プロメテウスの罠 副題は「明かされなかった福島原発事故の真実」。
 朝日新聞に2011年10月3日から2012年2月6日まで連載された記事をまとめたものである。
 6部構成になっており、原発の近くに住みながら正確な情報を知らされず疑心暗鬼のまま逃げ惑う被災者たち、「余計な動きをするな」と釘を刺さんばかりの国の研究機関を辞職して現地に飛び込んだ研究者、放射線の拡大範囲を示すSPEEDI(放射能影響予測システム)のデータを官邸に報告しなかった原子力安全・保安院、自身広島で被爆し内部被爆の危険について訴える医師、チェルノブイリの子供たちの被爆調査をしたため当局に別件逮捕された学長、外部に飛び散った放射線は東電の所有物ではないと裁判で主張する東電、そして地震発生後5日間の管首相を中心とする官邸のあたふたぶり。
 様々な視点、様々な角度から、未曾有の原発事故を検証する。
 とりわけ、最終章の「官邸の5日間」は、地震発生後、次々と誘発する福島原発のトラブルと後手後手に回る政府の対応が、緊迫感を持って描き出され、我々が投げ込まれていた一触即発の危機的状況に今更ながら背筋の凍る思いがする。
 いや、訂正しよう。我々が投げ込まれて「いる」危機的状況と。

 どのエピソードも衝撃的な事実ばかりなのだが、自分が驚きを通り越してあきれかえってしまったのは、第三章「観測中止令」である。

 原発事故発生後の3月31日、各地で異常な高さの放射能数値が報告されるさなか、気象庁の気象研究所に勤務する青山道夫に、放射能の観測中止令がメールで届けられた。
 気象庁の放射能観測は、アメリカのビキニ環礁での水爆実験(第5福竜丸被曝事件)があった1954年に始まった。世界で最も長い期間にわたるデータを有する環境放射能の観測システムである。国際的な評価も高い。
 それをなぜ、よりによって今、やめなければならないのか。

 命令の主は、気象庁本庁企画課であった。理由は、
 「文部科学省が予算を配分してくれない。」
 「福島原発事故に対応するため、関連の予算を整理すると文部科学省から通達があった。」

 確かに急を要する事態に経費が膨れ上がり予算を圧迫したのは確かだろう。
 しかし、放射能の観測は優先順位から言ってトップに来るべきものであることは素人でも分かる。予算額は4100万円に過ぎない。

 青山は、文部科学省に直接確認を入れる。すると、同省原子力安全課から返事があった。
 「気象庁から放射能調査研究費は必要ないとの回答をいただいています。」
 「予算を緊急の放射線モニタリングに回したいと、財務省が言ってきたのです。」

 いったい、だれが本当のことを言っているのだろうか。気象庁か文科省か。だれが予算の締結を決めたのか。文科省か財務省か。例によって責任の押し付け合いだ。

 いや、この際どっちでもいい。もっと上からの(原発村の政治家たち)命令であるかもしれない。
 問題は、文科省の官僚も、気象庁の官僚も、いま放射能観測をやめることになぜ唯々諾々と従ってしまうのかという点である。ここには自分の判断、知恵というものがない。
 「ちょっと待てよ。これで本当にいいのか?」と疑問を呈する者が、末端の青山に至るまで一人もいないとはどういうことだろう?
 判断せずに、政治家や上層部の言う通りに着実に業務をこなすことが自分たち官僚の役割と割り切っているのか。

 気象庁企画課の担当職員は言う。
 「放射能観測は気象庁本来の業務ではないですから、優先度は低いのです」

 国民の命や健康を守ることよりも、省庁間の業務の縄張りを守ることが優先であると言わんばかりの言いぐさ。これを倒錯と言わずになんと言おう。

 官僚諸氏は、確かにIQが高かろう。勉強も良くできたろう。作業効率も高かろう。東大出も多かろう。
 しかし、明らかになにか大切なものを欠いている。人間として大切な何かを。
 省庁に入所した時から欠いていたとは思えない。おそらく、非人間的な官僚システムと激務の中で摩滅していくのだろう。ライバルとの激烈な出世競争の中で失っていくのだろう。自分勝手でスタンドプレー好きな政治家達の右に左に揺れ動く言動に振り回されて疲弊していくのだろう。

 薬害エイズを起こした頃とちっとも変わっていない。
 いま救わなければならないのは、官僚たちのメルトダウンである。