぞ!」
一日前だったら雨の足摺岬になっていた


38番への道(はまぐりの里)
大岐簡易郵便局にて
Yさん(写真)としばらく同行


38番への道(たいきの浜)
大岐(たいき)の浜


38への道(以布利港)
以布利(いぶり)港


38番への道(足摺岬へ0.5キロ)
38番を打って戻ってきたTさん、Kさんと出会う
二人の歩くペースが速い(ソルティが遅い)のでもう会うことはなかろう



38番札所: 蹉陀山 金剛福寺 (さださん こんごうふくじ)


38番
 金剛の 杖の先なる 福の花
 足摺𥔎に 咲きほこる時


御本尊: 三面千手観音菩薩
本歌 : ふだらくや ここは岬の船の竿 とるもすつるも 法のさだ山

コメント: 何日も杖を突いていると、先端が割れ、ささくれが四方に広がって、あたかも花が咲いたかのように見える。これを杖の花と言う。足摺岬に到着する頃は、すでに2回くらい開花して散って、を繰り返していた。この札所に到着したときの達成感は、88番結願時よりも大きかった。境内で出会ったどの遍路の顔にも充実感が漲っていた。

【次の札所まで72.5㌔】

 

38番金剛福寺境内
金剛福寺境内


38番金剛福寺境内2



足摺岬(御崎の階段)
足摺岬は切り立った崖の上を道路が走っている
階段で海面まで下りる


足摺岬(白山洞門)
白山洞門
花崗岩の壁に穿たれた高さ16m、幅17mの穴


足摺岬(白山洞門2)



足摺岬(海と岸壁)



足摺岬(四国最南端)

足摺岬(灯台)



朝焼けの足摺の町
出立の朝。足摺の町をふりかえる(国道321号)


39番への道(へんろ札)
岬の西側に回り込む。
多くのへんろは38番を打った後、来た道を引き返し、
内陸(真念庵)を通って39番へと向かう。
ソルティは海岸沿いに、叶崎・月山神社・大月町を経由するロングコースをとった。
(下記地図参照)


39番への道(ジョン万次郎1)
ジョン万次郎(1827-1898)の生家
仲ノ浜村(現・土佐清水市中浜)の貧しい漁師の家に生まれた


39番への道(ジョン万次郎2)
コロナ禍の今こそ、ジョンマン・スピリットを!


39番への道(竜串海岸5)
グラスボート上より竜串海岸を望む


39番への道(竜串海岸1)
見残海岸の奇岩
四国じゅうを巡り歩いた弘法大師もここだけは見残したという


39番への道(竜串海岸2)



39番への道(竜串海岸3)



39番への道(足摺サニーロ-ド)
足摺サニーロード
と言っても車はほとんど通らない


39番への道(叶崎)
貝の川トンネル付近


39番への道(叶崎1)
大津大橋


叶崎の祭り2
叶崎にて
地域の観音さんの祭りの日にあたっていた
お堂に上がって拝ませてもらう
(おまんじゅうとリンゴジュースの接待あり)


叶崎
叶崎の休憩所より岬を振り返る
灯台が小さく見える


39番への道(叶崎2)
ダイナミックな景観が続く


39番への道(大月うろこ雲)
空もまたダイナミック


39番への道(大月大浦)
月山神社ふもとの大浦町


39番への道(月山神社励まし札)
月山神社への山道に吊るされた可愛いメッセージ


39番への道(大月月山神社)


39番への道(大月月山神社3)


39番への道(大月月山神社2)
ご神体


月山神社後朱印
この御朱印は貴重


39番への道(鬱蒼としたへんろみち)
このあたりは秘境といった風情


39番への道(姫ノ井)
やっと国道に戻った(大月町・姫の井)
西部劇に出てくる廃れた町のようだった


39番への道(姫ノ井の不動産広告)
6部屋で家賃3万円


39番への道(コスモス畑)
大月町自慢のコスモス畑
この近くで快適な宿を見つけた


39番への道(カフェ2)
おしゃれなカフェで一服


39番への道(カフェ)


39番への道(整然とした畑)


39番への道(宿毛1)
高知県最後の町、宿毛(すくも)が見えてきた


39番への道(宿毛2)
土佐くろしお鉄道・東宿毛駅から宿毛市を見る
39番延光寺はここから内戻りとなる



39番札所: 赤亀山 延光寺 (しゃっきざん えんこうじ)

39番


 いくたびの 出会い不思議な 延光寺
 我はあちらに 彼はこちらに


御本尊: 薬師如来
本歌 : 南無薬師 病悉除(しつじょ)の願こめて 詣るわが身を 助けましませ

コメント: 幾度となく出会う遍路がいた。九州から来た定年退社したばかりのYさん。足摺岬の手前の宿の夕食の席で出会い、翌日しばらく一緒に歩き、休憩所で別れた。その日の夕方、足摺岬の遊歩道で会った。翌日、岬を回ったところにある土佐清水の町中のスーパーで会った。そこからは別々のルートを行くことになった。さすがにもう会わないかなと思っていたら、延光寺への一本道で向こうからやって来るのが見えた。出会うたびに世俗の垢が抜けて、行者らしくなっていく。きっと、こちらもそう思われている。もっと突っ込んだ話がしたかったな。

【次の札所まで27.0㌔】


39番延光寺山門
延光寺山門


39番延光寺亀
赤亀が竜宮城からこの寺の鐘を背負ってきたという伝説がある


39番延光寺夕暮れ
宿毛へ戻る一本道
明日は一日オフだ!温泉だ!



四国の白地図第8回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告!
愛媛県に入ります‼





   

● 本:『卍(まんじ)と卐(ハーケンクロイツ)』(中垣顕實著)

 2013年現代書館

 一昨年の秋に四国遍路していたときのこと。
 ある札所で、同行していた外国人女性が次のようなマークを見つけ、声を上げた。
 お堂の門の扉に刻まれていたものである。


西山興隆寺ハーケンクロイツ


 地図に普通に載っているお寺のまんじマークだから、「何をいまさら?」と思ったら、彼女は言う。
「お寺のマークとは向きが逆よ。これだとナチスのマークになるじゃない」
 なるほど。確かにお寺のまんじは左向き()がふつうだが、これは右向き()になっている。
 いわゆる、ハーケンクロイツ(鉤十字)と同じ向きだ。
 昨今は外国人遍路や観光客もたくさん来るだろうに、なぜ、わざわざ誤解を受けやすいナチスのマークと同じ向きにするのだろう?
 納経所の人に聞いたが、理由は知らなかった。
 遍路が終わって家に帰ったら調べてみようと思い、そのままになっていた。


ミニ水仙


 その数年前のこと。
 やはりある外国人女性とナチスのホロコーストについて(日本語で)話しているときに、彼女が「スワスティカ」という言葉を口にした。
「スワスティカ? なにそれ?」
「えっ? 知らないの? 有名なナチスのマークのことじゃん」
「ハーケンクロイツのこと?」
「英語ではスワスティカって言うのよ」
「へえ~」
 と、それで終わったが、なにか腑に落ちないものがあった。

 確かに、or マークを意味する「スワスティカ(Swastica)」という言葉は英語辞書に載っている。昔から普通に英単語として使われていたのだろう。
 しかし、ハーケンクロイツ(独)はそのまま、「ハーケンクロイツ」と訳すべきじゃなかろうか?
 なにしろ、そのマークに籠められた思想の特殊性、異常性、歴史的・人類史的意味には、測り知れないものがある。マークのデザインも、他の or マークとは混同されることのないほどに固定化・差別化されている。
 つまり、「ハ-ケンクロイツ」は一つの固有名詞である。
 だから、日本の翻訳家がナチスのマークを「ハーケンクロイツ」と、あるいは直訳して「鉤(ハーケン)十字(クロイツ)」と和訳しているように、英語圏の翻訳者も“Hakenkreuz”と、あるいは直訳して“Fooked Cross(鉤十字)”と英訳するのが適当ではないかと思った。
 英語圏の翻訳者が「寿司」をそのまま Sushi と、「禅」をそのまま Zen と英訳しているのを見れば、外来語をそのままの形で英語に取り入れることに抵抗があるわけではなかろう。
 なぜ、ハーケンクロイツは、「スワスティカ」と訳されたのだろう?  
 この疑問が一瞬浮かびはしたものの、そのままになった。

