教養としての世界史 2010年刊行。

 世界の宗教史の上で重要な出来事、事件を追うことで、人類と宗教がどのようなかかわりをもったのか、その典型的なケースを明らかにすることができる。そうした事件は、後世にも大きな影響を与えている。主な事件について知るだけでも、宗教史の概略を理解することは十分に可能である。(標題書)

 という趣意のもと選ばれたのは24の事件。
 学生の頃、世界史の授業で習い、試験のため必死に年号や人名や国名を暗記した有名な出来事の記述に、昔の友人と再会したかのような思いがした。
○ ラスコー洞窟の壁画
○ 巨大ピラミッドの建設
○ 一神教の誕生
○ パウロの回心
○ 三蔵法師の天竺(ガンダーラ)への旅
○ キリスト教会の東西分裂
○ ガリレオの地動説と異端審問
○ 免罪符とルターの宗教改革
○ ピューリタンの新大陸移住
○ ダライ・ラマ14世のチベット脱出
○ 毛沢東の文化大革命
他13題


 懐かしさの一方、時の移り変わり、自己ファイルの情報の老朽化を感じさせられた。
 中学生の頃、世界で一番古い壁画はスペインのアルタミラ洞窟かフランスのラスコー洞窟で発見されたものと習った。今の今までそう思っていたが、この本を読むとすでにその情報は文字通り過去のものであった。1994年にフランスのショーベ洞窟で32,000年前の壁画が発見されたのである。社会人となっていた自分はそのニュースを聞いていないか、聞いたとしても頭の中で「上書き→更新」されていなかった。あいかわらず、ラスコーかアルタミラと思っていた。一度覚えたことはなかなか更新されないものである。(今、ネットで調べたら、2012年6月のニュースによると、スペイン北部のエル・カスティージョ洞窟で見つかった壁画を調査したところ、遅くとも40,800年前の作と推定されるとあった。こうなると「元祖」を争っているまんじゅう屋みたいなものだ)
 高校生だった頃、ソ連はまだあった。ドイツは東西に分裂していた。香港はイギリスのものだった。世界情勢はくるくる変わる。研究も調査も日進月歩。数十年前に習ったことが今でも通用すると思っているのがそもそも間違いである。
 そしてまた、時代が変われば世界観も変わる。
 恰好の例が、自分が教わった「1492年コロンブスの新大陸発見」。今の教科書では「新大陸到達」とか「アメリカ上陸」に変わっている。この数十年の間に、先進国である欧米中心の「世界の見方」が一面的であり差別的であるという、いわゆる「文化相対主義=全ての文化に優劣が無く平等に尊ばれるべき」の考え方が浸透したからである。もちろん、先住民であるインディアンはじめ様々なマイノリティ達の発言や運動が背景にある。
 世界観が変われば、教育内容も変わる。伝えている事実は同じでも、伝え方に違いが生じる。
 その意味で、本書の24のテーマの中でもっとも興味深かったのは、十字軍についての章であった。

 自分が学生だった頃、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回しようとして始まった十字軍は、輝かしい、カッコいい、勇ましい行動に受け止められた。十字軍という名前の響きのせいもあろうし、世俗的な目的でなく信仰のために騎士や民衆が馳せ参じたというところも思春期の自分にとってはクールに思えた。キリストを刺した槍の発見や少年十字軍といった伝説的エピソードも、想像の中でのヴィジュアル的インパクトと共にワクワクするような面白さがあった。
 また、よくは知らないイスラム教徒よりテレビや映画でたまに見ていたキリスト教の聖人の方が親しみやすく理想的人間像(当たり前だ、聖人だもの)に思えた。教科書の記述や掲載されていた写真や数回にわたる遠征を示す図も十字軍サイド(=欧米視点)に沿ったものであったし、先生の教え方もまたそうであった。 
 だから、「十字軍=善=正義」v.s「イスラム教徒=悪=不法占拠者」というイメージがインプットされたのである。
 しかし、事実は「聖戦」とは程遠いものであった。 
 

