ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語を見て、旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、ボランティアして、デモに行って、無いアタマでものを考えて・・・・そんな平凡な日常の記録である。

仏教

● ウ・ジョーティカの『自由への旅 マインドフルネス瞑想実践講義』を読む 2

2006年原著刊行
2016年新潮社(魚川祐司訳)

 私たちは生きるために、生活するために、健康でいるために、たくさんのことを必要とします。
 しかし、満たされたと感じるために、出かけていって外側の事物を探し求めたりはしないでください。外的な事物は何も、あなたを満たされたと感じさせてはくれません。
 唯一、あなたを満たされたと感じさせてくれるのは、自身のスピリチュアルな本性に深くふれること。とても高貴で、とても美しい本性にふれることです。(標題書P.150)

 こういった言説は、スピリチュアル業界ではよく耳にするところである。
 我々が真に望んでいるものは、外の世界のどこか遠いところにはなく、身近なところにある。
 メーテルリンク『青い鳥』やジュディ・ガーランド主演『オズの魔法使』(1939)において象徴的に描かれているテーマである。
 ウ・ジョーティカ師は、「瞑想によってその内側の宝を見出しなさい」と言っているのである。

 とは言え、頭では分かっていてもなかなかできない。
 我々の外に広がる世界は、一見、あまりに豊かで、あまりに刺激的で、あまりに面白いからである。
 衣食住および安全といった、人が生きる上での不可欠な欲求が満たされるや否や、我々の関心と欲求は外の世界に向いてしまい、孤独と退屈を避けるべく、また、より多くの快楽と満足を得るべく、世界にかかりっきりになってしまう。
 ひねもすスマホをいじり続けている若者の姿は、まさにその象徴であろう。

 アメリカの心理学者アブラハム・マズロー(1908-1970)は、自己実現理論を唱え、人間の欲求を5段階の階層で説明した。
 以下のようなものである。

マズローの欲求段階説
『社会福祉士の合格教科書』(飯塚慶子著、医学評論社)より引用


 ウィキペディア「自己実現理論」の記述をもとに、下段から順に簡単に説明すると、
  • 生理的欲求 (Physiological needs)・・・生命を維持するための本能的な欲求で、食事・睡眠・排泄など。
  • 安全欲求 (Safety needs)・・・安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、事故の防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求。
  • 社会的欲求と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)・・・自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚。情緒的な人間関係についてや、他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚。
  • 承認欲求 (Esteem)・・・自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。
  • 自己実現欲求 (Self-actualization)・・・自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。
 マズローの説が妥当かどうかは検討の余地があろう――ソルティは「安全欲求」と「社会的欲求と愛の欲求」との間に「遊びと知識への欲求」というのがあると思う――けれど、とりあえずそのまま受け入れるとして、人が生きる上で最低限満たされるべき欲求は下の二つ、すなわち「生理的欲求」と「安全欲求」までではなかろうか。
 その上位に位置する二つ、「社会的欲求と愛の欲求」および「承認欲求」は、対人的・対社会的な文脈において生じるものであり、無人島や深山幽谷で独りきりで生きている人間が存在することを思えば、必しもすべての人間に不可欠とは言えまい。
 むろん、これは心理的な意味合いで言っている。
 食べ物や衣服や日用品を手に入れたり、交通機関やインフラを利用したりするために、誰しも他人や社会との関りは避けられないし、相互扶助は必要である。
 病気になったり介護が必要になったりすれば、他人の世話にならざるを得ないし、社会による共助や公助を求めざるを得ない。
 物質的には、他者や社会との関係はなくてはならないものである。
 
 ウ・ジョーティカ師が、「出かけていって外側の事物を探し求めたりはしないでください」という時に意味しているのは、マズローの説で言えば、下から3段目の「社会的欲求と愛の欲求」およびその“上位”に位置する欲求にのめりこむな、ということなのだろう。
 あるいは、2段目の「安全欲求」のうちでも、安全に健康的に生きるのに必要とされるぶん以上の金品を得ることにかまけるな、ということなのだろう。
 
 年を取って体が弱ると、仕事を始め、いろいろな活動から引退することを余儀なくされる。
 パートナーに先立たれ、活動範囲が狭まり、友人・知人が少なくなる。
 すると、「社会的欲求と愛の欲求」の危機がやってくる。
 地位や名声だけを誇りとも生きがいともして生きてきた人は、「承認の欲求」も最早得られない。
 老人ホームの食堂で、かつて有名企業の社長であったことを自慢しても空しい限りである。
 ソルティは、衣食住と安全が保障されている老人ホームで、多くの高齢者(とくに男たち)が“上位”の欲求を充足するすべを失い、抜け殻のようになって自分が保てなくなる様を見てきた。
 これが自分の行く末か・・・・と思わされた。

 それ以来、あまり仕事や組織や技能や人間関係に固執するのは得策ではないと思いつつ、瞑想実践するようになった。
 
 心がマインドフルな状態でない時、それは家のない人のように感じられる。
 とても不安で、とても不幸なのです。
 マインドフルでいる時、あなたは本当に在宅していると感じられる。
 ですから、「マインドフルネス(気づき)こそ我が家」なのです。 

青い鳥




● ウ・ジョーティカの『自由への旅 マインドフルネス瞑想実践講義』を読む 1

2006年原著刊行
2016年新潮社(魚川祐司訳)

 自尊心を失った時、私たちは自分を価値あるものと感じられません。自分を価値あるものと感じられなければ、どうなると思いますか? もし何かやったとしても、自分がそれに値すると思えなくて、誠心誠意やることができない。いい加減にやってしまうのですよ。自分に価値がないと感じる人は、本当に全力を出すことができないでしょう。彼らは自分が何かをやっているふりをするだけで、本当は違うのだと感じてしまう。何かに自分が値すると感じることは、とても重要なことなのです。愛に、自由に、平静に、深い智慧に、そして理解に値すると感じること。「あなたが至れるのは自己評価の高さまで」。このことはとても重要です。(標題書P.26、ゴチックはソルティ付与)

 この書を読むのは3回目である。
 前2回はウェブ上に『自由への旅~ウィパッサナー瞑想、悟りへの地図~』のタイトルで無料公開されているものを、プリントアウトして読んだ。
 その後、思いがけずも新潮社から出版されて、ハードカバー500ページを超える大著3200円(税別)にもかかわらず、思いがけずも読まれているようである。
 タイトルの一部を「ウィパッサナー瞑想」から、流行りの「マインドフルネス瞑想」に変えたことが理由の一つであろう。

 コロナ禍の今は、ソルティのような瞑想実践者にとって得難き好機である。
 瞑想は、家で一人でできる金も手間もかからない暇つぶしで、体にも心にも良い。
 とくに、コロナに関する報道で不安を煽られたり、生活上の変化でストレスがたまったり、先の見えない状況に鬱っぽくなったりという昨今、心を落ち着かせる瞑想のありがたさは高まるばかりである。
 これが自由に外出できるとなると、ほかの娯楽や交流に惹かれて、家でじっと座ることが難しくなる。
 自粛生活を強いられる今こそ、瞑想が進むチャンスなのだ。
 マインドフルネス瞑想=ウィパッサナー瞑想を知り実践する人が少しでも増えるとしたら、それで人が仏教に触れるきっかけが生まれるとしたら、コロナ禍も決して悪いことばかりではない。
 
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 前回この書を紹介したとき、この書は「ウィパッサナー瞑想をやっている人にしか役に立たない」と書いた。
 それは決して嘘でも大げさでも極論でもない。
 本書の(著者ウ・ジョーティカ師の)目的は、ウィパッサナー瞑想を実践している人に対して、ウィパッサナー瞑想の概要を語り、瞑想をする上での具体的な注意点を伝え、瞑想が進むにつれ生じてくる智慧やスランプに関する見取り図を提供するところにある。 
 実際、本書のもとになったのは、オーストラリアのどこか静かな森の中で行われた瞑想合宿における講義録なのである。
 俗っぽく言えば、マニュアル本である。
 なので、将棋をやらない人にとって将棋のマニュアル本が役に立たないのと同様、ウィパッサナー瞑想をやらない人にとって本書は役に立たない。
 
 しかしながら、ウ・ジョーティカ師の語りには、瞑想実践者や仏教徒でなくとも通用し、生きるうえで役に立つであろう箴言がたくさんある。
 それは師が、瞑想と人生を深いところでリンクさせているからであり、その結びつきのありようを、指導を受ける者たちに包み隠さず呈示しているからである。
 そういうことができるくらいの哲学性と洞察力と人生経験と言語力と博学と、もちろん瞑想体験と指導力とを兼ね備えているのが、ウ・ジョーティカ師なのである。
 
 そういうわけで、3回目の通読となる今回は、本書を読んでソルティが感銘を受けた師の言葉の数々を紹介していきたいと思う。
 
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 冒頭の引用は、瞑想実践に入る前に必要な心の準備について、師が語っているくだり。
 瞑想にそれなりの成果を望むなら、自尊心を持つことが大切だという趣旨である。
 これはしかし、師も触れているように、人生のあらゆる面について言えることである。
 自尊心の低い人は、何ごとにも満足いく結果を生み出すことができない。
 「あなたが至れるのは自己評価の高さまで」という文句はソルティの胸に強く響いた。

 ソルティは、ボランティアやNGOや介護の仕事などを通して、数十年来、対人支援の仕事に関わってきたが、つまるところ見えてきたのは、「人は自分を救えるレベルでしか他人を救えない」、「自分を癒せるレベルでしか他人を癒せない」、「自分を大切にするレベルでしか他人を大切にできない」という峻厳たる事実であった。
 自己に対する評価(愛、自信、優しさ、ゆるし、肯定、満足)の裏返しが、他人に対する評価(愛、自信、優しさ、ゆるし、肯定、満足)であり、それはまた社会に対する評価(愛、自信、優しさ、ゆるし、肯定、満足)につながる。
 他人や社会のために尽くすのは素晴らしいことだが、そこには自己に対する評価という壁(限界)が立ちはだかっていて、それを無理に超えて自己犠牲を払うことは、必ずしも良い結果を生まない。
 一時的にはうまくいったように見えて、助けた相手から感謝されることがあったとしても、長いスパンで見たとき、必ずしも援助された当人のためにならなかった、というケースを結構目撃してきた。(GOTOキャンペーンのよう?)

 それはおそらく、自分の壁を超えて無理をした分が、あとから揺り戻されるからだと思う。
 他人や社会のために何か良いことをしたいと思ったときに、その動機の中に自己否定的なもの(たとえばトラウマやコンプレックスや怒りや憎しみや欲求不満といった)が含まれていると、知らずその否定的なものは外側(他人や社会)に投影され、転写されてしまう。
 闘うべき相手を外側に作り出してしまう。
 それは自分が作り出した幻なので、永遠に打ち倒せない敵となる。(キリスト教における悪魔のよう?)
 また、自己否定がもとにある自己犠牲的支援は、その恩恵を受けた人の中に知らず罪悪感や負担や依存を生み出してしまうことになりかねない。
 わかりやすい例を挙げる。介護保険のいいところは、介助者に給料が払われる仕組みが、介護される高齢者の心理的負担を減らすことにある。
 家族でも恋人でもなく、なんの見返りもなさそうなのに、自分のうんちを処理してくれる相手に対し、あなたはどういう気持ちを抱くであろうか?

 自分の問題を棚上げにして、自分の問題から逃避して、他人や社会のことにかまけても、うまくいかない。
 まず隗より始めよ。
 幸福は自分から。
 ソルティは、それが、その昔インドで小乗仏教(とけなされた人たち)が発見した真理の一面だったのではないかと思うのである。

P.S. 補足するまでもないことだが、これは「人助けや社会運動はやるだけ無駄」という意味ではまったくない。




● セロトニンの秘密 本:『瞑想脳を拓く』(井上ウィマラ、有田秀穂共著)

2007年佼成出版社
 
 井上ウィマラは、曹洞宗とミャンマーのテーラワーダ仏教で出家し、瞑想を極めた(?)人。還俗して、現在は高野山大学スピリチュアルケア学科で教鞭をとっている。
 有田秀穂(ひでほ)は、東大医学部卒業後、脳神経の研究に従事してきた科学者。瞑想や坐禅が脳神経に及ぼす影響を科学的手法で検証している。
 有田の研究に興味を持った井上が、実験の被験者として参加したことから、二人の関係が始まったようである。
 本書は、二人の対談をメインに、副題の通り、「脳生理学があかすブッダのサイセンス」を追究している。

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 修行者が瞑想で得られる様々な(神秘)体験・境地・智慧を科学的に解明することに対して、あるいは、悟りを単なる生理学用語に還元してしまうことに対して、不快な思いを抱く人もいるかもしれない。
「悟りはそんな単純なもんじゃない」
「なんでもかんでも科学で解明できると思うのは、唯物論者の傲りにほかならない」
「人間はそんな機械的なものではない」
といった声が聞こえてくる(空耳?)

 ソルティはそんなことはない。
 瞑想で体験することに何らかの科学的根拠があるのは当然だと思うし、悟りや禅定はある程度まで脳内現象で説明できるはず、と思っている。
 そこに、神秘的な何か――たとえば、プレアデスからの光線とか、守護霊のお導きとか、阿弥陀仏の慈悲とか、アセンデッド・マスターの計略とか、別次元にいるソウルグループの援助とか――を持ち出すほうが、むしろ抵抗を感じる。  
 というのも、ソルティは「悟りは人類の次なる進化の段階」と思っているからだ。 
 
 つまるところ、地球上の生き物の進化とは、脳の進化にほかならないと思う。小さな脳から大きな脳へ、単純な脳から複雑な脳へ、一つの脳から複数の脳へ。
 あるいは遺伝子の進化といってもよいのだろうが、生き物の基本的機能をもっとも強く規定するのが脳および脳の出す指令であることは否定できまい。遺伝子はその脳の形成に関わっている。
 だから、人類の脳が地球上の生き物の中でもっとも緻密で複雑であるものと仮定して、まだ人類に進化する余地が残されているとしたなら、それは「脱人類」へ向かっての脳のさらなる進化に違いないだろう。
 それが「悟り」なんじゃないか。
 (逆に言えば、この進化をやり損なったら人類は早晩、滅亡するんじゃないか)


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 本書で、有田は脳内にある“心に関係する”神経として、次の3つを上げている。
  1.  ドーパミン神経 ・・・・・・「快」に反応する神経。
  2.  ノルアドレナリン神経 ・・・「ストレス」に反応する神経。
  3.  セロトニン神経 ・・・・・・上の両者を制御できる神経。
 ドーパミンは、美味しいものを食べたり、セックスしたりすると分泌される。個体が生存し、種が存続するのに必要な食欲と性欲とにかかわる。これが過剰に出ると、欲望が高じ、依存性をもたらす。
 ノルアドレナリンは、副腎髄質から分泌されるアドレナリンと共に、闘争あるいは逃避反応を生じさせる。怒りや攻撃性や不安や恐怖を呼び起こす。
 セロトニンは、食欲や性欲を抑制する働きをもち、外からのストレスに対して反応しないという。上の二つの物質をコントロールし、精神を安定させる。

 これがあたかも仏教で言う「貪(むさぼり)」、「瞋(いかり)」、「痴(無知)」に相応するところが興味深い。欲と怒りをコントロールするセロトニンの働きは、「智慧」や「中道」を意味しているように見える。
 あるいは、本書でも示唆されているように、釈迦国の王子時代のブッダ(ドーパミン過剰期)と、苦行時代のブッダ(ノルアドレナリン過剰期)、そして悟ったあとのブッダ(セロトニン充足期)を暗喩しているようで面白い。

有田:ドーパミン神経という快の神経と、ストレスの神経のノルアドレナリン神経と、その両者を制御できるセロトニン神経の三つが、心の模様をつくっていると思われますが、この三者を比べたとき、それぞれの役割の違いだけではなく、重要なのはその神経が果たして鍛えられるかどうかということです。おそらくセロトニン神経だけが鍛えられるという事実に、ブッダも気づいたと思うのです。

 もちろん、ブッダは脳科学など知らなかったし、セロトニンの存在も知らなかった。
 ただ、自らを実験台として、「どうすれば欲と怒りを抑制できて、中道の状態が持続できるか」を発見したのであろう。
 発見とは、すなわち道諦であり、八正道であり、ヴィパッサナー瞑想である。

ウィマラ:宗教の怖さの一つに、トランス状態にもっていったりとか、泣かせたり、涙を流させることでマインドコントロールして、ある信念体系のなかに入れてカルト教団をつくっていったという歴史が一部にあります。その宗教体験はほとんどの場合、神秘体験が鍵を握ります。
 一方、ブッダの瞑想の特徴は、このセロトニンを鍛えていくことに深くつながっている、と言えます。つまり、ブッダの気づきの瞑想の特徴は、涙を流すという感覚あるいは自己溶解体験にもあてはまらない、トランスとエクスタティックな状態にも留まらないということ。その体験を一時的なものとして通過し、その体験自体を見守る、ずっと見続けていられる安定したバランスのいい「見守り」を育ててくれるのです。

