1961年大映作品。

 しとどに雨の降る午後のオフィス。
 机を並べる同僚たちとの会話。
 と、女子社員の声がする。
 「幸田さん、お客様です」
 部屋の入り口に目をやると、そこには喪服と見まがう黒ずくめの着物に身を包み、ずぶぬれになった髪を振り乱し、ドアの影から上目づかいにひたと男を見つめる女の姿。
 床にポタポタとしずくが垂れて・・・。

 この若尾文子の鬼気迫る演技に背筋がぞっとしない男に幸いあれ。
 職場に突如ヤクザか妖怪が現れたとて、これほど心肝を寒からしめるものではない。
 それくらい恐い。

 明らかに増村監督にはこのような女につかまって振り回された経験があるのだろう。
 ちょっと前なら中森明菜、今ならさしずめ沢尻エリカか・・・。いわゆる魔性の女。
 美しく魅力的でどこかあぶなっかしい。少女のように純粋なふうでもあり、老獪で計算高いふうでもあり。言ってることは本当のようでもあり、ウソのようでもあり。
 平成の精神科医ならば、まずこう診断を下すであろう。
 境界性人格障害。

 登山中の良人殺しの罪を問う裁判という謎とサスペンスをはらむ舞台装置を用いて、一人の真面目な心やさしい青年・幸田修(川口浩)が、被告にして魔性の女・滝川彩子(若尾文子)との切るに切れない関係にはまって破滅していく様を描き出す。
 愛に飢えている女が若い男の愛をもとめて「鬼にも蛇にも」なっていく過程を巧みに描ききった増村監督もすごいが、それに応えた若尾の演技も申し分ない。本当に若尾文子は美しいだけの女優じゃないんだと、この一作を見れば十二分に納得できる。着物の襟から覗く白いうなじも官能的ったらありゃしない。
 
 物語の最後で、幸田は、滝川に出会う前からの婚約者である理恵(馬渕晴子)にも捨てられる。理恵は言う。
 「本当に人を愛したのは奥さん(滝川)だけよ。私もあなたも誰も愛してなんかいない。」
 この言葉によって、幸田との関係の破綻に絶望し薬を飲んで自殺した滝川彩子の愛の強さ、純粋さが賞揚されるような錯覚、幸田の臆病さと冷たさとが非難されているような印象を観る者は持たされるけれど、本当のところどうなのだろう?

 滝川彩子の死に方を見てみよう。
 傘も差さずに(なぜ?)突然訪ねていった幸田の会社のトイレで、持ち歩いていた青酸カリを飲んで自殺。夫の死でおりた生命保険500万円の証書とともに、しっかりと「幸田宛ての」遺書をしたため。その内容は「保険金は、あなた(幸田)と婚約者の理恵さんとの幸せのために使ってください。」

 だれがそのような気色の悪いお金に手をつけられようか。
 彩子と二人での新生活のためにさえ、彩子の元の亭主の保険金を使うのを拒絶した幸田なのだ。(それが二人の仲違いの原因となったのである。) まして、幸田のほとんど目の前であてつけるように自殺した(私は幸田に殺されましたと社内中に広めているようなものではないか!)彩子からのたっぷりの罪悪感付きのプレゼントを、幸田が受け取れるわけがない。
 そんなことくらい想像できない彩子の想像力の欠如こそ恐ろしい。自分を拒否した幸田に対する復讐だろうか? いや、そうではあるまい。自分に都合のいいようにしか人の心を解釈しない(できない)彩子の徹底した自己中心性のなせるわざなのだ。
 それこそ実におぞましい。(実に哀れだ!)

 彩子の亭主がなかなか離婚に応じようとしなかったのも、幸田(と我々観る者)が彩子の口から知った以上の何かしらの理由があるのではと勘ぐってしまう。ちょうど、沢尻エリカとなかなか別れようとしない高城某のように・・・。

 このような女に魅入られてしまったら、男はどうすればよいのだろうか?

 最初から関わらないのが得策には違いないが、危険を見抜けるほど目が肥えるにはそもそも痛い目にあうことが必要だ。美しく魅力的で、そのうえ不幸な結婚をして夫に虐げられているときたら、どんな男が同情せずにいられようか! ちょっと優しく振舞って女の気をひいたが最後、あとは、女の手管にかかってなすがままである。気づいたときには引くに引けないところまではまりこんでいる。
 やっと危険を察知して下手に「NO!」を言うと、女は命というネタを使ってこちらに脅しをかけてくる。つまり、自殺をほのめかす。ちらつかす。これが狂言かというとそうでもなく、今回のように冗談ですまなくなることもあるので実に厄介である。だいたい、自分の命を担保に相手をコントロールするくらいタチの悪いものはない。
 この無間地獄からのがれるには、どこかではっきりと女に「自分にはできない!」を突きつけるしかないのだが、これこそ男が一番苦手とするセリフなんである。

 結局、女に振り回されて心身とも消耗して「もう無理だ、ごめん」と相手に伝えるか(マッチバージョン?)、今までの優しさをかなぐり捨て逆上して相手と同レベルで醜い闘いを続けるか(高城バージョン?)、あるいは、死ねばもろとも世間も仕事も捨てて相手と行けるところまで行く決意を固めるほかない(石田吉蔵バージョン=阿部定の情死の相手)。
 三番目の男は、女から見たら最高に「いい男」なのかもしれないけれど、愛にそこまでエネルギーを(自分を)投資できる男が少ないのは確かである。
 というより、それができる男は、女と釣り合うくらいの深い心の闇(病み)を抱えているような気がする。

 とは言え。
 このような人間がいてくれるからこそ、退屈でつまらない日常がつかの間輝くのかもしれない。保守化し固定化する一方の自我が、巻き込まれることで破壊され、新たに生まれ変わることができるのかもしれない。
 その意味で、自分はこの種の人をこう呼ぶことを提案したい。

 トリックスター症候群。


 
評価: B+
 
 
A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!