 今回、この二つの謎を解明すべく図書館の蔵書検索していたら、当たったのがこの本であった。


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 著者の中垣顕實(なかがき・けんじつ)は、1961年生まれ。ニューヨーク在住の浄土宗の僧侶である。
 若かりし頃、海外開教使としてアメリカに赴任した際、お祭りの飾りに普段日本でやっているように菊の花で「」を作ったところ、周囲から「ここでそれを使ったらダメだ」ときつく止められた。それがきっかけとなり、とハーケンクロイツについて研究するようになった。  
 今現在でも、西洋社会で仏教を語る際に、マークを使うのはご法度とされているらしい。
 むろん、アウシュビッツ最大の被害者だったユダヤ民族にとって、マークを目にすることは、平和になった今でも、耐え難い、悪夢のような経験であるだろう。
 たとえ、仏教のマークがナチスのそれとは逆向きで、十字の傾き加減も異なっているとしても・・・。


ハーケンクロイツ
ハーケンクロイツ

善光寺
長野県善光寺の本堂に使われているマーク  


 著者は、仏教における(まんじ)の由来はなにか、どういった意味があるのか、という点から論を開始する。
 『長阿含経』などの古い経典によれば、

 仏の身体に備わっている32種類の特徴で、仏の胸の旋毛がになっている。  

 どうもこれが仏教で or が重要な象徴として使われるようになった端緒のようだ。  
 それが、仏・如来の功徳、吉祥、福徳、幸運、善良を意味するものとなり、「この上ない智慧と慈悲の満たされた真理をさとった仏のシンボル」となった。  
 日本では、左向きのが仏教のマーク、お寺の標識になった。  

 面白いことに、当初は右向きのも使われていた、いや、こちらが正当だったようである。
 諸橋轍次『大漢和辞典』によれば、  

 右旋のは「みぎまんじ」と称し、佛を禮敬するに右旋三匝(さんそう)し、佛の眉間の白毫も右旋婉転(えんてん)す。故にに作り、古来、(ひだりまんじ)に作るは誤なりとなす。  

 それが、639年の則天武后の時代に、中国で(左まんじ)が正式な漢字となり、その後、これが定着した。
 古来、中国の強い影響下にあった日本もそれに準じたのであろう。
 タイムラグを入れても、おそらく8世紀にはもう日本で(左まんじ)が定番となっていたのではないか。
 つまり、8世紀以降に建てられたお寺の建造物や仏像・仏具の装飾に関しては(左まんじ)が普通で、それ以前のものには(みぎまんじ)が残っている可能性がある。
 調べてみると、遍路中に見かけた(右まんじ)を扉に刻んだお寺の開創は642年、はるか昔の飛鳥時代であった。
 建物自体は作り直されていることだろうが、基本的な意匠は引き継がれるのが一般だろう。(右まんじ)の使用は、この創建の古さと関係しているのではなかろうか?
 ついでに想像するに、右利きの人が筆で書くことを考えたとき、(右まんじ)より(左まんじ)のほうが断然書きやすい。そのあたりが中国で(左まんじ)が正式となった理由ではなかろうか。 
 とりあえず、一つめの謎は解明した。

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 ここからは「まんじ」でなく、「スワスティカ」と記す。  
 本書によると、スワスティカの語源はサンスクリット語のスヴァスティカ(svastica)で、「スsu-(良い、健全)」+「アスティasti(存在している)」が合わさったもので、その意味は「幸福、繁栄、福利」だそうである。  
 日本人にとって、スワスティカはなによりも仏教のシンボル、お寺のマークとして認識されているが、実のところ、このマークは仏教以外の宗教でも古くから使われていた。  
 著者の調査によれば、ヒンズー教、ジャイナ教、キリスト教、イスラム教、ゾロアスター経、アメリカン・インディアンの間でも、そしてなんとユダヤ教!でも、幸運や吉祥や善福をもたらす聖なる印として、スワスティカが(右向き)・(左向き)問わずに使われてきた歴史があり、それを示す建造物や装飾品も残っている。
 そのデザインはそもそも「太陽」を象形しているとの見方が研究者の間で一致している。太陽なら当然、万国共通の恵みである。
 ナチスが登場する直前のアメリカでは、スワスティカそれもナチスと同じ右向きのが幸運のお守りとして流行り、コカ・コーラのデザインやボーイスカウトのバッジや州発行のポストカードに使用されていたというから驚いてしまう。  

 それはいろいろなシンボルの中の一つというものではなく、人類史上において稀なる数千年の歴史を誇り、様々な宗教、様々な国の文化が深く関わる国際的なシンボルなのである。太陽や光を表すシンボルであるから、卍・卐は有史以前の古代から人類に光を与え、人類から尊重され、敬愛されてきたシンボルなのである。  

 さて、スワスティカの歴史的意義を明らかにした著者は、このあとナチスドイツのシンボルであったハーケンクロイツについて探っていく。  
 ここからがむしろ本書の肝であり、ソルティが少なからぬ衝撃を受けたくだりである。  
 著者は、ホロコーストについて調べ、強制収容所を訪問し読経を上げ、ユダヤ教の有名な司教やホロコーストで生き残った被害者にインタビューするなど、頭だけでなく、心と足を使った丹念な取材・研究を重ねていく。被害者の感情に配慮し平和を希求する姿勢は、まさに仏教僧らしい。  

 ヒトラーはナチスの標章を選ぶに際し、党員の間にデザインを公募した。ある歯科医の提出した図案(曲がった鉤をもったスワスティカ)が、ヒトラー自身の腹案と似通っていて、それを訂正し最終決定した。
 ただし、ヒトラー自身はこのマークを「スワスティカ」と呼んだことはなく、もちろん、仏教的含みを持ち込むこともなかった。
 ハーケンクロイツはあくまで、「アーリア人の勝利」と「反ユダヤ人の勝利」を表すシンボルであり、加えて言うならば、それは「クロイツ」、つまりキリスト教徒の闘いを含意していたのである。
 
「鉤の十字架」はキリスト教にとっても古代からの聖なるシンボルであり(ソルティ注:現在の十字架がキリスト教の正式なシンボルとなったのは6世紀以後だそう)、ヒトラーの運動は「鉤の十字架」という新しい十字架のもとでドイツのカトリックとプロテスタントをまとめるものであり、十字架のもとでの聖戦であったという点からも、東洋のスワスティカでは意味をなさないことになる。

 ソルティは不肖ながら、この視点からナチスの運動を考えたことがなかった。
 中世カトリック教会が、神の名のもとに十字軍を結成し、イスラム教徒やカタリ派などの異端カトリックに攻撃を加え殺戮を繰り返したのとまったく同じ論法で、ヒトラー率いるナチスはユダヤ人や共産主義者や同性愛者や障害者を攻撃・殺戮したのである。  
 我々は現在、ヒトラーを人類史上最大の悪人、悪魔の手先としてみなすけれど、ヒトラーの側に立てば、悪いことをしているつもりなど微塵もなく、正義と信仰に裏打ちされた聖戦をしているだけであって、だからこそ、あれだけの「神をも恐れぬ」非人間的行為が可能だったのである。  
 つまり、ナチスの所業をキリスト教文化と切り離して語ることはできない。大東亜戦争時の日本軍の所業を国家神道と切り離して語ることができないのと同様に。


