1962年原著刊行
2015年創元推理文庫
もうファンと言ってもいいかもしれない。
タイトルは『ハムレット』に出てくる in action how like an angel 「天使のごとき振る舞い」というセリフから取られている。
悩める男ハムレットが、「人間」を讃美するモノローグの中の一句である。
人間の振る舞いを天使のそれに譬えているのだ。
だから、これはミラーらしい皮肉、ブラックジョークなのだろう。
本書の登場人物のなかには、殺人者も共犯者も探偵も含め、「天使のごとく」振舞っている人物など見当たらないからだ。
もっとも、天使が実際どのように振舞うのか、クリスチャンでないソルティは知るところでなかった。

ミラーの作品の一番の特徴は、いったんページを開いたら、読み終えるまで落ち着かない、ってところにある。
落ちつかないから、どうしても読み進めてしまう。
途中で手を止めて、しおりを挟んで「また明日」とするのが難しい。
文庫で400ページを超える本作も、「速くて二日」くらいのつもりで読み始めたのだが、あっという間に物語に引き込まれてしまい、食事とトイレ時以外は読み続け、結局、数時間で読み上げてしまった。
『狙った獣』にとりわけ顕著だが、ミラー作品には読む者の精神を不安にさせる要素がある。
読む者の意識 or 無意識にあるトラウマ、抑圧された欲望や怒り、コンプレックス、狂気、孤独感などの絃を弾き、共振させ、引っ張り出してしまう。
読む者の意識 or 無意識にあるトラウマ、抑圧された欲望や怒り、コンプレックス、狂気、孤独感などの絃を弾き、共振させ、引っ張り出してしまう。
だから、落ち着かなくなる。
だから、半世紀以上前に書かれていて、使われているトリックはすでに古びていて、真犯人を見抜くのにたいした苦労や慧眼もいらず、どんでん返しや意外な犯人に驚かされることもなく(ソルティ探偵はトリックも犯人も途中で分かった)、推理小説としては「並」であるにもかかわらず、書店の棚にその名を見れば手に取ってしまうし、寝るのも忘れて読みふけってしまうのだ。
本作ではしょっぱな、山奥で自給自足の共同生活を送る〈塔〉と呼ばれる新興宗教団体が登場する。
社会を離れ過去を捨てた信者たちは、〈大師〉と呼ばれるカリスマリーダーのもと独特の教義とルールを守って、ストイックに信仰篤く暮らしている。
もうこのあたりで、ソルティはミラーの手に捕まってしまった。
いや、日本人なら誰でも、オウム真理教や統一教会や幸福の科学といった新興宗教団体を思い浮かべざるを得ないだろうし、農業や牧畜を基盤とする人里離れた活動体という点でヤマギシ会を連想する人も少なくないだろう。
いまの社会のありように疑問や反発を抱きユートピアの創造を夢みる人々、あるいは社会の中で器用に生きることができず居場所を見つけられない人々、あるいは社会や人間関係に絶望し「悟り」や来世に望みをつなぐ人々・・・・そういった人々はこうした宗教団体に引き寄せられて信者となる。あるいはまた、徹底的に人間関係から退いて、“ひきこもり”となる。
半世紀以上前のミラーの小説がきわめて“今日的”であるのは、現代人および現代社会に関する洞察の鋭さにある。
ミラーの小説に出てくる人々は、どこか不器用で病んでいる。
いや、ミラーが人間というものを「どこか不器用で病んでいる」ものと捉えている。
自らを「どこか不器用で病んでいる」と思っている(たいがいの)読者は、そうした自分をミラーに見抜かれたような気になって落ち着かなくなり、徹夜の罠にはまってしまうのだろう。
さて、本作には、解説を書いている我孫子武丸言うところの「最後の一撃」が仕掛けられている。
小説のそれこそ最後の数行でどんでん返しがあって、物語の意味が大きく変わってしまうというものだ。
安孫子は「最後の一撃」トリックの傑作として、いくつかの洋物ミステリーの名を上げてくれている。クイーン『フランス白粉の謎』、フレッド・カサック『殺人交叉点』、バリンジャー『赤毛の男の妻』など。
ミステリーと言っていいものかどうか難しいところだが、ソルティは「最後の一撃」トリックの白眉は、本邦の女性作家・乾くるみの『イニシエーション・ラブ』だと思う。
P.S. 本作にはちょっとした作者(あるいは訳者?)のミスがあるのではないか。犯人のある特徴に関する記述について矛盾が見られる。
おすすめ度 : ★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損