 有田によれば、セロトニン神経を活性化させるのは、腹筋を使った呼吸、咀嚼、歩行などのリズム運動を“意識的に”継続することだという。同じ歩行でも、雑念があったり周囲に気が散ったりするような散歩ではダメだという。
 「今ここ」で起こっていることに対する“気づき”が大切なのだ。
 一方、セロトニン神経には自己制御機能があって、ある程度の量が分泌されるとそれ以上は出ないように、自動的に抑制回路が働き出して分泌を減少させる。
 つまり、セロトニンによる効果は一時的である。
 この自己制御機能を鈍化させ、脳内回路を変えるためには、長期間の持続的かつ意識的なリズム運動が必要だという。
 それがセロトニン神経を鍛える、つまり修行の意味というわけだ。

 瞑想修行が精神を安定させ、ひとを幸福にすることの科学的根拠を示す本として、一読の価値がある。

  


おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 本:『徹底比較 ブッダとクリシュナムルティ そのあるがままの教え』(正田大観著)

2018年 コスモス・ライブラリー

 当ブログで紹介したJ.クリシュナムルティ著『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』(Can Humanity Change ? )の訳者の一人による、上記書の“続編”あるいは“補完編”といった趣きの本である。
 上記書はその邦題から、ブッダとクリシュナムルティの教えの相違が探究されている本かと期待して購入したのだが、フタを開けてみるとまったくそんなことはなく、肩透かしを食らった。
 とは言え、邦題をつけた者を単純に責められないのは、上記書の主要部分を成す、クリシュナムルティ(以下Kと記す)およびテーラワーダ仏教僧であるワルポラ・ラーフラをはじめとする複数の著名人の対話において、そもそも目論まれていたのはKの教えと仏教との相違の探究であったと思われるからである。
 対話の口火を切るのに、用意万端、ブッダの教えとKの教えの類似点を要領よく並べ上げて指摘し、Kの返答とそこから始まる両者の比較検討を期待していたであろうラーフラに返ってきたのは、「私とブッダを対比する必要がありますか?」という、Kのなんとも素っ気無い言葉であった。
 そこからは、まったく仏教とは関係ないところで話は展開していく。
 ラーフラおよび対話の企画者の目論み及び意気込みは、開始早々、あっさり棄却されてしまったのである。
 その「十倍返し」というわけでもあるまいが、本書において正田が試みたのが、まさに上記書で叶わなかったブッダとKの教えの比較なのである。

 本稿においては、おこがましくもラーフラ師になりかわって、ブッダとクリシュナムルティの教えを比較検討し、その共通点を提示し確認したく思うのである。簡単に言えば、「ブッダとクリシュナムルティの比較思想論」を試みるわけだ。

 ブッダとクリシュナムルティが同じことを言っているのであれば、それは、真理が一つであることを意味している。真理は一つであり、一つしかない真理を発見したので、言ってることが同じになった、という理解。・・・・(中略)・・・・この前提をもとに、クリシュナムルティの言葉を参照しつつ、ブッダの教えを再構成するのが、本書の進み行きとなる。

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 著者は、「無常、苦、無我、あるがまま、いまここ、からっぽ、貪欲、憤怒、迷妄、条件づけ、快楽、恐怖、二元性、思考、妄想、依存、見解、既知、無執着、気づき、智慧、解脱、遠離独存、涅槃寂静」の24のテーマについて、およびその他10の小テーマについて、両者の言説を引用し、比較検討している。
 引用の出典に選ばれたのは、ブッダの言葉については『阿含経典』の中でも最も古い教典とされている『スッタニパータ』と『ダンマパダ』であり、Kの言葉についてはその著書『四季の瞑想――クリシュナムルティの一日一話』(コスモス・ライブラリーより邦訳刊行)である。
 もちろん、単に両者の教えを比べて共通点を指摘して良しとするのみでなく、読む者にたびたび自己覚知をうながし、真理とは何かを一緒に探求することを呼びかけている。
 野心的な試みと言えよう。
 
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 結論から言うと、ブッダとKの教えはほとんど同じであり、真理は一つであることが証明されている。
 予期していた通りではあるが、このように一つ一つテーマごとに徹底比較されると、両者は用いる言葉や表現さえ異なれど、呼応するように同じポイントをついていることが明らかとなる。
 たとえば、「思考」についての言説をみると、
 
ブッダ : 転倒した思考の人に、強き貪欲の者に、浄美の随観者に、渇愛(の思い)は、より一層、増え行く。この者は、まさに、結縛を堅固に作り為す。
 しかしながら、彼が、思考の寂止に喜びある者であり、不浄(の表象)(不浄想)を修める、常に気づきある者であるなら、この者は、まさに、(貪欲の)終焉を為すであろう。この者は、悪魔の結縛を断ち切るであろう。(ダンマパダ349~50)
 
K : 悲しみの終焉を理解したい人は、この思考する者と思考、経験する者と経験されるものという二分性を理解し、見出し、乗り超えていかねばなりません。つまり、観察する者と観察されるものの間に分裂があると、時間が起こり、故に悲しみは終わらない、ということです。(中略)観察する者、思考する者とは言うまでもなく、思考の産物であります。思考がまず最初に来るのです。観察する者や思考する者ではありません。思考がまったく存在しなければ、観察する者も思考する者も存在しないことでしょう。そうすると、完璧で全面的な注意だけが存在するのです。(『四季の瞑想』238ページ)

 正田が述べている通り、2500年前のブッダの簡略な言葉――当時は筆記文化がなかったので教えは暗誦できるように簡略化・韻文化せざるをえなかった――が、20世紀の英国で高等教育を受けたKの明晰かつ論理的な文章により、より説得力を持って深いレベルで解釈されつつ再構成される、という現象が起きている。
 あたかもKが、ブッダの教えを現代語に翻訳して解説してくれている、かのような印象を受ける。
 いささか残念なのは、比較に使用された『スッタニパータ』と『ダンマパダ』の和訳がわかりづらい。正田自身による訳のようだが、ここはたとえば岩波文庫の中村元の訳をそのまま使用したほうが良かったと思う。たとえば、上の文の「浄美の随観者」、「不浄想」ってなんぞや?


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 さて、ブッダとKの教えがほとんど同じなのは分かった。
 しかし、やはり気になるのは、むしろ両者の違いであり、その理由である。
 その意味で、本書で一番興味が引かれたのは、両者の違いについて触れている「あとがき」であった。
 正田は、ブッダとKの大きな違いとして、①組織をつくることの是非、②セックスに対するスタンス、の二つを挙げている。これに、③悟りへの道を説くことの是非、を加えれば完璧になると思う。
 
 言うまでもなく、ブッダは出家者の集まりであるサンガを作り、それを重視した。仏・法・僧(ブッダと仏法とサンガ)は仏教の三つの宝である。
 一方、Kは自らを長とする裕福な組織(星の教団)をその手で解散してしまったことからも分かるように、生涯、組織には反対だった。組織は必ず腐敗につながる、個人を真理へ導かないと言ってはばからなかった。
 この両者の違いを、2500年前と現代との「伝達手段」の違いの観点から考察した正田の意見がうがっている。
 オーディオ機器はもちろん筆記文化がなかった2500年前のインドでは教えを伝えるには、口承に頼るしかなかった。ゆえに組織が必要だった。一方、Kの教えは、組織に頼らずとも、本やテープレコーダーやラジオやテレビなどで記録保存され、後世に伝えられる。この違いは大きい。
 たしかに、サンガがなかったならば、仏滅後の結集がなかったならば、われわれが今ブッダの教えを学ぶことは不可能だったろう。組織あってこそ、である。
 
 次にセックスについて。
 ブッダの基本姿勢は「禁欲」であった。出家者はむろんセックスNG、オナニーNG、恋愛NGである。在家に対しても、五戒に見られるように、「みだらな性行為」を戒めた。この「みだらな性行為」の定義が難しいが、基本、結婚(あるいは婚約)している者同士のセックス以外はご法度ってところであろう。不倫などもってのほかである。(ただしブッダは不倫は良くないとしたが、不倫した在家者を責めたり裁いたりすることはなかったと思う)
 一方のKであるが、ソルティの(読書)記憶によれば、若い頃はセックスに対してブッダ同様の厳しい態度を見せていたように思う。途中から、態度が軟化し(?)、逆に禁欲主義を批判する言辞が現れるようになったのではなかったか? セックスすること自体はNGとせず、セックスを“問題”としてしまう「思考のありかた」を問題とみたのである。
 
 僧侶や聖職者の偽善的あり方に厳しかったKは、セックスの問題に関しても、同様の偽善を指摘する。抑圧的禁欲の愚かさとその矛盾。表と裏を使い分けて外見を取り繕うあり方は、たしかに、聖なるものとは言い難い。
 
 ブッダも、Kも、淫欲の害毒については、同じ認識を持っていたと言えるだろう。あくまでも心理的な遠離独存を説いたKにたいし、ブッダの場合、出家修行者に限ってではあるが、肉体的な禁欲を厳命したところが相違点となる。
 
 セックスの問題に対するKの答えは、愛とは非難が全く存在しない状態のこと、セックスがいいとか悪いとか、これはいいけれど他のものは悪いと言わない状態のことです、となる。問題を問題としない、全的なあり方。妄想に起因する矛盾が生じない、葛藤なき状態。情熱と鋭敏さ。そして、気づき。愛とは確かに情熱なのです、と喝破する、Kの言葉をかみしめたい。
 
 正田は、この件に関する両者の違いの様相については十分明らかにしているが、その理由については突っ込んでいない。
 問題が問題だけに――と「問題化」してしまうのが問題、とKなら言うところだろうが――簡単には論じることのできないテーマではある。
 さらに、正田も記している通り、Kには最近になって「不倫スキャンダル」が勃発した。親友で長年の仕事上のパートナーであった男(ラージャゴパル)の妻と、隠れて付き合っていた、しかも自分の子を二度も堕胎させていた――というものである。
 これがどこまで本当なのか、完全にでっち上げなのか、真相はいまのところ藪の中である。
 ソルティは、このニュースを聞いたときに、Kがセックスに対して途中から寛容になった背景はここにあったのかも・・・・・と率直に思った。自分が普段やっていることを、他人に「やるな」とは言えないだろう。
 が、不倫や堕胎はどうなのだろう? もし、この噂が本当なら、Kはまさに「偽善者」であり、「聖なるものとは言い難い」ように思えるが・・・・・。
 
 愚考をさらす。
 ブッダとKのセックスに関するスタンスの違いを作った原因の一つは、それこそ両者の若い時分の性愛体験の差にあるのではなかろうか?
 ブッダは、釈迦国の王子であった青年時代に「好きなだけヤリまくった」はずである。それこそ国中から選ばれし美女たちが宮中至るところに待ち構え、オナニーなんて覚える暇もなかったかもしれない。さまざまな恋も経験済みだったろう。いわば、釈迦国の光源氏。
 三十路で出家したときにはもう、「セックスも恋愛ももう十分です」の域に達していたのではなかろうか。性愛の「快」の底に潜む「苦」を徹底的に味わい尽くしていたのではなかろうか。人を無明の闇に突き落としてしまう愛欲の怖さを十二分に知り尽くしていたのではなかろうか。いや、その達観のさきにある虚しさが、出家を後押しした可能性も考えられなくはない。
 一方のKは、はじめて女性と関係を持ったのは三十路を過ぎてからという話で、そのときにはすでに
「悟りを開いた聖者」として周囲から遇され、その教えを広めていた。
  
 Kが言うところの、飛ぶ鳥が跡を残さないような「問題化」しないセックスならOK、と言えば聞こえはいいが、そんな簡単なものではなかろう。
 セックスにはどうしたって相手が必要だし、相手との関係が生じざるを得ないし、妊娠や性病をもらう可能性だってある。自分一人が悟っていたところで、悟っていない相手と深く関わればどうしたって問題は生じ得る。
 よもやKは「サクッと風俗」を勧めているわけではあるまい。
 
 性と宗教――このテーマは一筋縄ではいかないので、ここまでにしよう。
 
秩父巡礼4~5日 170
 
 
おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 エピローグ

 2ヶ月かけて巡ったネット上での四国遍路が終わった。
 自作の御詠歌と画像で振り返る四国の旅は、実に面白かった。
 とくに御詠歌を作る作業が楽しく、お寺の名前や特徴がうまく盛り込めた歌が生まれたときなど、心躍るものがあった。
 なんだかこの歌を作るために、前もって用意されたエピソードすらあった気がしたほどに。
 おかげで、別格20寺を含め、四国札所108の名前と順番と地図上の位置をすっかり覚えることができた。

 実際の遍路中も、また2018年12月初旬に結願してからも、遍路については当ブログでもたびたび書いてきたものの、中味が濃くて、なかなか消化しきれないでいた。
 旅はまだ終わっていないという感がずっとあった。 
 それが、今回の連載を終えて、「やっと、遍路が終わった!」という実感を持てた。


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 あらためて振り返ってみると、天候に恵まれていたなあ~と実感する。
 とくに海辺を歩いているときは快晴の記憶しかない。
 全行程にわたり、いい写真がいっぱい撮れたのは何よりであった。
 そして、あちこちで本当に土地の方の世話になった。
 いろんな形の「お接待」がなかったならば、旅はしんどいものになっていたに違いない。
 四国はいまや自分にとって第三の故郷となった。(第二は10年間住んだ仙台である)

 
 遍路をしている間は、ほとんどものを考えていなかった。
 過去のことを回想して愉しんだり後悔したりすることもなければ、未来のことを考えて妄想したり不安にかられたりすることもなかった。
 旅の先行きのこと、たとえば泊まる宿や取るルートや残り予算について思い迷うことはあったが、それも、香川に入ってからは消え失せた。
 そして、そのときそのときの様々なものとの出会いと別れを十分味わうことに心は集中するようになった。
 つまり、「いま、ここ」がすべてになった。


霊山参り(赤と黄色の花)


 遍路から日常生活に戻ると、またしても心は過去や未来にさまようようになった。
 あれこれと過去の失敗を思い出しては痛みをほじ繰り返し、もう二度とは訪れない快い追想に浸り、未来のことを想像しては浮かれたり、ブルーな気分に陥ったり・・・・。
 遍路から丸一年たった昨年12月に、駅の階段から落ちて骨を折ったのも、そのとき心が「いま、ここ」にいなかった何よりの証拠である。
 その後のコロナ騒動は、ご承知のように、未来についての不安をかき立てた。

 大体、人間は過去や未来について「考える」から問題を作り出すのであって、思考の入らない「いま、ここ」には問題も生じようがない。
 そのときそのときにやるべきことをやるだけだ。
 そしてまた、実際に存在するのは過去でも未来でもなく「いま、ここ」だけであり、我々が何とかできるのも「いま、ここ」だけである。

 過去や未来について「考え」て、その結果、幸せになるのならどんどん考えればいいと思うが、これまでの経験からも「考えることで幸せが手に入った」とは到底思われない。
 日が暮れるのも忘れて遊んでいる子どものように、「いま、ここ」にいる時が、間違いなく幸せである。

 遍路で体験した「いま、ここ」感覚を、日常生活で――せわしなく、マンネリにつながる繰り返しが多く、いろいろと結果を出すことが求められるような――日常生活で保持するのは難しい。
 大概が、過去や未来にとらわれて「いま、ここ」の価値を忘れ、そのうち煮詰まってくる。
 だから、人はまた四国に行きたくなるのであろう。
 ソルティも、連載している間に、「ああ、また行きたい!」と何度思ったことか。

 四国遍路で味わった「いま、ここ」感覚を、こちらの日常生活でも再現――いや、再現という言葉はふさわしくないな――顕現させることができたなら・・・・・。
 つまり、日常から逃避するために旅を求めるのでなく、日常がそのまま旅であるような生。

 同行二人はいまも続いている。


霊山寺境内(笠)
観るも自在 聞くも自在の 旅なれば のんびり往かん 今ここにあれ
(第40番観自在寺オリジナル御詠歌)



● ワープ解脱法? 本 : 『道元の考えたこと』(田上太秀著)

1985年講談社より『道元のいいたかったこと』の題名で刊行
2001年講談社学術文庫

 道元の教え=曹洞宗については気になっていた。
 「只管打坐」、「修証一如」という言葉からは、よけいな夾雑物を排したすっきりした信仰の形が察しられるし、坐禅=瞑想を重視するところはお釈迦様本来の教えと合致する。
 念仏や読経や祈願や苦行や儀式・典礼をもっぱらとする他の大乗仏教宗派とは位相が異なる感があった。