日章旗
旭日旗


 ドイツの宗教家と言えば、何と言ってもプロテスタントを起こしたマルティン・ルターが有名である。
 ヒトラーが音楽家のワグナーに心酔していたことはよく知られているが、ルターのことも熱狂的に信奉していたとのこと。『我が闘争』の中で、「偉大なフリードリッヒ大王と並んで、マルティン・ルターとリチャード・ワグナーが立つ」と述べているそうだ(ソルティ未読)。
 このルターが実は恐るべき反ユダヤ主義者だったのである。
 
 ルターはその著書『ユダヤ人と彼らの嘘について』の中で、ユダヤ人を扱う七通りの方法を述べている。著者の要約をさらにかいつまんでまとめると、
  1.  ユダヤ人のシナゴーグや学校に火を付けろ
  2.  彼らの家を破壊せよ 
  3.  彼らの祈祷書とタルムードの写本を没収せよ
  4.  ラビに教えを説くことを禁じよ
  5.  街道におけるユダヤ人の保護を廃止せよ 
  6.  高利貸しを営むことを禁止せよ
  7.  斧や鎌をもって働かせよ 
 といった調子である。
 ルターは、これらを復讐心からではなく、慈悲の実践として行うべきと説いている。
 まるで、ルターが説いたことを教科書とし、ヒトラーはそれをそのまま実践したかのようではないか。
 ソルティの中で、改革者ルターのイメージが音を立てて崩れていった。


ルター
マルティン・ルター

 ルターは堅固な反ユダヤ主義を代表しているが、彼もまた新約聖書以来、キリスト教の歴史の産物とも言える。ルターはユダヤ人に対する議論を全く独自に開発したのではなく、随所で聖書からの言葉を引用しているように、新旧聖書やそれまでの解釈などを踏まえた上で、彼の立場を語っている。ヒトラーの反ユダヤ主義も突然、出現したものではなく、ドイツの反ユダヤ主義を説いてきたキリスト教の歴史があり、その上で実践されたものである。ルターやヒトラーは正義の「戦士」ともいうべき、男性タイプの勇敢なるキリスト教の流れを汲んでいる。当時のドイツやキリスト教の歴史の中では、反ユダヤ主義は必ずしも悪いことであるとは捉えられていなかったのである。

 要は、ユダヤ教とキリスト教の何世紀にもわたる根深い対立と憎しみの歴史があり、ナチスの蛮行もまたその文脈上に置くことが可能なのだ。
 もしかすると、ユダヤ人以外の西洋人が今もスワスティカを受け入れられない根本的要因は、うしろめたさや罪悪感にあるのかもしれない。  

 ここで、最初に上げた二つ目の疑問の答えが浮上する。
 なぜ、ハーケンクロイツがそのまま「ハーケンクロイツ」と英訳されなかったのか。あるいは、なぜ直訳して「鉤十字」とされなかったのか。わざわざ「スワルティカ」という当たり障りのない訳語をそこにもってきたのはなぜか。
 著者はこう推測する。

この観点からすると、十字架を守るために、意図的にハーケンクロイツの代わりにスワスティカを用いたという推測もあり得ないことではない。

アメリカやイギリスは敵国であるドイツ軍が十字架をもって戦っているということを国民に知らせたくなかったのだろうか。キリスト教徒の多いアメリカ人にとって、キリスト教徒同士が戦っているとわかれば戦意を削ぐことになると考えたのであろうか。

 わりを食ったのがほかならぬ仏教である。

 翻訳者がスワスティカという言葉をそのまま訳語として使ったため、数千年の歴史を持つシンボルが、ヒトラーによって作られたシンボルであると人々に信じさせることとなり、仏教やヒンズー教の聖なるスワスティカが乗っ取られ、西洋社会で冒瀆されるようになった。ハーケンクロイツの名において執行されたホロコーストが、スワスティカの名において執行されたホロコーストにすり替えられており、未だにそれが是正されていない。

 翻訳者にその意志がなかったとしても、ハーケンロイツがスワスティカと訳されたことで、結果的に被害を被ったのは東洋の卍・卐であり、それによって守られたのは十字架であった。


 著者は現在、スワスティカの復権を目して、海外で講演や対談を行ったり、本書の英訳本を出そうとしたり、精力的に活動している様子である。
 ソルティは仏教徒ではあるけれど、マークには、というより仏足石、仏舎利、仏塔、蓮華、五色の旗など如何なるシンボルにもさしたる思い入れは持っていない。形にこだわるのは仏教ではないと思うからである。
 だが、少なくとも、西洋人と話していて、相手がナチスのマークを「スワスティカ」と呼んだら、すかさず「ハーケンクロイツ」と訂正することは今後やっていきたいと思った。


P.S. この原稿を書くにあたっては Word を使用したが、「」はどうやっても打ち出せなかった。ナチスについて研究し論文を書く人たちは不便を強いられていることだろう。 



おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損





● 映画:『心霊ドクターと消された記憶』(マイケル・ペトローニ監督)

2015年オーストラリア
90分

 小粋なタイトルと『デタッチメント 優しい無関心』のエイドリアン・ブロディ主演に惹かれてレンタルした。
 原題 Backtrack は「後戻り」の意。映画の内容からして「過去に戻れ」ということだろう。

 タイトルからして、エイドリアン扮するドクターが、依頼者の霊的トラブルを持ち前の霊能力をもって解決するオカルト・ファンタスティック・コメディみたいなのを期待したのだが、見事裏切られた。
 かなり暗くて重くて陰惨な、純然たる(?)オカルトホラー&ミステリーであった。
 出来は可もなく不可もなく。

 話が暗いのはともかく、画面が終始暗いのが苛立たしい。
 老眼のためか、暗い画面が見づらくて仕方ない。
 夜の森のシーンなど暗くてあたりまえのシーンは仕方ないものの、それ以外のシーンで光を入れてメリハリをつけてほしいものだ。

 オーストラリアのホラー映画って珍しい。
 オーストラリアって言うと、気さくで大らかで楽天的なオージーというイメージを持つが、実際の出来事をもとにした映画『スノータウン』に見るように、結構、残虐非道の猟奇的事件の多い国である。
 振幅の幅の大きさを感じさせる国だ。


australia-1296727_1280

OpenClipart-Vectors
によるPixabayからの画像



おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第7回(第33~37番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【高知県】


浦戸大橋
浦戸大橋
浦戸湾と土佐湾の境に立つ全長1480 m、高さ50 mの巨橋
高所恐怖症の人はまず渡れない
歩道幅が75センチしかなく、前方から来た人とすれ違うのが大変だった


桂浜3
桂浜より土佐湾を望む


桂浜1
坂本龍馬が愛した月の名所、桂浜


桂浜2
桂浜はへんろ道からはやや逸れる
が、やはり土佐に来たらこの方に挨拶しなければ
いかんぜよ!



33番札所: 高福山 雪渓寺 (こうふくざん せっけいじ)

33番
 「せっけい(失敬)」と 物盗みたる悪人が
 かかる田舎に あるぞ悲しき

御本尊: 薬師如来
本歌 : 旅の道 うえしも今は高福寺 のちのたのしみ 有明の月
コメント: 寺の駐車場の張り紙に「車上荒らしに注意」とあった。また、寺からそう遠くない道ばたで、自転車泥棒に遭って(しかも2回目!)途方に暮れている70歳くらいの女性と出会った。周囲はのどかな里山風景。悪い奴はどこにでもいるもんだ。ご婦人を慰めつつ気を引き締めた。
【次の札所まで6.3㌔】


雪渓寺
雪渓寺


34番への道(畑)
雪渓寺から種間寺への道中風景


 
34番札所: 本尾山 種間寺 (もとおざん たねまじ)

34番
 深秋の 五穀実れる 種間寺に
 アイスクリンを 舐める楽しさ 

御本尊: 薬師如来
本歌 : 世の中に まける五穀のたねま寺 深き如来の 大悲なりけり
コメント: 田畑が広がる昔ながらの日本の平和な秋景色に心なごむ。遍路友だちは、「ここがもっとも印象に残っている」と言っていたが、それも納得。境内には氷菓の販売スタンドがあった。高知名物アイスクリンを初めて口にした。砂糖、卵、脱脂粉乳、バナナ香料等で作られる懐かしい味の氷菓子で、喉の渇きをいやすのにもってこい。高知の10月は暑い。
【次の札所まで9.8㌔】

34番種間寺
種間寺
駐車場の脇に売店が見える


35番への道(仁淀川)
仁淀川の土手を行く
前方に仁淀川大橋が見える
あれを渡って、高知市さらば、土佐市こんちは!


