興雲閣は三峰神社境内の、お守りやお札を販売している社務所をはさんで、本殿・拝殿の並びにある。
 神社の境内に泊まるのはさすがにはじめてだ(と思う)。
 今回宿泊することにしたのは、夜遅くの三峰、朝早くの三峰を味わいたかったからである。日中の観光地然とした顔とはまた違った表情が見えるかもしれない・・・。

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 まずはお風呂。
 「大滝温泉三峰神の湯」と名づけられた温泉は、ナトリウム塩化物泉で、「弱アルカリ性の透き通ったやわらかなお湯は、慢性消化器病・慢性婦人病・神経痛・疲労回復などに良く、またアレルギー性呼吸器疾患にも有効」と宿のパンフレットに書いてある。ちょっと熱めの肌にやさしい湯で、浸かっていると肌がつるつるしてくる。気のパワーはそれほど感じないが、安らぎとくつろぎを与えてくれるのは間違いない。
 到着後(17時)、深夜11時、朝メシ前(6時半)の3回入浴したが、いつもガランとしていた。
 宿は200人収容できるらしいが、この日は地方からの‘講’の高齢者グループ数十名と、個人客が数組ほどだった。

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 風呂から上がってお待ちかねの夕食。
 こういう宿では大きな広間に集まって配膳されることが多いが、空いている個室に通された。おかげで一人でゆっくりと味わうことができた。
 配膳されたときは「こんなに沢山お腹に入らないよ」と思ったが、温泉が消化器に効いたせいか、山登りで体力を使ったせいか、単に食い意地がはっているせいか、完食してしまった。
 箸袋に記してあった短歌。

 朝宵の 物くふごとに 豊受の
 神の恵みを 思へ世の人 

 豊受神は、『古事記』ではイザナミの尿から生まれた稚産霊(わくむすび)の子で、食べ物の女神である。

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 食後はすでに布団の敷かれてある部屋でごろごろと至福の時を過ごす。
 ふと見ると、テレビの下の棚にハードカバーの本が置かれている。普通のホテルなら「聖書」だが、まさかそんなはずは・・・。
 手にとって見たら、「古事記」であった。
 なるほど、そりゃそうだ!

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 と、やおら始まったのはカラオケ。どこか下のほうから演歌が聞こえてくる。
 間違いなく‘講’の人々だ。
「ええ! こんなところでもカラオケやんの~!!」
 夜の秩父の山の静寂に浸りたかったのであるが、これでは台無し・・・。
 だが、旅先の宿における団体高齢客とカラオケの関係は、小学生と枕投げの関係に等しい。(最近の小学生は枕投げなんかしないって?)
 大目に見よう。
 なんといっても、酒と歌舞音曲は日本の祭りになくてはならぬもの。天岩戸の昔から、日本の神々はドンチャン騒ぎが好きなのである。
 だが、さすが高齢者。8時を回ったらピタリと止んだ。(宿のきまりか?)

 10時を回ったところで、宿のサンダルを借りて、夜の三峰神社に足を踏み入れる。
 杉の大木に囲まれた境内はさすが真っ暗で、暗闇に何かが(オオカミ?幽霊?)潜んでいてこちらをじっと見つめているような、あるいは入り込みすぎると神隠しにあって二度と戻って来れないような、人を寄せつけない深い闇にちょっと怯える。
 しばらくすると、目が馴れてきた。
 杉の梢から星がまたたいているのが見えた。
 
 朝5時起床。
 本殿を詣でる。

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 本殿両脇にある杉の巨木は樹齢700年。境内一のパワースポットとみなされている。
 確かに見事な杉である。
 が、自分的にはそれほど強いものを感じなかった。パワーを得ようと樹皮に触る何万という手によって、逆に枯渇しているんじゃないだろうか。屋久島の縄文杉に似て。

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 参道を歩いて随身門(神仏習合時代の仁王門)をくぐり、崖の上に立つ遥拝殿に至る。
 この導線は東西に伸びていて、ちょうどいま遥拝殿の向こうの山から顔を出した朝日の清らかな光線が、参道を照らして、随身門に当たっている。随身門の扁額に彫り込まれた「三峯山」の金箔が眩く輝く。
 扁額の上にあるは真白き翼を広げた白鳥の意匠。ヤマトタケルの分身である。
 能褒野(のぼの)――現在の三重県亀山市――で病死したタケルが生まれ故郷の大和を偲んで白鳥に姿を変えて飛び立ったというエピソードにちなんでいる。
 門の近くの高台には、大きな(不恰好な)手をかざしたタケルの立像が勇ましい。

