ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語を見て、旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、ボランティアして、デモに行って、無いアタマでものを考えて・・・・そんな平凡な日常の記録である。

仏教

● 本:『徹底比較 ブッダとクリシュナムルティ そのあるがままの教え』(正田大観著)

2018年 コスモス・ライブラリー

 当ブログで紹介したJ.クリシュナムルティ著『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』(Can Humanity Change ? )の訳者の一人による、上記書の“続編”あるいは“補完編”といった趣きの本である。
 上記書はその邦題から、ブッダとクリシュナムルティの教えの相違が探究されている本かと期待して購入したのだが、フタを開けてみるとまったくそんなことはなく、肩透かしを食らった。
 とは言え、邦題をつけた者を単純に責められないのは、上記書の主要部分を成す、クリシュナムルティ(以下Kと記す)およびテーラワーダ仏教僧であるワルポラ・ラーフラをはじめとする複数の著名人の対話において、そもそも目論まれていたのはKの教えと仏教との相違の探究であったと思われるからである。
 対話の口火を切るのに、用意万端、ブッダの教えとKの教えの類似点を要領よく並べ上げて指摘し、Kの返答とそこから始まる両者の比較検討を期待していたであろうラーフラに返ってきたのは、「私とブッダを対比する必要がありますか?」という、Kのなんとも素っ気無い言葉であった。
 そこからは、まったく仏教とは関係ないところで話は展開していく。
 ラーフラおよび対話の企画者の目論み及び意気込みは、開始早々、あっさり棄却されてしまったのである。
 その「十倍返し」というわけでもあるまいが、本書において正田が試みたのが、まさに上記書で叶わなかったブッダとKの教えの比較なのである。

 本稿においては、おこがましくもラーフラ師になりかわって、ブッダとクリシュナムルティの教えを比較検討し、その共通点を提示し確認したく思うのである。簡単に言えば、「ブッダとクリシュナムルティの比較思想論」を試みるわけだ。

 ブッダとクリシュナムルティが同じことを言っているのであれば、それは、真理が一つであることを意味している。真理は一つであり、一つしかない真理を発見したので、言ってることが同じになった、という理解。・・・・(中略)・・・・この前提をもとに、クリシュナムルティの言葉を参照しつつ、ブッダの教えを再構成するのが、本書の進み行きとなる。

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 著者は、「無常、苦、無我、あるがまま、いまここ、からっぽ、貪欲、憤怒、迷妄、条件づけ、快楽、恐怖、二元性、思考、妄想、依存、見解、既知、無執着、気づき、智慧、解脱、遠離独存、涅槃寂静」の24のテーマについて、およびその他10の小テーマについて、両者の言説を引用し、比較検討している。
 引用の出典に選ばれたのは、ブッダの言葉については『阿含経典』の中でも最も古い教典とされている『スッタニパータ』と『ダンマパダ』であり、Kの言葉についてはその著書『四季の瞑想――クリシュナムルティの一日一話』(コスモス・ライブラリーより邦訳刊行)である。
 もちろん、単に両者の教えを比べて共通点を指摘して良しとするのみでなく、読む者にたびたび自己覚知をうながし、真理とは何かを一緒に探求することを呼びかけている。
 野心的な試みと言えよう。
 
金時山 041

 
 結論から言うと、ブッダとKの教えはほとんど同じであり、真理は一つであることが証明されている。
 予期していた通りではあるが、このように一つ一つテーマごとに徹底比較されると、両者は用いる言葉や表現さえ異なれど、呼応するように同じポイントをついていることが明らかとなる。
 たとえば、「思考」についての言説をみると、
 
ブッダ : 転倒した思考の人に、強き貪欲の者に、浄美の随観者に、渇愛(の思い)は、より一層、増え行く。この者は、まさに、結縛を堅固に作り為す。
 しかしながら、彼が、思考の寂止に喜びある者であり、不浄(の表象)(不浄想)を修める、常に気づきある者であるなら、この者は、まさに、(貪欲の)終焉を為すであろう。この者は、悪魔の結縛を断ち切るであろう。(ダンマパダ349~50)
 
K : 悲しみの終焉を理解したい人は、この思考する者と思考、経験する者と経験されるものという二分性を理解し、見出し、乗り超えていかねばなりません。つまり、観察する者と観察されるものの間に分裂があると、時間が起こり、故に悲しみは終わらない、ということです。(中略)観察する者、思考する者とは言うまでもなく、思考の産物であります。思考がまず最初に来るのです。観察する者や思考する者ではありません。思考がまったく存在しなければ、観察する者も思考する者も存在しないことでしょう。そうすると、完璧で全面的な注意だけが存在するのです。(『四季の瞑想』238ページ)

 正田が述べている通り、2500年前のブッダの簡略な言葉――当時は筆記文化がなかったので教えは暗誦できるように簡略化・韻文化せざるをえなかった――が、20世紀の英国で高等教育を受けたKの明晰かつ論理的な文章により、より説得力を持って深いレベルで解釈されつつ再構成される、という現象が起きている。
 あたかもKが、ブッダの教えを現代語に翻訳して解説してくれている、かのような印象を受ける。
 いささか残念なのは、比較に使用された『スッタニパータ』と『ダンマパダ』の和訳がわかりづらい。正田自身による訳のようだが、ここはたとえば岩波文庫の中村元の訳をそのまま使用したほうが良かったと思う。たとえば、上の文の「浄美の随観者」、「不浄想」ってなんぞや?


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 さて、ブッダとKの教えがほとんど同じなのは分かった。
 しかし、やはり気になるのは、むしろ両者の違いであり、その理由である。
 その意味で、本書で一番興味が引かれたのは、両者の違いについて触れている「あとがき」であった。
 正田は、ブッダとKの大きな違いとして、①組織をつくることの是非、②セックスに対するスタンス、の二つを挙げている。これに、③悟りへの道を説くことの是非、を加えれば完璧になると思う。
 
 言うまでもなく、ブッダは出家者の集まりであるサンガを作り、それを重視した。仏・法・僧(ブッダと仏法とサンガ)は仏教の三つの宝である。
 一方、Kは自らを長とする裕福な組織(星の教団)をその手で解散してしまったことからも分かるように、生涯、組織には反対だった。組織は必ず腐敗につながる、個人を真理へ導かないと言ってはばからなかった。
 この両者の違いを、2500年前と現代との「伝達手段」の違いの観点から考察した正田の意見がうがっている。
 オーディオ機器はもちろん筆記文化がなかった2500年前のインドでは教えを伝えるには、口承に頼るしかなかった。ゆえに組織が必要だった。一方、Kの教えは、組織に頼らずとも、本やテープレコーダーやラジオやテレビなどで記録保存され、後世に伝えられる。この違いは大きい。
 たしかに、サンガがなかったならば、仏滅後の結集がなかったならば、われわれが今ブッダの教えを学ぶことは不可能だったろう。組織あってこそ、である。
 
 次にセックスについて。
 ブッダの基本姿勢は「禁欲」であった。出家者はむろんセックスNG、オナニーNG、恋愛NGである。在家に対しても、五戒に見られるように、「みだらな性行為」を戒めた。この「みだらな性行為」の定義が難しいが、基本、結婚(あるいは婚約)している者同士のセックス以外はご法度ってところであろう。不倫などもってのほかである。(ただしブッダは不倫は良くないとしたが、不倫した在家者を責めたり裁いたりすることはなかったと思う)
 一方のKであるが、ソルティの(読書)記憶によれば、若い頃はセックスに対してブッダ同様の厳しい態度を見せていたように思う。途中から、態度が軟化し(?)、逆に禁欲主義を批判する言辞が現れるようになったのではなかったか? セックスすること自体はNGとせず、セックスを“問題”としてしまう「思考のありかた」を問題とみたのである。
 
 僧侶や聖職者の偽善的あり方に厳しかったKは、セックスの問題に関しても、同様の偽善を指摘する。抑圧的禁欲の愚かさとその矛盾。表と裏を使い分けて外見を取り繕うあり方は、たしかに、聖なるものとは言い難い。
 
 ブッダも、Kも、淫欲の害毒については、同じ認識を持っていたと言えるだろう。あくまでも心理的な遠離独存を説いたKにたいし、ブッダの場合、出家修行者に限ってではあるが、肉体的な禁欲を厳命したところが相違点となる。
 
 セックスの問題に対するKの答えは、愛とは非難が全く存在しない状態のこと、セックスがいいとか悪いとか、これはいいけれど他のものは悪いと言わない状態のことです、となる。問題を問題としない、全的なあり方。妄想に起因する矛盾が生じない、葛藤なき状態。情熱と鋭敏さ。そして、気づき。愛とは確かに情熱なのです、と喝破する、Kの言葉をかみしめたい。
 
 正田は、この件に関する両者の違いの様相については十分明らかにしているが、その理由については突っ込んでいない。
 問題が問題だけに――と「問題化」してしまうのが問題、とKなら言うところだろうが――簡単には論じることのできないテーマではある。
 さらに、正田も記している通り、Kには最近になって「不倫スキャンダル」が勃発した。親友で長年の仕事上のパートナーであった男(ラージャゴパル)の妻と、隠れて付き合っていた、しかも自分の子を二度も堕胎させていた――というものである。
 これがどこまで本当なのか、完全にでっち上げなのか、真相はいまのところ藪の中である。
 ソルティは、このニュースを聞いたときに、Kがセックスに対して途中から寛容になった背景はここにあったのかも・・・・・と率直に思った。自分が普段やっていることを、他人に「やるな」とは言えないだろう。
 が、不倫や堕胎はどうなのだろう? もし、この噂が本当なら、Kはまさに「偽善者」であり、「聖なるものとは言い難い」ように思えるが・・・・・。
 
 愚考をさらす。
 ブッダとKのセックスに関するスタンスの違いを作った原因の一つは、それこそ両者の若い時分の性愛体験の差にあるのではなかろうか?
 ブッダは、釈迦国の王子であった青年時代に「好きなだけヤリまくった」はずである。それこそ国中から選ばれし美女たちが宮中至るところに待ち構え、オナニーなんて覚える暇もなかったかもしれない。さまざまな恋も経験済みだったろう。いわば、釈迦国の光源氏。
 三十路で出家したときにはもう、「セックスも恋愛ももう十分です」の域に達していたのではなかろうか。性愛の「快」の底に潜む「苦」を徹底的に味わい尽くしていたのではなかろうか。人を無明の闇に突き落としてしまう愛欲の怖さを十二分に知り尽くしていたのではなかろうか。いや、その達観のさきにある虚しさが、出家を後押しした可能性も考えられなくはない。
 一方のKは、はじめて女性と関係を持ったのは三十路を過ぎてからという話で、そのときにはすでに
「悟りを開いた聖者」として周囲から遇され、その教えを広めていた。
  
 Kが言うところの、飛ぶ鳥が跡を残さないような「問題化」しないセックスならOK、と言えば聞こえはいいが、そんな簡単なものではなかろう。
 セックスにはどうしたって相手が必要だし、相手との関係が生じざるを得ないし、妊娠や性病をもらう可能性だってある。自分一人が悟っていたところで、悟っていない相手と深く関わればどうしたって問題は生じ得る。
 よもやKは「サクッと風俗」を勧めているわけではあるまい。
 
 性と宗教――このテーマは一筋縄ではいかないので、ここまでにしよう。
 
秩父巡礼4~5日 170
 
 
おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 エピローグ

 2ヶ月かけて巡ったネット上での四国遍路が終わった。
 自作の御詠歌と画像で振り返る四国の旅は、実に面白かった。
 とくに御詠歌を作る作業が楽しく、お寺の名前や特徴がうまく盛り込めた歌が生まれたときなど、心躍るものがあった。
 なんだかこの歌を作るために、前もって用意されたエピソードすらあった気がしたほどに。
 おかげで、別格20寺を含め、四国札所108の名前と順番と地図上の位置をすっかり覚えることができた。

 実際の遍路中も、また2018年12月初旬に結願してからも、遍路については当ブログでもたびたび書いてきたものの、中味が濃くて、なかなか消化しきれないでいた。
 旅はまだ終わっていないという感がずっとあった。 
 それが、今回の連載を終えて、「やっと、遍路が終わった!」という実感を持てた。


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 あらためて振り返ってみると、天候に恵まれていたなあ~と実感する。
 とくに海辺を歩いているときは快晴の記憶しかない。
 全行程にわたり、いい写真がいっぱい撮れたのは何よりであった。
 そして、あちこちで本当に土地の方の世話になった。
 いろんな形の「お接待」がなかったならば、旅はしんどいものになっていたに違いない。
 四国はいまや自分にとって第三の故郷となった。(第二は10年間住んだ仙台である)

 
 遍路をしている間は、ほとんどものを考えていなかった。
 過去のことを回想して愉しんだり後悔したりすることもなければ、未来のことを考えて妄想したり不安にかられたりすることもなかった。
 旅の先行きのこと、たとえば泊まる宿や取るルートや残り予算について思い迷うことはあったが、それも、香川に入ってからは消え失せた。
 そして、そのときそのときの様々なものとの出会いと別れを十分味わうことに心は集中するようになった。
 つまり、「いま、ここ」がすべてになった。


霊山参り(赤と黄色の花)


 遍路から日常生活に戻ると、またしても心は過去や未来にさまようようになった。
 あれこれと過去の失敗を思い出しては痛みをほじ繰り返し、もう二度とは訪れない快い追想に浸り、未来のことを想像しては浮かれたり、ブルーな気分に陥ったり・・・・。
 遍路から丸一年たった昨年12月に、駅の階段から落ちて骨を折ったのも、そのとき心が「いま、ここ」にいなかった何よりの証拠である。
 その後のコロナ騒動は、ご承知のように、未来についての不安をかき立てた。

 大体、人間は過去や未来について「考える」から問題を作り出すのであって、思考の入らない「いま、ここ」には問題も生じようがない。
 そのときそのときにやるべきことをやるだけだ。
 そしてまた、実際に存在するのは過去でも未来でもなく「いま、ここ」だけであり、我々が何とかできるのも「いま、ここ」だけである。

 過去や未来について「考え」て、その結果、幸せになるのならどんどん考えればいいと思うが、これまでの経験からも「考えることで幸せが手に入った」とは到底思われない。
 日が暮れるのも忘れて遊んでいる子どものように、「いま、ここ」にいる時が、間違いなく幸せである。

 遍路で体験した「いま、ここ」感覚を、日常生活で――せわしなく、マンネリにつながる繰り返しが多く、いろいろと結果を出すことが求められるような――日常生活で保持するのは難しい。
 大概が、過去や未来にとらわれて「いま、ここ」の価値を忘れ、そのうち煮詰まってくる。
 だから、人はまた四国に行きたくなるのであろう。
 ソルティも、連載している間に、「ああ、また行きたい!」と何度思ったことか。

 四国遍路で味わった「いま、ここ」感覚を、こちらの日常生活でも再現――いや、再現という言葉はふさわしくないな――顕現させることができたなら・・・・・。
 つまり、日常から逃避するために旅を求めるのでなく、日常がそのまま旅であるような生。

 同行二人はいまも続いている。


霊山寺境内(笠)
観るも自在 聞くも自在の 旅なれば のんびり往かん 今ここにあれ
(第40番観自在寺オリジナル御詠歌)



● ワープ解脱法? 本 : 『道元の考えたこと』(田上太秀著)

1985年講談社より『道元のいいたかったこと』の題名で刊行
2001年講談社学術文庫

 道元の教え=曹洞宗については気になっていた。
 「只管打坐」、「修証一如」という言葉からは、よけいな夾雑物を排したすっきりした信仰の形が察しられるし、坐禅=瞑想を重視するところはお釈迦様本来の教えと合致する。
 念仏や読経や祈願や苦行や儀式・典礼をもっぱらとする他の大乗仏教宗派とは位相が異なる感があった。

 おそらく、道元の教えを知るには徹底的に坐禅するに如くはあるまい。
 が、道元の達した境地なり真理なりに坐禅によって到達するのは在家では難しそうであるし、たとえ何らかの智慧や真理を会得したとしても、それが道元のそれと同じものなのかどうか分からない。
 となると、道元の主著である『正法眼蔵』を読むのがやはり最善の策であろう。

 ―――と思って図書館で借りてはみたものの、これがなかなか読みこなせる代物ではなかった。
 量の膨大さはともかく、言葉が、文章が、内容が、難しすぎる!
 高度と言いたいところだが、残念ながら、高度かどうか判断できるまで読み進めるのさえ困難である。 
 あきらめて返却し、次善の策によった。
 仏教研究者による解説本である。


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 田上太秀は同じ講談社から『仏陀のいいたかったこと』(1983年)という名著を出している。
 20年くらい前にソルティは、大乗仏教でぐちゃぐちゃにされたものでない、お釈迦様本来の教えを知りたいと思い本屋で見つけたのが、上記の田上の著書および宮本啓一著『ブッダ 伝統的釈迦像の虚構と真実』(光文社文庫、1998年発行)であった。


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 この2冊によってソルティのそれまで持っていた仏教観は大いに変わった。
 「どうやら生まれてからずっと自分が馴染んできた日本の仏教というものは、日本独特の特異なものらしい」と知ったのである。 
 その後、10年くらい前にテーラワーダ仏教を知って、最も古いお経の集成である『阿含経典』を基盤とするお釈迦様の教えを学ぶようになった。
 そのとき、田上の書いていたことが正確であったことを改めて知った。
 つまり、ソルティにとって信用のおける仏教研究者の一人である。
 そこで、田上の描いた道元を手掛かりとすることにした。

 まず、ソルティの持っていた道元のイメージであるが、「坐禅を極めた人」、「永平寺に見られるように規律に厳しいストイックな人」、「庶民派の親鸞とは真逆で、ブルジョアの人(実際に大臣家の生まれである)」、「映画『ZEN 禅』で道元を演じた中村勘太郎のような清僧」といったところであった。
 本書を読んで、イメージ崩壊というほどのものではないものの、ずいぶん想像していた人物とは違っていた。

 田上は、道元の教えの概要を語るのに、各章を「〇〇への信仰」と題し、道元が信仰していたものを順に並べあげ、『正法眼蔵』を中心とする道元の著作の記述をもとに各テーマについて考察し、解説している。
 坐禅への信仰、礼拝への信仰、滅罪の信仰、本願の信仰、宿善の信仰、出家至上の信仰、輪廻業報の信仰・・・・・というように。
 これらの信仰を持っていた一人の修行者にして導師――としての道元の姿が浮かび上がる構成になっている。
 いわば多角的に見た道元像である。
 「まえがき」でこう述べている。

 いままでの道元観は正面から見たものであったと思う。譬えていえば玄関から道元を訪問して、座敷で面会したといえよう。だが筆者は勝手口から訪ね、居間に邪魔して道元に面会し、本音を聞き出そうとつとめた。


 まず、最初の「坐禅への信仰」については、

 インドからわが国に伝わったのは坐仏が伝わったのであり、これこそ大事な要であり、あるいは命脈であると道元は力説する。坐禅のあるところには必ず仏法があり、仏法があるところには必ず坐禅があり、仏祖から仏祖へと受け継がれたのはただ一つ坐禅の宗旨であると断言した。

 ソルティのイメージ通りの道元であり、「坐禅によって何が得られるのか、何を悟るのか」は置いといて、目新しいことはない。
 が、袈裟や経典や嗣書(師から弟子への仏法の系譜の記録)などに対する礼拝への信仰や、5つの滅罪方法(洗浄、懺悔、袈裟功徳、帰依、霊場巡礼)に対する信仰などは、読んでいて形式的・迷信的という印象しかなく、「やっぱり道元も時代の制約からは逃れられなかったのか」と思わざるを得ない。
 しかも、これらの信仰こそが正伝、すなわち本来の正しい仏法であると明言するに至っては・・・・。

 袈裟を頂戴する作法こそ、礼拝の最高の作法である。道元は仏祖から正伝した仏法の一つに袈裟を挙げた。したがって袈裟に対する礼拝をきびしく弟子たちに教えた。

 (道元は)袈裟をつけないで解脱した人はいないと断言している。たとえ戯れて笑いながら、あるいは御利益があろうと思いながら袈裟を肩に掛けたとしても、かならず悟りを得る因縁となるという。

袈裟来た少女


 また、本願の信仰について、田上はこう指摘する。

 親鸞と道元のそれぞれの本願力信仰の違いは、本尊を阿弥陀仏にするか、釈迦牟尼仏にするかの違いであって、本質的には同じではないかと思う。ただ一つ相違点をあえて挙げると、すがろうとする私が自分自身を愚夫と自覚するか(ソルティ注:親鸞)、宿善根に導かれていると自覚するか(同:道元)の違いであろう。

 坐禅をほかにして仏道はない。坐禅すれば立ち所に仏道が成就するという信仰は、坐禅が釈尊の大本願力に助けられて行われるという信仰に裏付けられていると考えられる。


 ソルティは、道元(曹洞宗)の坐禅は、悟りを感得するための自力による修行だとばかり思っていた。
 別に他力が悪いとか、他力は自力に劣るとかまったく思っていないけれど、勘違いしていたらしい。

 本書を読んで、ソルティの道元像に幅がもたらされた。
 思ったよりも親鸞に近い。
 つまり、「信仰の人」という気がした。
 一方、本書を読んでも、残念ながら、坐禅によって道元の至った境地がわからなかった。
 そこは「不立文字」とするしかないのか。
 「不思量底を思量せよ」とか言われても何のことやら・・・・。

 道元もまた、空海や高丘親王日蓮ら我が国の錚々たる名僧たち同様、真の仏法のなんたるかを終生求め続けたと思われる。
 中国から伝えられたおびただしい数の大乗経典のうち、どれがお釈迦様の教えの核なのか、どうすれば悟りに近づけるのか、あるいは極楽往生できるのか、迷いあぐねたに違いない。
 『西遊記』の三蔵法師に象徴されるように、真の仏法を求める求道者たちの熱望と苦心惨憺たるさまは、ネット時代の我々の想像の及ぶところではない。

 『阿含経典』では、「諸行無常」、「諸法無我」、「一切行苦」という明らかなる真理(=仏法)が明示されている。「不立文字」と言う前に、語られるべき、語ることのできる真理はあると思う。
 また、「修証一如」や「不思量云々」に飛躍する前に、四諦や八正道や瞑想法などの方法論がお釈迦様によって懇切丁寧に説かれている。
 少なくとも本書を読む限りにおいては、これらのお釈迦様本来の教え(=仏法)が触れられていない。
 あたかも、道元は、「袈裟を着て坐禅したら釈迦牟尼仏の助けで自動的に涅槃へ至る」いわば“ワープ解脱”を期待していたかに見える。(それをこそ「本覚思想」というのだろうか?)

 道元の頭のなかは、本当はどれが正しい仏法であり、修行の作法であるかを見極めることに困惑したものと推察される。正伝の正法と力説するあまりに、その「正しい」と選択する基準をなにに求めればよいか、かれ自身、最後までわからなかったのではないか。

 たとえ、釈迦本来の教え(=正法)にぴったり適合しないものであったとしても、道元の教えが素晴らしければ、そして悟る機縁をもたらすのであれば、それはそれで問題ないと思う。
 ただ、『阿含経典』をもっとも古い、仏説に近いお経として知って学ぶことのできる現代日本人は、なんと幸せなのだろうか。

 別の書き手による、「勝手口」からではない「玄関」からの道元像にもあたってみよう。
 

道元
中村勘太郎にはまったく似ず



おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第20回(お礼参り)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】


霊山参り(大窪寺前の茶店)
88番大窪寺前に並ぶ店
熱いコーヒーで結願を静かに祝い、一路徳島へ


霊山参り(さらば女体山)
女体山よ、さらば


霊山参り(トラックの絵)
トラックのデコレも遍路デザイン


霊山参り(徳島県入り)
香川県から徳島県へ(県道377号)


【徳島県】


霊山参り(山の中の道)
山また山の道が続く


霊山参り(畑の中の立木)


霊山参り(地蔵の集会)


霊山参り(犬墓大師)
犬墓大師

霊山参り(犬墓大師2)
犬を友として山野を行脚する空海
微笑ましい光景だ


霊山参り(キャベツ畑)
さっきから、なんてことない景色がこの上なく美しく感じられるのはなぜ?


