2014年イギリス映画。

 ゲイと炭鉱夫。
 片や、「男らしく」ない代表格と見下され、ファッションやアートやダンスやお喋りにうつつを抜かすナヨナヨした連中。片や、「男らしさ」の権化のように見做され、命を賭した危険な重労働を黙々とこなし、酒と博打と女と喧嘩に誇りをかける逞しい連中。
 ステレオタイプは無論承知。が、まあ、両者に抱く大方の最大公約イメージはこんなところだろう。つまり、「男」の両極に位置する、正反対の種族というわけだ。
 むろん、社会的な上下関係ははっきりしている。知性や収入の差はともかくとして、社会的に受け入れられ信頼を得ているのは炭鉱夫である。ジェンダーの既成価値を強烈になぞっているがゆえに・・・。
 そんな相反する2つの種族が出会い、戸惑い、衝突し、認め合い、共闘し、友情を育む。そんな‘他者との出会い’の一部始終を丁寧に描いたのがこの映画である。実話をもとに作られたというから驚く。

 時は1984年。新自由主義の御旗のもと「弱い者いじめ」政策を断行する‘鉄の女’サッチャー政権下、炭鉱労働者たちがストライキを起こす。それを支援すべく、ロンドンに住むレズビアンとゲイの若い活動家グループが勝手に街頭での募金活動を開始する。
 しかし、全国炭鉱労働者組合は同性愛者の集めた寄付金を快く受け取ってはくれない。活動家たちはウェールズにある小さな炭鉱町オンルウィンに直接寄付することにする。同性愛者のグループとは知らずに寄付を受け取った町の人々は、感謝の意を示すべく、活動家たちを町に招待する。バスを仕立て意気揚々と炭鉱町に向かうゲイ&レズビアンご一行。
 かくして、異質の者との邂逅が始まる・・・。
 
 テーマが現代的で面白い。
 というより、あらゆる‘物語’は基本的に「異質との出会い」を描いたものなんである。恋愛小説しかり、青春小説(ビルディングもの)しかり、ホラーしかり、SFしかり、ミステリーしかり、戦闘ものしかり、ジェネレーションギャップを描いたものしかり、純文学しかり・・・。
 はじめ「異質」であったものが、だんだんとその正体が明らかになってきて、主人公がその実質を‘理解できる’ことが分かってコミュニケーションへの道が開かれるか、あるいは‘理解できない’ことが顕わになって断絶して戦いに突入するか、というのが‘物語’の定石なのである。
 なので、もろ‘異質との出会い’をテーマに据えたこの映画が面白くないわけがない。両者間に芽生えた友情がセクシュアリティの違いを超えてゆく感動のクライマックスは、鉄の女と同族でなければ涙することであろう。
 日本語字幕だと分りにくいけれど、主人公のゲイの青年マーク(=ベン・シュネッツァー)がストライキをしている炭鉱労働者をテレビで見て突如支援しようと思い立ったのは、サッチャー政権に対する反感が共通することもあるけれど、それ以上に、炭鉱夫(miner)が少数者(minor)と同じ音(マイナー)を持つことから閃いたのである。マークが自分たちのグループにつけたLGSM(Lesbian & Gay Supporting Miners)という名前は、「炭鉱夫/少数者を支援するゲイ&レズビアン」という、ちょっとブラックユーモア風の意味があるわけである。
 
 役者の魅力も満載である。
 まず、炭鉱町オンルウィンの組合の中心人物クリフを演じるビル・ナイが印象的である。別記事でもこの俳優に注目したが、やっぱり名バイプレイヤーである。炭鉱町に生まれ育ち、今や町の中心人物として町民の尊敬と信頼を集めながら実は‘隠れゲイ’であるという、複雑なキャラクターをリアリティ豊かに演じている。
 同様に、‘隠れビアン’であったことをクリフ相手に告白するヘフィナ演じるイメルダ・スタウントンも、その研ナオコかギボアイコにも似た特異な顔立ちと女丈夫(じょじょうふ)なキャラとあいまって、愛すべき強烈な印象を残す。
 その他、LGSM結成当初唯一のレズビアンとして気を吐くダイ(=パディ・コンシダイン)のカッコよさ、両親に内緒で活動にかかわるも最後にはバレて家を離れる決心をする二十歳の青年ジョー(=ジョージ・マッケイ)の清潔感が光っている。この二人、きっといい役者になるだろう。

 異質な者との関わりにおいて重要なのはまずは‘勇気’である、とこの映画は教えてくれる。相手と関わろうとする勇気、自分をさらけ出す勇気、衝突を恐れない勇気、真実の自分および自分の感情を素直に認める勇気。道はそこから開けるのだ。
 そして、その‘勇気’をくれる最大のものが仲間であることも教えてくれる。
 ゲイやレズビアンといったホモセクシュアルは、当然ながらヘテロセクシャルな男と女から生まれ、その影響下に育つわけだから、基本的に親は仲間(=理解者)になりえない。どんなに理解ある進歩的で寛容な親であっても、ヘテロである限り‘仲間’にはなれない。そこには越え難い溝がある。
 ゲイやレズビアンは親との関係をある意味で‘あきらめる’ところから、自分の生きる場所を見つけざるをえない。ソルティ自身も、思えば「親に理解してほしい」なんて感情は二十代に捨ててしまっている。よく言えば、精神的に自立せざるをえない。そのぶん、仲間の存在が重要になってくる。悩みを打ち明け希望を共にする仲間が。自分の生きるモデルとなってくれる先達が。(日本の多くのゲイにとって最大にして最強の先達は美輪サマだろう。三島由紀夫では決してない。レズビアンにとっては誰だ? ジョディ・フォスター?)
 
 この映画を観てもう一つ実感することは、女という性の役割である。
 子供を産む性、子供を育てる性、家庭を亭主や子供にとって安心できる場所として維持する性、やりくりする性といった意味ももちろん馬鹿にならない。
 けれど、思うに、大きな声では指摘されないけれど無視することのできない女の大きな役割は、「男を教育する」ことにあるように思う。一人の男を教育しその価値観をも変えさせるほど力を持ち得るのは、世間広しと言えども、男の‘母である女’、‘妻である女’、‘娘である女’だけではないか。彼女らは、‘息子である男’、‘夫である男’、‘父親である男’の急所を握っている。なればこそ、世間相手に百戦錬磨の荒らぶる男たちも、彼女らの前では青菜に塩のごとくシュンとなってしまうのだろう。
 男尊女卑のイメージが強い炭鉱町が実のところ女性天下であるという逆説を、この映画は描いていて小気味よい。
 結論として、世の中は最終的に女性を味方につけた者の勝ちなのだろう。
 その秘密を知っているがゆえに、ソルティはフェミニストなのである。 

 さあて、もうすぐパレードがやって来る。
 今年はcharaが来るらしい。
 すげえ~!
 


評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!