別記事でマイケル・シンガーの『サレンダー』という本を取り上げたが、実を言えば、四国遍路でソルティが学んだ最も大きなことはこのサレンダー、すなわち「流れを信頼して身をまかす」ということであった。

 そもそもソルティは仕事を辞めて来たので、時間はたっぷりあった。四国に入る前から、「2ヶ月くらいかけてのんびり気ままに歩こう」という心づもりでいた。
 ものの本によれば、四国遍路88ヶ所を歩きとおす平均日数は45日、これに別格札所20ヵ所を加えると50日あまりと言う。ところどころ観光したり、寄り道したり、オフ日を入れても、60日あれば108札所を十分結願できよう。山歩きを趣味とし、介護の仕事で日々フロアを走り回り、全長100kmの秩父巡礼を経験していたソルティは、同じ年代の男と比べれば健脚なほうと自負していたので、実際には60日かからないだろうと踏んでいた。9月27日に1番霊山寺をスタートしたとき、結願をおおむね11月20日過ぎと予想していた。
 それが蓋をあけたら結願まで65日、平均日数を10日以上オーバーしてしまった。のんびりにも程がある。
 なんで、こんなにかかったのか? 

クロアゲハと彼岸花


 たしかに最初のうちは意識的にゆっくり歩いていた。
 歩き慣れていないビギナー遍路の多くは、しょっぱないきなり飛ばして、すぐに膝を痛めマメをこさえ筋肉痛に苦しみ、最初の難関である12番焼山寺を身体的に最悪な状態で迎えることになる。ここが「へんろころがし第1位」と称されるわけは、実際の山道の険しさ以上に、こういった遍路側の事情があろう。
 苦難の末に焼山寺を越え、足を引きずりながら17番井戸寺まで打ったところで、半分の遍路が挫折し、最寄りの府中(こう)駅から列車に乗って徳島駅に戻り、泣く泣く帰途につくと言われる。
 ソルティはその辺の事情を数々の体験記を読んで知っていたし、秩父巡礼の時に足のマメができる辛さも経験済みだったので、最初こそゆっくり歩こうと決めていた。普通、焼山寺越えは歩き始めて三日目にやって来るのだが、ソルティの場合、別格も回っていたし、台風にぶつかったこともあって六日目にやって来た。その頃には、初日にできた足のマメはすでにつぶれて平らになっており、筋肉痛もおさまって、登山するのにベストなコンディションができていた。
 焼山寺は、日帰りハイキングガイドブックに載ってる中級レベルの山と感じた。
「これが、名にし負う、へんろころがし?」とあっけなく思った。


焼山寺境内
12番焼山寺境内


府中駅
徳島線・府中駅


 開始2週間過ぎて徳島から高知入りしたあたりで、軌道に乗った。ここまで一日20kmペースで歩いていたが、余裕を感じるようになった。抜きつ抜かれつしながら一緒に歩いてきた遍路仲間たちは、このあたりからペースを上げだした。一方、ソルティは、1時間ごとの休憩を律儀に守りながらペースを変えず歩いていた。宿のチェックアウトはいつもドン尻だったし、興味を引かれた事物あれば寄り道した。結果、どんどん皆に置いて行かれるようになった。
 ま、余裕こいていたのである。
 なんたって60日もある!

 さすがに室戸岬を回ってからは一日25kmに設定を上げた。総計1400kmの道を60日以内で回るには一日23km以上こなす必要があるから、これは最低ノルマである。
 歩き慣れてしまえば一日25kmはきつくない。足に筋肉が付きはじめ、自然と歩く速度も増した。寄り道してもお釣りが来る。特に先を急ぐこともなく、雄大な太平洋を左手に眺めながらマイペースで歩くへんろ道は、快適至極であった。


金剛頂寺から室戸岬をのぞむ
26番金剛頂寺から室戸岬を望む


吉良川町のまちなみ
吉良川町の蔵並み(なまこ壁と水切り瓦)


 36番岩本寺から足摺岬先端の37番金剛福寺に至る四国遍路最長区間(80.7km)を、一日30kmペースで刻んだ。もう大丈夫。先行きに自信が生まれた。この調子なら、60日結願は固いだろう。オフ日を入れても55日くらいで上がれるかもしれない。
 足摺岬を打った後の遍路道は3つに分かれるが、ソルティが岬を回って西海岸を行く最長ルートを選んだのは、自信の表れにほかならなかった。選択は当たり、素晴らしい出会いの連続であった。