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 遥拝殿は、左手に下界(秩父市街方面)が一望にできる。眠りから覚めた山々が、朝のもやった光の中で憩いでいる。
 そして、正面には昨日登った奥院のある妙法ヶ岳全景が黒々と蟠っている。
 やっぱり、宿泊してよかった。
 この朝の清らかな大気と煌めく光線は、下界にいる間に体にまといついたすべての負のオーラを焼尽してくれる。太陽に向けて、自然と手が合わさっていく。
 
 生きとし生けるものが幸せでありますように
 生きとし生いけるものの悩み苦しみが無くなりますように
 生きとし生けるものの願い事が叶えられますように
 生きとし生けるものにも悟りの光が現われますように

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 遥拝殿の右脇から山腹を通る巻き道のような小道が妙法ヶ岳方向に続いている。
 見落としてしまいそうなほど細い道である。
 この道こそは、神社最大のパワースポットと見た。
 一歩踏み外したら崖の下へと真っ逆さまに落ちそうな巻き道には、遥拝殿以上の目の覚める景観と、なにやら秘密めいた石づくりの名の無い神社が隠れていた。
 この神社、ネットで調べてみても情報が見つからない。
 いったい・・・?
 
 小道を辿っていくと、奥院への参道入口まで続いていた。
 そこから駐車場を見下ろしながら神社まで戻る。
 朝の大気がすがすがしい。
 鳥居の脇のお犬様も朝の散歩を待っているかのよう。
 
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 宿に戻って、朝風呂に浸かって、大広間で朝ごはん。
 贅沢だあ~。
 こんな優雅な生活ができる人間は、実は世界的に見れば一握りなんだよな~。
 グローバル・リッチリスト(Grobal Rich List)というサイトで調べると、年収200万円の日本人は世界で上位5%の富裕層に入る。
  愚痴言っちゃいかん。

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 部屋に戻って、窓際の椅子に座って外を見る。
 若々しく真っ青な空の若さに羞恥らうかのように、山のおもてがピンクに霞んでいる。

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 と、ツバメの群れが目の前を旋回し始めた。
 何十羽といる。
 一羽一羽、物凄いスピードで大きな楕円を空中に描きながら滑空している。
 おそらくは群れの仲間同士の朝の挨拶と情報交換が目的なのだろう。
 それぞれが群れの一羽一羽と擦れ違って、互いのアイデンティティを示し合い、どちらが上位かの確認をしているのだろう。(教えて、ヒゲじい)
 しばらくそれを見ていて、心底驚いた。
 
「なぜ、こんな猛スピードで何十羽もが思い思いに旋回しながら、ただの一対も、ただの一回も衝突しないんだろう?!」

 観察していると、二羽のツバメは正面衝突するであろう寸前で、敏捷に進行方向を変えている。
 それはツバメの驚くべき飛行能力と動体視力と敏捷性を示すものである。
 しかし、なぜ互いを避けようとして――よく人間が混んでいる駅の構内でやるように――同じ方向に避けてしまって、かえって衝突してしまうようなことがないのだろう? 相手とぶつかる寸前に上手に交わし、その急なコース変更によって、別の新たな相手と接触してしまうようなことがなぜ起きないのだろう?
 たとえてみれば、試合直前の6分間練習で、10人のフィギアスケートの選手たちが相当なスピードでリンクの上を滑走している様を考えてみるとよい。たとえプロでも、何十回かに一回は衝突するであろう。(ゆず君こと羽生結弦が練習中に中国の選手と激突して大怪我したのは記憶に新しい。)

 ツバメ同士は絶対に衝突しない。

tubame これは奇跡である。
 おそらくは、それぞれが勝手気ままに飛行しているように見えながらも、互いの軌道が重ならないよう、群れとしてのプログラムが働いているのだろう。
 野生動物をそのようにプログラミングしている自然こそは、魔術的プログラマーである。
  
 パワースポット目指してわざわざ遠出する必要はなかったのかもしれない。
 真のパワースポットは目の前にあった。