 当時、文明の質ということで考えると、イスラム教世界の方がキリスト教世界に比べてはるかに進んでいた。というのも、イスラム教世界は、古代から文明が発達していた地域に勢力を拡大しており、エジプトやギリシアの文明を摂取することが可能だったからである。・・・・・

 イスラム教文明に比較すれば、キリスト教文明ははるかに遅れをとっていた。つまり、十字軍の戦いは、野蛮なヨーロッパのキリスト教徒による、高度な文明をもつイスラム教徒に対する攻撃という側面があった。

 十字軍は進軍攻略した各都市でレイプ・虐殺・略奪を繰り返し、その残虐ぶりはイスラム教徒たちを震え上がらせた。
 十字軍が標的にしたのはイスラム教徒ばかりではなかった。キリスト教の異端を征伐するためにも十字軍は結成された。参戦した者は罪が軽減されるという「贖宥(しょくゆう)」を求めて、多くの無法者が参集した。この贖宥が後年の「免罪符」を生むきっかけとなる。
 十字軍による異端征伐の代表的なものが、南仏に勢力を拡大していたカタリ派に差し向けられたアルビジョワ十字軍(1209-1229)である。  
 
 十字軍参加者には、これからさき犯すであろう罪も含めて、あらかじめ赦免が与えられた。それに、聖地への十字軍と同様、南仏に派遣された軍隊のなかには素性の正しい騎士のほか、赦免に与ろうとする民間人の有象無象、それに野盗かならずものまがいの、命知らずの傭兵も加わっていた。迎え撃つ側もこの種の傭兵を使ったが、十字軍の方にはすべて神の許すところという大前提があった。
 こうなると、数々の残虐な、醜悪な行為が行われない方が不思議であろう。同時代の、いちおうは封建制度の約束と騎士道精神を考慮に入れた戦闘に比べて、奇妙にも神がかかわった分だけ、アルビジョワ十字軍の戦いは中世でもっとも人間性に乏しい戦争の一つとなったのである。


 十字軍兵士の残忍さの根拠には、自分たちには神がついている、悪魔に操られた異端者相手には何をしてもよいのだ、というきわめて二元論的な割り切り方があった。そしてそこから生じる行為は、まさしく「歴史は地獄」だと痛感させる性質のものであった。
(原田武著『異端カタリ派と転生』、人文書院) 

 

 2000年3月、時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世はキリスト教会史上はじめて十字軍の過ちを認め、こう謝罪した。
「かつて一部のキリスト教徒が、真実に仕えるためにふるった暴力について許しを求めます。異教徒に対して不信の念を抱き、敵意を持ったことに許しを求めます。」


 文化相対主義とはつまるところ「宗教相対主義」でもある。
 キリスト教原理主義やイスラム原理主義などの宗教的原理主義が世界を跳梁し、テロリズムの脅威が跋扈している現在、自らを相対化し、客観的に世界や人間を見る目を養うことが肝要であろう。
 著者は、ほかならぬ日本人こそ、それができる好位置にいると言う。

 自分たちの宗教についてしか知らなければ、それは宗教そのものについて知っているとは言えない。逆に、自分たちの宗教について主観的な知識をもつだけでは。客観的にそれを眺めたり、他の宗教と比較することはできないのである。
 それに比べれば、無宗教である日本人は、まだしも宗教についてそれを客観的に眺め、異なる宗教を比較できる立場に立ちやすいとも言える。日本には神道があり、そこに中国や朝鮮半島を経由して、仏教や道教、儒教が入ってきた。近世のはじまりには、キリスト教とも接し、禁教の期間を経て、近代になって改めてキリスト教から大きな影響を受けた。最近では、まだ数は少ないものの、イスラム教徒も国内に入ってくるようになった。

 私たちは、そうした環境が存在するということを利点として生かしていくべきである。その上で、世界の宗教を眺め、それぞれを比較し、人類にとって宗教がいかなる意味をもっているのか、人類が宗教をもった根本的な要因はどこに求められるのか、それを考えていく必要がある。その作業を怠れば、世界の動きを正しくとらえることができない。また、将来を見通すこともできない。


 まさしく著者の言うとおり。
 そうでないと、我々はラスコーの昔からちっとも進歩していないことになる。
 おっと。
 エル・カスティージョか。