6月9日(日)
 あまりに天気がうるわしいので、弁当をこさえてサイクリングと洒落てみた。
 行き先は埼玉県新座市にある臨済宗の名刹、13万坪の広大な境内を有する平林寺である。ちなみに、13万坪というのは東京ドーム9個分、皇居37%分である。外周を歩くと1時間以上もかかる!

平林寺 001


平林寺 002


 その名の通り「平」野にある「林」で、田山花袋が「武蔵野の昔の匂いを嗅ごうとするには野火止の平林寺付近がいい」と言ったように、コナラ、クヌギ、モミジ、松、杉、ヒノキが生い茂り、野火止用水が走り、30種類以上の野鳥が生息する自然豊かなお寺である。
 川越街道と関越自動車道にはさまれ、新座市役所が隣にあるような喧噪な一画に、こんな美しく静かな森があるということに驚嘆する。わざわざ郊外の山に行かなくても十分リフレッシュできる。
 また、禅寺の持つ静寂な雰囲気が散策者の心を落ち着かせる。思索にふけるもよし、思索しないにふけるもよし。こんな自然の中で坐禅を組めば進歩も早いことだろう。ウグイスの声がひときわ目立っていた。

 ただ、紅葉の頃はかなり混雑するらしい。モミジがたくさんあるからむべなるかな。

平林寺 009

平林寺 012


 平林寺は南北朝時代(1375年)にさいたま市岩槻に建てられ、その後松平家の霊廟となり、江戸時代(1663年)松平輝綱によって現在の地に移されたとある。
 境内の一等地に松平家代々のお墓がデンと構えている。
 松平家で一番有名なのは、三代将軍徳川家光に仕えた松平信綱であろう。「知恵伊豆(知恵出づ)」と言われたほど頭の切れる男で、幕藩体制の確立に貢献したほかにも、島原の乱を鎮圧したり、野火止用水や玉川上水を作ったり、川越を城下町として発展させたりと、いろいろな功績が残っている。(下の写真は信綱の墓と平和観音)
 境内には島原の乱で殺された人々を弔う供養塔があった。松平信綱は、言ってみれば美輪明宏(=天草四郎時貞の生まれ変わり)の天敵である。さしもの美輪様もここに来たら逆上するかも。

平林寺 010


平林寺 007


 閉門(4時半)間際の境内に人影は少なく、静かな散策と瞑想が楽しめた。

平林寺 006