ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語を見て、旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、ボランティアして、デモに行って、無いアタマでものを考えて・・・・そんな平凡な日常の記録である。

映画

● 映画:『黄泉がえり』(塩田明彦監督)

2003年東宝配給
126分

 少年を主人公とした『どこまでも行こう』(1999)が良かったので、同じ監督の作品を借りてみた。
 結果的には「がっかり」であった。
 
 おそらく、ユーロスペース+映画美学校制作で自主映画に近い『どこまでも行こう』にくらべ、東宝やTBSや電通やジャニーズ事務所(主演は草彅剛)が絡んでいる本作は、塩田の思い通りに行かなかったのだろう。
 タイトル通り、死者がよみがえる話なので、『死国』のようなオカルトホラーとばかり思っていたのだが、お涙頂戴の薄っぺらなヒューマン&恋愛ドラマといった感じ。

 むしろ、出演者の面子が気になった。
 草彅はともかく、共演の竹内結子(昨年9月自死)、伊勢谷友介(昨年9月大麻取締法違反で失脚)、極楽とんぼの山本圭壱(2006年未成年者への強姦容疑で失脚)・・・・。
 黄泉がえってほしいやら、ほしくないやら。
 そして、映画の初っ端、十八番の婆さん役で登場するは、北林谷栄。
 記事に書いたばかりだったのでビックリした。
 あいかわらず達者な演技を披露している。
 北林と医師役で出ている田中邦衛の二人の実力が、他の役者たちと差がありすぎて、逆に浮いて見えた。

 そう言えば、草彅剛の頭髪もこの頃(当時29歳)から気になっていた。
 ソルティも頭が寒くなる一方だ。  頭髪こそ、よみがえったらうれしいものの一つである。
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OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像


おすすめ度 :

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 笠智衆の貞操がまもられた理由 映画:『簪 かんざし』(清水宏監督)

1941年松竹
70分、白黒

 これは珍作中の珍作。
 笠智衆を主人公とする恋愛ドラマがあるとはよもや思わなかった!
 しかも、お相手は日本が世界に誇る往年の名女優、田中絹代!
 しかも、田中絹代が、足をケガした笠智衆をおんぶするという驚きのジェンダーフリー・シーンがある!
 しかも、二人は何ら障害なさそうなのに、接吻一つ交わさず、結ばれないまま別れてしまう。
 
 監督の清水宏が田中絹代と付き合っていた因縁はあるようだが、それは過去の話で今さら嫉妬もあるまいに。
 三十過ぎた独身同士で、互いにまんざらでもなさそうな美男美女が、なぜに結ばれぬ?
 たしかに“愛を語る”笠智衆はちと想像しがたいが・・・・・。


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笠智衆をおんぶする田中絹代


 原作は井伏鱒二原作『四つの湯槽』(ソルティ未読)
 『按摩と女』同様、山中の平和な温泉宿を舞台に、一組の男女の運命的な出会いと別れを中心に、同宿の者たちの交流を、ときに詩情豊かに、ときにギャグタッチに、ときにサスペンスフル(笑)に、全般ユーモラスに描く。
 簪(かんざし)というタイトルは、芸者(=田中絹代)がお湯の中に落とした簪を、あとから入った青年(=笠智衆)が知らずに踏んで足をケガしたことが、二人の出会いのきっかけになったところから来る。 
 しかるに、「ほんのかすり傷」のはずだのに、包帯をぐるぐる巻き、松葉杖をついて片足を引きずりながら過酷なりリハビリする青年・笠智衆の姿が、不思議千万、かつ滑稽である。
 同宿者の熱い声援を受けながら、川に渡した狭い木橋を渡ろうと試みる笠のアクロバティックな姿は、笠ファンなら見逃せない珍シーンである。
 なぜリハビリするのにこんな危ない芸当をする必要がある?――という疑問はご法度である。
 観る者は、『カサンドラクロス』や『戦場にかける橋』ばりに、あるいはキグレサーカスの綱渡りばりに、音楽と周囲の応援とで盛り上げられたこの稀に見るサスペンスシーンを、固唾をのんで(失笑をこらえ)見守るよりない。
 しかも、笠青年が途中で挫折し田中絹代におんぶされつつ橋を渡り終えた直後に、温泉宿の按摩たちが杖ですたすた渡っていくというオチがつく。
 清水宏の落語のようなボケが実に冴えている。


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おっと、危ない!

 
 笠智衆扮する青年と絹代扮する芸者が森の中で語らい合うシーンで、セリフが一部飛んでいる。
 軍部によって検閲を受けたのではなかろうか?
 この映画の公開は太平洋戦争直前。
 それを思えば、男女が結ばれなかった理由も頷ける。
 これから戦地に赴く青年が、色恋なんかにうつつを抜かしている暇があるか!!

 笠智衆の貞操はかくして守られた。

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失恋した女
『按摩と女』の名シーンがここでも繰り返される



おすすめ度 : ★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● つがい幻想 映画:『マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章』(ジョン・マッデン監督)

2015年イギリス、アメリカ
123分

 ジュディ・デンチ、ビル・ナイ、ペネロープ・ウィルトン、マギー・スミスといったベテラン英国名優チームの中に、本作ではハリウッドの正統派二枚目スターであるリチャード・ギア投入というサプライズがなされる。
 リチャード・ギアもついに名優入りか、というよりも、ついにマリーゴールド入居かという感慨が湧いた。
 御年71歳である。

 リチャード・ギアは役者というよりスターである。
 英国の名優たちの中に混じって埋もれないだけのオーラーは、やはり天性のものである。
 大衆は、演技の上手い地味な役者より、華のあるスターに惹かれる。
 リチャード・ギア(のようなキャラ)が宿泊しているだけで、マリーゴールド・ホテルの繁盛は約束されたも同然。

 前作同様、自由気ままで個性的な老人たちの異国でのハプニングが描かれる。
 中心となるのはやはり各人の恋愛模様。
 欧米人は老いても盛んだ。
 プロムの夜から始まる“つがい幻想”は根強い。
 正直、ちょっと辟易した。

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おすすめ度 : ★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 傘をさす男 映画:『山のあなた~徳市の恋~』(石井克人監督)

2008年東宝
94分

 清水宏監督『按摩と女』(1938)のリメイクである。
 主人公の按摩・徳市を先ごろ結婚したばかりの草彅剛が、旧作では高峰三枝子が演じた東京から来た謎の女をマイコが演じている。
 
 リメイクにもいろいろあるが、これはほとんどカラー撮影による旧作の焼き直しである。
 セリフ(脚本)も、演出も、カット割りも、役者の演技も、ほぼ旧作をなぞっている。

 それは一概に悪いとは言えない。
 旧作の白黒フィルムに、季節感たっぷりの鮮やかな色彩と、性能の良いカメラによって捉えられた夏の光や陰影と、高音質による自然音の再現を付与してくれただけでも、望外の喜びである。
 制作サイドの趣旨もおそらく、旧作とは違ったオリジナリティをあえて打ち出すことにはなくて、埋もれた日本映画の傑作にたいするオマージュと、隠れた天才・清水宏の名を一人でも多くの現代人に知らしめるあたりにあったのではなかろうか。(石井監督自身、これをリメイクでなく「カヴァー」と言っている)
 草彅の目の見えない演技も、マイコの楚々として美しい着物姿も、脇を固める三浦友和や渡辺えり子や堤真一の抑えた演技も、奇跡のような美しさを放つ旧作の価値を傷つけることなく、全体に好ましい再現が達成されている。