霊山参り(徳島自動車道)
徳島自動車道の支柱
これまた美しい

霊山参り(コスモスと学校)
阿波市立市場中学校


霊山参り(この店はいつか見た店)
この店はいつか見た店
ああそうだよ。10番に行く途中の店だよ


霊山参り(8~9番への道)
8番から9番へ行く道に立つ鳥居
なぜこんなところに?と不思議に思ったものだ


霊山参り(7番山門)
7番十楽寺山門
前回はもみじがあったことに気づかなかった



7番札所: 光明山 十楽寺 (こうみょうざん じゅうらくじ)

7番
 おへんろは 苦しきものと 言ふけれど
 十に八つは 楽と思へり

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 人間の 八苦を早く 離れなば 至らん方は 九品十楽
コメント: これでやっと御朱印完成。7番をもらい忘れたのは、ある人にもう一度会うためでは?と思っていた相手に再会した。
振り返ってみれば、おへんろは歩いている最中はしんどいこともあったけれど、なにもしないで物見遊山することが歓迎される不思議な空間だった。ある程度のお金と時間と健康が揃って可能となる最高の贅沢である。俗世間のほうがよっぽど苦が多い。だから、人は「お四国病」になるのだ。

霊山参り(7番境内)
十楽寺境内
あの休憩所で一息ついたのが、御朱印をもらい忘れた原因だった


霊山参り(真念道しるべ)
第6番善楽寺近くの真念しるべ石
はじめてのお接待は豆パンだった(追憶しきり)


霊山参り(6番の多宝塔)
第6番善楽寺の多宝塔
紅葉するとこうも景色が変わるか


霊山参り(5~6番の道中)
功徳を積んでいるカフェ
このあたりは、別格1番を経由したゆえに通らなかった道


霊山参り(3番山門)
3番金泉寺
井戸に顔を探したっけ

霊山参り(2番山門)
2番極楽寺
ここで般若心経を読むのを止めたっけ


霊山参り(1番山門)
1番霊山寺



1番札所:竺和山 霊山寺(じくわさん りょうぜんじ)

1番
 霊山で 買いし大師の 杖のたけ
 減った分だけ 落ちよ煩悩

御本尊: 釈迦如来
本歌 : 霊山の 釈迦の御前にめぐり来て よろずの罪も 消え失せにけり
コメント: 2度目の御朱印を受ける。ここで2ヶ月前に購入した金剛杖。どれだけすり減ったかを真新しい杖と比べてみた。なんとまあ酷使したことか。三本目の足として頼っただけでなく、蜘蛛の巣をはらったり、邪魔な草や枝をなぎ倒したり、手拭いを干すのに使ったり、本当に世話になった。せめて減った分だけでも煩悩が落ちたのならよいのだが。


霊山寺境内
霊山寺境内


霊山寺境内(杖の長さくらべ)
たけくらべ


池谷駅
歩き遍路の出発地点についに戻ってきた(JR高徳線・池谷駅)


吉野川
吉野川を渡る


徳島駅2
徳島駅


旅館大鶴
四国最後の宿は大鶴旅館
親切で話好きの女将がいるきれいな宿だった
出がけにおむすびの接待もいただいた(これがまた旨い!)
また泊まりたい宿である


さらば四国
さらば、四国



【和歌山県】


真言宗総本山: 高野山 金剛峯寺(こんごうぶじ)

高野山1

 結願を 奥の院にて 報告す 
 こんごうぶじ(今後を無事)に 送れますよう


ご本尊: 薬師如来(弘法大師) 
本歌 : ありがたや 高野の山の 岩かげに 大師はいまだ おはしますなる

コメント: 徳島からフェリーで和歌山へ。南海電鉄で橋本駅へ。そこから代行バスで高野山に向かった。(ケーブルカーは修理中だった)
金剛杖を奉納したかったが、奥の院にいた若い僧に「杖は奉納するものではありません」と断られた。家まで持って帰ることにした。(今も部屋の鴨居にかけ渡してある)
バスの中で会った男の話が興味深かった。



高野山2
真言密教の象徴、根本大塔


高野山1
奥の院にまします弘法大師


金剛峰寺ご朱印

奥の院御朱印

 
【京都】

真言宗総本山: 東寺(とうじ) 

東寺
 身は高野 心は東寺 しかれども
 霊(たま)は四国を 巡リたまへり


ご本尊: 薬師如来(弘法大師)
本歌 : 身は高野 心は東寺に納めおく 大師の誓い あらたなりけり

コメント: 高野山にも東寺にも弘法大師の魂はいない。母の地ふるさと四国にいて、庶民や遍路を見守っておられる。これが四国遍路を体験した人の偽らざる実感であろう。


京都東寺3
東寺はJR京都駅八条口から歩いて15分


京都東寺2
国宝の大師堂(御影堂)は修復工事中だった
仮のお堂に上がって最後の読経を上げた
現在はもう工事は完了し観覧・参拝できるようだ


京都東寺1
もみじはこの世の曼荼羅か


四国の白地図第19回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  







   


● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第19回(第86~88番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】
 

志度の海
おだやかな志度の海、カキの養殖が盛ん
道の駅で食べたハマチ漬丼がうまかった

平賀源内1
平賀源内の生家
中は資料館や薬草園になっている
少し離れた場所に記念館もある


平賀源内2
平賀源内
こんな男、なかなかいない



 86番札所: 補陀洛山 志度寺 (ふだらくざん しどじ)

86番
 エレキテル 土用のうなぎ ふしどには
 陰間はべらす 異才の男

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : いざさらば 今宵は ここに 志度の寺 いのりの声を 耳にふれつつ
コメント: 当地は江戸時代の万能の天才・平賀源内の生まれ故郷。生家は資料館になっている。源内は、発明家(エレキテル、土用のうなぎ等)であり、博物学者であり、文筆家であり、医者であり、男色家であり、人殺しであった。志度寺の境内に参り墓がある。(実際に葬られている墓は東京都台東区橋場にある)
【次の札所まで7.0㌔】


志度寺山門
山門


志度寺境内
境内は樹木に覆われ、ちょっとした迷路のよう


志度寺大師堂
大師堂


87への道(源内焼)
源内焼とは源内の指導によって当地で製作された三彩の陶磁器
こちらはもちろんお菓子である。黄身アンを包んだ焼き饅頭。



87への道(カラスのたかる家)
畑中の家にカラスがしきりにたかり騒いでいた
何かあったのだろうか?


87への道(マンホール)
長尾寺への道で見かけたマンホール



87番札所: 補陀洛山 長尾寺 (ふだらくざん ながおじ)

87番
 讃岐なる 長尾の里の 道におわす
 姫のいわれを だれか知るらん

御本尊: 聖観世音菩薩
本歌 : あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら み名をとなえよ
コメント: この札所は、源義経の愛妾であった静御前が出家したところなのだが、それよりも付近のマンホールに刻まれていた「かぐや姫のふる里長尾」というのが気になった。納経所の人に聞いてもいわれを知らなかった。『竹取物語』にはたしかに讃岐造(さぬきのみやつこ)と呼ばれる翁が登場する。そして長尾は竹細工で有名な地区だそうである。
【次の札所まで33.9㌔】
 

長尾寺境内
広々とした境内


88への道(道標)
ついにこの道しるべが現れた!


88への道(前山ダム2)
前山ダム
このあたりも池が多い


88への道(おへんろ交流サロン1)
前山おへんろ交流サロン
結願間近の遍路たちが休息し、遍路について学び、交流するところ
「遍路大使任命書」や記念バッジ、札所を映したDVDなどをいただいた
ここで83番一宮寺に行く途中で会った韓国人チュウさんと再会



88への道(おへんろ交流サロン2)
館内には、四国霊場のジオラマ、江戸時代の紀行本や古地図、
古い納め札や納経帳、曼荼羅掛け軸など、豊富な資料がある


88への道(韓国の男)
チュウさんは最後の難関、女体山(774m)を超えるルートを行く
さよなら、チュウさん。そして、ありがとう!


88への道(大窪寺との分岐)
女体山を迂回して88番へ行く道との分岐
別格打ちは真っすぐ進む


別格20への道(末広商店分岐)
香川県三木市と徳島県美馬市の境界
別格20番は二県の境界上にある


別格20への道(落合橋)
塩江温泉郷(香川県高松市)の落合橋
橋の向こうに見える立派なホテルは一年前(2017)に倒産


別格20への道(赤松旅館)
昔懐かしい風情の赤松旅館に宿をとった


別格20への道(赤松旅館2)
食堂もやっていて、自家製チャーシューを使ったチャー丼は絶品の味
とても仲の良いご夫婦で経営、二人とも良い人だったな


別格20への道(朝霧)
早朝の内場ダム付近
視界がきくのは3メートル先まで


別格20への道(六甲天満原林道1)
山道(六甲天満原林道)に入ったら霧が晴れてきた


別格20への道(六甲天満原林道2)
頂上の大瀧寺まで、なだらかな傾斜の舗装路が続くので
疲れることはない。が、山の上は結構寒かった。
思えば、もう11月も終わり。


別格20への道(西照神社)
西照神社
神仏分離前は大瀧寺と一体だった。
主祭神は月夜見大神(ツキヨミノミコト)、アマテラスの弟である。



別格20番札所: 福大山 大瀧寺(ふくだいさん おおたきじ)

20番
 塩の江の 霧の戒壇 めぐる朝
 お大師さまに おおたき(逢ふた気)がする
 

ご本尊: 西照大権現
本歌 : 霊峰の 岩間にひらく 法の道 厄をながして 衆生ぞすくわる
コメント: 標高910mは66番雲辺寺につぐ高さ。麓の塩江温泉に宿をとり、往復に一日かけた。早朝の内場ダム付近はまさに五里霧中で数メートル先も見えず。なのに不思議と怖くなかった。参拝を済ませた午後、登って来た山道を下ってゆくと、唖然とするほど見事な景色が目の前に広がった。このルートを勧めてくれた地元の方に感謝。
【次の札所まで18.5㌔】


別格20番大瀧寺境内
別格20札所を打ち、結願す
(西照神社ともに住所は徳島県美馬市)


別格20番大瀧寺下山道1
下山は景色を楽しみながらゆっくり気ままに
おかげで腸もルース


別格20番大瀧寺下山道2
途中にあるお墓の観音様


別格20番大瀧寺下山道3


別格20番大瀧寺下山道4
麓まで下りた所で出会った見事な景観!
内場川を堰き止めてできた内場湖


別格20番大瀧寺下山道5



別格20番大瀧寺内場ダム
内場ダム


別格20番大瀧寺内場ダム3


別格20番大瀧寺内場ダム2
今朝はこの美しく雄大な景色が周囲に広がっているのを
まったく知らずに歩いていた。
なんだか自分の人生を象徴するような・・・・・


塩江温泉郷
塩江温泉郷に帰還



塩江温泉(香東川)
香東川
塩江温泉は行基が開いたと言われる


別格20への道(赤松旅館3)
ただいま、赤松旅館
向かいのショッピングセンター「はすい」で買い物したら
店番のおばあちゃんのツヤツヤ肌にビックリ
塩江温泉は美容に良いらしい


88への道(別格帰り1)
翌朝午前6時に宿を発った
来た道を戻る。寒い。

88への道(別格帰り2)
88番大窪寺への分岐にある「多和産直 結願の郷」
  2012年3月閉校となった多和小学校の跡地を利用した施設


88への道(別格帰り3)
これが最後の遍路小屋
ゆっくりお茶を飲み、トイレも済ます


88への道(別格帰り5)
最後の道しるべ
あとは林の中の一本道


88への道(別格帰り4)
前方に女体山が見えてきた


88番大窪寺参道


88番大窪寺山門



88番札所: 医王山 大窪寺(いおうざん おおくぼじ)

88番
 はじまりは へんろ仲間も おおくぼじ
 終わりて今は 同行二人

御本尊: 薬師如来
本歌 : なむ薬師 諸病なかれと願いつつ 詣れる人は 大窪の寺
コメント: 朝暗いうちに塩江温泉を出発。外気温は1度だった。思えば、春夏秋冬すべての気候を体験するような遍路だった。はじめの頃たくさんいた遍路仲間も、高知・愛媛と進むごとに少なくなって、香川では一日に数名しか見なかった。最後はお大師様と同行二人。本堂の後ろの女体山がやさしく迎えてくれた。
【第7番札所まで26.5㌔】


88番大窪寺本堂
本堂
読経時はさすがに声が震えた


88番大窪寺境内
静かで落ち着いた境内


大窪寺境内2
境内を守る女体山


88番大窪寺山門2
結願は2018年11月30日(土)朝10時
1番を打ったのが9月27日(木)朝10時



四国の白地図第19回


CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  




次回最終回
ご朱印をもらい忘れた第7番参拝のあと、
第1番、高野山、東寺にお礼参りします




   



● TWO RIGHT HAND 両方右手

 出先の街の本屋に、木の立体パズルのコーナーがあった。
 スカイツリーやエッフェル塔、恐竜や動物、飛行船や機関車やクラシックカーなど、いろいろな種類が並んでいる。
 コロナでおウチ時間が長くなった影響の一つであろう。
 結構売れているらしい。


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 手先の不器用なソルティはジグゾーパズル派(平面派)なのだが、よくある精巧模型ほどに難しそうでもないし、なにより接着材やカッターを使わずに組み立てられるというのが良い。
 展示されている模型の木の風合いも素敵だ。
 一つチャレンジしてみようかと棚を見回していたら、五重塔があった。
 仏教愛がほとばしった。


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 275ピースで、完成サイズは160×160×320ミリ、対象年齢12歳以上。
 これなら TWO RIGHT HAND(両方右手)のソルティでもなんとか作れるかもしれない。
 ( TWO LEFT FOOT 「両方左足」は不器用という意の英語表現。なので、TWO LEFT HAND と洒落るところだが、ソルティは左利きなので「両方右手」となる)

 家に帰って箱を開けたら、部品が並んだ木のボード10枚と簡単な説明書が入っていた。
 静かな秋の夜、ワイン片手にじっくり作ってみようかな。


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70番本山寺五重塔
四国遍路第70番札所・本山寺の五重塔






● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第18回(第81~85番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】


81への道
左の山が81番のある白峰、右の山が82番のある青峰
真ん中にあるお城はホテルプリンセス(桃峰)


81への道(白い岩壁)
登山道脇の凝灰角礫岩(ぎょうかい・かくれきがん)の露頭
白峯の名の由来は「山深く雪がなかなか消えないから」
と言われるのだが、むしろこの岩盤の色ゆえではなかろうか



81番札所: 綾松山 白峯寺 (りょうしょうざん しろみねじ)

81番
 足音を 忍ばせ歩け 白峯の
 悲王の眠り さまたげぬよう

御本尊: 千手観世音菩薩
本歌 : 霜さむく 露白妙の 寺のうち 御名を称ふる 法のこえごえ
コメント: 白峯寺の奥まったところに崇徳上皇の陵墓はあった。ここではなぜか物音を立てるのを控えてしまう。山の紅葉の賑わいをよそに、静かに眠られているような印象をもった。京の都とは反対の方角(南西)を向いているのだが、これは祀った者の意地悪ではなくて、外敵から京を守護してもらう意図からではなかろうか? 
ここに立つと「魔王」という称号より「悲王」がふさわしい気がした。
【次の札所まで5.0㌔】


白峰寺山門
山門


白峰寺阿弥陀堂
阿弥陀堂


白峰寺霊廟への道
目立たない小径の先に・・・・・


崇徳上皇霊廟
白峯御陵
配流から9年、享年46歳


五色台子どもおもてなし処
82番へ行く途中にある五色台子どもおもてなし処
宿泊できるログハウスがある



82番札所: 青峰山 根香寺 (あおみねさん ねごろじ)

82番
 闇に棲む 鬼もお化けも 恥じ入れよ
 五色輝く ねごろ(見頃)の紅葉

御本尊: 千手観音菩薩
本歌 : 宵の間の 妙ふる霜の きえぬれば あとこそ鐘の 勧行の声
コメント: 81、82番がある五色台は香川有数の紅葉の名所。京都の名刹とくらべても遜色ない。もっとも美しかった札所として記憶に残っている。が、実はここは四国の心霊スポットとしても名高い。その昔人間を食べる恐ろしい怪獣・牛鬼が棲んでいたという伝説もある。
【次の札所まで4.6㌔】


根来寺本堂
本堂


根来寺鐘楼
鐘楼


根来寺紅葉
このタイミングでこの札所に来られるとは!


別格19への道
別格19番へ向かう下山路



別格19番札所: 宝幢山 香西寺(ほうどうざん こうざいじ)
 
19番
 こうざい(功罪)に よりてその名は 変われども
 延命するは 菩薩の功徳

ご本尊: 延命地蔵菩薩
本歌 : 南無大悲 延命地蔵 大菩薩 みちびきたまへ この世のちの世
コメント: 82番からこの寺に下る道はところどころ海が見えて気持ちいいのだが、道標が少なく、何度か迷って土地の人に尋ねた。この寺は、739年に行基が創建して以来、勝賀寺→香西寺→地福寺→高福寺→香西寺と支配者が変わるたび名前を変えられている。俗世の荒波をかいくぐってきたのだ。
【次の札所まで9.2㌔】


別格19香西寺山門
山門


別格19香西寺境内
境内


別格19香西寺納経所
納経所


飯田お遍路休憩所(鬼無駅近く)
JR予讃線・鬼無駅近くの飯田お遍路休憩所


飯田お遍路休憩所2(鬼無駅近く)
立派で贅沢なしつらいであった(なんと日本庭園もある)
ここで韓国人チュウさん(48)と出会い、83番まで同行。
スポーツ用品の会社で働いていて、休暇を利用して来たという。
英語と日本語とスマホのチャンポン会話を楽しんだ。



83番札所: 神毫山 一宮寺 (しんごうざん いちのみやじ)

83番
 別れても 姓を変えない 妻のごと
 思いのたけは いちのみやかな

御本尊: 聖観世音菩薩
本歌 : さぬき一 宮の御前に 仰ぎきて 神の心を 誰かしらいふ
コメント: 神仏習合時代は、隣りにある讃岐一宮・田村神社の別当寺であった。1679年に時の高松藩主・松平頼常によって田村神社が両部神道から唯一神道に改められたため、神社と分離された。つまり、明治初期の神仏分離より200年も早く、神仏の分離が行われたのだ。にもかかわらず、名前だけずっと昔の由来のままに残っているのが面白い。
【次の札所まで13.6㌔】


一宮寺山門
山門


一宮寺境内
境内


田村神社大鳥居
讃岐一宮・田村神社
社伝によれば、和銅2年(709年)行基によって創建された


田村神社神殿
本殿
「もう七五三だったのか!」と驚いた瞬間(11/26に参拝)
遍路中の時間感覚は特異である


田村神社赤鳥居が並ぶ
四国一宮めぐりもこれでオーラス


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高松カプセルホテル
高松ではカプセルホテルを利用
へんろ割引(3300円→1800円!)があった
ここで靴下供養をした


84への道2
84番への道(国道11号)
高松琴平電鉄志度線が走る向こうに屋島山が見える



84番札所: 南面山 屋島寺 (なんめんざん やしまじ)

84番
 やしまじに(休まずに) 登り着きたる 境内に
 不動の守護者 いし固くして

御本尊: 十一面千手観音菩薩
本歌 : あづさ弓 屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて 勇むもののふ
コメント:揺れる舟の上から扇の的を射抜いた那須与一の話など、源平の合戦で有名な地。屋島寺(284ⅿ)と85番八栗寺(230ⅿ)は、向かい合った山上にあって、壇ノ浦を挟む。つまり、この日は登って下りてまた登るの難路。ここまで来ると、登山のきつさは標高よりも傾斜の問題と身をもって分かってくる。札所最高峰(927m)の66番雲辺寺より、よっぽどきつかった。
【次の札所まで5.4㌔】


屋島寺本堂
本堂
開基はあの唐の名僧・鑑真和上という


屋島寺大師堂
大師堂


屋島寺狸稲荷
四国たぬきの総大将・太三郎狸を祀る蓑山大明神
太三郎は高畑勲監督の映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)に登場する。
弘法大師が四国から狐を追い払ったので、狸の天下になったという言い伝えがある。


屋島寺不動明王
この石の不動明王像、妙に惹かれるものがあった


屋島寺境内
境内を後にする


壇の浦
壇ノ浦
実を言うと、平氏が滅亡した関門海峡の壇ノ浦しか知らなかった。
当地のほうは一般に「屋島の戦い」と呼ばれるようだ。
ここから壇ノ浦のふちを抜けて、向かいの五剣山に登る


85への道(道標)



85への道(須崎寺1)
洲崎寺の庭園
苔と石とで屋島の戦い(地形)を表現している


85への道(須崎寺2)




85への道(真念の墓)
ここに参らでおくものか
四国遍路の父・真念上人のお墓


85への道(真念の墓2)
結願が見えた地点に登場するのが粋である


85への道(五剣山)
八栗寺のある五剣山が迫ってくる
このあたり(牟礼)は良質の石の産地である



85番札所: 五剣山 八栗寺 (ごけんざん やくりじ)

85番
 八里九里 日々を重ねて 三百里
 四剣の山を ごけんざん(見参)する

御本尊: 聖観世音菩薩 
本歌 : 煩悩を 胸の智火にて八栗をば 修行者ならで 誰か知るべき
コメント:本道の背後に屏風のようにそびえる4つの峰がダイナミック。かつては5つあり五剣山と呼ばれたのだが、宝永3年(1706)の大地震で一つ崩れたとのこと。ここには聖天様も祀られている。聖天信仰は弘法大師が唐より持ち帰ったと言われている。
【次の札所まで6.5㌔】


八栗寺境内
境内


八栗寺聖天様
歓喜天のお堂
歓喜天(聖天様)はインドのガネーシャ(象の神様)が起源
大日如来の化身とされ、密教では重要な神様である。


八栗寺四剣山
間近に仰ぎ見る四剣山は迫力満点!
長野の戸隠神社の天岩戸の扉を想起した。




四国の白地図第18回


CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告
・・・・・結願です。



   



● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第17回(第76~80番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】


いやだに寺から宿に帰る列車
JR予讃線からのぞむ瀬戸内海
(前日歩き終えたところまで移動中)



76番札所: 鶏足山 金倉寺 (けいそくざん こんぞうじ)

76番
 金の倉 銀の倉より 貴きは
 困れる者への 陰なる配慮

御本尊: 薬師如来
本歌 : まことにも 神仏僧をひらくれば 真言加持の 不思議なりけり
コメント: 弘法大師の姪の子供で天台宗の僧となった智証大師(円珍)誕生の地――という謂れよりも印象に刻まれたのは、境内にある野宿遍路のための宿泊設備の整った休憩所、および納経所に掲示してあった「遍路に行ったまま帰ってこない夫」に呼びかける神奈川在住の妻の手紙だった。一体なにがあったのか?
【次の札所まで7.0㌔】

76番金倉寺境内
境内


76番金倉寺智証大師像
智証大師円珍
延暦寺第5代座主となった。真言宗でなく天台宗を選んだ理由が気になる。


76番金倉寺(へんろ小屋)
至れり尽くせりの遍路小屋


76番金倉寺(夫への手紙)
今はもう恵子さんのもとに戻っているだろうか?


76番金倉寺境内2
参道


多度津駅
多度津駅
JR予讃線とJR土讃線が乗り入れる
この駅のコインローカーには世話になった
重いリュックを預け、身軽に歩くは遍路の知恵


海岸寺への道1
多度津港
多度津駅より海沿いの道を西へ向かう


海岸寺への道2(仏母院)
仏母院
弘法大師の母・玉依御前(たまよりごぜん)の屋敷跡に建てられた


海岸寺への道2(えな塚)
胞衣(えな)塚
大師の胞衣とへその緒が納められている


海岸寺への道(田園風景)
仏母院周辺の風景


海岸寺への道(河口)
海岸寺はその名の通り海を背にしている



別格18番札所:経納山 海岸寺 (のうきょうざん かいがんじ)

18番
 かいがん(開眼)し 最初に見るは 母の顔
 聖人もまた 人の子なれば

ご本尊: 正観音 弘法大師誕生佛
本歌 : せとのきし まなこやひらく かいがんじ よろこびみちぬ 身も心にも
コメント: 札所奥の院に弘法大師の産屋があったとされる。75番善通寺(佐伯家屋敷跡地)との間で、どっちが大師生誕の地なのかに関する長い間の論争があり、いまだ決着を見ていないようだ。近くには、大師の母親・玉依御前の実家があったらしく、そこはいま仏母院という寺になっている。また、大師の胞衣(えな)を埋めたとされる御胞衣塚もある。つまり、父の家で生まれたのか、それとも母の里なのかということだ。穏やかな海を臨む平和な里山の風景は聖人誕生の地にふさわしいとソルティは思ったが、真実はいかに。
仁王門に当地出身の二人の力士像が立っているのにはたまげた。
【次の札所まで2.9㌔】

海岸寺山門
山門
仁王像の代わりに郷土出身の力士が立つ
左:大豪久照 右:琴ヶ濱貞雄


開眼寺力士2海岸寺力士1















海岸寺本堂
本堂


海岸寺大師堂
大師堂は本堂から離れた静かな奥の院にある


多度津駅跨線橋より
多度津駅の跨線橋より善通寺方面を望む
讃岐は小山と畑とため池の国



77番札所: 桑多山 道隆寺 (そうたざん どうりゅうじ)

77番
 道隆の 名に関白を 思いしが
 藤にはあらで 桑のわけあり

御本尊: 薬師如来
本歌 : ねがいをば 仏道隆にいりはてて 菩提の月を 見まくほしさに
コメント: 藤原道長の兄にして中宮定子の父である関白・道隆のいわれでもあるお寺かと思ったら、そうではなかった。この地の豪族だった和気道隆(わけのみちたか)が、光る桑の大木から薬師如来を彫像したという縁起がある。
【次の札所まで7.2㌔】


道隆寺山門
山門


道隆寺境内
境内


道隆寺衛門三郎
ここにも衛門のサブちゃんが!
(かなり造りが雑)


道隆寺納経所飾り
納経所に飾られていた手作り小物に癒される


丸亀城
丸亀城(蓬莱城)
室町時代初期に細川頼之の重臣・奈良元安が築城す


78への道(川と山)
土器川と讃岐富士の異名をもつ飯野山(422m)



78番札所: 仏光山 郷照寺 (ぶっこうざん ごうしょうじ)

78番
 大師堂 ごう天井に 咲く花に
 がっしょう(合掌)一遍 厄も吹き飛ぶ

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 踊り跳ね 念仏申す 道場寺 拍子をそろえ 鉦をうつなり
コメント: 四国霊場唯一の時宗(開祖:一遍)のお寺。時宗と真言宗の2つの宗派が共存しているという。かたや踊り念仏の浄土易行、かたや真言三密、ほとんど真逆じゃないか。一体どうやって折り合いをつけているのだろう?――と不思議に思うが、本命は厄除け・厄払いにあるらしい。
大師堂入口の格天井(ごうてんじょう)の花の彫刻が美しかった。
【次の札所まで5.9㌔】


郷照寺本堂
本堂
へんろより一般参拝者(とくに夫婦)が多かった


郷照寺格天井
大師堂の格天井


郷照寺境内からの風景
境内から眺める宇多津のまち
瀬戸大橋のたもとにある


79への道(坂出の商店街)
四国を回っていて、このような光景をいくつ見たことか!