35番への道(いびら稲荷1)
弥勒大明神(いびらの神様)
仁淀川大橋を渡ったところにある


35番への道(いびら稲荷2)
いびらとはイボのこと
イボ(体内の腫瘍を含む)を取ってくれる神様として篤い信仰を集める


35番への道(畑中の城)
畑中に突如出現するお城
家屋? ラブホ? なにかの記念館? サリーちゃんの家?
(確認せず。知っている人いたら教えてください) 



35番札所: 医王山 清滝寺 (いおうざん きよたきじ)

35番
 清滝を 昇れる龍の 大志ごと
 真如皇子は 天竺目指す

御本尊: 薬師如来
本歌 : 澄む水を 汲めば心の清滝寺 波の花散る 岩の羽衣
コメント: 山の中腹にあるお寺。石段途中にある仁王門の天井には、見事な龍が描かれている。境内には、薬師如来像がデンと立つほか、平城天皇の第三皇子であった高丘親王(出家名:真如)の逆修塔がある。逆修塔とは生きているうちに建てる墓のこと。親王は、真の仏法を求め、齢六十にして決死の覚悟でインドに旅立った。
【次の札所まで13.9㌔】


35番清滝寺(石段)
清滝寺仁王門


35番清滝寺(天井の龍)
咬龍図


35番清滝寺境内
境内


35番清滝寺(高丘親王逆修塔)
高丘親王逆修塔
その高き求道心と勇気に敬意を表して


36番への道(ヘルメット地蔵)
塚地峠付近の道沿いにおわす布袋ポリス


36番への道(塚地峠からの景色)
塚地峠(190m)より宇佐湾と宇佐大橋を望む
橋を渡って36番へススム



36番札所: 独鈷山 青龍寺 (とっこざん しょうりゅうじ)

36番
 宇佐の地に にしきを飾る 朝青龍
 この石段で 稽古積みしか

御本尊: 波切不動明王
本歌 : わづかなる 泉にすめる青龍は 仏法守護の ちかいとぞ聞く
コメント: 雲ひとつない空の下、輝く宇佐湾を左手に見ながら目くるめく高さの宇佐大橋を渡る。まさに気宇壮大。浜辺でドッジボールしている高校生(明徳義塾か)の姿がまぶしかった。元横綱・朝青龍は、高校時代にこの寺の石段でトレーニングを積んだそうな。
【次の札所まで25.3㌔】


朝青龍
第68代横綱・朝青龍明徳


36番青龍寺石段
青龍寺の石段


36番青龍寺本堂
本堂


ドッジボールする若者ら(青龍寺近くの浜)



37番への道(浦の内湾2)
浦ノ内湾を市営巡航船でゆく(530円)


37番への道(浦の内湾1)



37番への道(須崎駅)
JR土讃線・須崎駅



別格5番札所: 高野山・八幡山 大善寺(こうやさん・やはたやま だいぜんじ)

5番
 大いなる 善を求めて 乗る船は
 涅槃へ渡る ワープかと見ゆ

御本尊: 弘法大師
本歌 : みな人の 善を須崎の 高野寺 波の音さえ 法の声かな
コメント: 浦ノ内湾で巡行船に乗り、湾をほぼ半周する7キロ近いへんろ道をワープする。32番札所で知り合ったTさんらと同乗した。Tさん曰く、「これは歩き遍路のルール範囲内」(笑) ソルティ「船の中で足踏みしていればいいんじゃないですか?」などと冗談を言ったのを思い出す。
【次の札所まで33.2㌔】


別格5番大善寺1
大善寺大師堂


別格5番大善寺2
境内からの眺め


37番への道(久礼大正町市場)
中土佐町久礼(くれ)の大正町市場
この町は青柳裕介の漫画『土佐の一本釣り』の舞台である


37番への道(久礼大正町市場2)
ちなみに、大正4年当時の大卒者の初任給は35円


37番への道(七子峠の展望)
七子峠より土佐湾を望む
山間を高知自動車道が走る


37番への道(土讃線)
峠を下りてから37番まではJR土讃線沿いをゆく



37番札所: 藤井山 岩本寺 (ふじいさん いわもとじ)

37番
 岩本に つどう遍路の 楽しみは
 勤行中の モンロー探し

御本尊: 不動明王 観世音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来 地蔵菩薩
本歌 : 六のちり 五つの社あらわして 深き仁井田の 神のたのしみ
コメント: 足摺岬に至る区間最長距離(80.7キロ)を前に、遍路たちが体調を整え、情報を交換し、励まし合う札所である。本堂内陣の格(ごう)天井には全国から応募があった575枚の絵画が飾られ、曼荼羅のような色彩美は眼福もの。マリリン・モンローがどこかにいるらしい。ここでは宿坊に泊まり、早朝の勤行に参加した。眠い・・・。
【次の札所まで80.7㌔】


37番岩本寺(山門)
岩本寺参道


37番岩本寺(本堂)
本堂


37番岩本寺(格天井)
格天井


四国の白地図第7回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。 
 




次回予告!
いよいよ足摺岬に到達‼






   

● 原始仏教的!? 本:『自省録』(マルクス・アウレリウス著)

西暦2世紀後半に執筆
2006年講談社学術文庫(鈴木昭雄訳)

 マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121-180)は、第16代ローマ皇帝(在位:161-180)で「賢帝」と評される人物。
 おそらく、ローマ皇帝の中では、ネロ、カリギュラ、漫画『テルマエ・ロマエ』に登場するハドリアヌスに次いで、もっとも日本人に知られている人ではなかろうか。
 むろん、『自省録』を残したゆえである。
 
 20代の頃に一度読もうと試みたのであるが、難しくて歯が立たなかった。
 いや、難しいというより面白くなかった。
 12巻(「巻」と言っても実際には「章」と言うのがふさわしいくらいの分量)あるうちの最初の2巻まで読んで挫折した。
 マルクス・アウレリウスは当時流行ったストア派の哲学者であり、その思想が彼の生活信条の根幹を成しており、『自省録』もストア派ならではの言説にあふれている。
 
 ストア派は、ヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めにキティオンのゼノンによって始められた。自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学を提唱した。破壊的な衝動は判断の誤りから生まれるが、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人はこの種の衝動に苛まされることはない、と説いた。
 ストア派が関心を抱いていたのは、宇宙論的決定論と人間の自由意思との関係や、自然と一致する意志(プロハイレーシスと呼ばれる)を維持することが道徳的なことであるという教説である。このため、ストア派は自らの哲学を生活の方法として表し、個々人の哲学を最もよく示すものは発言内容よりも行動内容であると考えた。
 (ウキペディア『ストア派』より抜粋)

 ソルティはストア派の思想など、まったくと言っていいほど知らない。
 「ストイック」という言葉の由来となった、つまり禁欲的なのだろう――くらいのイメージしかない。
 それにどちらかと言えば、ストア派でなくスーパー派だし・・・・・

 20代の頃も50代の今も、ストア派を理解していない、マルクスの書いていることを十全には理解できない、という点ではまったく変わらないのであるが、しかし今回読んだらとても面白かった。
 それはなぜか。
 本書を読んで、マルクス・アウレリウスという人間のあまりの「原始仏教」性に惹きつけられたからである。
 いや、そもそもなぜ30年越しに本書を読もうと思ったかと言えば、たまたま書店の目につくところにおいてあったのを不思議に思い、手に取ってパラパラめくってみたら、気になるフレーズ――20代の時分は引っかからなかった――が散見されたのであった。(NHKの「100分 de 名著」という番組で本書を取り上げたらしく、密かなブームになっているようだ。なんと漫画にもなっていた!)