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随一の名シーン
傘をさす東京の女に扮するマイコ

 
 旧作との違いをあえて挙げれば、音楽であろう。
 旧作ではヴァイオリンのノスタルジックな音色が湯煙立つ山々に響いていた。
 本作では静かなピアノの旋律を基調とした癒し系のオーケストレーションになっている。
 その違いが、本作を旧作よりも繊細かつ抒情的にしてドラマ性の高いものにしている。
 それによって、旧作では高峰三枝子=東京の女に当たっていた焦点が、本作では草彅剛=徳市に引き寄せられている。
 もちろん、マイコと草彅のネームバリューの差も大きいし、旧作で徳市を演じた徳大寺伸と草彅の役者としての質の違いもある。
 なんだかんだ言っても、草彅は天下を取ったアイドルグループの一員である。
 観る者は、自然、片恋する徳市に感情移入するだろう。
 
 本作において旧作より優れているとソルティが思ったのは、徳市の親友で按摩仲間の福市を演じている加瀬亮である。
 この作品の本質というかカラーというか、匂いそのものを体現しているかのような佇まいを見せる。
 その意味で、旧作が高峰三枝子とイコールで結ばれるとしたら、本作はイコール加瀬亮である。
 馬車で去り行く東京の女を“見”送る徳市の発する気配を、その背後からそっと感じ取り、おもむろに俯く福市(=加瀬亮)を撮ったカットは、旧作にはない深い感動を観る者に与えてくれる。
 そう、これは目の見えない青年同士の友情の物語でもあった。
 
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おすすめ度 : ★★★

★★★★★
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● 女教師三枝子の14年 映画:『信子』(清水宏監督)

1940年松竹
91分、白黒

 高峰三枝子が女学校の新人教師の奮闘を演じる学園ドラマ。

 たしかに小宮山信子というのが主人公の役名ではあるが、たとえば『女教師・信子』とか『女子学校』とか『女・坊ちゃん』とか『白い肌の異常な学園』(笑)とか、ほかにいくらでも内容に見合ったタイトルをつけられようが、ただ『信子』というだけなのが面白い。
 もっとも、獅子文六による原作タイトルそのままなのだが・・・・。
 獅子文六は昭和前半に活躍した小説家で、岸田國士らと共に文学座を立ち上げた人である。

 同じ高峰三枝子を女学校の教師&舎監役として据えた、木下惠介『女の園』(1954)と見比べるとたいそう興趣深い。
 『女の園』では、女子学生(高峰秀子、岸恵子ら)を規則で締め付ける冷徹無情のベテラン教師。鉄面皮の裏にはもろく悲しい女心が隠されていた。
 本作では、田舎から出てきたばかりで熊本弁が残る初々しい新米教師。寮に侵入した不審な男を投げ飛ばす熱血女子で、女子生徒の人気を集める。天海祐希を思わせる。
 14年間の高峰の演技者としての成熟が確かめられよう。
 むろん、美貌と気品は両作に通じている。

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信子役の高峰三枝子


 新人・信子をいじめ悩ませる、わがままな金持ち令嬢・エイコを演じるのは三浦光子。
 子役にしては巧いナと思ったら、本職の女優であった。
 撮影時は23歳で、1969年(52歳)に亡くなるまで100本を超える映画に出演した。
 個人的には、鑑賞後は高峰より三浦光子のほうが印象に残った。
 それと、信子の叔母さんで芸者置屋の女将を演じる飯田蝶子も味がある。

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エイコ役の三浦光子

 
 校舎内の立体感ある撮影も、ハイキングでの広がりある野外撮影も、素晴らしい。
 カメラは小津安二郎の片腕として知られた厚田雄春による。
 
 ついに同級生から袋叩きにされ、校舎内で自殺未遂を起こしたエイコ。
 学園は大騒ぎとなる。
 エイコの父親が学園最大の寄付者だからだ。
 蒼ざめた校長先生や教師たちを前に、信子は毅然と言う。
 「すべては舎監の私の責任です。私が辞職します」
 それに対するエイコの父親のセリフが喝采ものである。
 「生徒が問題を起こして教師がいちいち辞職しなければならないのなら、子供が問題を起こしたら親は親を辞職しなければなりません」
 
 雨降って地固まる式の学園ドラマの古典として、今も十分楽しめる。
 惜しむらくは音声が悪い。
 日本語字幕で鑑賞した。



おすすめ度 : ★★★ 

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 映画:『王になろうとした男』(ジョン・ヒューストン監督)

1975年アメリカ、イギリス
129分

 原作は『ジャングル・ブック』で有名なイギリス作家キップリングの同名小説。
 壮大な中東冒険ファンタジーであり、ピカレスク(悪漢)ロマン。

 アフガニスタンの辺境にあるカフィリスタンという国(架空)に行って王様になろうと試みる、2人のごろつき英国人(ショーン・コネリーとマイケル・ケイン)の物語である。
 文明人が未開の土地に行って英雄なり支配者になるという点において、ピーター・オトゥール『アラビアのロレンス』やマーロン・ブランド『地獄の黙示録』と同型と言えよう。
 が、そこはジョン・ヒューストンらしく(あるいはキップリングらしく?)、哲学的な重みや政治的な深みはない。
 純粋に波乱万丈のエンターテインメントとして楽しめる。

 ショーン・コネリーは昨年10月に90歳で亡くなった。
 007シリーズの初代ジェームズ・ボンドとして有名だが、ソルティはリアルタイムで映画館で観ることはなく、小・中学生の頃もっぱらテレビ放映されたのを観ていた。
 ストーリーの面白さはともかく、ジェームズ・ボンド(=ショーン・コネリー)をカッコいいと思ったことはなかった。
 ショーン・コネリーは決してハンサムな俳優ではなく、どちらかと言えばいかついゴリラ顔である。
 当時ソルティは、アラン・ドロンとかロバート・レッドフォードのような美形が好きだったのである。
  
 ショーン・コネリーの良さに気づいたのは、リアルタイムで観た『薔薇の名前』(1986)からであった。
 中世のストイックな修道士にして名探偵を演じたあの老け役――と言っても今思えば年相応(当時56歳)だったのか。昭和時代の50後半は今だと70歳くらいの感じかもしれない。なんと言っても磯野波平54歳だ――に接し、円熟した男の発する渋い魅力にはじめて目をひらかされた。
 いや、波平の魅力ではない。
 ショーン・コネリーだ。
 髪が薄くなって頭皮が見えても、白い髭が生えていても、目元にしわが刻まれていても、胴回りが太くなっても、カッコいいってのはあるなあと思った。
 カッコいいというより“味がある”というべきなのかもしれない。
 まさにショーン・コネリーは、年を取るにつれて“味”が増していく俳優の一人だった。


ショーン・コネリー
薔薇の名前の1シーン
(後ろはクリスチャン・スレーター)


おすすめ度 : ★★★

★★★★★ 
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● 男女7人、老い物語 映画:『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』(ジョン・マッデン監督)

