死にぎわのわがまま 1996年刊行。

 著者48歳の時の本である。
 40代後半は、老いやその先にある死について考え始める時期なのだろうか。
 自分の場合も、30代までは生きることに手一杯で、老いや死は別次元の話であった。老後など四次元世界の話であった。
 40代前半(厄年)に不意に襲ってきた体調の崩れと鬱、中年クライシスをなんとか乗り切って、「もう若いときのようには無理は効かない」と観念したあたりから、周囲にあふれている老いと死の光景が恐れとちかしさを持って感じられるようになった。初期仏教との出会い、介護職として老人ホームに就職・・・と、ここ数年は急速に「老いと死」が自分のキーワードになっている。東日本大震災と福島原発事故の影響も大きい。
 老人ホームで日常的に80~90代の高齢者や認知症患者に接していると、「どう老い、どう死ぬのが幸せなのか」を問わずにはいられない。同じ職員でも20~30代の若い人たちでそこまで考えて仕事している人は少ないようである。


 著者のアイデンティティの核は、臨済宗の禅僧であることだろう。
 長野県松本市の神宮寺に生まれ、住職である父親を師として仰ぎ、仏教系の大学を出て専門道場で修行したのち、副住職となる。地元の檀家相手のお寺の日常業務に勤める一方、ボランティアに関わる。障害者共同作業所の設立、チェルノブイリ原発事故被災者への支援、第二次世界大戦の戦没者を慰霊する南太平洋への旅。一年の半分を飛び回っている自身を「住職」ならぬ「飛び職」と呼んでいる。
 八面六臂の活躍をしている著者がもっとも関心を持ち、問題意識の中心を成しているのは、ターミナル・ケアやホスピスに関する事柄であった。 

 ぼくが直接かかわっているチェルノブイリだけでなく、ルワンダ、ボスニア、カンボジアをはじめとして、現在世界各地で起こっているいのちへの不条理に、また過去の戦争に巻き込まれた人びとそれぞれの不条理に、信州の小さな寺から目を向ける努力をすることは、厳しい状況に置かれた人びとと、いのちの想いを共有することになる。
 本来、寺とか坊さんの役割はそこら辺にあるはずだ。しかし、現在の仏教は、そういった直接的なかかわりを自ら放棄している。人生の凝縮された大切なときであるいのちの終末に、仏教者はほとんど何もしようとしていないし、なす術さえ知らないのが現状だ。また、その後に訪れる重要な別れの儀式である葬式という場を、ものの見事に形骸化させている。この責任は規制の組織に安住し、本来の厳しさを失い、いのちへの働きかけの努力を忘れた現代仏教にあることは間違いない。そしてぼくもその内部の人間であることも事実である。
 こうした現状認識、自己認識をもとに、著者は師である父親があえて関わりを避けていたターミナル・ケアに踏み込んでいく。 
 ターミナル・ケアがひょっとしたら、閉塞された医療の世界や、動脈硬化が激しい仏教界にとって、ダイナミックな変革をもたらすかもしれない、あるいはそうでなくても、規制の価値観とは異なったもうひとつの道を選ぶ起点になるかもしれない・・・


 この本は、「仏教がターミナル・ケアとどう関わることができるか」を模索する著者の真摯な旅の記録であり、読者にもその旅を共にすることを可能ならしめるガイドブックと言うことができる。

 旅の最初で著者は、チェルノブイリ支援活動のときに出会った現地の老人たちのサマショール(わがまま)を描き出す。放射線によって汚染され閉鎖された地域に、「生まれ育った村だから」という理由で、移住を拒み住み続ける老人たち。それを単なる「わがまま」として片付けていいものだろうかという著者の問いは、リビング・ウイル(Living Will=生者の意思)に思考をつなげる。
 病名(余命)告知を望むこと。インフォームド・コンセントを望むこと。医療による延命処置を拒絶し尊厳死を望むこと。病院や施設ではなく在宅での家族に見守られての死を望むこと。やり残したことを叶え、思い残しや悔いがないように、残された時間(=生命)を有効に使うこと。
 リビング・ウィルには、こうした「死にぎわのわがまま」に加え、「死後のわがまま」もある。
 生前に葬儀のあり方を指定すること。戒名を拒否すること。弔われ方(お墓)を選ぶこと。遺書を残し死後の混乱から家族を救うこと。
 著者は、これらの「わがまま」を「人間本来の、根源的な欲求に従ったリクエストである」と考え、肯定すべきものと捉える。 

