2011年原著刊行
2016年河出書房新社(訳:柴田裕之)

 数ヶ月前に図書館予約しておいたのだが、ちょうど連休直前に順番が回ってきたのはラッキーと言うほかない。
 外出自粛中のたっぷりの時間を、難しそうで分厚い(上下巻で500ページ強)本書に当てることができた。

サピエンス全史下


 読み始めてみたら、そんなに難しくなかった。
 むしろ、わかりやすく、面白く、タメになる。
 学術書、研究書、哲学書、歴史書には違いないのだが、同時に教養娯楽本の趣きも強い。
 難しい事柄(たとえば資本主義経済における“信頼”の仕組み)は、比喩や事例を使って素人にもわかりやすく説明してくれるし、訳もまた良い。

 歴史上の知られざるエピソードの宝庫でもある。 
 人類が記した最初の記録文書は税の支払いや負債に関するものだったとか、コロンブスがアメリカに上陸するまで当地に馬はいなかったとか(インディアンはそれまで馬に乗ったことがなかったのだ!)、アステカ族は侵入してきたスペイン人の体臭を耐えがたく思って傍にいるときお香を焚いていた(笑)とか、鉄道が始まった頃のイギリスでは街ごとに時刻が違っていた(グリニッジ標準時の始まり)とか、「へえ~」と思うような意外な話てんこもりで、著者の該博な知識とブラックジョークに近いユーモラスな語り口にページが進んだ。

 タメになるというのは、人類の歴史を著者と一緒に振りかえることで見取り図が持てて、自分が現在、生物史上・人類史上・歴史上のどんな地点にいて、今世界ではどんなことが進行していて、これからどんな世界が待ち受けているかを概観することができるからである。
 そして、王侯でも資本家でもない庶民の一人が、こうやって堂々と休暇をとって、心地の良い我が家でブラジル産コーヒーを飲みながら、明日の食事の心配もせず電灯のもと本を読んでいられるという状況が、いかに人類史的に驚くべき達成であるかを、まざまざと知ることができるからである。


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Sofia IivarinenによるPixabayからの画像


 通常、人類の歴史を語るには、人類の誕生→火や道具の使用→言語の使用→農業革命(狩猟採集から定住へ)→工業革命(産業革命)→情報革命、といった概念と流れで語られることが多い。
 本書の画期的なところは、ここに認知革命という概念を導入した点であろう。
 認知革命は「7万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と意志疎通の方法の登場のこと」だと言う。

 その原因は何だったのか? それは定かではない。もっとも広く信じられている説によれば、たまたま遺伝子の突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わり、それまでにない形で考えたり、まったく新しい種類の言語を使って意思疎通をしたりすることが可能になったのだという。その変異のことを「知恵の木の突然変異」と呼んでもいいかもしれない。

 この認知革命の結果、サピエンスは「まったく存在しないものについての情報を伝達する能力」を得た。
 
 見たことも、触れたことも、匂いを嗅いだこともない、ありとあらゆる種類の存在について話す能力があるのは、私たちの知るかぎりではサピエンスだけだ。

 つまり、実体のない抽象概念を作りだして、それが“さも実在するかのように”扱えるようになったということである。たとえば、

神、家族、先祖、子孫、村、国家、国民、金、法律、正義、人権、資本主義、共産主義、平和、戦争、国連、会社、貿易、歴史、文明、文化、恋愛、進歩、幸福・・・・・。

 著者はそれを“共同主観的な想像上の秩序”と呼んでいるが、この指摘自体は目新しいものではない。われらが吉本隆明が60年代に「共同幻想」と名付けたものと重なる。
 重要なのは、共同幻想を持てるようになったことが、人類にとって決定的なターニングポイントになったという点である。

 まさにその通りであろう。
 その後に続く農業革命も産業革命も科学革命も情報革命も、認知革命のもたらした変化と影響の大きさにはまったく及ばない。共同幻想の最たるものである家族や国家や宗教という概念なしでは、人類はいまだ家を持たない狩猟採集民のままであったろう。
 
 国民は、想像上の産物であるという自らの特徴をできるかぎり隠そうとする。ほとんどの国民が、国民とは自然で永遠の存在であり、原初の時代に母国の土地とそこに暮らしていた人々の血を混ぜ合わせて生み出されたといったことを主張する、だが、このような主張はたいてい誇張にすぎない。国民ははるか昔に存在していたが、その重要性は現在よりもずっと小さかった。というのも、国家の重要性がずっと小さかったからだ。

 「共同幻想」のまたの名を「物語(ファンタジー)」という。
 神の失墜やジェンダー神話(男らしさ・女らしさ)の崩壊をあげるまでもなく、現代はこれまで人類にとって有効であった「物語」が馬脚を現し、幻想であったことが次々とバレていく途上にある。
 そうした伝統的な従来の「物語」に従えば幸福が手に入るという時代ではなくなってきている。
 つまり、認知革命の有効期限が終わりに近づいているのだ。
 そうしたときに、「いったい幸福とは何なのか?」が問われているわけだが、著者は最終章に近い丸々一章を「文明は人間を幸福にしたのか」と題して、幸福について様々な観点から考察している。(仏教的見地も登場する!)
 この一章だけでも本書を読む価値は十分にある。

 私たちが真剣に受け止めなければいけないのは、歴史の次の段階には、テクノロジーや組織の変化だけではなく、人間の意識とアイデンティティの根本的な変化も含まれるという考えだ。そして、それらの変化は本当に根源的なものとなりうるので、「人類」という言葉そのものが「妥当性」を問われる。 

 サピエンス、全死?



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損