見残し海岸
見残し海岸


大月小学校の激励
月山神社の峠道


 高知県最後の札所39番延光寺に向かう途中、右足の甲の部分に痛みを感じた。西海岸随一の名所見残し海岸のゴツゴツした岩場を登り降りして、知らないうちにくじいたのだろうと思った。歩き始めてちょうど一ヵ月、疲れもたまっていた。
 右足を引きずりながら宿毛市のホテルにたどり着いて、冷湿布をし、サポーターをつけて横になった。夜中に吊るような痛みがあった。朝起きても痛みは引いてなかった。見たところ、腫れも赤みも青アザもない。熱っぽくもない。が、床に足をつけて歩くと痛みが走った。特に、階段を下りる際に足の甲が伸びるとズキンときた。
「捻挫? それとも・・・・疲労骨折?」
 はじめて、遍路挫折の可能性を思った。ここ数日、調子に乗りすぎた自分を後悔した。
 日曜日だったので病院はやってない。一日ホテルのベッドで足を休めていようかと思ったが、窓のない狭い部屋に居続ける圧迫感は耐えがたかった。むろん遍路は無理だ。電車と自転車を利用して四万十観光した。四万十の温泉に浸かったら、多少楽になった。どうやら、冷やすより温めるほうが良いらしい。

 翌朝起きたら痛みは和らいでいた。が、長く歩くのは無理そうだった。甲が伸びないように、持参していた膝当て用のサポーターで右足首をきつく固定した。
 宿毛から愛媛県に入るには標高300mの松尾峠を越えるのが一般だが、迂回して、傾斜のなだらかな国道を行くことにした。もちろん、一日30kmなんて冗談じゃない。25kmだってきびしい。
 いま振り返ると、この宿毛から第40番観自在寺までの約21km、高知から愛媛に入る道、全行程のほぼ折り返し地点――ここが遍路中最大のピンチであった。いつ右足が悲鳴を上げて、これ以上歩けなくなってギブアップすることになるか、予測がつかなかった。頻繁に休憩を入れながら、足をかばいつつ、祈りながら歩いた。


癒しの里みち


 この日を境にペースダウンを余儀なくされた。一日20kmに舞い戻った。愛媛県の昔ながらのへんろ道は峠越えが多いのだが、無理せず、国道の迂回路やトンネルを使った。いまや時速3km以下の鈍行ペースである。
 宇和島市から鳥坂トンネルを抜けて大洲市へ、思い出深い別格7番金山出石寺、古い商家の町並みがエレガントな内子町から鶸田(ひわた)峠、紅葉真っ盛りの久万高原。おおむね一日20㎞ペースを維持した。
 鈍行列車で行く旅が、急行列車が瞬く間に通過してしまう窓外の風景を楽しませてくれるように、鈍行ペースで歩くへんろ道は、急行ペースでは味わえない楽しい出会いの連続であった。鈍行列車さながら、ソルティもあとから来る急行遍路たちに次々と追い抜かれていった。
 ありがたいことに足の調子は徐々に良くなっていた。捻挫でも疲労骨折でもなかったらしい。
 なんだったのだろう?

宇和島城
宇和島城

内子の商家
内子の商家


 道後温泉(松山市)に着いたときには、痛みはすっかり消えていた。
 今後の計画を練ることにした。
 ここまでで全行程のおよそ2/3である。歩き始めてすでに45日が経っている。このペースだと60日では終わらないことが判った。。
 焦りが生じた。

 最初に書いたように、時間は問題でなかった。いついつまでに東京に戻らなければいけないというタイムリミットはなかった。
 問題は予算である。
 ソルティは60日分の予算として、480000円を用意して四国入りしていた。
 内訳は、
  一日7000円×60日=420000円
  御朱印代300円×120ヶ所=36000円
  帰りの交通費15000円
  予備費9000円
 
 多少足が出てもマックス50万と決めていた。というよりそれが限度だった。
 残りの路銀を勘定したら15万円しか残っていなかった。ここから帰りの交通費と残っている札所の御朱印代を除くと12万円。一日7000円使うとして17日分である。17日のうち2日は高野山(和歌山)と東寺(京都)のお礼参りに当てるとして、残り1/3の行程(約470km)を15日で歩かなければならない。
 470÷15=31.3333333・・・・・・・・・
 この先、一日30km以上の歩行が必要だった。

 
坊ちゃん列車
坊ちゃん列車(松山市)


 気持ちを入れ替えて頑張って歩くことにした。
 と言っても、一日30kmは大方の遍路にとっては普通である。一日35~40km歩く遍路もざらにいる。皆それぞれ、足腰の痛みや疲労を抱えながら毎日コンスタントに歩いている。そもそも遍路は遊びと違うのだ。
 「遍路=苦行」とはまったく考えていないとは言え、ソルティはちょっと自分を甘やかし過ぎたようだ。

 松山市から今治市までは、瀬戸内海を左手に見ながら国道をひたすら進む、ほぼ平坦な道である。ここが距離の稼ぎどころだ。松山市街から伊予亀岡、伊予亀岡から今治市街と、二日続けて30km歩いた。このペースだと寄り道はほとんどできない。足を止めて地元の人とゆっくり会話するといった道草もあまりできない。ひたすら先を急ぐ感じになる。
 三日目に、風邪でダウンしてしまった。


