2018年アメリカ
110分

 高校生のサイモンは、明るい裕福な家庭に育ち、カッコいい父親と美人で知的な母親、料理好きの可愛い妹に囲まれ、気の合うクールな友人もいる。
 顔もスタイルも良く、通学はいつもマイカー、女の子にもてる。
 はたから見たら、平凡だけれどなんら不足ない青春。
 が、彼には家族や友人に隠していることがあった。
 サイモンはゲイだったのである。
 
 SNSを使いこなす当世のゲイ少年のカミングアウトがテーマ。
 一昔前に比べれば、LGBTに対する社会の理解が進み、必要な情報に俄然アクセスしやすくなった。
 同じ仲間や相談相手、恋人やセックスフレンドも簡単に見つけられる。
 ソルティが高校生の頃は、情報と言ったら月刊誌の『薔薇族』がせいぜい。
 自己肯定を促してくれるような言説は、(同誌をも含め)社会にほとんど見当たらなかった。
 まったく、今の若ゲイがうらやましい。

 とはいえ、カミングアウトをめぐる問題だけは昔も今も変わりないということを、この映画は教えてくれる。
 子供というものが、一般にヘテロのカップルを親として生まれてくる以上、ゲイの子供はどうしても親との相違にぶち当たらざるを得ない。
 ヘテロシステムの流通する家庭の中で自己肯定し、自らのモデルとなる大人像を見つけるのは、容易なことではない。
 自然と、親や周囲が期待するジェンダーやセクシュアリティを忖度しながら演じていく過程で、自らの感情や嗜好を押し殺していく。
 そのうちに、ほんとうに自分が好きなもの、やりたいこと、子供の頃夢見ていたことが分からなくなってくる。 
 ゲイの人が鬱になりやすいのも無理からぬことである。
 
 だが、自分に対する抑圧や欺瞞は、結局、周囲の身近な人々に対する抑圧や欺瞞につながる。
 カミングアウトした結果被る不利益より、人間関係をいびつにする“不誠実”の害のほうが破壊的で、長い目で見れば、自分をも他人をも傷つけることになるかもしれない。
 それが、自身ゲイをカミングアウトしているバーランティ監督が、本作で伝えたいメッセージなのだろう。
 胸がうずくような切なさのあと、爽やかなハッピーエンドが待っている。

 ただし、サイモンのように恵まれた環境にいるゲイはむしろ少なかろう。
 国によって、社会によって、宗教によって、あるいは家庭によっては、カミングアウトが生死にかかわることだってあるのだから。(だから、日本が、仏教が好きさ!)
 
 主人公サイモンの父親役のジョシュ・デュアメル、渋くて滅茶カッコいい。
 何と言っても、美青年しか演じることの許されない――“ヴィスコンティ夫人”たるヘルムート・バーガーがかつて演じた――オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の主役の座を射止めて、映画デビュー(1999年)果たしている(下記ポスター)。
 ウィキによると、東日本大震災の際にはチャリティーマラソンを開催、支援金全額を日本赤十字社に寄付したそうである。
 いい歳の取り方をしているわけだ。


ドリアン・グレイの肖像ポスター (2)
日本では上映されず、DVDレンタルもない


ジョシュ・デアメル
現在のデュアメル