辺界の輝き 2002年刊行。

 辺界とは一般に国境(くにざかい)のことであるが、ここではマージナル(marginal)の意。「二つの異なった文化集団の間にあってそのどちらにも属さない」「辺境に住んでいる」「耕作しないので生産性がない」といったことを指している。

五木 良民でもなく、といって明らかに賤民身分として蔑視されてるわけでもない――そういう人びとがかなりたくさんいたわけだ。
沖浦 「マージナル・マン」といいますか、周縁の人ですね。国家の定めた身分体系からハミ出していて、境界領域にいる人たち。
五木 マージナル・マン。まさにそうですね。良にも入らず、賤にも入らない境界の人。その言葉はなかなか適切ですね。サンカと呼ばれた人たちもそうでしょう。・・・・

 別の言葉で言えば「化外の民」。国家の身分制度の外にいて差別された人びと。
 そういう人びとについて、二人の博学が縦横無尽に語った対談である。

 まず、二人の話者の知識、教養、見識の高さに舌を巻く。
 当代一流の作家と学者なのだから当然と言えば当然なのだが、次から次へと繰り出されるトピックの広さと深さに圧倒される。トピック一つ一つが、フィールドワークや文献研究や実体験をもとに、思考や想像力によって丹念に彫塑されているので、付け焼刃的な、その場しのぎの発言がまったくない。
 しかも、二人の関心の持ちどころや学識や人格の高邁さが見事に釣り合っているので、二人が敬意を持って互いに接しているので、会話が呼応し、響きあい、うねるように盛り上がっていく、縄文土器のようなエネルギーが行間からあふれている。
 対話の輝きに酔わせられる。


 二人が次から次へと口にする日本社会のマージナル・マンを表す語彙の豊かさに驚く。


 サンカ、勧進、ほいと、ミツクリ、河原者、木地屋、イタカ、渡り、太子、春駒、番太、炭焼き、たたらもん、鉢屋、茶筅、青屋、ささら、香具師(やし)、馬借、おちょろ、遊芸民、家船(えぶね)・・・・。


 彼らは、百姓を代表とする常民(=定住の民)の周縁にあって、村から村、山から山、川から川、浜から浜へと漂泊する民であった。

五木 サンカと呼ばれていた人たち、そして遊行者や遊芸民など、いろんな生業をやっている漂泊の民が、この列島の各地を流動して暮らしていた。そして、あたかも体の中を巡っているリンパ球のように、定住民の村や町を回遊していたわけですね。そういう人たちによって、この日本列島の文化というものが広められ、またたえず活性化されていたのではないか、というのが、ぼくの年来の幻想なのですが。
沖浦 そのとおりです。・・・・・・境界からやってくる漂泊民は、既存の日常性を破る異化効果をもたらしたんですね。

 日本のマージナル・マンを表す語彙の豊かさはそのまま、そういう人々がいかにたくさんいたかを表している。日本文化を形成してきたのは、為政者と「士・農・工・商・穢多・非人」だけではないのである。

五木 ・・・日本の文化も<非・常民>の系列を含めて、実にさまざまな人たちの文化や民俗の重層構造から成り立っている。にもかかわらず、表街道ばかり論じられて、一方では差別の中の重層構造まで視野が広がらない。・・・・
沖浦 そうですね。たとえば学校のテクストでは、歴史の舞台裏というか、この世の裏街道、つまり民衆の生活史の細かい襞はあまり描かれてません。

 本当にそのとおりである。
 自分が習ってきた日本史は、つまるところ、日本国民のほんの一握りでしかない為政者の歴史であり、「勝ち組」の歴史であり、時代時代の為政者にとって都合よいよう解釈され、書き変えられ、編集されたフィクションでしかない。
 庶民の視点からの歴史・文化史は、従来のものとまったく異なることだろう。
 たとえば、鎌倉仏教の興隆について二人はこう述べる。

沖浦 ぼくは学生に言ってるんですが、日本には西洋のような宗教改革がなかったと教科書に書いてあるが、それは間違っている。ローマ教会が一元的に支配していたカトリック体制が腐敗し墜落して、ルターやカルヴァンなどの革新派がプロテスタントとして決起したのが《宗教改革》。これが十五世紀末からの《大航海時代》と重なって、西洋世界のみならず世界史の大転換期となった。
 そこまではいいんですが、そのような西洋で起きたような宗教上の大変動は、日本の歴史ではなかったと教えられてきたんですね。これはウソで、法然や親鸞の言説は、まぎれもなく日本仏教史上の革命だったと、ぼくは教えます。
五木 日本は十二世紀にすでに先駆けて、大宗教改革があったと考えていいでしょう。平安貴族仏教に対する鎌倉仏教の興隆は、そう考えるしかない。
沖浦 まさに大宗教改革ですよ。「一切衆生・悉生仏性」というブッダの教えに拠って、<悪人>とされている底辺の民衆を含めて、すべての人びとに仏の慈悲は及ぶと説いた。そして専修念仏という易行易修を実践すれば、大きな寺堂や仏像は信心にとって必要でないと説いた。これはやっぱり、どうみても宗教革命ですよ。日蓮や道元も含めて・・・・。


沖浦 すごかったでしょうね。卑しめられ蔑まれていた貧しい人間でも、仏の救いがある。初めてひとりの人間として、なんとか生きていく拠り所ができる・・・。
五木 しかも、それが山を越え、海を通じて伝播していく。そういう新しい教えを初めて聞いて、そのときの熱気が列島をひろがっていく感激と喜びというのは、まさに水平者宣言が京都で発せられたときに、人びとが感動したのと同じような熱い思いがあったんじゃないかと思います。


 自分もまた一人のマージナル・マンという自覚をもって、このような「下から目線」から歴史や文化を読み直していきたいものである。