毎朝宿を出発する前に必ず済ませておきたいものはトイレである。
街中を歩くならコンビニや公共施設や民家のトイレを借りることもできるが、たとえば室戸岬に至る長い海岸線や山の中の道を歩く日は、途中にトイレがないことを前提にしなければならない。


むろん、男の場合、小はなんら問題ない。
大自然への放物線描きはいくつになっても気持ちよいものである。

小便小僧
祖谷渓谷の小便小僧


問題は大である。

「できれば野グソはしたくない」というのは自然保護の意識からか、文明人の証拠か、それとも荷を降ろして衣類を脱ぐのがメンドクサイからか。
この場合、寒さは理由にならない。
四国にいる間、暖かい日が続いていた。

衣類の件は大きいかもしれない。
というのも、ソルティは巡礼者正装の白衣の替わりに白ツナギを着ていたので、大をするとなると脱衣に難儀するからである。
ツナギを肩から脱いで膝まで下ろし、両方の膝の裏にたくし込む。
両袖は地面に触れないように腹とモモの間に挟み込む。
(別にスタイルを想像しなくてよいです)

朝食後に排便してスッキリしてから出発したいのはヤマヤマであるけれど、そう希望通りに胃腸は働いてくれない。
結果として、今回の遍路中、2回の野グソ体験があった。
奇妙なことに、別格1番大山寺に向かう山道と、別格20番大瀧寺に向かう山道であった。
別格の最初と最後で野グソするとは、どんな意味があるのだろう?
どちらの寺にもがつく? 

(_´Д`) アイーン


頭陀袋の中には納経書や地図や財布と共に、ティシュペーパーが常に4,5個は入っていたし、ウェットペーパーも持っていたので処理には問題なかった。
地元住民の目がないのを確認し、他の遍路がやって来ないのを確かめ、へんろ道から逸れた然るべき場所を選定し、四国の大地という納経書にソルティ印を押した。

大瀧寺への道


数日間一緒に歩いたアメリカ人女性とこの話題で盛り上がったことがある。
彼女は朝の静かな林道を歩いているときに小を催して困ったという。
トイレを借りられそうな民家もお店も見当たらず、どうにも我慢できなくて、木の陰に隠れて事をなそうとした。
が、道路から体を隠せるような太い幹が見つからなくて、仕方ないので細い木の後ろで秘所だけ隠れるようにしゃがみ込んだ。
むろん、周囲に誰もいないのを確認して。
放尿の心地よさを味わっていたら、不意に左方向から車の音がした。
「いままで数時間まったく一台も通らなかったのに、こんな時に限って・・・!」
と苦々しい思いをしたが、さらに腹の立つことに、運転席にいるのは日本人の中年男性で、木陰にしゃがんでいる彼女の姿に気づき、スピードを緩めた。
(善意に解釈すれば、具合が悪くなってしゃがみ込んでいる女性がいると思ったのかもしれない。)
いまや途中で止めることはできない。
彼女は、車の移動(運転手の視点)に合わせて、木の幹の回りを四股を踏むように半周したそうだ。
「おかげで、まんべんなく木に水やりできた」
女性は大変である。




野グソする 足もとに咲く 四つ葉かな


山路来て イチョウで覆う 野グソあと