1959年刊行。
2016年岩波文庫より邦訳発行。

 「純粋仏教徒の妄想世界の散策記」というブログを読んで、この本を知った。ブログの主によると、「無人島に一冊だけ持っていくとしたら、この本を選ぶかもしれない」ほどの名著らしい。これが読まずにいらりょうか。

 ブッダの息子と同じ名を持つワールポラ・ラーフラ師(1907-1997)は、スリランカ出身の僧侶つまりテーラワーダ仏教の修行僧であり、同時にスリランカ大学、カルカッタ大学、パリ大学、ノースウエスタン大学で大乗仏教含む仏教全般について広く深く学びかつ教えていた学者としての顔を持つ。この本を執筆していた時はパリに住んでいたようだ。
  What the Buddha Taught という原題どおり、本書は最古の仏典においてブッダが実際に語ったことをたよりに、仏教の基本的な教えを体系的にまとめている。

 私はこの小冊子を、仏教に造詣はないけれども、ブッダが本当に何を説いたのかを知ろうとする、教育があり、知性のある一般読者を対象に著した。そのために、私はブッダが実際に用いたことばを忠実かつ正確に、そしてできるだけ簡潔に、直裁に、平易に伝えようと心がけた。(本書まえがきより)

 著者の目的は見事に果たされている。
 2時間もあれば読み終えてしまう200ページに満たないブックレットにもかかわらず、ブッダの中心的・基本的な教え――四聖諦、八正道、五蘊、カルマ(業)、再生、因縁、無我、ニルヴァーナ(涅槃)、修行法――が網羅されている。ラーフラ師のたゆまぬ修行の成果と真摯な学問的追求との最高度の結合である。現在の仏教研究の最高権威者(オックスフォード大学の教授だそうだ)は、本書を「現時点で入手できる最良の仏教入門書」と評価している。ソルティもまったく同感である。
 それだけに、この本がなんと57年間も邦訳されなかった=ほうっておかれたことが、ほとんど犯罪的と思われるのである。日本の仏教界、出版界はいったい何をしていたのか。岩波書店は何をためらっていたのか。
 間違いなく、本書は、2016年に日本で発行される星の数ほどの新刊本のNO.1に君臨するのみならず、90年の歴史を誇り日本人の教養のメルクマールたる岩波文庫の過去何千冊の輝けるラインナップのうち、最良の一冊である。
 これほどすぐれた書が(真理が!)、日の出ずる国で日の目を見るのに60年近く要するとは!!
 文化とはなんてヘンテコリンで恣意的なものなのだろう。
 もっとも、テーラワーダ仏教そのものが2000年以上にわたって日の出ずる国に到来しなかったことを思えば、岩波書店はじめ関係諸氏を責めるわけにもいくまい。
 これもまた因縁なのだろう。

 訳者の今枝由郎は、国民総幸福量(Gross National Happiness)を提唱する「世界一幸せな国ブータン」の草分け紹介者として有名である。 日本にいるあまたの仏教研究者ではなく、チベット研究者のこの人が訳しているのもなんだか面白い因縁である。
 

 以下、引用。

 仏教は、ほとんどの宗教において信仰あるいは信心といわれるものにはほとんど関知しない。
 信仰は、ものごとが見えていない――「見える」ということばのすべての意味において――場合に生じるものである。ものごとが見えた瞬間、信仰はなくなる。・・・・・・・・・
 肝心なのは、知識あるいは叡智を通じて見ることであり、信心を通じて信じることではない。

 仏教は悲観主義でも楽観主義でもなく、しいていえば、生命を、そして世界をあるがままに捉える現実主義である。仏教はものごとを客観的に眺め、分析し、理解する。

 この肉体的身体が機能しなくなっても、それとともにエネルギーは死なない。それは何か別なかたち、姿をとって継続するが、それが再生と呼ばれる。・・・・・・・・・
 永続的、不変的実体が存在しない以上、ある瞬間から次の瞬間に継続するものは何もない。それゆえに、ある生から次の生へと生まれかわる永続的、不変的なものは何もないことは明らかである。途切れなく継続するのは連鎖であるが、それは一瞬一瞬変化する。連鎖とは、実際のところ運動に他ならない。

 仏教でいう絶対真理とは、世界には絶対的なものはなく、変わることなく、永続する絶対的な自己、魂、あるいはアートマンといったものは内にも外にもない、ということである。

 ブッダによれば、人間が完全であるためには、注意深く啓発しなくてはならない二つの資質がある。一つは慈しみであり、一つは叡智である。慈しみは、愛、慈善、親切さ、寛容といった情緒的な気高い資質であり、叡智とは、人間の知的な心の資質である。もし情緒的側面だけを発達させ、知的側面を無視すれば、人は心やさしい愚か者となりかねない。その逆に知的側面だけを発達させ、情緒的側面を無視すれば、他人を考慮しない無情なインテリとなりかねない。

 「無人島に持って行きたい一冊」と言うのも、真摯な仏教徒ならば決して大げさではない。
 ソルティもまた考えた。
 無人島の一冊・・・・・。
 最初に浮かんだのは、やはり仏教書、ポー・オー・パユットーの『仏法』(サンガ発行)である。ラーフラ師の本より分厚く難解であるが、修行の進展とともに読み返すたびに発見があるから、無人島での瞑想修行のお供に最適であろう。 

仏法 002

 
 二冊(作品)めを許されるなら、チャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』か。いや、長さで言ったら、山岡荘八の『徳川家康』(全26巻)も捨てがたい。栗本薫の『グイーン・サーガ』シリーズは未完だし・・・・・。
 いろいろ楽しく考えていたが、大事なことを忘れていた。
 火の熾し方も知らない無能な自分が何より優先すべきはサバイバル・マニュアルだろう。となると、さいとうたかおの漫画『サバイバル』がベストか・・・・・。

 だからそれって結局、「生存欲です」というスマナ長老のお叱りの声が聞こえてきた。


サードゥ、サードゥ、サードゥ