2011年ロシア。

 ベネチア映画祭グランプリに輝いた10年に1本出るか出ないかの傑作『父、帰る』(2004年)を撮ったアンドレイ・ズビャギンツェフの3作目。
 寡作な人だ。よく食って行けるな。
 
 高級アパートで金持ちの夫ウラジミルと何不自由ない生活を送る元看護婦のエレナ。
 ウラジミルには、快楽にしか興味がない甘やかされた一人娘カテリナがいて今も父親に寄生している。エレナには、養うべき妻と二人の子供がいるにかかわらず、仕事もせず職探しもせず、昼間から飲んだくれているぐうたらな息子セルゲイがいる。一家はエレナが定期的に持ってきてくれる年金を頼りに暮らしている。
 それぞれに自立できない駄目な子供に悩まされる再婚同士の初老の二人。だが、決して同等の立場にはない。
 一つは圧倒的な貧富の差。エレナは息子一家の窮乏を救うために、また孫のサーシャ(セルゲイの息子)の学資を工面してもらうために、夫ウラジミルに頭を下げなければならない。自分の娘には出費を惜しまないウラジミルも、血のつながりのないセルゲイ一家にはけんもほろろな態度を示す。
 今一つはロシア社会の根強い男性優位主義。家庭でエレナは、ウラジミルの家政婦兼ダッチワイフである。ウラジミルが一等いい部屋の立派なベッドで寝ている一方、エレナは台所脇のソファのような狭い寝台で朝を迎え、ウラジミルの気が向いた時だけ彼のベッドに呼ばれる。息子一家のためにウラジミルの機嫌を損ねたくないエレナには、それを拒む勇気はない。
 そんな‘どこにでもある’ような夫婦関係の中で、事件が起きる。ウラジミルはある日、ジムのプールで泳いでいる最中に心臓麻痺を起こす。なんとか無事退院すると、余命を危ぶんで、「明日遺言書を作成する」とエレナに宣言する。その内容は「娘カテリナにすべての財産を譲る」というもの。
 エレナは密かに決意する・・・・。

 息子や孫思いの平凡な中年女性が、夫殺しという冷酷な所業を犯す過程を、落ち着いたカメラワーク、スタイリッシュな映像美、そしてセリフに頼らない寡黙で丁寧な演出とで淡々と描いた秀作である。役者の演技も深みとリアリティがある。特にエレナを演じるナジェジダ・マルキナの存在感は、最初から最後まで観る者の目を釘付けにする。顔の表情の変化ではなく、体全体でもって心理を表現しているかのよう。彫刻的な演技とでも言おうか。

 この作品、男性優位社会に生きる女の業とか、妻たること(=夫)より母たること(=息子)を優先した女の性(さが)とか、神と倫理(モラル)を失った現代人の心の闇とか、いろいろな捉え方はできるだろう。
 ソルティ自身は、『父、帰る』と共通したテーマを根底に感じ取った。
 すなわち、父性の不在――である。

父性とは、子育てにおいて、父親に期待される資質のこと。子供を社会化していくように作動する能力と機能である。母性とは異なる質の能力と機能とをいうことが多い。母性が子供の欲求を受け止め満たして子供を包み込んでいくことを指すのに対して、父性というのは子供に忍耐・規範(社会的ルールや道徳)を教え、子供を責任主体として振るまうようにし、理想を示すものである。(ウィキペディア「父性」)
 
 ウラジミルは父権社会の中で威張ってはいるが、父親としては失格である。金儲けが第一で、娘をまっとうに育てられなかった。エレナの元亭主がどんな人間だったかは映画の中で語られていないが、セルゲイを見るからに、駄目な父親であったことは容易に知れる。父性の不在が、母親であるエレナとセルゲイを共依存にしたことが読み取れる。で、セルゲイときた日には、まったく父親の役目を果たしていない。セルゲイとその息子サーシャが一緒にソファに座って、スナックをぼりぼり食べながらテレビを見ているシーンがある。二人は親子というよりも兄弟である。セルゲイは、図体のでかい腹の出た子供である。結果、エレナが人殺しをしてまで学資を用立てしてやった孫のサーシャは、陰で不良仲間と一緒に弱者相手に暴力行為を働くような人間に育ってしまった。
 父権社会、男性優位主義の中で、しかし肝心の父性だけは欠如しているという矛盾が、描き出されているのである。
 父性の欠如した父権社会とはなんだろう?
 ルール無き権力国家か。
 モラル無き階級社会か。
 ・・・・・・中国か。
 
 映画は、夫の遺産を半分もらったエレナにくっついて、セルゲイ一家が安アパートからウラジミルの高級アパートに引っ越してくるシーンで終わる。もちろん、サーシャは無事進学の道を歩むことになる。エレナも、セルゲイ一家も、万々歳の結末である。危険を犯しての夫殺しの甲斐はあった(ように見える)。
 だが、むろん観る者は分かっている。
 この先、セルゲイ一家は決して幸福にはならないだろうと。一家は贅沢三昧の挙句、エレナの財産を食いつぶして、最後には路頭に迷うことになろうと。それでもセルゲイが働くことはなく、おそらくはアル中になるだろうと。サーシャは大学生活で問題を起こして誤った道に進むであろうと。エレナはそのすべてを見て、自分の犯した罪深き行為の無益を悟るであろうと。
 だが、もはや彼女には神は見つけられないだろうと――。
 
  
評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!