会場: すみだトリフォニーホール 大ホール(錦糸町)
曲目:
J.S.バッハ: 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調
ヴァイオリン: 長原幸太
ヴァイオリン: 佐久間聡一
アントン・ブルックナー: 交響曲第9番 ニ短調
指揮: 下野竜也
交響曲第4番「ロマンティック」では真価の分からなかったブルックナーに再挑戦。
今度はブルックナーの遺作であり最高傑作の一つとされている9番である。
下野竜也の指揮ははじめて(かな?)
前半のバッハの曲は、誰もが耳にすれば「ああ、知ってる」と言うような有名曲。
名曲喫茶でよく流れている。
2人のヴァイオリン名手による息の合った掛け合いが素晴らしかった。
アンコールの『アヴェ・マリア』も優美そのもの。
すっかり気分あがって、後半に備えた。
名曲喫茶と言えば、国分寺の『でんえん』が有名
創業66年、昭和の遺跡である
創業66年、昭和の遺跡である
96歳になるという女性オーナーはいまも健在
素晴らしいことだ(令和5年5月末に来訪)
開演前にトイレは済ませておいたので、20分間の休憩中はずっと座席にいた。
あとから「休憩中にトイレに行くべきだった」と後悔した。
後半途中で尿意を催したというのではない。
クラシック演奏会の休憩時間は通常、混雑している女性トイレを横目に男たちはさっさと用を済ますのであるが、男性ファンが圧倒的に多いブルックナーの演奏会の場合、男性トイレの前に人が並び、女性トイレは空いているという、通常とは真逆の現象が見られる――ともっぱらの噂なのである。
これを「ブルックナー行列」と名付けた人もいるくらい。
数学用語みたいで面白い。
ロビーに出て、真偽を確かめるべきだった。
さて、後半であるが・・・。
やっぱり、真価が分からなかった。
同じ音型の繰り返しで、どの楽章も他の楽章とたいした違いがなく、印象に残るようなメロディもない。
さらに言えば、4番と9番の違いもよく分からない。
偉大なるワンパターンといった感じ。
ブルックナーはワーグナーを崇拝していたらしく、ワーグナー風の官能的タッチから曲が始まることが多い。期待が高まる。
しかるに、『トリスタンとイゾルデ』のようなオルガズムに達することは決してなく、いつも寸止まりで終わってしまう。
「ああ、もうちょっと踏み込めばイクのに・・・」というところで、さあっと波が引いてしまい、もとの欲求不満状態に戻る。
その繰り返し、その繰り返し・・・。
そこが一番、ソルティが「つまらない」と感じてしまうところである。
ブルックナーは敬虔なカトリック信者だったらしいので、ストイックなところがあったのかもしれない。(とはいえ、生涯10代の少女に目がなく、求婚を繰り返したとか→すべてボツ)
性愛方面では不器用で、敬愛するワーグナーの足元にも及ばなかった。
それが作る曲に影響したのだろうか。
それが作る曲に影響したのだろうか。
信仰方面でオルガズム(=忘我や恍惚)に達することもありと思うのだが、そこまでの宗教体験は俗世間にいてはなかなか得られないものである。
ブルックナーがすぐれたオルガニストだったことを思うと、皮肉である。
ブルックナーは、ワーグナーはじめバッハやベートーヴェンやウェーバーから強い影響を受けた。
作品の端々にそれは感じられる。
作品の端々にそれは感じられる。
が、思うに、官能と忘我の手前で身を翻してしまうという点において、スタイル的に一番近い作曲家はブラームスではなかろうか。(同時代に生きたブルックナーとブラームスは仲が良くなかったようだが、ひょっとして近親憎悪?)
いやいや、もしかしたら、ソルティがまだブルックナー的快楽のツボを発見していないだけなのかもしれない。
そのツボが見いだされ、然るべく開発されれば、驚くべき壮大で豊かで美しい世界が開けるのかも・・・。
嬉々としてブルックナー行列に並ぶ男たちは、その秘密を知っているのだろう。
再々チャレンジしよう。