2010年文藝春秋

 失業中の昼夜逆転の生活からなんとか脱したいと意図するも、こういう小説に当たってしまうと、もろくも潰えてしまう。
 上下巻、まるまる一昼夜通しで読んだ。猟銃による生徒40名大量殺戮の一夜を描く下巻途中からは、コーヒーブレイクも許さない圧倒的吸引力。このサスペンスフルな体験は、高校時代にクリスティの『そして誰もいなくなった』を読んだとき以来かもしれない。どちらも皆殺しへのカウントダウンが、おぞましくもファナティックな燦然たる効果を生んでいる。
 読み終わって時計を見たら、朝6時だった。


悪の教典


 英語教師・蓮実聖司が、自ら勤務する私立高校を舞台に実行する猟奇殺人の一部始終が描かれる。
 著者貴志祐介の該博な知識とストーリーテリングの上手さ、なによりも時折差し込まれるブラックジョークの秀逸なる出来栄えに感嘆惜しまず。実際、殺戮シーンで爆笑すること数回あった。

 最後の一人となった生徒が自ら命を絶ったのを発見した蓮実教諭は、出番を失った猟銃片手にこう独りごちる。
 
 最後にクラスから自殺者を出してしまったことは、担任として残念でならなかった。射殺されるのは、事故と同じでほぼ不可抗力である。しかし、自ら命を絶つ、生き延びる努力を放擲するというのは、現在の教育が抱える何か根本的な問題に起因しているような気がした。


 2012年公開の三池崇史監督の映画では、正統派さわやかイケメンの伊藤英明が主役を演じていたが、まさに蓮実は見た目そのとおりの人物である。教師として有能で、生徒からも同僚からも管理職からもPTAからも信頼され慕われている。しかし、その本性は、自分にとって邪魔なものを排斥するのになんら痛痒も感じない稀代のサイコパスだった。

 このサイコパスぶりがすごい。
 人並みの感情を持ち合わせず、世間一般の善悪や倫理の観念に縛られない「自由な」男、彼を律するは強固な生存本能と快楽主義のみ。目的達成のためには、コンピュータのような解析力と正確さで瞬時に情報処理し、いささかの躊躇も不安もなく俊敏に行動に移るさまは猛禽そのもの。
 まったくお見事!
 蓮実に匹敵するキャラをフィクションの中で探すなら、トマス・ハリス原作『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターかエイリアンだろうか。あるいは――あるいは、ぐっと遡って、アルベール・カミュ作『異邦人』のムルソーか。

 思うに、近代以後の名だたるサイコパスの産ぶ声は、『異邦人』冒頭のムルソーのセリフ「きょう、ママンが死んだ」ではあるまいか。母親の葬式の日に行きずりの女を抱き、「太陽がまぶしかった」から人を殺した冷酷非道なムルソーは、現代心理学的に言えば明らかにサイコパスであろう。
 この種の人間は、おそらく何万人に一人かの割合で遺伝子学的要因により誕生するのかもしれない。だから、親の育て方がどうの、生育環境がどうの、教育や福祉制度がどうの、政治がどうのと言ったところで防げないのではあるまいか。(仏教なら因縁と言ってしまうところだが)
 
 『異邦人』が今でも読み継がれ、20世紀の古典の地位を確立していることが示すように、我々凡人は完璧なサイコパスに対して恐怖や無理解と共に、奇妙な羨望や憧憬を抱く。ハンニバル・レクターや蓮実聖司の予測不可能な言動や周囲の人間を思いのままに操る人心掌握術に強く惹かれ、知らぬ間に目的達成を応援している。むろん、自分たちが読者という安全地帯にいるからであるが。
 ソルティもそうであったが、『悪の聖典』の読者はおそらく、深夜の校内における担当クラス殲滅シーンで、蓮実と一緒になって生き残っている生徒の数をカウントダウンしてしまうことだろう。蓮実が警察に逮捕される結末にホッと安堵して善の勝利に快哉を上げるよりは、精神障害者を装った蓮実が裁判を引き延ばし、ハンニバル・レクターのように鮮やかに脱獄を果たし、次の殺戮ゲームのために社会に戻ってくることを、つまり続編のあることを願っている自分に気づくことだろう。
 絶対的な悪であるサイコパスは、絶対的な善である神と同じくらい、魅惑的なのである。(ムルソーの言う「太陽」とは「なんの影も持たない絶対性」のことではないか)


太陽

 
 我々凡人は、社会の決めたルールや制度やしきたり、親や世間やメディアの押し付ける価値観や倫理、そして論理では割り切れない喜怒哀楽や義理人情や罪悪感といった感情によって、二重にも三重にも世間に縛り付けられている。おそらくそれらは、はるか昔に動物としての本能の壊れた人類が、互いの安全と種の存続を守るために開発した安全装置なのだろう。
 安全装置は我々を護ってくれるシステムであるけれど、同時に、我々を閉じ込める窮屈な檻でもある。その安全装置に適当なガス抜きが用意されていない場合は、窮屈さは募る一方だ。
 檻の存在に気づき、檻の中で窒息しそうになっている先進諸国の現代人にとって、檻の外で自由を謳歌しているサイコパスの姿がひときわ輝いて見えるのは、理に適っている。


格子の外で、お母様、小母さま、あの人は何と光ってみえますこと! この世でもっとも自由なあの人。時の果て、国々の果てにまで手をのばし、あらゆる悪をかき集めてその上によじのぼり、もう少しで永遠に指を届かせようとしているあの人。アルフォンスは天国への裏階段をつけたのです。(三島由紀夫『サド侯爵夫人』)



 
評価: ★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損