老人介護の仕事の面白さの一つは、昔のことを当事者から聞けることである。
 昔のこと、と言っても明治生まれはもう数えるほどしか日本にはおられないので、大正後期から昭和の初め(戦前)にかけてのことである。
 ソルティが興味を持つのは政治や事件などの社会的出来事ではなく、日常生活のちょっとした雑学である。

 先日もご利用者と一緒にレクリエーションで童謡を歌っていた。今日のような雨の日であった。
 北原白秋作詞、中山晋平作曲の『あめふり』(1925年=大正14年発表)を歌い終わったときに御年89(昭和4年生まれ)の女性が言った。
「蛇の目って、お金持ちがさしていたのよね」
 すると、周囲の女性たちも「そう、そう」といっせいに頷いた。

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

「へえ~。蛇の目ってミシンのことじゃなかったんですか?」とお約束通りボケる。
「あははは。違うわよ。傘よ。じゃ・の・め・がさ」
「それ、どんな傘ですか?」(ここぞとばかり「回想法」による認知機能アップをはかる姑息なソルティ)
「骨組みは竹でできて、そこに和紙を張って油を塗るの」
「ああ、水をはじくために油を塗るんですね」
「そう。傘を開いたとき上から見ると蛇の目模様しているから、蛇の目って言うのよ」


蛇の目傘               
蛇の目傘

和傘はおもに竹を材料として軸と骨を製作し、傘布に柿渋、亜麻仁油、桐油等を塗って防水加工した油紙を使った。和傘には番傘(ばんがさ)や蛇の目傘(じゃのめがさ)、端折傘(つまおれがさ)などの種類があり、蛇の目傘は、傘の中央部と縁に青い紙、その中間に白い紙を張って、開いた傘を上から見た際に蛇の目模様となるようにした物で、外側の輪を黒く塗ったり、渋を塗ったりするなどの変種も見られる。(ウィキペディア「和傘」より)


 会話は続く。
「ふ~ん。それで蛇の目がお金持ち御用達なら、貧乏人は何をさしていたんですか? あっ、わかった! 蓑笠だ!」
「あははは。違うわよ。庶民は番傘を使っていたの」
「へえ~」

 ソルティは蛇の目傘と番傘の違いを知らなかった。
 番傘とはなにか。

和紙を張った粗製の雨傘のこと。江戸時代の中頃から竹製の骨に厚めの油紙を張った雨傘が普及した。上等のものが蛇の目傘であるが,番傘は一般に2尺6寸 (約 80cm) の柄に 54本の骨を糸でくくり,直径は3尺8寸 (約 115cm) 。商家で客に貸したり,使用人が利用するため,紛失を防ぐのに屋号や家紋とともに番号をつけたので,この名が出たといわれる。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「番傘」より)

 時代劇でよく浪人したお侍さんが内職で傘を作っているシーンが出てくるが、あれは番傘を作っているのである。今の感覚で言えば、番傘=ビニール傘ってところか。もちろん使い捨てはしなかっただろうが。

 「じゃあ、この歌に出てくる子供の家は裕福なんですねえ」
 「そうらしいわね。ウチは番傘しかなかったわ~」

番傘
番傘

 傘が出てくる童謡と言えば、ほかに『雨降りお月さん』がある。

雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
お馬にゆられて 濡れてゆく
(野口雨情作詞、中山晋平作曲、1925年=大正14年発表)

 ここに歌われている「からかさ」は唐傘と書き、紙と竹でつくられた和傘一般のことを言う。語源の由来は「唐(中国)から来た傘」という説と「からくり傘」を略したという説がある。上記の歌の「からかさ」は、お嫁入りに使われるのだから番傘ではあるまい。蛇の目を想定しているのだろう。


 蛇の目傘について調べていたら気になる記述があった。

 元禄年間からは柄も短くなり、蛇の目傘がこの頃から僧侶や医者達に使われるようになった。(ウィキペディア「和傘」より抜粋)
 
 なぜ、僧侶や医者から始まったのだろう?
 
 ここからはソルティの推測に過ぎない。
 まず江戸時代以前の医者は僧侶も兼ねているのが普通であった。なので、蛇の目傘はなによりまず僧侶の印だったのだろう。傘をさしていると禿頭が見えない。そこで蛇の目の印をあしらうことによって、道行く人に「ここに坊主あり」と知らせる働きがあったのではなかろうか。

蛇の目紋


 なぜ蛇の目か?
 蛇の目はそもそも家紋の一種であった。豊臣秀吉の家臣であった加藤清正が好んで用いたと言われる。加藤清正と僧侶の接点はなにか?

ほかに、蛇の目を使用した人物には、日蓮宗の開祖日蓮がある。これにちなみ、使用者は日蓮宗宗徒であることがあり、南部実長、加藤清正などの使用がある。(ウィキペディア『蛇の目』より)
 
 ビンゴ!

 つまり、最初に日蓮宗の僧侶が宗派(兼所有主)を示す印として「蛇の目」を傘にあしらったのが、時を経て一般の僧侶たち(医者も含む)にも広まり、さらに庶民(裕福な階層)に広まったということではなかろうか。


 ご利用者とのちょっとした会話に端を発した雨の日の探求であった。


P.S. 「ジャノメミシン」の社名の由来についてはこちらを参照。