2014年医学書院

 ソルティが介護施設で働き始め認知症フロア担当になったばかりの頃、先輩女性スタッフから「い」の一番に注意を受けたのは、「Sさんを絶対転ばせないように!」ということだった。
 Sさん(80代女性)は脳梗塞による片麻痺のため歩行困難で、歩くときは馬蹄型の歩行器を使っていた。が、認知のあるSさんは肝心の歩行器をほったらかしにして歩き出してしまうことがたびたびあった。転倒は必定である。常に職員の目の届く場所にいてもらい、移動の際は見守る必要があった。
 先輩スタッフは言った。
「前に一度転んで骨折したのよ。そしたら娘がすごい剣幕で怒鳴り込んで来て、こんど転ばせたら訴える!って」

 たしかにその娘ならやりかねなかった。
 某政党の区会議員で、押しの強さと舌鋒の鋭さにはだれもがタジタジとなる。介護スタッフの内輪では「レンポウ」とあだ名されていた。週一回母親であるSさんを見舞いにやって来るのだが、その際、ちゃんとケアされているかどうか彼女なりにチェックして、気になることがあれば職員をつかまえて指導していく。もともと病院の看護師をやっていたのでプロとしての自負もあるらしかった。
 むろん、入所している親に少しでも良いケアを望むのは家族として当然であるし、我々スタッフが業務多忙や不注意や技術不足のため、いろいろなことに手が回らない、目が行き届かないのは事実なので、注意を受けるのも致し方なかった。
 しかし、娘が本当にSさんのことを親身に思っているのかというと、「あやしいもの」というのがスタッフ共通の意見だった。
 というのも、娘がどこかで調達してくるSさんの洋服は、Sさんの好みではなく明らかに娘の好みで、80代の女性には派手すぎる(下着も含めて)ものばかり。Sさんと娘との会話の様子を見ていると、一方的に娘がなにやかやと命じるばかりで、Sさんは面倒くさそうな顔で頷いている。娘が帰るとSさんはほっとした表情で、「ああ、鬼がいなくなった」と言うのであった。(10分後には娘が来たことを忘れて、楽しそうに歌レクに参加している)
 ともあれ、Sさんを転ばせないことを第一の使命と任じ、慣れない認知症介護の仕事に取り組んだ。


歩行器


 施設介護の仕事をしていて感じる理不尽については別の記事でも書いたが、施設外の生活空間で常識とされるものが、施設では通らない。施設外にいる人々が当たり前に享受している自由の大半が、施設に入ると奪われてしまう。外出する自由、食べたいときに食べたいものを食べる自由、寝たいときに寝る自由、起きたいときに起きる自由、一人でトイレやお風呂に入る自由、夜間邪魔されずにぐっすり眠る自由・・・。
 なぜそんなことになってしまうのかと言えば、施設介護では「安全と効率」が一番重視されるからである。ソルティの個人的見解では、次のランク付けとなる。 
  1. 安全 ・・・・転ばせない、誤嚥させない、薬を間違えない、傷つけない
  2. 効率 ・・・・時間をかけない、業務を滞りなく行う、利用者を待たさない
  3. 衛生 ・・・・感染症を防ぐ、清潔を保つ、見栄えをよくする
  4. 正確 ・・・・正しく負担のない介護技術
  5. やさしさ 
 介護の仕事におそらく誰もが求めるであろう「やさしさ」が後回しにされ、「安全と効率」に第一席を譲ってしまう。
 それが面白い現象を起こす。
 介護施設で最も幅を利かせていて「仕事ができる」とされるスタッフは、利用者にやさしい職員ではなく、安全確保と効率性に秀でた職員である。やさしくて利用者思いだけれど、ドジで不器用で何事にも時間がかかるスタッフは肩身が狭い。「あの人と組むと業務が回らなくて、こちらの負担が増える」と、他のスタッフから敬遠される傾向にある。新しく入職したスタッフと組んで、「この人はやさしいけれどトロいところがあるなあ。大丈夫かなあ」と思っていたら、案の定、業務の多さと他のスタッフからの圧力で、3ヶ月経たないうちに辞めてしまったというケースがよくあった。
 逆に、介護テクニックは優れていて業務もスムーズに回せるけれど利用者人気はいまいち、というベテランスタッフも結構いた。彼らに共通して言えることは、認知症介護が苦手ということである。認知症介護には「やさしさ(受容と忍耐)」が必須なのである。
 
