2014年新潮社より刊行。
あなたを自殺させない

 1998年から2011年まで、日本の年間自殺者数は3万人を超えていた。14年間で約42万人強が自ら命を絶ったわけで、これは愛知県豊田市の人口に匹敵する。14年間で豊田市から人が消滅したと考えると、すごい話である。日本の道路はガラガラになるだろう。(2014年のトヨタの国内販売台数シェアは44.9%)
 
 中でも有名というか悪名高いのが秋田県である。
 1995年から2013年まで19年連続で自殺率(人口10万人あたりの自殺者数)ワースト1位を記録した。
 「なぜ秋田なのか」という問いには、「日照時間が短い」「高齢者が多い」「気候がきびしい」「産業構造の変化に対応できなかった」等々、いろいろな理由が推測されているのだが、行政も民間もこの異常事態をただ手をこまねいて傍観していたわけではない。秋田県は2001年から「健康秋田21」で情報提供・啓発活動・相談事業などを柱とした自殺対策をスタートさせている。いろいろな民間団体がシンポジウムやサロンづくりを各地で行い、2006年には民間団体で構成される「秋田・こころのネットワーク」が誕生している。
 こうした流れの中心にあって、2002年にNPO法人「蜘蛛の糸」を立ち上げ、主に中小企業の経営者を対象に自殺防止の為の相談事業を行ってきたのが、本書の主人公・佐藤久男である。1943年秋田生まれの72歳。いまや、日本の自殺対策を語る上で欠かすことのできない、NPO法人「ライフリンク」代表の清水康之と並ぶキーパーソンと言える。
 
 著者の中村智志は、このブログで取り上げたノンフィクション『大いなる看取り』(新潮社)を著した朝日新聞の社員である。ホームレス、山谷のホスピス、自殺・・・。中村の関心の対象が、社会の底辺で死や貧困や病いと向き合いながら生きる人々にあることが伺えよう。
 中村は、2012年4月、東日本大震災の被災者支援に奔走する佐藤久男のもとを訪ね、以後時間を見つけては行動を共にし、佐藤本人や家族や関係者、とくに佐藤によって命を救われたクライアントらに会って取材を行い、本書をまとめあげた。『大いなる看取り』同様、新聞記者らしい丁寧で広い視野の取材に裏打ちされ、はじめて自殺問題に触れる読者でも全体の状況がよく分かる客観的記述(事実)と、登場する人物のぬくもりや表情や人生がペーソスと共に伝わってくる主観的記述(中村の印象)との按配が絶妙で、良質のルポルタージュとなっている。
 
 佐藤久男が経営者対象の相談事業を始めたのは、ほかならぬ本人が不動産事業に失敗して倒産し、家や財産や友人を失い、鬱病となって自殺寸前まで追い込まれ、なんとか立ち直った過去を持つからである。最盛期には年商10億以上を誇った佐藤の会社は、2000年暮れに資金繰りに詰まって倒産を余儀なくされ、23年間の経営者生活に終止符が打たれた。 
 時に57歳――。
 そのときから佐藤の半生でもっとも辛い日々が始まる。
 佐藤の親友の一人で東京商工リサーチ元取締役の荒谷紘毅はこう語る。
 
 「倒産そのものよりも、倒産後の激変のほうが大変なんです。秋田弁で、見栄っ張りのことを『ええふりこき』と言います。久男さんも含めて、社長になる人には、個人差はあるけれども、ええふりこきの一面がある。ええふりこきで成功していた経営者、強気な経営者ほど、倒産の弁解ができない。白い目で見られて、格好が付かなくなる。ふつうの人は、それに耐えられないんですよ。ぽっきり折れてしまう」
 
 商才も商魂もない(=倒産できるほどの才覚のない)自分にはなかなか想像のつかない境地である。倒産した人を「白い目で見る」というのも理解できない感覚だ。罪を犯したわけでもないのに・・・。
 佐藤は鬱屈と引きこもりの日々の中で、生と死との天秤を胸中に見る。
 
 生きる力を強く感じる日もあれば、反対に死へ引っ張られそうになる日もある。家に閉じこもっていると心身ともに立ち直れなくなる。そうした危機感から、佐藤は毎日の散歩を日課にしていた。ただし、人と会うのが怖いので、夕暮れを待って出かけた。
 
 友人の多くは、佐藤のもとから去って行った。自宅も財産もなくなった。信用を失ったことの打撃も大きい。一方で、より普遍性が高いものが残った。家族は結びつきが強くなった。時間やヒマができたぶん、家族団らんの機会も増えた。切れずにいる友人たちとの交流も深まった。
 
