2020年飛鳥新社

 東日本大震災および津波による福島原発事故にまつわる〈怪談〉を集めたもの。
 震災前の不思議な予知現象の数々、震災後の被災地で頻発した心霊現象など、体験した本人に著者がじかに会って聞いた話や知人を介して聞いた証言などが掲載されている。


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 死者15,897名、行方不明者2,533名という大惨事。
 しかもそれが一瞬にして起こり、いくつもの町が海の藻屑と消え、それまでの平和な生活が断たれた。
 「こういった霊的現象はたくさんあっただろうなあ、あるだろうなあ」と当時から思ってはいたが、オカルティックなことだけに、直接被害に遭ったわけではない外部の人間があれこれ穿鑿するのははばかれる。
 あれから10年近い歳月を経て、ようやく表立って語られ始めたわけである。

 「作り話だから」とか「非科学的だから」と排除してもいいものではないように思います。幽霊譚が語られる背景や、話の中に込められた被災地の方々の心に思いをはせるべきではないでしょうか。

 と、「あとがき」で著者が述べているように、霊的現象に遭遇せざるを得ない精神的状況に追いやられている被災者や救援者の心をこそ想像すべきである。
 愛する者の突然の死を受け入れることの大変さ、住みなれた郷土やコミュニティの喪失からくる空虚や絶望や孤独、想像を絶する悲惨な現場で救援活動する人々が抱える心的外傷・・・・・。
 非日常にさらされ続けた人々が、日常世界を超えたところにある世界を垣間見たところで、なんら不思議なことはない。
 本書を読んでいると、「この世とあの世は地続きだ」という丹波哲郎の言葉が、まさに証明されている感を持つ。
 生きている者と死んでいる者との違いは、まんま、“生きているか死んでいるか”だけであって、人が抱く思いの様相はまったく変わらないのである。 

 震災前の日常生活の中であったら、現地のほとんどの大人たちに無視され、鼻で笑われ、あるいは怖れられ、忌避されたであろう幽霊譚が、震災後の非日常空間では、あたかも「あたりまえ」のことのように語られ、受け取られ、幽霊の存在を誰も疑っても怖がってもいないように見えるのが、非常に印象的である。
 亡くなったあとも死者は生者のそばにいて何ごとかを伝えたがっている、あるいは見守ってくれている――という、日本の庶民の中に昔からある「あの世観」は、今も決して無くなってはいないのだろう。
 それをもっとも教えてくれるエピソードをかいつまんで紹介する。

星空の飾り線


 震災後に問題となったことの一つに、仮設住宅での高齢者の孤独死があった。
 生まれ故郷からも地域のつながりからも隔離された土地に移転させられ、生きる気力を失う高齢者は少なくなかった。
 ある町の仮設住宅でおばあちゃんが亡くなった。
 誰も住んでいないはずの部屋から夜な夜な声や物音が聞こえる。
 町役場の職員が、おばあちゃんの介護をしていたおばちゃんヘルパーと連れ立って、確かめに行った。
 と、やはり部屋から声がする。
 見ると、布団を一枚敷いた上におばあちゃんが座っている。
 恐怖で腰を抜かし声も出せない職員をよそに、おばちゃんヘルパーはいつもの訪問どおりに、おばあちゃんに語りかける。
 「おばあちゃん、どうしたの?」

 おばあちゃんは、いつも身につけていた孫の作ってくれた膝掛けを探していたのであった。それが、他の遺品と一緒に倉庫に保管されなかったのが気になって、毎夜探しに出てきたのである。
 「膝掛けを探して持ってくるよ」というおばちゃんヘルパーの約束で、おばあちゃんは落ち着いて、消えていった。
 行政職員は、ヘルパーに問う。

「どうしてあんなことができたのですか」 
「仕方ないじゃない、相手は死んじゃってても、私の担当だったんだから。今まであれだけしてきたんだもの、仲良かったんだもの、何か言いたいことがあるから出てきているだけで、私たちに何か悪いことをしようとすることもないから」
「でも、お婆さんはもう死んでいるんですよ」
「生きているのよ。津波で死んだ人も、ここで死んだ人も、みんな、心の中だけじゃなくて、町のことが心配でここにいるんだよ。あんたみたいな若い役場の人が、早く街を元に戻してくれないと、お婆さんも他の人も心配であの世に行けないから、がんばんなさいよ」

 おばちゃんヘルパー、凄い。



おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損