ユマニチュード入門


 ユマニチュードとは「人間らしくあること」という意味の造語である。フランスの2人の元体育教師が開発した、高齢者とりわけ認知症の人に有効なケアの技法である。すでに30年以上の実績がある。

 ユマニチュード(Humanitude)はイヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティによってつくり出された、知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションにもとづいたケアの技法です。この技法は「人とは何か」「ケアをする人とは何か」を問う哲学と、それにもとづく150を超える実践技術から成り立っています。
 
 ケアを行うのは病気や障害があるからですが、ケアの中心にあるのは病気や障害ではなく、ケアを必要とする人でもありません。その中心に位置するのはケアを受ける人とケアをする人との「絆」です。この絆によって、両者のあいだに前向きな感情と言葉を取り戻すことができるのです。
 
 本書では、ユマニチュードの哲学とそれにもとづいた基本的なケア技術が紹介されている。それは、一般的な介護の教科書に書かれていてソルティも習ったような歩行介助・移乗介助・食事介助・排泄介助・入浴介助の具体的技術とは違う。「見る」、「話す」、「触れる」、「立つ」の4つを柱とした相手との関わり方や、一つのケアを通して相手とどのように出会い、ケアを行い、再会を約束して別れていくかといった一連の流れである。そこには、ケアを受ける相手を同じ人間として尊重するという姿勢が貫かれている。

 合意のないまま行うケアは、「強制ケア」になってしまいます。「強制ケアを行わない」ことは、ユマニチュードの基本理念です。たとえそれが「ケアする人が相手のためを思って必要と考えるケア」であったとしても、強制的な印象をもたせたままケアを実行してはいけません。
 
 記憶の保持が困難になった人でも、幸せな気分で眠りについたという思いは感情記憶にとどまりますから、就寝時のケアは大切なのです。
 このことを理解していれば、夜間の安否確認のための訪問や、失禁していないかと確認するためのおむつ交換がどれほど悪い影響をもたらしているか想像できるでしょう。ユマニチュードを採用した施設では、睡眠を妨げる行為は、それがたとえケアという目的であってもできる限り排除しています。
 
 高齢の患者と話すときはその視野に入るように接近すること、ケアをしながら絶えず話しかけること、食事介助や口腔ケアを行う際にはいきなりその行為に入るのではなく、まず患者との信頼関係を構築すること、そして嫌がることを決して無理強いしないこと――私たちが受けた短時間のユマニチュード研修では、こうしたことを実践を交えて教えていただきました。(研修参加者によるレポート)

 ユマニチュードを取り入れたことにより、拒否が強くてこれまで誰がやっても介助できなかった相手がすんなり介助を受けたり、転倒リスクあるためスタッフの監視下に置かれて表情を失っていた患者が笑顔を取り戻し歌を唄いだしたなんて実例もあり、「革新的」「魔法のよう」と評されることもあるそうだ。
 しかし、上記の引用を見れば分かるように、「強制しない」、「眠りを妨げない」、「相手の目を見る」、「話しかける」、「信頼関係を得る」といった、相手と良い関係を作りたいのであれば当たり前のことばかりなのである。
 当たり前のことが当たり前にできないところに、いまの医療現場、介護現場の問題があり、良心的スタッフの苦悩がある。


 冒頭に紹介したSさんであるが、スタッフの努力と連携が実って施設にいる間に再度の転倒はなかった。しかるに、施設のケアレベルに満足できなかった娘は、広い人脈を使って評判の高い老人ホームを探し出し、Sさんを移してしまった。もちろん、Sさんの希望はきかずに。
 その後、ソルティが施設のケアマネから聞いた話によると、引っ越し先の施設でSさんは落ち着きを失い徘徊するようになり、スタッフが目を離した隙に転倒し、骨折と頭部外傷。運び込まれた病院で亡くなったとのこと。
 区会議員の娘が訴訟を起こしたのかどうかは知るところではない。



評価:★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損