IMG_20200611_163019

2017年朝日新聞出版

 時折り思い出したように『枕草子』を本棚から手に取っては、あちらの段こちらの段、抜き読みする。
 『枕草子』全段は、内容からして次の3つに分けられる。
  1.  巻頭の「春はあけぼの・・・」や「すさまじきもの」、「遠くて近きもの」のような、物づくし
  2.  作者・清少納言の鋭敏な感性や個性的視点の光る短いエッセイ
  3.  清少納言が女官として仕えた定子皇后サロンをめぐる実録
 ソルティが心惹かれ、抜き読みするのは、このうち3の実録である。
 ここには、藤原北家による摂関政治最盛期の後宮の様子がありありと描き出されている。
 そこが、英国上流階級の内輪を描いた『ダウントン・アビー』や、鎌倉期の宮廷の色恋沙汰を暴露した『とはずがたり』にも似て、ソルティのロスト・セレブ・コンプレックス(失われた上流階級の暮らしを追慕する何のメリットも意義もない道楽)を刺激するのである。
 
 稀代のミーハーおばさんだった清少納言の手によって紙上に再現される定子皇后サロンの華やかさ、明るさ、豪奢で風雅なさまは、庶民にとって文字通り「雲の上」の話である。
 これに匹敵する後宮サロンは、マリー・アントワネットのプチ・トリアノンだろうか。
 ホステスたる定子は、アントワネットの数倍も教養高く、賢く、ユーモア精神あふれ、后としての気高さも器も十分備え、女官たちを取りまとめるリーダーシップも合わせ持っていた。美貌については言うまでもなく。
 であればこそ、有名な歌人を祖先に持ち、頭脳明晰で男勝りのところある清少納言は、自分より10歳も年下の定子にぞっこんになったのである。
 結婚した時はまだ11歳だった一条天皇は、4つ年上の定子に夢中になったのである。
 
 この定子皇后サロンを舞台に、一条天皇はじめ、定子の親兄弟や親族、位の高い貴族連中、清少納言の元亭主や同僚の女官たち、それに下位の役人や洛内の下郎の者にいたるまで、さまざまな実在の人物が登場し、機知に富んだ会話をしたり、ふざけ合ったり、思わせぶりな和歌を交換したり、楽器演奏したり、ゲームに興じたり、賭けごとしたり、羽目を外したり、儀式に参列したり、昔話や噂話をしたり、花鳥風月を愛でたり、お洒落したり、裁縫したり、ナンパしたりされたり・・・・。
 そんな楽しくにぎやかな日常が描き出される。
 それはまさに、同時代の紫式部の『源氏物語』の「あはれ」の対極に位置する「おかし(=興趣をそそる)」の文学であり、あたたかい春の日差しのような陽のイメージである。

 実際、読んでいて思わず口元が緩んでしまうエピソードが多い。
 たとえば、「これまでに誰も見たことのないような、素晴らしい扇の骨を手に入れた」と自慢する定子の兄(藤原隆家)の言葉に、すかさず清少納言は突っ込む。
「それなら、きっとそれは扇のではなくてクラゲの骨でしょう」
 ぎゃふん!

クラゲ


 ところが、『枕草子』に書かれていることだけでなく、書かれていないこと、すなわち当時の政治状況を頭に入れて読み直したとき、『枕草子』の持つ陽のイメージは極めて不思議、というか不可解に映る。
 というのも、この実録の主役たる定子皇后の人生は、それこそマリー・アントワネットや楊貴妃のそれに比べ得るような、栄華からどん底への凋落が運命づけられていたのであり、定子の傍らにいた清少納言は、転落劇の一部始終をその目で見ていたはずだからである。

 そう、清少納言は西暦993年の冬から、定子の亡くなる1000年の冬までの約7年間を女房として仕えていたのだが、栄華の頂点にいる幸福な定子を目撃できたのは、そのうちの1年半ばかりに過ぎなかった。
 995年の春に、定子の父にして時の権力者であった藤原道隆が、43歳にして糖尿病で亡くなったからである。
 残りの5年半は、坂道を転がり落ちるような凋落に次ぐ凋落、失意に次ぐ失意、およそ皇后という地位にはふさわしからぬ惨めな境遇を強いられた定子を見続けていたのであった。

● 定子皇后の悲劇の遍歴
995年春
 父、摂政・藤原道隆が糖尿病により死亡
同年5月
 叔父・藤原道長が天皇を後見する地位につく
 兄・藤原伊周と隆家が花山法王に矢を放つ愚挙を起こし逮捕され、流罪となる。
 定子、出家する
996年6月
 洛内の自宅が焼失し、親戚の家に身を寄せる
同年10月

 母、高階貴子死亡
同年12月

 一条天皇の第一皇女を出産
999年11月

 藤原道長、娘・彰子を一条天皇後宮に入れる
 定子、一条天皇の第一皇子・敦康親王を出産 
1000年2月

 道長、娘・彰子を強引に皇后に据える(二后冊立)
同年12月
 定子、一条天皇の第二皇女を出産。難産により死亡。

 父の死、二人の兄の失脚、出家、自宅の焼失、母の死、出産、ライバル后の出現、自らの死。
 これらがわずか5年ばかりのうちに立て続けに起こった。

 もし、父である藤原道隆がもう5年長生きしていれば・・・
 道隆が生きている間に定子が第一皇子を生んでいれば・・・
 二人の兄がもっとしっかりしていたら・・・
 一条天皇にここまで寵愛されることがなかったならば・・・
 出家した身で皇子を生むような恥をかかせられることがなかったならば・・・
 叔父の道長がもう少し寛容な人間だったならば・・・
 彼女の運命はここまで悲惨なものにはならなかったであろう。
 一条天皇の寵愛を一人占めしたがゆえに、天皇の世継ぎたる資格を持つ第一皇子を生んでしまったがゆえに、一家の政敵である道長に執拗にいじめられることになったのである。