 毎朝、1巻ずつ音読しながら、「原始仏教」的と思ったところに付箋を付けていったら、この有様である。

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 いくつか引用しよう。

 事物そのものは、いかようにもあれ心に直接触れることはなく、心への侵入をもつこともなく、また心の向きを変えることも心を動かすこともできない。心は、心だけで自身自分の向きを変え自分を動かす。そして、自分が持つに相応しいと見なす判断に合致するようなものへと外からやって来たものを自分のために作り上げる。

 しばしば想いを凝らしてみよ。――在るものも成るものもそれらの通過と退去の迅速さを。すなわち、実体は河のごとく不断の流れのうちにあり、そのもろもろの動きは連続した変化のうちにあり、その諸原因は無数の変転のうちにあって、ほとんど何一つ静止して在るものはなく、時の現在もその近接点もまた然りであり、またすべてはそのなかに消え去って行く過去と未来の無限の深淵(も然りである)。

 万物は変化のなかにある。おまえ自身もまた不断の変更のなかに、そしてある意味ではまた消滅のなかにある。そしてまた宇宙全体も。

 すべてこの世に生起することは、しかるべくして生起するものなること。おまえはこの事実を明確にしかと見張るならば、見落とすことはよもあるまい。すべて生起するものは正当に生起すること。

 おまえの身に起こることは何であれ悠久の昔より事前におまえのために整えられていたものである。また、諸原因の組み合わせがおまえの存在とその出来事の生起とを無限の時の彼方より紡ぎ合わせていたのである。

 万物はどのようにして相互に変化するかそれに観照的方法を用い、不断に注目し、この部門での研修に励め。

 肉体がいかなるものであるかを観察せよ。また年老いたら、病気したら、憔悴し切ったら、と。
 命短きものである。賞賛する者もされる者も、記憶する者もされる者も。

 遠からずしておまえは何人でもなく何処にも存在しなくなるであろう。なお、おまえが見ているものの何一つ、また今生きているものの誰一人存在しなくなるであろう。なぜなら、すべては本性上変化し転換し消滅するのである。そこよりまた別のものが次々生ずるために。


 諸行無常、諸法無我、縁起因縁、観察瞑想(ヴィッパサナ)、あたかも『スッタニパータ』を読んでいるかのような厭世的無常観・・・・。
 ストア哲学に、原始仏教と似通ったところがあるのだろうか?
 よくわからない。
 が、なんとなくマルクス・アウレリウス自身の持って生まれた資質の面が大きい気がする。
 
 こういう人が「俗」の最たる極みである政治に絡み、どころか「俗」の頂点たるローマ帝国の支配者をやっていたのだから、内心どれだけ葛藤や軋轢があったことだろう?

 もうたくさんだ、惨めな生、不平をこぼす生、猿真似の生、なぜに思い悩むのか。それらの何が目新しいというのか。何がおまえの正常心を奪うのか。

 『自省録』はいろいろな意味で心内の軋みの書であり、自己分裂の書であり、矛盾の書である。しかし、そうした軋みや分裂や矛盾の表白も、もしマルクスの人柄がそれらを感動的なものとなしえないようなものならば、あのように『自省録』が人の心を惹き付けることはなかったであろう。(本書解説より)
 

 思うに、マルクスの葛藤・分裂は二段構えになっていたのではなかろうか。
 つまり、「聖」=哲学・思索の世界=ストア派哲学者としての自分が一方にあり、もう一方に、「俗」=宮廷・政治の世界=ローマ皇帝としての自分がいる。
 「聖」の世界こそが本来の資質にかなっているし、できれば哲学者になりたかったにもかかわらず、「俗」の務めを果たさざるを得なかった。
 これが一段目。

 次に、ゼノンの末裔たるストア派哲学者として自負する自分が一方にあり、もう一方にその思想にどうにも収まり切れないものを抱えた「原始仏教」的自分がいる。
 これが二段目である。

 マルクス・アウレリウスは、出家しなかったシッダータ王子のその後の姿――ではないかという気さえするのである。
 また、時を置いて、読み返してみたい。



おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損


● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第6回(第27~32番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【高知県】

吉良川町
室戸市吉良川町
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている
明治期に建てられた漆喰壁の商家や、水切り瓦の蔵が立ち並ぶ


吉良川町2
“石ぐろ”と呼ばれる外壁
風雨から家を守るために河原石や浜石でつくられている


吉良川町3
迷路のように入り組んだまちの散策が楽しい
関東や関西にあったら人気抜群の観光地になること間違いなし


羽根岬付近の景色
海沿いの道が続く(羽根岬あたり)


崩壊した大師堂(羽根岬)
台風の大波で打ち壊された大師堂(奈半利町)


ホテルなはり
宿泊した奈半利のホテル
この日の夕陽はきれいだった



27番札所: 竹林山 神峯寺 (ちくりんざん こうのみねじ)

27番
 真言の 密の教えをこうの峯
 生の渇きも 潤されたり 

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : みほとけの 恵みの心 神峯 山も誓いも 高き水音
コメント: 太子堂の横壁に書かれていた密教の重要経典たる『理趣経』の文言が愉快であった。性愛を肯定するこの経典の貸借を巡って、空海と最澄は袂を分かつことになった。境内を流れる名水をペットボトルにつめ、売店で野菜たっぷりうどんを食べ、元気よく次の札所へ向かった。
【次の札所まで37.5㌔】


神峯寺3
神峯寺は430mの高みにある


神峯寺4
本堂


神峯寺1
大師堂横壁に書かれている『理趣経』の主旨
ちなみに、原文では「異性」とは限定していない


神峯寺2
霊水


神峯寺5
さらに登った展望塔(569m)からは足摺岬が見えた


28番への道(琴ヶ浜)
松林のサイクリングロード

28番への道(琴ヶ浜2)
琴が浜
このあたりのへんろ道は土佐くろしお鉄道・ごめんなはり線と
並行しているので、列車でスキップしてしまうへんろも多い。
海沿いのとても気持ちいい道なのでもったいない。


28番への道(遍路小屋)
飾りや置物や掲示物のにぎやかなへんろ小屋


28番への道(伊能忠敬碑)
伊能忠敬観測記念碑(香南市赤間町)
この地点は北緯33度33分


28番への道(バブルの城2)
?????


28番への道(バブルの城)
いったいこれは?


