2017年原著 Ghosts of the Tsunami 刊行
2018年早川書房
2021年ハヤカワ・ノンフィクション文庫

 著者は1969年生まれの英国人ジャーナリスト。
 『ザ・タイムズ』東京支局長として1995年より日本に住む。
 2000年に神奈川県逗子で起きた英国女性ルーシ・ブラックマンさん殺害事件の真相に迫ったノンフィクション『黒い迷宮』(早川書房)を著している。(この事件は映画化されるらしい)
 2011年3月11日の東日本大震災直後より被災地を回って取材に当たった。本書はそこから生まれたものである。

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 この震災で起きた数多の出来事はきわめて複層的で、その影響や意味が及ぶ範囲ははかり知れないものだった。そのため、私は物語の本質を確実にとらえたと感じたことは一度もなかった。それはまるで、角や取っ手のない不自然な形の巨大な荷物だった。どんな方法を試してみても、荷物を地面から持ち上げることはできなかった。震災から数週のあいだ、哀れみ、戸惑い、悲しみに私は苛まれていた。しかし、それ以外のほとんどのあいだに感じたのは、無感覚な冷静さだった。そして、焦点を見失っているというやっかいな感覚だった。(本書プロローグより)

 このように“厄介な”状態にいた著者リチャードは、震災から数ヵ月たった夏、宮城県石巻市の小さな集落で起きたある事件を知るところとなる。
 その地・釜谷に何度も足を運び、被災した人や家族を失った人に話を聞き、取材を続けているうちに、「やがて私は想像することができるようになった」、すなわち正常な感覚がよみがえり、焦点を取り戻したのである。
 その事件こそ、裁判となって日本中知られるところとなった大川小学校事件である。

 本書では、タイトルが示す通り、震災後にあちこちで生じた霊的現象とその意味に関する考察が語られる。別記事で取り上げた『震災後の不思議な話 三陸の〈怪談〉』同様、オカルチックな要素がふんだんにある。
 また、千年に一度という大津波の凄まじい破壊力と地獄の様相、その中で亡くなった人と生き延びた人の様子もリアリティもって描かれる。まさに九死に一生を得た石巻市職員の体験談などは、エドガ・アラン・ポーの小説『メールシュトロームに呑まれて (A Descent into the Maelstrom)』さながらで、津波の恐ろしさ、および生と死とが紙一重であることをまざまざと教えてくれる。
 被災地をめぐって死者の霊を慰め、生き残った人々に寄り添い、場合によっては除霊もする宮城県栗原市通大寺の住職・金田諦慶に関する記述は、読む者に畏敬の念を抱かせる。金田住職の例が示すように、宗教や信仰の価値、出家者の存在意義が改めて問われたのも震災の一つの側面であった。外国人リチャードの目を通して、深いところで息づいている日本人の神仏や祖先に対する信仰が描き出されているのもまた、読みどころである。

 しかしながら、本書のメインはあくまで大川小学校で起きたことだ。

東日本大震災に伴う津波が、本震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を遡上してきた。この結果、河口から約5kmの距離にある学校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した。その他、学校に避難してきた地域住民や保護者、ほかスクールバスの運転手も死亡している。

2014年(平成26年)3月10日、犠牲となった児童23人の遺族が宮城県と石巻市に対し、総額23億円の損害賠償を求める民事訴訟を仙台地方裁判所に起こした。
(ウィキペディア「石巻市立大川小学校」より抜粋)

大川小学校
震災前の大川小学校全景


 一番の問題は、本震発生後に児童を校庭に集合させてから津波が到達するまで50分もの猶予があったのに、なぜ教師は学校のすぐ裏手にある里山に児童を避難させなかったのか、あるいはなぜスクールバスに分乗させピストン輸送で高台に運ばなかったのか――という点である。それさえできていれば、当時校庭にいた児童や教員、地域住民の命は助かっていた。同じような条件下で、同じ石巻市内にある門脇小学校では在校児童全員をすぐ高台に避難させ、一人の死者も出さなかった。

 この運命の50分間にいったい何があったのか?
 責任者たる校長は、教頭は、そのとき何をしていたのか?
 「津波が来るぞ~!逃げろ!」という他の町民や市の広報車の警告があったのに、なぜそれが無視され続けたのか?