 リビング・ウィルは多分この国の医療事情や宗教界を大きく揺るがし、そして命の最期を劇的に演出することになるだろうと感じる。
 著者は「いのちへの働きかけ」という観点から、あるべきターミナルの姿を浮き彫りにしようと試みている。それは著者が紹介している「世界をリードするボランティアスピリッツ」の定義、すなわち「慈善」や「奉仕」といった狭いものではなく、「いのちをまもり、いのちを育て、輝けるいのちを讃えること」に則っているのである。
 むろん、このようなターミナルにおける「わがまま=理想」が実現するには、それを可能とするだけの社会的素地がなければならない。戦争や貧困や国家による思想統制や人権侵害があるところでは、人は自由に生きられないのと同様、自由に死ねない。
 第二次大戦の戦没者を慰霊するビアク島やレイテ島への旅の模様を通して、著者は「わがままが拒絶された死」の悲惨さ、不条理に慟哭する。 
 そのとき現地のガイドが、ぼくの足元を指差しながらぼくに言った。「タカハシさん、ボーン、ボーン」。
 ぼくはその言葉の意味がすぐにはわからなかった。ボーン? 骨とは何だ? 何の骨だ? 
 泥水に手を差し込んだとき、ぼくは兵士の遺骨を探り当てていた。
 累々たる遺骨の上にぼくは立っていたのだ。高度経済成長の真っ只中に生まれ育ち、いのちの意味など、あるいは人間の終末や死のことなど、深く考えたことのないぼくの足下に、不条理きわまりない常態ですでに死を遂げた兵士たちの遺骨がある。それをぼくは踏んでいる。身体中を戦慄が走った。小刻みに身体が震えはじめ、その震えは次第に大きくなり、涙があふれた。

 著者の語りは、思弁的なものではない。僧侶ではあるが、経典を基盤とした教化的なものでもない。死をめぐる様々な見聞と、著者自らの体験と、その道のプロとの対話と、ボランティア活動を通して得られた実感と、「飛び職」ならではの幅広いネットワークと柔軟な頭と謙虚な学びの姿勢とによって醸成された、上っ滑りでない肉体化した思想である。そこが好感の持てるところで、また信用の置けるところである。

 著者は、イギリスのホスピスで研修を受け、帰国後はホスピスケアの啓発に努めている医師・内藤いづみに話を聞きにいく。
 内藤は言う。 
 私、宗教家の役目は、「死は恐いものではない」ということを、残された人びとに伝えることだと思うんです。なぜなら私たち医師が死を非常に恐れているんです。死が恐怖なんです。・・・・死は恐くないんだということを、残されたお嫁さんやお孫さんたちが確認して、「ああ、これだけ精一杯看取らせてもらって本当によかった!」という満足感が生まれたら、グリーフワークはうまくいくんです。
 また、ラジオ「全国こども電話相談室」の回答者で有名になった、曹洞宗の僧侶で教育家でもある無着成恭との対話も興味深い。 
 日本人の信仰の対象はお金なんですよ。お金があれば何とかなる、お金だけが信用できる、となると人間の精神構造は全部破壊されるわけです。そこを救うことができるのは仏教だけだとわたしは思うんだけどもね。仏教は経済主義になじまないものなのだ、ということを日本人にわからせなければならない。もっといえば経済主義というのは人格となじまないものなのです。

 日本人は経済的には難民ではないけれど経済主義という立場に立ったときには完全に人間の心を失った難民の状態に置かれているということです。

 あなたの宗教は何ですかという問いかけは、あなたは人間だろう、人間である以上は欲望にきりがないはずだ。その欲望をどのようにコントロールするんだという問いかけになるんです。そのときに、欲望をコントロールできない人間は人間じゃないということが裏にあるわけで、人間の資格というのは、欲望をコントロールする原理を持つものということなんですよ。つまり、欲望をコントロールする原理を持つということは宗教を持っているということですね。そのことがわかんない限り人格の形成というのは成り立たないんですね。
 子供の無邪気な質問にユーモアを持って回答する優しく剽軽なおじさんのイメージしか無かった無着成恭が、こんなに芯の通った仏教者であるとは知らなかった。キリングフィールドで知られるポル・ポト政権下では、寺院は破壊され、仏像の首は打ち落とされ、経典は焚書の対象とされた。無着先生は、カンボジア仏教再興のため、ただ1セット残っていた『南伝大蔵経(トリピタカ)』を印刷し、カンボジアに送るという活動を先頭を切ってやっていたそうである。