28番札所: 法界山 大日寺 (ほうかいざん だいにちじ)

28番
 大日の 山の上なる廃城は
 バブルの夢の 名残りとぞ聞く

御本尊: 大日如来
本歌 : つゆ霜と 罪を照らせる大日寺 などか歩みを 運ばざらまし
コメント: 大日寺に向かう途中で、前方の山の上に西洋風の城がそびえているのが目に入った。シャトー三宝という名の四万十川資料館だった建物で、2000年に閉鎖されたという。レストランや遊園地も備えたレジャーランドだったらしい。一千年を超える大日寺の伝統にくらべると、資本経済の無常をまざまざと感じる。
【次の札所まで7.5㌔】

28番大日寺山門
大日寺山門

28番大日寺境内
境内

ゲストハウス水仙
ゲストハウス水仙
ここで台湾青年の陳さん(30歳)と相部屋になり、いろいろと語り合った
「二ヶ月の無給休暇で来ている」 「日本好きで、これが5回めの来日」
「台湾はいま環境破壊が問題になっている」等々、真面目で礼儀正しく賢い人だった


29番への道(畑)
29番へはのどかな畑の道をゆく
このあたりで22周目というベテラン遍路Kさんと出会う
以後のサポートセンターになってもらった
壁が破れて人との交流が楽しくなってきた頃



29番札所: 摩尼山 国分寺 (まにざん こくぶんじ)

29番
 国分けて 寺に積まれし 富よりも
 勝れる宝 子にしかめやも

御本尊: 千手観世音菩薩
本歌 : 国を分け 宝を積みて建つ寺の 末の世までの 利益のこせり
コメント:木々に囲まれた静かな境内で、近くの小学校の児童たちが写生をしていた。偏見かもしれないが、地方の子供たちはやっぱり可愛い。ご本尊の菩薩さまもやさしく見守っておられるような気がした。下の句は万葉集(山上憶良)から頂いた。
【次の札所まで6.9㌔】

29番国分寺
国分寺境内


30番への道(高知市遠望)
久しぶりに見る都市は蜃気楼のよう


土佐神社
土佐一宮(いっく)神社
5世紀創建(雄略天皇4年)と伝えられている


土佐神社2
本殿の裏手の森が霊気満ちてすばらしかった


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30番札所: 百百山 善楽寺 (どどやま ぜんらくじ)

30番
 一の宮の 清き木立に禊して
 善楽の待つ 島に渡らん

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 :人多く 立ち集まれたる一の宮 昔も今も 栄えぬるかな
コメント: 土佐一宮神社の隣にある。神仏習合の時代は神社の別当寺だった。現在の住職は、2016年にご尊父から引き継いだ島田希保さん。高知の札所では唯一の女性住職である。まだ30代、頑張ってほしい。
【次の札所まで6.6㌔】


30番善楽寺
善楽寺境内


31番への道(高速道路)
海と山と寂れた町ばかりの歩きのあと、文明社会に戻ってきた感

32番への道(路面電車)
とさでん
高知城
高知城
中国人観光客に占領されていた



31番札所: 五台山 竹林寺 (ごだいさん ちくりんじ)

31番
 知らぬ間に 植物園へと分け入れば
 竹林精舎の 鐘は鳴るなり

御本尊: 文殊菩薩
本歌 : なむ文殊 三世の仏の母ときく 我も子なれば 乳こそほしけれ
コメント: 高知市街に入った。路面電車(とさでん交通)の軌道を越え、結構きつい石段を登ると、知らぬ間に県立牧野植物園の中に無料入園している。かつてはここに宿坊があったそうだ。南国の植物を見物した先に、見事な五重塔の立つ竹林寺はある。近くの五台山から見た市街の眺めが素晴らしかったな。
【次の札所まで5.7㌔】


31番竹林寺1
竹林寺境内

31番竹林寺2
五重塔
様式は鎌倉時代だが、建てられたのは昭和55年

5台山からの景色
五台山から高知市街を見下ろす
都会やな~



32番札所: 八葉山 禅師峰寺 (はちようざん ぜんじぶじ)

32番
 この先の 無事を祈らん ぜんじぶじ(前路無事)
 対なす岬の 支点にあれば

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : 静かなる 我がみなもとの 禅師峰寺 浮かぶ心は 法の早船
コメント:地図で見ると、この札所は土佐湾の一番奥まったところに位置し、室戸岬と足摺岬を頂点とするL字の交点をなす。つまり、室戸の終わり=足摺のはじまり。高知でオフをとったこともあり、自然と気合が入った。札所前で出会い、しばらく一緒に歩いた香川のTさん(60代)は話好きの楽しい人で、この先も宿や遍路小屋でしばしば再会を繰り返すことになる。
【次の札所まで8.9㌔】

32番禅師峰寺


32番禅師峰寺2
都会とはサヨナラ
また海沿いの道が続く



四国の白地図第6回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  


次回予告!
龍馬ファンの聖地・桂浜に行きます‼




   

● ヒルビリーとは? 映画:『ウィンターズ・ボーン』(デブラ・グラニク監督)

2010年アメリカ
100分

 その昔、ハリソン・フォード主演の『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985)を観たとき、はじめてアメリカには「アーミッシュ」と呼ばれるドイツ系移民の宗教集団があることを知り、彼らが電気もガスも自動車も使わない前近代的な質素でストイックな生活をいまも送っていることに驚いた。
 アメリカって広いなあ、キリスト教って奥深いなあ、信仰って不思議だなあ、と思ったものである。

 晩年をアメリカで過ごした覚者クリシュナムルティが、アメリカの特徴を人に問われて、「多様性」と一言でまとめていたが、たしかに人種と宗教と民族文化の多様性や複雑さは日本とは比較にならない。
 国を一つにまとめるには、強力な権限を持つ憲法や武力に頼るしかないというお国事情がよくわかる。(逆に言えば、アメリカという国は一枚岩でないので、「一筋縄ではいかない」という特徴にも強みにもなる。)


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Gordon JohnsonによるPixabayからの画像


 この映画もまた、これまでソルティがよく知らなかったスコットランド系移民(スコッチ・アイリッシュ)の特殊な生活文化を背景としている。

 本作は、アメリカ中西部のミズーリ州オザーク高原を舞台に、「ヒルビリー(丘のスコットランド人)」と呼ばれる人々の生活を背景として展開する。
 彼らは、19世紀に山腹の痩せた土地に定住した移民の子孫で、キリスト教徒の白人だが、いくつかの姓に属する人々が血縁と姻戚関係によって強く結びつき、独特の閉鎖的な因習と「掟(おきて)」が、法律よりも重んじられている。(ウィキペディア「ウィンターズ・ボーン」より抜粋)

 こうした背景を知らないと、「一体これ、いつの時代の話だよ」、「無法地帯かよ」、「なんでこんなおっかない土地にあえて住み続けるんだよ」と、不思議に思わざるを得ないだろう。
 よそ者がドライブ中にうっかり道を間違えて入り込んだら、二度と出てこられないんじゃないかと思うような殺伐とした不穏なムードが漂う地帯である。
 「気性が荒く戦闘的。社会よりも個人を優先。反政府の傾向が強い。」と評する人もいる。
  
 そんな土地に生まれ育った17歳の少女リーは、麻薬の密造で逮捕され保釈されたあと行方不明となった父親、心を病んで家事ができない母親にかわって、家を守り、幼い弟と妹を一人で育てていた。
 ある日、一人の男がやって来てリーに告げる。
 父親が次の裁判に出頭しなければ保釈金はそのまま没収される。
 保釈金を作る際に担保とした家と土地は売りに出されることになる。
 かくして、リーは父親探しを決意する。
 
 スリル満点なストーリー展開も、どんでん返しのような仕掛けも、派手なアクションシーンもない。
 家と土地と家族を守るためにやくざな父親を探す、気骨ある少女の地味な、しかし不屈な闘いの物語である。
 その過程を通じて、彼女もまさしくスコッチ・アイリッシュの血を汲む一族の者であることを、自らに、そして周囲の同族たちに証明してみせる。

 少女リー役のジェニファー・ローレンスの演技は、神が乗り移ったかのよう。



おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




 

 
 
 

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第5回(第22~26番)

 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【徳島県】


22番札所: 白水山 平等寺 (はくすいざん びょうどうじ)

22番
 五色なる 仏のひかり 平等に
 暮れゆく寺の 空を染めたり


御本尊: 薬師如来
本歌 : 平等にへだてのなきと きく時は あらたのもしき 仏とぞみる  
コメント: 高知からやって来た柔道体型の31歳の青年(野宿組)と語りながら、最後の峠を越え、納経所の閉まる直前にたどりついた。仏教を象徴する五色(赤・紫・白・黄・緑)の旗や帯が夕暮れの境内上空にひらめいて、鮮やかさに見惚れた。ここには足の不自由な人が巡礼に使った箱車が納められている。
【次の札所まで19.7㌔】



