2007年佼成出版社
 
 井上ウィマラは、曹洞宗とミャンマーのテーラワーダ仏教で出家し、瞑想を極めた(?)人。還俗して、現在は高野山大学スピリチュアルケア学科で教鞭をとっている。
 有田秀穂(ひでほ)は、東大医学部卒業後、脳神経の研究に従事してきた科学者。瞑想や坐禅が脳神経に及ぼす影響を科学的手法で検証している。
 有田の研究に興味を持った井上が、実験の被験者として参加したことから、二人の関係が始まったようである。
 本書は、二人の対談をメインに、副題の通り、「脳生理学があかすブッダのサイセンス」を追究している。

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 修行者が瞑想で得られる様々な(神秘)体験・境地・智慧を科学的に解明することに対して、あるいは、悟りを単なる生理学用語に還元してしまうことに対して、不快な思いを抱く人もいるかもしれない。
「悟りはそんな単純なもんじゃない」
「なんでもかんでも科学で解明できると思うのは、唯物論者の傲りにほかならない」
「人間はそんな機械的なものではない」
といった声が聞こえてくる(空耳?)

 ソルティはそんなことはない。
 瞑想で体験することに何らかの科学的根拠があるのは当然だと思うし、悟りや禅定はある程度まで脳内現象で説明できるはず、と思っている。
 そこに、神秘的な何か――たとえば、プレアデスからの光線とか、守護霊のお導きとか、阿弥陀仏の慈悲とか、アセンデッド・マスターの計略とか、別次元にいるソウルグループの援助とか――を持ち出すほうが、むしろ抵抗を感じる。  
 というのも、ソルティは「悟りは人類の次なる進化の段階」と思っているからだ。 
 
 つまるところ、地球上の生き物の進化とは、脳の進化にほかならないと思う。小さな脳から大きな脳へ、単純な脳から複雑な脳へ、一つの脳から複数の脳へ。
 あるいは遺伝子の進化といってもよいのだろうが、生き物の基本的機能をもっとも強く規定するのが脳および脳の出す指令であることは否定できまい。遺伝子はその脳の形成に関わっている。
 だから、人類の脳が地球上の生き物の中でもっとも緻密で複雑であるものと仮定して、まだ人類に進化する余地が残されているとしたなら、それは「脱人類」へ向かっての脳のさらなる進化に違いないだろう。
 それが「悟り」なんじゃないか。
 (逆に言えば、この進化をやり損なったら人類は早晩、滅亡するんじゃないか)


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 本書で、有田は脳内にある“心に関係する”神経として、次の3つを上げている。
  1.  ドーパミン神経 ・・・・・・「快」に反応する神経。
  2.  ノルアドレナリン神経 ・・・「ストレス」に反応する神経。
  3.  セロトニン神経 ・・・・・・上の両者を制御できる神経。
 ドーパミンは、美味しいものを食べたり、セックスしたりすると分泌される。個体が生存し、種が存続するのに必要な食欲と性欲とにかかわる。これが過剰に出ると、欲望が高じ、依存性をもたらす。
 ノルアドレナリンは、副腎髄質から分泌されるアドレナリンと共に、闘争あるいは逃避反応を生じさせる。怒りや攻撃性や不安や恐怖を呼び起こす。
 セロトニンは、食欲や性欲を抑制する働きをもち、外からのストレスに対して反応しないという。上の二つの物質をコントロールし、精神を安定させる。

 これがあたかも仏教で言う「貪(むさぼり)」、「瞋(いかり)」、「痴(無知)」に相応するところが興味深い。欲と怒りをコントロールするセロトニンの働きは、「智慧」や「中道」を意味しているように見える。
 あるいは、本書でも示唆されているように、釈迦国の王子時代のブッダ(ドーパミン過剰期)と、苦行時代のブッダ(ノルアドレナリン過剰期)、そして悟ったあとのブッダ(セロトニン充足期)を暗喩しているようで面白い。

有田:ドーパミン神経という快の神経と、ストレスの神経のノルアドレナリン神経と、その両者を制御できるセロトニン神経の三つが、心の模様をつくっていると思われますが、この三者を比べたとき、それぞれの役割の違いだけではなく、重要なのはその神経が果たして鍛えられるかどうかということです。おそらくセロトニン神経だけが鍛えられるという事実に、ブッダも気づいたと思うのです。

 もちろん、ブッダは脳科学など知らなかったし、セロトニンの存在も知らなかった。
 ただ、自らを実験台として、「どうすれば欲と怒りを抑制できて、中道の状態が持続できるか」を発見したのであろう。
 発見とは、すなわち道諦であり、八正道であり、ヴィパッサナー瞑想である。

ウィマラ:宗教の怖さの一つに、トランス状態にもっていったりとか、泣かせたり、涙を流させることでマインドコントロールして、ある信念体系のなかに入れてカルト教団をつくっていったという歴史が一部にあります。その宗教体験はほとんどの場合、神秘体験が鍵を握ります。
 一方、ブッダの瞑想の特徴は、このセロトニンを鍛えていくことに深くつながっている、と言えます。つまり、ブッダの気づきの瞑想の特徴は、涙を流すという感覚あるいは自己溶解体験にもあてはまらない、トランスとエクスタティックな状態にも留まらないということ。その体験を一時的なものとして通過し、その体験自体を見守る、ずっと見続けていられる安定したバランスのいい「見守り」を育ててくれるのです。

 有田によれば、セロトニン神経を活性化させるのは、腹筋を使った呼吸、咀嚼、歩行などのリズム運動を“意識的に”継続することだという。同じ歩行でも、雑念があったり周囲に気が散ったりするような散歩ではダメだという。
 「今ここ」で起こっていることに対する“気づき”が大切なのだ。
 一方、セロトニン神経には自己制御機能があって、ある程度の量が分泌されるとそれ以上は出ないように、自動的に抑制回路が働き出して分泌を減少させる。
 つまり、セロトニンによる効果は一時的である。
 この自己制御機能を鈍化させ、脳内回路を変えるためには、長期間の持続的かつ意識的なリズム運動が必要だという。
 それがセロトニン神経を鍛える、つまり修行の意味というわけだ。

 瞑想修行が精神を安定させ、ひとを幸福にすることの科学的根拠を示す本として、一読の価値がある。

  


おすすめ度 : ★★★★

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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損