『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう)は、ブッダが亡くなる最後の旅の様子を描いたお経である。


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増谷文雄編訳『阿含経典』(ちくま学芸文庫)

 
 編者の増谷文雄の研究によると、この経は適切に分断すると、その各部のほとんどを『阿含経典』の他の箇所や律蔵の中に見つけることができるそうだ。
 つまり、ブッダ入滅後の阿羅漢たちによる結集で確認され暗唱されたお経ではなく、その後だいぶ経ってから、編集の趣味ある一比丘なり在家信者なりが、「偉大なるブッダの最後を物語として残そう」と、既存のお経や律などをつぎはぎして、新たに創った作品ということになる。
 おそらく、まったくゼロから作ったわけではなく、ブッダの最後の旅の行程を伝える簡素なお経――結集時から伝えられたもの――はあったのだろう。そこに肉付けして、一つの感動的なストーリーに仕立て上げたのではあるまいか。
 いつの世にも、こういった戯作者まがいはいるものである。
 
 「戯作者まがい」と言うのは、この編集者は結構抜けているのである。
 ブッダより前に亡くなっているはずのサーリプッタ長老を出演させたり(ここからもこれが結集時の作でないことは明らか)、聖人ブッダらしくないエピソードを盛り込んだりしているからだ。
 
 ソルティはとくに、この経の第3章を奇異に感じて仕方ない。
 以下のような筋立てになっている。
 登場人物は、ブッダと侍者のアーナンダと悪魔、それに最後の場面で他の比丘たちである。
  1.  ブッダがアーナンダを相手に、ヴェ―サリーやその他の霊地の楽しさを称える。
  2.  余命を悟ったブッダはアーナンダに向かって、「自分は神通力により、望めばいくらでも長生きすることができる」と言うも、アーナンダはその言葉を無視する。
  3.  アーナンダが去った後、悪魔が現れ、「今こそ涅槃すべき時」とブッダに死をすすめる。ブッダは3か月後の死を決意する。すると、大地震が起こる。
  4.  地震に驚いたアーナンダがブッダのもとに駆け付け、地震の意味を問う。ブッダは「地震の8つの原因」を説く。
  5.  ついでに、「8つの衆」、「8つの勝れた認識(勝処)」、「8つの解脱」について説く。
  6.  ブッダが、最前の悪魔との対話についてアーナンダに伝える。驚いたアーナンダは、ブッダに延命を乞い願う。が、ブッダはアーナンダの願いを却下し、「自分が死を決意したのは、さっきおまえが引き止めなかったせいだ」とアーナンダを非難する。
  7.  一転して、アーナンダに「すべての者は死ぬさだめにある」と諄々と説き、延命があり得ないことを説く。比丘たちを集め、37道品(悟りに至る37の修行法)を説き、自分が3か月後に涅槃することを告げる。

 1~7のそれぞれについて、奇異に感じる点をあげる。
  1.  この世の楽しさを讃えるようなブッダのセリフ。一切行苦ではなかったか?
  2.  神通力でいつまでも長生きできるというセリフ。諸行無常ではなかったか?
  3.  悪魔の存在は、ブッダの心の中の誘惑の声の比喩とみなしてもよかろう。聖者が自ら死ぬ時を知るのもよく聞くところである。地震の発生は、偶然でなければ比喩的表現か。
  4.  地震の8つの原因は非科学的でナンセンスである。
  5.  8つの衆、8つの勝れた認識、8つの解脱の説法は、あまり意義あるものとは思えない。『大般涅槃経』の他の章にある説法――たとえば、有名な「自灯明、法灯明」や「法の鏡」や「サンガの不退法」など――にくらべると、歯が浮くような、とってつけた感がある。戯作者により創作されたものとしても、出来が悪い。
  6.  ここがとくに理解に苦しむ。「お前が望まなかったから、私は死ぬのだ」と、自らの寿命の決定をアーナンダのせいにしている。しかも、「あそこでもそうだった、かしこでもそうだった・・・・」と、過去のことを持ち出して、しつこく何回もアーナンダを責め続ける。一体、なにこれ? パワハラ?
  7.  急にまともに戻る。「すべての生じたものは滅する」と説き、比丘たちに向かう。 

 まるで、死を前にした80歳のブッダが認知症になったか、あるいは精神不安に陥ったかのような聖人らしからぬエピソードである。
 もっとも、世間の尊敬を集めるカリスマ的リーダーが、家族など最も身近な人間に対しては極めて尊大でワガママ、というケースは結構ある。死を前にした人間が、人格障害のような精神不安に陥るケースもよくある(エリザベス・キューブラ・ロスを思い出す)。
 よもや、ここでブッダの人間らしさを表現しているのだろうか?

 続く第4章で、ブッダは鍛冶屋のチュンダの用意した食事を食べたあと体調を悪化させる。
 ブッダは、チュンダがあとから「ブッダの死の因を作ってしまった」と自身を責めなくてすむように、また比丘や信者たちから責められないように、アーナンダに前もって注意を残しておく。
 こんな細やかな慈悲深い配慮のできる人が、延命を乞わなかったことでアーナンダを責め立てるだろうか? 二千年後にも残るような激しい言葉で。
 ソルティにはとても信じられない。信じたくない。

 同じアーナンダを諫めるのであれば、次のような流れこそブッダにふさわしかろう。
  1.  ブッダは自らの死期を悟り、アーナンダに「3か月後」と告げる。
  2.  驚いたアーナンダは号泣しつつ、「神通力を使って、少しでも長生きしてください」と何度も願う。
  3.  ブッダはそれに対し、「一緒に長くいながら何を学んできたのだ。諸行無常、諸法無我と幾たびも教えたではないか!」と叱責する。

 このような過失こそ、愛すべきアーナンダにふさわしかろう。


室戸岬の涅槃像
豪華共演:涅槃するお釈迦さまとそれを守る弘法大師
(高知県室戸岬にて)