 一時間も歩いたころだろうか。ハッと気づいた。「会社は人生のすべてではない。会社は生きるための道具にすぎないのだ。道具をなくして、人生を失うほど悩むことがあろうか」と。
 
 家族や友人たちの支え、秋田の山々の美しいブナ林、良寛和尚やアウシュヴィッツを生き延びた哲学者ヴィクトール・E・フランクルをはじめとする古今東西の著名人の箴言の数々。こうしたものを心の支えにして、佐藤が‘人生行路の深く暗い森’を出口を求めて彷徨する様を描いた章が、読みごたえある。身につまされる。

 厳しい冬こそが美しい春を用意する。
 苦難の時期――それは見方を変えれば、新しく生まれ変わるための学びの時期でもあった。
 2001年5月に前出の友人荒谷から一本の電話が入る。
 佐藤と荒谷の共通の友人で、やはり会社経営者であった男の自死を知らせるものだった。
 
 「仇討ちだ」
 翌朝、何とも言えない怒りが湧いてきた。無様に倒産した自分のことも腹立たしい。以前に自殺した三人の経営者の顔も浮かんだ。書店の店主、内装会社の社長、配管工の親方。三人とも、倒産が不可避な状態になって命を絶った。彼らはなぜ、死を選ばなければならなかったのか。
 怒りは日増しに強くなった。――地域の中小企業経営者は、納税、雇用、流通、街づくりに貢献して戦後の日本経済を支えてきた。そんな社長たちを倒産ごときで死に追いやっている社会構造が腹立たしい。自殺は個人の問題ではない。社会の問題なのではないか。
 
 倒産から一年と一ヶ月。佐藤は地域の経営者を対象とした相談事業「蜘蛛の糸」を立ち上げる。

 主に経営者を対象にし、相談は原則として面談で、無料。二時間でも三時間でも相手の話にじっと耳を傾ける。何度でも相談に応じる。相談者は北海道から沖縄まで広がった。なぜなら、同じような相談機関がほかになかったからである。

 そのときから、すべてのマイナスがプラスに転じた。
 黒が白に引っくり返った。
 倒産も、残務処理も、人間関係の喪失も、鬱病も、自殺念慮も、佐藤の経験のすべてが、経営に失敗し前途を失ったクライアントたちの支援の役に立ったのである。佐藤には、経営の知識があり、経営者の心理が手に取るように分かった。また、クライアントにしてみれば、目の前にいる佐藤が、倒産を経験してそこを乗り越えてきていま元気に生きているという事実が、何よりの希望になった。地獄に垂れた一筋の‘蜘蛛の糸’さながらに。
 佐藤は、打ち沈むクライアントに、陽気に言い放つ。
「八方ふさがりといっても、上と下は空いてるべ」

 もし佐藤が倒産していなかったら、どうだったろう。
 不動産事業で成功し続け、億万長者となり、地域の実力者兼名士になっていたら、どうだったろう。地域の雇用を創出し、社員の家族を養い、多額の税金を納め、企業として社会貢献を果たし、ひょっとしたら政治にも携わって、それはそれで有益な人生であったことだろう。(ただ一方、若い愛人や婚外子を作って家庭崩壊の可能性もあったたかもしれない。)
 佐藤が倒産したことで、「蜘蛛の糸」が生まれて、たくさんの経営者の命が救われた。東日本大震災の被災地では、一瞬にしてすべてを失った経営者の心の支えともなった。命と向き合ってきた10年間の相談経験が大いに生かされたのである。
 佐藤の活動は、秋田のみならず全国に知れ渡り、2006年に自殺対策基本法を成立させる流れの一つとなった。行政と民間の連携で効果を上げている秋田県の自殺対策は国のモデル事業となっている。
 むろん、倒産がなければ、この本が書かれることも、こうして自分が読んでブログに書くこともなかったであろう。
 
 本書を読んで何より感じるのは、人生において何がプラスで何がマイナスなのか、結局人間の浅知恵では容易に知れないということである。
 人間万事塞翁が馬。
 禍福はあざなえる縄の如し。
 マイナスだと思っていることの中にプラスの種が萌芽し、プラスの背後にマイナスが隠されている。
 プラスもマイナスも、つまるところ、人間が勝手に作り出した価値観から派生する観念に過ぎず、世の物事は「無常」という唯一つの原則で動いているに過ぎないのである。

 要は、マイナス(だと自分では思っている)時期を、やけを起こさずどうにか乗り越えることのできる耐性というかコツというか智慧というか人間関係なんかが、大切なのだろう。それと、マイナスをプラスに変える良策の一つは、ベクトルを内側から外側へ、つまり自分から他人や社会に転換することなのだろう。

 秋田のブナ林を歩きたくなった。 

三頭山20150520 020