 おそらく、道元の教えを知るには徹底的に坐禅するに如くはあるまい。
 が、道元の達した境地なり真理なりに坐禅によって到達するのは在家では難しそうであるし、たとえ何らかの智慧や真理を会得したとしても、それが道元のそれと同じものなのかどうか分からない。
 となると、道元の主著である『正法眼蔵』を読むのがやはり最善の策であろう。

 ―――と思って図書館で借りてはみたものの、これがなかなか読みこなせる代物ではなかった。
 量の膨大さはともかく、言葉が、文章が、内容が、難しすぎる!
 高度と言いたいところだが、残念ながら、高度かどうか判断できるまで読み進めるのさえ困難である。 
 あきらめて返却し、次善の策によった。
 仏教研究者による解説本である。


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 田上太秀は同じ講談社から『仏陀のいいたかったこと』(1983年)という名著を出している。
 20年くらい前にソルティは、大乗仏教でぐちゃぐちゃにされたものでない、お釈迦様本来の教えを知りたいと思い本屋で見つけたのが、上記の田上の著書および宮本啓一著『ブッダ 伝統的釈迦像の虚構と真実』(光文社文庫、1998年発行)であった。


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 この2冊によってソルティのそれまで持っていた仏教観は大いに変わった。
 「どうやら生まれてからずっと自分が馴染んできた日本の仏教というものは、日本独特の特異なものらしい」と知ったのである。 
 その後、10年くらい前にテーラワーダ仏教を知って、最も古いお経の集成である『阿含経典』を基盤とするお釈迦様の教えを学ぶようになった。
 そのとき、田上の書いていたことが正確であったことを改めて知った。
 つまり、ソルティにとって信用のおける仏教研究者の一人である。
 そこで、田上の描いた道元を手掛かりとすることにした。

 まず、ソルティの持っていた道元のイメージであるが、「坐禅を極めた人」、「永平寺に見られるように規律に厳しいストイックな人」、「庶民派の親鸞とは真逆で、ブルジョアの人(実際に大臣家の生まれである)」、「映画『ZEN 禅』で道元を演じた中村勘太郎のような清僧」といったところであった。
 本書を読んで、イメージ崩壊というほどのものではないものの、ずいぶん想像していた人物とは違っていた。

 田上は、道元の教えの概要を語るのに、各章を「〇〇への信仰」と題し、道元が信仰していたものを順に並べあげ、『正法眼蔵』を中心とする道元の著作の記述をもとに各テーマについて考察し、解説している。
 坐禅への信仰、礼拝への信仰、滅罪の信仰、本願の信仰、宿善の信仰、出家至上の信仰、輪廻業報の信仰・・・・・というように。
 これらの信仰を持っていた一人の修行者にして導師――としての道元の姿が浮かび上がる構成になっている。
 いわば多角的に見た道元像である。
 「まえがき」でこう述べている。

 いままでの道元観は正面から見たものであったと思う。譬えていえば玄関から道元を訪問して、座敷で面会したといえよう。だが筆者は勝手口から訪ね、居間に邪魔して道元に面会し、本音を聞き出そうとつとめた。


 まず、最初の「坐禅への信仰」については、

 インドからわが国に伝わったのは坐仏が伝わったのであり、これこそ大事な要であり、あるいは命脈であると道元は力説する。坐禅のあるところには必ず仏法があり、仏法があるところには必ず坐禅があり、仏祖から仏祖へと受け継がれたのはただ一つ坐禅の宗旨であると断言した。

 ソルティのイメージ通りの道元であり、「坐禅によって何が得られるのか、何を悟るのか」は置いといて、目新しいことはない。
 が、袈裟や経典や嗣書(師から弟子への仏法の系譜の記録)などに対する礼拝への信仰や、5つの滅罪方法(洗浄、懺悔、袈裟功徳、帰依、霊場巡礼)に対する信仰などは、読んでいて形式的・迷信的という印象しかなく、「やっぱり道元も時代の制約からは逃れられなかったのか」と思わざるを得ない。
 しかも、これらの信仰こそが正伝、すなわち本来の正しい仏法であると明言するに至っては・・・・。

 袈裟を頂戴する作法こそ、礼拝の最高の作法である。道元は仏祖から正伝した仏法の一つに袈裟を挙げた。したがって袈裟に対する礼拝をきびしく弟子たちに教えた。

 (道元は)袈裟をつけないで解脱した人はいないと断言している。たとえ戯れて笑いながら、あるいは御利益があろうと思いながら袈裟を肩に掛けたとしても、かならず悟りを得る因縁となるという。

袈裟来た少女


 また、本願の信仰について、田上はこう指摘する。

 親鸞と道元のそれぞれの本願力信仰の違いは、本尊を阿弥陀仏にするか、釈迦牟尼仏にするかの違いであって、本質的には同じではないかと思う。ただ一つ相違点をあえて挙げると、すがろうとする私が自分自身を愚夫と自覚するか(ソルティ注:親鸞)、宿善根に導かれていると自覚するか(同:道元)の違いであろう。

 坐禅をほかにして仏道はない。坐禅すれば立ち所に仏道が成就するという信仰は、坐禅が釈尊の大本願力に助けられて行われるという信仰に裏付けられていると考えられる。


 ソルティは、道元(曹洞宗)の坐禅は、悟りを感得するための自力による修行だとばかり思っていた。
 別に他力が悪いとか、他力は自力に劣るとかまったく思っていないけれど、勘違いしていたらしい。

 本書を読んで、ソルティの道元像に幅がもたらされた。
 思ったよりも親鸞に近い。
 つまり、「信仰の人」という気がした。
 一方、本書を読んでも、残念ながら、坐禅によって道元の至った境地がわからなかった。
 そこは「不立文字」とするしかないのか。
 「不思量底を思量せよ」とか言われても何のことやら・・・・。

 道元もまた、空海や高丘親王日蓮ら我が国の錚々たる名僧たち同様、真の仏法のなんたるかを終生求め続けたと思われる。
 中国から伝えられたおびただしい数の大乗経典のうち、どれがお釈迦様の教えの核なのか、どうすれば悟りに近づけるのか、あるいは極楽往生できるのか、迷いあぐねたに違いない。
 『西遊記』の三蔵法師に象徴されるように、真の仏法を求める求道者たちの熱望と苦心惨憺たるさまは、ネット時代の我々の想像の及ぶところではない。

 『阿含経典』では、「諸行無常」、「諸法無我」、「一切行苦」という明らかなる真理(=仏法)が明示されている。「不立文字」と言う前に、語られるべき、語ることのできる真理はあると思う。
 また、「修証一如」や「不思量云々」に飛躍する前に、四諦や八正道や瞑想法などの方法論がお釈迦様によって懇切丁寧に説かれている。
 少なくとも本書を読む限りにおいては、これらのお釈迦様本来の教え(=仏法)が触れられていない。
 あたかも、道元は、「袈裟を着て坐禅したら釈迦牟尼仏の助けで自動的に涅槃へ至る」いわば“ワープ解脱”を期待していたかに見える。(それをこそ「本覚思想」というのだろうか?)

 道元の頭のなかは、本当はどれが正しい仏法であり、修行の作法であるかを見極めることに困惑したものと推察される。正伝の正法と力説するあまりに、その「正しい」と選択する基準をなにに求めればよいか、かれ自身、最後までわからなかったのではないか。

 たとえ、釈迦本来の教え(=正法)にぴったり適合しないものであったとしても、道元の教えが素晴らしければ、そして悟る機縁をもたらすのであれば、それはそれで問題ないと思う。
 ただ、『阿含経典』をもっとも古い、仏説に近いお経として知って学ぶことのできる現代日本人は、なんと幸せなのだろうか。

 別の書き手による、「勝手口」からではない「玄関」からの道元像にもあたってみよう。
 

道元
中村勘太郎にはまったく似ず



おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第20回(お礼参り)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】


霊山参り(大窪寺前の茶店)
88番大窪寺前に並ぶ店
熱いコーヒーで結願を静かに祝い、一路徳島へ


霊山参り(さらば女体山)
女体山よ、さらば


霊山参り(トラックの絵)
トラックのデコレも遍路デザイン


霊山参り(徳島県入り)
香川県から徳島県へ(県道377号)


【徳島県】


霊山参り(山の中の道)
山また山の道が続く


霊山参り(畑の中の立木)


霊山参り(地蔵の集会)


霊山参り(犬墓大師)
犬墓大師

霊山参り(犬墓大師2)
犬を友として山野を行脚する空海
微笑ましい光景だ


霊山参り(キャベツ畑)
さっきから、なんてことない景色がこの上なく美しく感じられるのはなぜ?


霊山参り(徳島自動車道)
徳島自動車道の支柱
これまた美しい

霊山参り(コスモスと学校)
阿波市立市場中学校


霊山参り(この店はいつか見た店)
この店はいつか見た店
ああそうだよ。10番に行く途中の店だよ


霊山参り(8~9番への道)
8番から9番へ行く道に立つ鳥居
なぜこんなところに?と不思議に思ったものだ


霊山参り(7番山門)
7番十楽寺山門
前回はもみじがあったことに気づかなかった



7番札所: 光明山 十楽寺 (こうみょうざん じゅうらくじ)

7番
 おへんろは 苦しきものと 言ふけれど
 十に八つは 楽と思へり

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 人間の 八苦を早く 離れなば 至らん方は 九品十楽
コメント: これでやっと御朱印完成。7番をもらい忘れたのは、ある人にもう一度会うためでは?と思っていた相手に再会した。
振り返ってみれば、おへんろは歩いている最中はしんどいこともあったけれど、なにもしないで物見遊山することが歓迎される不思議な空間だった。ある程度のお金と時間と健康が揃って可能となる最高の贅沢である。俗世間のほうがよっぽど苦が多い。だから、人は「お四国病」になるのだ。

霊山参り(7番境内)
十楽寺境内
あの休憩所で一息ついたのが、御朱印をもらい忘れた原因だった


霊山参り(真念道しるべ)
第6番善楽寺近くの真念しるべ石
はじめてのお接待は豆パンだった(追憶しきり)


霊山参り(6番の多宝塔)
第6番善楽寺の多宝塔
紅葉するとこうも景色が変わるか


霊山参り(5~6番の道中)
功徳を積んでいるカフェ
このあたりは、別格1番を経由したゆえに通らなかった道


霊山参り(3番山門)
3番金泉寺
井戸に顔を探したっけ

霊山参り(2番山門)
2番極楽寺
ここで般若心経を読むのを止めたっけ


霊山参り(1番山門)
1番霊山寺



1番札所:竺和山 霊山寺(じくわさん りょうぜんじ)

1番
 霊山で 買いし大師の 杖のたけ
 減った分だけ 落ちよ煩悩

御本尊: 釈迦如来
本歌 : 霊山の 釈迦の御前にめぐり来て よろずの罪も 消え失せにけり
コメント: 2度目の御朱印を受ける。ここで2ヶ月前に購入した金剛杖。どれだけすり減ったかを真新しい杖と比べてみた。なんとまあ酷使したことか。三本目の足として頼っただけでなく、蜘蛛の巣をはらったり、邪魔な草や枝をなぎ倒したり、手拭いを干すのに使ったり、本当に世話になった。せめて減った分だけでも煩悩が落ちたのならよいのだが。


霊山寺境内
霊山寺境内


霊山寺境内(杖の長さくらべ)
たけくらべ


池谷駅
歩き遍路の出発地点についに戻ってきた(JR高徳線・池谷駅)


吉野川
吉野川を渡る


徳島駅2
徳島駅


旅館大鶴
四国最後の宿は大鶴旅館
親切で話好きの女将がいるきれいな宿だった
出がけにおむすびの接待もいただいた(これがまた旨い!)
また泊まりたい宿である


さらば四国
さらば、四国



【和歌山県】


真言宗総本山: 高野山 金剛峯寺(こんごうぶじ)

高野山1

 結願を 奥の院にて 報告す 
 こんごうぶじ(今後を無事)に 送れますよう


ご本尊: 薬師如来(弘法大師) 
本歌 : ありがたや 高野の山の 岩かげに 大師はいまだ おはしますなる

コメント: 徳島からフェリーで和歌山へ。南海電鉄で橋本駅へ。そこから代行バスで高野山に向かった。(ケーブルカーは修理中だった)
金剛杖を奉納したかったが、奥の院にいた若い僧に「杖は奉納するものではありません」と断られた。家まで持って帰ることにした。(今も部屋の鴨居にかけ渡してある)
バスの中で会った男の話が興味深かった。



高野山2
真言密教の象徴、根本大塔


高野山1
奥の院にまします弘法大師


金剛峰寺ご朱印

奥の院御朱印

 
【京都】

真言宗総本山: 東寺(とうじ) 

東寺
 身は高野 心は東寺 しかれども
 霊(たま)は四国を 巡リたまへり


ご本尊: 薬師如来(弘法大師)
本歌 : 身は高野 心は東寺に納めおく 大師の誓い あらたなりけり

コメント: 高野山にも東寺にも弘法大師の魂はいない。母の地ふるさと四国にいて、庶民や遍路を見守っておられる。これが四国遍路を体験した人の偽らざる実感であろう。


京都東寺3
東寺はJR京都駅八条口から歩いて15分


京都東寺2
国宝の大師堂(御影堂)は修復工事中だった
仮のお堂に上がって最後の読経を上げた
現在はもう工事は完了し観覧・参拝できるようだ


京都東寺1
もみじはこの世の曼荼羅か


四国の白地図第19回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  







   


● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第19回(第86~88番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】
 

志度の海
おだやかな志度の海、カキの養殖が盛ん
道の駅で食べたハマチ漬丼がうまかった

平賀源内1
平賀源内の生家
中は資料館や薬草園になっている
少し離れた場所に記念館もある


平賀源内2
平賀源内
こんな男、なかなかいない



 86番札所: 補陀洛山 志度寺 (ふだらくざん しどじ)

86番
 エレキテル 土用のうなぎ ふしどには
 陰間はべらす 異才の男

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : いざさらば 今宵は ここに 志度の寺 いのりの声を 耳にふれつつ
コメント: 当地は江戸時代の万能の天才・平賀源内の生まれ故郷。生家は資料館になっている。源内は、発明家(エレキテル、土用のうなぎ等)であり、博物学者であり、文筆家であり、医者であり、男色家であり、人殺しであった。志度寺の境内に参り墓がある。(実際に葬られている墓は東京都台東区橋場にある)
【次の札所まで7.0㌔】


志度寺山門
山門


志度寺境内
境内は樹木に覆われ、ちょっとした迷路のよう


志度寺大師堂
大師堂


87への道(源内焼)
源内焼とは源内の指導によって当地で製作された三彩の陶磁器
こちらはもちろんお菓子である。黄身アンを包んだ焼き饅頭。



87への道(カラスのたかる家)
畑中の家にカラスがしきりにたかり騒いでいた
何かあったのだろうか?


87への道(マンホール)
長尾寺への道で見かけたマンホール



87番札所: 補陀洛山 長尾寺 (ふだらくざん ながおじ)

87番
 讃岐なる 長尾の里の 道におわす
 姫のいわれを だれか知るらん

御本尊: 聖観世音菩薩
本歌 : あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら み名をとなえよ
コメント: この札所は、源義経の愛妾であった静御前が出家したところなのだが、それよりも付近のマンホールに刻まれていた「かぐや姫のふる里長尾」というのが気になった。納経所の人に聞いてもいわれを知らなかった。『竹取物語』にはたしかに讃岐造(さぬきのみやつこ)と呼ばれる翁が登場する。そして長尾は竹細工で有名な地区だそうである。
【次の札所まで33.9㌔】
 

長尾寺境内
広々とした境内


88への道(道標)
ついにこの道しるべが現れた!


88への道(前山ダム2)
前山ダム
このあたりも池が多い


88への道(おへんろ交流サロン1)
前山おへんろ交流サロン
結願間近の遍路たちが休息し、遍路について学び、交流するところ
「遍路大使任命書」や記念バッジ、札所を映したDVDなどをいただいた
ここで83番一宮寺に行く途中で会った韓国人チュウさんと再会



88への道(おへんろ交流サロン2)
館内には、四国霊場のジオラマ、江戸時代の紀行本や古地図、
古い納め札や納経帳、曼荼羅掛け軸など、豊富な資料がある


88への道(韓国の男)
チュウさんは最後の難関、女体山(774m)を超えるルートを行く
さよなら、チュウさん。そして、ありがとう!