2012年イギリス
124分

 インドのジャイプールが舞台。
 ジャイプールにオープンした“高齢者向け豪華リゾート”という触れ込みのマリーゴールド・ホテルに、それぞれの事情からやって来た老男老女7人の英国人のふれあいを描く。
 肩の凝らない、楽しくハートウォーミングなヒューマンコメディである。

 『あるスキャンダルの覚え書き』のジュディ・デンチ、『パレードへようこそ』のビル・ナイ、『ダウントン・アビー』のペネロープ・ウィルトン、そして『ミス・シェパードをお手本に』のマギー・スミスなど、イギリスの名優たちの競演が最大の見物である。
 やっぱり、シェークスピアのお国、演劇の本場と言えば英国である。
 高い鑑賞眼を持つ観客らによって長年鍛えられた彼らの芝居は、骨董品のような価値がある。
 とくに、ジュディ・デンチは、『あるスキャンダルの覚え書き』のストーカーまがいの女教師とも、『オリエント急行殺人事件』の貫禄たっぷりな貴族婦人とも、全く違う魅力的なキャラクターに扮して、芸の幅を感じさせる。
 
 「中国人は世界のどこに行っても中国人」と言われるが、英国人もしかり。
 どこに行っても、普段の生活スタイルを変えないような、ある種の保守性を感じる。
 一番わかりやすい例を言えば、「午後の紅茶」であろう。
 それは、個性を大切にする、心の軸がぶれないといった安定性や信頼感を形づくるものではあるが、一方、変化に柔軟に対応できない硬直さにもつながる。
 とりわけ、老いた者ほどその傾向が強い。
 パソコンやスマホ、無人レジ、キャッシュレス社会、ZOOM会議・・・・・。
 時代についていけなくなる一方だ。
 ソルティも、30年ばかり時を戻してほしいと思うことがたまにある。
 若返りたいという意味ではなく、インターネットのなかった時代にという意味で・・・・・。

 しかし、変化しなければ人は老いる。
 人生は縮小し、心は硬直化する。
 新しい出会いは、新しい自分を発見させてくれる。
 イキイキさせてくれる。

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 誇大広告もいいところで、老朽化し閉鎖寸前のマリーゴールドホテルに行きついた7人。
 新しい珍奇な世界(なんたってインドである!)にすぐ馴染み楽しんでしまう者もいれば、宿に閉じこもってイギリスに帰ることばかり考えている者もいる。
 現地で仕事や恋人を見つけて新たな人生へと踏み出す者もいれば、マンネリの関係に見切りをつけ別れを決める夫婦もいる。
 かつて理不尽な別れをしたインド人の同性の恋人を探し出して再会し、人生の重荷を下ろし、そのまま昇天する者もいる。
 外国人への偏見強く馴染むまでに時は要ったものの、現地の不可触民との出会いを通じて一気に変化を遂げる者もいる。
 人それぞれの身の処し方が味わい深い。

 変化のない穏やかな老後というのは一つの理想であろう。
 だが、死ぬまで何が起こるかわからないというのが現実である。
 良くも悪くも・・・・。
 流れに身をまかせるのが良さそう。



おすすめ度 :★★★ 

★★★★★
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● 君は二十歳の高峰三枝子を見たか 映画:『按摩と女』(清水宏監督)

1938年松竹
66分、白黒

 同じ監督による『風の中の子供』、『みかへりの塔』にも言えることだが、戦前の作品にもかかわらず、画質がまずまず良い。
 保存状態が良かったのであろう。
 ありがたいことだ。

 この画質の良さによって、着物姿の高峰三枝子の美しさが映える。
 二十歳とはとうてい思われない落ち着きと気高さ。
 デビュー間もない頃であり演技はお世辞にも巧いとは言えないけれど、どことなく陰あるたたずまい、愁いを含んだ眼差し、挙措の品の良さは、この映画の薄幸のヒロインをして高峰三枝子の名を永遠に映画史に残らしめる。
 そぼふる雨の中、唐笠差して振り返った女のはかなさに、胸を突かれない者がいるだろうか?
 湯治場を去る馬車の中、見送りに来た人々に向ける女の哀しさに、心騒がない者がいるだろうか?
 この名シーンに匹敵するものとして、わずかに『天城越え』(1983年松竹)の田中裕子を思い出すのみである。
 女は日陰者であった。

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 温泉地から温泉地へと旅をする按摩の青年・徳市(=徳大寺伸)の片恋を描いた一篇。
 恋慕する相手は、東京から来た正体不明の女。
 浮浪者と盲目の少女との交流を描いたチャップリンの『街の灯』(1931年)を思わせるメロドラマで、ユーモラスでとぼけた味のあるところもよく似ている。
 盲目の徳市が杖を突きながらひょこひょこ歩いている姿は、ステッキを振り回すチャップリンさながら。
 ヴァイオリンを効果的に入れた伊藤宣二の音楽もまた、かの作品に通じている。
 清水監督は『街の灯』に影響されてこの作品を作ったのではなかろうか。
 
 「人生の10本」に入れたいくらいの珠玉の名編と言いたいところだが、なんとなく引っかかるものがある。
 それは、高峰三枝子のあの麗しい着物姿も、湯治場を去る馬車が小さくなっていく光景も、山里の美しい自然も、主人公である徳市の目には見えないからである。
 映画を観ている我々に見えているすべてが、肝心の徳市には見えていないという事実が、この映画を「美しい」と単純に言い切ることに抵抗を感じさせる。
 徳市の心の中に見えている映像と、我々鑑賞者がスクリーン(モニター)に見ている映像とはまったく異なっている。
 風景も、恋慕する女の姿も、肝心の徳市自身の姿さえも!
 目あきと目くら――二つの世界は隔たっている。
 そのことが、単純に徳市の心に入って共感することにためらいを覚えさせるのだ。

 この映画は2008年に『山のあなた~徳市の恋』(石井克人監督)というタイトルでリメイクされている。
 徳市は草彅剛が演じ、東京から来た女は元モデルのマイコ、妻夫木聡の奥さんである。
 



おすすめ度 : ★★★★

★★★★★ 
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● サスペンス&ファミリードラマ 映画:『少年は残酷な弓を射る』(リン・ラムジー監督)

2012年イギリス
112分

 原題は “We Need to Talk About Kevin”
 アメリカの女性作家ライオネル・シュライヴァーの小説を原作とする。
 リン・ラムジー監督の手腕は、『ビューティフル・デイ』で確認済み。
 
 邦題は、明らかに『エヴァンゲリオン』の主題歌をパロっている。
 が、実際の内容も、アーチェリーが得意な16歳の少年ケヴィンが、通っている高校のクラスメートたち及び実の父親と妹を矢で射殺すというもので、タイトルまんまである。
 DVDの映画情報には、伊藤英明主演『悪の教典』(2012)の予告が収録されていた。
 これはサイコパスの少年の成育過程を実の母親の視点から描いた、サスペンス&ファミリードラマなのである。

弓を射る像


 幼年期のケヴィンを演じる子役、および思春期のケヴィンを演じるエズラ・ミラー、どちらも妖しく不気味な美少年ぶりで、往年のホラー映画『オーメン』のダミアン少年のよう。
 名女優ティルダ・スウィントンは、得体の知れない実の息子に戸惑い、その成長に怯え、それでも愛そうとする母親としての苦悩と、とんでもない凶悪事件を起こした殺人犯の母親(夫と娘を殺された被害者でもある)としての救いようのない苦悩とを、熱演している。
 ソルティは先に、ティルダがカリスマダンサー&魔女を演じる『サスペリア』(2018)を観ていたので、その禍々しいイメージも手伝って、怖さ倍増であった。
 