22番平等寺境内
平等寺境内


22番平等寺(箱車)
箱車


23番への道(初海)
ついに海岸線に到達!
(海部郡三波町の由岐漁港)


23番への道(南海地震の碑)
南海地震の津波の水位を示す碑
1946年(昭和21年)12月発生
死者・行方不明者は1443人に及んだという


23番への道(たいの浜)
たいの浜


23番への道(山座峠)
山座峠にてへんろ道を整備する人々
このあたりは、山と浜とが交互する(八坂八浜と言われるゆえん)



23番札所: 医王山 薬王寺 (いおうざん やくおうじ)

23番
 薬王の 闇に浮かびし 瑜祇(ゆぎ)塔は
 日和佐のまちの 灯台のごと

御本尊: 薬師如来
本歌 : みな人の 病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を あたえまします  
コメント: ウミガメで有名な日和佐の町と港を見下ろすかのように、小高い丘に立っている。中華風の朱色の塔が夜はライトアップされ、異国情緒を醸し出す。「日和佐まで来れた人は結願できるよ」と宿の女将に言われたのが心強かった。このあたりから脱俗気分が深まっていく。
【次の札所まで19.7㌔】

日和佐の夕暮れ
暮れゆく日和佐のまち
山の中腹に光るのが瑜祇塔


日和佐の宿
築100年の民家を改造した宿の部屋
明治時代の書生になった気がした


23番薬王寺
瑜祇塔
日和佐から室戸岬までは国道55号をひたすら歩く


24番への道(牟岐のデパート)
牟岐町のかつてのデパート
牟岐駅前で地元のおばさん(60代)と会話
「昔は賑やかだったのに、すっかり変わった」
「いるのは、おじいちゃん、おばあちゃんばかり」
「病院だけが残っている」



別格4番札所:鯖大師本坊(さばだいしほんぼう)

4番
 鯖を手に 語る大師の 本気度は
 ハトヤ坊主に 及ばざるかも 

御本尊: 弘法大師
本歌 : かげだにも 我名を知れよ 一つ松 古今来世を すくひ導く  
コメント: 徳島県最後のお寺。八坂山八坂寺(やさかじ)という寺号より、鯖大師の愛称で知られる。鯖を手にした弘法大師の像があると聞いていたので、昔のハトヤのCMの男の子(あれは少女ではありません)を想像していた。が、持ち方がそっけなかったので気が抜けた。このあたりはエビやアワビなど獲れたての魚介類を豪快に網焼きした海賊料理で有名。
【次の札所まで55.7㌔】


別格4番鯖大師本堂
鯖大師境内


別格4番鯖大師
山腹をくりぬいてつくられた全長88メートルの洞窟
四国88カ所のご本尊が並んでいる


別格4番鯖大師石像



24番への道(水床トンネル)
水床トンネルを抜けて高知県へ!


【高知県】

24番への道(東洋町の海)
東洋町はサーファー天国


24番への道(東洋町の宿)
泊まった宿の柱の落書き
当時17歳だった彼もいまや50歳近い
女将の話ではずっと通い続けているとか


24番への道(55号山と海)
岬巡りが延々と続く


24番への道(55号道路標識)



24番への道(夫婦岩)
ダイナミックな夫婦岩


24番への道(網を修理する漁師たち)
室戸市の三津漁港付近
漁を終え網を整備する漁師たち


24番への道(室戸水族館)
人気の高い室戸廃校水族館


24番への道(室戸水族館2)



24番札所: 室戸山 最御崎寺 (むろとざん ほつみさきじ)

24番
 ここがまあ 嵐のメッカ 最御崎
 白き大師は テレビの人よ

御本尊: 虚空蔵菩薩
本歌 : 明星の 出でぬる方の東寺 暗き迷いは などかあらまじ  
コメント: ついに室戸岬に到達。台風の際のテレビ中継でよく目にする白い弘法大師青年像を目にしたとき、有名タレントに会ったかのような感激が湧きおこった。岬の灯台に立つと、三面が海に囲まれる。西に目を向けると、幾重にも重なる岬のはるか彼方に足摺岬がかすんで見えた。あそこまで歩くのか・・・・。
【次の札所まで6.5㌔】

24番への道(白い大師像)
弘法大師19歳の青年像
高さ21メートル
昭和59年(1984年)に建立された


24番への道(みくろど)
御蔵洞(みくろど)
瞑想中の空海の口に金星が飛びこみ悟りに至った
現在、崩落の危険があり中には入れない


IMG_20181012_191915


室戸岬2
岬の先端は岩場だった

室戸岬
灯台からの景色
(画像拡大すると足摺岬が線になって見えます)


24番最御崎寺
最御崎寺境内
今夜の宿りは宿坊である


25番への道(室戸スカイラインからの景色)
翌朝、室戸岬を回って伊予湾を望む


25番への道(紀貫之の碑)
紀貫之朝臣泊舟之碑(津呂港)
土佐国司の任を終え都に帰る途中でシケに遭い、当地に泊まったことが
『土佐日記』に記されているとか
背後に見える白いビル(ホテルか?)の廃墟ぶりが目を引く



25番札所: 宝珠山 津照寺 (ほうじゅさん しんしょうじ)

25番
 津寺へと 往く道中で もよおして
 まさに駆け込み寺となりしか


御本尊: 揖取地蔵菩薩
本歌 : 法の船 入るか出づるかこの津寺 迷う我が身を のせてたまえや  
コメント: 室戸岬を制覇し、足も慣れて調子づいてきた頃。うかれ歩いていたら急に便意が! さっきのコンビニ(Yショップ)まで戻るか、それとも札所か。あぶら汗かきつつ、お寺に駆け込んだ。
【次の札所まで3.8㌔】



25番津照寺
津照寺山門


25番津照寺2
竜宮城のような鐘楼門



26番札所: 龍頭山 金剛頂寺 (りゅうずざん こんごうちょうじ)

26番
 金剛杖 ついて登りし頂に
 南国土佐の 風ぞ吹きぬる

御本尊: 薬師如来
本歌 : 往生に 望みをかくる 極楽は 月のかたむく 西寺の空  
コメント:団体客とかち合ったため、納経所が空くまで展望のよいところで涼みながら眺めを楽しんだ。自分が延々歩いてきた道や通り過ぎた町を高所から振り返るのは爽快である。室戸岬の西側の層なすヘアピンカーブ(室戸スカイライン)が面白い。
【次の札所まで27.5㌔】

26番金剛頂寺本堂
本堂


26番金剛頂寺(風景)
境内より室戸岬を望む




四国の白地図第5回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  


次回予告!
高知市内に入ります‼




   

● ナチュラルな演技 映画:『迫り来る嵐』(ドン・ユエ監督)

2017年中国
119分

 中国発の上質で濃厚なフィルム・ノワール(犯罪映画)。
 東京国際映画祭で芸術貢献賞および最優秀男優賞を受賞するなど、評価も高い。
 
 観ていて想起したのは、なんと、成瀬巳喜男監督『浮雲』(1955)であった。
 90年代末の中国の田舎町を舞台にしたフィルム・ノワールと、50年代日本の離島のやさぐれた男女の恋愛物語をつなぐものはなにか?