79への道(やそばの水)
八十場(やそば)の泉


79への道(やそばの水2)
八十場名物・ところてん
残念、定休日だった



79番札所: 金華山 天皇寺 (きんかざん てんのうじ)

79番
 世を呪い 魔王となりし 天皇の
 怒り冷やせよ 八十場(やそば)の泉

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : 十楽の うき世の中をたづぬべし 天皇さえも さすらいぞする
コメント: 保元の乱に敗れ、讃岐に流された崇徳天皇崩御の地。腐敗防止のため、その遺体は八十場(やそば)の水に数日間漬けられたと言う。その清水を使ったところてんの名店が池の傍らにあった。
崇徳天皇は日本三大怨霊の一人として恐れられているが、道中出会った地元の人の話から察するに当地ではまた違った印象で遇されているようだ。別バージョン⇒「世を呪い 魔王となりし 天皇よ 怒りなくせば ところてんなり」
【次の札所まで6.6㌔】


79への道(白峯宮)
崇徳天皇を祀る白峯宮
お墓は81番白峯寺にある


天皇寺本堂
同じ境内にある天皇寺本堂


白峯宮鳥居



80への道(カタツムリの富士登山)
へんろ道にあるお店の看板
ふと大事なことを気づかせてくれる



80番札所: 白牛山 国分寺 (はくぎゅうざん こくぶんじ)

80番
 八十(やっと)来た! ここが最後の国分寺
 たかまつ生ふる 参道をゆく

御本尊: 千手観世音菩薩
本歌 : 国を分け 野山をしのぎ 寺々に まいれる人を 助けましませ
コメント: 四国各県に一つずつある国分寺。香川県は高松市内にある。
“国分寺”のある場所はかつて最も賑わいだ界隈だったはず。が、今やどこも中心地から離れた寂しい場所となっている。東京の国分寺跡(武蔵国分寺)も閑静な住宅地となっている。
【次の札所まで6.5㌔】


国分寺山門
山門


国分寺参道
松が立ち並ぶ参道


国分寺本堂
本堂


国分寺大師堂
大師堂と納経所は一緒
中はお守りやお数珠などが売られ、昔の駄菓子屋のような印象
80番を打って、気持ち的に秒読みに入った



四国の白地図第17回


CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告
崇徳天皇御陵&紅葉の景勝、五色台に参ります





   

● 言いも言ったり! 本:『お寺の収支報告書』(橋本英樹著)

2014年祥伝社

 「歯にきぬ着せぬ」という表現がこれほどピッタリな人も珍しい。
 既存の(伝統的な)お寺制度の問題点や弊害を、何ら忖度なしに赤裸々に暴き出し、鋭く批判している。
 現役の住職だからこそできる内幕暴露の数々に、「ここまで言っちゃって大丈夫? 本山(永平寺)からお咎めない?」と心配になるほどである。
 が、返す刀をおのれに向けることも怠らず、自身の寺の内情も包み隠さず晒け出している。
 タイトルどおり、自院(曹洞宗見性院)の収支報告書、財産目録を紙面に上げ、使途不明金や不正収入の無きことを証明する。
 お坊さんだからというわけでないが、「ブッダに握拳なし」だ。


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 現状把握と分析、問題意識の高さ、世相の読み、理論武装もしっかりしている。
 こんなお坊さんの法話を目の前で聞いたら、説得されてしまいそう。
 たいした論客ぶりである。

 さらに、行動力もある。
 お寺の抱える問題点を分析し、その根っこが江戸時代から続く旧態依然たる寺檀制度にあると認識するや、自らの寺の檀家制度を廃止してしまう。
 なかなかできることではない。
 さらに、葬式をお寺の本堂で執り行い、石材業者と直接取引して中間マージンをなくし墓石代を安くし、宗派にこだわらず受け入れる墓地をつくり・・・・・、次々と新基軸を打ち出す。
 使命感あふれる革命家であり、先見の明ある起業家であり、数字に明るい事業家でもある。

 こんな人がお坊さんしているなんてもったいない。
 ぜひ政治の場で活躍してほしい。地元の熊谷市とは言わず県政あるいは国政の場で――とつい思ってしまうが、いやいや、こんな人こそ今の日本の仏教界には必要なのであろう。
 橋本英樹は1965年埼玉県生れの曹洞宗僧侶。

 葬式仏教の問題点、差別的な戒名制度(被差別部落の故人につけられた「差別戒名」とはまた違う)、墓地や墓石の販売の不透明性、お寺が拝観料を取ることの是非、寺檀制度の弊害、不合理な本末制度、お寺非課税の意味・・・・・。
 既存の制度がもたらす既得権の上にあぐらをかいてきたお寺の腐敗の実態や、お寺離れが急速に進む現在、生き残りをかけてえげつなさをさらに増しているお寺のケツまくりぶりが明かされる。
 たとえば、離檀料。
 こんなものがあるなんて知らなかった。
 檀家をやめる際、つまりお寺にある先祖代々のお墓をよそに移す際に、お寺から請求されるお金(名目はお布施ということになっている)のことである。
 これでは信教の自由もへったくれもない。
 檀家をやめたり、よそに墓を移すことを妨げることから、人質ならぬ「墓質」という言葉もあるそうだ。
 
 橋本の「言いも言ったり」な発言の一部をお目にかけよう。

 宗教にせよ、教職にせよ、行政にせよ、その内情を知らない外部の人からみれば、浮世離れした世界です。知らないからこそ、夢のようなものを感じさせます。
 ところが、こういったところは往々にして、「特権意識が強い人」のふきだまりでもあります。また、社会的に成熟した人が極度に少ないというのが、共通した特徴です。既得の権益、なれあい社会を守るために、外部から乗りこんできた人を異常に警戒します。新参者が、少しでも改革の意識を口にしようものなら、そういった連中がいっせいに妨害してきます。そして、つぶしにかかります。

 いまの仏教界を堕落させているのは、お布施の強要を前提とした寺檀制度と、固定化された本末制度です。この二つの制度がなくなれば、日本の仏教はずいぶん風通しがよくなります。

 世の宗教指導者たちは、純然たる経済行為が非課税であることの意味をかみしめて、その感謝を信徒や社会の幸福に向けて、奉仕すべきではないでしょうか。
 ところが、宗教法人への課税が話題にのぼるだけで、「宗教弾圧だ」と過剰に反応してしまいます。こういったものは、真っ当な主張ではなく、ただの強欲な心のあらわれであるということを自覚しましょう。

 日本人は強いコミュニティ、地縁や血縁といったものを長く守ってきましたので、そこに寺檀制度がすっぽりハマったのでしょう。その瞬間に「葬式仏教」のもとができあがったのですが、表現を変えれば、「葬式仏教」になるしか、ほとんどのお寺には生きる道がなかったのです。これがなければ、日本の大多数の仏教寺院は、廃絶していたにちがいありません。
 よく、「日本人はいつ信仰心や、宗教に対する忠誠心を失ったのか」と大上段から論じる人がいますが、「そんなものは、はじめからなかった」と考えるべきでしょう。ですから、いますぐ自由になって、どういった信仰をするか(あるいは信仰をしないか)を自分の意志で決めなくてはならないということなのです。

 ソルティも著者同様、既存のお寺制度には多々問題があるとは思うものの、お寺そのものがなくなってもかまわないなんて、もちろん思わない。
 いつでも好きなときにふらっと立ち寄れて、香の立ちこめる静かなお堂で仏像を拝み、好きなお経を詠み、気の済むまで瞑想できて、緑水豊かな境内を散歩できて、たまにはありがたい法話も聞けて、スマホやテレビや俗事や厄介な人間関係から逃避できるオアシスが、最寄りにあったらいいのに・・・・・といつも思っている。
 座禅会とかいって日取りを決めなくても、いつ行っても独り座れるのが精舎というものだろう。
 ソルティは純粋な大乗仏教の徒とは言えないかもしれないが、そのような場を維持するためなら、協力を惜しまないものである。

 患者が自分に合った主治医を選ぶように、これからは仏教を愛する一人一人が、自分に合ったお寺とお坊さんを選んでいく時代なのだろう。 
 そのうち見性院には行ってみたい。



秩父長泉院
秩父観音札所第第29番長泉院
秩父札所には心落ち着かせる良いお寺が多い
四国札所には決してひけをとらない



  
おすすめ度 : ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第16回(第71~75番)

 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】

71への道(こじき遍路)
71番への道(JR予讃線・みの駅付近)
30回以上は回っているという野宿のお遍路さん(70代)と遭遇
野宿ポイントがしっかり頭に入っていた。さすがパッキングもうまい。
自分の老後の姿かも・・・・ワルクナイ


いやだに寺階段
弥谷寺の階段
てっぺんの本堂まで570段を上る



 71番札所: 剣五山 弥谷寺 (けんござん いやだにじ)

71番
 ものさびし 長き石段 いやだにじ
 足の重さは つかれたせいか

御本尊: 千手観音菩薩
本歌 : 悪人と 行きつれなんも いやだにじ ただかりそめも 良き友ぞよき
コメント: 本堂まで570段の急な石段を登る。高齢者にはきつかろう。
たそがれ時に訪れたせいもあろうが、薄暗くてじめっとした雰囲気。全札所中、もっとも霊がいそうな気がした。
弘法大師は子供の頃、この岩屋で勉強したという。
【次の札所まで3.7㌔】


いやだに寺大師堂
大師堂
中に納経所と弘法大師が修行した獅子の岩屋がある


いやだに寺本堂
本堂


いやだに寺風景
本堂からの景色



72番札所: 我拝師山 曼荼羅寺 (がはいしざん まんだらじ)

72番
 お大師の まつてふ寺に 来てみれば
 曼荼羅菩薩 われをまつなり

御本尊: 大日如来
本歌 : わずかにも 曼荼羅おがむ人はただ ふたたびみたび かえりざらまし
コメント: 弘法大師が植えられたといわれる不老松(平成14年枯れ死)の幹に刻まれた笠松大師が見物。納経所で聞いたところ、琴平に住む平田さんという方が刻まれたそうな。
あまり目立たぬ場所にあるが、彩色された地蔵菩薩像がまさに曼荼羅のように美しかった。
【次の札所まで0.6㌔】


曼荼羅寺山門
山門


曼荼羅寺境内
境内
弘法大師の先祖・佐伯家を祀る寺で開基は古い(596年)


曼荼羅寺笠松大師
笠松大師


曼荼羅寺美しい菩薩像
ガイドブックには載っていない無名の仏像との
思わぬ出会いも楽しいものだ



73番札所: 我拝師山 出釈迦寺 (がはいしざん しゅっしゃかじ)

73番
 定年の のちも毎日 しゅっしゃかじ
 七つの真魚の 誓いを継いで

御本尊: 釈迦如来
本歌 : 迷いぬる 六道衆生すくわんと 尊き山に 出ずる釈迦寺
コメント: 弘法大師7歳のみぎり、衆生を救うことを誓って我拝師山(481m)の崖(捨身ヶ嶽禅定)から飛び降りたという。この険しい傾斜の岩山をすでに3万回以上登り下りしている信仰篤き地元のNさん(70代)と出会ったのが忘れられない。真魚(まお)とは幼少時の空海の名前。
【次の札所まで2.2㌔】


出釈迦寺境内
境内


出釈迦寺境内より捨身が岳を望む
境内から我拝師山をみる
登るかどうか迷っているところ


出釈迦寺捨身が岳への参道
登ることにした


出釈迦寺捨身が岳からの眺め
捨身ヶ嶽禅定からの景色
池の向こうに弥谷山と天霧山が並んでいる
この二つのテーブル状の山は香川を歩いているとよく目立つ


甲山寺付近の風景
我拝師山を振り返る



74番札所: 医王山 甲山寺 (いおうざん こうやまじ)

74番
 真魚もまた 競わせけるや かぶとやま
 昭和の夏の われら等しく

御本尊: 薬師如来
本歌 : 十二神 味方にもてる戦には おのれと心 かぶと山かな
コメント:このあたりは空海が子供の頃によく遊んだところ。泥をこねて仏像を造っていたというから恐れ入る。でもそれは伝説で、やっぱり大地を駆け回ったり、川や海で泳いだり、虫をつかまえたり、カブトムシを互いに戦わせたりしていたんだろうなあ。(カブトムシが平安初期に日本いたのか不明)
【次の札所まで1.6㌔】


甲山寺山門
山門


甲山寺大師堂
大師堂


75への道(仙遊寺古跡)
仙遊寺
大師は幼い頃ここで泥をこねて仏像を作って遊んだという。
だだっ広く殺風景な印象だが、老朽化した古いお堂を解体して、
新築したばかりとの由。



75番札所: 五岳山 善通寺 (ごがくざん ぜんつうじ)

75番
 善く通る 慈悲深き声 耳にして
 冥き道にも 光明を見る

御本尊: 薬師如来
本歌 : 我れ住まば よも消えはてじ善通寺 深き誓いの 法のともしび
コメント: 88札所の中心をあげるなら、やはりここになろう。何と言っても弘法大師生誕の地(佐伯家の邸があった)なのだ。広い境内、立派なお堂の数々、五重塔、宝物館、多くの参拝客。心なしか大気の中にも聖なる気配が感じられた。御影堂の地下には暗闇をめぐる約100メートルの「戒壇めぐり」がある。その最奥で聞いた弘法大師の声(骨格から想定されたモンタージュ・ボイス)は雅量に富んで耳に心地よかった。
【次の札所まで12.5㌔】


善通寺大師堂
大師堂
この地下に戒壇めぐりがある


善通寺金堂(本堂)
本堂


善通寺五重塔2
五重塔が立つ広い境内は京都か奈良の古刹のよう


善通寺南大門
山門
74番から来ると、寺の後ろから入って前から出る形になる


善通寺駅の看板
JR土讃線・善通寺駅の看板


こんぴらさん入口
善通寺駅からこんぴらさんまでは歩いて90分くらい
楽勝!



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香川と言えばうどん
この店で「じゃこ天・かきあげ・かけうどん750円」を食べた


こんぴらさん参道
この日は秋晴れの祝日(勤労感謝の日)
賑わいでおりました


こんぴらさん参道2
本宮までは785段の階段を上る
楽勝!
鍛えられた脚力を実感


こんぴらさん本宮
本宮


金比羅神社ご朱印


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本宮からの風景
善通寺市が一望のもとに



別格17番札所: 五穀山 神野寺(ごこくさん かんのじ)

17番
 かみのわざと 思うほかなき まんのうの
 池のほとりに けふを寿ぐ 

ご本尊: 薬師如来
本歌 : ちまちだに いまもそそぎて のりのしの 恵みあふるる 満濃の大池
コメント: 空海の為した最大の救民事業は、決壊を繰り返していた満濃池の修築であった。周囲約20km、貯水量1,540万tの灌漑用の水がめは、池というより湖の雄大さ。湖畔の蒼き連山、紅葉の樹々、瑠璃色の湖面、美しく穏やかな光景は、ここまでの遍路をねぎらってくれるようであった。今日も良い一日だった。
【次の札所まで13.8㌔】


神野寺2
神野寺


まんのう池2
まんのう池
灌漑用ため池としては日本最大
国の名勝にも指定されている


まんのう池3
神野神社境内よりまんのう池を望む


まんのう池




四国の白地図第16回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  




次回予告
弘法大師の母の里に行きます




   


● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第15回(第66~70番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】
 
雲辺寺への道(標識)
雲辺寺は、愛媛からいったん徳島に戻って目指すことになる
(これは別格打ちもそうでない人も同じ)


雲辺寺への道(雲海)
登り道の途中から見た景色
まさにその名の通り雲の辺りにある札所

 

 66番札所: 巨鼈山 雲辺寺 (きょごうざん うんぺんじ)

66番
 雲の上の 五百羅漢の へんがおに
 よく似たひとを 探す暇人
 

御本尊: 千手観世音菩薩
本歌 : はるばると 雲のほとりの寺に来て 月日をいまは ふもとにぞ見る
コメント: 最も高い(911m)地点にある札所。麓からずっと車道なので、思ったより楽だった。途中で見た朝の雲海が壮観だった。山頂は寒くて震えた。五百羅漢の豊かな表情や仕草が見ていて飽きなかった。早朝に三好の宿を先に発ったサニーさんに追いついた。足を痛めていた彼女はロープウェイで下山。自分は山道をとった。そろそろ一人になりたくもあった。
【次の札所まで7.4㌔】


雲辺寺境内
広く澄んだ境内


雲辺寺山門
山門


雲辺寺本堂
本堂


雲辺寺山頂からの景色2
雲辺寺山頂からの景色(徳島側)


雲辺寺山頂からの景色1
山頂からの景色(瀬戸内海側)
香川県のため池の多さが一目瞭然


雲辺寺山頂からの景色3
山頂からの景色(愛媛側)
一番高いのが石鎚山(1982m)


雲辺寺なごりもみじ



雲辺寺五百羅漢2
五百羅漢
どう見ても踊っている


雲辺寺五百羅漢
天衣無縫


雲辺寺五百羅漢3
この顔が気に入った


雲辺寺ロープウェイ駐車場
香川県に下山
ロープウェイ乗り場のある駐車場
中央の見える先の尖ったのが雲辺寺山
萩原寺への道
雲辺寺から下りると、冬から春に突入したかのよう
身心の開放感と軽やかさが「涅槃の讃岐」を実感させる



別格16番札所: 巨鼇山 萩原寺(きょごうざん はぎわらじ)

16番
 萩原に 異国のひとの 影見れば
 心さわがす 秋風ぞ吹く 

ご本尊:伽羅陀山 火伏地蔵菩薩
本歌 :尊くも 火伏をちかふ 地蔵尊 はぎの御山に 世を救ふらむ
コメント: 春のような暖かさと香川に入った喜びとで夢見心地で歩いていた。と、境内でまたもサニーさんと再会。ロープウェイで下った彼女と、ずいぶん時間が空いたはずなのに・・・。「一人で歩きたい」という思いをうまく英語で伝えられず、宿まで同行することに。これがいけなかった。このへんから二人の関係は気まずくなっていく。
【次の札所まで6.0㌔】


萩原寺本堂
本堂


別格16番萩原寺
境内
約2500株の萩の花が満開となる9月中旬には萩まつりが開かれ、
野点茶会、骨董市、露天商などで賑わう。



67番札所: 小松尾山 大興寺 (こまつおざん だいこうじ)

67番
 だいこう(代行)で 宿の予約をした連れと
 ついに別れし 秋雨の朝

御本尊: 薬師如来
本歌 : 植えおきし 小松尾寺を眺むれば 法の教えの 風ぞ吹きぬる
コメント: 畑中の静かなお寺。本堂に何百本と灯した、願いごとの書かれた赤い蝋燭が印象深かった。サニーさんとはこの日の宿で感謝の言葉を交わし、このさき別行動することに。原因の一つは、こちらの英語力も彼女の日本語力も貧しかったこと。意思疎通がうまくいってないと分かっているのだが、頭が疲れてもはや英語を話したくなかった。彼女は朝暗いうちに、雨のそぼ降る中を先に発った。
【次の札所まで8.7㌔】


67番大興寺山門
山門にたたずむサニーさん


67番大興寺本堂
本堂に灯した蝋燭


67番大興寺境内
境内


68への道ため池
68番へ向かう道中
これも灌漑用につくられた池だろう


観音寺駅
JR予讃線・観音寺駅


琴弾八幡宮鳥居
琴弾八幡宮
財田川のほとり、瀬戸内海を背にする大きな社

琴弾八幡宮
琴弾八幡宮本殿
神仏分離前までは68番神恵院と一体であった


琴弾八幡宮白猫
神社の守り猫(雌?)

琴弾八幡宮黒猫
神社の守り猫(雄?)

琴弾八幡宮(観音寺のまち)
境内から見下ろす観音寺のまち


琴弾八幡宮寛永通宝2
展望台から銭形砂絵を見下ろす


琴弾八幡宮寛永通宝
寛永通宝

琴弾八幡宮寛永通宝3
健康で長生きできて金に不自由しなくなる



68番札所: 七宝山 神恵院 (しっぽうざん じんねいん)

68番
 琴弾の 浜に描かれし 砂文字
 かみの恵みを 期する者なり

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 笛の音も 松吹く風も琴弾くも 歌うも舞うも 法のこえごえ
コメント: 68番と69番は琴弾山の中腹に隣り合わせにある双子のような札所。近くの展望台からは、瀬戸内海の島々と「寛永通宝」の砂文字が見えた。神恵院本堂はコンクリート打ちっ放しの現代建築もどきの四角い建物で味気ないが、きれいに刈り込まれたツツジの並ぶ庭園は美しかった。
【次の札所まで0㌔】



68番神恵院本堂
本堂
61番香園寺以来の斬新なデザイン
バブルの頃はやったカフェバーを思い出した


68番神恵院本堂内部
中はこんなん

68番神恵院庭園
巍巍園(ぎぎえん)



69番札所: 七宝山 観音寺 (しっぽうざん かんのんじ)

69番
 観音と 阿弥陀の並ぶ 極楽に
 立つクスノキの 誇らしきかな

御本尊: 聖観世音菩薩
本歌 : 観音の 大悲の力強ければ おもき罪をも 引きあげてたべ
コメント: 68番と69番の納経所は同じ。一カ所で御朱印帳2ページが埋まるのはトクな気分。境内の大楠が存在感を放っていた。
ここ観音寺市では、ちょうど美少女アニメのイベントがあって全国から仮装(女装)したファンが訪れていた。宿をとるのが大変だった。
【次の札所まで4.5㌔】


69番観音寺本堂
本堂


69番観音寺大クス
境内の大楠


本山寺への道
70番への道


本山寺への道3
70番への道


70番札所: 七宝山 本山寺 (しっぽうざん もとやまじ)

70番
 本山の 五重塔の 軒反りに
 釣られるごとく 空をただ見る

御本尊: 馬頭観世音菩薩
本歌 : 本山に 誰が植えける花なれや 春こそたおれ たむけにぞなる
コメント: 70番へ向かう川沿いの道がいい。低山のつらなりと広がる畑、遠くの森の上に顔出す五重塔。風情はまさに奈良の山の辺の道。気分よく札所に着いたところ、本堂の前で休憩しているサニーさんを発見。同じ道を前後して歩いているのだから会うのは仕方ないのだが・・・。つい、そっけない態度をとってしまい、それが最後の別れとなった。
【次の札所まで11.3㌔】


70番本山寺山門
山門


70番本山寺本堂
本堂

70番本山寺五重塔2



四国の白地図第15回

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次回予告
空海の為した一大事業、まんのう池!



   



● 本:『お寺さん崩壊』(水月昭道著)

2016年新潮社

 四国遍路で100以上のお寺を訪ね歩いて気づいたことの一つに、お寺の貧富格差があった。
 多くの参拝者で賑わい、山門もお堂も立派で、納経所や売店に人が並んでいる、いかにもお金がありそうなお寺もあれば、一方、海辺やさびれた町中にあって訪れる人も少なく、境内のあちこちに修繕が必要な堂宇の見受けられるお寺もあった。
 それでも巡礼札所に数えられている、とくに88札所に入っていることはたいへんな役得である。御朱印代(ソルティが歩いたときは300円~)をはじめとする納経料が、黙っていても入ってくるからだ。
 年間10万人としても3000万円以上。これに遍路に必要な笠や杖や白衣や納経帳などの売り上げも加えれば相当なものになる。
 とくに、多くの遍路がグッズを揃える1番札所霊山寺は、他の札所からすれば羨ましいこと限りないだろう。(それとも、八十八カ所霊場会の会計に入れているのか?)


