新型コロナウイルスが出現して一年以上になる。
 2021年1月10日時点の世界の累計感染者は8,800万人、死亡者は190万人を超えている。
 たった一年でこれだけ広がったのだ。
 これは2019年のデータではあるが、UNAIDS(国連エイズ合同計画)の発表によれば、世界の新規HIV感染者は年間170万人、エイズによる死亡者は年間69万人だった。
 新型コロナウイルスの一年間の感染者数は、過去40年分のHIV感染者数(推定7,570万人)を上回ってしまった。
 このウイルスの威力をまざまざと感じる。
 
 日本では2021年1月10日現在、累計感染者288,825人、死亡者4,066人である。(厚生労働省発表)
 ソルティは首都圏に住み、地元の介護の仕事に携わっているが、今や、身近なところで感染を聞くようになった。地域のデイサービス、認知症のグループホーム、市内の学校、骨折治療で世話になった病院・・・・。
 先日も知り合いの介護従事者が感染し、いま自宅療養中という。
 自分や自分の同居家族がいつ感染してもおかしくない状況になってしまった。
 なんということだ!
 ダイヤモンドプリンセス時代が懐かしい・・・・

 
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 このウイルスの怖さはどこにあるのだろう?

 むろん、死につながる病であることが第一である。
 が、それだけではないことも確かだ。
 同じ感染症で、かかったら死ぬこともあるという点では、インフルエンザと変わりないはずだ。
 感染力や致死率の違いが、新型コロナウイルスをインフルエンザより怖いものにしているのだろうか?
 それならばHIV/AIDSはどうだ?
 感染力や致死率はインフルエンザよりずっと低いのに、いまだに人々から恐れられ、忌避されている。
 そう。新型コロナウイルスをめぐる今の日本の状況は、35年前のAIDSパニックに近いものがある。
 そのあたりを考察してみたい。

 
新型コロナウイルスが怖い理由

理由1 病気そのものの怖さ
 ウイルス感染が個体にもたらす身体的苦痛と心理的苦痛がある。
 初期症状と呼ばれる発熱や倦怠感やのどの痛みから始まって、嗅覚・味覚の異常や止まらない咳、呼吸苦、肺炎、気管内挿入に象徴される治療の苦しみ、そして最悪の場合、死がある。
 運よく回復したとしても、後遺症に苦しむ人も少なくない。
 病気と闘っている間に生じるであろう不安、恐怖、孤独、絶望なども馬鹿にならない。
 無症状で自宅やホテルで待機している人もまた、「いつ発症するか」「いつ急変するか」という不安や恐怖を免れ得まい。

 病気に対する怖さに影響を与えるものとして、その国の医療レベル、治療へのアクセスしやすさ、社会保障レベル、個人が属する文化における病気や死に対する観念、それぞれの個体の持っている強さ(年齢・既往症・抵抗力・精神力ほか)などが挙げられよう。

 
理由2 スティグマによる怖さ
 スティグマとは烙印のこと、かつて犯罪者の皮膚に焼きゴテでつけた印のことである。
 新型コロナウイルスに感染することで、個人は周囲や社会からまるで犯罪者のような扱いを受けることがある。
 中傷、差別、プライバシー侵害、不必要な隔離などの自由の束縛。
 当人だけでなく家族も被害者となる。
 患者をケアする医療従事者もまた対象となる。
 すでにいろいろな酷いことがあちこちで起きているのを聞いている。

 スティグマの強さに影響を与えるものとして、社会の人権意識や科学性、メディアの扱い、病気や死に対する観念などが挙げられよう。たとえば、健康幻想が強いところでは、病気=悪とみなされやすい。
 一般に、迷信深い他罰的社会ほど、スティグマは強いと思われる。


理由3 周囲や世間に迷惑をかける怖さ
 自分が感染した。そのときに、周囲が被るであろう様々な負担や労力や被害に対する負い目が生じる。
 たとえば、病欠によって仕事に穴を開ける、同僚の負担を増やす負い目。自分と関わった人々を“濃厚接触者”にしてしまう(=2週間の自宅待機を余儀なくさせる)負い目。風評被害による経済的損失を作り出してしまう負い目。

 こうした負い目は、世間体を気にする社会、個人より組織を大切にする社会、「人に迷惑をかけるな」という教えが尊ばれる社会、同調圧力が強い社会ほど、個人にのしかかるであろう。
 日本はまさにそうである。