 雨、である。

 とにかく、最初から最後まで雨が降っている。
 遠雷が鳴り響いている。
 道がぬかるんでいる。
 登場人物たちはぐっしょり濡れている。

 この映画の本当の主役は間違いなく「雨」である。
 画面に、そして物語全体に、陰鬱さと閉塞感と沈滞と救い難さをもたらす「雨」の自然な演技こそ、特筆すべき点である。
 これが、ピーカンの日々のもとに同じ物語が進行したとするなら、ここまで陰影豊かな作品にはならなかったであろう。
 そこが、成瀬の傑作と共通しているのだ。

 連続殺人事件の犯人を追うというテーマゆえ、ミステリーあるいはサスペンスに分類されて然るべき作品ではあるが、本質はアラン・ドロンの『太陽がいっぱい』同様、上昇志向をもった青年ユイ(=ドアン・イーホン)の挫折と絶望の物語であり、苦い人生のドラマである。

 いや、ユイのみならず、登場人物の誰もが閉塞感と絶望のうちにある。
 これが香港返還に湧く90年代末の中国の真実の姿だったのだろうか?
 つい天安門事件(1987)を思い起こすことになった。


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clarkelzによるPixabayからの画像


おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損




 
 

 

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第4回(第17~21番)

 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【徳島県】


JR徳島線府中駅
JR徳島線・府中(こう)駅からスタート


17番井戸寺
住宅街にある井戸寺


17番札所: 瑠璃山 井戸寺 (るりざん いどじ)

17番
 おもかげは 井戸に映りし 然れども
 三年を待たず 足折れにけり
 

御本尊: 七仏薬師如来
本歌 : おもかげを 映してみれば 井戸の水 むすべば胸の 垢やおちなむ
コメント: 弘法大師が掘った井戸を覗いて、自らの姿が映れば無病息災、映らなかったら3年以内の災厄に要注意という。しっかり映ったから、「これで向こう3年は大丈夫」と安心したのだが、結願1年後に・・・。ファインダー越しに覗いたのがまずかったか? ここから徳島市街地に突入する。
【次の札所まで16.8㌔】

17番井戸寺(井戸)
面影の井戸


阿波おどり会館
徳島駅近くにある阿波おどり会館
背後は眉山


18番への道(国道)
徳島市街地
眉山を振り返る


18番への道(道標)



18番への道(パチンコ店)
不動明王が立つパチンコ店


18番への道(道路標識)
室戸まで128km
・・・・・・・。



18番札所: 母養山 恩山寺 (ぼようざん おんざんじ)

18番
 笠忘れ 来た道もどる 戒めは
 親の恩山 忘れるなとや


御本尊: 薬師如来
本歌 : 子をうめる その父母の恩山寺 とぶらいがたき ことはあらじな
コメント: 納経を済ませたあと、買ったばかりの菅笠がないことに気づいた。30分前に休憩をとった国道沿いのセブンイレブン! 秩父巡礼でも同じことがあった。早く気づいて良かった、平坦な道で良かった、体力と気力のある最初のうちで良かった、いやこの1時間のロスには何か意味があるのかも・・・。いろいろ自分を慰めつつ、取りに戻った。
【次の札所まで3.1㌔】

18番恩山寺
恩山寺境内
弘法大師がこの寺で修行中に母親が訪ねてきた
17日間にわたる女人解禁の秘法を行ったのち
母を受け入れ孝行を尽くしたという



19番札所: 橋池山 立江寺 (きょうちざん たつえじ)

19番
 たびたびの 祝融を受け 立江寺の
 堂をまもるは 信徒のいのり


御本尊: 延命地蔵菩薩
本歌 : いつかさて 西のすまいのわが立江 弘誓(ぐぜい)の船に 乗りて至らん
コメント: 徳島の札所を巡っていると、二人の戦国武将の名前が良く出てくる。蜂須賀氏と長宗我部氏である。四国制覇をめざした土佐の長宗我部氏が焼き滅ぼした寺を、阿波藩主の蜂須賀氏が再興したという話が多かった。ここ立江寺もその一つで、16世紀末、長宗我部元親の手により全焼。昭和49年にも本堂が焼けている。祝融(しゅくゆう)とは火事のこと。
【次の札所まで20㌔】

19番立江寺
立江寺境内


20番への道(まっすぐな道)
立江寺から滑走路のような県道28号を行く
並行している本来のへんろ道に気づかなかった


20番への道(大木)
櫛渕の八幡神社の巨大クスの下にて休憩


20番への道(ローソン)
この日は雨が降っていた
ポンチョを着たら中は汗だく
かえってびしょ濡れに


20番への道(沈下橋)
星の岩屋に向かう沈下橋(勝浦川)


20番への道(星の岩屋2)
番外霊場・星の岩屋
弘法大師が秘法により悪星を落下させたという


20番への道(星の岩屋)
裏見の滝
その名の通り、滝の裏側に入ることができる



別格3番札所: 月頂山 慈眼寺(げっちょうさん じげんじ)

3番
  奥山の 滝の轟音 浴びたれば
 一瞬にして 別のじげん(次元)へ


御本尊: 十一面観世音菩薩
本歌 : 天とふや 鶴の奥山 おくたえて 願ふ功力に 法ぞ通わん
コメント: 丸一日を費やした別格。穴禅定と灌頂(かんじょう)の滝が名所。とくに台風後の滝は水量はんぱなく、140mの高さからもの凄い勢いで落ち、轟音と水けむりに圧倒された。四国遍路・感動の風景の一つである。宿泊したのは小学校を改装した宿。教室に泊まるのは面白かった。
【次の札所まで10㌔】

別格3番慈眼寺
慈眼寺境内
お寺の方にパンをいただいた


灌頂の滝2
灌頂の滝


灌頂の滝1
滝の近くまで登ることができる


感情の滝3
滝の中ほどで虹を見る


感情の滝4
滝の上からの光景


宿さかもと
小学校を改装した「ふれあいの里さかもと」


宿さかもとの廊下
廊下を走ってはいけません


20番への道(山道の倒木)
台風被害残る鶴林寺への山道
倒木をボランティアの方が切断してくれている


第20番鶴林寺参道
杉木立の爽やかな鶴林寺参道



20番札所: 霊鷲山 鶴林寺 (りょうじゅざん かくりんじ)

20番
 迎えつる 鶴のカップル 尻目にし 
 へんろは休む 林に独り

御本尊: 地蔵菩薩
本歌 : しげりつる 鶴の林をしるべにて 大師ぞいます 地蔵帝釈  
コメント: 20~21番は「へんろころがし」として有名。500m登って鶴林寺、40mまで下り那賀川を渡り、すぐまた520m登って太龍寺。そこからの下りも延々と長く、最後に急斜面が待っている。鶴林寺ではともかく休むのが第一で、境内をゆっくり見物という気分になれないのがもったいないところ。
【次の札所まで6.7㌔】

第20番鶴林寺
鶴林寺本堂
雌雄の鶴が守護する


21番への道(那賀川の水井橋2)
那賀川にかかる水井橋
前方の山頂に太龍寺


21番への道(那賀川の水井橋)
振り向けばさっき詣でた鶴林寺の山



21番札所: 舎心山 太龍寺 (しゃしんざん たいりゅうじ)

21番
 太龍の 泳ぐ美空を 望み見て
 大師は笑まふ 岩の舳先に

御本尊: 虚空蔵菩薩
本歌 : 太龍の 常に住むぞや げに岩屋 舎心聞持は 守護のためなり  
コメント: 西の高野と称されるだけあって、凛と霊気みなぎる古刹であった。境内から少し下った崖の先端に、東を向いて坐している弘法大師の大きなブロンズ像がある。19歳のみぎり、ここで真言を百万回唱える修行をしたという。ご尊顔をカメラにおさめたくて、岩をよじ登って前に回り込んだ。やさしい大らかな笑顔があった。
【次の札所まで10.9㌔】

21番太龍寺境内
太龍寺境内


21番太龍寺(龍の天井)
見どころの一つ、龍天井


21番太龍寺(南の捨身ヶ岳)
南の舎心ヶ嶽

21番太龍寺(南の捨身ヶ岳2)
なんとも良いお顔であられる
思わずハグしてしまった


21番太龍寺(南の捨身ヶ岳3)


21番太龍寺(南の捨身ヶ岳4)
こんな景色を見ておられた



四国の白地図第4回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  


次回予告!
ついに海辺に到達します‼







   
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