海岸寺山門
仁王像のかわりに地元出身の力士像が立つ別格18番海岸寺


海岸寺山門4 (2)
誠に正直な説明版


 本書は、現代のお寺とくに地方のお寺の悲惨な現状を赤裸々に描いている。
 「金がない」、「檀家がいない」、「後継者がいない」、「潰れるしかない」のナイナイ尽くし――。
 これを読むと、「坊主丸儲け」とか「お寺さんは税金払わなくていいからいいよね~」なんて、簡単に言ってはいけないことが分かる。
 
 著者は、1967年生まれ。福岡県で浄土真宗本願寺派の住職をしている。日本の博士号取得者の窮乏を自身の経験をもとに綴った『高学歴ワーキングプア』で話題になった。


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 実際、全国的にお寺の統廃合はすごい勢いで進んでいるらしく、この先、寺院数が半減するのではないかとも言われている。明治初期にあった廃仏棄釈レベルの危機なのかもしれない。
 その原因は、地方の過疎化・高齢化や、葬儀や法事の簡略傾向に見られるような伝統的仏教儀礼に対する意識の希薄化、後継者不足、住職たちのずさんな運営、僧侶の権威失墜による信者離れ・・・なんてことが挙げられるのだが、一言でまとめると、「お寺を守ろうとする心が失われている」ってことになるのではなかろうか。

 しかし、お寺の危機=仏教の危機かと言えば、そうとも言えない。
 どこの書店に行っても仏教コーナーは花盛りで、テラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老のようにベストセラーを連発するお坊さんもいる。仏教書が現在ほど広く読まれている時代はあるまい。
 また、都心の寺の座禅会は(コロナ前まで)いずこも満員。四国遍路に行く若者も少なくない。仏教風を装おう新興宗教団体は今もたくさんの人を集めている。
 仏教をもとめる人は決して減っていない。
 要は、いまの日本人の多くが仏教に求めるものと、伝統的なお寺(大乗仏教)が提供してきたものとが、乖離しているのである。

 思うに、人々は生きた仏教を求めているのであって、自分自身の救いにまでなかなか届かないお坊さんの説法や姿勢に対しては、冷めた目で見ているのであろう。
 本来、仏教とは個々人のなかでそれぞれに消化され、その人の生き方や感じ方、ものの見方、他者や他の動植物への接し方、といったところにまで大きな影響をあたえていたはずなのだ。いわば、その人らしさを醸し出す太い背骨のようなもの―――生きる軸としての働き、を担っていたのだと考えられよう。


 本書の最終章では、上記のようなスタンスを持して、既存の仏教界やお寺や僧籍に拘ることなく、あるいは俗社会での栄誉や成功や安定に目を眩まされることなく、独自の仏道を泰然自若として歩んでいる人々が紹介されている。
 これからの時代の個人と仏教とのつき合い方、向き合い方を示唆する記述である。

 仏道を歩むとは、他者には理解できないかもしれないが自分にだけは見えてくる“輝き”を捉え、それを己のものとし、内から自らを光らせるまでに昇華させていく途方もなく丁寧な時間の積み重ねを指すように思えて仕方ない。


 長らくお寺の僧侶や大学の研究者のものであった仏教が、やっと市井の個人のものになってきた、いまはその途上にあるように思われる。



おすすめ度 : ★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損




● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第14回(第64~65番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】


 64番札所: 石鎚山 前神寺 (いしづちさん まえがみじ)

64番
 名にし負う 神の山なる 石鎚の
 前に控える 修験の寺よ
 

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 前は神 うしろは仏 極楽の よろずの罪を くだくいしづち
コメント: 修験道の祖、役小角が開基したと伝えられる。四国遍路には名前に「神」の字がつくお寺が3つある。64番のほかに、27番神峯寺、68番神恵院(別格17番神野寺入れると4つ)。むろん神仏習合のなごりだが、よく考えてみるとけったいな話である。キリスト教の教会に「アッラーなんとか」って名がついているようなものだ。仏教で神道で修験道・・・・。日本文化のユニークさ、節操のなさ。
【次の札所まで27.4㌔】


64番前神寺本堂
本堂
青い銅板屋根が美しい


遍路ハウス横屋
お遍路ハウス・横屋
管理人さんにカミーノ(サンティアゴ巡礼)の話を聞いた夜。
いつか自分も行けるといいな~(ってまさに節操のない)。


新居浜市関の戸(松山自動車道)
新居浜市関の戸付近
山間を松山自動車道が走る



別格12番札所: 摩尼山 延命寺(まにざん えんめいじ) 

別格12番
 伊予もまた いよよ終わりに近づいて
 道の延命 願うころかな

ご本尊: 延命地蔵菩薩
本歌 : 千代かけて 誓いの松の ほとりこそ なほありがたき 法の道かな
コメント: 寺の起こりのいわれとなったいざり松の祀られた庭園でサニーさんと再会、昼食をともにした。もうすぐ愛媛も終わり。結願を心待ちにする一方、さびしさが湧いてきた。「いつまでも続いてほしいね」 サニーさんと意見が合った。携帯電話を持っていない彼女の代わりに、この先の宿の予約をとってあげる。彼女も別格打ちしているので、しばらく同じ宿に泊まることにした。基本、歩きは別である。
【次の札所まで17.8㌔】


別格12番延命寺1
山門


別格12番延命寺いざり松


別格12番延命寺いざり松2
寺の縁起によると
弘法大師が寺の松の下に一人のイザリ(歩けない者)がいるのを見て憐み、
霊符をさずけたところ、たちまち全快した。イザリは大師のもと出家した。


65への道(県道)
この辺りは国道11号(上画像)と県道126号(へんろ道)が並行している


65への道(へんろ道)
へんろ道はやや遠回りになるのだが、やっぱり味わいがある。


伊予三島駅そばのスーパー
JR 伊予三島駅近くのスーパーで夕食を買う
大きな町である


65への道(伊予三島遠景2)
翌朝、65番三角寺へ向かう山道より伊予三島を見下ろす


65への道(山道)



65番札所: 由霊山 三角寺 (ゆれいざん さんかくじ)

65番 
 三角を 描いて巡る へんろ路に
 入りぬ刹那の 名残りの桜

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : おそろしや 三つの角にも入るならば 心をまろく 慈悲を念ぜよ
コメント: ここから別格打ちにとって最大の難所がスタート。三角寺から780mの地蔵峠を越えて別格13番に、山麓を回って本道に戻り別格14番に、県境を越え徳島県箸蔵山(540m)にある別格15番に、そこから遍路最高峰910mの雲辺寺に登り、香川県に下る。88の本道を逸れる三角形を2つ描きながらの山登りが3つ。境内の散り際の四季桜がきれいだったな。
【次の札所まで4.1㌔】


65番三角寺石段


65番三角寺境内
境内


65番三角寺(季節桜)
四季桜
4月上旬と10月下旬の年2回開花する


仙龍寺への道(入口)
別格13番仙龍寺へ向かう山道入口


仙龍寺への道1


仙龍寺への道2(馬場の桜)
馬場の桜(エドヒガン)
高さ20.4m、樹齢推定200年
春に別格打ちする歩き遍路だけが開花を見ることができる


仙龍寺への道3(清滝)
清滝
まごうかたなきパワースポット


別格13番仙龍寺1



別格13番札所: 金光山 仙龍寺(こんごうさん せんりゅうじ) 

13番
 仙山の もみじの波を かき分けて
 龍の棲みたる 洞を見るかな 

ご本尊: 弘法大師
本歌  : 極楽は 他にはあらぬ この寺に 御法の声を きくぞうれしき
コメント: 宮崎駿の『千と千尋の神隠し』に出てくる「油屋」を思わせる古式ゆかしいつくり(道後温泉本館と同じ様式)。今を盛りの赤や黄色の紅葉に囲まれ、主人公の少女・千尋同様、異界にタイムスリップしたような心地。上流の滝から続く清流が本堂の床下を流れ、渓谷をなしているのも驚き。もっとも良かった札所の一つである。
【次の札所まで9.2㌔】



別格13番仙龍寺2
昭和9年10月竣工


別格13番仙龍寺3
金田一耕助のミステリー映画に出てきそうな雰囲気である


別格13番仙龍寺5


別格13番仙龍寺4
本堂の真下を滝が流れ、渓谷に注ぐ


遍路ハウス毛利荘
遍路ハウス・毛利荘
管理人さんは高校の元英語教師で、たいへんマメな方。
使っていない生家の跡地を利用したとのこと。
清潔で、なんでも揃っていて、居心地のいい宿だった。
このあたりは宿が少ないのでありがたかった。(サニーさんと同宿)



別格14番札所: 椿堂(つばきどう)

14番
 常福と 非核を願い 石像の
 前をめくれば つばきゴックン 

ご本尊: 延命地蔵菩薩 非核不動尊 
本歌 : 立ち寄りて 椿の寺に やすみつつ 祈りをかけて 弥陀をたのめよ
コメント: 邦治山常福寺の号をもつ。弘法大師が当地に流行る病いの退散を祈り、土に杖をさすと、そこから椿が育ったという。本尊の大聖不動尊は、核兵器廃絶を願って非核不動尊と呼ばれている。ここは何と言っても、境内の片すみにある道祖神が見物。前たれで隠してあるので、気づかない人も多いだろう。この日は一日サニーさんと楽しく歩いた。
【次の札所まで24.0㌔】


別格14番椿堂山門
山門


別格14番椿堂(サニーさん)
一つ一つのお堂に線香を上げ、心を込めて祈るサニーさん


別格14番椿堂(福の神2)


別格14番椿堂(福の神3)


別格14番椿堂(福の神1)


境目トンネル855m
その名も境目トンネル(855m)を抜けて徳島県へ



【徳島県】


境宮神社
その名も境宮神社で昼食休憩


白地温泉1
白地温泉で日帰り入浴、いい湯だった~
この旅館は『放浪記』で知られる作家・林芙美子が執筆した宿
当地の山紫水明を愛したという


旅人宿
三好市池田町の吉野川沿いの宿
親切なオーナーの世話になった


別格15番への道(朝の吉野川)
別格15番への道は吉野川沿いを歩く


別格15番への道(四国中央波橋)
四国中央橋を渡る



別格15番札所: 宝珠山 箸蔵寺(ほうじゅさん はしくらじ)

15番
 伊予終えて 阿波のはしまで 戻り来て
 くらぶものなき 善根の宿

ご本尊: 金毘羅大権現
本歌 : いその神 ふりにし世より 今もなほ 箸運ぶてふ ことの尊き
コメント: この札所は徳島県三好市に位置する。甲子園で有名な池田高校の地元。山間を深緑の吉野川が流れる風光明媚な町だった。箸蔵山(540m)の頂にある札所は、空気が澄み、紅葉も景色も素晴らしかった。下りはロープウェイを使った。その後、サニーさんと一緒に、宿のオーナーの運転で、大歩危・小歩危や祖谷のかずら橋に遊んだ。脱サラして宿を始めたという。夏場は世界中から来るラフティング客で賑わい、宿は目まぐるしい忙しさだそうだ。
【次の札所まで19.1㌔】


別格15番箸蔵寺(山門)
山門


別格15番箸蔵寺本堂
本堂


別格15番箸蔵寺(境内)
護摩殿前の広場


別格15番箸蔵寺(十二支彫刻)
境内のあちこちにある彫刻が見物。
護摩殿と本堂の欄間には干支が彫られているが、
護摩殿のほうは十支で終わっている(戌と亥がいない)。
スペースが足りなかったらしい。
(画像はウサギ)



別格15番箸蔵寺(とら彫刻)


別格15番箸蔵寺(紅葉)


大歩危
大歩危小歩危にドライブ
まさかここに来られるとは思わなかった
なんという因縁


そやのかづら橋
祖谷のかずら橋
サルナシ(しらくちかずら)などの葛類を使っている
長さ45m、幅2m、谷からの高さ14m
揺れる、揺れる


旅人宿の朝焼け
宿のバルコニーから見た日の出前の吉野川
さあ、今日は遍路最高峰、雲辺寺だ



四国の白地図第14回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  




次回予告
香川県に入ります



   



● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第13回(第60~63番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】

すけ家
壬生川(にゅうがわ)にある「お宿すけ家」に拠点を定めて別格打ち
国際色豊かな親切な宿だった


西山興隆寺参道
西山興隆寺参道


 別格10番札所: 仏法山 西山興隆寺(ぶっぽうさん にしやまこうりゅうじ)

10番
 紅葉の 誉れにひかれ 来てみれば
 人や犬との こうりゅう(交流)の山

ご本尊: 千手観音菩薩
本歌 : みほとけの 法の御山の のりの水 流れも清く みゆるぎの橋
コメント: 平和な里山の道をたどって、昼なお暗き参道の森に入る。清流の音高く、深山幽谷の気配。ここは県内有数の紅葉の名所で、境内には行楽客がつめかけていた。お寺の二匹の犬は、しきりに愛嬌を振りまいていた。サニーさんと再会。次の札所まで一緒に歩き、禅や瞑想の話などして親交を深めた。若い頃に日本に来て空手を習ったそうだ。たくまし~。
【次の札所まで3.8㌔】

西山興隆寺大師堂
大師堂


西山興隆寺紅葉2


西山興隆寺犬1
決めポーズ1


西山興隆寺犬2
決めポーズ2


西山興隆寺ハーケンクロイツ
境内で見かけた“まんじ”マーク
この“まんじ”の向きは、お寺を表す記号(卍)とは逆(右旋回)である。
すなわち、ナチスのハーケンクロイツと同じなのだ!
そこに気づいたのはサニーさん、問われて答えられなかったソルティ。
あとで調べてみたら、仏教は元来、右旋回が正しかったようだ。
つまり、このお寺の創建の古さ(642年)を物語っている。



興隆寺から生木地蔵への道
興隆寺から生木地蔵への道中風景



別格11番札所:生木地蔵(いききじぞう)

11番
 生木とは 名前ばかりの 涸れぶりに
 人の行き来も 危ぶまれるかな

ご本尊: 生木地蔵菩薩
本歌 : 一夜にて 願いを立つる みこころは 幾代かはらぬ 楠のみどりば
コメント: 生木山正善寺の号を持つ。弘法大師が楠(くす)の大木に彫った延命地蔵大菩薩が本尊であるが、昭和29年9月の洞爺丸台風で、木は根元より倒れたそうだ。境内に祀られている木の幹からは生気が感じられず、寺自体もうら寂れた感が漂っていた。大師堂もなく、元気のない札所であった。
【次の札所まで11.5㌔】


生木地蔵2
境内


生木地蔵1
倒れた大楠


生木地蔵3


西山興隆寺近くから横峰山を望む
「すけ家」に帰る途中の景色
一番高いところが明日登る横峯山ピークか


すけ家の朝ごはん
「すけ家」で夕ごはん
素泊まりだが、いろいろお惣菜を接待いただいた
このあたりでまた一つ吹っ切れるものがあった


60への道(平城)
翌朝、60番への道(国道196号)
実際には位置関係上、61番を先に打った


60番への道(砕石工場)
60番横峯寺へ
砕石場の横を通り抜ける


60番への道(がけ崩れ)
えっ! 行き止まり? 道を間違えた?
否、ここを超えて進むのであった


60番への道(倒木)
ここも超えて進むのであった


60番への道(道標)
尾根にやっと到達
が、ここからも長かった



60番札所: 石鉄山 横峰寺 (いしづちさん よこみねじ)

60番
 横道に 入りては迷い 引き返す
 峰の大日 子午線越える

御本尊: 大日如来
本歌 : たてよこに 峰や山辺に寺たてて あまねく人を 救うものかな
コメント: 745mの山の上にある。とにかく道に迷い、焦りまくった。宿でもらった手書きの簡単な地図を頼りに進んでいったが、距離や所要時間を確かめておかなかったので、途中で違う道に入ってしまった。分岐まで引き返してやり直したら、今度は崖崩れで道が埋まっている。また引き返す。宿に電話して確認す。正午前に余裕で到着するはずが、札所に着いたら1時を回っていた。自分にとって一番の「遍路ころがし」だった。境内でサニーさんと再会。下山は同行した。
【次の札所まで9.6㌔】


60番横峰寺本堂
本堂


60番横峰寺大師堂
大師堂
山の湿気を考慮し、高床式に造られている


香園寺奥の院3
下山途中に61番香園寺奥の院がある
参拝の支度をするサニーさん
日本人以上に寺社を愛する人だった


香園寺奥の院2
麒麟が来た!



61番札所: 栴檀山 香園寺 (せんだんさん こうおんじ)

61番
 香満つる 広きお堂に たたずみて
 親と大師の おんを思へり

御本尊: 大日如来
本歌 : 後の世を 思えばまいれ香園寺 とめて止まらぬ 白滝の水
コメント: 褐色の鉄筋コンクリート2階建ての立派なお堂が特徴。2階本堂の壮麗さは、札所中随一だろう。境内には赤ん坊を抱いた弘法大師像が立っている。この寺の門前で身重の女性を助け、無事出産に導いた故事による。以来、安産・子育て祈願のメッカとなっている。
【次の札所まで1.3㌔】


61番香園寺本堂
モダンな本堂
お寺自体は聖徳太子創建と伝えられる古刹


61番香園寺子安大師
子安大師像



62番札所: 天養山 宝寿寺 (てんようざん ほうじゅじ)

62番
 いにしえも 今も変わらぬ 人の世は
 ほうの道にも じゅなん(受難)あるかな

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : さみだれの あとにいでたる玉の井は 白坪なるや 一の宮かわ
コメント: JR予讃線伊予小松駅のすぐそばにある。ソルティが訪れたとき(2018年11月)は、四国88カ所霊場会と対立して脱会。霊場会が第61番札所の駐車場に仮設の62番礼拝所を設けたため、札所が2カ所という珍事となっていた。新情報によると、2019年12月に宝寿寺は霊場会に復帰、仮設札所もなくなった。第86番志度寺の住職が宝寿寺の住職を兼務している。
【次の札所まで1.4㌔】


62番宝寿寺境内
境内


伊予小松駅
JR予讃線・伊予小松駅


伊予小松駅付近
駅前通り


63番吉祥寺そばの道標
ついに「高松まで〇km」の表示に遭遇



63番札所: 密教山 吉祥寺 (みっきょうざん きちじょうじ)

63番
 朝日さす 多聞の寺に 拝むれば
 揺るぐ大地に 吉祥をみる 

御本尊: 毘沙門天
本歌 : 身のうちの 悪しき非法を うちすてて みな吉祥を のぞみ祈れよ
コメント: 早朝のお寺は空気が澄んで気持ちいい。拝んでいると心も澄んでいく。直後にあった地震(震度4くらいか)も良いしるしと感じた。玩具をしきりに噛んでいた飼い犬が面白かった。
多聞とは毘沙門天のこと。
【次の札所まで3.2㌔】


63番吉祥寺境内
境内


63番吉祥寺の犬



石鎚神社鳥居
石鎚神社(本社)
もちろん祭神は石鎚山(1974m)


石鎚神社本殿
本殿
山頂の社に行くつもりであったが、横峯ころがしのこともあり、
今回は“呼ばれて”ない気がした。
次の機会に!


石鎚神社ご朱印
ご朱印はいただいた


石鎚神社からの景色
本殿から瀬戸内海を眺める



四国の白地図第13回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  




次回予告
大歩危小歩危に遊びます







   

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第12回(第54~59番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】


54への道(瀬戸内海1)
松山~今治間は瀬戸内海を左に見ながら歩く
高知の海岸風景といかに違うことか!
車も多い


54への道(瀬戸内海4)



54への道(瀬戸内海2)



54への道(鹿島)
伊予北条の鹿島(かしま)
「伊予の江の島」と呼ばれる

54への道(鹿島2)
周囲1.5km、標高113.8m
鹿島の野生シカは愛媛県指定の天然記念物に指定されている


54への道(子規マンホール)
マンホールにも鹿島が刻まれていた
粟井坂もこのあたりの地名


54への道(鎌大師付近)
鎌大師付近の峠
子規の句の通り、涼しい風にしばし吹かれた


54への道(瀬戸内海3)


54への道(菊間の瓦)
菊間町は瓦の生産で有名


54への道(太陽石油1)
前方に宇宙都市を発見
なんだあれは?


54への道(太陽石油2)
太陽石油の製油所だった
創業者の青木繁吉は高知出身


54への道(伊予亀岡の菊)
伊予亀岡の接待菊


54への道(星の浦海浜公園)
星の浦海浜公園
ドックの向こうに芸予諸島が見える
54への道(ようこそ今治へ)
行き交う東南アジア系の外人の多さにびっくり
タオル工場の従業員だろう


54番延命寺参道
54番延命寺山門に到着



54番札所: 近見山 延命寺 (ちかみざん えんめいじ)

54番
 延々と 続く海辺の道なれば
 命懸けずに のんびり歩け

御本尊: 不動明王
本歌 : くもりなき 鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
コメント: 53番(松山)から54番(今治)までの34.4㎞をえらく長く感じたのは、風邪をひいて疲れていたから。瀬戸の海の透き通る青さがなければ、さらにきつく感じただろう。このあたりでへたばる遍路は多いらしく、境内では三坂峠(45~46番)で出会った看護師がベンチでのびていた。
【次の札所まで3.4㌔】



54番延命寺本堂
本堂


伊予一宮別宮神社鳥居
伊予別宮・大山祇(おおやまつみ)神社
別宮とは、本社の『わけみや』という意で本社についで尊いお宮。
伊予一宮本社は瀬戸内海の大三島にある。

伊予一宮別宮神社
さすがに大三島まで渡るのはきついので
別宮で御朱印をいただいた。
祭神の大山積大神はアマテラスの兄という。


IMG_20200904_105943



55番札所: 別宮山 南光坊 (べっくざん なんこうぼう)

55番
 今治の 東西南北 睨みつけ
 光放つや 天部の神は

御本尊: 大通智勝如来
本歌 : このところ 三島に夢のさめぬれば 別宮とても 同じすいじゃく
コメント: 一般に仁王像が置かれることの多い山門に、四方を護る四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)がいるのが珍しかった。境内の東屋でまた看護師と遭遇。いつの間に抜かれたのか? 疲れ切った表情で眠りこけていた。そう、彼は寝袋(野宿)組であった。起こすのも可哀想なので、そのまま別れた。
【次の札所まで3.0㌔】

55番南光坊
山門


55番南光坊持国天


55番南光坊増長天


55番南光坊広目天


55番南光坊多聞天


今治駅
今治駅
数日前に国際的なサイクリングの大会があった
サーフィン、ラフティング、サイクリング・・・
四国のアスレチックぶりに驚く


56への道(かつや)
56番へ行く途中のとんかつやで昼食



56番札所: 金輪山 泰山寺 (きんりんざん たいさんじ)

56番
 テーブルを 占拠する身の やましさに
 早たいさんす 荷物かついで

御本尊: 地蔵菩薩
本歌 : みな人の まいりてやがて泰山寺 来世の引導 たのみおきつつ
コメント: 風邪と11月初めとは思えない強い日射しとでグロッキー寸前。精をつけるため、へんろ道沿いにあったチェーンのとんかつやに入った。日曜のこととて家族連れで賑わう中、杖に笠に頭陀袋、大きなリュックを背負った遍路姿の自分。ひとり異質であった。もっとも、現地の人は見慣れているのだろうが。
【次の札所まで3.1㌔】



56番泰山寺1
泰山寺



57番札所: 府頭山 栄福寺 (ふとうざん えいふくじ)

57番
 ここがまあ「ボクは坊さん。」 栄福寺
 思いがけぬも 閑かなるかな

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : この世には 弓矢を守る八幡なり 来世は人を 救う弥陀仏
コメント: 映画にもなった『ボクは坊さん。』(2010年ミシマ社)の著者、白川密成が住職をつとめるお寺。森と池に囲まれた静かで地味なたたずまいは好感が持てた。納経所の人の対応も良かった。
【次の札所まで2.4㌔】




57番栄福寺1
境内


57番栄福寺2
境内にあった掲示板


58への道
58番へ登る道から今治市街を見下ろす
あの高い塔、なにに見える?


58番仙遊寺山門
仙遊寺山門


58番仙遊寺石段
よくもまあ登ったものよ



58番札所: 作礼山 仙遊寺 (されいざん せんゆうじ)

58番
 千尋の 高き石段 のぼりきり
 薄暮の庭に 犬と遊べり

御本尊: 千手観音菩薩
本歌 : たちよりて 作礼の堂にやすみつつ 六字を唱え 経を読むべし
コメント: 225mの山腹にある。登る途中に見えた今治市街の景色が素晴らしかった。ひときわ高く聳え立つは今治国際ホテル(地上23階、高さ101.7m)であるが、これが一瞬、弘法大師の後ろ姿に見えた。うれしい錯覚。境内には犬がつながれて、参詣者の人気者になっていた。別格7番の山道以来、一週間ぶりにサニーさんと再会。彼女は宿坊に泊まるという。疲労困憊のソルティはややラグジュアリー(笑)なビジネスホテルに宿をとった。この種のホテルのいいところは、ハズレが少ない点である。
【次の札所まで6.1㌔】


今治国際ホテル
今治国際ホテル


58番仙遊寺境内
境内


58番仙遊寺の犬



59への道(松本バス停)
住宅街のバス停で一休み
ソルティの荷物は大概のへんろより少なく軽かった。
長年の山登り経験で、必要最小限なグッズに絞り込まれていた。



59番札所: 金光山 国分寺 (こんこうざん こくぶんじ)

59番
 国籍の 分け隔てなく 受け入れて
 大師はいます 右手差し出し

御本尊: 薬師瑠璃光如来
本歌 : 守護のため 建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ 薬師なりけり
コメント: この境内でフランスから来た70代くらいのご婦人と会った。なかなか日本語も達者であった。一日20㎞歩くと決めているというから、かなりのんびりペースである。フランスでは、ある女性が書いた四国遍路体験記がベストセラーとなり、それを読んで四国を訪れる人が増えたそうだ。
【次の札所まで17.3㌔】
58番国分寺境内
境内


58番国分寺七福神
お寺でよく見かける六地蔵かと思ったら七体いる
七福神であった
赤い毛糸の帽子がかわいい


58番国分寺大師像
これは名案!



四国の白地図第12回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告
60番横峰寺に転がされました







   

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第11回(第48~53番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】

48への道(重信川)
 重信川
み・みずがない!?

