2014年角川学芸出版発行。

人は必ず老いる

 友人のKはいま両親の墓のことで悩んでいる。
 相継いで亡くなった父母のためにお墓を建てようと思う。郷里の公営墓地に当選したので墓所は確保できた。が、墓石がない。年金生活者だった両親には十分な貯蓄もなかった。貸家住まいだったので財産もない。調べてみたら、リユースの墓石(!)なら20万円くらいで購入できるらしいが、それは気が進まない。自分の遺骨ならば、リユースでも納骨堂でも樹木葬でも散骨でもいいが、両親はきちんと葬ってやりたい。200万円近くかかる墓石代をどうやって工面したものやら・・・。
 話を聞いて、自分(ソルティ)のところは大丈夫だろうかと思って、帰省したときに母親に尋ねた。
 すると「待ってました」といわんばかりに、どこか家の奥のほうから古びた革の鞄を引っ張り出してきた。中には土地の権利書、何冊かの預金通帳、銀行印と実印、印鑑証明、クレジットカードやキャシュカード、生命保険の契約書、年金関係の書類、介護保険の被保険者証、遺影に使ってほしい候補写真数枚(なぜだか父親のものはなかった)、封筒に入ったまとまった額の紙幣・・・等々が入っていた。それらに混じって、子供たち(=自分ら兄弟)のへその緒の入った桐の小箱もあったのにはたまげた。
 母はそれら一つ一つを手にとって説明し始めた。それから別に一冊のノートを取り出した。家系図、親族の連絡先、亡くなった時に連絡してほしい友人・知人、お寺の連絡先、パソコンと携帯電話のアドレス、様々な類いのパスワード・・・等々が記してあった。いわゆるエンディングノートである。
 しっかり‘終活’していたのである。数年前に実家近くのお寺に墓所を購入していたのは知っていたが、葬儀費用もちゃんと用意してあった。「死ぬ前に墓石を建てるつもり」と、いまデザインを考案中らしい。
 わが母ながらお見事。頭の下がる思いがした。(父親はまったく考えていないらしい・・・)

 今の日本くらい‘老いと死’が国民の主要な関心テーマとなっている国家は、歴史上存在しまい。自分は50代だが、同世代の友人が集まると大概、両親の介護や病気の話、お墓の話、家や土地など遺産相続の話になる。自分が介護の仕事をしていることも関係しているのだろう。認知症の親を世話する苦労や心労など、「この人なら分かってくれる」と思うらしい。
 そう。確かに分かる。
 だが、誰もみな親の話をしながら、自分の老い先も気がかりなのだ。親の世代はまだ逃げ切れる。死ぬまで年金生活が可能だ。しかるに数十年後はどうだろう? 年金は破綻するだろう。生活保護はいよいよ受給しにくくなるだろう。状況は悪くなる一方だ。家族がいても息子・娘にはできるだけ迷惑をかけたくない。子供数も少ないので負担も大きい。生涯子どもを持たない夫婦や独り者も増える一方だ。
 老後の不安という雲が日本中を覆っている。
 
 漫画『サザエさん』の平凡な家族像は、もはや日本国民の最大多数の共感を呼ぶものではなく、憧憬となった、といっても過言ではないだろう。
 私たちはもう一人で生き、一人で死ぬことが当然の時代を生きているのだ。
 健康を害したり、高齢になって寝たきりになった時に、身近で助け、世話を焼いてくれる人がいない人々が日に日に増加しているのである。(標題書より引用、以下同)
 