88への道(大窪寺との分岐)
女体山を迂回して88番へ行く道との分岐
別格打ちは真っすぐ進む


別格20への道(末広商店分岐)
香川県三木市と徳島県美馬市の境界
別格20番は二県の境界上にある


別格20への道(落合橋)
塩江温泉郷(香川県高松市)の落合橋
橋の向こうに見える立派なホテルは一年前(2017)に倒産


別格20への道(赤松旅館)
昔懐かしい風情の赤松旅館に宿をとった


別格20への道(赤松旅館2)
食堂もやっていて、自家製チャーシューを使ったチャー丼は絶品の味
とても仲の良いご夫婦で経営、二人とも良い人だったな


別格20への道(朝霧)
早朝の内場ダム付近
視界がきくのは3メートル先まで


別格20への道(六甲天満原林道1)
山道(六甲天満原林道)に入ったら霧が晴れてきた


別格20への道(六甲天満原林道2)
頂上の大瀧寺まで、なだらかな傾斜の舗装路が続くので
疲れることはない。が、山の上は結構寒かった。
思えば、もう11月も終わり。


別格20への道(西照神社)
西照神社
神仏分離前は大瀧寺と一体だった。
主祭神は月夜見大神(ツキヨミノミコト)、アマテラスの弟である。



別格20番札所: 福大山 大瀧寺(ふくだいさん おおたきじ)

20番
 塩の江の 霧の戒壇 めぐる朝
 お大師さまに おおたき(逢ふた気)がする
 

ご本尊: 西照大権現
本歌 : 霊峰の 岩間にひらく 法の道 厄をながして 衆生ぞすくわる
コメント: 標高910mは66番雲辺寺につぐ高さ。麓の塩江温泉に宿をとり、往復に一日かけた。早朝の内場ダム付近はまさに五里霧中で数メートル先も見えず。なのに不思議と怖くなかった。参拝を済ませた午後、登って来た山道を下ってゆくと、唖然とするほど見事な景色が目の前に広がった。このルートを勧めてくれた地元の方に感謝。
【次の札所まで18.5㌔】


別格20番大瀧寺境内
別格20札所を打ち、結願す
(西照神社ともに住所は徳島県美馬市)


別格20番大瀧寺下山道1
下山は景色を楽しみながらゆっくり気ままに
おかげで腸もルース


別格20番大瀧寺下山道2
途中にあるお墓の観音様


別格20番大瀧寺下山道3


別格20番大瀧寺下山道4
麓まで下りた所で出会った見事な景観!
内場川を堰き止めてできた内場湖


別格20番大瀧寺下山道5



別格20番大瀧寺内場ダム
内場ダム


別格20番大瀧寺内場ダム3


別格20番大瀧寺内場ダム2
今朝はこの美しく雄大な景色が周囲に広がっているのを
まったく知らずに歩いていた。
なんだか自分の人生を象徴するような・・・・・


塩江温泉郷
塩江温泉郷に帰還



塩江温泉(香東川)
香東川
塩江温泉は行基が開いたと言われる


別格20への道(赤松旅館3)
ただいま、赤松旅館
向かいのショッピングセンター「はすい」で買い物したら
店番のおばあちゃんのツヤツヤ肌にビックリ
塩江温泉は美容に良いらしい


88への道(別格帰り1)
翌朝午前6時に宿を発った
来た道を戻る。寒い。

88への道(別格帰り2)
88番大窪寺への分岐にある「多和産直 結願の郷」
  2012年3月閉校となった多和小学校の跡地を利用した施設


88への道(別格帰り3)
これが最後の遍路小屋
ゆっくりお茶を飲み、トイレも済ます


88への道(別格帰り5)
最後の道しるべ
あとは林の中の一本道


88への道(別格帰り4)
前方に女体山が見えてきた


88番大窪寺参道


88番大窪寺山門



88番札所: 医王山 大窪寺(いおうざん おおくぼじ)

88番
 はじまりは へんろ仲間も おおくぼじ
 終わりて今は 同行二人

御本尊: 薬師如来
本歌 : なむ薬師 諸病なかれと願いつつ 詣れる人は 大窪の寺
コメント: 朝暗いうちに塩江温泉を出発。外気温は1度だった。思えば、春夏秋冬すべての気候を体験するような遍路だった。はじめの頃たくさんいた遍路仲間も、高知・愛媛と進むごとに少なくなって、香川では一日に数名しか見なかった。最後はお大師様と同行二人。本堂の後ろの女体山がやさしく迎えてくれた。
【第7番札所まで26.5㌔】


88番大窪寺本堂
本堂
読経時はさすがに声が震えた


88番大窪寺境内
静かで落ち着いた境内


大窪寺境内2
境内を守る女体山


88番大窪寺山門2
結願は2018年11月30日(土)朝10時
1番を打ったのが9月27日(木)朝10時



四国の白地図第19回


CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  




次回最終回
ご朱印をもらい忘れた第7番参拝のあと、
第1番、高野山、東寺にお礼参りします




   



● TWO RIGHT HAND 両方右手

 出先の街の本屋に、木の立体パズルのコーナーがあった。
 スカイツリーやエッフェル塔、恐竜や動物、飛行船や機関車やクラシックカーなど、いろいろな種類が並んでいる。
 コロナでおウチ時間が長くなった影響の一つであろう。
 結構売れているらしい。


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 手先の不器用なソルティはジグゾーパズル派(平面派)なのだが、よくある精巧模型ほどに難しそうでもないし、なにより接着材やカッターを使わずに組み立てられるというのが良い。
 展示されている模型の木の風合いも素敵だ。
 一つチャレンジしてみようかと棚を見回していたら、五重塔があった。
 仏教愛がほとばしった。


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 275ピースで、完成サイズは160×160×320ミリ、対象年齢12歳以上。
 これなら TWO RIGHT HAND(両方右手)のソルティでもなんとか作れるかもしれない。
 ( TWO LEFT FOOT 「両方左足」は不器用という意の英語表現。なので、TWO LEFT HAND と洒落るところだが、ソルティは左利きなので「両方右手」となる)

 家に帰って箱を開けたら、部品が並んだ木のボード10枚と簡単な説明書が入っていた。
 静かな秋の夜、ワイン片手にじっくり作ってみようかな。


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70番本山寺五重塔
四国遍路第70番札所・本山寺の五重塔






● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第18回(第81~85番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】


81への道
左の山が81番のある白峰、右の山が82番のある青峰
真ん中にあるお城はホテルプリンセス(桃峰)


81への道(白い岩壁)
登山道脇の凝灰角礫岩(ぎょうかい・かくれきがん)の露頭
白峯の名の由来は「山深く雪がなかなか消えないから」
と言われるのだが、むしろこの岩盤の色ゆえではなかろうか



81番札所: 綾松山 白峯寺 (りょうしょうざん しろみねじ)

81番
 足音を 忍ばせ歩け 白峯の
 悲王の眠り さまたげぬよう

御本尊: 千手観世音菩薩
本歌 : 霜さむく 露白妙の 寺のうち 御名を称ふる 法のこえごえ
コメント: 白峯寺の奥まったところに崇徳上皇の陵墓はあった。ここではなぜか物音を立てるのを控えてしまう。山の紅葉の賑わいをよそに、静かに眠られているような印象をもった。京の都とは反対の方角(南西)を向いているのだが、これは祀った者の意地悪ではなくて、外敵から京を守護してもらう意図からではなかろうか? 
ここに立つと「魔王」という称号より「悲王」がふさわしい気がした。
【次の札所まで5.0㌔】


白峰寺山門
山門


白峰寺阿弥陀堂
阿弥陀堂


白峰寺霊廟への道
目立たない小径の先に・・・・・


崇徳上皇霊廟
白峯御陵
配流から9年、享年46歳


五色台子どもおもてなし処
82番へ行く途中にある五色台子どもおもてなし処
宿泊できるログハウスがある



82番札所: 青峰山 根香寺 (あおみねさん ねごろじ)

82番
 闇に棲む 鬼もお化けも 恥じ入れよ
 五色輝く ねごろ(見頃)の紅葉

御本尊: 千手観音菩薩
本歌 : 宵の間の 妙ふる霜の きえぬれば あとこそ鐘の 勧行の声
コメント: 81、82番がある五色台は香川有数の紅葉の名所。京都の名刹とくらべても遜色ない。もっとも美しかった札所として記憶に残っている。が、実はここは四国の心霊スポットとしても名高い。その昔人間を食べる恐ろしい怪獣・牛鬼が棲んでいたという伝説もある。
【次の札所まで4.6㌔】


根来寺本堂
本堂


根来寺鐘楼
鐘楼


根来寺紅葉
このタイミングでこの札所に来られるとは!


別格19への道
別格19番へ向かう下山路



別格19番札所: 宝幢山 香西寺(ほうどうざん こうざいじ)
 
19番
 こうざい(功罪)に よりてその名は 変われども
 延命するは 菩薩の功徳

ご本尊: 延命地蔵菩薩
本歌 : 南無大悲 延命地蔵 大菩薩 みちびきたまへ この世のちの世
コメント: 82番からこの寺に下る道はところどころ海が見えて気持ちいいのだが、道標が少なく、何度か迷って土地の人に尋ねた。この寺は、739年に行基が創建して以来、勝賀寺→香西寺→地福寺→高福寺→香西寺と支配者が変わるたび名前を変えられている。俗世の荒波をかいくぐってきたのだ。
【次の札所まで9.2㌔】


別格19香西寺山門
山門


別格19香西寺境内
境内


別格19香西寺納経所
納経所


飯田お遍路休憩所(鬼無駅近く)
JR予讃線・鬼無駅近くの飯田お遍路休憩所


飯田お遍路休憩所2(鬼無駅近く)
立派で贅沢なしつらいであった(なんと日本庭園もある)
ここで韓国人チュウさん(48)と出会い、83番まで同行。
スポーツ用品の会社で働いていて、休暇を利用して来たという。
英語と日本語とスマホのチャンポン会話を楽しんだ。



83番札所: 神毫山 一宮寺 (しんごうざん いちのみやじ)

83番
 別れても 姓を変えない 妻のごと
 思いのたけは いちのみやかな

御本尊: 聖観世音菩薩
本歌 : さぬき一 宮の御前に 仰ぎきて 神の心を 誰かしらいふ
コメント: 神仏習合時代は、隣りにある讃岐一宮・田村神社の別当寺であった。1679年に時の高松藩主・松平頼常によって田村神社が両部神道から唯一神道に改められたため、神社と分離された。つまり、明治初期の神仏分離より200年も早く、神仏の分離が行われたのだ。にもかかわらず、名前だけずっと昔の由来のままに残っているのが面白い。
【次の札所まで13.6㌔】


一宮寺山門
山門


一宮寺境内
境内


田村神社大鳥居
讃岐一宮・田村神社
社伝によれば、和銅2年(709年)行基によって創建された


田村神社神殿
本殿
「もう七五三だったのか!」と驚いた瞬間(11/26に参拝)
遍路中の時間感覚は特異である


田村神社赤鳥居が並ぶ
四国一宮めぐりもこれでオーラス


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高松カプセルホテル
高松ではカプセルホテルを利用
へんろ割引(3300円→1800円!)があった
ここで靴下供養をした


84への道2
84番への道(国道11号)
高松琴平電鉄志度線が走る向こうに屋島山が見える



84番札所: 南面山 屋島寺 (なんめんざん やしまじ)

84番
 やしまじに(休まずに) 登り着きたる 境内に
 不動の守護者 いし固くして

御本尊: 十一面千手観音菩薩
本歌 : あづさ弓 屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて 勇むもののふ
コメント:揺れる舟の上から扇の的を射抜いた那須与一の話など、源平の合戦で有名な地。屋島寺(284ⅿ)と85番八栗寺(230ⅿ)は、向かい合った山上にあって、壇ノ浦を挟む。つまり、この日は登って下りてまた登るの難路。ここまで来ると、登山のきつさは標高よりも傾斜の問題と身をもって分かってくる。札所最高峰(927m)の66番雲辺寺より、よっぽどきつかった。
【次の札所まで5.4㌔】


屋島寺本堂
本堂
開基はあの唐の名僧・鑑真和上という


屋島寺大師堂
大師堂


屋島寺狸稲荷
四国たぬきの総大将・太三郎狸を祀る蓑山大明神
太三郎は高畑勲監督の映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)に登場する。
弘法大師が四国から狐を追い払ったので、狸の天下になったという言い伝えがある。


屋島寺不動明王
この石の不動明王像、妙に惹かれるものがあった


屋島寺境内
境内を後にする


壇の浦
壇ノ浦
実を言うと、平氏が滅亡した関門海峡の壇ノ浦しか知らなかった。
当地のほうは一般に「屋島の戦い」と呼ばれるようだ。
ここから壇ノ浦のふちを抜けて、向かいの五剣山に登る


85への道(道標)



85への道(須崎寺1)
洲崎寺の庭園
苔と石とで屋島の戦い(地形)を表現している


85への道(須崎寺2)




85への道(真念の墓)
ここに参らでおくものか
四国遍路の父・真念上人のお墓


85への道(真念の墓2)
結願が見えた地点に登場するのが粋である


85への道(五剣山)
八栗寺のある五剣山が迫ってくる
このあたり(牟礼)は良質の石の産地である



85番札所: 五剣山 八栗寺 (ごけんざん やくりじ)

85番
 八里九里 日々を重ねて 三百里
 四剣の山を ごけんざん(見参)する

御本尊: 聖観世音菩薩 
本歌 : 煩悩を 胸の智火にて八栗をば 修行者ならで 誰か知るべき
コメント:本道の背後に屏風のようにそびえる4つの峰がダイナミック。かつては5つあり五剣山と呼ばれたのだが、宝永3年(1706)の大地震で一つ崩れたとのこと。ここには聖天様も祀られている。聖天信仰は弘法大師が唐より持ち帰ったと言われている。
【次の札所まで6.5㌔】


八栗寺境内
境内


八栗寺聖天様
歓喜天のお堂
歓喜天(聖天様)はインドのガネーシャ(象の神様)が起源
大日如来の化身とされ、密教では重要な神様である。


八栗寺四剣山
間近に仰ぎ見る四剣山は迫力満点!
長野の戸隠神社の天岩戸の扉を想起した。




四国の白地図第18回


CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告
・・・・・結願です。



   



● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第17回(第76~80番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】


いやだに寺から宿に帰る列車
JR予讃線からのぞむ瀬戸内海
(前日歩き終えたところまで移動中)



76番札所: 鶏足山 金倉寺 (けいそくざん こんぞうじ)

76番
 金の倉 銀の倉より 貴きは
 困れる者への 陰なる配慮

御本尊: 薬師如来
本歌 : まことにも 神仏僧をひらくれば 真言加持の 不思議なりけり
コメント: 弘法大師の姪の子供で天台宗の僧となった智証大師(円珍)誕生の地――という謂れよりも印象に刻まれたのは、境内にある野宿遍路のための宿泊設備の整った休憩所、および納経所に掲示してあった「遍路に行ったまま帰ってこない夫」に呼びかける神奈川在住の妻の手紙だった。一体なにがあったのか?
【次の札所まで7.0㌔】

76番金倉寺境内
境内


76番金倉寺智証大師像
智証大師円珍
延暦寺第5代座主となった。真言宗でなく天台宗を選んだ理由が気になる。


76番金倉寺(へんろ小屋)
至れり尽くせりの遍路小屋


76番金倉寺(夫への手紙)
今はもう恵子さんのもとに戻っているだろうか?


