今朝7時に目が覚めて、病室の窓を見上げたら、窓枠にツララが光っていた。ほんの数センチのかわいい奴だが、本物である。

 晴れた日に、地元でツララを見たのは何十年ぶりだろう?
 今朝の氷点下の寒さと、田んぼだらけの野ざらしに建っている病院の立地と、ソルティが居るのが5階の北向きの部屋という条件が重なって、この奇観を生んだのだろう。

 「このツララが溶けるとき、自分の命も尽きるのだ」
 と、『最後の一葉』のジョンジーみたいな心境を愉しんだ。
 スマホで撮影した直後、ツララは落ちていった。

IMG_20200207_073924


 その数時間前、向かいのベッドの物音に目覚め、何事かと聞き耳立てたら、患者とナースが話している。
 三日前に入院した初老の男である。世話焼きの奥さまが毎日のようにやって来る。
 どうやら今から外出するらしい。
 時計を見たら午前4時半。外は真っ暗だ。

 「どちらまで行かれるんでしたっけ?」と、支度を手伝いながらナースが聞く。
 「〇〇区の現場まで」と男が答える。
 「〇〇区って、東京の?」
 「そう」
 「結構、遠いですね~」

 いったい、何の現場なのか?
 なぜ、こんな早い時刻に行かなくてはならないのか?
 病気で入院中の(常時点滴している)彼が、どうあっても行かねばならない仕事なのか?
 体調は大丈夫なのか?
 奥さまも止められないほど大切な用件なのか?

 好奇心が湧いた。
 もしかしたら、現場というのは殺人現場か? 男の正体は刑事一課の敏腕課長か?(まだ顔を見ていない) 
 あるいは建築現場か? 高層ビルのコンクリート流し込みが今日から始まるのか? 男の正体は現場監督か?

 それにつけても、入院していてさえ仕事に駆けつける日本のサラリーマンの執念というか習性には驚く。
 
 昼前に帰ってきた男は、昼食も取らずに爆睡していた。 

 今日は午前中シャワーを浴びてリハビリし、午後はまるまる自由時間だった。
 ヘンリー・ジェイムズ短編小説集を持って、階下のラウンジで読書に興じた。

IMG_20200207_164051


 学生時代に読んで以来だが、ジェイムズの巧みな語り口を堪能した。
 50代の今の自分の作品解釈が、20代の時のそれとは、まったく異なっているのに、複雑な思いがした。
 というのも、収録されている短編は、幽霊やドッペルゲンガーが登場する一種のファンタジーなのだが、今ではそうした怪異現象に現実的で合理的な理屈をつけて解釈する自分がいた。まるで某大槻教授のように。
 若い頃は、怪異を怪異としてそのまま受け取って読んだのだが。

 消え去りし
 二十歳の吾や
 ツララ落つ
 (凡人)