理由4 他人にうつしてしまう怖さ
 上記1~3の怖さのすべてを他人にも与えてしまう恐れ。
 それが見知らぬ他人でもつらいことだが、職場の同僚であったり、仲の良い友人であったり、同居の家族であったりすると、実に心苦しいものである。

 他人にうつしてしまう怖さは、たとえば、医療や介護や保育など濃厚接触が避けられない仕事に就いていればより強くなるし、同居する家族の有無によっても違ってくるだろう。
 厄介なのは、現在自分が感染しているかどうかが把握できないことである。
 無症状でも感染していることはあるし、検査で「陰性」が出てもそれは100%絶対ではない(=偽陰性がある)。
 また、HIV検査同様、感染して時間が経っていない段階では正確な判定が下せない“ウインドウピリオド”があるため、「陰性」は必ずしも今現在の状態を示すものにはならない。
 自分がすでに「感染している」ものと仮定して、相手に接するくらいの配慮(逆防御?)が必要かもしれない。


理由5 生活が破壊される怖さ
 新型コロナウイルスの影響による失業者は、本年1月6日時点で8万人を超えたと言う。 
 この先、もっともっと増えるのは間違いない。
 企業の倒産、閉店、廃業、解雇、雇い止め・・・・・。
 全国レベルでこれだけたくさんの人が生活の危機にさらされたのは、終戦直後以来初めてだろう。
 自粛の影響は、ひとり経済面のみならず、文化面、教育面、健康面(身体的にも精神的にも)にも深い影響を及ぼしている。
 昨年7月以降の自殺者数の増加傾向も指摘されている。
 社会保障がいまこそ重要だ。


 上記1~5の理由は相互に関連し、影響し合い、良くも悪くも相乗効果を生んでいる。
 たとえば、まかり間違えば死に至る病であるからこそ、スティグマも強いし、他人にうつしてしまうのが怖い。他人に感染させてしまう病であるからこそ、加害被害の関係が発生し、感染者を罰する空気が生まれやすい。世間に迷惑をかけることを非とする社会だからこそ、迷惑の元となった人に対するバッシングは厳しい。生活が破壊されるリスクがあるからこそ、病気の怖さが一段と増してくる。


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Gerd AltmannによるPixabayからの画像


 ソルティは専門家ではないし、ここは対策を考える場ではない。
 特効薬やワクチンの開発が一番であることは、素人でも分かるが・・・。
 ただ、政府の動きを見ていると、戦略のなさを指摘せざるを得ない。
 またしても、太平洋戦争時(8.15)や福島原発事故時(3.11)に露見したニッポン・イデオロギーによる愚行が繰り返されているような気がしてならない。
 台湾政府のような戦略的行動がなぜ取れないのだろう?
 そうだ。怖さの理由の6番目は「政府を信頼できないから」である。

 少なくとも、感染者に対する中傷や差別をなくすために、
  1.  医療・行政機関等からのプライバシー漏洩を絶対に避ける
  2.  悪質な中傷や人権侵害には罰則を設ける
 この二つは徹底してほしいと思う。

 別記事でも書いたが、エイズパニックの時同様、上記理由の2と3が強いと、1や4を凌駕する。
 つまり、他人に感染させる恐れがあっても、スティグマを恐れたり他人に迷惑をかけることに怯えたりすると、検査を拒否したり感染を隠したりする行動に流れやすい。むろん、治療にもつながらない。
 発症して入院につながる場合は別として、感染しているのに症状が出ないケース、いわゆる無顕性感染の場合、隠蔽しての行動は可能である。
 現在、ネットで購入できる検査キットが出回っている。
 住所・氏名を伝えなければならない(=感染者であることが特定される)検査所に行かなくとも、自らの感染状況を自宅で知ることができる。
 そこで自らの感染を知った人たちが、それを隠蔽して、これまで通りに通勤して仕事して友人と会食してをすれば、感染拡大が止まらなくなる。

 感染の恐れのある人が安心して検査を受けられ、感染が判明した人が必要最低限の周囲の人に躊躇なく結果を伝えることができ、必要な補償を受けながら自宅待機や治療に安心して入られる状況をつくっていくことが望まれる。
 でなければ、だれも安心して感染者にはなれない。

 怖いのは病気よりも世間や社会である。