午後、急に思い立って高尾山に行った。

 なんと一年ぶりの山登り。
 一番最近は昨年10月末の鷹取山だった。
 これほど山から離れていたのは、山登りが趣味となった15年前からついぞなかった。
 むろん、骨折後はじめてである。

 そして、高尾山は昨年4月以来。
 恒例の初詣を含め、生涯もっとも多く登っている山にもすっかりご無沙汰であった。
 
 京王高尾山駅に着くと、駅周辺も、高尾山へと続く参道も、人であふれていた。
 コロナ前とまったく変わりない。
 いや、もしかしたらコロナ前より多いかもしれない。
 山歩きは、人との距離が取れるアウトドアで、ストレス解消にも最適だ。
 みな、そこを狙って来たのだろう。
 ただ、すでに午後3時を回っていたため、下山客がほとんどで、これから登る者は少なかった。


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 ケーブルカー麓駅の脇から、勝手知ったる琵琶滝コースに入ると、頭や心より前に身体が反応した。
 全細胞が久しぶりに浸かる高尾の“気”に打ち震えた。
 足りてないのはこの“気”であった。
 求めていたのはこの“気”であった。
 
 中央線を高尾駅で降りたときからすでに感じていたのだが、やっぱり高尾の“気”は違う。
 ヒノキや杉などの針葉樹が発する、明らかに神社系の“気”で、気高さと清涼感にあふれている。
 丹沢の山とも武蔵の山とも違う。
 富士山から連なる中央線沿いの山々だけに許された神(コノハナサクヤヒメ?)なる“気”である。
 とくに高尾山は、昔から修験の山で、頂上には真言宗薬王院があり、琵琶滝や蛇滝などに見るように水系豊かなため、中央線の山々の中で一番都心に近いにもかかわらず、素晴らしい“気”を保っている。


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琵琶滝


 高尾と言ったら天狗だが、ソルティはどちらかと言えば、龍を連想する。
 身体を波打って貫くようなエネルギーを感じるのだ。
 圏央道のトンネル貫通も、ミシュラン3ツ星による世俗化も、この“気”を奪うことはなかったのだ。
 いや、もしかすると、コロナで一時入山者が減ったおかげで、本来の“気”がよみがえったのであろうか?

 山道を進むにつれて、全身の成分が入れ替わっていくのが感じられた。
 一年ぶんの代謝。

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 歩いて山頂まで行き、下りはケーブルカーかリフトを使うつもりであった。
 上りより下りのほうが、足に負担がかかるからだ。
 が、結局、30分ほど歩いた3号目あたりで棄権した。
 平地では90分以上連続して歩けるようになったが、上りで、しかも足元の不安定な山道はまだ無理が効かないようだ。
 それに速度もつかないので、山頂に着くまでに暗くなりそうだった。

 沢を見下ろすベンチに腰掛けて、40分ほど瞑想した。


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 ・・・・・ととのった。

 中央線沿線に住んでいた15年の間に、自分がどれだけ高尾の“気”に馴染んでいたか、その聖なるエネルギーを糧にして生きていたかを、つくづく思い知った。
 昨年4月に実家のある埼玉に戻ってから、身心ともになんとなくすっきりしないものを感じていたのだが、その正体は“高尾ロス”だったのだ。
 土から抜かれた植物のように、エネルギー源から切り離されていたがゆえに枯渇していたらしい。

 下山後は、友人と待ち合わせ、高尾極楽湯でのんびりした。
 と言っても、ここもコロナ前の休日と変わりない混みよう。
 露天風呂は芋を洗う猿たち(笑)でいっぱいであった。
 ソーシャルディスタンス的にはかえって「やばかった」かも・・・・・?

 そうそう、コロナ前と大きく違ったのは、ほぼ日本人100%の高尾山だったこと。 
 何年ぶりの光景だろう?

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