1938年松竹
89分

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花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる道
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を 独り行く

優しかの君 ただ独り
発(た)たせまつりし 旅の空
可愛い子供は 女の生命(いのち)
なぜに淋しい 子守歌
(西條八十作詞・万城目正作曲)

――の劇中歌で有名な元祖すれちがいメロドラマである。

この歌のタイトルを自分はまんま『愛染かつら』だと思っていたのだが、違う。
『旅の夜風』というのである。

以前勤めていた老人ホームで歌レクをやるとき、この曲でいつも盛り上がった。
70代から100代まで、参加する全員が歌えた。
とくに女性でこの歌を知らない人は皆無であった。
戦前に120万枚の売り上げを記録したというのだから凄い。

「この歌はある映画の主題歌です。何の映画でしょうか?」と問えば、
ほぼ全員が「愛染かつら!」と答えた。
「主演していたのは何という名前の俳優でしょうか?」と聞けば、
「上原謙と田中絹代!」と、ほぼ半分が正解した。
田中絹代を、高峰秀子や高峰三枝子と間違える人がちらほらいた。
「この映画はカツラを失くした男の悲劇でしたね?」とボケると、
そこそこウケたあと、頭のしっかりしているレディーたちが物語の筋を話してくれるのであった。
「主人公は看護婦さんで、お医者さんと惚れあうんだけど、なかなか結ばれなくて・・・」
「そうそう。彼女には子供がいるのよ。それを上原謙が知って、他に男がいると勘違いして・・・」
「最後は彼女が歌手になって、上原謙が病院の看護婦たちと一緒にその舞台を見に行くの・・・」
こうなると、老女たちの瞳はランランと輝き、表情には生気が満ち、口ぶりも確か。
聞いているだけのレディーたちもいちいち頷き、楽しそうに回顧している。
こういうのを回想法というのだろうか。
『愛染かつら』『君の名は』『愛と死を見つめて』『ベルばら』『冬のソナタ』『世界の中心で、愛をさけぶ』・・・等々、女性にとってメロドラマは永遠の滋養強壮サプリである。

松竹のトップアイドル時代の田中絹代が初々しい。
どんな役でもこなしてしまう後年の名女優の風格はここにはまだないものの、生涯最後まで保ち続けた山口弁なまりの入った耳朶に残る甘やかにして郷愁をそそる口調が、容貌的には十把一絡げと言ってもよいであろう彼女を主演女優たらしめるほどのインパクトをもたらしている。
あの声とあの喋りには抗しがたい魅力がある。

今風に言えば、田中絹代が演じるヒロインは、手に職をつけたシングルマザー。
職業婦人であり、母親であり、寡婦であり、恋する女であり、ついには歌手デビューを果たす一介の主婦である。
日本じゅうの女性はこぞって、自身を田中絹代に投影したのであろう。




評価:★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損