2019年新潮社

 LGBT関連の店が400軒と立ち並び、今や日本のみならず世界中から、当事者のみならず好奇心旺盛なストレート(異性愛)の男女や観光客まで押し寄せるセクシュアルマイノリティの聖地——新宿二丁目。
 本書は、「なぜ、どのように、そしていつ頃、新宿二丁目は“二丁目”になったのか?」を探るレポートである。
 著者の伏見憲明は90年代初頭からゲイライターとして活躍、現在二丁目でゲイバーを経営している。いまの日本のLGBTムーブメントの立役者の一人にしてご意見番と言っていいだろう。
 
 当事者の一人であるということを差し引いても、本書は興味深く面白かった。山手線一周半で読み上げてしまった。
 面白さのポイントは、「人の欲望がいかにして一つの町を作り上げるか」といったところにある。そこを丹念なインタビューや文献調査をもとに、歴史的・地理的・文化人類学的・社会学的に読み解いていったあたりが、ちょっとしたミステリーのようでわくわくした。

 二丁目の場合、欲望と言っても、単に金や性や酒などの快楽に関わるものだけではない。
 むろん、本書で記されているように、江戸時代に金儲け目当てに内藤新宿という宿場が作られた事情はあった。それが明治・大正時代に女郎目当てに男たちが通う遊郭に発展していった事情もあった。1960年代に入ってゲイバーが増え始めてからは、一夜の相手を探しにゲイたちがやって来るという事情もあった。快楽を求める欲望は、人を集め、町をつくる大きな要因である。

 しかし、そればかりではなく、マイノリティならではの、被差別者ならではの欲望というものもある。
 孤独を癒したい欲望、同じ仲間と会って安心したい欲望、有益な情報を得たい欲望、周囲にばれることも差別されることもなくありのままの自分をさらけ出したい欲望、自己表現の欲望、日常生活で異性愛者を演じるストレスを発散したい欲望・・・。言うなれば、アジール(聖域・避難所)を求める欲望である。

 こういった複合的欲望の集積点かつ発散点として、新宿二丁目が選ばれたのである。そこは、匿名が担保されアクセスの良い大都会にありながらも人目の多い新宿駅から離れている。四方を大きな道路で囲まれて一種の閉鎖空間を成している。もともと遊郭があり性の匂いが漂う町でもある。
 歴史的にも地理的にも文化的にも、“二丁目”を作るのにふさわしい場所であったことが、本書で明らかにされる。 

 いってみれば、二丁目は街自体が被差別経験を共有してきたのである。
 そうした遊郭跡地に封印された過去への罪償感が、1960年代、一般市民的な道徳からしたら対極にあった同性愛や、トランスジェンダーの当事者たちを拒絶しなかったことに、影響を与えていなかったとはいいがたい。
 
 新宿や二丁目が、よそ者や流れ者や少数者らの「吹き溜まり」だったことが、のちにゲイバー街を生み出す土壌を培ってきたと考えても、なんら問題はないだろう。逆にいえば、同性愛者やトラスジェンダーにとってはそのような場でしか、自らの欲望に正直に生きることは不可能だったのだから。

 ゲイたちの「アジール」として培われてきた二丁目が、その後、エイズパニックやら、ゲイリブやら、ボーイズラブやら、LGBTタレントの大衆的人気やら、出会いの場を一気に広めたネットの登場やらで、様相を変えていって現在に至るわけである。
 
 「町とはそれ自体、生き物のようだなあ」と思う。

 
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評価:★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損