結願したあとは、高野山にお礼参りするのが慣わしになっている。

例によって、慣わしにはさしてこだわらないソルティである。
高野山には宿坊を含め、何回か行っているけれど、あまり強い思い入れはない。
聖地とかパワースポットという意味では、伊勢神宮や出雲大社に如くはないし、弘法大師が修業していると言われる奥の院は、昼なお小暗い広大な墓地で、戦い好きのお歴々が呉越同舟して集っているので、決して気持ちのいいところではない。

それでも、徳島港から南海フェリーに乗って和歌山に渡ったのは、一つにはすぐに東京に帰る気がしないからである。
遍路タイムから日常に立ち戻るためのクールダウンが必要だ。

今一つは、納経帳の最初のページが高野山のご朱印スペースになっているので、そこを埋めたいからである。
コレクターの業?


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かくして、67日ぶりに本州の土を踏んだ。

奥の院で読経して、ご朱印をもらい、世界遺産の建物を見学することなく、そそくさと山をあとにした。


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面白いことがあった。

山門から奥の院に向かうバスの中、80才くらいの男性が、ソルティを見るや近づいて来て隣りに座った。
そして、挨拶も自己紹介も何の前置きもなく、数年前に亡くなった妻の話を始めたのである。

女房は69で亡くなった。
遺言で高野山に弔った。
信仰深く、何度も高野山に行き、毎日般若心経を唱えていた。
自分は商売が忙しく、神仏にも関心なく、女房に誘われても一度も一緒に行かなかった。
それを後悔している。
亡くなったあと、三日に一度は夢に出てくるようになった。
自分の健康に気づかってくれて、どこそこが悪いから病院に行け、とか教えてくれる。
再婚して幸せになって、と言ってくれる。
「今日は、知り合いの誰それさんがお見えになるよ」と教えてくれる。(それがいつも当たる!)
いつも30才頃の若い姿で出てくる。
自分は神仏を信じないわけにはいかなくなった。
今日は、女房の7回目の命日です。

よく通る男性の声は、乗客すべてに聞こえただろう。
遍路のおかげで、会ったばかりの人との会話慣れしていたソルティは、周囲を気にすることなく、話を聞いていた。

最後に、ソルティが四国遍路を終えたばかりと知ると、男性はこう言った。
「自分は今は大阪に住んでいるが、生まれは愛媛県です。八幡浜と言って、近くに別格の金山出石寺があります。知っていますか?」


もちろん、知っている。