 こういう状況に対して、国はどういった方針を立てているか。
 それが2000年頃から具体化しつつある社会福祉基礎構造改革の根幹方針の一つ――‘施設から在宅へ’――いわゆる地域福祉の推進である。高齢者介護の分野で言えば、特別養護老人ホームなどの施設における集団ケアや病院での死から、住み慣れた地域、落ち着ける我が家での在宅ケア&在宅死への転換ということになる。
 これは方向性としては間違っていないと思う。逼迫する国家財政のなか、施設ケアは経費がかかり過ぎる。内閣府が発表している「平成26年版高齢者白書」によると、介護保険利用者468万人の約20%(90万人)が施設サービスを利用している。団塊の世代が後期高齢者(75歳)になる2025年には要介護者数は700万人近くと推定される。在宅ケア中心に移行した場合の経済効果についてはっきりした結論はまだ出ていないようだが、単純に今後予想される要介護者の20%(700万人×0.2=140万人)を収容できるだけの施設の建造及び職員の配置など、まず不可能である。(今現在およそ50万人の施設待機者がいることは計算に含めていない。)
 そして、老人ホームで働きながらこう言わざるをえないのは残念であるが、施設生活はやっぱり‘人間的’とは言い難い
 ワガママが許される高級有料老人ホームは別として、介護保険制度で運営される高齢者施設は、入居者はどうしたって集団生活の枠、システムの枠に嵌められてしまう。「一人一人の自己決定を尊重し、個人の尊厳を大切にした自立支援とQOL(生活の質)の向上」という介護保険法に謳われている目標はあるものの、運営資金と労働力には限りがある。効率性と安全性を重視せざるをえない。すると、施設に入る前に謳歌していた個々人の生活の自由の大半が「削除」されてしまうのである。
 施設にとっての、スタッフにとっての、良い入居者とは、こだわりがなく、施設のタイムスケジュールを守ってくれて、介助拒否もせず、他の入居者に迷惑を掛けず、日々繰り返される退屈なレクにも参加してくれて、夜はぐっすり眠って、職員の言うことに素直に従ってくれる人である。加えて、クレーム好きの家族がいなくて、本人の体重が軽ければ言うことない。日夜時間に追われ、誤嚥や転倒リスクにヒヤヒヤし、利用者間の暴力行為や家族からのクレームに怯え、休みもろくに取れない安月給の職員は、知らぬ間にそのような模範囚――じゃなかった模範的入居者を期待してしまうのである。他のスタッフの口から、「集団生活なんだからそこは我慢してください」というセリフが入居者に対し発されるのを何度聞いたことか。
 そしてまた、介護施設や病院での死よりも、自宅で愛する人や物に囲まれた最期を望む人が多いのも当然である。(上記の統計によると、55歳以上の半数以上が自宅での最期を望んでいる。)
 施設ケアより地域ケア・在宅ケアという方向性は間違っていない。
 だが、それを実現させるためには、「一人一人の自己決定を尊重し個人の尊厳を大切にした自立支援とQOL(生活の質)の向上」という目標をただのお題目としないで実現させるためには、クリアしなければならないハードルがたくさんある。
 すぐに思いつくだけでも、
1. 財源はどうする?
2. 介護や医療を提供する人材はどう養成する?
3. 在宅での医療ケアはどこまで可能か?
4. 在宅での看取りはどう法令化する?
5. 何か事故があった場合の責任の所在は? 自己決定・自己責任の範囲は?
6. 認知症の高齢者の在宅ケアはどこまで可能か?
7. 在宅ケア、地域ケアには多職種連携が欠かせない。ネットワークをどうやって形成するか?

 本書で紹介されるのは、著者の本田徹が医師として関わっている他職種連携の地域ケア・在宅ケアの一つのモデルケースである。それが実践されている場所は、なんと‘山谷’(台東区)なのである。言わずと知れた、大阪の釜が崎、横浜の寿町と並ぶ日本の三大寄せ場(日雇い労働者のドヤ街)の一つである。
 
 山谷には、独居老人の割合が多いことも問題になっている。仕事も身寄りもなく、一人で生きる「孤族」と呼ばれる人々が圧倒的に増え、そういう一人暮らしの高齢者をどうサポートしていくかが、火急の課題だ。

 本書の意図は、山谷で一人生きる様々な高齢者と、彼らを支え、ケアする様々な人々の人生をリンクする形で紹介するというものである。私たちの独特な、生きた人間関係を提示する中で、図らずも社会的マイノリティになってしまった、ある意味で運の悪い人々、弱い立場にある高齢の人々とどのように手をつなぎ合って共存していくか、どのような有機的な医療・福祉システムがこの社会において可能か――新しい道筋が垣間見えてくることを期待している。

 本田徹は、1947年愛知県生まれの医師。チュニジア、エチオピア、カンボジア、ルワンダなどの途上国や戦地の被災者への医療救援を長らく実践してきた。国内でも在日外国人の医療支援や東日本大震災の被災者支援を行っている。
 まさに行動する医師。NHKの人気ノンフィクション『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演したことがあるので知っている人も多いだろう。自分はいつもはその番組を見ていないのだが、なぜかその回の時だけ、たまたまテレビをつけて観てしまった。
 
