介護の仕事に就いて5年目に突入した。介護福祉士の資格も取って、職場(老人ホーム)の中では上から数えたほうが早い古参になってしまった。新人の頃、5年目の先輩職員と言ったら、「便失禁も救急対応も帰宅願望も徘徊も介助拒否も、怖いものなしの大ベテラン」という感じで見ていたが、果たしていま自分も新人からはそう見えるのであろうか。
 いささか心もとない。

 さて、ソルティは男としてはチビである。加齢により骨密度が減少してきているためか、ここ数年少しずつ背丈が低くなって160センチを割ってしまった。一時は65キロもあって生活習慣病危険区域に達していた体重も、この仕事を始めたおかげで10キロ近く減少、日々の肉体労働により上腕筋や胸筋や背筋が発達、胴回りもすっきりし、20代の奇跡のボディラインをキープしている。
 由美かおるか!
 介護の仕事のメリットの一つは、運動不足の解消と肥満防止にあるのは間違いない。周囲を見ても、新人の頃はマシュマロマンのように丸々太ってドタドタ動いていた奴が、半年過ぎると体全体が絞られて、きびきびとした身のこなしで颯爽と介助にあたっている。寿命も数年延びたであろう。

 社会に出たての20代の頃、体の小さいことがコンプレックスになっていた。
 背が低いと、ほかの男たちから文字通り‘下に見られやすい’。体格の立派な男に比べると、どうしたって押出しがよろしくない。貫禄に欠ける。そのうえにソルティは父親譲りの童顔であった(ある)ので、まず年相応に見られたことがない。仕事上でも日常生活上でも(たとえば混んでいる電車の中とか喫茶店で注文するときとか)人と接する場面において、どうも軽くあしらわれやすい。むろん、自意識過剰ゆえの被害妄想の部分もあろう。
 ヘテロの男だったらそこに「背が低いと女にもてない」という黄金律が加わるから、余計にコンプレックスは高まることだろう。ソルティの場合は、幸か不幸か対象が女でなかったので、そこはあまり重要ではなかった。
 スモール・コンプレックスはいつの間にやら消失した。「背丈で勝てないなら中身で勝負!」と意気込んて自分磨きに勤しんだわけではない。二十歳過ぎればもう身長は伸びない。「変えられないものは悩んでも仕方ない」と受け入れたのが一つ。そして、「他人から下に見られようが軽んじられようがどうでもいいじゃん」と思えるようになったことが一つ。風采とか押出しの良さとか威厳とかあまり関係ないような職種、競争や評価や出世と無縁な職種、単純に言えばスーツを必要としない職業ばかり経巡ってきたのである。

 そんなこんなで数十年経った今、こう思っている。
 
「体が小さくてつくづく良かった~」
 
 介護職の多くが「勘弁してほしい」とため息をつく利用者は、体の大きな、体重の重い、立ち上がることのできない利用者(ほぼ男性)なのだ。自分の力で立ち上がることも側臥位になる(横向きに寝る)こともできない体重80キロの大男を介助するのは、実に骨が折れる重労働である。
 ミステリー好きの自分は、犯人が死体を処理するのに苦労するシーンを本で読んだりテレビで見たりして、「人一人動かすのがあんなに大変なのかなあ」と不思議に思っていた。なんとなく意志(魂)の抜けた体は、当人の抵抗がない分、自由に動かしやすいといった錯覚があった。それに、学生時代ぐでんぐでんに酔っ払った友人をアパートまで連れて帰るのに肩を貸したときなど、たしかにこちらの体にいつゲロが吹きかけられるかわからないスリルもあって厄介な作業ではあったが、一人でできないことはなかった。だから、人間の体がいかに重いものか、はっきりとわかっていなかった。
 だが、80キロは80キロなのである。スーパーで売っている米袋を歩いて持ち帰ろうとするなら、やはり10キロが限度だろう。重量挙げの選手なら80キロでも持ち上げられようが、それとて数十秒のことである。
 生命のない人体、完全に意識を失った人の体、立つ意欲を失った肉体は、重い。まんま80キロの物体である。酔っ払っているときでも人は、自分の力で立とう、歩こうとしているのである。こん睡状態になったら、数人がかりで担ぎ上げて車を呼ぶしかない。

 80キロの利用者をトイレ介助するには一人では無理である。最低でも二人必要だ。
  1. 一人が車椅子の前に回り腰を低くして、両腕を利用者の両脇から差し入れて利用者の背中で両手を組む。
  2.  「いち・にの・さん」と反動をつけて、両腕を前に引きながら腰を上げて、利用者を立たせる。足で踏ん張ることのできない利用者の全体重は介助者にかかる。
  3.  その間に、背後に控えた今一人の介助者が利用者のズボンとパンツを素早く下げて、尿取りパットをはずして「OK」を出す。(このとき便失禁していると厄介である)
  4.  前側の介助者は、下半身丸出しになった利用者を抱えながらゆっくりと便器のほうに回転して、ひざを曲げて腰を落としながら利用者を便座に座らせる。
 この一連の作業にかけられる時間は、女性職員や自分のように背が低くて非力な男性職員の場合15~20秒が限界である。それを超えると腕がしびれて、力が入らなくなってくる。上背のある利用者の場合、介助者は下から持ち上げないとならないので余計に力が要る。介助している間は常に、肩や腕や腰に負担がしいられる。毎回毎回(トイレ介助は一日数回ある)、毎日毎日、これを繰り返すと痛みが固定されてしまう。介助者の職業寿命が縮む。
 だから、くだんの利用者の介助は自然と後回しになる。施設介護は常に時間に追われているので、介助者は時間のかからない軽介助の利用者から次々と対応していく(片付けていく)傾向にある。体の重い利用者を先にやることで体に負担を残したくないのもある。ほかの利用者のトイレ介助がひととおり済んで、フロアが落ち着いて、二人の介助者が個室に籠っても大丈夫なときになってようやく、くだんの80キロ利用者の番が来るわけである。
 ここだけの話、あまりに忙しい時や職員が病欠して人員不足の時など、「一番分厚いパットを当てているし。一回くらいトイレを抜いてもいいか」と飛ばされてしまうこともある。尿意や便意のない(訴えられない)利用者は黙ったままである。
 こういう介助にこそロボットがほしいと切に思う。どんなに重い利用者でもやさしく持ち上げて立位を取らせ、そのまま90度回転させて、また下にやさしく降ろしてくれるロボットだ。簡単に作れると思うがな・・・。
 

ロボット


 そう遠くない将来、そんな介助ロボットが登場するとは思うけれど、それまでは体の大きな・体重の重い・介助の必要な利用者には受難の日々が続くであろう。若いときに誇った堂々たる体格や異性の注視を浴びた上背を、「よもやこんなことになろうとは・・・」と苦々しく思いつつ、トイレの順番を濡れたパットに耐えながら待つことになる。人によっては、職員の負担となっている自分の巨躯を呪わしく感じることもあろう。
 世の若き女性たちも3Kだ何だと欲張っているのも考え直したほうがいいかもしれない。超高齢社会のこれからは、パートナーを介護しなくちゃならない日のことを考えて相手を選んだほうが利口かもしれない。なんと言っても男のほうが先に倒れる確率が高いのだし、いずれは施設に預けるとしても、それまでは妻の手で多かれ少なかれ在宅介護することになる。
 「大きいことはいいことだ♪」は昔の話である。
(――というジョークが通じたのも昔の話である。)