 有名なスペインのトマト祭りのシーンに始まって、赤ペンキや赤ワインや点滅するサイレンなど、全編が“赤”で覆われている。
 もちろん、赤は血の色であり、血縁の象徴(赤い絆)である。
 それゆえ、ケヴィンが人を傷つけたり殺したりする残酷そのもののシーンは一つも出てこないのに、禍々しさと忌まわしさと背筋がぞっとするような恐ろしさが充溢している。
 
 おそらく、観る者が最後に抱く一番の疑問は、これである。
 「少年はなぜ母親を殺さなかったのだろう?」
 
 サイコパスも自らの存在証明のための目撃者が欲しいのか。



おすすめ度 : ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 本:『高峰秀子と12人の女たち』(高峰秀子対談)


2018年河出書房新社

 昭和の大女優高峰秀子(1924-2010)が、やはり同時代を中心に活躍した12人の女性有名人と、丁丁発止に語り合う。
 高峰の晩年に養女となった、元文春編集者の斎藤明美が企画に関わっている。

 まずは対談相手の錚々たる顔ぶれに唸る。
 越路吹雪、ミヤコ蝶々(+南都雄二)、佐多稲子(+ぬまやひろし)、安達瞳子、岸恵子、原由美子、佐藤愛子、大宅昌・映子親娘・・・・。
 自伝エッセイ『わたしの渡世日記』で見られた、高峰秀子の広い交友関係、誰からも慕われる気取りのなさ、各界の大物に対するものおじしない態度が、ここでも存分発揮されている。


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 ソルティにとって一番の読みどころは、日本映画史上最高の女優競演が実現した幸田文原作・成瀬巳喜男監督『流れる』キャスト面々との対談である。
 表紙を飾っている山田五十鈴、田中絹代とのスリーショットは、日本映画に詳しい人なら眩暈するようなゴージャスさであるし、高峰の役者人生に決定的な影響を及ぼした先輩・杉村春子との顔合わせでは、気の強い杉村が、気の置けない後輩女優との対談において、夫を亡くした淋しさを語る気弱な姿が見られ、珍しい。
 年齢で言えば、杉村(1906年)、田中(1909年)、山田(1917年)、そして高峰(1924年)の順であるが、高峰は田中や山田と共に並んで容姿はもちろん、風格においても見劣りすることない。
 杉村に対しても何ら臆することなく、身内の叔母さんとでも話しているような気安さで接し、しまいには本気で高峰の夫・松山善三と三人でのハワイ旅行を誘っている。
 山田五十鈴、杉村春子、田中絹代のビッグ3とここまでフランクに付き合える後輩女優は、高峰秀子をおいて他にいなかったのではあるまいか。
 
 高峰がこれだけの風格を持ち得たのは、生まれ持っての気質もあろうが、やはり、子役から始まった芸歴の長さと、木下惠介や成瀬巳喜男らに重用されて磨かれた演技力への自負、数々の現場で身につけた自信あってのことだろう。
 映画界における芸歴の長さで言うと、高峰のデビューは1929年(当時5歳)なので、田中(1924年)、杉村(1927年)、山田(1930年)とほぼ互角である。
 
 山田、田中との対談では、同業の男優である森繁久彌森雅之に対する評価が聞けて興味深い。
 ただ、これは3女優の膝つき合わせた鼎談ではなくて、朝日新聞記者にして映画評論家の津村秀夫(1907-1985)による3女優への共同インタビューみたいな形なので、一番年かさの津村の偉そうな態度と強引な仕切りが目立ち、3女優の関係性が見えず、ちょっと残念である。
 
 全体に、高峰はどこでも“大女優”らしく自分の話ばかりして、相手の話を聞かない。
 相手が岸恵子(1932年生)のような同年輩の女優だと、会話の主導権争いのような態をなしている。

 都合11の対談から見えてくるのは、高峰秀子の非凡な半生である。
 子役時代はあっても子供時代がなかった、学校にも動物園にも行けず撮影所の大人たちの中で育った、強烈なステージママによる支配と依存関係、めまぐるしい撮影スケジュール、女優としての華々しい成功、育ての親との壮絶な確執・・・・。
 彼女は自分から女優になりたくてなったのではなかった。
 気づいたら、システムの中にいて、大人数の家族・親戚の暮らしを支える大黒柱(人柱?)になっていたのである。
 そこが、自ら女優を志した杉村や田中や山田とは違う。
 本書のあちこちに見られる、「女優になりたくなかった」、「女優をしているのが嫌だった」という高峰のセリフが興味深い。



おすすめ度 :★★ 

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 父、北斎 映画:『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』(原恵一監督)

2015年 Production I.G 制作
90分、カラーアニメ

 江戸末期の浮世絵師・葛飾北斎とその娘お栄を主人公とする風俗ドラマ。
 原作は杉浦日向子の漫画。
 ちなみに、「さるすべり」と読む。

百日紅とお堂
さるすべり

 アニメの質の高さについてはもう、言うも愚か。
 風鈴、虫の声、せせらぎ、風の音、物売りの掛け声など、江戸の季節感あふれる音声も良い。
 特段、ドラマチックな話ではないが、絵師の生活と江戸の風俗が淡々と丁寧に描き出されている秀作である。

 杉浦の原作漫画を読んでいないので比較はできないものの、少なくともこの映画の中心テーマは、葛飾北斎やお栄を中心とした実在の浮世絵師の評伝というよりも、「家族」にあると思う。
 つまり、杉浦と同じ漫画家・一ノ関圭の『茶箱広重』や『鼻紙写楽』のような芸術家の肖像を描くことを狙いとした芸道ものではなく、葛飾北斎と妻と娘二人をめぐる「ある一家の物語」といった側面が強い。
 北斎は、絵に命をかける偉大な芸術家ではなしに、末娘の病と死におびえる気弱な父親として登場する。
 そこが、平成・令和の現代にも、有名人でも芸術家でもない庶民にも通用し、理解し得る部分である。
 
 原恵一監督は、涙なしには観られない初期の傑作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』(2001年)を筆頭に、『カラフル』(2010年)、若き木下惠介を描いた実写映画『はじまりのみち』(2013年)など、家族の絆をテーマにしたものが多い。
 この作品もその流れを汲んでいる。
 おそらく、原恵一監督自身、温かい家庭に子供時代を送ったのであろうし、その作品はいつも、原が尊敬する二人の先輩作家――家族を描いて卓抜なる小津安二郎と木下惠介に対するオマージュになっているのであろう。

 ところで、作中、お栄が処女を捨てるために男を買いに行くシーンが出てくる。
 そこが陰間茶屋であると、すぐ分かる人はどれだけいるだろう?
 