48番札所: 清滝山 西林寺 (せいりゅうざん さいりんじ)

48番

 水草の 揺るぐ小川の 橋渡り
 さいりん(再臨)したき この清き寺


御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : 弥陀仏の 世界をたずね行きたくば 西の林の寺にまいれよ

コメント: 重信川(一級河川)を渡って松山市に入る。が、なんと水無川だった。豪雨が続くと氾濫するという。その先に弘法大師が杖で突いたら湧き出した「杖の淵」と呼ばれる泉がある。その流れが寺の外を巡り、非常に気持ちいい境内だった。水草は刺身のツマに使う“ていれぎ”という種類らしい。この歌は作るのに苦心した。

【次の札所まで3.1㌔】


48番西林寺1
山門へ渡る石の太鼓橋


48番西林寺2
整然とした境内


48への道(tていれぎ)
外の濠に揺れるていれぎ


49への道(いよてつ)
伊予鉄道横河原線

 

49番札所: 西林山 浄土寺 (さいりんざん じょうどじ)


49番
 いよてつの 遮断機上がる その先に
 浄土の門の 護り手ぞ立つ


御本尊: 釈迦如来
本歌 : 十悪のわが身をすてず そのままに 浄土の寺に 参りこそすれ

コメント: 伊予鉄道横河原線の久米駅のそばにある。48番から行くと、踏切を渡った正面に立派な仁王門がそびえる。おっかない顔した左右の金剛力士像に出迎えられるのは、十悪の身としてはちょっと(かなり?)怖い。この本歌、好きである。

【次の札所まで1.7㌔】

 

49番浄土寺山門
山門


49番浄土寺本堂
シンメトリカルで美しい本堂
国の重要文化財の指定を受けている

50への道(墓場)
50番への道中にある墓地



50番札所: 東山 繁多寺 (ひがしやま はんたじ)


50番
 繁多なる 街を見おろす 山寺の
 池に映りし 静寂のかげ


御本尊: 薬師如来

本歌 : よろずこそ はんたなりとも怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ

コメント: 住宅街の路地やお墓の中を抜けて登ったところにある。境内には釣り堀のような池が二つあり、その向こうに松山市街や松山城、瀬戸内海まで見える。繁多(用事が多く忙しい)という名前に似つかわしくない静かな境内であった。

【次の札所まで2.8㌔】

 

50番繁多寺山門
山門


50番繁多寺の池



51
番札所: 熊野山 石手寺 (くまのさん いしてじ)


51番
 不気味なる 石の回廊 経巡りて
 聖俗満つる 庭に立ちけり


御本尊: 薬師如来

本歌 : 西方を よそとは見まじ 安養の 寺にまいりて 受くる十楽

コメント: 道後温泉の近くにあるせいか、観光客や修学旅行生で賑わっていた。門前店は並ぶわ、お化け屋敷のような洞窟(全長160m)はあるわ、国宝や重文や宝物館はあるわ、いろんな慈善活動・政治活動を呼びかけるパンフレットやポスターはあるわ・・・・なんでもありのアミューズメントパークのようなお寺であった。住職がヤル気満々なのか。いや、寺とは元来こういう所だったのだろう。

【次の札所まで10.7㌔】



51番石手寺(バロックな女人像)
参道に立つバロックな女神像
(モデルは若尾文子?)


51番石手寺(境内)
境内


51番石手寺(砂の同心円)

51番石手寺(三重塔)


51番石手寺(洞窟)
お化け屋敷のような洞窟
なにかに憑かれそうな不気味な気配漂う


51番石手寺(洞窟出口)
突貫工事的に山をくり貫いた感じ


51番石手寺(パンフレット)



51番石手寺(衛門三郎)
ここにも衛門三郎が・・・・
いや、そもそも石手寺の名の由来が彼と関係ある。
三郎の死の間際に弘法大師がその手に石を握らせた。
その石を手にした赤子が後年生まれた(輪廻転生)。
石はこの寺に納められたという。
しかし、このサブちゃんの姿は哀れすぎる


松山(ユースホステル)
松山ユースホステルに宿泊


松山(ユースホステル2)
ユースの共同スペース
早朝出発したはずの遍路仲間が戻ってきた
40分歩いたところで靴を間違ったことに気づき、タクシーで戻ったという
なんと彼はソルティの靴を履いていったのだ!
何も知らず漫画を読んでいたのんきな自分


松山(道後温泉)
道後温泉で旅の疲れを癒す


松山(宝厳寺)
道後温泉のそばにある宝厳寺は、踊り念仏で知られる一遍上人の生誕地


松山(宝厳寺2)
宝厳寺境内
時宗のお寺では、藤沢にある遊行寺と相模原にある無量光寺が有名

松山(ヘルスビル)
道後温泉アーケードを抜けたところにあるヘルスビル
「色里や 十歩はなれて 秋の風」(正岡子規)
健康的だ


松山(一草庵)
俳人・種田山頭火が晩年を過ごした一草庵


松山(一草庵2)
一草庵の内部
住みやすそうですな


種田山頭火

どうしようもない私が歩いている
分け入つても分け入つても青い山
また一枚脱ぎ捨てる旅から旅
おちついて死ねそうな草萌ゆる


松山(ゴルフ練習場)
ため池を利用した打ちっ放し
ボートと虫取り網でゴルフボールを回収していた
 (JR予讃線・三津浜駅近く)


愛媛県庁
松山県庁
木子七郎設計により1929年(昭和4年)完成
松山では半日街中を歩き回り、路面電車に乗り、床屋でスポーツ刈りにした。



52番札所: 瀧雲山 太山寺 (りゅううんざん たいさんじ)


52番
 太山の道をも塞ぐ 催涙雨
 人のこひぢ(乞い路)を妬むものかな


御本尊: 十一面観音菩薩

本歌 : 太山へ のぼれば汗のいでけれど 後の世おもえば 何の苦もなし

コメント: 国宝の本堂を拝むことができなかったのは、参道の崖が崩れて通行止めになっていたから。ここでも七夕豪雨が爪痕を残していた。御朱印はふもとの本坊で受けた。催涙雨とは七夕に降る雨のこと。彦星と織姫が会えないことを嘆く涙とか。仏を乞う道まで邪魔しなくとも・・・。

【次の札所まで2.6㌔】


52番太山寺山門
山門


52番太山寺がけ崩れ
この先通行止め


太山寺本堂
国宝指定の本堂
(ウィキペディア「太山寺」より)


 

53番札所: 須賀山 円明寺 (すがざん えんみょうじ)


53番
 誦経する 白衣姿の一群を
 マリアは見やる 円明にして


御本尊: 阿弥陀如来

本歌 : 来迎の 弥陀の光の円明寺 照りそう影は 夜な夜なの月

コメント: 境内の目立たぬ一隅に、聖母マリアの彫られた灯籠がある。かつて隠れキリシタンが礼拝していたという。それを黙認していたお寺のふところの深さを想う。円明とは、理知円満の境地に達して明らかに悟ること。

【次の札所まで34.4㌔】


53番円明字境内
境内


53番円明字キリシタンとうろう

マリア観音
マリア観音



四国の白地図第11回



CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。




次回予告
瀬戸内海を左手に歩きます


 
 







   



 

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第10回(第44~47番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】

44番への道(さらば大洲)
さらば愛しき大洲よ


44番への道(国道56号)
交通量の多い国道56号をいく



別格8番札所: 十夜ヶ橋(とよがばし)

8番
 不思議やな 浮世も沈む 大水に
 十夜ヶ仏の はしも浸からず

ご本尊: 弥勒菩薩
本歌 : ゆきなやむ 浮き世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほゆ
コメント: 橋のたもとの永徳寺で御朱印をもらう。ここは7月7日豪雨の際、近くを流れる肱川(ひじかわ)が氾濫し、本堂床上1m以上が水に浸かった。水はご本尊の足下5センチで止まったという。橋の下に寝ている弘法大師はすっかり水の中だったろう。
【次の札所まで43.6㌔】


十夜ヶ橋1
十夜ヶ橋


十夜ヶ橋2
橋の下に眠るお大師様
眠りを妨げてはいけないという理由から
「遍路は橋の上では杖を突いてはならない」というルールが生まれた


十夜ヶ橋3
永徳寺本堂


十夜ヶ橋4(本尊)
ご本尊:弥勒菩薩


44番への道(内子まちなみ)
内子のレトロ&エレガントなまちなみ


44番への道(内子旭館1)
内子の映画館(旭館)の遺構

44番への道(内子旭館2)



大瀬のあたり
小田川の風景(大瀬)
ノーベル文学賞作家・大江健三郎のふるさと
親戚筋という翁との出会いがうれしかった


44番への道(突合)
突合(つきあわせ)
ひわた峠遍路道と農祖峠遍路道との分岐


44番への道(突合2)
右が農祖(のうその)峠への、左がひわた峠への道
いずれを取るか、歩きへんろが迷う地点である


44番への道(ひわた峠1)
ひわた峠を選んだ
田渡川沿いに至極快適な舗装路が続く
車もほとんど通らない


44番への道(ひわた峠2)
山道は最後の3キロ程度だけ
いまの遍路はラクしてるよなあ~


44番への道(ひわた峠3)
ひわた峠のピーク(790m)


44番への道(ひわた峠4)
久万高原(標高500m位)が見えました!



44番札所: 菅生山 大寶寺 (そごうざん だいほうじ)

44番
 ひわた越え 久万高原に 降り立ちて
 だいほう(待望)の味 「心」のうどん

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌: 今の世は 大悲のめぐみ 菅生山 ついには弥陀の ちかいをぞまつ
コメント: ひわた峠(790m)を越えて久万高原に来てみたら、街路樹はエンジに色づいてすっかり秋であった。ベテラン遍路Kさんに教えてもらったうどんの名店「心」に直行する。開店前から列をなす人気ぶり。評判通り、実に歯ごたえ良く美味であった。
【次の札所まで8.4㌔】


44番への道(うどんの心)
うどんの名店「心」


心のうどん
おにぎり2個つきで550円
生涯食べたなかで最も美味いうどんとなった


44番大宝寺本堂
大寶寺本堂


45番への道(かわいのへんろ小屋)
45番へ行く途中にある河合のへんろ小屋
ここにデジカメを置き忘れ、取りに戻って30分のロス
忘却は忘れたころにやってくる



45番札所: 海岩山 岩屋寺 (かいがんざん いわやじ)

45番
 くれなゐに 染まる岩屋の 絶景は
 アチャラナータ(不動明王)の接待と見ゆ

御本尊: 不動明王
本歌 : 大聖の いのる力の げに岩屋 石のなかにも 極楽ぞある
コメント: 巨岩に囲まれた岩屋寺の荘厳も素晴らしかったが、帰りに通った古岩屋の円錐状の礫岩の迫力と、それをここぞと飾る紅葉のあでやかさに言葉を失った。天気も上々、行楽客もずいぶん出ていた。こんな瞬間に立ち会えるなんて・・・・!
【次の札所まで29.0㌔】


45番岩屋寺1
本堂
はしごで横の岩穴に登ることができる
とくに何があるというわけではない(笑)


45番岩屋寺2
この構図、秩父巡礼札所第28番橋立堂を思い出した


45番岩屋寺3
古岩屋


45番岩屋寺4



46番への道(三坂峠2)
早朝の三坂峠付近
ここから松山市に向かって下りに入る

46番への道(三坂峠)
三坂峠より松山市と瀬戸内海を望む


46番への道(丹波の里接待所)
峠を下りた所にある丹波の里接待所


46番への道(丹波の里接待所2) (2)
へんろを迎える地元の方々
赤飯とおでんとみかんとお茶の接待にあずかった
週一回のオープン日にあたってラッキー!
薪を使ったストーブの火がぬくくて気持ちよかった
ありがとうございました



46番札所: 医王山 浄瑠璃寺 (いおうざん じょうるりじ)

46番
 木の間より ついにあらわる松山は
 浄瑠璃色に かすみ浮かべり

御本尊: 薬師如来
本歌 : 極楽の 浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は 報いならまし
コメント: 関西から来た話好きの看護師の男(40代前半)と連れ立って、足もとの悪い三坂峠を下っていくと、不意に木々の間から松山と瀬戸内海が見渡せた。全行程の3/4は来た。結願の実現がほの見えた瞬間であった。浄瑠璃寺から道後温泉まで短い間隔で寺が続く。
【次の札所まで0.9㌔】


46番浄瑠璃寺
浄瑠璃寺入口


46番浄瑠璃寺付近の道しるべ



47番札所: 熊野山 八坂寺 (くまのざん やさかじ)

47番
 八大の 地獄めぐりが 怖ければ
 ゆめさかしらに 物は言ふまじ

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 花を見て 歌よむ人は八坂寺 三仏じょうの 縁とこそ聞け
コメント :ここは何と言っても、地獄と極楽の絵がある閻魔堂が印象的であった。劇画タッチの絵は誰の手によるものなのだろう。八大地獄とは下から、無間・大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等治をいう。
【次の札所まで1.0㌔】


47番葉八坂寺
境内

地獄絵図47番八坂寺
えんまさま
 

別格9番札所: 文殊院(もんじゅいん)

9番
 後世に 名が残りたる 代価とて
 厳しからずや 文殊の罰は

ご本尊: 地蔵菩薩 文殊菩薩
本歌 : われ人を すくわんための 先だつに みちびきたまう 衛門三郎
コメント: 衛門三郎は、弘法大師に無礼を働いたため、8人の子供を喪うという罰を受けた。改心し、21回目の四国巡礼の際、大師に出会い謝罪した。へんろ道のあちこちに土下座像が建てられていて、ちょっと可哀想。この寺は彼の屋敷跡に立つという。正式には、大法山文殊院徳盛寺(とくじょうじ)と号す。
【次の札所まで3.5㌔】


別格9番文殊院
境内


別格9番文殊院(焼山下の衛門三郎像)
弘法大師に土下座して謝罪する衛門三郎
(12番焼山寺を下りたところにある杖杉庵の像)



四国の白地図第10回


CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告
道後温泉に入ります‼









   



 

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第9回(第40~43番)


  2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】
40番への道(正木トンネル)
正木トンネルを抜けて愛媛県へ入った


40番への道(愛南町看板)
愛南町の観光案内板


40番への道(コスモス畑)
満倉休憩所の前に広がるコスモス畑


40番への道(僧都川)
僧都川沿いに40番を目指す



40番札所: 平城山 観自在寺 (へいじょうざん かんじざいじ)

40番

 観るも自在 聴くも自在の 旅なれば
 のんびり往かん 今ここにあれ

御本尊: 薬師如来
本歌 : 心願や 自在の春に花咲きて 浮世のがれて 住むやけだもの
コメント: 四国の西側は結構風が強いことに驚く。心なしか高知にくらべて穏やかな気を感じた。カツオとミカンの違い? 闘犬と闘牛の違い? 高知の終わりで右足首を痛め、棄権のピンチに陥った。歩くペースを落とし、できるだけ楽な道を選ぶ。いつのまにか先を急いでいた自分を反省した。
【次の札所まで40.3㌔】



40番観自在寺山門
観自在寺山門


40番観自在寺宿坊
宿坊に泊まった
中国人のグループが例によって賑やかだった


41番への道(柏坂付近漁港)


41番への道(ゆらり内海)
ゆらり内海にて昼食休憩


41番への道(ゆらり内海ランチ)



41番への道(宇和島漁村)
宇和島浦知の漁村
かつては真珠の養殖で賑わった


41番への道(削られる山肌)
宇和島に入ったらこのような採掘光景が目立った


41番への道(津島岩松川)
津島の岩松川


41番への道(津島採石場)
採石場の中をへんろ道が通っている(松尾峠付近)
この光景、世界遺産委員会の目にどう映るか?



別格6番札所: 臨海山 龍光院(りんかいさん りゅうこういん)

6番
 宇和島の 鬼門を護る この寺に
 龍の光を 仰ぎ見るかな

御本尊: 十一面観世音菩薩
本歌 : みめぐみの 杖をたよりに 有為の山 越えてくもらぬ 月を見るかな
コメント: 宇和島市街に入って車の量がどっと増えた。が、一歩国道を離れると閑散としてさびれた空気が漂っていた。龍光院は、初代藩主・伊達秀宗(政宗の長男)が入部したときに、宇和島城の鬼門鎮めに建てられたという。高台にある境内から天守閣がよく見えた。
【次の札所まで9.9㌔】



別格6番龍時光寺1
龍光院
別格6番龍時光寺2
境内
別格6番龍時光寺3
境内から宇和島のまちを見下ろす


宇和島城
宇和島城


41番への道(ダルマ石)
宇和島駅近くの路傍に見かけた存在感たっぷりの石


41番への道(三間盆地)
JR予土線・務田駅より41番に向かう一本道



41番札所: 稲荷山 龍光寺(いなりざん りゅうこうじ)

41番
 龍光の 満ちたる朝の 畑中に
 直しき人の 影を見るかな

御本尊: 十一面観世音菩薩
本歌 : この神は 三国流布の密教を 守りたまらん 誓いとぞ聞く
コメント: JR務田(むた)駅から札所へと広がる三間平野の朝の光景はただただ美しかった。龍光寺の参道にある店で、遍路姿の菅直人元総理大臣の写真が飾られているのを見た。2004年から歩き始め、足かけ10年で結願したという。ちゃっかり商売に利用されているのだが、固いことは言うまい。いい笑顔をしている。
【次の札所まで2.6㌔】



41番龍光寺1
境内より参道を見下ろす
神仏習合時代は稲荷神社に札所があった


41番龍光寺3
明治初期の神仏分離後に新たに建てられた本堂


41番龍光寺2



42番札所: 一果山 佛木寺 (いっかざん ぶつもくじ)

42番
 コスモスの 道をたどれと 案内する
 人も仏も 木石にあらず

御本尊: 大日如来 
本歌 : 草も木も 仏になれる 仏木寺 なおたのもしき 鬼畜人天
コメント: このあたりは道標が少なく道に迷いやすい。民家の庭先の老人に尋ねたら、「コスモスの咲いている道をずっと行けばいい」と教えてくれた。境内では地元の参拝者から森永チョコレートパイのご接待を受け、真心と久しぶりに口にする甘味とで脳内エンドルフィンが活性した。
【次の札所まで10.6㌔】


42番への道(コスモス街道)



42番仏木寺
仏木寺山門

43番への道(がけ崩れ)
歯長峠の惨状



43番札所: 源光山 明石寺 (げんこうざん めいせきじ)

43番
 水難の 痕めいせきに 残りつる
 西予(さいよ)のまちに 足重くして

御本尊: 千手観音菩薩
本歌: 聞くならく 千手ふしぎの ちかいには 大磐石も かるくあげいし
コメント: 西予(愛媛県西部)は2018年7月7日の豪雨被害がもっとも著しかったところ。歯長峠のへんろ道は土砂崩れで通行止め、迂回せざるを得なかった。ふもとでは「畑がすっかり水に浸かってダメになったよ」という農家の人の声も聞いた。
【次の札所まで34.6㌔】



43番明石寺
明石寺

ホンダ西予店
国道56号沿いの車販売店
ここでトイレを借りたらコーヒーをご接待いただいた
ありがとうございました


鳥坂番所跡2
大洲藩鳥坂番所跡
鳥坂峠の入口にある
通行する旅人は身分証明書と往来手形の提示を求められた
巡礼者は比較的楽に通行できたという
ところがどっこい・・・

大洲(町の風景2)
伊予大洲に到着
別格7番のある出石山(812m)を背にした大洲城が神々しい


大洲(松楽旅館)
伊予大洲の老舗旅館に泊まった


大洲(町の風景)
この風情ある城下町は
TVドラマ『おはなはん』や『東京ラブストーリー』の舞台となった


大洲(朝の肱川)



別格7番札所: 金山 出石寺(きんざん しゅっせきじ) 

7番
 勇気出し いし強く持ち 来てみれば
 見よ伊予灘に 夕日かがやく

ご本尊: 千手観世音菩薩
本歌 : くもりなき 二名の島の 金山に みのりの光 かがやくを見よ
コメント: 足首の痛みに怖じて、行こうかどうか数日迷い続けた札所。812mの明るい山頂からは、大洲の町を隠す一面の朝の雲海と、黄金に染まる夕焼けの伊予灘とが臨めた。札所に向かう山中の一本道で、降りてきたサニーさんと出くわしてビックリ。足摺岬以来である。前日に宿坊に泊まったとのこと。一日遅れで追っかけているらしい。
【次の札所まで13.8㌔】

別格7番出石寺1
山門


別格7番出石寺(境内)
境内


別格7番出石寺夕の伊予灘2
境内の西側から伊予灘と九州(大分の国東半島か)が見えた
108札所中、九州が見えるのはここだけだろう


別格7番出石寺夕の伊予灘
この出石寺でなにか吹っ切れるものがあった


別格7番出石寺朝の伊予灘
朝の伊予灘
伊方原発で有名な佐田岬


別格7番出石寺雲海
境内東側に広がる雲海


別格7番出石寺(大洲のまち)
下山中、雲海が晴れるにつれ大洲の町が現れる
幻想的な光景にしばし時を忘れた



四国の白地図第9回


CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告
ノーベル賞作家・大江健三郎の故郷に行きます






   

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第8回(第38~39番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【高知県】

 37番岩本寺~38番金剛頂寺~39番延光寺は、札所間距離がとても長く、足摺岬を回るため見どころも多い。
 よって、今回札所は2カ所のみ。
 岬の東側と西側の風景を楽しんでいただきたい。


38番への道(道路標識)
国道56号(黒潮町付近)
「松山まで〇km」という標識をはじめて目にした瞬間。
いまや「201km」という数字に何とも思わなくなっている自分。


38への道(黒潮町伊の岬あたり)



38番への道(民宿みやこ)
この宿で米国人女性サニーさん(50~60歳位か)と出会い、一緒に夕食をとった。
四国遍路は初めてで、できる限りお寺の通夜堂や善根宿を利用し、
旅費を抑えているとのこと。彼女とは今後、出会いと別れを繰り返すことになる。


38番への道()四万十大橋)
四万十大橋
この日は珍しく雨模様だった


38番への道()四万十川)
雨の四万十


39番への道(四万十川)
晴れの四万十(別の日に撮影)


38番への道(伊豆田トンネル)
 四国へんろ最長の伊豆田トンネル(1620m)


伊豆田トンネル2
雨が降っていたので、トンネルがうれしかった


38番への道(真念庵)
番外霊場・真念庵
38番から打ち戻って39番に向かうへんろのために真念上人が建てた。


38番への道(くもも)
親切で話好きの女将がいる
この宿で九州から来たYさんと出会った(後述)


くももの朝日
くももの部屋から朝日を見る
 「今日は晴れるぞ!」
一日前だったら雨の足摺岬になっていた


38番への道(はまぐりの里)
大岐簡易郵便局にて
Yさん(写真)としばらく同行


38番への道(たいきの浜)
大岐(たいき)の浜


38への道(以布利港)
以布利(いぶり)港


38番への道(足摺岬へ0.5キロ)
38番を打って戻ってきたTさん、Kさんと出会う
二人の歩くペースが速い(ソルティが遅い)のでもう会うことはなかろう



38番札所: 蹉陀山 金剛福寺 (さださん こんごうふくじ)


38番
 金剛の 杖の先なる 福の花
 足摺𥔎に 咲きほこる時


御本尊: 三面千手観音菩薩
本歌 : ふだらくや ここは岬の船の竿 とるもすつるも 法のさだ山

コメント: 何日も杖を突いていると、先端が割れ、ささくれが四方に広がって、あたかも花が咲いたかのように見える。これを杖の花と言う。足摺岬に到着する頃は、すでに2回くらい開花して散って、を繰り返していた。この札所に到着したときの達成感は、88番結願時よりも大きかった。境内で出会ったどの遍路の顔にも充実感が漲っていた。

【次の札所まで72.5㌔】

 

38番金剛福寺境内
金剛福寺境内


38番金剛福寺境内2



足摺岬(御崎の階段)
足摺岬は切り立った崖の上を道路が走っている
階段で海面まで下りる


足摺岬(白山洞門)
白山洞門
花崗岩の壁に穿たれた高さ16m、幅17mの穴


足摺岬(白山洞門2)



足摺岬(海と岸壁)



足摺岬(四国最南端)

足摺岬(灯台)



朝焼けの足摺の町
出立の朝。足摺の町をふりかえる(国道321号)


39番への道(へんろ札)
岬の西側に回り込む。
多くのへんろは38番を打った後、来た道を引き返し、
内陸(真念庵)を通って39番へと向かう。
ソルティは海岸沿いに、叶崎・月山神社・大月町を経由するロングコースをとった。
(下記地図参照)


39番への道(ジョン万次郎1)
ジョン万次郎(1827-1898)の生家
仲ノ浜村(現・土佐清水市中浜)の貧しい漁師の家に生まれた


39番への道(ジョン万次郎2)
コロナ禍の今こそ、ジョンマン・スピリットを!


