2017年アメリカ・イギリス・フランス制作
90分

 原題は You Were Never Really Here 
 「お前は実在していなかった」という意だろうが、内容とこのタイトルをリンクさせるのは至難の業。ラストシーンで実際に登場人物が交わすセリフから取られたこの邦題のほうが良い。

 犯罪スリラーなので本来なら難しい話ではない。
 主人公ジョーは雇いの殺し屋。過去にトラウマ(家庭内暴力と戦争)を持つ中年男で、母親と二人で暮らしている。ある日、勢いある上院議員から、家出した娘ニーナの救出を依頼される。売春宿で働かされていたニーナを力づくで取り戻したはいいが、その直後に上院議員は自殺し、ニーナは警察の手で奪い去られる。いったい何が起こっているのか?

 リン・ラムジー監督は、『少年は残酷な弓を射る』(2011)で国際的に知られるようになった。
 女性監督とは思わなかった。
 というのも、この映画は殺し屋が主人公なので、いきおい暴力シーン、血なま臭いカットが満載なのである。そのうえ、中年男のグロテスク、孤独、絶望、センチメンタルがあますところなく描き出されている。
 一方、ジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』を思わせる、男性監督にはなかなか描けないような繊細で優しい“子宮的”映像表現もあって、観る者の心を打ち震わせる。
 両性的感性の主なのだろうか。
 
 殺し屋ジョーを演じるはホアキン・フェニックス。『スタンド・バイ・ミー』(1986)のリバー・フェニックスの弟である。というより、『グラディエーター』(2000)や『マスター』(2012)などの名演技で、弟の威光からはとうに脱している実力派である。容貌が弟とはまったく異なり、どことなくキモイ感あるのが、かえって実力派への道を歩ませたのかもしれない。
 この映画でも、悲惨なトラウマを抱えながら汚れ仕事に手を染める腹の出た中年男を、リアリティ豊かに演じていて、見事というほかない。この演技がこの作品を9割がた支えているといって過言ではない。
 
 本来なら難しい話ではないものを分かりづらくさせているのは、圧倒的説明不足である。
 90分という制約もあるだろうが、脚本が不親切すぎる。子供の頃に受けた父親からの暴力と戦争体験という二つのトラウマ、雇いの殺し屋というジョーの職業、周囲の人間関係、そして物語の中心となる上院議員にまつわるミステリー、これらすべてを映像と二言三言のセリフだけで説明し、観る者に理解させようとするのは、ある意味映画作家の傲慢である。

 たしかに映画は、活字に依存する小説や、音声だけでも筋が分かることが望ましいテレビドラマとは違ってしかるべきで、映像こそが主となって物語を牽引すべきものである。映像で見せれば一発で分かることを、わざわざ登場人物のセリフやナレーションや字幕(スーパーインポーズ)に語らせる必要はない。浴室でナイフを振り上げる男のカットの次に、血染めのバスタブに横たわる女性のカットが続けば、何が起こったかは説明を要しない。
 しかし、それにも限度があろう。映画の筋を確かめるために、あとから原作小説を読まなければならないとしたら、映像化に失敗していると評価されても仕方あるまい。この映画はまさに、「原作が気になる」レベルの説明不足なのである。
 たとえば、ニーナの父親である上院議員はビルから飛び降りて自殺した(ことになっている)が、それは本当に自殺だったのか、その動機は何だったのか、それとも陰謀で殺されたのか、その陰謀に議員はどこまで加担していたのかといったあたり、つまり肝心のミステリーの謎解き部分がソルティにはよく分からなかった。これまで何百本という映画を観ていて、何百冊というミステリーを読んでいるソルティにして、である。

 映像も良く、役者も良く、印象に残る名シーンもあるのに、もったいないなあ~。



評価:★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損