すけ家の部屋


 西条市の宿で三日養生した。
 頑張って稼いだ60kmの貯金は帳消しになった。が、別記事に書いたように、この風邪が、快適でリーズナブルな宿の発見と、親切で明るい女将との出会いと、英国イケメン青年含む同宿者との楽しい触れ合いをもたらしたのである。災い転じて福と成す。
 三日目の夜に、こんな夢を見た。
 
 ソルティはどこかの会社でスーツ姿の男たちに混じって会議している。喧々諤々の議論中である。そこにグラッと来た。
 「地震だ!」
 思わず席を立ち、戸惑う男たち。
 すぐに治まるかと思いきや、揺れはどんどん大きくなっていく。男たちは蜘蛛の子を散らすように会議室から飛び出していく。
 一人残ったソルティは、近くの柱にしっかりつかまって様子を見ていた。
 揺れはさらに激しくなり、会議室の壁がはがれ、天井が落ちてきた。建物が崩壊しだした。
 と、土台から引っこ抜かれた建物は、空中に投げ出された。
 地震かと思ったのは竜巻だった。
 『オズの魔法使い』のドロシーのように、ソルティはビルごと巻き上げられ、凄まじい轟音で旋回する渦の中にいた。
 風に巻き込まれないよう柱につかまり続け、バラバラに解体し散っていく建材を見ている。
 そのうちに、自分が風に抵抗し続けているののがバカらしく思えてきた。
「もういい! どうとでもなれ!」
 つかまっていた手を離した。
 途端に、吹き荒れる暴風の勢いのまま、左右上下に体が引っ張られる。
 完全に脱力したソルティは、風の中の木の葉さながら運ばれるにまかせた。
 しばらくその状態で空中を浮遊していた。
 と、急に風の勢いが止んだ。
 真綿のように柔らかい風に包まれて、つっつーと地面に降り立った。
 「ここはどこ?」
 周囲を見回すと、そこは生まれ育った実家の庭だった。

灌頂滝の虹
灌頂の滝にかかる虹(別格3番慈眼寺近く)


 ここに到って、達観した。
 一日30km以上歩くと、なにかしら不都合が起こる。最初は足の痛み、次は風邪。
 あたかも、ソルティが道を急ぐことを四国が許してくれないようだった。
 残り予算を心配し、あれこれ計画立てて、頑張って歩こうとしても、ソルティの意志を超えたところに何らかの計らいがあるような気がした。その計らいを信じて、成り行きにまかせるのが得策のようだ。
 サレンダー! 

 そこからは急ぐのをやめた。一日25kmを上限とし、経費についてはできるだけ安い宿を探して素泊まりした。一日7000円の予算を一日6500円、最終的には一日6000円に切り詰めた。安くていい宿は簡単に見つかった。

毛利荘
遍路ハウス・毛利壮(四国中央市)
風呂トイレ付2DKの普通の一軒家が素泊まり3000円


 先を急ぐのを止めると、旅は豊かになる。視点が「先」から「今ここ」に移るからだ。
 道中出会う人々、風景、宿、犬や猫などの動物、花や木、道端の地蔵や大師堂、お店や看板、もちろんお寺や神社、それらとの出会いそのものが旅の目的になった。そうなると不思議なもので、いろいろラッキーなことが起こるように思われた。
 天候のタイミングがぴたりと合った。山登りのある日は見事に晴れ渡り、最高の景観が楽しめた。紅葉の名所に最適なタイミングで訪れることができた。素晴らしい宿との出会いが続いた。ご主人にドライブに連れて行ってもらったり、女将に近場のホテルの温泉券をもらったり、夕食後に管理人さんと一緒にスペイン巡礼(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)のビデオを観ながら体験談を聴いたり・・・。あちこちの街で地元の人と会話する機会が増え、耳よりな情報やローカルネタを仕入れることができた。やはり、こちらが先を急いでいないのが伝わるから、相手にしてみれば、誘いやすいし声をかけやすいのだろう。
 面白いことに、「今ここ」ペースで歩いていると、同行者はなぜか日本人より外国人になる。彼らの多くは口を揃える。
「なんで日本人の遍路はあんなに急いで歩くのですか?」


仏足石と赤い花


 流れにまかせたことで、物事はよりスムーズに進み、旅はより驚きに満ちた楽しいものとなった。
 あたかも、結願に向けて、四国がそのすべての美点を惜しげなくソルティに開示してくれているかのように感じられた。
 結局、結願まで65日を要したものの、経費は50万円以内に納まった。
 これ以上短くも長くもできない。まさに65日という日数が、四国が自分にくれた贈り物だったのである。


雲辺寺に行く道で
66番雲辺寺に向かう道