76番金倉寺境内2
参道


多度津駅
多度津駅
JR予讃線とJR土讃線が乗り入れる
この駅のコインローカーには世話になった
重いリュックを預け、身軽に歩くは遍路の知恵


海岸寺への道1
多度津港
多度津駅より海沿いの道を西へ向かう


海岸寺への道2(仏母院)
仏母院
弘法大師の母・玉依御前(たまよりごぜん)の屋敷跡に建てられた


海岸寺への道2(えな塚)
胞衣(えな)塚
大師の胞衣とへその緒が納められている


海岸寺への道(田園風景)
仏母院周辺の風景


海岸寺への道(河口)
海岸寺はその名の通り海を背にしている



別格18番札所:経納山 海岸寺 (のうきょうざん かいがんじ)

18番
 かいがん(開眼)し 最初に見るは 母の顔
 聖人もまた 人の子なれば

ご本尊: 正観音 弘法大師誕生佛
本歌 : せとのきし まなこやひらく かいがんじ よろこびみちぬ 身も心にも
コメント: 札所奥の院に弘法大師の産屋があったとされる。75番善通寺(佐伯家屋敷跡地)との間で、どっちが大師生誕の地なのかに関する長い間の論争があり、いまだ決着を見ていないようだ。近くには、大師の母親・玉依御前の実家があったらしく、そこはいま仏母院という寺になっている。また、大師の胞衣(えな)を埋めたとされる御胞衣塚もある。つまり、父の家で生まれたのか、それとも母の里なのかということだ。穏やかな海を臨む平和な里山の風景は聖人誕生の地にふさわしいとソルティは思ったが、真実はいかに。
仁王門に当地出身の二人の力士像が立っているのにはたまげた。
【次の札所まで2.9㌔】

海岸寺山門
山門
仁王像の代わりに郷土出身の力士が立つ
左:大豪久照 右:琴ヶ濱貞雄


開眼寺力士2海岸寺力士1















海岸寺本堂
本堂


海岸寺大師堂
大師堂は本堂から離れた静かな奥の院にある


多度津駅跨線橋より
多度津駅の跨線橋より善通寺方面を望む
讃岐は小山と畑とため池の国



77番札所: 桑多山 道隆寺 (そうたざん どうりゅうじ)

77番
 道隆の 名に関白を 思いしが
 藤にはあらで 桑のわけあり

御本尊: 薬師如来
本歌 : ねがいをば 仏道隆にいりはてて 菩提の月を 見まくほしさに
コメント: 藤原道長の兄にして中宮定子の父である関白・道隆のいわれでもあるお寺かと思ったら、そうではなかった。この地の豪族だった和気道隆(わけのみちたか)が、光る桑の大木から薬師如来を彫像したという縁起がある。
【次の札所まで7.2㌔】


道隆寺山門
山門


道隆寺境内
境内


道隆寺衛門三郎
ここにも衛門のサブちゃんが!
(かなり造りが雑)


道隆寺納経所飾り
納経所に飾られていた手作り小物に癒される


丸亀城
丸亀城(蓬莱城)
室町時代初期に細川頼之の重臣・奈良元安が築城す


78への道(川と山)
土器川と讃岐富士の異名をもつ飯野山(422m)



78番札所: 仏光山 郷照寺 (ぶっこうざん ごうしょうじ)

78番
 大師堂 ごう天井に 咲く花に
 がっしょう(合掌)一遍 厄も吹き飛ぶ

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 踊り跳ね 念仏申す 道場寺 拍子をそろえ 鉦をうつなり
コメント: 四国霊場唯一の時宗(開祖:一遍)のお寺。時宗と真言宗の2つの宗派が共存しているという。かたや踊り念仏の浄土易行、かたや真言三密、ほとんど真逆じゃないか。一体どうやって折り合いをつけているのだろう?――と不思議に思うが、本命は厄除け・厄払いにあるらしい。
大師堂入口の格天井(ごうてんじょう)の花の彫刻が美しかった。
【次の札所まで5.9㌔】


郷照寺本堂
本堂
へんろより一般参拝者(とくに夫婦)が多かった


郷照寺格天井
大師堂の格天井


郷照寺境内からの風景
境内から眺める宇多津のまち
瀬戸大橋のたもとにある


79への道(坂出の商店街)
四国を回っていて、このような光景をいくつ見たことか!


79への道(やそばの水)
八十場(やそば)の泉


79への道(やそばの水2)
八十場名物・ところてん
残念、定休日だった



79番札所: 金華山 天皇寺 (きんかざん てんのうじ)

79番
 世を呪い 魔王となりし 天皇の
 怒り冷やせよ 八十場(やそば)の泉

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : 十楽の うき世の中をたづぬべし 天皇さえも さすらいぞする
コメント: 保元の乱に敗れ、讃岐に流された崇徳天皇崩御の地。腐敗防止のため、その遺体は八十場(やそば)の水に数日間漬けられたと言う。その清水を使ったところてんの名店が池の傍らにあった。
崇徳天皇は日本三大怨霊の一人として恐れられているが、道中出会った地元の人の話から察するに当地ではまた違った印象で遇されているようだ。別バージョン⇒「世を呪い 魔王となりし 天皇よ 怒りなくせば ところてんなり」
【次の札所まで6.6㌔】


79への道(白峯宮)
崇徳天皇を祀る白峯宮
お墓は81番白峯寺にある


天皇寺本堂
同じ境内にある天皇寺本堂


白峯宮鳥居



80への道(カタツムリの富士登山)
へんろ道にあるお店の看板
ふと大事なことを気づかせてくれる



80番札所: 白牛山 国分寺 (はくぎゅうざん こくぶんじ)

80番
 八十(やっと)来た! ここが最後の国分寺
 たかまつ生ふる 参道をゆく

御本尊: 千手観世音菩薩
本歌 : 国を分け 野山をしのぎ 寺々に まいれる人を 助けましませ
コメント: 四国各県に一つずつある国分寺。香川県は高松市内にある。
“国分寺”のある場所はかつて最も賑わいだ界隈だったはず。が、今やどこも中心地から離れた寂しい場所となっている。東京の国分寺跡(武蔵国分寺)も閑静な住宅地となっている。
【次の札所まで6.5㌔】


国分寺山門
山門


国分寺参道
松が立ち並ぶ参道


国分寺本堂
本堂


国分寺大師堂
大師堂と納経所は一緒
中はお守りやお数珠などが売られ、昔の駄菓子屋のような印象
80番を打って、気持ち的に秒読みに入った



四国の白地図第17回


CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告
崇徳天皇御陵&紅葉の景勝、五色台に参ります





   

● 言いも言ったり! 本:『お寺の収支報告書』(橋本英樹著)

2014年祥伝社

 「歯にきぬ着せぬ」という表現がこれほどピッタリな人も珍しい。
 既存の(伝統的な)お寺制度の問題点や弊害を、何ら忖度なしに赤裸々に暴き出し、鋭く批判している。
 現役の住職だからこそできる内幕暴露の数々に、「ここまで言っちゃって大丈夫? 本山(永平寺)からお咎めない?」と心配になるほどである。
 が、返す刀をおのれに向けることも怠らず、自身の寺の内情も包み隠さず晒け出している。
 タイトルどおり、自院(曹洞宗見性院)の収支報告書、財産目録を紙面に上げ、使途不明金や不正収入の無きことを証明する。
 お坊さんだからというわけでないが、「ブッダに握拳なし」だ。


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 現状把握と分析、問題意識の高さ、世相の読み、理論武装もしっかりしている。
 こんなお坊さんの法話を目の前で聞いたら、説得されてしまいそう。
 たいした論客ぶりである。

 さらに、行動力もある。
 お寺の抱える問題点を分析し、その根っこが江戸時代から続く旧態依然たる寺檀制度にあると認識するや、自らの寺の檀家制度を廃止してしまう。
 なかなかできることではない。
 さらに、葬式をお寺の本堂で執り行い、石材業者と直接取引して中間マージンをなくし墓石代を安くし、宗派にこだわらず受け入れる墓地をつくり・・・・・、次々と新基軸を打ち出す。
 使命感あふれる革命家であり、先見の明ある起業家であり、数字に明るい事業家でもある。

 こんな人がお坊さんしているなんてもったいない。
 ぜひ政治の場で活躍してほしい。地元の熊谷市とは言わず県政あるいは国政の場で――とつい思ってしまうが、いやいや、こんな人こそ今の日本の仏教界には必要なのであろう。
 橋本英樹は1965年埼玉県生れの曹洞宗僧侶。

 葬式仏教の問題点、差別的な戒名制度(被差別部落の故人につけられた「差別戒名」とはまた違う)、墓地や墓石の販売の不透明性、お寺が拝観料を取ることの是非、寺檀制度の弊害、不合理な本末制度、お寺非課税の意味・・・・・。
 既存の制度がもたらす既得権の上にあぐらをかいてきたお寺の腐敗の実態や、お寺離れが急速に進む現在、生き残りをかけてえげつなさをさらに増しているお寺のケツまくりぶりが明かされる。
 たとえば、離檀料。
 こんなものがあるなんて知らなかった。
 檀家をやめる際、つまりお寺にある先祖代々のお墓をよそに移す際に、お寺から請求されるお金(名目はお布施ということになっている)のことである。
 これでは信教の自由もへったくれもない。
 檀家をやめたり、よそに墓を移すことを妨げることから、人質ならぬ「墓質」という言葉もあるそうだ。
 
 橋本の「言いも言ったり」な発言の一部をお目にかけよう。

 宗教にせよ、教職にせよ、行政にせよ、その内情を知らない外部の人からみれば、浮世離れした世界です。知らないからこそ、夢のようなものを感じさせます。
 ところが、こういったところは往々にして、「特権意識が強い人」のふきだまりでもあります。また、社会的に成熟した人が極度に少ないというのが、共通した特徴です。既得の権益、なれあい社会を守るために、外部から乗りこんできた人を異常に警戒します。新参者が、少しでも改革の意識を口にしようものなら、そういった連中がいっせいに妨害してきます。そして、つぶしにかかります。

 いまの仏教界を堕落させているのは、お布施の強要を前提とした寺檀制度と、固定化された本末制度です。この二つの制度がなくなれば、日本の仏教はずいぶん風通しがよくなります。

 世の宗教指導者たちは、純然たる経済行為が非課税であることの意味をかみしめて、その感謝を信徒や社会の幸福に向けて、奉仕すべきではないでしょうか。
 ところが、宗教法人への課税が話題にのぼるだけで、「宗教弾圧だ」と過剰に反応してしまいます。こういったものは、真っ当な主張ではなく、ただの強欲な心のあらわれであるということを自覚しましょう。

 日本人は強いコミュニティ、地縁や血縁といったものを長く守ってきましたので、そこに寺檀制度がすっぽりハマったのでしょう。その瞬間に「葬式仏教」のもとができあがったのですが、表現を変えれば、「葬式仏教」になるしか、ほとんどのお寺には生きる道がなかったのです。これがなければ、日本の大多数の仏教寺院は、廃絶していたにちがいありません。
 よく、「日本人はいつ信仰心や、宗教に対する忠誠心を失ったのか」と大上段から論じる人がいますが、「そんなものは、はじめからなかった」と考えるべきでしょう。ですから、いますぐ自由になって、どういった信仰をするか(あるいは信仰をしないか)を自分の意志で決めなくてはならないということなのです。

 ソルティも著者同様、既存のお寺制度には多々問題があるとは思うものの、お寺そのものがなくなってもかまわないなんて、もちろん思わない。
 いつでも好きなときにふらっと立ち寄れて、香の立ちこめる静かなお堂で仏像を拝み、好きなお経を詠み、気の済むまで瞑想できて、緑水豊かな境内を散歩できて、たまにはありがたい法話も聞けて、スマホやテレビや俗事や厄介な人間関係から逃避できるオアシスが、最寄りにあったらいいのに・・・・・といつも思っている。
 座禅会とかいって日取りを決めなくても、いつ行っても独り座れるのが精舎というものだろう。
 ソルティは純粋な大乗仏教の徒とは言えないかもしれないが、そのような場を維持するためなら、協力を惜しまないものである。

 患者が自分に合った主治医を選ぶように、これからは仏教を愛する一人一人が、自分に合ったお寺とお坊さんを選んでいく時代なのだろう。 
 そのうち見性院には行ってみたい。



秩父長泉院
秩父観音札所第第29番長泉院
秩父札所には心落ち着かせる良いお寺が多い
四国札所には決してひけをとらない



  
おすすめ度 : ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第16回(第71~75番)

 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】

71への道(こじき遍路)
71番への道(JR予讃線・みの駅付近)
30回以上は回っているという野宿のお遍路さん(70代)と遭遇
野宿ポイントがしっかり頭に入っていた。さすがパッキングもうまい。
自分の老後の姿かも・・・・ワルクナイ


いやだに寺階段
弥谷寺の階段
てっぺんの本堂まで570段を上る



 71番札所: 剣五山 弥谷寺 (けんござん いやだにじ)

71番
 ものさびし 長き石段 いやだにじ
 足の重さは つかれたせいか

御本尊: 千手観音菩薩
本歌 : 悪人と 行きつれなんも いやだにじ ただかりそめも 良き友ぞよき
コメント: 本堂まで570段の急な石段を登る。高齢者にはきつかろう。
たそがれ時に訪れたせいもあろうが、薄暗くてじめっとした雰囲気。全札所中、もっとも霊がいそうな気がした。
弘法大師は子供の頃、この岩屋で勉強したという。
【次の札所まで3.7㌔】


いやだに寺大師堂
大師堂
中に納経所と弘法大師が修行した獅子の岩屋がある


いやだに寺本堂
本堂


いやだに寺風景
本堂からの景色



72番札所: 我拝師山 曼荼羅寺 (がはいしざん まんだらじ)

72番
 お大師の まつてふ寺に 来てみれば
 曼荼羅菩薩 われをまつなり

御本尊: 大日如来
本歌 : わずかにも 曼荼羅おがむ人はただ ふたたびみたび かえりざらまし
コメント: 弘法大師が植えられたといわれる不老松(平成14年枯れ死)の幹に刻まれた笠松大師が見物。納経所で聞いたところ、琴平に住む平田さんという方が刻まれたそうな。
あまり目立たぬ場所にあるが、彩色された地蔵菩薩像がまさに曼荼羅のように美しかった。
【次の札所まで0.6㌔】


曼荼羅寺山門
山門


曼荼羅寺境内
境内
弘法大師の先祖・佐伯家を祀る寺で開基は古い(596年)


曼荼羅寺笠松大師
笠松大師


曼荼羅寺美しい菩薩像
ガイドブックには載っていない無名の仏像との
思わぬ出会いも楽しいものだ



73番札所: 我拝師山 出釈迦寺 (がはいしざん しゅっしゃかじ)

73番
 定年の のちも毎日 しゅっしゃかじ
 七つの真魚の 誓いを継いで

御本尊: 釈迦如来
本歌 : 迷いぬる 六道衆生すくわんと 尊き山に 出ずる釈迦寺
コメント: 弘法大師7歳のみぎり、衆生を救うことを誓って我拝師山(481m)の崖(捨身ヶ嶽禅定)から飛び降りたという。この険しい傾斜の岩山をすでに3万回以上登り下りしている信仰篤き地元のNさん(70代)と出会ったのが忘れられない。真魚(まお)とは幼少時の空海の名前。
【次の札所まで2.2㌔】


出釈迦寺境内
境内


出釈迦寺境内より捨身が岳を望む
境内から我拝師山をみる
登るかどうか迷っているところ


出釈迦寺捨身が岳への参道
登ることにした


出釈迦寺捨身が岳からの眺め
捨身ヶ嶽禅定からの景色
池の向こうに弥谷山と天霧山が並んでいる
この二つのテーブル状の山は香川を歩いているとよく目立つ


甲山寺付近の風景
我拝師山を振り返る



74番札所: 医王山 甲山寺 (いおうざん こうやまじ)

74番
 真魚もまた 競わせけるや かぶとやま
 昭和の夏の われら等しく

御本尊: 薬師如来
本歌 : 十二神 味方にもてる戦には おのれと心 かぶと山かな
コメント:このあたりは空海が子供の頃によく遊んだところ。泥をこねて仏像を造っていたというから恐れ入る。でもそれは伝説で、やっぱり大地を駆け回ったり、川や海で泳いだり、虫をつかまえたり、カブトムシを互いに戦わせたりしていたんだろうなあ。(カブトムシが平安初期に日本いたのか不明)
【次の札所まで1.6㌔】


甲山寺山門
山門


甲山寺大師堂
大師堂


75への道(仙遊寺古跡)
仙遊寺
大師は幼い頃ここで泥をこねて仏像を作って遊んだという。
だだっ広く殺風景な印象だが、老朽化した古いお堂を解体して、
新築したばかりとの由。



75番札所: 五岳山 善通寺 (ごがくざん ぜんつうじ)

75番
 善く通る 慈悲深き声 耳にして
 冥き道にも 光明を見る

御本尊: 薬師如来
本歌 : 我れ住まば よも消えはてじ善通寺 深き誓いの 法のともしび
コメント: 88札所の中心をあげるなら、やはりここになろう。何と言っても弘法大師生誕の地(佐伯家の邸があった)なのだ。広い境内、立派なお堂の数々、五重塔、宝物館、多くの参拝客。心なしか大気の中にも聖なる気配が感じられた。御影堂の地下には暗闇をめぐる約100メートルの「戒壇めぐり」がある。その最奥で聞いた弘法大師の声(骨格から想定されたモンタージュ・ボイス)は雅量に富んで耳に心地よかった。
【次の札所まで12.5㌔】


善通寺大師堂
大師堂
この地下に戒壇めぐりがある


善通寺金堂(本堂)
本堂


善通寺五重塔2
五重塔が立つ広い境内は京都か奈良の古刹のよう


善通寺南大門
山門
74番から来ると、寺の後ろから入って前から出る形になる


善通寺駅の看板
JR土讃線・善通寺駅の看板


こんぴらさん入口
善通寺駅からこんぴらさんまでは歩いて90分くらい
楽勝!



