日時 2019年11月4日(月)14時~
会場 すみだトリフォニーホール
指揮 齋藤栄一

錦糸町のすみだトリフォニーホールに行くたびに気になっていたことがある。
国技館がある総武線両国駅から錦糸町駅に向かう高架の線路沿い、進行方向左手に、一瞬、窓ガラスを色とりどりのカーテンで飾った建物が見えるのだ。
アート系の学校か事務所だろうか?
あっという間に通り過ぎてしまうので、確かめようもない。


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面白いのは、高架を走っている総武線の列車の窓からのみ、この色彩美が楽しめることだ。
当のビルの中にいる人たちにしてみれば、各部屋ごとにカーテンの色が違うというだけの話であって、自分たちが見て楽しむことはできないはずである。
あたかも、列車通勤するストレスフルなお父さんたちへの贈り物のよう。
今回は両国駅出発時からスマホを準備し、カメラに収めることができた。


マーラー交響曲第8番の実演に接するのははじめて。
1910年の初演では出演者1030名を数え、「千人の交響曲」の異名をとった曲である。
今回、(物好きにも)プログラムに載っている出演者を数えたところ、

水星交響楽団     135名
合唱(成人)     297名
合唱(児童)       73名
ソリスト        8名
指揮者         1名
計          514名 

千人には遠く及ばないが、ステージを埋め尽くす黒と白のコスチュームは壮観であった。
むろん、トュッティ(全員演奏、全員合唱)でフォルテの迫力は大ホールを揺るがせんばかり。
終演時の盛大な拍手も当然至極であった。

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この曲の成功は、第二部のゲーテ『ファウスト』の使用にあるとつくづく感じる。
あの人類の至宝たる大傑作の最も感動的な場面すなわちファウスト救済シーンを、文学史上もっとも格調高く美しく深遠な詩文をそのままに、音楽で表現しきった点が、成功の大部を担っていよう。
むろん、大傑作にひるまず挑戦したマーラーの勇気と自信、そして奇跡の詩文に相応の響きを添わせることができたマーラーの天才的音楽性あってのことである。
ドイツが生んだ二人の大天才の協同作業なのだ。

それに比べると、第一部(神への讃歌)は確かに壮麗で荘厳で構成も見事で圧巻の出来栄えではあるけれど、魂の込め具合は第二部に敵わない。
マーラーの神(=父)への讃歌には、なんとなく無理なものを、どことなくぎこちなさを感じてしまう。
それは、近代的知性の抱く神に対する疑念、父権に対する揺らぎと相応しているのかもしれない。

一方、第二部を聴いていると、マーラーあるいは近代的知性が陥った苦しみが、

自然によって慰められ
子供によって贖われ
女性によって救われる

という構図が見えてくる。
近代的知性の苦しみとは、つまるところ、父権社会=男性原理の限界の露呈なのである。

「ファウスト」最後の一節、90分に及ぶ長い交響曲のクライマックスを飾るかの有名な「神秘の合唱」には、あたかも観音信仰のごとき、あるいはフロイトに対するユングの反発のごとき、女性原理への崇敬が顕されている。

すべて移ろい行くものは
永遠なるものの比喩にすぎず
かつて満たされざりしもの
今ここに満たさる
名状すべからざるもの
ここに遂げられたり
永遠にして女性的なるもの
われらを牽きて昇らしむ
(新潮文庫、高橋義孝訳)


マーラーの交響曲の中でも7番と並んで演奏回数の少ない8番を、舞台に乗せてくれただけでも、水星交響楽団には感謝である。


さて、感動も醒めやらぬまま両国駅まで歩くことにした。
くだんの建物の正体をいざ確かめん!

総武線の高架沿いに墨田区を横断していく。
途中で三ツ目通りの中央分離帯の柵に阻まれながらも、なおも進んでいくと、
到着しました!

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やはり、水平の視線を保てるある程度の高さから見ないと、美しさが十全に味わえない。
高架の反対側からはどうか?
回ってみると、マンションが建っていた。
マンションの5階以上の住人ならば、ベランダから、スカイツリーを背景としたカラフルなレイアウトを楽しむことができよう。
しかし、その場合、総武線の架線や電柱が邪魔になる。
やはり、列車の窓からが一番のビューポイントのようだ。

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さて、この建物の正体はなにか?
知ってびっくり。
保育園であった。


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