1951年東宝
97分、モノクロ

 原作は林芙美子の遺作小説。
 監修に川端康成の名が上がっている。
 
 熱烈な恋愛の末、周囲の反対を押し切って結ばれた初之輔(=上原謙)と三千代(=原節子)であったが、二人だけの生活も5年もするとマンネリ化してくる。三千代は、「台所と茶の間を行ったり来たり」だけの人生でいいのか、と思い悩む。
 そんなとき、東京に住む初之輔の姪・里子が、親の決めた縁談を嫌い、家出して夫婦のもとに転がり込んでくる。奔放な里子の振る舞いに眉を顰め、里子と初之輔の仲の良さに嫉妬する三千代であった。
 
 倦怠期の夫婦を描いた作品と解説されることが多いが、これはむしろ、フェミニズム的テーマを含んだ問題作の片鱗がある。
 片鱗――というのは、原作は未完で、林芙美子がどういう結末を用意していたか誰にも分からないからだ。
 原作は、三千代が「これからの人生を考える」ために東京の実家に帰ったところで終わる。
 三千代がこのまま初之輔と別れ、東京で仕事をみつけて自立するなら、本作はフェミニズム小説(映画)になりえただろう。
 だが、実際の映画は、東京まで迎えに来た初之輔に三千代が情愛を感じ、一緒に列車に乗って大阪に戻るところでエンドクレジットとなる。
 窓外を流れる景色を見ながら、三千代は心の中で呟く。
「愛する男と一緒に幸福を求めながら生きていくことが、女の幸福なのかもしれない」
 
 ソルティは林芙美子を読んだことがないので作風も人物も知らないのだが、流行作家としてジャーナリズムを賑わせたことから察するに、「結婚して家に入って炊事・洗濯・夫と子供の世話に明け暮れる」ことを女の幸福と考える人じゃないのは確かだと思う。
 この映画の結末は、東宝サイドの「二人を離婚させるな」という要望を汲んでのことらしく、林芙美子ファンの間では評判が良くないようだ。
 さもありなん。
 
 だが、当時の観客の多くにとっては(男はもちろん女の観客も)、三千代が夫のもとに戻る結末にホッとしただろうし、上記の三千代の独白にも「そのとおり」と頷いたことだろう。
 女性の自立を映画で描くには、20年ばかり早かったのだ。
 
 往年の美男美女スターである上原謙と原節子は、ここでは円熟の色を見せている。美より技を感じさせる演技である。(いや、二人とも十分美しいが)
 三千代の母親役の杉村春子も、ここではいつもの「おきゃんで口やかましい下町風おばさん」とは違った、やさしい日本のおふくろを演じ、その穏やかな笑顔は心にしみる。
 
 戦後の日本、とくに夫婦が住む大阪の風景(中之島公園、大阪城、道頓堀など)が映し出され、興味深い。
 
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上原謙(42)と原節子(31)



おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損