1971年アメリカ
105分

 ソフィア・コッポラ監督『ビガイルド 欲望のめざめ』(2018)と原作を同じくする約半世紀前の先行作品。
 ストーリーはほぼ同じだが、主要キャラクター設定が微妙に異なり、その違いが馬鹿にならない。

 たとえば、シーゲル版で登場する学園に住み込みで働いている黒人奴隷女性が、コッポラ版には登場しない。
 南北戦争中の南部の女子学校が舞台という設定を考えれば、シーゲル版のほうが自然でリアリティがあり、物語に奥行きも出る。
 コッポラは人種差別問題に触れたくなかったのかもしれない。

 また、最後まで生徒たちを守り抜く気丈なマーサ校長の人物設定もかなり違う。
 コッポラ版のマーサ(=ニコール・キッドマン)は、久しぶりに接する若く逞しくハンサムな脱走兵(=コリン・ファレル)を前に惑溺・葛藤しはするものの、基本的には美しく凛とした女校長であり続ける。
 一方、シーゲル版のマーサ(=ジェラルディン・ペイジ)は、重すぎる背徳を抱えたある種の精神障害者であり、脱走兵(=クリント・イーストウッド)に抱く感情も複雑極まりないものがある。
 このジェラルディン・ペイジの演技が圧巻。
 業に囚われ、性愛の天国と地獄を知った女を、絶妙な表情とたたずまいで演じきっている。
 これにはさしものニコール・キッドマンも形無し。

 どちらの作品がより原作に沿っているのかは知らないが、明らかにシーゲル版のほうが人間心理の奥まで抉り出し、より恐ろしく残酷な物語になっている。
 演出も、撮影も、役者の演技や貫禄も、官能性も、シーゲル版に軍配は上がる。


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脱走兵(イーストウッド)と女校長(ジェラルディン・ペイジ)
黒魔術の儀式のような背徳感あふれる
硬派のシーゲル&イーストウッドには珍しいシーンである


 コッポラ版では女校長の視点に同調して映画を観たソルティ。
 今回のシーゲル版では脱走兵の視点に同調していた。
 男だろうと女だろうと、性別に関係なく主役に同調できるところが、物語鑑賞者としての自分の強みかもしれない。
 


おすすめ度 : ★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損