日時 2016年8月13日(土)
会場 eitoeiko(新宿区矢来町)
出展者
 鄭梨愛(チョン・リエ)
 鄭裕憬(チョン・ユギョン)
 李唱玉(リ・ジョンオク)

 友人に誘われて絵画展に行く。
 eitoeiko(エイトエイコ)は初めて。地下鉄東西線神楽坂駅矢来口(新潮社が目の前に見える)から歩いて5~6分の閑静な住宅街にある喫茶店併設のギャラリー。広さは1Kのアパートくらいか。

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 出展者は揃って91年生まれ。東京都小平市にある朝鮮大学校教育学部美術科を卒業後、創作活動を続けている。‘在日朝鮮人’である。何世なのかは分からない。
 会場に置かれていたリーフレットから引用。

 他民族交流や多国間交流は人種を超えた共感を喚起する一方で、憎しみや争いを生むものですが、彼らは自らの過去と現在にそれらを内包した日々を生きているのです。しかし表現者であることを選んだ彼らは、環境や社会、歴史から受けた様々な知識や体験を、新たな視覚的イメージとして表すことを可能にしています。 ・・・・・・・・・
 「在日」であることから生じる社会的あるいは文化的な摩擦を意識しつつ、彼らは芸術と向き合います。
 
 展示作品は三者三様で面白いものであった。
 同じ‘在日’だからといって、はたしてそのテーマでひとくくりにしていいものだろうかと思われるほど、題材も画材も技法も異なっている。
 昔ながらの布キャンバスに油絵の具で丹念に描かれた家族画(レンブラント+朝鮮風)。
 『ハムレット』のオフェリアや『旧約聖書』のイブを題材に写実的に描かれた美人画(ミレー+フェミニズム風)。
 北朝鮮の街頭に貼られているプロパガンダポスターをパソコンで編集加工したカラフルでポップな抽象画(ウォーホル+レジスタント風)。
 なんだか絵画の歴史を見ているような気分であった。
 共通しているのはみな達者であること。そして「描きたい」「表現したい」というモチベーションの強さが伝わってくる‘気’の込められた作品であること。そのモチベーションの中核をなすのが、生れたときから「在日」という‘くくり’に否応なく入れられてしまった「理不尽」あるいは「特異性」あるいは「恩恵」から派生する複雑な感情なのかもしれない。

在日絵画 002


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 展示期間の最終日だったためか、会場には3人の作家が揃って来ていた。
 興味深かったのは、作家の見た目(風貌や衣装)とそれぞれが描いた作品の雰囲気(スタイル)とが見事にマッチしていたことである。家族画の作家鄭梨愛(チョン・リエ)は、キムチの匂いでも漂ってくるような(決して悪口でも馬鹿にしているのでもない!)素朴で家庭的な感じの女性であった。美人画の作家李唱玉(リ・ジョンオク)は、ライフスタイル誌にでも登場しそうな都会的で知的な美人であった。抽象画の作家鄭裕憬(チョン・ユギョン)は若い頃の手塚眞みたいな、いかにも現代アーティスト風な理論家であった。まあ、見た目とソルティの主観なので、ほんとのところは分からない・・・・・。

 それぞれの描いた作品を見ながら、作家とちょっと話すことができた。
 面白かったのは、鄭裕憬(チョン・ユギョン)の作品と話。
 北朝鮮で民衆を洗脳するのに使われている実際のプロパガンダポスターをパソコンに取り込んで編集加工し、カラフルな水玉模様のポップアートに仕上げている。(上記ポストカードの左の絵)
 一見、子供部屋の壁紙にでもなりそうな色彩豊かな楽しいテキスタイルといった感じなのだが、よくよく見ると絵の中に人物の姿が見えてくる仕掛けになっている。それが、勇ましいプロパガンダのもと「祖国統一と偉大なるキムお父さまを守るために」銃を構えている兵士の輪郭なのだ。
 強い意味を持つプロパガンダポスターから奥行きと表情を消して輪郭のみを残すことにより、そもそもの絵画芸術の実態である‘色彩と形象(輪郭)による2次元表現’に、そもそもの視覚の実態である‘赤・青・緑の3原色のドット認識システム’に変換する。その地点から逆照射することで、プロパガンダポスターに先鋭的に代表されるような我々が共同幻想として成立させている「(意味)世界」の虚構性を暴く。
 それはまた「在日」というレッテルについても同様で、レッテルという共同幻想をつけて他人を知ったつもりになってしまうことで、本当の相手のことを見逃してしまう、真の理解やコミュニケーションの道が閉ざされてしまう。
 彼の話からそんな意図を読んだ。(なので、この作品は元ネタになったポスターを何らかの形で――たとえば裏表に貼り付けて回転できるようにするとか――併置することで、より深い効果を生むのではないかと思った。)

 普段美術展に行っても創作者と話す機会はなかなかない。(ソルティが行くものはすでに作家が故人になっていることが多いので特に) 現代美術であれば、作品の前で作家自身と対話し、作品制作の意図や創作過程を直接聞くことができる。作家の思想や願いを理解する機会が持てる。
 そんな面白さを体験できた。

 一つ聞き逃したことがある。
 3人の作家の母校である朝鮮大学校についてはよく知らないのであるが、そこでは表現の自由がどこまで可能なのだろうか?
 本国より自由であることは間違いないと思うが、美術科の学生たちには在日でない日本人の美大生と同等レベルの表現の自由が確保されているのだろうか。鄭裕憬(チョン・ユギョン)は在校時からこのような作品を作れたのであろうか。

What's in a name? 
That which we call a rose
By any other name
Would smell as sweet.

名前がいったい何だと言うの?
薔薇という名で呼ばれているものは
他のどんな名前で呼んだとしたって
その甘い薫りに違いはないじゃないの
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』より)