39番への道(竜串海岸5)
グラスボート上より竜串海岸を望む


39番への道(竜串海岸1)
見残海岸の奇岩
四国じゅうを巡り歩いた弘法大師もここだけは見残したという


39番への道(竜串海岸2)



39番への道(竜串海岸3)



39番への道(足摺サニーロ-ド)
足摺サニーロード
と言っても車はほとんど通らない


39番への道(叶崎)
貝の川トンネル付近


39番への道(叶崎1)
大津大橋


叶崎の祭り2
叶崎にて
地域の観音さんの祭りの日にあたっていた
お堂に上がって拝ませてもらう
(おまんじゅうとリンゴジュースの接待あり)


叶崎
叶崎の休憩所より岬を振り返る
灯台が小さく見える


39番への道(叶崎2)
ダイナミックな景観が続く


39番への道(大月うろこ雲)
空もまたダイナミック


39番への道(大月大浦)
月山神社ふもとの大浦町


39番への道(月山神社励まし札)
月山神社への山道に吊るされた可愛いメッセージ


39番への道(大月月山神社)


39番への道(大月月山神社3)


39番への道(大月月山神社2)
ご神体


月山神社後朱印
この御朱印は貴重


39番への道(鬱蒼としたへんろみち)
このあたりは秘境といった風情


39番への道(姫ノ井)
やっと国道に戻った(大月町・姫の井)
西部劇に出てくる廃れた町のようだった


39番への道(姫ノ井の不動産広告)
6部屋で家賃3万円


39番への道(コスモス畑)
大月町自慢のコスモス畑
この近くで快適な宿を見つけた


39番への道(カフェ2)
おしゃれなカフェで一服


39番への道(カフェ)


39番への道(整然とした畑)


39番への道(宿毛1)
高知県最後の町、宿毛(すくも)が見えてきた


39番への道(宿毛2)
土佐くろしお鉄道・東宿毛駅から宿毛市を見る
39番延光寺はここから内戻りとなる



39番札所: 赤亀山 延光寺 (しゃっきざん えんこうじ)

39番


 いくたびの 出会い不思議な 延光寺
 我はあちらに 彼はこちらに


御本尊: 薬師如来
本歌 : 南無薬師 病悉除(しつじょ)の願こめて 詣るわが身を 助けましませ

コメント: 幾度となく出会う遍路がいた。九州から来た定年退社したばかりのYさん。足摺岬の手前の宿の夕食の席で出会い、翌日しばらく一緒に歩き、休憩所で別れた。その日の夕方、足摺岬の遊歩道で会った。翌日、岬を回ったところにある土佐清水の町中のスーパーで会った。そこからは別々のルートを行くことになった。さすがにもう会わないかなと思っていたら、延光寺への一本道で向こうからやって来るのが見えた。出会うたびに世俗の垢が抜けて、行者らしくなっていく。きっと、こちらもそう思われている。もっと突っ込んだ話がしたかったな。

【次の札所まで27.0㌔】


39番延光寺山門
延光寺山門


39番延光寺亀
赤亀が竜宮城からこの寺の鐘を背負ってきたという伝説がある


39番延光寺夕暮れ
宿毛へ戻る一本道
明日は一日オフだ!温泉だ!



四国の白地図第8回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告!
愛媛県に入ります‼





   

● 本:『卍(まんじ)と卐(ハーケンクロイツ)』(中垣顕實著)

 2013年現代書館

 一昨年の秋に四国遍路していたときのこと。
 ある札所で、同行していた外国人女性が次のようなマークを見つけ、声を上げた。
 お堂の門の扉に刻まれていたものである。


西山興隆寺ハーケンクロイツ


 地図に普通に載っているお寺のまんじマークだから、「何をいまさら?」と思ったら、彼女は言う。
「お寺のマークとは向きが逆よ。これだとナチスのマークになるじゃない」
 なるほど。確かにお寺のまんじは左向き()がふつうだが、これは右向き()になっている。
 いわゆる、ハーケンクロイツ(鉤十字)と同じ向きだ。
 昨今は外国人遍路や観光客もたくさん来るだろうに、なぜ、わざわざ誤解を受けやすいナチスのマークと同じ向きにするのだろう?
 納経所の人に聞いたが、理由は知らなかった。
 遍路が終わって家に帰ったら調べてみようと思い、そのままになっていた。


ミニ水仙


 その数年前のこと。
 やはりある外国人女性とナチスのホロコーストについて(日本語で)話しているときに、彼女が「スワスティカ」という言葉を口にした。
「スワスティカ? なにそれ?」
「えっ? 知らないの? 有名なナチスのマークのことじゃん」
「ハーケンクロイツのこと?」
「英語ではスワスティカって言うのよ」
「へえ~」
 と、それで終わったが、なにか腑に落ちないものがあった。

 確かに、or マークを意味する「スワスティカ(Swastica)」という言葉は英語辞書に載っている。昔から普通に英単語として使われていたのだろう。
 しかし、ハーケンクロイツ(独)はそのまま、「ハーケンクロイツ」と訳すべきじゃなかろうか?
 なにしろ、そのマークに籠められた思想の特殊性、異常性、歴史的・人類史的意味には、測り知れないものがある。マークのデザインも、他の or マークとは混同されることのないほどに固定化・差別化されている。
 つまり、「ハ-ケンクロイツ」は一つの固有名詞である。
 だから、日本の翻訳家がナチスのマークを「ハーケンクロイツ」と、あるいは直訳して「鉤(ハーケン)十字(クロイツ)」と和訳しているように、英語圏の翻訳者も“Hakenkreuz”と、あるいは直訳して“Fooked Cross(鉤十字)”と英訳するのが適当ではないかと思った。
 英語圏の翻訳者が「寿司」をそのまま Sushi と、「禅」をそのまま Zen と英訳しているのを見れば、外来語をそのままの形で英語に取り入れることに抵抗があるわけではなかろう。
 なぜ、ハーケンクロイツは、「スワスティカ」と訳されたのだろう?  
 この疑問が一瞬浮かびはしたものの、そのままになった。

 今回、この二つの謎を解明すべく図書館の蔵書検索していたら、当たったのがこの本であった。


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 著者の中垣顕實(なかがき・けんじつ)は、1961年生まれ。ニューヨーク在住の浄土宗の僧侶である。
 若かりし頃、海外開教使としてアメリカに赴任した際、お祭りの飾りに普段日本でやっているように菊の花で「」を作ったところ、周囲から「ここでそれを使ったらダメだ」ときつく止められた。それがきっかけとなり、とハーケンクロイツについて研究するようになった。  
 今現在でも、西洋社会で仏教を語る際に、マークを使うのはご法度とされているらしい。
 むろん、アウシュビッツ最大の被害者だったユダヤ民族にとって、マークを目にすることは、平和になった今でも、耐え難い、悪夢のような経験であるだろう。
 たとえ、仏教のマークがナチスのそれとは逆向きで、十字の傾き加減も異なっているとしても・・・。


ハーケンクロイツ
ハーケンクロイツ

善光寺
長野県善光寺の本堂に使われているマーク  


 著者は、仏教における(まんじ)の由来はなにか、どういった意味があるのか、という点から論を開始する。
 『長阿含経』などの古い経典によれば、

 仏の身体に備わっている32種類の特徴で、仏の胸の旋毛がになっている。  

 どうもこれが仏教で or が重要な象徴として使われるようになった端緒のようだ。  
 それが、仏・如来の功徳、吉祥、福徳、幸運、善良を意味するものとなり、「この上ない智慧と慈悲の満たされた真理をさとった仏のシンボル」となった。  
 日本では、左向きのが仏教のマーク、お寺の標識になった。  

 面白いことに、当初は右向きのも使われていた、いや、こちらが正当だったようである。
 諸橋轍次『大漢和辞典』によれば、  

 右旋のは「みぎまんじ」と称し、佛を禮敬するに右旋三匝(さんそう)し、佛の眉間の白毫も右旋婉転(えんてん)す。故にに作り、古来、(ひだりまんじ)に作るは誤なりとなす。  

 それが、639年の則天武后の時代に、中国で(左まんじ)が正式な漢字となり、その後、これが定着した。
 古来、中国の強い影響下にあった日本もそれに準じたのであろう。
 タイムラグを入れても、おそらく8世紀にはもう日本で(左まんじ)が定番となっていたのではないか。
 つまり、8世紀以降に建てられたお寺の建造物や仏像・仏具の装飾に関しては(左まんじ)が普通で、それ以前のものには(みぎまんじ)が残っている可能性がある。
 調べてみると、遍路中に見かけた(右まんじ)を扉に刻んだお寺の開創は642年、はるか昔の飛鳥時代であった。
 建物自体は作り直されていることだろうが、基本的な意匠は引き継がれるのが一般だろう。(右まんじ)の使用は、この創建の古さと関係しているのではなかろうか?
 ついでに想像するに、右利きの人が筆で書くことを考えたとき、(右まんじ)より(左まんじ)のほうが断然書きやすい。そのあたりが中国で(左まんじ)が正式となった理由ではなかろうか。 
 とりあえず、一つめの謎は解明した。

tubame


 ここからは「まんじ」でなく、「スワスティカ」と記す。  
 本書によると、スワスティカの語源はサンスクリット語のスヴァスティカ(svastica)で、「スsu-(良い、健全)」+「アスティasti(存在している)」が合わさったもので、その意味は「幸福、繁栄、福利」だそうである。  
 日本人にとって、スワスティカはなによりも仏教のシンボル、お寺のマークとして認識されているが、実のところ、このマークは仏教以外の宗教でも古くから使われていた。  
 著者の調査によれば、ヒンズー教、ジャイナ教、キリスト教、イスラム教、ゾロアスター経、アメリカン・インディアンの間でも、そしてなんとユダヤ教!でも、幸運や吉祥や善福をもたらす聖なる印として、スワスティカが(右向き)・(左向き)問わずに使われてきた歴史があり、それを示す建造物や装飾品も残っている。
 そのデザインはそもそも「太陽」を象形しているとの見方が研究者の間で一致している。太陽なら当然、万国共通の恵みである。
 ナチスが登場する直前のアメリカでは、スワスティカそれもナチスと同じ右向きのが幸運のお守りとして流行り、コカ・コーラのデザインやボーイスカウトのバッジや州発行のポストカードに使用されていたというから驚いてしまう。  

 それはいろいろなシンボルの中の一つというものではなく、人類史上において稀なる数千年の歴史を誇り、様々な宗教、様々な国の文化が深く関わる国際的なシンボルなのである。太陽や光を表すシンボルであるから、卍・卐は有史以前の古代から人類に光を与え、人類から尊重され、敬愛されてきたシンボルなのである。  

 さて、スワスティカの歴史的意義を明らかにした著者は、このあとナチスドイツのシンボルであったハーケンクロイツについて探っていく。  
 ここからがむしろ本書の肝であり、ソルティが少なからぬ衝撃を受けたくだりである。  
 著者は、ホロコーストについて調べ、強制収容所を訪問し読経を上げ、ユダヤ教の有名な司教やホロコーストで生き残った被害者にインタビューするなど、頭だけでなく、心と足を使った丹念な取材・研究を重ねていく。被害者の感情に配慮し平和を希求する姿勢は、まさに仏教僧らしい。  

 ヒトラーはナチスの標章を選ぶに際し、党員の間にデザインを公募した。ある歯科医の提出した図案(曲がった鉤をもったスワスティカ)が、ヒトラー自身の腹案と似通っていて、それを訂正し最終決定した。
 ただし、ヒトラー自身はこのマークを「スワスティカ」と呼んだことはなく、もちろん、仏教的含みを持ち込むこともなかった。
 ハーケンクロイツはあくまで、「アーリア人の勝利」と「反ユダヤ人の勝利」を表すシンボルであり、加えて言うならば、それは「クロイツ」、つまりキリスト教徒の闘いを含意していたのである。
 
「鉤の十字架」はキリスト教にとっても古代からの聖なるシンボルであり(ソルティ注:現在の十字架がキリスト教の正式なシンボルとなったのは6世紀以後だそう)、ヒトラーの運動は「鉤の十字架」という新しい十字架のもとでドイツのカトリックとプロテスタントをまとめるものであり、十字架のもとでの聖戦であったという点からも、東洋のスワスティカでは意味をなさないことになる。

 ソルティは不肖ながら、この視点からナチスの運動を考えたことがなかった。
 中世カトリック教会が、神の名のもとに十字軍を結成し、イスラム教徒やカタリ派などの異端カトリックに攻撃を加え殺戮を繰り返したのとまったく同じ論法で、ヒトラー率いるナチスはユダヤ人や共産主義者や同性愛者や障害者を攻撃・殺戮したのである。  
 我々は現在、ヒトラーを人類史上最大の悪人、悪魔の手先としてみなすけれど、ヒトラーの側に立てば、悪いことをしているつもりなど微塵もなく、正義と信仰に裏打ちされた聖戦をしているだけであって、だからこそ、あれだけの「神をも恐れぬ」非人間的行為が可能だったのである。  
 つまり、ナチスの所業をキリスト教文化と切り離して語ることはできない。大東亜戦争時の日本軍の所業を国家神道と切り離して語ることができないのと同様に。


日章旗
旭日旗


 ドイツの宗教家と言えば、何と言ってもプロテスタントを起こしたマルティン・ルターが有名である。
 ヒトラーが音楽家のワグナーに心酔していたことはよく知られているが、ルターのことも熱狂的に信奉していたとのこと。『我が闘争』の中で、「偉大なフリードリッヒ大王と並んで、マルティン・ルターとリチャード・ワグナーが立つ」と述べているそうだ(ソルティ未読)。
 このルターが実は恐るべき反ユダヤ主義者だったのである。
 
 ルターはその著書『ユダヤ人と彼らの嘘について』の中で、ユダヤ人を扱う七通りの方法を述べている。著者の要約をさらにかいつまんでまとめると、
  1.  ユダヤ人のシナゴーグや学校に火を付けろ
  2.  彼らの家を破壊せよ 
  3.  彼らの祈祷書とタルムードの写本を没収せよ
  4.  ラビに教えを説くことを禁じよ
  5.  街道におけるユダヤ人の保護を廃止せよ 
  6.  高利貸しを営むことを禁止せよ
  7.  斧や鎌をもって働かせよ 
 といった調子である。
 ルターは、これらを復讐心からではなく、慈悲の実践として行うべきと説いている。
 まるで、ルターが説いたことを教科書とし、ヒトラーはそれをそのまま実践したかのようではないか。
 ソルティの中で、改革者ルターのイメージが音を立てて崩れていった。


ルター
マルティン・ルター

 ルターは堅固な反ユダヤ主義を代表しているが、彼もまた新約聖書以来、キリスト教の歴史の産物とも言える。ルターはユダヤ人に対する議論を全く独自に開発したのではなく、随所で聖書からの言葉を引用しているように、新旧聖書やそれまでの解釈などを踏まえた上で、彼の立場を語っている。ヒトラーの反ユダヤ主義も突然、出現したものではなく、ドイツの反ユダヤ主義を説いてきたキリスト教の歴史があり、その上で実践されたものである。ルターやヒトラーは正義の「戦士」ともいうべき、男性タイプの勇敢なるキリスト教の流れを汲んでいる。当時のドイツやキリスト教の歴史の中では、反ユダヤ主義は必ずしも悪いことであるとは捉えられていなかったのである。

 要は、ユダヤ教とキリスト教の何世紀にもわたる根深い対立と憎しみの歴史があり、ナチスの蛮行もまたその文脈上に置くことが可能なのだ。
 もしかすると、ユダヤ人以外の西洋人が今もスワスティカを受け入れられない根本的要因は、うしろめたさや罪悪感にあるのかもしれない。  

 ここで、最初に上げた二つ目の疑問の答えが浮上する。
 なぜ、ハーケンクロイツがそのまま「ハーケンクロイツ」と英訳されなかったのか。あるいは、なぜ直訳して「鉤十字」とされなかったのか。わざわざ「スワルティカ」という当たり障りのない訳語をそこにもってきたのはなぜか。
 著者はこう推測する。

この観点からすると、十字架を守るために、意図的にハーケンクロイツの代わりにスワスティカを用いたという推測もあり得ないことではない。

アメリカやイギリスは敵国であるドイツ軍が十字架をもって戦っているということを国民に知らせたくなかったのだろうか。キリスト教徒の多いアメリカ人にとって、キリスト教徒同士が戦っているとわかれば戦意を削ぐことになると考えたのであろうか。

 わりを食ったのがほかならぬ仏教である。

 翻訳者がスワスティカという言葉をそのまま訳語として使ったため、数千年の歴史を持つシンボルが、ヒトラーによって作られたシンボルであると人々に信じさせることとなり、仏教やヒンズー教の聖なるスワスティカが乗っ取られ、西洋社会で冒瀆されるようになった。ハーケンクロイツの名において執行されたホロコーストが、スワスティカの名において執行されたホロコーストにすり替えられており、未だにそれが是正されていない。

 翻訳者にその意志がなかったとしても、ハーケンロイツがスワスティカと訳されたことで、結果的に被害を被ったのは東洋の卍・卐であり、それによって守られたのは十字架であった。


 著者は現在、スワスティカの復権を目して、海外で講演や対談を行ったり、本書の英訳本を出そうとしたり、精力的に活動している様子である。
 ソルティは仏教徒ではあるけれど、マークには、というより仏足石、仏舎利、仏塔、蓮華、五色の旗など如何なるシンボルにもさしたる思い入れは持っていない。形にこだわるのは仏教ではないと思うからである。
 だが、少なくとも、西洋人と話していて、相手がナチスのマークを「スワスティカ」と呼んだら、すかさず「ハーケンクロイツ」と訂正することは今後やっていきたいと思った。


P.S. この原稿を書くにあたっては Word を使用したが、「」はどうやっても打ち出せなかった。ナチスについて研究し論文を書く人たちは不便を強いられていることだろう。 



おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損





● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第7回(第33~37番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【高知県】


浦戸大橋
浦戸大橋
浦戸湾と土佐湾の境に立つ全長1480 m、高さ50 mの巨橋
高所恐怖症の人はまず渡れない
歩道幅が75センチしかなく、前方から来た人とすれ違うのが大変だった


桂浜3
桂浜より土佐湾を望む


桂浜1
坂本龍馬が愛した月の名所、桂浜


桂浜2
桂浜はへんろ道からはやや逸れる
が、やはり土佐に来たらこの方に挨拶しなければ
いかんぜよ!



33番札所: 高福山 雪渓寺 (こうふくざん せっけいじ)

33番
 「せっけい(失敬)」と 物盗みたる悪人が
 かかる田舎に あるぞ悲しき

御本尊: 薬師如来
本歌 : 旅の道 うえしも今は高福寺 のちのたのしみ 有明の月
コメント: 寺の駐車場の張り紙に「車上荒らしに注意」とあった。また、寺からそう遠くない道ばたで、自転車泥棒に遭って(しかも2回目!)途方に暮れている70歳くらいの女性と出会った。周囲はのどかな里山風景。悪い奴はどこにでもいるもんだ。ご婦人を慰めつつ気を引き締めた。
【次の札所まで6.3㌔】


雪渓寺
雪渓寺


34番への道(畑)
雪渓寺から種間寺への道中風景


 
34番札所: 本尾山 種間寺 (もとおざん たねまじ)

34番
 深秋の 五穀実れる 種間寺に
 アイスクリンを 舐める楽しさ 

御本尊: 薬師如来
本歌 : 世の中に まける五穀のたねま寺 深き如来の 大悲なりけり
コメント: 田畑が広がる昔ながらの日本の平和な秋景色に心なごむ。遍路友だちは、「ここがもっとも印象に残っている」と言っていたが、それも納得。境内には氷菓の販売スタンドがあった。高知名物アイスクリンを初めて口にした。砂糖、卵、脱脂粉乳、バナナ香料等で作られる懐かしい味の氷菓子で、喉の渇きをいやすのにもってこい。高知の10月は暑い。
【次の札所まで9.8㌔】

34番種間寺
種間寺
駐車場の脇に売店が見える


35番への道(仁淀川)
仁淀川の土手を行く
前方に仁淀川大橋が見える
あれを渡って、高知市さらば、土佐市こんちは!


35番への道(いびら稲荷1)
弥勒大明神(いびらの神様)
仁淀川大橋を渡ったところにある


35番への道(いびら稲荷2)
いびらとはイボのこと
イボ(体内の腫瘍を含む)を取ってくれる神様として篤い信仰を集める


35番への道(畑中の城)
畑中に突如出現するお城
家屋? ラブホ? なにかの記念館? サリーちゃんの家?
(確認せず。知っている人いたら教えてください) 



35番札所: 医王山 清滝寺 (いおうざん きよたきじ)

35番
 清滝を 昇れる龍の 大志ごと
 真如皇子は 天竺目指す

御本尊: 薬師如来
本歌 : 澄む水を 汲めば心の清滝寺 波の花散る 岩の羽衣
コメント: 山の中腹にあるお寺。石段途中にある仁王門の天井には、見事な龍が描かれている。境内には、薬師如来像がデンと立つほか、平城天皇の第三皇子であった高丘親王(出家名:真如)の逆修塔がある。逆修塔とは生きているうちに建てる墓のこと。親王は、真の仏法を求め、齢六十にして決死の覚悟でインドに旅立った。
【次の札所まで13.9㌔】


35番清滝寺(石段)
清滝寺仁王門


35番清滝寺(天井の龍)
咬龍図


35番清滝寺境内
境内


35番清滝寺(高丘親王逆修塔)
高丘親王逆修塔
その高き求道心と勇気に敬意を表して


36番への道(ヘルメット地蔵)
塚地峠付近の道沿いにおわす布袋ポリス


36番への道(塚地峠からの景色)
塚地峠(190m)より宇佐湾と宇佐大橋を望む
橋を渡って36番へススム



36番札所: 独鈷山 青龍寺 (とっこざん しょうりゅうじ)

36番
 宇佐の地に にしきを飾る 朝青龍
 この石段で 稽古積みしか

御本尊: 波切不動明王
本歌 : わづかなる 泉にすめる青龍は 仏法守護の ちかいとぞ聞く
コメント: 雲ひとつない空の下、輝く宇佐湾を左手に見ながら目くるめく高さの宇佐大橋を渡る。まさに気宇壮大。浜辺でドッジボールしている高校生(明徳義塾か)の姿がまぶしかった。元横綱・朝青龍は、高校時代にこの寺の石段でトレーニングを積んだそうな。
【次の札所まで25.3㌔】


朝青龍
第68代横綱・朝青龍明徳


36番青龍寺石段
青龍寺の石段


36番青龍寺本堂
本堂


ドッジボールする若者ら(青龍寺近くの浜)



37番への道(浦の内湾2)
浦ノ内湾を市営巡航船でゆく(530円)


37番への道(浦の内湾1)



37番への道(須崎駅)
JR土讃線・須崎駅



別格5番札所: 高野山・八幡山 大善寺(こうやさん・やはたやま だいぜんじ)

5番
 大いなる 善を求めて 乗る船は
 涅槃へ渡る ワープかと見ゆ

御本尊: 弘法大師
本歌 : みな人の 善を須崎の 高野寺 波の音さえ 法の声かな
コメント: 浦ノ内湾で巡行船に乗り、湾をほぼ半周する7キロ近いへんろ道をワープする。32番札所で知り合ったTさんらと同乗した。Tさん曰く、「これは歩き遍路のルール範囲内」(笑) ソルティ「船の中で足踏みしていればいいんじゃないですか?」などと冗談を言ったのを思い出す。
【次の札所まで33.2㌔】


別格5番大善寺1
大善寺大師堂


別格5番大善寺2
境内からの眺め


37番への道(久礼大正町市場)
中土佐町久礼(くれ)の大正町市場
この町は青柳裕介の漫画『土佐の一本釣り』の舞台である


37番への道(久礼大正町市場2)
ちなみに、大正4年当時の大卒者の初任給は35円


37番への道(七子峠の展望)
七子峠より土佐湾を望む
山間を高知自動車道が走る


37番への道(土讃線)
峠を下りてから37番まではJR土讃線沿いをゆく



37番札所: 藤井山 岩本寺 (ふじいさん いわもとじ)

37番
 岩本に つどう遍路の 楽しみは
 勤行中の モンロー探し

御本尊: 不動明王 観世音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来 地蔵菩薩
本歌 : 六のちり 五つの社あらわして 深き仁井田の 神のたのしみ
コメント: 足摺岬に至る区間最長距離(80.7キロ)を前に、遍路たちが体調を整え、情報を交換し、励まし合う札所である。本堂内陣の格(ごう)天井には全国から応募があった575枚の絵画が飾られ、曼荼羅のような色彩美は眼福もの。マリリン・モンローがどこかにいるらしい。ここでは宿坊に泊まり、早朝の勤行に参加した。眠い・・・。
【次の札所まで80.7㌔】


37番岩本寺(山門)
岩本寺参道


37番岩本寺(本堂)
本堂


37番岩本寺(格天井)
格天井


四国の白地図第7回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。 
 




次回予告!
いよいよ足摺岬に到達‼






   

● 原始仏教的!? 本:『自省録』(マルクス・アウレリウス著)

西暦2世紀後半に執筆
2006年講談社学術文庫(鈴木昭雄訳)

 マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121-180)は、第16代ローマ皇帝(在位:161-180)で「賢帝」と評される人物。
 おそらく、ローマ皇帝の中では、ネロ、カリギュラ、漫画『テルマエ・ロマエ』に登場するハドリアヌスに次いで、もっとも日本人に知られている人ではなかろうか。
 むろん、『自省録』を残したゆえである。
 
 20代の頃に一度読もうと試みたのであるが、難しくて歯が立たなかった。
 いや、難しいというより面白くなかった。
 12巻(「巻」と言っても実際には「章」と言うのがふさわしいくらいの分量)あるうちの最初の2巻まで読んで挫折した。
 マルクス・アウレリウスは当時流行ったストア派の哲学者であり、その思想が彼の生活信条の根幹を成しており、『自省録』もストア派ならではの言説にあふれている。
 
 ストア派は、ヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めにキティオンのゼノンによって始められた。自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学を提唱した。破壊的な衝動は判断の誤りから生まれるが、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人はこの種の衝動に苛まされることはない、と説いた。
 ストア派が関心を抱いていたのは、宇宙論的決定論と人間の自由意思との関係や、自然と一致する意志(プロハイレーシスと呼ばれる)を維持することが道徳的なことであるという教説である。このため、ストア派は自らの哲学を生活の方法として表し、個々人の哲学を最もよく示すものは発言内容よりも行動内容であると考えた。
 (ウキペディア『ストア派』より抜粋)

 ソルティはストア派の思想など、まったくと言っていいほど知らない。
 「ストイック」という言葉の由来となった、つまり禁欲的なのだろう――くらいのイメージしかない。
 それにどちらかと言えば、ストア派でなくスーパー派だし・・・・・

 20代の頃も50代の今も、ストア派を理解していない、マルクスの書いていることを十全には理解できない、という点ではまったく変わらないのであるが、しかし今回読んだらとても面白かった。
 それはなぜか。
 本書を読んで、マルクス・アウレリウスという人間のあまりの「原始仏教」性に惹きつけられたからである。
 いや、そもそもなぜ30年越しに本書を読もうと思ったかと言えば、たまたま書店の目につくところにおいてあったのを不思議に思い、手に取ってパラパラめくってみたら、気になるフレーズ――20代の時分は引っかからなかった――が散見されたのであった。(NHKの「100分 de 名著」という番組で本書を取り上げたらしく、密かなブームになっているようだ。なんと漫画にもなっていた!)

