2004年角川書店

 『悪の教典』『雀蜂』に続く貴志祐介第3弾。第58回日本推理作家協会賞受賞作。 

 密室殺人の謎を解くという点では本格推理小説であり、後半の真犯人の犯行に至る経緯と心理、実行の様子を描いた点では倒叙形式ということができる。作者の筆の冴えるのはまさにこの後半、つまり悪者が主人公となっている部分である。『悪の教典』で分かるように、貴志祐介はピカレスクロマン(悪漢小説)の名手なのだ。何と言っても、この小説の探偵役ですら、防犯ショップ経営者の顔をした泥棒なのだから。毒を持って毒を制すである。

 殺人方法が秀逸である。
 ソルティは物理学に(ビリヤードにも)疎いのであるが、これは実際に可能なのだろうか? 物理学者の意見を聞きたいところである。本書中に、専門家による説明の場面を入れるとなお説得力あった。

探偵

 
 それにしても、貴志祐介の該博な知識と徹底した取材や調査の姿勢には脱帽する。一編の小説を書くために、ピッキングや競馬や窓ガラス工事や監視カメラに関する専門家並みの知識を身につけるのは、何と大変な気の遠くなる作業か。好奇心だけではなかなか続くまい。
 現代は推理作家にとって受難の時代だと思う。犯罪捜査一つとっても、様々なことがあまりにも高度に専門的になり過ぎて、あまりにも工学的・科学的・IT的になり過ぎて、そしてすべてがあまりにも短時間で変化し過ぎて、余程の頭脳の持ち主でなければ現場の最先端の様相をカバーしきれまい。
 たとえ、専門家に教えを乞うて正確な知識を得たとしても、今度はそれを読者に説明する段階で困難が生じる。推理小説を愛好する読者の平均的な理解力――そんなに高いと思われない。どちらかと言えば理系より文系が多いだろう――に合わせて、わかりやすく説明しなければならない。畢竟、叙述が煩瑣になりがちになる。すると、大方の読者は「つまらない」と離れて行ってしまうだろう。

 その意味で、ソルティはやっぱり一昔前のミステリーに愛着がある。科学捜査がせいぜい指紋の照合や血液型の一致くらいで済むような時代のミステリーに。
 別の観点から言うと、安楽椅子探偵が成り立つ時代、謎解きの中心が探偵の「パイプの紫煙」や「灰色の脳細胞」に大きく依存している時代である。
 この作品における貴志祐介の専門知識の生かし方や読者への説明の仕方は卓抜だと思うけれど、それでもなお、ピッキング方法や窓ガラスの取り付けに関する描写など、十分仕組みを理解できないまま、読み進めざるを得ない部分が多い。なんとなく置いてけぼりにされた気持ちが残る。
 
 一方で、犯行の心理に関して、疑問符がついた。
 真犯人がダイヤモンドを盗もうとする動機は分かる。しかるに、私怨のない人間に対してあえて殺人までする必要があったのだろうか? そこがどうも弱いように思われる。
 また、密室を構成する状況にあったとは言え、くだんの部屋のドアには鍵が掛かっていない。昼休みのフロアには他に人がいる。いつ物音を聞きつけてやってくるか分からない。そんな状況下でこれだけ手間のかかる殺人をリハーサルもなしに犯すのは、ちと不自然であろう。むしろ、最初から被害者のコーヒーに致死量の睡眠薬を仕込むほうが楽だし、安全であろうに。
 
 ソルティは、科学的・物理的な整合性よりも、人間の心理における整合性のほうを、ミステリーには望むものである。



評価: ★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損