IMG_20181123_121525
香川と言えばうどん
この店で「じゃこ天・かきあげ・かけうどん750円」を食べた


こんぴらさん参道
この日は秋晴れの祝日(勤労感謝の日)
賑わいでおりました


こんぴらさん参道2
本宮までは785段の階段を上る
楽勝!
鍛えられた脚力を実感


こんぴらさん本宮
本宮


金比羅神社ご朱印


IMG_20181123_111620
本宮からの風景
善通寺市が一望のもとに



別格17番札所: 五穀山 神野寺(ごこくさん かんのじ)

17番
 かみのわざと 思うほかなき まんのうの
 池のほとりに けふを寿ぐ 

ご本尊: 薬師如来
本歌 : ちまちだに いまもそそぎて のりのしの 恵みあふるる 満濃の大池
コメント: 空海の為した最大の救民事業は、決壊を繰り返していた満濃池の修築であった。周囲約20km、貯水量1,540万tの灌漑用の水がめは、池というより湖の雄大さ。湖畔の蒼き連山、紅葉の樹々、瑠璃色の湖面、美しく穏やかな光景は、ここまでの遍路をねぎらってくれるようであった。今日も良い一日だった。
【次の札所まで13.8㌔】


神野寺2
神野寺


まんのう池2
まんのう池
灌漑用ため池としては日本最大
国の名勝にも指定されている


まんのう池3
神野神社境内よりまんのう池を望む


まんのう池




四国の白地図第16回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  




次回予告
弘法大師の母の里に行きます




   


● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第15回(第66~70番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】
 
雲辺寺への道(標識)
雲辺寺は、愛媛からいったん徳島に戻って目指すことになる
(これは別格打ちもそうでない人も同じ)


雲辺寺への道(雲海)
登り道の途中から見た景色
まさにその名の通り雲の辺りにある札所

 

 66番札所: 巨鼈山 雲辺寺 (きょごうざん うんぺんじ)

66番
 雲の上の 五百羅漢の へんがおに
 よく似たひとを 探す暇人
 

御本尊: 千手観世音菩薩
本歌 : はるばると 雲のほとりの寺に来て 月日をいまは ふもとにぞ見る
コメント: 最も高い(911m)地点にある札所。麓からずっと車道なので、思ったより楽だった。途中で見た朝の雲海が壮観だった。山頂は寒くて震えた。五百羅漢の豊かな表情や仕草が見ていて飽きなかった。早朝に三好の宿を先に発ったサニーさんに追いついた。足を痛めていた彼女はロープウェイで下山。自分は山道をとった。そろそろ一人になりたくもあった。
【次の札所まで7.4㌔】


雲辺寺境内
広く澄んだ境内


雲辺寺山門
山門


雲辺寺本堂
本堂


雲辺寺山頂からの景色2
雲辺寺山頂からの景色(徳島側)


雲辺寺山頂からの景色1
山頂からの景色(瀬戸内海側)
香川県のため池の多さが一目瞭然


雲辺寺山頂からの景色3
山頂からの景色(愛媛側)
一番高いのが石鎚山(1982m)


雲辺寺なごりもみじ



雲辺寺五百羅漢2
五百羅漢
どう見ても踊っている


雲辺寺五百羅漢
天衣無縫


雲辺寺五百羅漢3
この顔が気に入った


雲辺寺ロープウェイ駐車場
香川県に下山
ロープウェイ乗り場のある駐車場
中央の見える先の尖ったのが雲辺寺山
萩原寺への道
雲辺寺から下りると、冬から春に突入したかのよう
身心の開放感と軽やかさが「涅槃の讃岐」を実感させる



別格16番札所: 巨鼇山 萩原寺(きょごうざん はぎわらじ)

16番
 萩原に 異国のひとの 影見れば
 心さわがす 秋風ぞ吹く 

ご本尊:伽羅陀山 火伏地蔵菩薩
本歌 :尊くも 火伏をちかふ 地蔵尊 はぎの御山に 世を救ふらむ
コメント: 春のような暖かさと香川に入った喜びとで夢見心地で歩いていた。と、境内でまたもサニーさんと再会。ロープウェイで下った彼女と、ずいぶん時間が空いたはずなのに・・・。「一人で歩きたい」という思いをうまく英語で伝えられず、宿まで同行することに。これがいけなかった。このへんから二人の関係は気まずくなっていく。
【次の札所まで6.0㌔】


萩原寺本堂
本堂


別格16番萩原寺
境内
約2500株の萩の花が満開となる9月中旬には萩まつりが開かれ、
野点茶会、骨董市、露天商などで賑わう。



67番札所: 小松尾山 大興寺 (こまつおざん だいこうじ)

67番
 だいこう(代行)で 宿の予約をした連れと
 ついに別れし 秋雨の朝

御本尊: 薬師如来
本歌 : 植えおきし 小松尾寺を眺むれば 法の教えの 風ぞ吹きぬる
コメント: 畑中の静かなお寺。本堂に何百本と灯した、願いごとの書かれた赤い蝋燭が印象深かった。サニーさんとはこの日の宿で感謝の言葉を交わし、このさき別行動することに。原因の一つは、こちらの英語力も彼女の日本語力も貧しかったこと。意思疎通がうまくいってないと分かっているのだが、頭が疲れてもはや英語を話したくなかった。彼女は朝暗いうちに、雨のそぼ降る中を先に発った。
【次の札所まで8.7㌔】


67番大興寺山門
山門にたたずむサニーさん


67番大興寺本堂
本堂に灯した蝋燭


67番大興寺境内
境内


68への道ため池
68番へ向かう道中
これも灌漑用につくられた池だろう


観音寺駅
JR予讃線・観音寺駅


琴弾八幡宮鳥居
琴弾八幡宮
財田川のほとり、瀬戸内海を背にする大きな社

琴弾八幡宮
琴弾八幡宮本殿
神仏分離前までは68番神恵院と一体であった


琴弾八幡宮白猫
神社の守り猫(雌?)

琴弾八幡宮黒猫
神社の守り猫(雄?)

琴弾八幡宮(観音寺のまち)
境内から見下ろす観音寺のまち


琴弾八幡宮寛永通宝2
展望台から銭形砂絵を見下ろす


琴弾八幡宮寛永通宝
寛永通宝

琴弾八幡宮寛永通宝3
健康で長生きできて金に不自由しなくなる



68番札所: 七宝山 神恵院 (しっぽうざん じんねいん)

68番
 琴弾の 浜に描かれし 砂文字
 かみの恵みを 期する者なり

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 笛の音も 松吹く風も琴弾くも 歌うも舞うも 法のこえごえ
コメント: 68番と69番は琴弾山の中腹に隣り合わせにある双子のような札所。近くの展望台からは、瀬戸内海の島々と「寛永通宝」の砂文字が見えた。神恵院本堂はコンクリート打ちっ放しの現代建築もどきの四角い建物で味気ないが、きれいに刈り込まれたツツジの並ぶ庭園は美しかった。
【次の札所まで0㌔】



68番神恵院本堂
本堂
61番香園寺以来の斬新なデザイン
バブルの頃はやったカフェバーを思い出した


68番神恵院本堂内部
中はこんなん

68番神恵院庭園
巍巍園(ぎぎえん)



69番札所: 七宝山 観音寺 (しっぽうざん かんのんじ)

69番
 観音と 阿弥陀の並ぶ 極楽に
 立つクスノキの 誇らしきかな

御本尊: 聖観世音菩薩
本歌 : 観音の 大悲の力強ければ おもき罪をも 引きあげてたべ
コメント: 68番と69番の納経所は同じ。一カ所で御朱印帳2ページが埋まるのはトクな気分。境内の大楠が存在感を放っていた。
ここ観音寺市では、ちょうど美少女アニメのイベントがあって全国から仮装(女装)したファンが訪れていた。宿をとるのが大変だった。
【次の札所まで4.5㌔】


69番観音寺本堂
本堂


69番観音寺大クス
境内の大楠


本山寺への道
70番への道


本山寺への道3
70番への道


70番札所: 七宝山 本山寺 (しっぽうざん もとやまじ)

70番
 本山の 五重塔の 軒反りに
 釣られるごとく 空をただ見る

御本尊: 馬頭観世音菩薩
本歌 : 本山に 誰が植えける花なれや 春こそたおれ たむけにぞなる
コメント: 70番へ向かう川沿いの道がいい。低山のつらなりと広がる畑、遠くの森の上に顔出す五重塔。風情はまさに奈良の山の辺の道。気分よく札所に着いたところ、本堂の前で休憩しているサニーさんを発見。同じ道を前後して歩いているのだから会うのは仕方ないのだが・・・。つい、そっけない態度をとってしまい、それが最後の別れとなった。
【次の札所まで11.3㌔】


70番本山寺山門
山門


70番本山寺本堂
本堂

70番本山寺五重塔2



四国の白地図第15回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  




次回予告
空海の為した一大事業、まんのう池!



   



● 本:『お寺さん崩壊』(水月昭道著)

2016年新潮社

 四国遍路で100以上のお寺を訪ね歩いて気づいたことの一つに、お寺の貧富格差があった。
 多くの参拝者で賑わい、山門もお堂も立派で、納経所や売店に人が並んでいる、いかにもお金がありそうなお寺もあれば、一方、海辺やさびれた町中にあって訪れる人も少なく、境内のあちこちに修繕が必要な堂宇の見受けられるお寺もあった。
 それでも巡礼札所に数えられている、とくに88札所に入っていることはたいへんな役得である。御朱印代(ソルティが歩いたときは300円~)をはじめとする納経料が、黙っていても入ってくるからだ。
 年間10万人としても3000万円以上。これに遍路に必要な笠や杖や白衣や納経帳などの売り上げも加えれば相当なものになる。
 とくに、多くの遍路がグッズを揃える1番札所霊山寺は、他の札所からすれば羨ましいこと限りないだろう。(それとも、八十八カ所霊場会の会計に入れているのか?)


海岸寺山門
仁王像のかわりに地元出身の力士像が立つ別格18番海岸寺


海岸寺山門4 (2)
誠に正直な説明版


 本書は、現代のお寺とくに地方のお寺の悲惨な現状を赤裸々に描いている。
 「金がない」、「檀家がいない」、「後継者がいない」、「潰れるしかない」のナイナイ尽くし――。
 これを読むと、「坊主丸儲け」とか「お寺さんは税金払わなくていいからいいよね~」なんて、簡単に言ってはいけないことが分かる。
 
 著者は、1967年生まれ。福岡県で浄土真宗本願寺派の住職をしている。日本の博士号取得者の窮乏を自身の経験をもとに綴った『高学歴ワーキングプア』で話題になった。


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 実際、全国的にお寺の統廃合はすごい勢いで進んでいるらしく、この先、寺院数が半減するのではないかとも言われている。明治初期にあった廃仏棄釈レベルの危機なのかもしれない。
 その原因は、地方の過疎化・高齢化や、葬儀や法事の簡略傾向に見られるような伝統的仏教儀礼に対する意識の希薄化、後継者不足、住職たちのずさんな運営、僧侶の権威失墜による信者離れ・・・なんてことが挙げられるのだが、一言でまとめると、「お寺を守ろうとする心が失われている」ってことになるのではなかろうか。

 しかし、お寺の危機=仏教の危機かと言えば、そうとも言えない。
 どこの書店に行っても仏教コーナーは花盛りで、テラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老のようにベストセラーを連発するお坊さんもいる。仏教書が現在ほど広く読まれている時代はあるまい。
 また、都心の寺の座禅会は(コロナ前まで)いずこも満員。四国遍路に行く若者も少なくない。仏教風を装おう新興宗教団体は今もたくさんの人を集めている。
 仏教をもとめる人は決して減っていない。
 要は、いまの日本人の多くが仏教に求めるものと、伝統的なお寺(大乗仏教)が提供してきたものとが、乖離しているのである。

 思うに、人々は生きた仏教を求めているのであって、自分自身の救いにまでなかなか届かないお坊さんの説法や姿勢に対しては、冷めた目で見ているのであろう。
 本来、仏教とは個々人のなかでそれぞれに消化され、その人の生き方や感じ方、ものの見方、他者や他の動植物への接し方、といったところにまで大きな影響をあたえていたはずなのだ。いわば、その人らしさを醸し出す太い背骨のようなもの―――生きる軸としての働き、を担っていたのだと考えられよう。


 本書の最終章では、上記のようなスタンスを持して、既存の仏教界やお寺や僧籍に拘ることなく、あるいは俗社会での栄誉や成功や安定に目を眩まされることなく、独自の仏道を泰然自若として歩んでいる人々が紹介されている。
 これからの時代の個人と仏教とのつき合い方、向き合い方を示唆する記述である。

 仏道を歩むとは、他者には理解できないかもしれないが自分にだけは見えてくる“輝き”を捉え、それを己のものとし、内から自らを光らせるまでに昇華させていく途方もなく丁寧な時間の積み重ねを指すように思えて仕方ない。


 長らくお寺の僧侶や大学の研究者のものであった仏教が、やっと市井の個人のものになってきた、いまはその途上にあるように思われる。



おすすめ度 : ★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損




● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第14回(第64~65番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】


 64番札所: 石鎚山 前神寺 (いしづちさん まえがみじ)

64番
 名にし負う 神の山なる 石鎚の
 前に控える 修験の寺よ
 

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 前は神 うしろは仏 極楽の よろずの罪を くだくいしづち
コメント: 修験道の祖、役小角が開基したと伝えられる。四国遍路には名前に「神」の字がつくお寺が3つある。64番のほかに、27番神峯寺、68番神恵院(別格17番神野寺入れると4つ)。むろん神仏習合のなごりだが、よく考えてみるとけったいな話である。キリスト教の教会に「アッラーなんとか」って名がついているようなものだ。仏教で神道で修験道・・・・。日本文化のユニークさ、節操のなさ。
【次の札所まで27.4㌔】


64番前神寺本堂
本堂
青い銅板屋根が美しい


遍路ハウス横屋
お遍路ハウス・横屋
管理人さんにカミーノ(サンティアゴ巡礼)の話を聞いた夜。
いつか自分も行けるといいな~(ってまさに節操のない)。


新居浜市関の戸(松山自動車道)
新居浜市関の戸付近
山間を松山自動車道が走る



別格12番札所: 摩尼山 延命寺(まにざん えんめいじ) 

別格12番
 伊予もまた いよよ終わりに近づいて
 道の延命 願うころかな

ご本尊: 延命地蔵菩薩
本歌 : 千代かけて 誓いの松の ほとりこそ なほありがたき 法の道かな
コメント: 寺の起こりのいわれとなったいざり松の祀られた庭園でサニーさんと再会、昼食をともにした。もうすぐ愛媛も終わり。結願を心待ちにする一方、さびしさが湧いてきた。「いつまでも続いてほしいね」 サニーさんと意見が合った。携帯電話を持っていない彼女の代わりに、この先の宿の予約をとってあげる。彼女も別格打ちしているので、しばらく同じ宿に泊まることにした。基本、歩きは別である。
【次の札所まで17.8㌔】


別格12番延命寺1
山門


別格12番延命寺いざり松


別格12番延命寺いざり松2
寺の縁起によると
弘法大師が寺の松の下に一人のイザリ(歩けない者)がいるのを見て憐み、
霊符をさずけたところ、たちまち全快した。イザリは大師のもと出家した。


65への道(県道)
この辺りは国道11号(上画像)と県道126号(へんろ道)が並行している


65への道(へんろ道)
へんろ道はやや遠回りになるのだが、やっぱり味わいがある。


伊予三島駅そばのスーパー
JR 伊予三島駅近くのスーパーで夕食を買う
大きな町である


65への道(伊予三島遠景2)
翌朝、65番三角寺へ向かう山道より伊予三島を見下ろす


65への道(山道)



65番札所: 由霊山 三角寺 (ゆれいざん さんかくじ)

65番 
 三角を 描いて巡る へんろ路に
 入りぬ刹那の 名残りの桜

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : おそろしや 三つの角にも入るならば 心をまろく 慈悲を念ぜよ
コメント: ここから別格打ちにとって最大の難所がスタート。三角寺から780mの地蔵峠を越えて別格13番に、山麓を回って本道に戻り別格14番に、県境を越え徳島県箸蔵山(540m)にある別格15番に、そこから遍路最高峰910mの雲辺寺に登り、香川県に下る。88の本道を逸れる三角形を2つ描きながらの山登りが3つ。境内の散り際の四季桜がきれいだったな。
【次の札所まで4.1㌔】


65番三角寺石段


65番三角寺境内
境内


65番三角寺(季節桜)
四季桜
4月上旬と10月下旬の年2回開花する


仙龍寺への道(入口)
別格13番仙龍寺へ向かう山道入口


仙龍寺への道1


仙龍寺への道2(馬場の桜)
馬場の桜(エドヒガン)
高さ20.4m、樹齢推定200年
春に別格打ちする歩き遍路だけが開花を見ることができる


仙龍寺への道3(清滝)
清滝
まごうかたなきパワースポット


別格13番仙龍寺1



別格13番札所: 金光山 仙龍寺(こんごうさん せんりゅうじ) 