 「仏教はターミナル・ケアにどう関われるか」という問いの答えを求める著者の旅は、最後に大きな試練が待っていた。
 著者の師である閑栖和尚、すなわち実の父親の看取りである。 
 中央病院での三日間の検査データは、閑栖和尚の身体にガンが巣くっていることを明らかに示していた。前立腺ガン、しかも顔つきが悪いとされている「未分化ガン」であるという。この時点から閑栖和尚に対して医療チームや家族によるターミナル・ケアが始まったといえる。
 禅僧らしく、「生死を超越した意識を持つこと」を日頃から標榜し、自己探求の修行を積んできた和尚は、告知を冷静に受け止め、今後の治療方針の決定現場にひょうひょうと立ち会い、「与えられたいのちを精一杯生きて」いる自信に満ちていた。
 しかしながら、強烈な痛みが身を貫き、入院を余儀なくされるようになると、死を間近にとらえ、万事にアセリを感じるようになる。
 そこから死の受容に向けての七転八倒=ジタバタが始まる。
 「死にぎわのわがまま」を言い、「死後のわがまま」を息子に命じ、親友との今生の別れに号泣する。このあたり、禅僧と言えどもまったく庶民と変わらない。
 著者は、苦痛に呻き、著者(息子)の胸に顔をうずめ、裸の肩を震わせる父親に対し、成すすべを持たない。 
 ぼくが小さいとき、和尚はいつも颯爽としていた。そして和尚がぼくを子どもと見るよりは弟子と見ていたことを幼い頃、敏感に感じていた。・・・・和尚は、ぼくにとって決して同じ地平には立てない謹厳な師であった。その師が、いますべてをぼくに託している。ぼくの胸の中でなすがままになってしまっている。こころの中を悲しみが吹き抜けた。人間に与えられたいのちの摂理とその有無を言わせぬ残酷さが目の前に展開した。この場を果たして宗教はどうとらえるのだろうか。どう説明し納得させるのだろうか。
 仏教はこんなときこの親子にどういった言葉を投げかけるのだろうか。仏教のインサイダーとしてぼくがいままで学んだ仏教やターミナル・ケアの知識、そして実践は、もろくもしかも簡単にそして完璧に崩れ去った。
 痛みは麻酔薬の注入によって嘘のように退いていく。が、和尚の現実の意識の中に夢が混入し始める。
 最後のわがまま「家に帰りたい」が叶えられるや、すぐに完全な昏睡に入り、三日後に息を引きとる。愛する家族や弟子に見守られながら。

 閑栖和尚の死に方は、著者の考えるターミナルのあるべき姿、ターミナル・ケアの理想的な形をまさに具現したものと言える。 
 序章から終章に至るまでぼくたち家族や弟子、そして心かよわせる人たちが真正面から和尚の死に付き添った。その充足感は死の悲しみを超えた。こういったケースは多分理想的なものであろう。だが願えばできる、そして真摯な生きざまをぎりぎりのところで逃げずにぶつけることで、いのちは輝く。そして癒される。
 それだけに、父親を弔った後の著者の述壊は重く響く。 
 父のエンドステージを見たとき、どう考えても仏教が入り込む余地が見つからなかった。父が禅僧で、僕も禅寺の住職であるのに、仏教が入り込む余地がないというのはおかしいじゃないか、と思われるかもしれないが、本当に入り込めなかったのだ。その理由は多分、こころよい「家族の絆」というものがそれらを必要としなかったからではないかと思う。あえて言えばその絆が宗教なのだと思うのだ。

 父の死は、ターミナル・ケアに仏教がかかわることによって、仏教界のエネルギーを充填しようというぼくの考えがひとりよがりのわがままであったことを気づかせてくれた。

 仏教がもしもターミナル・ケアの現場にかかわることができるとするなら、それは地域の中での寺の日常の仕事を再検討し、こころよい家族関係の構築や、人間関係あるいは人間と自然との協調関係を提起し、実践する提案をすること、そして死とは何かを深く問いかけ、死に向かういのちの存在を認識すること、つまりデス・エデュケーション以外にないのではないかと最近思いはじめている。

