2006年筑摩書房

 著者は1959年生まれの研究者。発達心理学、比較認知発達科学を専門とする。

 本書は、「私」がいつ、どのようにして生まれるかを科学的見地から探ったものである。国の内外で行われてきたチンパンジーやオランウータンなどの類人猿やヒトの赤ちゃんに対する実験結果をもとに、系統発生的に(いわゆる進化論)、また個体発生的に(いわゆる発達論)、「私」という感覚なり意識なりがどのように構築されてくるか、現段階において分かっているところをまとめたものである。なので、板倉の自説が展開されているというより、このテーマについての見取り図の提示が主となっている。

 板倉は、ナイサーという研究者が提出した「自己に対する理論」を、今のところ最も新しい体系として紹介している。ナイサーは、下記のような自己知識のレベルに基づく自己の分類を行ったそうである。

1.生態学的自己
視覚、聴覚、内受容感覚などによる物理的環境の知覚に基づく自己で、乳児期のかなり早い時期から知覚可能。
2. 対人的自己
他者との社会的交渉に基づく自己で、そのような社会的交渉は、ヒトに典型的なコミュニケーションの信号や情動的なラポール(音声、アイコンタクト、身体接触など)により特定される。乳児期の早い時期から想定される。
3. 概念的自己
自分自身の特性に関する心的表象。そうした表象は、個々人で異なるように文化間でも変わるが、主に言語的な情報によって獲得されたものである。2歳くらいからこうした自己を仮定できる。
4. 時間的拡張自己
個人が知っており、語り、想起し、未来に映し出すような、その個人のライフストーリーであり、概念的自己を持つまでは、出現しないとされる。4歳くらいと考えられる。
5. 私的自己
子どもが主観的な経験を理解し重んじるようになったとき、そして、他者とはそうした意識的経験を共有し得ないということの重要性に気づいたときに出現する自己 
(本書より引用、一部省略あり)


 板倉は上記の分類・体系が正しいものかどうかの評価は差し控えているが、一応、妥当性あるものとして話を進めると、上記はもっと単純に分かりやすく言えばこういうことではないか。

1. 外界からの刺激(五感)を一方的に認識するだけの「自分」
2. 外界からの刺激に「快・不快」原則によって反応し、外界と応答する「自分」
3. 言葉によって定義できる名刺的「自分」
4. 記憶と想像によって、時間(過去・現在・未来)の中を生きる物語としての「自分」
5. 「他人(の物語)」の存在を発見し、比較する「自分」

 むろん、人類が人類たり得たのは、3の言語の獲得という飛躍があったからであろう。その上で、4の記憶力(想像力)の獲得により、「物語」を作る(読みとる)能力が生まれたのである。
 要は、「私」とは構築されたものであって、決して堅牢なものではない。
 認知症患者の介護をしていると、まさに5→4→3の順で機能が失われていくのを実感する。

認知


 仏教でも非二元でも「私」というものの虚構性を説き、「私」からの解放こそが自由であり幸福であると言う。
 ならば、認知症になればいいのか? 認知症患者は幸福なのか?
 もちろん、答えはNOである。

 人が人になるときに、「私」が構築されるのは避けられないことである。大自然の営為である「進化」と「発達」に一人の人間が逆らえるわけがない。どうしたって、1~5への進展は起こる。いったん獲得した「私」を、薬の力を借りずに、意図的に放棄することも困難である。
 仏教や非二元が「私」からの解放を言う時、上記1~5の「私」を失くせ、すなわち「退化せよ」、「退行せよ」と言っているのではない。そんなことしたら社会生活(出家生活も含めて)が送れなくなってしまう。
 そうではなく、知らずに構築されてしまった「私」はその機構上、欲や怒りの温床となりやすく、「苦しみ」を生む原因になるから、「苦しみ」のもとを断つために「私」の虚構性を見抜きなさい、ということなのだろう。
 ヴィパッサナー瞑想によって手始めに期待できるのは、知らぬ間に付与された幾重もの「自分」の皮を剥いでいき、1の「認識するのみの自分」に到達することではないかと思う。すると、この世に実際に存在するのは「認識」のみ、すなわちナーマ(認知する機能)とルーパ(認知される現象)だけであることが得心され、「自分」は幻覚であったと自ずから悟られるからである。

 板倉が関わっているような科学的研究は興味深く重要であると思うが、それが最終的に、人間そっくりの「心」を持ったアンドロイドを作るためのロボット工学に役立てられるだけではなしに、「自我という苦しみ」を解決する智慧として役立てられるなら、より人間的な科学と言えるのではないかと思った。



評価: ★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損