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おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● バブルの香り 映画:『ブルージャスミン』(ウディ・アレン監督)

2013年アメリカ
98分

 ウディ・アレンを観るのは久しぶり。

 この監督は70~80年代、都会で暮らす大人の女性のオシャレな恋愛コメディを連発して、一世を風靡した。
 スクリーンの中ではいつも、ミア・ファローやダイアン・キートンといったアメリカンな美女たちが、フランス映画のヒロインのように饒舌な自分語りをしていた。
 ソルティの中では、バブル時代の香りをまとった“ちょっと時代遅れ”の監督といったイメージがあるのだが、今なおこうして質の高い作品を発表し続けている。
 テーマやスタイルこそ変化に乏しく、悪く言えばマンネリなのだが、この作品が示すようにケイト・ブランシェットのような名女優と組むと、俄然センスの輝く一級品となる。
 偉大な監督の一人であるのは間違いない。
 
 ケイト・ブランシェットは、この作品で主演女優賞を総ナメにした。
 それも納得の天才的演技である。
 『あるスキャンダルの覚え書き』(2007年)でも思ったが、彼女は演じるキャラクターの癖やら姿勢やら目つきや笑い方まで作り上げてしまう。
 ケイト・ブランシェットという人格がどこかに隠れて、別のキャラクターが登場する。
 一種の憑依か、多重人格のようにすら思える。


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Angeles BalaguerによるPixabayからの画像

  
 この『ブルージャスミン』は、優雅な暮らしを享受していたセレブの女性ジャスミンが、夫の逮捕と自殺がもとですべてを失い、一転、文無しの居候の身に追いやられる話である。
 昔日の栄華が忘れられないジャスミンは、セレブ生活で身につけた習慣やプライドを捨てられず、現実的でない不相応な夢ばかり描いている。
 ケイト・ブランシェットは、セレブ時代のジャスミンと転落後のジャスミンを完璧に演じ分けているばかりでなく、どちらの時期にあっても共通して存在しているジャスミンの生来の不安定な気質を見事に表現している。
 それは、幼い頃に両親を失い、里親に育てられたジャスミンの成育環境にまで思いをいたさざるをえないほどの深みある表現である。(その点では、ジャスミンと同じ里親のもとで育てられた血のつながっていない妹ジンジャーを演じるサリー・ホーキンスも、同様に素晴らしい)
 であればこそ、観る者は、ワガママで見栄っ張りで見るからに“イタい”女であるジャスミンを愛おしく感じるのである。

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セレブ時代のジャスミン(ケイト・ブランシェット)

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すべてを失ったジャスミン

 
 少女時代のジャスミンの姿、あるいは本作のラストで、居候していた妹の家をなんの当てもなしに飛び出したあとのジャスミンの姿は、かなり悲惨で不幸なものであろう。
 そこまで描くともはやコメディの枠からはみ出して、暗く重いドラマになってしまう。
 ウディ・アレンはいつもそこまでは追わない。
 そこが、「バブルの香り」と言いたくなるゆえんである。
 
 

おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損

 

● 映画:『クローゼットに閉じこめられた僕の奇想天外な旅』(ケン・スコット監督)

2018年フランス、アメリカ、ベルギー、シンガポール、インド合作
96分

 原作小説のタイトルは、『IKEAのタンスに閉じこめられたサドゥーの奇想天外な旅』。

 インドから“父を尋ねて”フランスにやって来た文無し青年が、家具売り場のクローゼットの中で一夜を過ごそうとしたところ、気づいたらイギリスに運ばれ、難民となっていた。
 そこからヨーロッパを股にかけた奇想天外な旅が始まるという冒険コメディ。

 難民や貧困の問題などは出てくるが、インド・フランス・イタリアなどいろいろな国の風景が映し出され、いろいろな人種が登場し、インド映画お約束の華麗なる歌&舞踏シーンもあり、難しいこと抜きに気楽に楽しめる。

 主人公アジャが一目惚れした女性マリーを演じるアメリカ女優エリン・モリアーティは、容姿といい演技といい、ニコール・キッドマンの若き日を思わせる。
 いい女優になってほしい。

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おすすめ度 :★★ 

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● 笠智衆の水着姿 映画:『みかへりの塔』(清水宏監督)

1941年松竹
111分、白黒

 なんだか某宗教団体の機関紙のようなタイトルだが、「みかへりの塔」は実在する大阪府立の児童自立支援施設・修徳学院(明治41年創設)のシンボルとなっている鐘楼である。


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現在のみかへりの塔
(全国児童自立支援施設協議会のホームページより)


 非行少年・少女を収容し感化善導をはかる目的で建てられた感化院は、その後、少年教護院(1933年)→教護院(1947年)と名称を変え、1998年の児童福祉法改正により児童自立支援施設と呼ばれるようになって現在に至っている。
 この映画は、少年教護院時代の修徳学院の3代目院長・熊野隆治と小説家・豊島与志雄の共著『みかへりの塔』を原作としたもので、実際の修徳学院をロケ地にしている。

 Googleで見ると、同校はJR関西本線・高井田駅(大阪府柏原市)近くにある。
 映画の中で汽笛を鳴らしながらたびたび登場する蒸気機関車は、関西本線のものだろう。
 やはり映画の中に登場する池も、高台の森の中に見える。
 学園や森の周囲は住宅街のようである。
 今現地に行けば、映画の中に記録された昔の風景とのギャップに驚くことだろう。


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修徳学院の風景(約80年前)


 親のいない子、親の手にあまる素行不良の子200名あまりが、山間の広々した地で共同生活を送っている。
 子供たちは男女別に数班に分けられる。
 各班は独立した家に住み、寝食を共にし、家事など生活の基本を身につける。
 そこに一人の寮母がつき、子供たちは彼女を「おかあさん」と呼んでいる。
 疑似家庭をつくっているのだ。
 子どもたちはそれぞれの「家」から学校に通い勉強し、将来社会に出て自活するため、衣類の縫製や家具づくりや農作業などを身につける。
 
 もちろん、大人しく収容されて規則に従っている子供たちではない。
 喧嘩や盗みや脱走は日常茶飯事。
 先生たちも「おかあさん」たちも並大抵でない苦労で、気の休まる時がない。
 一方、淋しがり屋で感情的に未発達なところのある子供たちの多くは、寝小便がなかなか抜けない。
 毎朝、布団を物干し竿にかけるシーンにはリアリティがある。
 
 こういった環境における様々なエピソードと喜怒哀楽がテンポよく描かれる。
 起伏ある広い敷地を所せましと走り回る子供たちの姿を見るのは楽しく、泣いたり拗ねたりシュンとしたりの子供たちの表情は可愛らしく、『二十四の瞳』不良版といった感じの先生や寮母と子供たちとの交流のさまを見るのも面白い。
 清水宏監督は、実に子供を撮るのがうまい。
 とくに、やんちゃな男の子の演技といったら、演出というより“現行犯”と言いたいような子供の天真爛漫ぶりと活力とをフィルムに焼き付けている。
 こういった無鉄砲で野放図な子供の姿を見なくなって久しい。(コロナの今は特に!)
 
 「おかあさん」役として三宅邦子が、先生役として笠智衆が出ている。
 この二人は小津安二郎作品――とりわけ『東京物語』での名演――の印象が強いのだが、この『みかへりの塔』における演技も素晴らしく、両人と清水監督との相性の良さを感じる。
 どちらも、もともと持っている“人としての地の良さ”が、不運な境涯にある少年少女を見守り育成するという恰好の役どころを得たことで、自然に表出されているのだろう。
 子供たちと水遊びをする笠智衆の水着姿は、笠ファンにとっては必見である!!


