1999年吉川弘文館発行

 一遍および時宗についてはほとんど知らなかった。法然・親鸞・日蓮・道元・栄西ら、鎌倉期のほかの高名な祖師たちの影に隠れてしまっている感がある。歴史の授業で習った「踊り念仏」という言葉は記憶に残っているが、「なんだか巫山戯た坊さんだなあ~」というイメージしかなかった。
 時宗も歴史の泡と消えていったのかと思いきや、なんと現在まで脈々と続いているのである。神奈川県藤沢市にある総本山の遊行寺(藤澤山無量光院清浄光寺)を中心に全国に400ものお寺がある。むろん、今でも踊り念仏は行われている。
 知らなかった・・・・
 もっとも一遍には生前、お寺や教団を作る意図はなかったようである。実質的な時宗の開祖となったのは一番弟子の真教である。
 
 一遍は、延応元年(1239年)、伊予(現在の愛媛県)の豪族・別府通広の第2子として生まれた。
 10歳のとき母を亡くし、父の勧めで天台宗で出家。
 13歳のとき大宰府に移り、法然の孫弟子にあたる聖達の下で10年以上にわたり浄土宗を学ぶ。
 25歳のとき父の死をきっかけに還俗し伊予に戻るも、一族の所領争いなどが原因で32歳で再び出家、信濃の善光寺や伊予の窪寺・岩屋寺で修行する。
 35歳より遊行を開始、各地を転々としながら「南無阿弥陀仏」の六字を記した念仏札を配り始める。この頃より一遍を名乗るようになり、時衆と呼ばれる入門者を増やし始め、のちの時宗の礎を築く。
 40歳のとき信濃国にて踊り念仏を始める。
 51歳のとき摂津兵庫津の観音堂(後の真光寺)で没す。死因は過酷な遊行による過労、栄養失調と考えられる。(ウイキペディア『一遍』を参照)

 一遍の信仰の特色は、次の四つで示すことができる。念仏、踊り念仏、遊行、賦算である。念仏は、もちろん、南無阿弥陀仏と声に出して唱えることである。念仏こそ人生でもっとも大切なことであり、その他衣食住のすべての欲望を捨てよ、と一遍は説いた。・・・・また、すべてを捨てて、ひたすら念仏を唱えていると、しだいに興奮して体が動き出し、踊りだすようになる。これが踊り念仏である。娯楽の少なかった昔、踊るのも、それを見物するのもおもしろく、踊り念仏は大変な人気を呼んだ。
 遊行とは、住居を持たず、各地をめぐり歩くことである。念仏を布教するためである。一遍は16年間、夏の暑い日も冬の寒い日も、日本中を歩きまわった。すべてを捨てて。「捨聖」と呼ばれたゆえんである。・・・・賦算というのは、「南無阿弥陀仏」と印刷された10センチたらずの紙の札を会う人ごとに配ることである。念仏に関心を持たせ、念仏の信仰に入ってもらうためである。

 ひたすら念仏を唱えながら一心不乱に踊ることが、なぜ救いの道につながるのか。
 実際にやってみないことには何とも言えないが、連想するのは、黄色いローブを着て「ハレー・クリシュナ ハレー・ラーマ」とか歌い踊りながら道行く人に布教するクリシュナ意識国際協会の人たちである。詩人アレン・ギンズバーグやビートルズも傾倒したインド出身の尊師A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダによって1966年に設立されたこの団体は、ヒッピー文化の象徴といった趣きがある。ソルティも若い頃(80年代)、新宿駅あたりで独特な躁的オーラーを発散しながら踊っている信者たちを見た記憶があるが、今はどうしているのやら・・・。90年代のオウム真理教事件の影響を受けなかったはずはあるまい。
 ともあれ、敬愛する神や仏の名前を繰り返し唱えながら踊るという点で、時宗とクリシュナ意識国際協会は似ている。たびたび当ブログにコメントをお寄せくださる石井利男さんの示唆によると、「口に神の名を唱え、身体に神を招来し、恍惚として踊り巡るインドのバクティ・ヨーガは、日本における一遍上人の踊り念仏(後の時宗)と深い共通性を持つ」(『仏教とヨーガ』(保坂俊司著、東京書籍)とのこと。