 毎朝、1巻ずつ音読しながら、「原始仏教」的と思ったところに付箋を付けていったら、この有様である。

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 いくつか引用しよう。

 事物そのものは、いかようにもあれ心に直接触れることはなく、心への侵入をもつこともなく、また心の向きを変えることも心を動かすこともできない。心は、心だけで自身自分の向きを変え自分を動かす。そして、自分が持つに相応しいと見なす判断に合致するようなものへと外からやって来たものを自分のために作り上げる。

 しばしば想いを凝らしてみよ。――在るものも成るものもそれらの通過と退去の迅速さを。すなわち、実体は河のごとく不断の流れのうちにあり、そのもろもろの動きは連続した変化のうちにあり、その諸原因は無数の変転のうちにあって、ほとんど何一つ静止して在るものはなく、時の現在もその近接点もまた然りであり、またすべてはそのなかに消え去って行く過去と未来の無限の深淵(も然りである)。

 万物は変化のなかにある。おまえ自身もまた不断の変更のなかに、そしてある意味ではまた消滅のなかにある。そしてまた宇宙全体も。

 すべてこの世に生起することは、しかるべくして生起するものなること。おまえはこの事実を明確にしかと見張るならば、見落とすことはよもあるまい。すべて生起するものは正当に生起すること。

 おまえの身に起こることは何であれ悠久の昔より事前におまえのために整えられていたものである。また、諸原因の組み合わせがおまえの存在とその出来事の生起とを無限の時の彼方より紡ぎ合わせていたのである。

 万物はどのようにして相互に変化するかそれに観照的方法を用い、不断に注目し、この部門での研修に励め。

 肉体がいかなるものであるかを観察せよ。また年老いたら、病気したら、憔悴し切ったら、と。
 命短きものである。賞賛する者もされる者も、記憶する者もされる者も。

 遠からずしておまえは何人でもなく何処にも存在しなくなるであろう。なお、おまえが見ているものの何一つ、また今生きているものの誰一人存在しなくなるであろう。なぜなら、すべては本性上変化し転換し消滅するのである。そこよりまた別のものが次々生ずるために。


 諸行無常、諸法無我、縁起因縁、観察瞑想(ヴィッパサナ)、あたかも『スッタニパータ』を読んでいるかのような厭世的無常観・・・・。
 ストア哲学に、原始仏教と似通ったところがあるのだろうか?
 よくわからない。
 が、なんとなくマルクス・アウレリウス自身の持って生まれた資質の面が大きい気がする。
 
 こういう人が「俗」の最たる極みである政治に絡み、どころか「俗」の頂点たるローマ帝国の支配者をやっていたのだから、内心どれだけ葛藤や軋轢があったことだろう?

 もうたくさんだ、惨めな生、不平をこぼす生、猿真似の生、なぜに思い悩むのか。それらの何が目新しいというのか。何がおまえの正常心を奪うのか。

 『自省録』はいろいろな意味で心内の軋みの書であり、自己分裂の書であり、矛盾の書である。しかし、そうした軋みや分裂や矛盾の表白も、もしマルクスの人柄がそれらを感動的なものとなしえないようなものならば、あのように『自省録』が人の心を惹き付けることはなかったであろう。(本書解説より)
 

 思うに、マルクスの葛藤・分裂は二段構えになっていたのではなかろうか。
 つまり、「聖」=哲学・思索の世界=ストア派哲学者としての自分が一方にあり、もう一方に、「俗」=宮廷・政治の世界=ローマ皇帝としての自分がいる。
 「聖」の世界こそが本来の資質にかなっているし、できれば哲学者になりたかったにもかかわらず、「俗」の務めを果たさざるを得なかった。
 これが一段目。

 次に、ゼノンの末裔たるストア派哲学者として自負する自分が一方にあり、もう一方にその思想にどうにも収まり切れないものを抱えた「原始仏教」的自分がいる。
 これが二段目である。

 マルクス・アウレリウスは、出家しなかったシッダータ王子のその後の姿――ではないかという気さえするのである。
 また、時を置いて、読み返してみたい。



おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損


● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第6回(第27~32番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【高知県】

吉良川町
室戸市吉良川町
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている
明治期に建てられた漆喰壁の商家や、水切り瓦の蔵が立ち並ぶ


吉良川町2
“石ぐろ”と呼ばれる外壁
風雨から家を守るために河原石や浜石でつくられている


吉良川町3
迷路のように入り組んだまちの散策が楽しい
関東や関西にあったら人気抜群の観光地になること間違いなし


羽根岬付近の景色
海沿いの道が続く(羽根岬あたり)


崩壊した大師堂(羽根岬)
台風の大波で打ち壊された大師堂(奈半利町)


ホテルなはり
宿泊した奈半利のホテル
この日の夕陽はきれいだった



27番札所: 竹林山 神峯寺 (ちくりんざん こうのみねじ)

27番
 真言の 密の教えをこうの峯
 生の渇きも 潤されたり 

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : みほとけの 恵みの心 神峯 山も誓いも 高き水音
コメント: 太子堂の横壁に書かれていた密教の重要経典たる『理趣経』の文言が愉快であった。性愛を肯定するこの経典の貸借を巡って、空海と最澄は袂を分かつことになった。境内を流れる名水をペットボトルにつめ、売店で野菜たっぷりうどんを食べ、元気よく次の札所へ向かった。
【次の札所まで37.5㌔】


神峯寺3
神峯寺は430mの高みにある


神峯寺4
本堂


神峯寺1
大師堂横壁に書かれている『理趣経』の主旨
ちなみに、原文では「異性」とは限定していない


神峯寺2
霊水


神峯寺5
さらに登った展望塔(569m)からは足摺岬が見えた


28番への道(琴ヶ浜)
松林のサイクリングロード

28番への道(琴ヶ浜2)
琴が浜
このあたりのへんろ道は土佐くろしお鉄道・ごめんなはり線と
並行しているので、列車でスキップしてしまうへんろも多い。
海沿いのとても気持ちいい道なのでもったいない。


28番への道(遍路小屋)
飾りや置物や掲示物のにぎやかなへんろ小屋


28番への道(伊能忠敬碑)
伊能忠敬観測記念碑(香南市赤間町)
この地点は北緯33度33分


28番への道(バブルの城2)
?????


28番への道(バブルの城)
いったいこれは?


28番札所: 法界山 大日寺 (ほうかいざん だいにちじ)

28番
 大日の 山の上なる廃城は
 バブルの夢の 名残りとぞ聞く

御本尊: 大日如来
本歌 : つゆ霜と 罪を照らせる大日寺 などか歩みを 運ばざらまし
コメント: 大日寺に向かう途中で、前方の山の上に西洋風の城がそびえているのが目に入った。シャトー三宝という名の四万十川資料館だった建物で、2000年に閉鎖されたという。レストランや遊園地も備えたレジャーランドだったらしい。一千年を超える大日寺の伝統にくらべると、資本経済の無常をまざまざと感じる。
【次の札所まで7.5㌔】

28番大日寺山門
大日寺山門

28番大日寺境内
境内

ゲストハウス水仙
ゲストハウス水仙
ここで台湾青年の陳さん(30歳)と相部屋になり、いろいろと語り合った
「二ヶ月の無給休暇で来ている」 「日本好きで、これが5回めの来日」
「台湾はいま環境破壊が問題になっている」等々、真面目で礼儀正しく賢い人だった


29番への道(畑)
29番へはのどかな畑の道をゆく
このあたりで22周目というベテラン遍路Kさんと出会う
以後のサポートセンターになってもらった
壁が破れて人との交流が楽しくなってきた頃



29番札所: 摩尼山 国分寺 (まにざん こくぶんじ)

29番
 国分けて 寺に積まれし 富よりも
 勝れる宝 子にしかめやも

御本尊: 千手観世音菩薩
本歌 : 国を分け 宝を積みて建つ寺の 末の世までの 利益のこせり
コメント:木々に囲まれた静かな境内で、近くの小学校の児童たちが写生をしていた。偏見かもしれないが、地方の子供たちはやっぱり可愛い。ご本尊の菩薩さまもやさしく見守っておられるような気がした。下の句は万葉集(山上憶良)から頂いた。
【次の札所まで6.9㌔】

29番国分寺
国分寺境内


30番への道(高知市遠望)
久しぶりに見る都市は蜃気楼のよう


土佐神社
土佐一宮(いっく)神社
5世紀創建(雄略天皇4年)と伝えられている


土佐神社2
本殿の裏手の森が霊気満ちてすばらしかった


IMG_20200904_105819



30番札所: 百百山 善楽寺 (どどやま ぜんらくじ)

30番
 一の宮の 清き木立に禊して
 善楽の待つ 島に渡らん

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 :人多く 立ち集まれたる一の宮 昔も今も 栄えぬるかな
コメント: 土佐一宮神社の隣にある。神仏習合の時代は神社の別当寺だった。現在の住職は、2016年にご尊父から引き継いだ島田希保さん。高知の札所では唯一の女性住職である。まだ30代、頑張ってほしい。
【次の札所まで6.6㌔】


30番善楽寺
善楽寺境内


31番への道(高速道路)
海と山と寂れた町ばかりの歩きのあと、文明社会に戻ってきた感

32番への道(路面電車)
とさでん
高知城
高知城
中国人観光客に占領されていた



31番札所: 五台山 竹林寺 (ごだいさん ちくりんじ)

31番
 知らぬ間に 植物園へと分け入れば
 竹林精舎の 鐘は鳴るなり

御本尊: 文殊菩薩
本歌 : なむ文殊 三世の仏の母ときく 我も子なれば 乳こそほしけれ
コメント: 高知市街に入った。路面電車(とさでん交通)の軌道を越え、結構きつい石段を登ると、知らぬ間に県立牧野植物園の中に無料入園している。かつてはここに宿坊があったそうだ。南国の植物を見物した先に、見事な五重塔の立つ竹林寺はある。近くの五台山から見た市街の眺めが素晴らしかったな。
【次の札所まで5.7㌔】


31番竹林寺1
竹林寺境内

31番竹林寺2
五重塔
様式は鎌倉時代だが、建てられたのは昭和55年

5台山からの景色
五台山から高知市街を見下ろす
都会やな~



32番札所: 八葉山 禅師峰寺 (はちようざん ぜんじぶじ)

32番
 この先の 無事を祈らん ぜんじぶじ(前路無事)
 対なす岬の 支点にあれば

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : 静かなる 我がみなもとの 禅師峰寺 浮かぶ心は 法の早船
コメント:地図で見ると、この札所は土佐湾の一番奥まったところに位置し、室戸岬と足摺岬を頂点とするL字の交点をなす。つまり、室戸の終わり=足摺のはじまり。高知でオフをとったこともあり、自然と気合が入った。札所前で出会い、しばらく一緒に歩いた香川のTさん(60代)は話好きの楽しい人で、この先も宿や遍路小屋でしばしば再会を繰り返すことになる。
【次の札所まで8.9㌔】

32番禅師峰寺


32番禅師峰寺2
都会とはサヨナラ
また海沿いの道が続く



四国の白地図第6回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  


次回予告!
龍馬ファンの聖地・桂浜に行きます‼




   

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第5回(第22~26番)

 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【徳島県】


22番札所: 白水山 平等寺 (はくすいざん びょうどうじ)

22番
 五色なる 仏のひかり 平等に
 暮れゆく寺の 空を染めたり


御本尊: 薬師如来
本歌 : 平等にへだてのなきと きく時は あらたのもしき 仏とぞみる  
コメント: 高知からやって来た柔道体型の31歳の青年(野宿組)と語りながら、最後の峠を越え、納経所の閉まる直前にたどりついた。仏教を象徴する五色(赤・紫・白・黄・緑)の旗や帯が夕暮れの境内上空にひらめいて、鮮やかさに見惚れた。ここには足の不自由な人が巡礼に使った箱車が納められている。
【次の札所まで19.7㌔】



22番平等寺境内
平等寺境内


22番平等寺(箱車)
箱車


23番への道(初海)
ついに海岸線に到達!
(海部郡三波町の由岐漁港)


23番への道(南海地震の碑)
南海地震の津波の水位を示す碑
1946年(昭和21年)12月発生
死者・行方不明者は1443人に及んだという


23番への道(たいの浜)
たいの浜


23番への道(山座峠)
山座峠にてへんろ道を整備する人々
このあたりは、山と浜とが交互する(八坂八浜と言われるゆえん)



23番札所: 医王山 薬王寺 (いおうざん やくおうじ)

23番
 薬王の 闇に浮かびし 瑜祇(ゆぎ)塔は
 日和佐のまちの 灯台のごと

御本尊: 薬師如来
本歌 : みな人の 病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を あたえまします  
コメント: ウミガメで有名な日和佐の町と港を見下ろすかのように、小高い丘に立っている。中華風の朱色の塔が夜はライトアップされ、異国情緒を醸し出す。「日和佐まで来れた人は結願できるよ」と宿の女将に言われたのが心強かった。このあたりから脱俗気分が深まっていく。
【次の札所まで19.7㌔】

日和佐の夕暮れ
暮れゆく日和佐のまち
山の中腹に光るのが瑜祇塔


日和佐の宿
築100年の民家を改造した宿の部屋
明治時代の書生になった気がした


23番薬王寺
瑜祇塔
日和佐から室戸岬までは国道55号をひたすら歩く


24番への道(牟岐のデパート)
牟岐町のかつてのデパート
牟岐駅前で地元のおばさん(60代)と会話
「昔は賑やかだったのに、すっかり変わった」
「いるのは、おじいちゃん、おばあちゃんばかり」
「病院だけが残っている」



別格4番札所:鯖大師本坊(さばだいしほんぼう)

4番
 鯖を手に 語る大師の 本気度は
 ハトヤ坊主に 及ばざるかも 

御本尊: 弘法大師
本歌 : かげだにも 我名を知れよ 一つ松 古今来世を すくひ導く  
コメント: 徳島県最後のお寺。八坂山八坂寺(やさかじ)という寺号より、鯖大師の愛称で知られる。鯖を手にした弘法大師の像があると聞いていたので、昔のハトヤのCMの男の子(あれは少女ではありません)を想像していた。が、持ち方がそっけなかったので気が抜けた。このあたりはエビやアワビなど獲れたての魚介類を豪快に網焼きした海賊料理で有名。
【次の札所まで55.7㌔】


別格4番鯖大師本堂
鯖大師境内


別格4番鯖大師
山腹をくりぬいてつくられた全長88メートルの洞窟
四国88カ所のご本尊が並んでいる


別格4番鯖大師石像



24番への道(水床トンネル)
水床トンネルを抜けて高知県へ!


【高知県】

24番への道(東洋町の海)
東洋町はサーファー天国


24番への道(東洋町の宿)
泊まった宿の柱の落書き
当時17歳だった彼もいまや50歳近い
女将の話ではずっと通い続けているとか


24番への道(55号山と海)
岬巡りが延々と続く


24番への道(55号道路標識)



24番への道(夫婦岩)
ダイナミックな夫婦岩


24番への道(網を修理する漁師たち)
室戸市の三津漁港付近
漁を終え網を整備する漁師たち


24番への道(室戸水族館)
人気の高い室戸廃校水族館


24番への道(室戸水族館2)



24番札所: 室戸山 最御崎寺 (むろとざん ほつみさきじ)

24番
 ここがまあ 嵐のメッカ 最御崎
 白き大師は テレビの人よ

御本尊: 虚空蔵菩薩
本歌 : 明星の 出でぬる方の東寺 暗き迷いは などかあらまじ  
コメント: ついに室戸岬に到達。台風の際のテレビ中継でよく目にする白い弘法大師青年像を目にしたとき、有名タレントに会ったかのような感激が湧きおこった。岬の灯台に立つと、三面が海に囲まれる。西に目を向けると、幾重にも重なる岬のはるか彼方に足摺岬がかすんで見えた。あそこまで歩くのか・・・・。
【次の札所まで6.5㌔】

24番への道(白い大師像)
弘法大師19歳の青年像
高さ21メートル
昭和59年(1984年)に建立された


24番への道(みくろど)
御蔵洞(みくろど)
瞑想中の空海の口に金星が飛びこみ悟りに至った
現在、崩落の危険があり中には入れない


IMG_20181012_191915


室戸岬2
岬の先端は岩場だった

室戸岬
灯台からの景色
(画像拡大すると足摺岬が線になって見えます)


24番最御崎寺
最御崎寺境内
今夜の宿りは宿坊である


25番への道(室戸スカイラインからの景色)
翌朝、室戸岬を回って伊予湾を望む


25番への道(紀貫之の碑)
紀貫之朝臣泊舟之碑(津呂港)
土佐国司の任を終え都に帰る途中でシケに遭い、当地に泊まったことが
『土佐日記』に記されているとか
背後に見える白いビル(ホテルか?)の廃墟ぶりが目を引く



25番札所: 宝珠山 津照寺 (ほうじゅさん しんしょうじ)

25番
 津寺へと 往く道中で もよおして
 まさに駆け込み寺となりしか


御本尊: 揖取地蔵菩薩
本歌 : 法の船 入るか出づるかこの津寺 迷う我が身を のせてたまえや  
コメント: 室戸岬を制覇し、足も慣れて調子づいてきた頃。うかれ歩いていたら急に便意が! さっきのコンビニ(Yショップ)まで戻るか、それとも札所か。あぶら汗かきつつ、お寺に駆け込んだ。
【次の札所まで3.8㌔】



25番津照寺
津照寺山門


25番津照寺2
竜宮城のような鐘楼門



26番札所: 龍頭山 金剛頂寺 (りゅうずざん こんごうちょうじ)

26番
 金剛杖 ついて登りし頂に
 南国土佐の 風ぞ吹きぬる

御本尊: 薬師如来
本歌 : 往生に 望みをかくる 極楽は 月のかたむく 西寺の空  
コメント:団体客とかち合ったため、納経所が空くまで展望のよいところで涼みながら眺めを楽しんだ。自分が延々歩いてきた道や通り過ぎた町を高所から振り返るのは爽快である。室戸岬の西側の層なすヘアピンカーブ(室戸スカイライン)が面白い。
【次の札所まで27.5㌔】

26番金剛頂寺本堂
本堂


26番金剛頂寺(風景)
境内より室戸岬を望む




四国の白地図第5回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  


次回予告!
高知市内に入ります‼




   

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第4回(第17~21番)

 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【徳島県】


JR徳島線府中駅
JR徳島線・府中(こう)駅からスタート


17番井戸寺
住宅街にある井戸寺


17番札所: 瑠璃山 井戸寺 (るりざん いどじ)

17番
 おもかげは 井戸に映りし 然れども
 三年を待たず 足折れにけり
 

御本尊: 七仏薬師如来
本歌 : おもかげを 映してみれば 井戸の水 むすべば胸の 垢やおちなむ
コメント: 弘法大師が掘った井戸を覗いて、自らの姿が映れば無病息災、映らなかったら3年以内の災厄に要注意という。しっかり映ったから、「これで向こう3年は大丈夫」と安心したのだが、結願1年後に・・・。ファインダー越しに覗いたのがまずかったか? ここから徳島市街地に突入する。
【次の札所まで16.8㌔】

17番井戸寺(井戸)
面影の井戸


阿波おどり会館
徳島駅近くにある阿波おどり会館
背後は眉山


18番への道(国道)
徳島市街地
眉山を振り返る


18番への道(道標)



18番への道(パチンコ店)
不動明王が立つパチンコ店


18番への道(道路標識)
室戸まで128km
・・・・・・・。



18番札所: 母養山 恩山寺 (ぼようざん おんざんじ)

18番
 笠忘れ 来た道もどる 戒めは
 親の恩山 忘れるなとや


御本尊: 薬師如来
本歌 : 子をうめる その父母の恩山寺 とぶらいがたき ことはあらじな
コメント: 納経を済ませたあと、買ったばかりの菅笠がないことに気づいた。30分前に休憩をとった国道沿いのセブンイレブン! 秩父巡礼でも同じことがあった。早く気づいて良かった、平坦な道で良かった、体力と気力のある最初のうちで良かった、いやこの1時間のロスには何か意味があるのかも・・・。いろいろ自分を慰めつつ、取りに戻った。
【次の札所まで3.1㌔】

18番恩山寺
恩山寺境内
弘法大師がこの寺で修行中に母親が訪ねてきた
17日間にわたる女人解禁の秘法を行ったのち
母を受け入れ孝行を尽くしたという



19番札所: 橋池山 立江寺 (きょうちざん たつえじ)

19番
 たびたびの 祝融を受け 立江寺の
 堂をまもるは 信徒のいのり


御本尊: 延命地蔵菩薩
本歌 : いつかさて 西のすまいのわが立江 弘誓(ぐぜい)の船に 乗りて至らん
コメント: 徳島の札所を巡っていると、二人の戦国武将の名前が良く出てくる。蜂須賀氏と長宗我部氏である。四国制覇をめざした土佐の長宗我部氏が焼き滅ぼした寺を、阿波藩主の蜂須賀氏が再興したという話が多かった。ここ立江寺もその一つで、16世紀末、長宗我部元親の手により全焼。昭和49年にも本堂が焼けている。祝融(しゅくゆう)とは火事のこと。
【次の札所まで20㌔】

19番立江寺
立江寺境内


20番への道(まっすぐな道)
立江寺から滑走路のような県道28号を行く
並行している本来のへんろ道に気づかなかった


20番への道(大木)
櫛渕の八幡神社の巨大クスの下にて休憩


20番への道(ローソン)
この日は雨が降っていた
ポンチョを着たら中は汗だく
かえってびしょ濡れに


20番への道(沈下橋)
星の岩屋に向かう沈下橋(勝浦川)


20番への道(星の岩屋2)
番外霊場・星の岩屋
弘法大師が秘法により悪星を落下させたという


20番への道(星の岩屋)
裏見の滝
その名の通り、滝の裏側に入ることができる



別格3番札所: 月頂山 慈眼寺(げっちょうさん じげんじ)

3番
  奥山の 滝の轟音 浴びたれば
 一瞬にして 別のじげん(次元)へ


御本尊: 十一面観世音菩薩
本歌 : 天とふや 鶴の奥山 おくたえて 願ふ功力に 法ぞ通わん
コメント: 丸一日を費やした別格。穴禅定と灌頂(かんじょう)の滝が名所。とくに台風後の滝は水量はんぱなく、140mの高さからもの凄い勢いで落ち、轟音と水けむりに圧倒された。四国遍路・感動の風景の一つである。宿泊したのは小学校を改装した宿。教室に泊まるのは面白かった。
【次の札所まで10㌔】

別格3番慈眼寺
慈眼寺境内
お寺の方にパンをいただいた


灌頂の滝2
灌頂の滝


灌頂の滝1
滝の近くまで登ることができる


感情の滝3
滝の中ほどで虹を見る


感情の滝4
滝の上からの光景


宿さかもと
小学校を改装した「ふれあいの里さかもと」


宿さかもとの廊下
廊下を走ってはいけません


20番への道(山道の倒木)
台風被害残る鶴林寺への山道
倒木をボランティアの方が切断してくれている


第20番鶴林寺参道
杉木立の爽やかな鶴林寺参道



20番札所: 霊鷲山 鶴林寺 (りょうじゅざん かくりんじ)

20番
 迎えつる 鶴のカップル 尻目にし 
 へんろは休む 林に独り

御本尊: 地蔵菩薩
本歌 : しげりつる 鶴の林をしるべにて 大師ぞいます 地蔵帝釈  
コメント: 20~21番は「へんろころがし」として有名。500m登って鶴林寺、40mまで下り那賀川を渡り、すぐまた520m登って太龍寺。そこからの下りも延々と長く、最後に急斜面が待っている。鶴林寺ではともかく休むのが第一で、境内をゆっくり見物という気分になれないのがもったいないところ。
【次の札所まで6.7㌔】

第20番鶴林寺
鶴林寺本堂
雌雄の鶴が守護する


21番への道(那賀川の水井橋2)
那賀川にかかる水井橋
前方の山頂に太龍寺


21番への道(那賀川の水井橋)
振り向けばさっき詣でた鶴林寺の山



21番札所: 舎心山 太龍寺 (しゃしんざん たいりゅうじ)

21番
 太龍の 泳ぐ美空を 望み見て
 大師は笑まふ 岩の舳先に

御本尊: 虚空蔵菩薩
本歌 : 太龍の 常に住むぞや げに岩屋 舎心聞持は 守護のためなり  
コメント: 西の高野と称されるだけあって、凛と霊気みなぎる古刹であった。境内から少し下った崖の先端に、東を向いて坐している弘法大師の大きなブロンズ像がある。19歳のみぎり、ここで真言を百万回唱える修行をしたという。ご尊顔をカメラにおさめたくて、岩をよじ登って前に回り込んだ。やさしい大らかな笑顔があった。
【次の札所まで10.9㌔】

21番太龍寺境内
太龍寺境内


21番太龍寺(龍の天井)
見どころの一つ、龍天井


21番太龍寺(南の捨身ヶ岳)
南の舎心ヶ嶽

21番太龍寺(南の捨身ヶ岳2)
なんとも良いお顔であられる
思わずハグしてしまった


21番太龍寺(南の捨身ヶ岳3)


21番太龍寺(南の捨身ヶ岳4)
こんな景色を見ておられた



四国の白地図第4回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  


次回予告!
ついに海辺に到達します‼







   

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第3回(第12~16番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【徳島県】

IMG_20200813_074752
へんろころがし(11番藤井寺~12番焼山寺)断面図
その日の宿まで4つのピークを越える
最後の450mが玉ヶ峠
(へんろみち保存協力会編『四国遍路ひとり歩き同行二人』より)


12番への道(台風あと)
台風の爪あと生々しい山道


12番への道(柳水庵手前)
振り向けばこれまで歩いてきた平野が広がる


12番への道(長戸庵)
登り始めて約1時間、そろそろ休憩したい
ちょうどいいところにある長戸庵


12番への道(柳水庵)
また1時間歩くと柳水庵
湧き水で喉を潤せる


13番への道(へんろ小屋)
地域のボランティアグループが管理する遍路小屋


12番への道(柳水庵へんろ小屋)



12番への道(浄蓮庵)
一番のピーク浄蓮庵(745m)
お大師さまが迎えてくれる


12番への道(浄蓮庵3)
ここで掃除していた地元のボランティアの方と喋る
「東京から出店した企業が地元の店をつぶしておいて、
儲からないからとすぐ去っていくのは詐欺同然」
と怒っておられた
もっともな話


12番への道(谷の川)
400mまで下って左右内谷川を渡り
また登る


焼山寺(山門)
焼山寺山門(700m)
11番スタートから約5時間で到着!



