2018年イギリス
155分

 「ピータールーの虐殺」について最初に知ったのは、数年前に豊島管弦楽団のコンサートでマルコム・アーノルド作曲『ピータールー序曲』を聴いたときだった。
 指揮は和田一樹であった。
 
 同曲は、15人の死者と600人以上の負傷者を出したこの惨劇を音によって表現したものであり、遠方からピクニック気分で家族が集うような平和な演説会が、武装した騎兵隊によって蹴散らされ、混乱に陥り、そこかしこで流血が起き、阿鼻叫喚の地獄と化していく様子が、迫力もって描かれている。
 事件を知らない者が聴いても、なにか忌まわしい悲劇があったことを知るだろう。

ピータールーの虐殺
 1819年8月16日、イギリスのマンチェスターのセント・ピーター教会前広場に集まった議会改革を要求する群衆が、当局側の弾圧をうけ、多数の死傷者を出した事件。
 イギリスではナポレオン戦争が終結(1815)し、戦時体制から解放されると、産業革命の矛盾が一挙に表面化し、抑えられていた労働者、職人らの不満が噴出して、政治改革・議会改革を要求する運動が高揚した。
 6万人が参集したこのマンチェスターの大集会は、下層階級による一連の議会改革運動の頂点をなすものであったが、大衆指導者ヘンリー・ハントが議長席に上がってまもなく、市当局が動員した義勇騎兵隊と軽騎兵隊とが群衆に斬り込んでけちらし、死者11名,負傷者400名以上を出した。
(平凡社『世界大百科事典 第2版』より抜粋)

IMG_20201009_150243


 死者・負傷者の数は資料によって異なるようだが、フランス革命から30年、19世紀初頭の英国でこのような弾圧事件があったのである。ちなみに、時の国王はジョージ3世であるが、精神疾患により息子のジョージ4世が摂政を務めていた。
 日本で言えば、「板垣死すとも自由は死なず」の自由民権運動に対する弾圧に相当するであろう。
 ソルティはまっさきに秩父事件を思い起こすが、秩父事件は武装した男たちによる実力行使、一種の反乱であった。
 女・子供もいるような武器を持たない民衆の集会を、権力が暴力でもって叩き潰したという点で、1989年の天安門事件がもっとも近いと思う。

 映画は、マンチェスターの田舎に住む貧しい一家が、政治改革を求める地元の活動家のスピーチを聞いて集会への参加を決め、家族そろって上京する姿を中心に置き、事件発生までの経緯を様々な角度から丹念に描いている。
 19世紀初頭の北部イングランドの街や家屋や工場や議会などのセット、人々の衣装、小道具が、しっかりした時代考証のもとに作られており、コスチュームプレイ(時代劇)としても風俗劇としても非常に見応えがある。CG全盛の昨今、ここまで本物らしさにこだわって丁寧に、予算かけて作られた映画は珍しいのではないか。
 しかも、構図や色彩や撮影が見事で、屋内のカットなどはまるでレンブラントかミレーの絵でも見るかのような奥行と深さとあたたかみを感じさせる。
 155分は長いけれど、無駄なシーン、不必要なカットは指摘できない。

 つくづく感じたのは、英国のスピーチ文化の浸透ぶりである。
 題材が題材だからスピーチシーンが多いのは当然なのだが、下層から上流まで階級に関わらず、スピーチが主要な表現手段として国民に受け入れられ尊重されているのが分かる。
 スピーチをする者は、言葉の選び方から論の立て方、古典の引用や比喩の使用、声の出し方や話の緩急、視線の向け方や手の動き、表情などを、考えに考え抜いて、鍛えに鍛え抜いて、自分なりのスタイルを作る。いかにして聴衆の耳目を惹き付け、心をつかみ、説得し、情動を揺り動かし、味方につけるかが勝負である。
 一方、スピーチを聞く方もただ黙って聞いているだけではない。賛意や反意の示し方、冷やかし方、合いの手の入れ方、拍手や締めの文句の唱和など、それなりのマナーを持っている。

 この言葉と論理と身体表現に対する愛着のほどをみれば、英国にシェイクスピアを核とする長い演劇の伝統があるのも、コナン・ドイルやアガサ・クリスティを嚆矢とする推理小説の興隆があるのも、よく分かる気がする。
 『マーガレット・サッチャー』の男議員たちを瞬殺する鋭いスピーチを出すまでもなく、素晴らしいスピーチができることはイギリス人(あるいは欧米人)の武器であり、社会において頭角を現すために若いうちから鍛えておきたい必須な技能なのである。
 口論では、日本の政治家が束になっても英国の政治家にかなうはずがない。もっともその前に英語力の問題があるが・・・・・。

 ピータールーの虐殺により、民衆の要求はことごとく潰された。
 政府はその後、治安六法として知られる弾圧立法を制定し、改革の動きを徹底的に封じ込めた。
 自由と平等を求める民衆への抑圧は、以前より増したと言われる。
 では、セント・ピーター教会前広場の集会は無駄骨だったのだろうか?
 そこで虐殺された民衆の死は、無駄死にだったのだろうか?

 事件から200年後の現在の英国で、普通選挙による議会制民主主義が確立しているのを見れば、既得権益をもつ層による弾圧や専横はあっても、歴史の流れは、個人の自由と平等と権利を保障する方向へ動かざるを得ないことが知られる。
 今となっては、「ピータールーの虐殺」は英国にとっての恥部でしかない。

 中国や北朝鮮が今のままでいられるわけがない。




おすすめ度 : ★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損