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意外と毛深い笠さんに驚き!


 清水監督の素晴らしいところは、作意を感じさせない絵づくり、演出にある。
 『風の中の子供たち』でも見られたように、観る者の情動を揺り動かして、「ここで泣かしてやる」、「ここで感動させてやる」といったわざとらしさ(よく言えば「親切さ」)がないのである。
 心理状況を説明するセリフや「さびしい」「うれしい」といった感情を表すセリフは、ほとんど削がれている。
 凡庸な演出家であったなら、役者たちの表情をアップにし、感動的なセリフを言わせ、涙腺を崩壊させるBGMを差しはさむであろう「ここぞ」と言うところで、それらを却下し、単に絵と音だけで、つまりカットつなぎだけで、人物の心の動きや感情を表現してしまう。
 その節度ある抑制は、観る者の目をして、画面そのものに集中せしめ、人間の生の営みの背景に潜む自然や事物の“途方もない美しさ”に気づかせしめる。
 
 この映画の中でそれが端的に表れているのは、二人の少年が脱走するシーンである。
 日暮れ時に施設から逃げ出し、池の浅瀬を渡った二人は、そこで「みかへりの塔」の鐘の音を耳にする。いつもの晩鐘である。
 すると、二人は向こう岸でそろって立ち止まる。
 無言で立ち尽くす二人。
 響く鐘の音。
 次の瞬間、二人はそろって池を渡って、こちら岸に戻ってくる。
 
 ただそれだけのシーンである。
 あえて解説すれば、脱走しようと思った少年たちは、聴きなれた「みかへりの塔」の晩鐘に夕飯を思いだして、条件反射のように自然と「家」に足を向けた。
 このシーンを清水監督は、カメラ固定のロングショットで長回しで撮っている。
 むろん、少年たちのセリフもなければ、表情のアップもない。
 BGMもない。いや、鐘の音のみBGMだ。

 
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 このシーンの“途方もない美しさ”は、少年たちの“本人自身も気づいていない”心の変化、つまり学院をいつのまにか自らの「家」と感じるようになっているという現象を、セリフでも表情でもBGMでもなく、少年たちの同時的な動きと、跳ね上がる水しぶきと、遠方にかすんで見える森と、深い鐘の音だけで、鮮やかに表現しきっているからである。
 そのとき、少年たちの心はそのまま、水面の照り返しであり、水しぶきであり、こんもりした森であり、鐘の音である。
 音声も含め画面に映るすべてが、表現になっている。
 これぞ映画の醍醐味。
 
 清水監督を知ったのは、最近一番の僥倖である。
 
 
 
おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 映画:『ザ・バニシング 消失』(ジョルジュ・シュルイツァー監督)

1988年オランダ、フランス共同制作
106分

 人間消失をテーマとする犯罪サスペンス。
 名匠スタンリー・キューブリックが「人生でいちばん怖いと思った映画」と評した、というDVDパッケージの宣伝文句に惹かれて借りてみた。
 
 車でフランス旅行中の若いオランダ人カップル。
 途中のドライブインで飲み物を買いに車を降りた女は、そのまま行方知れずとなる。
 残された男は、彼女の消息が気になって、歳月が立っても通常の生活に戻れず、メディアを利用するなどして必死に探し続けている。
 数年後、女を連れて行った犯人からと思われるメッセージが、男のもとに届くようになった。
  「女がどうなったのか知りたいのであれば、俺と一緒に来い」
 誘いに応じ、男は犯人の車の助手席に乗る。

 物語自体はシンプルで、女の“その後”をのぞけば取り立てて謎めいたところもないし、どんでん返しのような凝った仕掛けもない。
 犯人の顔や素性、犯行の手口も、早々に明らかにされる。
 レイプや暴力といった目を覆いたくなるような残酷シーンもない。
 全体に、淡々と静かなタッチで描かれている。
 なので、上記のキューブリックのコメントは、ちょっとオーバーな気がする。
 個人的には、よっぽど、キューブリック自身の『時計じかけのオレンジ』のほうが怖いと思う。

 ただし、エドガー・アラン・ポーのある有名な短編小説や、つのだじろうのオカルト漫画『うしろの百太郎』に出てくるあるエピソードを読んで、主人公が置かれた“その状態”に心底恐怖を覚える人であるならば、これにまさる恐怖はないだろう。
 ソルティも実は「●●恐怖症」の気があるので、この映画の結末はさすがに怖気をふるった。

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Dawn I'll never tellによるPixabayからの画像


 犯人は、良い妻と二人の娘を持ち、学校で高等数学を教えている、どこにでもいるような優しいフランスのパパである。
 その正体がサイコパスであることのギャップもまた、この映画が公開された88年にあっては衝撃的で、身も凍る「怖さ」を観客に与えた一因だったのかもしれない。
 90年公開の映画『羊たちの沈黙』の大ヒット以降、つまりハンニバル・レクター博士の華々しい登場以降、あるいは国内においては『黒い家』や『悪の教典』の貴志祐介デビュー以降、我々はずいぶんサイコパス慣れしてしまった。
 プロダクション・アイジーによるアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』などは、続編に次ぐ続編の人気シリーズだしな・・・・。
 みんな結構、サイコパスが好きなんだ。



おすすめ度 : ★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 映画:『あるスキャンダルの覚え書き』(リチャード・エアー監督)

2007年イギリス
98分

 イギリス出身のジュディ・デンチとオーストラリア出身のケイト・ブランシェット。
 25歳の年の差はあれど、どちらもオスカーに輝く、掛け値なしの名女優である。
 映画でエリザベス一世に扮したという共通点もある。
 この二人に、やはりイギリス出身の名脇役ビル・ナイがからむというのだから、期待するなというほうが無理。

 しかも、この映画は、実際にアメリカであった女教師メアリー・ケイ・ルトーノーによる“児童レイプ事件”をモデルとしている。( “  ” をつけたのは、ソルティはこれをレイプと言っていいのか疑問に思うからである)
 34歳のメアリー先生は、教え子である13歳の少年と恋愛関係に陥り、子どもを二人生んだ。
 90年代末に全米を揺るがすスキャンダルとなったこのニュースを、ソルティも何となく覚えている。
 逮捕され懲役刑に処せられたメアリーは、出所したあと、少年(そのときは無論成人していた)と結婚した。二人は愛を貫いたのだ。(2018年に離婚)
 今年の夏、世間がコロナ一色に染まっている中、メアリーは癌により58歳で亡くなった。
 ソルティは彼女の死のニュースを最近ネットで見たばかりであった。

 本作で、この女教師(本作ではシバという名前が与えられている)を演じるのは、もちろんジュディ・デンチでなくて、ケイト・ブランシェットである。
 思春期の少年が夢中になるのも無理はないと思う美しさと天真爛漫な魅力にあふれている。
 いや、それだけ説得力をもった見事な役作りができている。

 一方、ジュディが演じるのはシバの同僚のベテラン教師バーバラ。
 生徒たちにも同僚にも煙たがられている、頑固でお堅い孤独なオールド・ミスである。
 新任の美術教師としてやって来たシバに好意をもったバーバラは、シバの行動を観察し、自らの覚え書きに記していく。
 シバと生徒との許されぬ関係をたまたま目撃しショックを受けるが、その秘密をシバと自分との関係を深めるために利用しようと企み、あえて口を閉ざす。
 そう、バーバラはクローゼットなレズビアンなのである。