12番札所: 摩盧山 焼山寺(まろざん しょうざんじ)

12番
 焼山で 燃え尽きること なかりしに
 玉ヶ峠に 転がされたり


御本尊: 虚空蔵菩薩
本歌 : のちの世を 思へばくぎょう 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも
コメント: アップダウンのはげしい焼山だが、山歩きに慣れていたおかげか、思ったほどきつく感じなかった。参拝を終え下山してほっと一息。「あとは宿に行くだけ」とルンルン気分で向かった玉ヶ峠(455m)がよもやの難関だった。歩きづらい岩登りと、延々と続く舗装の下り道に、足が棒になった。
【次の札所まで5.9㌔】

焼山寺境内
焼山寺境内


焼山寺(景色)
境内からの風景


玉が峠
玉ヶ峠頂上


玉が峠2



13番への道(鮎喰川遠景)
鮎喰川(あくいがわ)が見えたらゴールは近い


13番への道(鮎喰川遠景2)



植松旅館の食事
植村旅館の夕餉
ふだんなら多すぎる量だが、ペロリと平らげた


13番への道(鮎喰川近景)
翌朝、翡翠色にかがやく鮎喰川の岸辺を歩く


童学寺トンネル
新童学寺トンネルを抜けて


童学寺トンネルの向こう
町に戻ってきた



別格2番札所: 東明山 童学寺 (とうめいざん どうがくじ)

2番
 童学の 長いトンネル 抜けたれば
 受難の寺は 砂山のなか


御本尊: 薬師如来
本歌 : まいるなら 三世の悪行 消へはてる 南無や薬師の 瑠璃の光に  
コメント: 遍路初のトンネルは全長641mの新童学寺トンネル。歩行者専用通路があり、危険は感じなかったものの、かたわらをトラックが通過する際の笠を飛ばすほどの風圧に驚いた。たどりついた別格2番は工事中で、山門の脇で大きなクレーン車が動いていた。看板によれば火事にあったばかりで、再建のため3億円必要とか・・・。お寺もたいへんだ。
【次の札所まで6.2㌔】

別格2番童学寺山門
童学寺山門


別格2番童学寺湧き水
お筆の加持水
弘法大師が硯の水に使ったという
書道の修練に用いれば誰でも筆達者になれる



13番札所: 大栗山 大日寺 (おおぐりざん だいにちじ)

13番
 コリアより 舞姫来たり 大日に
 しあわせ祈る 菩薩にも似た


御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : 阿波の国 一の宮とは ゆうだすき かけて頼めや この世のちの世  
コメント: ここの住職は韓国籍の女性で人間国宝・金昴先(キム・ミョウソン)さん。舞踏団のツアーで来日したときに先代住職に見染められ結婚、住職に先立たれ、跡を継いだのである。運よく、納経所で拝顔することができた。境内の「しあわせ観音」に似た美人であった。
【次の札所まで2.3㌔】

13番大日寺本堂
大日寺境内


しあわせ観音
しあわせ観音


一宮神社(13番前)
道をはさんだ向かいにある一宮神社
石柱に「阿波國一宮」と刻まれているが・・・


一宮神社境内(13番前)
初日に詣でた大麻比古神社が阿波一宮ではないの?


一宮神社(縁起)
どうやら“本舗”争いしているらしい



14番札所: 盛寿山 常楽寺 (せいじゅざん じょうらくじ)

14番
 常楽の 眠りむさぼる 猫たちが
 水の岩にて 蹴伸びするなり

御本尊: 弥靭菩薩
本歌 : 常楽の 岸にはいつか 至らまし ちかいの船に 乗りおくれずば  
コメント: この寺はよく印象に残っている。お寺が水成岩の上に建っていて、秩父札所19番龍石寺を思い出した。「おかげで水はけがいいんですよ」と寺庭婦人。境内では数匹の猫が我が物顔に歩き回り、ところかまわず身を伸ばしていた。お寺と猫は相性がいい。ソルティも一緒になってくつろいだ。
【次の札所まで0.8㌔】

14番常楽寺
常楽寺境内


14番常楽寺(猫たち)



15番札所: 薬王山 国分寺 (やくおうざん こくぶんじ)

15番
 天平の 遠きを思う 国分寺
 槌の音さえ しじまの中に


御本尊: 薬師如来
本歌 : 薄く濃く わけわけ色を 染めぬれば 流転生死の 秋のもみじ葉
 
コメント: 国分寺は聖武天皇の命により全国に造られた由緒あるお寺。ここは、法相宗→真言宗→曹洞宗と宗派が変わっている。往時は栄えたことだろう。全面的に改装工事中で、令和2年3月完成予定とあった。もうお披露目しているのだろうか。有名な枯山水の庭も見たかったなあ。
【次の札所まで1.8㌔】


15番国分寺
国分寺山門



16番札所: 光耀山 観音寺 (こうようざん かんおんじ)

2番
 いにしえの 国府のまちの 観音寺
 暮れの光に 丸腰のまま


御本尊: 千手観音菩薩
本歌 : 忘れずも 導きたまえ 観音寺 西方世界 弥陀の浄土へ  
コメント: JR徳島線府中(こう)駅近くにある。一日の最後を締める札所でほっと一息。立派な門こそあるものの塀や囲いのない境内は、周囲の民家とそのままつながって国府の町に溶け込んでおり、村の鎮守とでもいった親しみやすい風情。境内でお爺さんとお孫さんらしき女児が遊んでいる姿がまたその感を強めた。
【次の札所まで2.8㌔】

16番観音寺
観音寺




四国の白地図第3回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  







   

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第2回(第6~11番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【徳島県】


6番札所: 温泉山 安楽寺(おんせんざん あんらくじ)

6番

 安楽を 求めてひとり 道ゆけば
 「お接待よ」と かかる声あり

御本尊: 薬師如来
本歌: かりの世に 知行争う 無役なり 安楽国の 守護をのぞめよ
コメント: 安楽寺を出たところで遍路最初のお接待にあずかった。車から降りた妙齢のご婦人は豆パンを差し出すと、こちらにお礼も言わせないまま、さっと去っていった。そのスマートなやり方にいたく感心した。すぐ近くの路傍に遍路の父・真念上人の立てたしるべ石(道標)があったので、いったんお供えしてから食べた。
【次の札所まで1.2㌔】


6番安楽寺山門
6番安楽寺山門


7番への道(真念の碑)
真念しるべ石


7番への道(畑中)
このあたりは牧歌的な景色が広がる



7番札所: 光明山 十楽寺 (こうみょうざん じゅうらくじ)

7番
 御朱印を もらい損ねて 十楽寺
 ゴールはここと 早や決まりけり


御本尊: 阿弥陀如来
本歌: 人間の 八苦を早く 離れなば 至らん方は 九品十楽 
コメント: 翌朝訪れた8番札所で、7番の御朱印ページが白紙のままであることに気づいた。あちゃー! 参拝した後に境内の休憩所で荷を解いて一服したのが原因。納経まで済ませてから休むべきであった。が、「これもきっと何かの縁。最後に戻って来よう」と、気を取り直した。別バージョン⇒「荷を解いて 十分ほどの 楽あれば 御朱印のこと 忘れ去(い)にけり」
【次の札所まで4.2㌔】


7番十楽寺山門
7番十楽寺山門


7番十楽寺大師堂
大師堂
各札所の本堂と大師堂の2カ所で
経をあげるのが基本


7番十楽寺(不動明王)
威圧感ある不動明王
戦没者慰霊のため建てられたもの
(体の比率配分を間違えたか、足が短い)



8番札所: 普明山 熊谷寺 (ふみょうざん くまだにじ)

8番
 突然の 雨に降られて 「くまったに(困ったね)」
 弁天様の 加護を受けしか

御本尊: 千手観音菩薩
本歌: たきぎとり 水くま谷の 寺に来て 難行するも のちの世のため  
コメント: 朝から曇り空だった。熊谷寺の境内に一歩入ったらいきなりの大雨。合羽を出すのも面倒なので、しばらく雨宿りした。あとから思えば、ここには水の神様・弁財天を祀る池があり、本歌にも見るように水と関係の深い札所なのであった。
【次の札所まで2.4㌔】


8番熊谷寺境内
8番熊谷寺境内



9番札所: 正覚山 法輪寺 (しょうかくざん ほうりんじ)

9番
 畑中に 法輪まわす 翁あり
 大福配る 使いとぞ見ゆ


御本尊: 涅槃釈迦如来
本歌: 大乗の ひほうもとがも ひるがえし 転法輪の 縁とこそきけ  
コメント: 広々した畑の中に立つ気持ちよいお寺。88札所中、涅槃像(息を引きとったばかりのお釈迦さま)を本尊とするのはここだけ。境内の東屋で休んでいると、自転車に乗ったお爺さんがどこからともなく現れ、でかい大福もち6個入りのパックをくれた。ありがたい反面、とても食べきれず、増えた手荷物に戸惑った。いくつかは道中のお地蔵さんにお供えした。
【次の札所まで3.8㌔】


9番法輪寺境内
9番法輪寺納経所


10番への道(地蔵)



10番札所: 得度山 切幡寺 (とくどざん きりはたじ)

10番
 切幡の 空へと続く 石段の
 先にまします はたきり乙女


御本尊: 千手観音菩薩
本歌: 欲心を ただひとすじに 切幡寺 のちの世までの 障りとぞなる  

コメント: 仁王門をくぐったところにある333段の石段に圧倒される。「えいっ!」と気合を入れて登りきると、本堂の横に立つ布とハサミを手にしたはたきり観音がなんともたおやかで麗しい。修行中の弘法大師が、僧衣のほころびを繕うために布切れを所望したところ、乙女は織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出したという。
【次の札所まで9.3㌔】


10番幡切寺石段
10番切幡寺の石段


10番幡切寺石段2
鬱蒼とした木立が広がる


10番切幡寺(はたきり観音)
はたきり観音
11番への道(マンジュシャゲ)
台風襲来の前日であった


11番への道(八幡宮)
阿波市(旧市場町)の八幡宮
この近くの交番で道を尋ねたら、でかい車道を教えられ、
かえって遠回りになってしまった
地元民は必ずしもへんろ道に詳しくはないと学んだ


11番への道(八幡宮神殿)
神殿の中
天上には大きな櫂があった
由来を確かめなかった(ご存じの方、教えてください)


11番への道(八幡宮額絵)
飾られていた武士の絵
由来が気になる


11番への道(移動スーパー)
道を教えてくれた移動スーパーのおじさん


11番への道(吉野川)
阿波中央大橋で吉野川を渡る


11番への道(吉野川2)
四国三郎の異名をもつ
利根川(坂東太郎)・筑後川(筑紫次郎)と並び
日本三大暴れ川に数えられている


11番への道(吉野川3)
このとき(2018年9月30日)の台風でも氾濫
流域の家々が浸水した


11番への道(JR徳島線)
JR徳島線を渡る


11番への道(鴨島駅)
鴨島駅
歩きへんろが最初に踏み入れるわりと大きな町


11番への道(台風前夜)
ホテルの窓から見た景色
目の前の山々がすっかり煙っている
翌日はこのホテルに缶詰めとなって台風をやり過ごした


ホテルロードサイド
台風一過


11番への道(焼山をのぞむ)
11番への道
我をまねくは焼山


11番藤井寺
11番への参道



11番札所: 金剛山 藤井寺 (こんごうざん ふじいでら)

11番
 この先は へんろころがし ぶじいのり(無事祈り)
 シューズのひもを 結び直さん

御本尊: 薬師如来
本歌: 色も香も 無比中道の 藤井寺 真如の波の たたぬ日もなし  
コメント: 参道の清らかな流れに心洗われる。その名の通り、藤の花が有名なお寺。遍路たちにとっては、これから始まる道中最大の難所を前に、装備をチェックし、身心を整え、地図を確かめ、気合を入れ、無事を祈る、マラソンのスタート地点のような札所である。
【次の札所まで12.9㌔】


焼山寺への道
さあ、いよいよ遍路ころがしのスタートだ!



四国の白地図第2回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  







   

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第1回(第1~5番)

 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【徳島県】
池谷駅
出発はJR高徳線・池谷駅


十輪寺
十輪寺(談議所)
弘法大師はこの寺で僧侶たちに説法し、
四国霊場の開創を談義したという


第1番霊山寺参道
1番霊山寺参道

第1番霊山寺山門
山門に到着


1番札所:竺和山 霊山寺(じくわさん りょうぜんじ)

1番
 霊山の 庭に還れる 日を想い 
 大師の杖を 買いもとめけり 


御本尊: 釈迦如来
本歌 : 霊山の 釈迦の御前に めぐり来て よろずの罪も 消え失せにけり
コメント: 境内の池のほとりのベンチに、着古した白衣をまとったフランス人らしい若い女性がひとり腰かけて、あたりを感慨深げに見回していた。遠い異国での長い巡礼を終えて、お礼参りのために1番に戻ったのだろう。真っ白な衣と買ったばかりの杖をまとった自分は、彼女の目にどのように映っていたことやら。
【次の札所まで1.4㌔】

霊山寺境内
霊山寺境内


阿波一宮神社鳥居
阿波一宮・大麻比古神社
1番から山の手に入った徒歩20分のところにある


阿波一宮神社
四国4県の各一宮神社も参拝、御朱印をもらうことにした


IMG_20200904_105650



第2番極楽寺
2番極楽寺山門



2番札所: 日照山 極楽寺(にっしょうざん ごくらくじ)

2番
 極楽へ 通じる道の 二つあり
 団体用と 個人用


御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 極楽の 弥陀の浄土へ 行きたくば 南無阿弥陀仏 口ぐせにせよ
コメント: 札所でバスツアーの団体客とぶつかり、納経所で御朱印をもらう順番を先を越されると、やたら待つこととなり、時間をロスする。それが分かってからは、団体客を見かけるやいなや、参拝より先に納経所に走ることもあった。2番札所には、団体客専用窓口があった。(確か108札所中、ここだけだった)
【次の札所まで2.6㌔】

第2番極楽寺長命杉
境内には弘法大師が植えたと言われる
長命杉(高さ約31m、周囲約6m)がある
それがまことなら樹齢1200年になる・・・


3番への道(遍路札)
へんろ道を示す道標


3番への道(コスモス街道)
町を左手に見やりつつ野辺の道をいく



3番札所: 亀光山 金泉寺(きこうざん こんせんじ)

3番
 長生きを 望むものでもないけれど
 金の泉に 顔探したり


御本尊: 釈迦如来
本歌 : 極楽の 宝の池を 思えただ こがねの泉 澄み湛えたる
コメント: 底を覗いて顔が映ったら長生きできる、と言われている黄金井戸があった。17番井戸寺にも同じ趣向の井戸があり、「専売特許を侵しているなあ。しかも先手を取って・・・」とおかしく思った。(どっちが「元祖」かは不明)
【次の札所まで5.0㌔】


3番金泉寺
金泉寺境内


3番金泉寺井戸
黄金井戸


4番への道(休系所)
4番への道
こうした休憩所がところどころにあるのが有難い


4番への道(山道)
足元の悪い山道に入る


4番大日寺遠景



4番札所: 黒巌山 大日寺(こくがんざん だいにちじ)

4番
 山越えて やっと顔出す 大日や
 へんろの寺は かくもあるべし


御本尊: 大日如来
本歌 : 眺むれば 月白妙の 夜半なれや ただ黒谷に 墨ぞめの袖
コメント: 3番までの平坦なアスファルト舗道から離れて、畦道から切通しの泥道へと入っていった。小さな峠を越えてやっと見えた伽藍の威容に、「これぞ歩き遍路の醍醐味」とありがたく思った。が、これは序の口も序の口・・・・。
【次の札所まで2.0㌔】


4番大日寺境内
大日寺境内
遍路100回を超える関西の男性(86)から
金の納札(おさめふだ)をもらった
30年以上遍路を続けているとかで、ご朱印帳が真っ赤だった


5番への道(五百羅漢2)
番外霊場 五百羅漢
羅漢とは阿羅漢とも言い、最高の悟りに達した人のこと
個性的な表情や動作で表現されることが多い
ここのは真面目なものが多かった


5番への道(五百羅漢)
中にはこんな御方も・・・


5番への道(風景)
五百羅漢裏手から5番地蔵寺に下る階段

 

5番札所: 無尽山 地蔵寺 (むじんざん じぞうじ)

5番
 荘厳な 五百羅漢の 下にいる
 いくさ地蔵は のどかなるかな


御本尊: 勝軍地蔵菩薩
本歌 : 六道の 能化の地蔵 大菩薩 みちびきたまえ この世のちの世
コメント: 番外霊場の五百羅漢のすぐ下にある。静かな悟りの境地にいる阿羅漢たちの像を拝したあとで、夕暮れの地蔵寺はほっとするような懐かしい気配に満ちていた。樹齢600年の大イチョウもまた、厳めしさよりも優しさを感じさせた。第一日の無事終了のためもあろうか。
【次の札所まで6.5㌔】


5番地蔵寺(大師堂)
地蔵寺・大師堂
カラフルで美しい


5番大銀杏
樹齢600年の大イチョウ


別格1番への道(畑)
大山寺への道
すがすがしい朝の大気の中、最初の試練
あの山を登るのか・・・


別格1番大山寺山門
大山寺山門



別格1番札所: 佛王山 大山寺(ぶつおうざん たいさんじ)

1番
 本道を はなれて登る 大山に
 阿波の平野を 俯瞰する我


御本尊: 千手観音菩薩
本歌 : さしもぐさ たのむちかひは 大山の 松にも法の 花やさくらむ
コメント: 最初の別格寺は、88の本道から6キロ以上離れた標高450メートルの山の上にあった。途中の山道から見下ろした、山々を背にした吉野川流域の平和な光景と、我慢できずに野グソを垂れたことが記憶に残っている。
【次の札所まで6.8㌔】


別格1番大山寺
大山寺境内
静かで清浄で緑うるわしく
ああ、ずっとここにいたい!


大山寺からの風景
ついに遍路に来たなあ~




四国の白地図第1回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  







   

● 新連載予告!  『オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108』

 このところ、一昨年に結願した四国遍路の旅の記憶が、ちょっとしたきっかけで不意によみがえってくることが多い。
 旅を終えたばかりの時に圧縮保存しておいたものが、時間が経つにつれ解凍して記憶の底から浮上してきたみたいな感じ。

 あそこであんなことがあった。
 ここでこんな人と出会った。
 かしこでこんなものを見た。
 そこではこんなことを思った。
 ・・・・・等々。
 
 きっと、ここ数ヶ月のコロナ自粛のせいで旅に出られない欲求不満から、頭の中で自然と四国遍路の記憶を引っ張り出して反芻しているのだろう。
 あるいは、あまりに重すぎてすぐには消化できなかったものが、やっと消化(昇華)できるほどに余裕が生まれたのだろうか。

 ならばこの機会にブログ上でもう一度、四国遍路をめぐってみよう。
 1番札所から順に、徳島→高知→愛媛→香川の108の霊場(88札所+別格20札所)をたどり、撮影した画像とガイドブックと旅日記をたよりに、記憶を新たにしてみようではないか。


IMG_20200807_150934


 ただの日誌では芸がないので、ちょっとした趣向を凝らす。

 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを詠んだものが多い。
 たとえば、徳島にある22番札所・白水山平等寺(はくすいざんびょうどうじ)の御詠歌は、

  平等に へだてのなきと きく時は あらたのもしき 仏とぞみる
  

 これにならって、オリジナルの御詠歌を作ってみたいと思う。
 やはり寺の名前を歌に盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などを一首に込める。

 1回の記事で6つの札所をめぐれば、18回で完遂し、108の歌ができる。
 3日に1度くらいのペースで記事をアップできれば、約2ヶ月で四国一周できる。
 ちょうど自分が実際の旅で要した日数と重なる。

 コロナ自粛でもバーチャルツアーなら可能である。
 読んだ人が、一緒に四国を旅した気分になってもらえれば、つまりソルティと空海と同行三人になってくれたら、うれしい限りである。
四国巡礼坊や


● 阿含経典を読む10 マヤ=アルディス効果

 3月から読み始めた、ちくま学芸文庫『阿含経典』全3巻(増谷文雄訳)が読み終わって、今は引き続き、岩波文庫『真理のことば(ダンマパダ)』(中村元訳)を読んでいる。
 毎朝、少しずつ音読している。

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 この音読=声に出して読むという行為が、実に良い効果を持っていることに気づかされた。

 脳科学のほうで、音読は黙読にくらべて脳の活性化に役立つと言う説がある。
 「読む(目で追う)」にプラスして、「耳で聞く」と「口で話す」を同時に行っていて、脳の異なる部分を使用するからである。
 読んで=インプット、話して=アウトプット、聞く=インプット、という繰り返しも良い刺激になるらしい。
 夜間の睡眠で脳がリセットされている朝起きがけにやることが、とくに効果的という。
 
 真偽のほどは分からないが、朝の音読が頭をすっきりさせ、気持ちよい一日のスタートを切るのに役立つことは実感できる。
 とくに、新聞記事とかエロ小説とかではなく、お経のような一般に「ありがたい」とされるものを読むのは、精神的に良い。これに線香でも焚こうものなら、リラックス効果倍増である。鬱の人にもおすすめだ。
 子供の頃、隣家の老人が毎朝読経を欠かさなかった理由が、ようやく分かった。
 たとえ、経の意味内容は十分に理解できていなくとも、それなりの効果はあるのだ。
 そう、「読む」とは元来、「一字一字声に出して言う」ことを意味する。
 
 ソルティの場合、増谷文雄による分かりやすい和訳を読んでいたので、内容も理解しながら読むことができた。
 しかも、お釈迦様の直説(に近い)とされる『阿含経典』を音読することには、思いもかけない利得があった。
 お芝居をやる人が脚本に書いてあるセリフを口にすることで、その人物になりきっていくように、お釈迦様の言葉を口にすることで、あたかも自分がお釈迦様になって比丘や在家信者や神々や悪魔を相手に語っているような気分になれるのである。
 
比丘たちよ、人間は、現在世においても、類をもって集まり、類をもって結合する。劣れる好みを抱くものは、劣れる好みのものと、類をもって集まり、類をもって結合する。すぐれた好みを抱くものは、すぐれた好みのものと、類をもって集まり、類をもって結合するのである。
 
 芝居好きのソルティは、お釈迦様の声と話し方を自分なりに作り上げ、お釈迦様のセリフを言う時は、普段よりも低く響く声音で、ゆっくりと穏やかに語る。悪魔のセリフを言う時は、シューベルトの『魔王』を想像し、耳に心地よいが下心を秘めた誘惑者の調子で語る。
 そんなふうに音読していると、自分がお釈迦様になって悪魔を折伏したような心地さえしてくる。
 お釈迦様になりきることができれば、自然と行住坐臥がそれらしく整ってくる。
 これを「マヤ=アルディス効果」という(笑)。

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王女アルディスを演じる北島マヤ
(美内すずえ『ガラスの仮面』白泉社より)

 
 これにすっかりはまって、引き続き『真理の言葉』を読んでいるのだが、個人的な嗜好に過ぎないのかもしれないが、中村元の訳より増谷文雄の訳のほうが「マヤ=アルディス効果」を得やすいようだ。
 後者の訳(セリフ回し)が、ソルティの想像するお釈迦様キャラに近いからだろう。
 
 今後も、音読を朝の日課にしよう。
 
 
 

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