 リチャードは子供を失った親たち、高台に逃げて無事助かった地域の住民、学校からいち早く車で子供を連れ出して津波をからくも避けることができた親たちを取材しながら、事件の真相に迫っていく。
 さらに、子供を失った親たちの一部が、家や仕事や家族や友人を失い悲しみのどん底にいる他の町民の心をさらに惑わせ、平和だった町を分断するリスクがあると知りながら、あえて石巻市と宮城県を相手に訴え出なければならなかった背景を探り出していく。

 そこにリチャードが見たのは、「古き良き日本」――礼儀正しく“和”を尊ぶ忍耐強い人々がつくる固い絆と習わしとで結ばれた共同体――のもう一つの姿、すなわち、事に当たってだれも責任を取りたがらず、その場しのぎの泥縄式の対応を繰り返し、“世間の目”により個人が自律的に行動することを妨げ、真実や良心より組織を守ることに汲々とし、お上に対して楯突いたり逆らったりすることを恥と感じ、大乗仏教仕込みの“無常”観で闘う前にすべてをあきらめ受け入れてしまう、日本人の姿であった。
 日本人の宿痾、笠井潔言うところのニッポン・イデオロギーに直面したのである。
 リチャードは吠える。
 
 私としては、日本人の受容の精神にはもううんざりだった。過剰なまでの我慢にも飽き飽きしていた。おそらく人間の域を超越したあるレベルでは、大川小学校の児童の死は、宇宙の本質に新たな洞察をもたらすものなのだろう。ところが、そのレベルよりもずっと前の地点――生物が呼吸し、生活する世界では――児童たちの死はほかの何かを象徴するものでもあった。人間や組織の失敗、臆病な心、油断、優柔不断を表すものだった。宇宙についての真理を認識し、そのなかに人間のための小さな場所を見いだすのは重要なことにちがいない。しかし問題は、この国を長いあいだ抑圧してきた“静寂主義の崇拝”に屈することなく、それをどう成し遂げるかということだった。

 ここに至って、リチャードが追究し問い糺しているのが、我々日本人のアイデンティティであり、日本と言う国のありようであることが明らかになる。
 本書は外国人ジャーナリストによる日本論、日本人論でもあるのだ。

銭壷山合宿 030

 地震は天災であり、防げない。
 津波も天災であり、防げない。
 地震の被害も津波の被害も、あるレベルを超えると人の力の及ばぬ域にあり、そこは粛然と受け入れるほかない。想像を絶する破壊と被害に対し、それを不承不承ながら自然の掟と受け入れ、天に向かって泣き喚き地を叩いて怒りながら、復興や治療や追悼や支え合いしながら前に進んでいくよりない。「仕方ない」と呟きながら・・・・。
 古来災害の多い風土に住む日本人ほど、天災に対する免疫と耐性を有し、逆境を乗り越える力と技と団結力を持っている国民は世界にいないかもしれない。

 しかし、大川小学校事件は人災であった。
 福島原発事故も人災であった。
 人災を、あたかも天災のようにみなして、「仕方ない」と許し受け入れ、責任の所在をはっきりさせないのは過ちである。
 なぜなら、問題が問題と指摘され、原因が科学的に究明され改善策がとられない限り、再びみたび、同じ過ちが繰り返されることになりかねないからだ。
 本事件に関してソルティが何より「むごい」と思ったのは、校庭に避難した児童たちの中に、「ここにいては危ないから裏山に逃げよう!」と訴え出て率先して走り出した子らがいたのに、それを教員が叱りつけ押しとどめ、大人たちが善後策を口論している待機の列に連れ戻したという一件である。
 こういうときは、世間に汚されていない子供の動物のような直観のほうが、えてして正しい。
 教員がいなければ、大人がいなければ、子らが助かっていた可能性は高い。

 リチャードが悲惨極まりない津波被害の取材を通してはからずも身に着けてしまった“無感覚な冷静さ”を脱し、「想像することができるようになった」のは、天災と人災とを分かつこの地点であり、それは十数年来日本に住み日本と日本人を取材してきた一外国人ジャーナリストが、まさに書くべき論点を発見した瞬間だったのである。

 大川小学校事件の裁判は、2019年10月10日付で最高裁が被告側の上告を棄却し、原告側(親たち)の勝利が確定した。
 震災10周年にあたり、亡くなられた方々の冥福を祈ります。


23番への道(南海地震の碑)
1946年発生南海地震の津浪記念塔
(徳島県美波町由岐港)


おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損