13番
 仙山の もみじの波を かき分けて
 龍の棲みたる 洞を見るかな 

ご本尊: 弘法大師
本歌  : 極楽は 他にはあらぬ この寺に 御法の声を きくぞうれしき
コメント: 宮崎駿の『千と千尋の神隠し』に出てくる「油屋」を思わせる古式ゆかしいつくり(道後温泉本館と同じ様式)。今を盛りの赤や黄色の紅葉に囲まれ、主人公の少女・千尋同様、異界にタイムスリップしたような心地。上流の滝から続く清流が本堂の床下を流れ、渓谷をなしているのも驚き。もっとも良かった札所の一つである。
【次の札所まで9.2㌔】



別格13番仙龍寺2
昭和9年10月竣工


別格13番仙龍寺3
金田一耕助のミステリー映画に出てきそうな雰囲気である


別格13番仙龍寺5


別格13番仙龍寺4
本堂の真下を滝が流れ、渓谷に注ぐ


遍路ハウス毛利荘
遍路ハウス・毛利荘
管理人さんは高校の元英語教師で、たいへんマメな方。
使っていない生家の跡地を利用したとのこと。
清潔で、なんでも揃っていて、居心地のいい宿だった。
このあたりは宿が少ないのでありがたかった。(サニーさんと同宿)



別格14番札所: 椿堂(つばきどう)

14番
 常福と 非核を願い 石像の
 前をめくれば つばきゴックン 

ご本尊: 延命地蔵菩薩 非核不動尊 
本歌 : 立ち寄りて 椿の寺に やすみつつ 祈りをかけて 弥陀をたのめよ
コメント: 邦治山常福寺の号をもつ。弘法大師が当地に流行る病いの退散を祈り、土に杖をさすと、そこから椿が育ったという。本尊の大聖不動尊は、核兵器廃絶を願って非核不動尊と呼ばれている。ここは何と言っても、境内の片すみにある道祖神が見物。前たれで隠してあるので、気づかない人も多いだろう。この日は一日サニーさんと楽しく歩いた。
【次の札所まで24.0㌔】


別格14番椿堂山門
山門


別格14番椿堂(サニーさん)
一つ一つのお堂に線香を上げ、心を込めて祈るサニーさん


別格14番椿堂(福の神2)


別格14番椿堂(福の神3)


別格14番椿堂(福の神1)


境目トンネル855m
その名も境目トンネル(855m)を抜けて徳島県へ



【徳島県】


境宮神社
その名も境宮神社で昼食休憩


白地温泉1
白地温泉で日帰り入浴、いい湯だった~
この旅館は『放浪記』で知られる作家・林芙美子が執筆した宿
当地の山紫水明を愛したという


旅人宿
三好市池田町の吉野川沿いの宿
親切なオーナーの世話になった


別格15番への道(朝の吉野川)
別格15番への道は吉野川沿いを歩く


別格15番への道(四国中央波橋)
四国中央橋を渡る



別格15番札所: 宝珠山 箸蔵寺(ほうじゅさん はしくらじ)

15番
 伊予終えて 阿波のはしまで 戻り来て
 くらぶものなき 善根の宿

ご本尊: 金毘羅大権現
本歌 : いその神 ふりにし世より 今もなほ 箸運ぶてふ ことの尊き
コメント: この札所は徳島県三好市に位置する。甲子園で有名な池田高校の地元。山間を深緑の吉野川が流れる風光明媚な町だった。箸蔵山(540m)の頂にある札所は、空気が澄み、紅葉も景色も素晴らしかった。下りはロープウェイを使った。その後、サニーさんと一緒に、宿のオーナーの運転で、大歩危・小歩危や祖谷のかずら橋に遊んだ。脱サラして宿を始めたという。夏場は世界中から来るラフティング客で賑わい、宿は目まぐるしい忙しさだそうだ。
【次の札所まで19.1㌔】


別格15番箸蔵寺(山門)
山門


別格15番箸蔵寺本堂
本堂


別格15番箸蔵寺(境内)
護摩殿前の広場


別格15番箸蔵寺(十二支彫刻)
境内のあちこちにある彫刻が見物。
護摩殿と本堂の欄間には干支が彫られているが、
護摩殿のほうは十支で終わっている(戌と亥がいない)。
スペースが足りなかったらしい。
(画像はウサギ)



別格15番箸蔵寺(とら彫刻)


別格15番箸蔵寺(紅葉)


大歩危
大歩危小歩危にドライブ
まさかここに来られるとは思わなかった
なんという因縁


そやのかづら橋
祖谷のかずら橋
サルナシ(しらくちかずら)などの葛類を使っている
長さ45m、幅2m、谷からの高さ14m
揺れる、揺れる


旅人宿の朝焼け
宿のバルコニーから見た日の出前の吉野川
さあ、今日は遍路最高峰、雲辺寺だ



四国の白地図第14回

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次回予告
香川県に入ります



   



● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第13回(第60~63番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】

すけ家
壬生川(にゅうがわ)にある「お宿すけ家」に拠点を定めて別格打ち
国際色豊かな親切な宿だった


西山興隆寺参道
西山興隆寺参道


 別格10番札所: 仏法山 西山興隆寺(ぶっぽうさん にしやまこうりゅうじ)

10番
 紅葉の 誉れにひかれ 来てみれば
 人や犬との こうりゅう(交流)の山

ご本尊: 千手観音菩薩
本歌 : みほとけの 法の御山の のりの水 流れも清く みゆるぎの橋
コメント: 平和な里山の道をたどって、昼なお暗き参道の森に入る。清流の音高く、深山幽谷の気配。ここは県内有数の紅葉の名所で、境内には行楽客がつめかけていた。お寺の二匹の犬は、しきりに愛嬌を振りまいていた。サニーさんと再会。次の札所まで一緒に歩き、禅や瞑想の話などして親交を深めた。若い頃に日本に来て空手を習ったそうだ。たくまし~。
【次の札所まで3.8㌔】

西山興隆寺大師堂
大師堂


西山興隆寺紅葉2


西山興隆寺犬1
決めポーズ1


西山興隆寺犬2
決めポーズ2


西山興隆寺ハーケンクロイツ
境内で見かけた“まんじ”マーク
この“まんじ”の向きは、お寺を表す記号(卍)とは逆(右旋回)である。
すなわち、ナチスのハーケンクロイツと同じなのだ!
そこに気づいたのはサニーさん、問われて答えられなかったソルティ。
あとで調べてみたら、仏教は元来、右旋回が正しかったようだ。
つまり、このお寺の創建の古さ(642年)を物語っている。



興隆寺から生木地蔵への道
興隆寺から生木地蔵への道中風景



別格11番札所:生木地蔵(いききじぞう)

11番
 生木とは 名前ばかりの 涸れぶりに
 人の行き来も 危ぶまれるかな

ご本尊: 生木地蔵菩薩
本歌 : 一夜にて 願いを立つる みこころは 幾代かはらぬ 楠のみどりば
コメント: 生木山正善寺の号を持つ。弘法大師が楠(くす)の大木に彫った延命地蔵大菩薩が本尊であるが、昭和29年9月の洞爺丸台風で、木は根元より倒れたそうだ。境内に祀られている木の幹からは生気が感じられず、寺自体もうら寂れた感が漂っていた。大師堂もなく、元気のない札所であった。
【次の札所まで11.5㌔】


生木地蔵2
境内


生木地蔵1
倒れた大楠


生木地蔵3


西山興隆寺近くから横峰山を望む
「すけ家」に帰る途中の景色
一番高いところが明日登る横峯山ピークか


すけ家の朝ごはん
「すけ家」で夕ごはん
素泊まりだが、いろいろお惣菜を接待いただいた
このあたりでまた一つ吹っ切れるものがあった


60への道(平城)
翌朝、60番への道(国道196号)
実際には位置関係上、61番を先に打った


60番への道(砕石工場)
60番横峯寺へ
砕石場の横を通り抜ける


60番への道(がけ崩れ)
えっ! 行き止まり? 道を間違えた?
否、ここを超えて進むのであった


60番への道(倒木)
ここも超えて進むのであった


60番への道(道標)
尾根にやっと到達
が、ここからも長かった



60番札所: 石鉄山 横峰寺 (いしづちさん よこみねじ)

60番
 横道に 入りては迷い 引き返す
 峰の大日 子午線越える

御本尊: 大日如来
本歌 : たてよこに 峰や山辺に寺たてて あまねく人を 救うものかな
コメント: 745mの山の上にある。とにかく道に迷い、焦りまくった。宿でもらった手書きの簡単な地図を頼りに進んでいったが、距離や所要時間を確かめておかなかったので、途中で違う道に入ってしまった。分岐まで引き返してやり直したら、今度は崖崩れで道が埋まっている。また引き返す。宿に電話して確認す。正午前に余裕で到着するはずが、札所に着いたら1時を回っていた。自分にとって一番の「遍路ころがし」だった。境内でサニーさんと再会。下山は同行した。
【次の札所まで9.6㌔】


60番横峰寺本堂
本堂


60番横峰寺大師堂
大師堂
山の湿気を考慮し、高床式に造られている


香園寺奥の院3
下山途中に61番香園寺奥の院がある
参拝の支度をするサニーさん
日本人以上に寺社を愛する人だった


香園寺奥の院2
麒麟が来た!



61番札所: 栴檀山 香園寺 (せんだんさん こうおんじ)

61番
 香満つる 広きお堂に たたずみて
 親と大師の おんを思へり

御本尊: 大日如来
本歌 : 後の世を 思えばまいれ香園寺 とめて止まらぬ 白滝の水
コメント: 褐色の鉄筋コンクリート2階建ての立派なお堂が特徴。2階本堂の壮麗さは、札所中随一だろう。境内には赤ん坊を抱いた弘法大師像が立っている。この寺の門前で身重の女性を助け、無事出産に導いた故事による。以来、安産・子育て祈願のメッカとなっている。
【次の札所まで1.3㌔】


61番香園寺本堂
モダンな本堂
お寺自体は聖徳太子創建と伝えられる古刹


61番香園寺子安大師
子安大師像



62番札所: 天養山 宝寿寺 (てんようざん ほうじゅじ)

62番
 いにしえも 今も変わらぬ 人の世は
 ほうの道にも じゅなん(受難)あるかな

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : さみだれの あとにいでたる玉の井は 白坪なるや 一の宮かわ
コメント: JR予讃線伊予小松駅のすぐそばにある。ソルティが訪れたとき(2018年11月)は、四国88カ所霊場会と対立して脱会。霊場会が第61番札所の駐車場に仮設の62番礼拝所を設けたため、札所が2カ所という珍事となっていた。新情報によると、2019年12月に宝寿寺は霊場会に復帰、仮設札所もなくなった。第86番志度寺の住職が宝寿寺の住職を兼務している。
【次の札所まで1.4㌔】


62番宝寿寺境内
境内


伊予小松駅
JR予讃線・伊予小松駅


伊予小松駅付近
駅前通り


63番吉祥寺そばの道標
ついに「高松まで〇km」の表示に遭遇



63番札所: 密教山 吉祥寺 (みっきょうざん きちじょうじ)

63番
 朝日さす 多聞の寺に 拝むれば
 揺るぐ大地に 吉祥をみる 

御本尊: 毘沙門天
本歌 : 身のうちの 悪しき非法を うちすてて みな吉祥を のぞみ祈れよ
コメント: 早朝のお寺は空気が澄んで気持ちいい。拝んでいると心も澄んでいく。直後にあった地震(震度4くらいか)も良いしるしと感じた。玩具をしきりに噛んでいた飼い犬が面白かった。
多聞とは毘沙門天のこと。
【次の札所まで3.2㌔】


63番吉祥寺境内
境内


63番吉祥寺の犬



石鎚神社鳥居
石鎚神社(本社)
もちろん祭神は石鎚山(1974m)


石鎚神社本殿
本殿
山頂の社に行くつもりであったが、横峯ころがしのこともあり、
今回は“呼ばれて”ない気がした。
次の機会に!


石鎚神社ご朱印
ご朱印はいただいた


石鎚神社からの景色
本殿から瀬戸内海を眺める



四国の白地図第13回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  




次回予告
大歩危小歩危に遊びます







   

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第12回(第54~59番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】


54への道(瀬戸内海1)
松山~今治間は瀬戸内海を左に見ながら歩く
高知の海岸風景といかに違うことか!
車も多い


54への道(瀬戸内海4)



54への道(瀬戸内海2)



54への道(鹿島)
伊予北条の鹿島(かしま)
「伊予の江の島」と呼ばれる

54への道(鹿島2)
周囲1.5km、標高113.8m
鹿島の野生シカは愛媛県指定の天然記念物に指定されている


54への道(子規マンホール)
マンホールにも鹿島が刻まれていた
粟井坂もこのあたりの地名


54への道(鎌大師付近)
鎌大師付近の峠
子規の句の通り、涼しい風にしばし吹かれた


54への道(瀬戸内海3)


54への道(菊間の瓦)
菊間町は瓦の生産で有名


54への道(太陽石油1)
前方に宇宙都市を発見
なんだあれは?


54への道(太陽石油2)
太陽石油の製油所だった
創業者の青木繁吉は高知出身


54への道(伊予亀岡の菊)
伊予亀岡の接待菊


54への道(星の浦海浜公園)
星の浦海浜公園
ドックの向こうに芸予諸島が見える
54への道(ようこそ今治へ)
行き交う東南アジア系の外人の多さにびっくり
タオル工場の従業員だろう


54番延命寺参道
54番延命寺山門に到着



54番札所: 近見山 延命寺 (ちかみざん えんめいじ)

54番
 延々と 続く海辺の道なれば
 命懸けずに のんびり歩け

御本尊: 不動明王
本歌 : くもりなき 鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
コメント: 53番(松山)から54番(今治)までの34.4㎞をえらく長く感じたのは、風邪をひいて疲れていたから。瀬戸の海の透き通る青さがなければ、さらにきつく感じただろう。このあたりでへたばる遍路は多いらしく、境内では三坂峠(45~46番)で出会った看護師がベンチでのびていた。
【次の札所まで3.4㌔】



54番延命寺本堂
本堂


伊予一宮別宮神社鳥居
伊予別宮・大山祇(おおやまつみ)神社
別宮とは、本社の『わけみや』という意で本社についで尊いお宮。
伊予一宮本社は瀬戸内海の大三島にある。

伊予一宮別宮神社
さすがに大三島まで渡るのはきついので
別宮で御朱印をいただいた。
祭神の大山積大神はアマテラスの兄という。


IMG_20200904_105943



55番札所: 別宮山 南光坊 (べっくざん なんこうぼう)

55番
 今治の 東西南北 睨みつけ
 光放つや 天部の神は

御本尊: 大通智勝如来
本歌 : このところ 三島に夢のさめぬれば 別宮とても 同じすいじゃく
コメント: 一般に仁王像が置かれることの多い山門に、四方を護る四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)がいるのが珍しかった。境内の東屋でまた看護師と遭遇。いつの間に抜かれたのか? 疲れ切った表情で眠りこけていた。そう、彼は寝袋(野宿)組であった。起こすのも可哀想なので、そのまま別れた。
【次の札所まで3.0㌔】

55番南光坊
山門


55番南光坊持国天


55番南光坊増長天


55番南光坊広目天


55番南光坊多聞天


今治駅
今治駅
数日前に国際的なサイクリングの大会があった
サーフィン、ラフティング、サイクリング・・・
四国のアスレチックぶりに驚く


56への道(かつや)
56番へ行く途中のとんかつやで昼食



56番札所: 金輪山 泰山寺 (きんりんざん たいさんじ)

56番
 テーブルを 占拠する身の やましさに
 早たいさんす 荷物かついで

御本尊: 地蔵菩薩
本歌 : みな人の まいりてやがて泰山寺 来世の引導 たのみおきつつ
コメント: 風邪と11月初めとは思えない強い日射しとでグロッキー寸前。精をつけるため、へんろ道沿いにあったチェーンのとんかつやに入った。日曜のこととて家族連れで賑わう中、杖に笠に頭陀袋、大きなリュックを背負った遍路姿の自分。ひとり異質であった。もっとも、現地の人は見慣れているのだろうが。
【次の札所まで3.1㌔】



56番泰山寺1
泰山寺



57番札所: 府頭山 栄福寺 (ふとうざん えいふくじ)

57番
 ここがまあ「ボクは坊さん。」 栄福寺
 思いがけぬも 閑かなるかな

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : この世には 弓矢を守る八幡なり 来世は人を 救う弥陀仏
コメント: 映画にもなった『ボクは坊さん。』(2010年ミシマ社)の著者、白川密成が住職をつとめるお寺。森と池に囲まれた静かで地味なたたずまいは好感が持てた。納経所の人の対応も良かった。
【次の札所まで2.4㌔】




57番栄福寺1
境内


57番栄福寺2
境内にあった掲示板


58への道
58番へ登る道から今治市街を見下ろす
あの高い塔、なにに見える?


