2016年PHP研究所

 漫画家・水木しげるのエッセイ。
 ガキ大将で不思議な体験の多かった子供時代、九死に一生を得た戦争体験、戦後の混乱期のドサクサ、つげ義春や荒俣宏といった周囲の奇人変人・・・・・とにかく面白いネタの宝庫である。
 エッセイストとしても一流なのであった。

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 ときに、今年一年を振り返って思うことの一つは、「働かなかったなァ~」ということである。
 合計すると、365日のうち働いた日(=賃金を得た日)は65日しかない。
 週5日働く人の1/4しか働かなかった。

 1~3月は骨折のため労働保険の療養補償給付をもらい、家で養生していた。
 4月から職場復帰したが、結局、「この足で介護の仕事はもう無理」と判断し、6月いっぱいで退職。
 今の仕事が決まる10月半ばまで完全無職であった。
 失業保険はもらえなかった。
 というのも、失業保険の受給資格(最低、過去一年間納付が前提)は、労災をもらっている期間は組み入れられないため、該当しなかったからである。
 現在はパートタイムで、週3~4日の勤務である。
 
 こんな働き方でなんとかやっていけるのは、実家住まいだからである。
 無職の3か月間などは、ほとんど8050状態だった。
 これが独身でなくて結婚していて子供がいたら、こんな悠長なことは言ってられまい。
 独身バンザイ!
 
 しかし、働かなかったのはこの一年だけでなく、昨年も、一昨年も、実はそんなに働いていない。
 昨年は失業保険で始まり労災保険で終わるという“福祉ゴロ”のような一年だった。
 働いたのは都合120日ばかり。
 一昨年は8月まで働いて、その後は秩父巡礼や四国遍路に費やした。
 働いたのは都合130日ばかり。
 年々働く日数が減っている。
 それでなんとかやっていけるのだから、いい世の中である。

 子供の養育費や教育費はともかく、親の介護費用とか自分の老後資金のことを考えれば、今のうちにしっかり稼いで、ある程度まとまったお金を蓄えておくべきなのだろう。
 それは分かっているのだが、どうにもバリバリ働けない自分がいる。
 ほかの人と同じように週5日みっちり働くことが、しばらく前から億劫になってしまった。
 億劫というか、負担というか、意義を感じないのだ。
 週5日みっちり働いて心身を壊すよりも、給料は低くとも週4日パートで働いて自分の時間をより多く持ったほうがいい、という選択を自然としている。
 たとえば、一日多く働いて稼いだ分を何に一番使いたいかと問われたら、間違いなくこう答える。
 「そのお金で自分の自由になる時間を買います!」
 ならば、はじめから時間を買っておくことである。
 というわけで、ここ数年、週4日勤務に甘んじてきた。

 そうやって得た自由時間を何に使ってきたかといえば、読書や映画鑑賞や瞑想やボランティアやブログ作成や山歩きなどである。
 ボランティアを除けば社会的にはまったく意義がない活動で、もっぱら自己満足の世界である。
 ほんと贅沢な話で、独身貴族とはよく言ったものである。
(――と思ったのだが、コロナ禍の今、上記の活動は社会的意義ありありではないか!)

 昨今は「ワークライフ・バランス」という便利な言葉があるので、こうした働き方もある程度理解してもらえるようになった。
 非正規雇用の人が正社員になるため苦労している記事などを読むと申し訳ない気もするのだが、ソルティには正社員になりたいという強い思いは不思議とない。 

原住民



 水木しげるは戦時中にラバウルで出会った現地の人々(水木言うところの“土人”)の暮らしに終生憧れた。
 
 僕にとって土人の生活は天国だった。働かずとも自然はバナナとかパイナップルとかいうめぐみをあたえ、人は一日に二時間ばかり畑に行って芋を植えるくらいで、一生のんびりすごす。 

 しかしながら、売れっ子漫画家となった水木の実際の生活は、365日休みなしの昼から明け方までの働きずくめであった。
 いくつもの締切に追われ、しまいには“体がなんでも早く解決(締切)しないと、おさまらなく”なってしまう「締切病」になってしまう。
 墓場を買ってあの世行きの準備をして、早く人生を締切ってしまいたいという衝動にかられる。

 いや、マンガ家だけでなく、日本人は大なり小なり、この締切病みたいなものにとりつかれているのではないだろうか。
 だいたい、歩き方にしても、みな締切に追われているような歩き方だし、日常生活だって自由なんかない、みな何らかの締切に追われた生活だ。
 一つの締切が終わると、次の締切が待っているのだ。

 この感じ、よくわかる。
 ソルティも、たとえば休みの日に部屋を掃除しているときに考えるのは、「早く掃除を終えて、ゆっくりお茶でも飲もう」ということだ。
 で、掃除が終わってお茶を飲む。
 飲みながら考えているのは、「これから買い物に行って、あれを買おう、これを買おう」といったことである。
 お茶の味も香りももはや楽しまず、買い物リストなど作成している。
 で、買い物に行く。
 買い物しながら考えているのは、「早く家に帰って、ゆっくりお茶でも飲もう」といったことである。
 常に、先のことを考えている。
 これではいつになっても「ゆっくり楽しむ」時は訪れない。

 最近、働き方改革が叫ばれている。
 それは結構なことだが、ただ単に暇な時間を増やせばいいというだけではなかろう。
 「いま、ここ」にいられる感性を育みたいものだ。

 この灰色の文明社会、幼稚園からシケンに追われ、一生安らぎのない文明社会、はげしい競争して勝ったって幸福になれるわけでもない文明は、さまざまなものを作るが、それは人間にとって、必ずしも必要でないものなのだ。ただ生活を複雑にするだけのものだ。便利になったからって人間は幸福になれるものではない。僕はなにか世界の大半を占める文明というものが、知らず知らずのあいだに世界を地獄にしているのではないかと思う。

 小さい頃に見ていた『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌は、水木しげるの本心からの願いだったのだ。

 来年も、なるべく仕事に追われない一年でありますように。



おすすめ度 : ★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損