 この映画の真のテーマは、女教師の“少年レイプ事件”を描くことにはなくて、それをダシにしつつ、孤独な初老の女性の不器用な愛を描くことにある。
 したがって、主役はケイトではなくジュディであり、“あるスキャンダル”とは女教師と少年との恋愛&セックスではなくて、抑圧され歪曲したレズビアニズムである。

 深い情熱と高い教養の持ち主であるにもかかわらず、他人と良好な関係を築くことができないストーカー気質の年老いたレズビアン――という、なんとも難しい役を演じるジュディ・デンチがやはり素晴らしい。(ジュディ自身は男性と結婚して娘を生んでいる、おそらくはノンケ女性)
 自らの思い通りにならないシバに対する愛情が一転憎しみに変わるや、シバと少年との秘密を学校関係者に告げ口し、スキャンダルを巻き起こし、シバを苦境に陥れる。
 なんとも陰険でひねくれた、顔も心も醜い女である。

 しかるに、設定上は憎まれ役に違いないのだが、ジュディ・デンチが演じるとただの憎まれ役にはおさまらず、女ひとりが老いて生きることの悲しみと孤独と切なさが、画面を通してじわじわと伝わってくる。
 観る者は、新聞に顔写真がでかでかと載り家族崩壊したシバのこれからの幸せとともに、バーバラの幸せをも願わずにはいられなくなる。
 
 ケイト・ブランシェット然り、ジュディ・デンチ然り。
 名役者というものは、自らが演じる役を――それがどんなに卑劣な、どんなに醜い、どんなに不道徳なキャラであれ――愛するものなのだろう。
 その愛あればこそ、観る者にとっても愛おしいキャラになりうるのだ。


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ジュディ・デンチとケイト・ブランシェット



おすすめ度 : ★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 岸田今日子という女優 映画:『地獄』(神代辰巳監督)

1979年東映
131分

 昭和・平成・令和と半世紀以上生きてきたソルティが、「日本社会から消え失せてしまったなあ」と思うものの一つは、エログロである。
 テレビからも映画からも、コミックや週刊誌からも、街頭からも日常会話からも、エロ(猥褻)とグロ(ゲテモノ趣味)はすっかり影を潜めたなあと思う。
 街はキレイになり、脱臭・滅菌志向が国民に行き渡り、コンビニからエロ本は消え、セクハラやパワハラに気を使う男たちは一応モラリストになり、体臭を失った若者は植物化・鉱物化・IT化し、人間関係もまた無機質で表面的なものになった。
 無“性”的で清潔――というのが、令和時代の理想的日本人であろう。
 (今、コロナがそれに拍車をかけている!)

 この映画が作られた昭和50年代、戦後のカストリ雑誌の興隆から続いてきたエログロ人気はすでに下降線にあったと思う。
 いわゆる猟奇趣味は、一部のマニアックな人々の嗜好になっていた。
 「明るく健全」が社会の建前として定着していた。
 が、この映画を観ると、昭和時代のエログロさに今さらながら驚嘆する。
 こんな凄い、PTAクレーム殺到、文部省検閲必死の映画が、メジャーの雄たる東映で制作され、一般公開されていたとは・・・・。
 なんとまあ、寛容な時代であったことか!
 なんとまあ、日本人は猥雑で卑俗であったことか!


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海外で公開されたときのポスター
タイトルはまんま INFERNO (地獄)


 日活ポルノの巨匠・神代辰巳(代表作『赫い髪の女』)のメガホン。
 主演に原田三枝子、共演に岸田今日子、田中邦衛、石橋凌、加藤嘉、林隆三の面々。
 主題歌は山崎ハコ。
 描かれるは、男女のドロドロした愛憎と怨念が渦巻く現世の生き地獄、および来世のほんものの地獄。
 この面子で、このテーマで、健全で清潔でまっとうなものなどできるはずがない。
 『仮面ライダー』で発揮された東映ならではのマンガ的特撮を含め、なんとも形容しがたい、強烈かつ奇天烈な怪作に仕上がっている。
 無類の面白さ!

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閻魔大王(金子信雄)と 茶吉尼天(天本英世)に裁かれるアキ(原田美枝子)


 当時19歳の原田美枝子は、美貌だが演技は素人レベル。
 が、文字通りヌードも辞さない体当たり根性は立派。
 
 その原田を食っているのが、日本が世界に誇る名女優にして怪女優・岸田今日子である。
 この人については、一度考えてみなければならないと思っていた。
 
 ソルティの中で最初にこの女優を意識したのは、山口百恵主演のTBSドラマ『赤い運命』である。
 百恵演じる薄幸の娘・直子の生き別れとなった母親役で出ていた。
「あの腕のホクロ、あれは確かに直子のしるし・・・・」とかいう大映ドラマならではのベタなセリフと過剰な演技が、あの分厚い唇とともに印象に刻まれた。中学生だった。

 それから、子供の頃、毎日曜欠かさず観ていたカルピスまんが劇場『ムーミン』の声がこの人であることを知って驚き、親しみが湧いた。
 
 次のインパクトは、76年の市川崑監督『犬神家の一族』の盲目の琴のお師匠さん役である。
 ほんのちょっとしか出番はないのに、金田一耕助役の石坂浩二や真犯人役の高峰三枝子に匹敵する存在感。それを上回るのは白マスク姿のスケキヨだけであった。
 
 83年フジテレビ系列で放映された『大奥』のナレーションで、岸田は一世を風靡した。
 あの鼻にかかった独特のふるえ声と、婀娜っぽいともストイックともつかぬ語り口。
 ナレーション役が画面に登場するキャラたち――演じるは昭和を代表する錚々たるスターたち――より話題となったのは、後にも先にもあれくらいではなかろうか。
 ソルティもよく岸田のマネをして家族を笑わせたものである。
 
 この頃、都内の映画館で岸田が出演する2本の映画を観た。
 安倍公房原作・勅使河原宏監督『砂の女』と、若尾文子主演・増村保造監督『卍(まんじ)』(どちらも1964年公開)である。
 女優としての真価のほどを見せつけられた。
 どんな役でもこなせるカメレオンのような役者なのだ。
 
 それからは映画に岸田が出てくるたびに嬉しくなり、自然と注目する存在となった。
 なかでも、『この子の七つのお祝いに』(1982年)で岩下志麻サマを完全に食った狂気の母親と、『八つ墓村』(1996年)で物語に不気味な雰囲気を付与する双子の老婆役が記憶に残っている。
 この『地獄』における岸田の演技は、それらを凌駕するインパクトがある。
 地獄にいる脱衣婆や閻魔様より怖い。
 
 残念なことに、ソルティは岸田の舞台を観なかった。
 彼女のマクベス夫人、およびテネシー・ウィリアムズ作『欲望という名の列車』のブランチは、どんなに素晴らしかっただろう? 
 どちらもまさにピッタリの役である。
 岸田が文学座を脱退した(63年)ことを許さなかった杉村春子は、その後岸田と共演しなかったそうだが、なんともったいないことだろう。
 昭和最高の名女優二人が、テレビでも映画でも共演しなかったのは、誠に残念でたまらない。
 そう、杉村春子を継げるのは、太地喜和子でも、樹木希林でも、大竹しのぶでも、田中裕子でも、小川真由美でも、市原悦子でも、森光子でもなく、岸田今日子だったのではないかと思うのだ。


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 加藤嘉とともに血の池地獄の臼を回す岸田今日子


 冒頭の話題に戻る。
 令和日本から消えたように見えるエログロ。
 もちろん、消えてなどいなくて、インターネットの中に潜り込んだのだ。
 表面から駆除されて、表立って見えないところで一層狂気を増してはびこっている。
 ちょっとネットサーフィンすれば誰にでも分かることだ。
 
 エログロを許さぬ、行政のパンフレットの文句のような“きれいで健全な”社会。
 底に押し込められた魔物が、いつか表面に浮上して復讐するのではないかと危惧するソルティである。
 いや、コロナがそれなのか?
 