 さて、自分は仏教徒であるけれど僧侶ではない。身内の死を看取った経験もない。
 だから、著者のこの結論について何かを言う資格があるとは思えないのだが、「その通りだ」と共感する。
 これまで仏教の「ぶ」の字もかじったことのないターミナルの人間の前に、いきなり袈裟を着た坊さんがしゃしゃり出て、「お釈迦様はこう言ってます」とか「仏教では輪廻転生を説いています」とか「極楽浄土で阿弥陀如来が待っていますから、安心して旅立ちなさい」などともっともらしく言うのは、顰蹙を通り越して、患者や家族を憤死させかねない振る舞いである。たとえ、それが真実であっても、死に逝く者や看取る者が求めているものは別のものである場合が多いからだ。死に逝く者が求めているものを可能な範囲で与えられてこそのターミナル・ケアであろう。であってこそ、人は安らかに死ねる。
 仏教思想や経典の言葉や僧侶の臨在が役に立つとしたら、それは死に逝く者が生前それらに親しんで、それらを生きる指針として、自らのアイデンティティの核として恃んできた場合であろう。仏教だけではなく、キリスト教など他の宗教の場合も同様である。
 つまり、著者が言うところの「デス・エデュケーション」を仏教を通して学び培ってきた延長上に、ターミナルにおける仏教および僧侶の役割も自ずから生じるだろう。
 そこで気になるのは、このデス・エデュケーションが果たして今の日本の仏教にできるのだろうかという点である。

 著者の父親はまじめな禅僧であったが、ターミナル・ケアに関わることを拒んでいた。 

 あるとき、父とターミナル・ケアを話題としたことがあった。父は即座に「おれには無理だ」と断言した。禅坊主としての生きざまを父は自分の寺で具現していた。神宮寺という檀家との大きな交渉を持つてらに住職し、社会とのつながりの重要性を認識していた父ではあったが、日々、自分を磨くことを第一義としていた父には、死に逝くものへの直接的で具体的な支援など考えたことがなかったに違いない。そして、極楽なぞは自分自身の内に在るもので、見もしないことを見てきたように語れるものではない、と言うのは当然だと思う。
 ターミナル・ケアなどというものは、禅の本旨を捨て、社会に迎合した偽善で、自分にはとてもできない、という父の拒絶の言葉である。

 しかしーー自分は思うのだがーー仏教が現代日本人のターミナル・ケアに向き合えなくて、いったい誰が、どの宗教が、どの哲学がそれに向き合えると言うのだろう。
 「諸行無常」「諸法無我」「一切皆苦」という仏教の核心こそ、ターミナル・ケアのキーワード足りうるものだ。なぜなら、死の苦しみとは、身体的な苦痛を別にすれば、つまるところ「我(アイデンティティ)」を喪う苦しみにほかならないからであり、「我」というものが幻想に過ぎないということを説くのが仏教の真骨頂であるはずだからだ。
 終末期医療の用語に「セデーション(sedation)」というのがある。薬を使って意識を意図的に落とすことで、肉体的・心理的苦痛を感じなくさせる治療のことを言う。仏教の働きは、薬を使わない、意識を落とさない、心のセデーションなのだと思う。老いと死の心理的苦痛の元凶である「我」を、徐々に、確実に、退治していく。その具体的な方法は、修行によって智慧を開発し、「諸行無常」「諸法無我」「一切皆苦」が真実であることを確信することである。
 デス・エデュケーションとはそのまま仏教のことなのだ。ターミナル・ケアとはそのまま仏教の謂いなのだ。
 違うだろうか。
 「死にぎわのわがまま」や「死後のわがまま」を自分も著者同様、肯定する。それが許されるような平和で自由な社会を維持することは大切である。
 一方で、「我」が肥大化するのと並行して、「死にぎわのわがまま」や「死後のわがまま」も肥大化するであろうことは想像に難くない。そのぶん、その「わがまま」が叶えられないときの苦しみは大きくなるであろう。

 既存の仏教(大乗仏教)が果たしてデス・エデュケーションできるのだろうか、という自分の懸念は、それらがこうした仏教の本来を見失っているように思えるからである。「阿弥陀如来に念願すれば極楽浄土に行ける」とか「ひたすら念仏を唱えれば往生できる」とか、中世の人間ではあるまいし、だれが本気にできようか。座禅をすれば心は落ち着くかもしれない、禅定に入って神秘体験をするかもしれない。だが、それが「我」という難物を退治する役に立つのだろうか。

 仏教がターミナル・ケアの現場に関わるためには、まず既存の仏教団体および僧侶ひとりひとりが、仏教の本源に還り、八正道を実践し、瞑想修行によって智慧を開発し、ブッダの説いた言葉の真意を自ら確信し、それを自らの生き方のうちに現していく。
 それが本道ではないだろうか。