神への純粋な信愛を培い、グルがいる場合はグルを、その他の普遍的な愛の対象がある場合はその対象を、超意識(宇宙的な意識)の化身とみなし、全てを神の愛と見て生きるヨーガ。(ウイキペディア『バクティ・ヨーガ』)

 思うに、すべてを捨てて放浪に生きた一遍はまさに鎌倉時代のヒッピーだったわけで、そこが60年代後半の先進諸国の若者たち(フラワーチルドレン)と時間や空間を超えてシンクロしているのかもしれない。

 一遍は踊り念仏を大いに広めたが、彼自身は偉大な先達である空也上人に倣っただけと言っていた。その理由を著者はこう述べている。

 鎌倉時代の日本では、何か新しい宗教的境地をひらいても、新しい宗教を作ったとして布教することは不可能に近かった。なぜなら、宗教はすべて仏教の範囲を出ることはできなかったからである。いい換えれば、新しい救いの道をひらいたとして、それを正当化するためには仏教の論理や経典、高名な僧を使うことが必要であった。そうすることによってのみ、社会の人びとの支持が得られたのである。これは日本の古代・中世を通じての常識であった。中世末期に伝わってきたキリスト教でも、神(デウス)は大日如来であるとか、仏教教義にのっとった説明の仕方にならざるを得なかったのである。 

 なるほど~
 (鎌倉期に興った仏教は、釈迦本来の仏教はもとより、中国由来の仏教とも、奈良・平安時代の仏教ともずいぶん様相が異なっている。ならば、何も仏教と称する必要はない。親鸞教なり、日蓮教なり、道元教なり、一遍教なりと、祖師自らの名前をつけて新たな教えとして布教すればよい。わざわざ仏教に押し込める必要はない。そんなことするから、日本の仏教は複雑怪奇なわけのわからないものになってしまったのだ。)
 ・・・・・と思っていた。
 だが、上記のような事情があったのである。
 民主主義の、信教の自由のある現代なら、既成の宗教とはまったく世界観(彼岸観)も目的も儀式も語彙も異なる新たな宗教を作り、教団を立ち上げ、教祖になることもできる。たとえば、「‘人生は芸術である’の真理のもと、各人の真の個性を世の為人の為に最大限発揮し、ひいては世界人類永遠の平和と福祉の為に貢献する事を目標とする」PL教団のように・・・。法に触れたり公共の福祉に反したりしない限り、国家から弾圧を受けることもなければ、「破防法」の適用を受けて潰されることもない。
 民主主義以前の日本ではそうはいかなかったのである。新しいユニークな教えを広めるためには、国家から認可・保護されている神道や仏教といった隠れ蓑を必要としたのである。
 この視点から、わが国の大乗仏教の多様性(一見なんでもあり)を捉えないと片手落ちとなろう。

 一遍の残した和歌には含蓄あるものが多い。

みな人の ことありがほに おもひなす
こころはおくも なかりけるかな
(誰でも心には特別なものがあるように思っているが、そうではない。底の浅いものなのだ。)


こころより こころをへんと こころへて
心にまよふ こころなりけり
(自分の心をはっきりつかもうと心で思っても、つかめずに迷ってしまうのが凡夫である自分の心であるのだ。)


をのづから あひあふときも わかれても
ひとりはをなじ ひとりなりけり
(たまたま人と会っているときも、一人でいるときも、一人の人間は一人なのだ。一人で生き、生活し、死ぬのが本来の姿なのだ。)


身をすつる すつる心を すてつれば
おもひなき世に すみぞめの袖 
(自分を捨て、捨てようという心も捨てれば、もう何もこの世のなかに未練はない。そしてそこから新しい人生が広がる。価値観が変わる。)


すててこそ みるべかりけり 世の中を
すつるもすてぬ ならひありとは
(何もかも思い切って捨ててみたら、実は、ほんとうに大切なものは捨てていなかったことがわかってきた。俗世間で貴重だとされている妻子・衣食住を捨てたからこそ、その大切なものが見えてきたのだ。それがわかったのだ。)

 魅かれる・・・・・。