 本田は、山谷のど真ん中にある生活困窮者を支援するNPO法人「山友会」が運営する無料診療所「山友クリニック」で毎週定期的に内科の診療を続けて30年余になる。この期間に、本田が診療を通して知り合った山谷で生きる様々な個性的な人々、そして何もないところから生まれ、次第に大きく形を整えていった支援ネットワークの様相とそこで核となった(なっている)‘肝の座った’人物たちについて、愛情を込めて描いている。筆致は時に詩的で、著者の文学的素地を感じさせる。(伯父が昭和21年に刊行し一世を風靡した漫画風刺誌「VAN」の編集長だったそうだ。)
 山友会を立ち上げたアメリカ出身の修道女リタ、ケースワーカー兼責任者としていまや山友会にも山谷にもなくてはならない風景となっているカナダ出身の宣教師ジャン、山谷に初の訪問看護ステーション「コスモス」を立ち上げた先見の明ある看護師山下眞実子、なんとなく流れに乗って生きてきたらいつのまにかケア付き宿泊施設の責任者になっていたモラトリアム青年油井和徳・・・等々、山谷に繋がる一人一人の物語が丁寧に語られる。それぞれが少しでも‘良い’‘満足できる’生き方を模索する中で、山谷と出会い、山谷に生きる人々に惹かれ、同じような価値観を持った仲間と出会い、巻き込まれ、連携が生まれていく。個々人の生と生とが絡み合ってネットワークや新たな事業が自然と生まれ育っていくダイナミズムが非常に興味深い。
 はじめにシステムが存在するのではない。‘人’がいて‘思い’があって、‘人と人’‘思いと思い’が出会って、ほかならぬ当事者の参加によって、はじめてネットワークが生まれ、システムは稼動するのだ。行政や法律が用意するシステムに人を押し込める――現在の多くの施設ケアのように――のは本末転倒である。当たり前のことを改めて気づかせてくれる。

 一人の患者を中心として、様々な組織、事業者、多職種の専門家が関わることで、事業としてもつながりが深まっていく――そして、ネットワークはより有効性のある、強靭なものへと育っていく。
 山谷には今、山友会、ふるさとの会、友愛会、きぼうのいえ、訪問看護ステーションコスモスなど、信頼すべき様々なNPOがあり、お互いの特色、武器を生かしながらビジネスパートナーとしてもサポートし合う関係ができつつある。

 私たち山谷型の地域ケアでの学び・収穫で最大のものは、「多職種の仲間の透明性の高い、平等でざっくばらんな関係と連携が、ケアの仕事では一番大きな力となる」ということである。
 
 一つだけ確信を持って言えるのは、超高齢社会の日本を変革し、より健康で、活力のあるコミュニティを創っていくためには。医療・介護・看護・福祉の分野でも、NPO(市民社会組織)の活躍が<根拠のある希望>の鍵となるということである。

 本田が紹介する山谷の地域ケアのあり方は、何も山谷独自で開発されたものではない。日本では先進的取り組みなのかもしれないが(著者によると長野県の佐久地域でも佐久総合病院を中心とした地域参加型の保健医療活動が盛んだという)、国際社会ではすでに36年も前に合意された思想だそうだ。その思想――プライマリ・ヘルス・ケア――こそが山谷の地域ケアの理論的バックボーンを成すのである。

 プライマリ・ヘルス・ケアとは、「すべての人に健康を」という目的で1978年に旧ソ連のアルマ・アタで生まれた画期的な思想である。より専門的に言うと、「すべての人にとって健康を基本的な人権として認め、その達成の過程において、住民の主体的な参加や自己決定権を保障する理念、アプローチ」のことで、具体的には、住民参加型の地域医療のことである。自分たちの健康、自分たちのできることを地域で考え、地域で行動する方法論がその特徴だ。

 プライマリ・ヘルス・ケアにおいては、医師がもっている権限を、看護師をはじめ地域で働く介護・福祉職の人々に大幅に委譲していく仕組みづくりが必要となってくる。


 著者は、超高齢社会に対する一つの処方箋を本書にて提示している。その実効性を山谷という地域において今まさに実験、証明せんとしているのである。
 山谷に希望あり。

 最後に、本書中もっとも著者の真髄に触れる思いがし、思わず目頭が熱くなった文章をご紹介。

 もし、21世紀の日本が、より活力のある、若い人が夢を持てる、精神的に豊かな社会になり得るとすれば、それは、人の生き方や文化における、違いや多様性を認め合うことが、多くの人々にとって、当たり前で共通の価値観となることを通してなのだろう。様々な障害を持った人も、疾病や高齢のため援助を必要としている人も、日本では真面目に働く超過滞在外国人も、生活保護を受けている母子家庭の少女も、自分がそういう存在であることを、隠したり、恥じなければならないとすれば、それはかなり寛容性や思いやりの低い社会であるといわざるを得ない、ということになろう。

 私としては、障害があったり病気であることやマイノリティであることが、人間として“負”であったり、劣っているとされてしまう世の中には、この日本をしたくない。

プロフェッショナル!!