58番仙遊寺山門
仙遊寺山門


58番仙遊寺石段
よくもまあ登ったものよ



58番札所: 作礼山 仙遊寺 (されいざん せんゆうじ)

58番
 千尋の 高き石段 のぼりきり
 薄暮の庭に 犬と遊べり

御本尊: 千手観音菩薩
本歌 : たちよりて 作礼の堂にやすみつつ 六字を唱え 経を読むべし
コメント: 225mの山腹にある。登る途中に見えた今治市街の景色が素晴らしかった。ひときわ高く聳え立つは今治国際ホテル(地上23階、高さ101.7m)であるが、これが一瞬、弘法大師の後ろ姿に見えた。うれしい錯覚。境内には犬がつながれて、参詣者の人気者になっていた。別格7番の山道以来、一週間ぶりにサニーさんと再会。彼女は宿坊に泊まるという。疲労困憊のソルティはややラグジュアリー(笑)なビジネスホテルに宿をとった。この種のホテルのいいところは、ハズレが少ない点である。
【次の札所まで6.1㌔】


今治国際ホテル
今治国際ホテル


58番仙遊寺境内
境内


58番仙遊寺の犬



59への道(松本バス停)
住宅街のバス停で一休み
ソルティの荷物は大概のへんろより少なく軽かった。
長年の山登り経験で、必要最小限なグッズに絞り込まれていた。



59番札所: 金光山 国分寺 (こんこうざん こくぶんじ)

59番
 国籍の 分け隔てなく 受け入れて
 大師はいます 右手差し出し

御本尊: 薬師瑠璃光如来
本歌 : 守護のため 建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ 薬師なりけり
コメント: この境内でフランスから来た70代くらいのご婦人と会った。なかなか日本語も達者であった。一日20㎞歩くと決めているというから、かなりのんびりペースである。フランスでは、ある女性が書いた四国遍路体験記がベストセラーとなり、それを読んで四国を訪れる人が増えたそうだ。
【次の札所まで17.3㌔】
58番国分寺境内
境内


58番国分寺七福神
お寺でよく見かける六地蔵かと思ったら七体いる
七福神であった
赤い毛糸の帽子がかわいい


58番国分寺大師像
これは名案!



四国の白地図第12回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



次回予告
60番横峰寺に転がされました







   

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第11回(第48~53番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】

48への道(重信川)
 重信川
み・みずがない!?

48番札所: 清滝山 西林寺 (せいりゅうざん さいりんじ)

48番

 水草の 揺るぐ小川の 橋渡り
 さいりん(再臨)したき この清き寺


御本尊: 十一面観音菩薩
本歌 : 弥陀仏の 世界をたずね行きたくば 西の林の寺にまいれよ

コメント: 重信川(一級河川)を渡って松山市に入る。が、なんと水無川だった。豪雨が続くと氾濫するという。その先に弘法大師が杖で突いたら湧き出した「杖の淵」と呼ばれる泉がある。その流れが寺の外を巡り、非常に気持ちいい境内だった。水草は刺身のツマに使う“ていれぎ”という種類らしい。この歌は作るのに苦心した。

【次の札所まで3.1㌔】


48番西林寺1
山門へ渡る石の太鼓橋


48番西林寺2
整然とした境内


48への道(tていれぎ)
外の濠に揺れるていれぎ


49への道(いよてつ)
伊予鉄道横河原線

 

49番札所: 西林山 浄土寺 (さいりんざん じょうどじ)


49番
 いよてつの 遮断機上がる その先に
 浄土の門の 護り手ぞ立つ


御本尊: 釈迦如来
本歌 : 十悪のわが身をすてず そのままに 浄土の寺に 参りこそすれ

コメント: 伊予鉄道横河原線の久米駅のそばにある。48番から行くと、踏切を渡った正面に立派な仁王門がそびえる。おっかない顔した左右の金剛力士像に出迎えられるのは、十悪の身としてはちょっと(かなり?)怖い。この本歌、好きである。

【次の札所まで1.7㌔】

 

49番浄土寺山門
山門


49番浄土寺本堂
シンメトリカルで美しい本堂
国の重要文化財の指定を受けている

50への道(墓場)
50番への道中にある墓地



50番札所: 東山 繁多寺 (ひがしやま はんたじ)


50番
 繁多なる 街を見おろす 山寺の
 池に映りし 静寂のかげ


御本尊: 薬師如来

本歌 : よろずこそ はんたなりとも怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ

コメント: 住宅街の路地やお墓の中を抜けて登ったところにある。境内には釣り堀のような池が二つあり、その向こうに松山市街や松山城、瀬戸内海まで見える。繁多(用事が多く忙しい)という名前に似つかわしくない静かな境内であった。

【次の札所まで2.8㌔】

 

50番繁多寺山門
山門


50番繁多寺の池



51
番札所: 熊野山 石手寺 (くまのさん いしてじ)


51番
 不気味なる 石の回廊 経巡りて
 聖俗満つる 庭に立ちけり


御本尊: 薬師如来

本歌 : 西方を よそとは見まじ 安養の 寺にまいりて 受くる十楽

コメント: 道後温泉の近くにあるせいか、観光客や修学旅行生で賑わっていた。門前店は並ぶわ、お化け屋敷のような洞窟(全長160m)はあるわ、国宝や重文や宝物館はあるわ、いろんな慈善活動・政治活動を呼びかけるパンフレットやポスターはあるわ・・・・なんでもありのアミューズメントパークのようなお寺であった。住職がヤル気満々なのか。いや、寺とは元来こういう所だったのだろう。

【次の札所まで10.7㌔】



51番石手寺(バロックな女人像)
参道に立つバロックな女神像
(モデルは若尾文子?)


51番石手寺(境内)
境内


51番石手寺(砂の同心円)

51番石手寺(三重塔)


51番石手寺(洞窟)
お化け屋敷のような洞窟
なにかに憑かれそうな不気味な気配漂う


51番石手寺(洞窟出口)
突貫工事的に山をくり貫いた感じ


51番石手寺(パンフレット)



51番石手寺(衛門三郎)
ここにも衛門三郎が・・・・
いや、そもそも石手寺の名の由来が彼と関係ある。
三郎の死の間際に弘法大師がその手に石を握らせた。
その石を手にした赤子が後年生まれた(輪廻転生)。
石はこの寺に納められたという。
しかし、このサブちゃんの姿は哀れすぎる


松山(ユースホステル)
松山ユースホステルに宿泊


松山(ユースホステル2)
ユースの共同スペース
早朝出発したはずの遍路仲間が戻ってきた
40分歩いたところで靴を間違ったことに気づき、タクシーで戻ったという
なんと彼はソルティの靴を履いていったのだ!
何も知らず漫画を読んでいたのんきな自分


松山(道後温泉)
道後温泉で旅の疲れを癒す


松山(宝厳寺)
道後温泉のそばにある宝厳寺は、踊り念仏で知られる一遍上人の生誕地


松山(宝厳寺2)
宝厳寺境内
時宗のお寺では、藤沢にある遊行寺と相模原にある無量光寺が有名

松山(ヘルスビル)
道後温泉アーケードを抜けたところにあるヘルスビル
「色里や 十歩はなれて 秋の風」(正岡子規)
健康的だ


松山(一草庵)
俳人・種田山頭火が晩年を過ごした一草庵


松山(一草庵2)
一草庵の内部
住みやすそうですな


種田山頭火

どうしようもない私が歩いている
分け入つても分け入つても青い山
また一枚脱ぎ捨てる旅から旅
おちついて死ねそうな草萌ゆる


松山(ゴルフ練習場)
ため池を利用した打ちっ放し
ボートと虫取り網でゴルフボールを回収していた
 (JR予讃線・三津浜駅近く)


愛媛県庁
松山県庁
木子七郎設計により1929年(昭和4年)完成
松山では半日街中を歩き回り、路面電車に乗り、床屋でスポーツ刈りにした。



52番札所: 瀧雲山 太山寺 (りゅううんざん たいさんじ)


52番
 太山の道をも塞ぐ 催涙雨
 人のこひぢ(乞い路)を妬むものかな


御本尊: 十一面観音菩薩

本歌 : 太山へ のぼれば汗のいでけれど 後の世おもえば 何の苦もなし

コメント: 国宝の本堂を拝むことができなかったのは、参道の崖が崩れて通行止めになっていたから。ここでも七夕豪雨が爪痕を残していた。御朱印はふもとの本坊で受けた。催涙雨とは七夕に降る雨のこと。彦星と織姫が会えないことを嘆く涙とか。仏を乞う道まで邪魔しなくとも・・・。

【次の札所まで2.6㌔】


52番太山寺山門
山門


52番太山寺がけ崩れ
この先通行止め


太山寺本堂
国宝指定の本堂
(ウィキペディア「太山寺」より)


 

53番札所: 須賀山 円明寺 (すがざん えんみょうじ)


53番
 誦経する 白衣姿の一群を
 マリアは見やる 円明にして


御本尊: 阿弥陀如来

本歌 : 来迎の 弥陀の光の円明寺 照りそう影は 夜な夜なの月

コメント: 境内の目立たぬ一隅に、聖母マリアの彫られた灯籠がある。かつて隠れキリシタンが礼拝していたという。それを黙認していたお寺のふところの深さを想う。円明とは、理知円満の境地に達して明らかに悟ること。

【次の札所まで34.4㌔】


53番円明字境内
境内


53番円明字キリシタンとうろう

マリア観音
マリア観音



四国の白地図第11回



CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。




次回予告
瀬戸内海を左手に歩きます


 
 







   



 

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第10回(第44~47番)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。
 お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【愛媛県】

44番への道(さらば大洲)
さらば愛しき大洲よ


44番への道(国道56号)
交通量の多い国道56号をいく



別格8番札所: 十夜ヶ橋(とよがばし)

8番
 不思議やな 浮世も沈む 大水に
 十夜ヶ仏の はしも浸からず

ご本尊: 弥勒菩薩
本歌 : ゆきなやむ 浮き世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほゆ
コメント: 橋のたもとの永徳寺で御朱印をもらう。ここは7月7日豪雨の際、近くを流れる肱川(ひじかわ)が氾濫し、本堂床上1m以上が水に浸かった。水はご本尊の足下5センチで止まったという。橋の下に寝ている弘法大師はすっかり水の中だったろう。
【次の札所まで43.6㌔】


十夜ヶ橋1
十夜ヶ橋


十夜ヶ橋2
橋の下に眠るお大師様
眠りを妨げてはいけないという理由から
「遍路は橋の上では杖を突いてはならない」というルールが生まれた


十夜ヶ橋3
永徳寺本堂


十夜ヶ橋4(本尊)
ご本尊:弥勒菩薩


44番への道(内子まちなみ)
内子のレトロ&エレガントなまちなみ


44番への道(内子旭館1)
内子の映画館(旭館)の遺構

44番への道(内子旭館2)



大瀬のあたり
小田川の風景(大瀬)
ノーベル文学賞作家・大江健三郎のふるさと
親戚筋という翁との出会いがうれしかった


44番への道(突合)
突合(つきあわせ)
ひわた峠遍路道と農祖峠遍路道との分岐


44番への道(突合2)
右が農祖(のうその)峠への、左がひわた峠への道
いずれを取るか、歩きへんろが迷う地点である


44番への道(ひわた峠1)
ひわた峠を選んだ
田渡川沿いに至極快適な舗装路が続く
車もほとんど通らない


44番への道(ひわた峠2)
山道は最後の3キロ程度だけ
いまの遍路はラクしてるよなあ~


44番への道(ひわた峠3)
ひわた峠のピーク(790m)


44番への道(ひわた峠4)
久万高原(標高500m位)が見えました!



44番札所: 菅生山 大寶寺 (そごうざん だいほうじ)

44番
 ひわた越え 久万高原に 降り立ちて
 だいほう(待望)の味 「心」のうどん

御本尊: 十一面観音菩薩
本歌: 今の世は 大悲のめぐみ 菅生山 ついには弥陀の ちかいをぞまつ
コメント: ひわた峠(790m)を越えて久万高原に来てみたら、街路樹はエンジに色づいてすっかり秋であった。ベテラン遍路Kさんに教えてもらったうどんの名店「心」に直行する。開店前から列をなす人気ぶり。評判通り、実に歯ごたえ良く美味であった。
【次の札所まで8.4㌔】


44番への道(うどんの心)
うどんの名店「心」


心のうどん
おにぎり2個つきで550円
生涯食べたなかで最も美味いうどんとなった


44番大宝寺本堂
大寶寺本堂


45番への道(かわいのへんろ小屋)
45番へ行く途中にある河合のへんろ小屋
ここにデジカメを置き忘れ、取りに戻って30分のロス
忘却は忘れたころにやってくる



45番札所: 海岩山 岩屋寺 (かいがんざん いわやじ)

45番
 くれなゐに 染まる岩屋の 絶景は
 アチャラナータ(不動明王)の接待と見ゆ

御本尊: 不動明王
本歌 : 大聖の いのる力の げに岩屋 石のなかにも 極楽ぞある
コメント: 巨岩に囲まれた岩屋寺の荘厳も素晴らしかったが、帰りに通った古岩屋の円錐状の礫岩の迫力と、それをここぞと飾る紅葉のあでやかさに言葉を失った。天気も上々、行楽客もずいぶん出ていた。こんな瞬間に立ち会えるなんて・・・・!
【次の札所まで29.0㌔】


45番岩屋寺1
本堂
はしごで横の岩穴に登ることができる
とくに何があるというわけではない(笑)


45番岩屋寺2
この構図、秩父巡礼札所第28番橋立堂を思い出した


45番岩屋寺3
古岩屋


45番岩屋寺4



46番への道(三坂峠2)
早朝の三坂峠付近
ここから松山市に向かって下りに入る

46番への道(三坂峠)
三坂峠より松山市と瀬戸内海を望む


46番への道(丹波の里接待所)
峠を下りた所にある丹波の里接待所


46番への道(丹波の里接待所2) (2)
へんろを迎える地元の方々
赤飯とおでんとみかんとお茶の接待にあずかった
週一回のオープン日にあたってラッキー!
薪を使ったストーブの火がぬくくて気持ちよかった
ありがとうございました



46番札所: 医王山 浄瑠璃寺 (いおうざん じょうるりじ)

46番
 木の間より ついにあらわる松山は
 浄瑠璃色に かすみ浮かべり

御本尊: 薬師如来
本歌 : 極楽の 浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は 報いならまし
コメント: 関西から来た話好きの看護師の男(40代前半)と連れ立って、足もとの悪い三坂峠を下っていくと、不意に木々の間から松山と瀬戸内海が見渡せた。全行程の3/4は来た。結願の実現がほの見えた瞬間であった。浄瑠璃寺から道後温泉まで短い間隔で寺が続く。
【次の札所まで0.9㌔】


46番浄瑠璃寺
浄瑠璃寺入口


46番浄瑠璃寺付近の道しるべ



47番札所: 熊野山 八坂寺 (くまのざん やさかじ)

47番
 八大の 地獄めぐりが 怖ければ
 ゆめさかしらに 物は言ふまじ

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 花を見て 歌よむ人は八坂寺 三仏じょうの 縁とこそ聞け
コメント :ここは何と言っても、地獄と極楽の絵がある閻魔堂が印象的であった。劇画タッチの絵は誰の手によるものなのだろう。八大地獄とは下から、無間・大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等治をいう。
【次の札所まで1.0㌔】


47番葉八坂寺
境内

地獄絵図47番八坂寺
えんまさま
 

別格9番札所: 文殊院(もんじゅいん)

9番
 後世に 名が残りたる 代価とて
 厳しからずや 文殊の罰は

ご本尊: 地蔵菩薩 文殊菩薩
本歌 : われ人を すくわんための 先だつに みちびきたまう 衛門三郎
コメント: 衛門三郎は、弘法大師に無礼を働いたため、8人の子供を喪うという罰を受けた。改心し、21回目の四国巡礼の際、大師に出会い謝罪した。へんろ道のあちこちに土下座像が建てられていて、ちょっと可哀想。この寺は彼の屋敷跡に立つという。正式には、大法山文殊院徳盛寺(とくじょうじ)と号す。
【次の札所まで3.5㌔】


別格9番文殊院
境内


別格9番文殊院(焼山下の衛門三郎像)
弘法大師に土下座して謝罪する衛門三郎
(12番焼山寺を下りたところにある杖杉庵の像)



四国の白地図第10回


CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  



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道後温泉に入ります‼









   



 
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