 

おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 笠智衆33歳 映画:『風の中の子供』(清水宏監督)

1937年松竹
86分、白黒

 原作は坪田譲治の児童文学。
 戦前の岡山を舞台に、大人社会のいざこざに翻弄される兄弟の姿を描く。

 清水宏監督(1903-1966)の作品を観るのは初めて。
 ウィキによると、
 
作為的な物語、セリフ、演技、演出を極力排除する実写的精神を大事にし、「役者なんかものをいう小道具」という言葉を残している。

 子供たちを主人公とした本作は、まさに清水監督の特質が表れている作品と言えよう。
 テレビドラマにあるような、観る者の情動に訴えかけるドラマチックな演出(セリフや芝居、むろんBGM)は制限されている。
 それがかえって、登場人物たちの置かれている状況や心情を、観る者に汲み取らせる結果を生んでいる。
 観る者は、ただ漫然と受け身で画面を見るのではなく、一つ一つのカットを分析し状況を想像することで、物語の作り手として参与することになる。
 つまり、非常に“映画的”な映画なのだ。
 
 戦前の地方の町の豊かな自然、子どもたちが走り回る路地の佇まい、井戸や囲炉裏や縁側のある伝統的な家屋、街々を巡回する曲芸団、ふんどし一つで川遊びし木登りし喧嘩する子どもら。
 80年以上前の日本の風景がある。
 マスクをつけてスマホをいじりながら塾に通う今の子供たちとは雲泥の差。
 「昔はよかった」は自分にとってNGワードの一つであるが、子どもにとってどっちが幸せなのか、ふと思わざるを得ない。

 いやいや、戦争がないだけ今のほうがよいはずだ。


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主役・三平役の爆弾小僧


 三平兄弟の母親役の吉川満子、伯父さん役の坂本武が味がある。
 当時33歳の笠智衆が端役で出ているのも見逃せない。
 白い制服の似合うなかなかのイケメン巡査である。


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吉川満子と笠智衆



おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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● ゾンビが街にやって来る! 映画:『アナと世界の終わり』(ジョン・マクフェール監督)

2017年イギリス
98分

 原題は、Anna and the Apocalypse(アナと黙示録)

 キュートな女子高生アナを主人公とした、ポップでハートウォーミングな学園ミュージカル――といった風情。
 が、フタを開ければ、イギリス映画のお家芸たるゾンビもの!
 クリスマスを前に、ゾンビが街にやってくる!
 
 ゾンビものとしての新機軸は、ミュージカル仕立てにしたところ。
 教室で、食堂で、講堂で、街路で、ボウリング場で、はたまた血しぶき噴き上げる凄惨なゾンビとの戦いの場で、突如歌い踊り出す若者たちのパフォーマンスが楽しい。
 さすがに、ゾンビたちは歌も踊りもしないが・・・・・。
 
 アナ役のエラ・ハントは将来楽しみな正統派美少女。
 この一作でファンになった男子も多いことだろう。
 気の強そうなところは、往年の国民的美少女ゴクミ(後藤久美子)を思い出させる。


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アナ役のエラ・ハント
 

 音楽もいい。テンポもいい。脚本も演出もいい。
 加えて、さすがイギリスというべきか。随所に差し込まれるブラックジョークがたまらない。
 ゾンビに咬まれ仮死状態となったアナの今一つさえないボーイフレンド。彼の着ているクリスマスツリーデザインのセーターが不意に電飾で光り輝くシーンなど、なぜか知らず、感動で涙が出そうになった。
 
 ゾンビの発生原因は、製薬企業が極秘裏に作ったウイルスの漏出。
 そこから感染が広がった。
 制作陣もまさか3年後の世界がこんなふうになっているとは予想だにしなかったであろう。
 コロナ禍も歌って踊って吹き飛ばしたいところだが、それはもっともやってはいけないことだ。
 こうして家で映画を楽しむのが一番。
 
 
 
おすすめ度 : ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

● ジェラルディン・ペイジの怪演 映画:『白い肌の異常な夜』(ドン・シーゲル監督)


1971年アメリカ
105分

 ソフィア・コッポラ監督『ビガイルド 欲望のめざめ』(2018)と原作を同じくする約半世紀前の先行作品。
 ストーリーはほぼ同じだが、主要キャラクター設定が微妙に異なり、その違いが馬鹿にならない。

 たとえば、シーゲル版で登場する学園に住み込みで働いている黒人奴隷女性が、コッポラ版には登場しない。
 南北戦争中の南部の女子学校が舞台という設定を考えれば、シーゲル版のほうが自然でリアリティがあり、物語に奥行きも出る。
 コッポラは人種差別問題に触れたくなかったのかもしれない。

 また、最後まで生徒たちを守り抜く気丈なマーサ校長の人物設定もかなり違う。
 コッポラ版のマーサ(=ニコール・キッドマン)は、久しぶりに接する若く逞しくハンサムな脱走兵(=コリン・ファレル)を前に惑溺・葛藤しはするものの、基本的には美しく凛とした女校長であり続ける。
 一方、シーゲル版のマーサ(=ジェラルディン・ペイジ)は、重すぎる背徳を抱えたある種の精神障害者であり、脱走兵(=クリント・イーストウッド)に抱く感情も複雑極まりないものがある。
 このジェラルディン・ペイジの演技が圧巻。
 業に囚われ、性愛の天国と地獄を知った女を、絶妙な表情とたたずまいで演じきっている。
 これにはさしものニコール・キッドマンも形無し。

 どちらの作品がより原作に沿っているのかは知らないが、明らかにシーゲル版のほうが人間心理の奥まで抉り出し、より恐ろしく残酷な物語になっている。
 演出も、撮影も、役者の演技や貫禄も、官能性も、シーゲル版に軍配は上がる。


IMG_20201121_181801
脱走兵(イーストウッド)と女校長(ジェラルディン・ペイジ)
黒魔術の儀式のような背徳感あふれる
硬派のシーゲル&イーストウッドには珍しいシーンである


 コッポラ版では女校長の視点に同調して映画を観たソルティ。
 今回のシーゲル版では脱走兵の視点に同調していた。
 男だろうと女だろうと、性別に関係なく主役に同調できるところが、物語鑑賞者としての自分の強みかもしれない。
 


おすすめ度 : ★★★★

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