2006年原著刊行
2016年新潮社(魚川祐司訳)

 私たちは生きるために、生活するために、健康でいるために、たくさんのことを必要とします。
 しかし、満たされたと感じるために、出かけていって外側の事物を探し求めたりはしないでください。外的な事物は何も、あなたを満たされたと感じさせてはくれません。
 唯一、あなたを満たされたと感じさせてくれるのは、自身のスピリチュアルな本性に深くふれること。とても高貴で、とても美しい本性にふれることです。(標題書P.150)

 こういった言説は、スピリチュアル業界ではよく耳にするところである。
 我々が真に望んでいるものは、外の世界のどこか遠いところにはなく、身近なところにある。
 メーテルリンク『青い鳥』やジュディ・ガーランド主演『オズの魔法使』(1939)において象徴的に描かれているテーマである。
 ウ・ジョーティカ師は、「瞑想によってその内側の宝を見出しなさい」と言っているのである。

 とは言え、頭では分かっていてもなかなかできない。
 我々の外に広がる世界は、一見、あまりに豊かで、あまりに刺激的で、あまりに面白いからである。
 衣食住および安全といった、人が生きる上での不可欠な欲求が満たされるや否や、我々の関心と欲求は外の世界に向いてしまい、孤独と退屈を避けるべく、また、より多くの快楽と満足を得るべく、世界にかかりっきりになってしまう。
 ひねもすスマホをいじり続けている若者の姿は、まさにその象徴であろう。

 アメリカの心理学者アブラハム・マズロー(1908-1970)は、自己実現理論を唱え、人間の欲求を5段階の階層で説明した。
 以下のようなものである。

マズローの欲求段階説
『社会福祉士の合格教科書』(飯塚慶子著、医学評論社)より引用


 ウィキペディア「自己実現理論」の記述をもとに、下段から順に簡単に説明すると、
  • 生理的欲求 (Physiological needs)・・・生命を維持するための本能的な欲求で、食事・睡眠・排泄など。
  • 安全欲求 (Safety needs)・・・安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、事故の防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求。
  • 社会的欲求と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)・・・自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚。情緒的な人間関係についてや、他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚。
  • 承認欲求 (Esteem)・・・自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。
  • 自己実現欲求 (Self-actualization)・・・自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。
 マズローの説が妥当かどうかは検討の余地があろう――ソルティは「安全欲求」と「社会的欲求と愛の欲求」との間に「遊びと知識への欲求」というのがあると思う――けれど、とりあえずそのまま受け入れるとして、人が生きる上で最低限満たされるべき欲求は下の二つ、すなわち「生理的欲求」と「安全欲求」までではなかろうか。
 その上位に位置する二つ、「社会的欲求と愛の欲求」および「承認欲求」は、対人的・対社会的な文脈において生じるものであり、無人島や深山幽谷で独りきりで生きている人間が存在することを思えば、必しもすべての人間に不可欠とは言えまい。
 むろん、これは心理的な意味合いで言っている。
 食べ物や衣服や日用品を手に入れたり、交通機関やインフラを利用したりするために、誰しも他人や社会との関りは避けられないし、相互扶助は必要である。
 病気になったり介護が必要になったりすれば、他人の世話にならざるを得ないし、社会による共助や公助を求めざるを得ない。
 物質的には、他者や社会との関係はなくてはならないものである。
 
 ウ・ジョーティカ師が、「出かけていって外側の事物を探し求めたりはしないでください」という時に意味しているのは、マズローの説で言えば、下から3段目の「社会的欲求と愛の欲求」およびその“上位”に位置する欲求にのめりこむな、ということなのだろう。
 あるいは、2段目の「安全欲求」のうちでも、安全に健康的に生きるのに必要とされるぶん以上の金品を得ることにかまけるな、ということなのだろう。
 
 年を取って体が弱ると、仕事を始め、いろいろな活動から引退することを余儀なくされる。
 パートナーに先立たれ、活動範囲が狭まり、友人・知人が少なくなる。
 すると、「社会的欲求と愛の欲求」の危機がやってくる。
 地位や名声だけを誇りとも生きがいともして生きてきた人は、「承認の欲求」も最早得られない。
 老人ホームの食堂で、かつて有名企業の社長であったことを自慢しても空しい限りである。
 ソルティは、衣食住と安全が保障されている老人ホームで、多くの高齢者(とくに男たち)が“上位”の欲求を充足するすべを失い、抜け殻のようになって自分が保てなくなる様を見てきた。
 これが自分の行く末か・・・・と思わされた。

 それ以来、あまり仕事や組織や技能や人間関係に固執するのは得策ではないと思いつつ、瞑想実践するようになった。
 
 心がマインドフルな状態でない時、それは家のない人のように感じられる。
 とても不安で、とても不幸なのです。
 マインドフルでいる時、あなたは本当に在宅していると感じられる。
 ですから、「マインドフルネス(気づき)こそ我が家」なのです。 

青い鳥