2008年アメーバブックス新社発行。


 いわゆる‘スピリチュアル’に関心を持つ日本人で、モリケンこと森田健の名を知らない人はいないだろう。オカルトならつのだじろう、UFOなら矢追純一、怪談なら稲川淳二、霊視なら江原啓之、へミシンクなら坂本政道・・・・・と、分野や領域によって権威というか斯界のエースはいるものだが、森田健の領域は「不思議かつ新しいこと」である。
 日本人ではじめてヘミシンクが体験できるアメリカのモンロー研究所を訪れたのもモリケンだし、中国にある「生まれ変わりの村」を取材し日本に紹介したのもモリケンである。
 何と言っても、この人の肝は「怖いもの知らずの驚異的なフットワークの軽さ」にある。自分のアンテナ(心)に引っかかる「不思議」あれば、世界のどこであろうとすぐさま駆けつけて、言語や文化や宗教の違いなどおかまいなく、好奇心の発動するままに関係者に会って取材し、自分の体を使って実験し、必要あれば弟子入りして修行する。そして、その体験の一部始終を日本に紹介してくれる。
 日本スピリチュアル界きっての冒険野郎、変人、開拓者、自由人であるのは間違いあるまい。その点で、別記事に書いたボブ・フィックスといい勝負だと思う。本書中でも使われている‘モリケンワールド’という言葉が巧みにも表しているが、読者はモリケンからもたらされる新しく不思議なスピリチュアル情報を面白がるだけでなく、自由自在・融通無碍・境界突破のモリケンの行動や生き様に惹かれるのである。むろん、ソルティもその一人。いつでもモリケンの書いている中味以上に、モリケン自体が面白すぎる。

 本書は、発行元のアメーバブックス新社取締役編集長で小説家の山川健一を相手に、モリケンが自身のスピリチュアル的人生遍歴を語ったものである。子供の頃の体外離脱体験から始まって、上智大学時代の神学&哲学的洗礼、勤めたコンピューターメーカーをいきなり退職し「不思議研究所」を設立、フィリピンでの体を張っての心霊治療、中国でのテレポーテーション実験、ヘミシンクでは亡くなった息子との感動の再会秘話、仙人を目指して美人導師とエロティックな道教修行、謎の中国人トラさんから習ったコイン占いで株で一儲け、生まれ変わりの村訪問・・・・・。まさにジェットコースターのように激しく、メリーゴウランドのように目まぐるしい人生である。
 以前から、「この人はどうしてこんなに世界各地を飛び回れるのだろう? そんなに本が売れているのか?」と不思議に思っていたのだが、なんと従業員十数人のコンピュータソフト会社の経営者なのであった。事業が順調で仕事は従業員任せ、あくせく働く必要はないのである。うらやましい限りだ。というか、そうした環境を容易に作れる才覚の持ち主でありながら、本人の最大関心事(=生きがい)は財形にも権勢にもなく、「不思議なこと」にあるってのがカッコいい。マーラーの『復活』だけを指揮したビジネスマンのギルバート・キャプランみたいである。
 たぶん、その人生において生活の心配などしたことがないに違いない。

 この本を読んで、モリケンの実験精神というか「毒食らわば皿まで」的な求道精神に恐れ入った。
 フィリピンの心霊治療体験では、自らが実験台となって自作の発信機をケツの穴から入れてもらい、それを施術者(神父)に外科的手段によらず腹から取り出してもらう、ということをやる。そのために下半身すっぽんぽんでベッドに横たわる。
 

 お尻から入れる時、わりと軽い気持ちでベッドに横になってうつぶせになっていたら、その神父さんがなんと右手を深々と入れたんです。・・・・・・・
 普通、いきなりフィストまでは入らない。指を何本か入れて何ヶ月もかけて調教して、アナルが拡大したところで、最後にフィストプレイに移るらしいです。
 そういう趣味の人にとっては、アナルは快感らしいのですが(笑)。私は最初から全部入れられて、その叫び声は50メートル先に停まっていた車まで聞えたそうです。


 凄い。凄すぎる!


 ほかにも、仙人の精液を飲んで仙女になったという女性の話を聞いて自らの精液を飲んでみたり、対極の性を経験し視点を増やすために女装にチャレンジしたり(その格好でクラス会に参加している写真が掲載されている。それがまた結構、綺麗なんである!)、なんつうか、普通なら‘変態’と括られがちな領域まで果敢に踏み込んでいる。(一応、本人は女性と結婚して娘もいるらしい)。
 普通の男がもっともできないようなことを平気でやって、あくまで本人は明るく軽やか。年齢も性別もジェンダーも国籍も超えていく、とらえどころのない自在でボーダレスな生き方は、あたかも量子(quantum)のようだ。


 1951年生まれのモリケンは現在60代半ば。
 本書では、これまでの数々の不思議体験や取材や調査によって導き出された、モリケンの「この世観」「あの世観」の一端も開陳されている。それが興味深い。

 そういうことがあって(ソルティ注:コイン占いで)お金は儲かったんだけど、運命が決まっているということを受け入れるのが大変でした。何しろ私は、自由になることが人生のテーマのひとつだったから。
 でも、観念したんです。むしろ早く気づいてよかった。
 運命が決まっているということに・・・・。
 自分の努力といったようなものは運命の中では「織り込み済み」だということに・・・・。
 夢や希望を持ったって無駄だということに・・・・・。
 一生だまされて生きるのは嫌ですからね。
 トラさんとのコイン占いがないと、ここまで達することが出来なかったです。運命は決まっているという前提に立たないと「運命を変える」という次のステップに入れませんから・・・・。


 この世は全部がんじがらめな歯車のようなものなんです。我々の人生がそれぞれがんじがらめなように、他の人の人生、お互いの関係もがんじがらめなんですよ。


 運命を自分自身で変えることは不可能なんです。外から変えるしかないんです。


 モリケンのスピリチュアル探訪の出発点にして人生最大テーマは「自由の探求」にあった。自由を求めて会社を辞め不思議研究所を作り、この世とあの世の仕組みを知ろうと冒険を重ねた挙句の果てに達した結論が、「自由はない。すべては運命によって決められている」だったのである。
 なんという皮肉か。
 これは、別記事で取り上げた前野隆司の『受動意識仮説』と同じ結論(=運命論=因縁論)である。

 だが、モリケンは運命は変えられると言う。
 その方法とは、

 ひと言で言えば、自分を肯定して、運命を受け入れ、すべてを手放せばいい。
 欠点も愛おしい自分の一部だと受け入れることが出来た時、人は時空そのものに広がると思います。


 運命を受け入れると、運命が変わる。
 なんだか禅の公案みたいだ。