 かつてサロンに足繁く通った賛美者たちは、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの道長の圧力を怖れて、一人また一人と定子のもとを離れていく。
 最初に入内した正式の皇后であり、第一皇子を生んで国母となってもおかしくないほどの人が、頼りになる親戚ももはやなく、地位にふさわしく住まう家もなく、一条天皇や道長の要求するままに内裏の内外を放浪するハメになる。

 『枕草子』の実録部分を抜き読みしていると、父・道隆亡き後の定子があちらこちらの屋敷で暮らす場面が出てくる。
 「なんでこんな不便なところに住むんだろう?」と首をひねりつつも、読む者は清少納言の闊達な筆致と笑い声が聞こえてくるような定子サロンの明るい雰囲気に、その奥に隠されている事実を見逃してしまう。
 だが、年代的にランダムに配置されているこれらの段を時系列に並べ直し、『枕草子』以外の史書や同時代の貴族の日記、宮中の慣習などにもあたり、リアルタイムの政治状況および人間関係を踏まえて読み込んだとき、定子の境遇は唖然とするほど悲惨である。

●定子皇后の住まいの変遷

995年6月
 内裏の外にある太政官朝所で喪を過ごす
  • 建物がとても古く、天井からムカデが落ちてくる
  • 大きな蜂の巣があり蜂がいっぱい飛び回っている
  • 雨戸がなく御簾しかない
  • すぐそばに時を告げる鐘楼があり、鼓や鐘の音が間近に聴こえる
996年2月
 内裏の外にある職の御曹司(中宮職の事務所)で過ごす
  • 母屋には鬼がいて使えないので、南側の廂で起居する
  • 塀のすぐ向こうは通勤路で、貴族たちが通る際の先払いの声が聞こえる
同年3月
 自宅の二条北宮に移る。ここで兄二人が逮捕され、出家
同年6月

 二条北宮が焼失 → 母方の叔父・高階明順の家に避難
997年6月
 
一条天皇の命により職の御曹司に移る
999年8月
 出産のため、下位の中宮職役人である平生昌(たいらのなりまさ)宅に移る
  • 生昌は道長に通じている人間
  • 正式の門が皇后を迎えるための造りになっていない
  • 通用門が狭く牛車が入らず、女房達は衆人環視の中、地面に敷いた蓆の上を歩いて屋敷に入った
  • 生昌が女房たちに夜這いをしかけてくる
 以後、出産のたびごと、定子は生昌宅に身を寄せ、最後はこの家で息を引き取った。


廃屋


 『枕草子』には、清少納言が書かなかったこと、書けなかったことがたくさんあった。
 もし、それをすべてありのままに書いていたら、『枕草子』はおそらく、『平家物語』や『伴大納言絵詞』のような「悲劇と没落の皇后哀史」、あるいは「権力者・道長、横暴の証言」になっていたであろう。
 清少納言は、あえてそれをしなかった。
 みじめなエピソード、惨い仕打ちには目をつぶり、明るく楽しいエピソードばかりを綴った。気高く微笑んでいる定子皇后の姿だけを描写した。
 そこに、本書の言う「枕草子のたくらみ」はある。
 
『枕草子』は、定子亡き後、道長権力のもとで生き延びなければならなかった。強固な後ろ盾のない清少納言が個人で書き、世にリリースして、広まるのを待つ。その細々した営みは作者にとって、事によっては容易に途絶えるものと感じられただろう。だからこそ『枕草子』の中には、道長への直接の恨み言は一言も書かれていない。

『枕草子』は、世との折り合いをつけても生き延びるために、いま現在権力の側にいる者たちには、ことさらに矛先を向けなかったのだ。権謀術数の渦巻く中にありながら『枕草子』の視界が清少納言周辺にとどまり、日常の些細な事柄ばかりを描いているように見えるのは、清少納言の関心が日常にあったからという理由によるだけではない。政治でなく些事を描く。それこそが、寄る辺なき『枕草子』の取ったサバイバル戦術だったのである。

 そういった戦術を駆使してまで清少納言がなんとしても守り抜きたかったもの、それは敬愛する定子皇后のイメージであった。

悲劇の皇后から理想の皇后へと、世が内心で欲しているように、定子の記憶を塗り替える。定子は不幸などではなく、もちろん誰からも迫害されてなどおらず、いつも雅びを忘れず幸福に笑っていたと。その目的は、清少納言自身にとっては、もちろん定子の鎮魂である。だが世にしてみれば、これこそが彼ら自身に対する救いとなった。


 「おかし」の文学と言われる『枕草子』の裏に隠された真実を、同時代のさまざまな文献や他の研究者の発見したトリビアな事実、当時の政局や風俗や慣習の調査、貴族なら誰もが知っていた有名な和歌や漢詩の背景知識などをもとに解き明かしていく本書は、推理小説のような面白さがある。
 そして、文学研究の醍醐味と今も昔も変わらない人間性の妙を、十二分に教えてくれる。
 むろん、著者山本の古典に対する愛情も。

 定子が亡くなった夜、藤原道長は怨霊に襲われたという。
 自らが虐げ引きずり落とした兄・道隆一家の恨みを怖れる心、すなわち罪悪感が引き金となって、怨霊は出現したのだろう。
 平将門、菅原道真、崇徳上皇・・・いにしえから恨みと未練を残して亡くなった敗者の霊は、物の怪となり怨霊となり、勝者を苦しめ祟る。
 それがわが日本の伝統的信仰形式の一つである。

 清少納言は定子皇后を怨霊にだけはしたくなかったのだと思う。


観音さま


おすすめ度 : ★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損