ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語を見て、旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、ボランティアして、デモに行って、無いアタマでものを考えて・・・・そんな平凡な日常の記録である。

介護の仕事

● 本:「介護の現場で何が起きているのか」(生井久美子著、朝日新聞社)

介護の現場で何が起こっているのか 著書は朝日新聞の記者。朝日新聞に連載していた記事をもとに加筆訂正したとある。
 発行は2000年。まさに介護保険導入(2000年4月)にあわせた現場報告である。

 もうすでに導入して11年経つので、介護現場もいろいろと変化しているだろ。この本に書かれている内容も、統計数字はもちろんのこと、部分的には古くなっているだろう。にもかかわらず、今でもこの本は価値をまったく失っていない。
 それは、介護保険導入以前と以後とでの介護現場の変化が、現場での取材と介護を受ける当事者やその家族の声を中心に赤裸々に描かれているからである。今ある介護の「当たり前」や「常識」がもとからあったものではなく、当事者や家族の悲惨な体験の数々と、理解者の少ない現場でそれを変えていこうと孤軍奮闘してきた一握りの医療・介護関係者の熱い思いと行動力、それに行政担当者や政治家らの機敏な動きなどがあってはじめて成り立ったものであることを、この本はまざまざと教えてくれる。
 そのことを知ることは、介護保険導入後に介護に関わった人々やこれから介護に関わる人々―介護を受ける当事者、家族、介護の仕事に携わるもの(自分もその一人)、行政関係者―にとって、非常に役立つだろう。なぜなら、人が年を取るとはどういうことか、介護とは何か、人権とは何か、人間の尊厳とは何か、ということを、この変化の過程を理解することで学ぶことができるからである。
 それは、この本の各章のタイトルを見るだけでも得心がゆく。

第一章 チューブはやめて ~介護とリハビリの現場で
第二章 「縛らない」介護をめざして ~介護保険で原則禁止に
第三章 付き添いは消えたか
第四章 新しい風 ~ここまで変わった家族、支える人々
第五章 介護保険がやってくる
第六章 介護保険がやってきた 

 チューブによる栄養補給から口から食べることへ。
 寝たきり(寝かせきり)から自立歩行へ。
 拘束具を用いた抑制からの解放。
 付き添いさんの廃止。
 家族(特に女性)の仕事から、地域や社会の責任へ(介護の社会化)。

 本当にここ20年で介護をめぐるパラダイムは変わったんだな~と実感する。

 これまで介護を必要とする親族が周囲にいなかった自分の頭の中にも、テレビドラマや小説などでインプットされた昔ながらの介護のイメージが残っている。それを払拭しないといけないと思った。

 付章では介護の先進国であるドイツとデンマークの例を紹介している。
 とりわけ、デンマークは「いたれりつくせり、but自立心を奪わない」が徹底していて、此彼の違いにため息が出る。安心して、歳を取ること、病気になること、愛する人(夫婦や男女間でなくとも)を介護すること、そして看取ることができる社会的な合意と仕組みができている。そこには当然、高い税率に対する国民の納得が背景としてある。教育費、医療費、年金、介護費、失業したときの手当て。こうしたベーシックな部分での行政や国家によるインシュアランス(保障)は、国民に安心感と国への信頼をもたらす。「将来のまさかのために貯金をしなくても良い」という言葉がそれを物語っていよう。
 なんという大人社会であろうか。


 デンマーク、フィンランド、ノルウェー、オランダ・・・。
 北欧国家の多くがなぜ高福祉を実現できたのか、その根底にある歴史性と国民性とはなんなのか。ちょっと調べてみたくなった。


● 介護の仕事1(開始一ヶ月)

 家の近くの老人ホームで働きはじめて一ヶ月が経った。

 この一ヶ月は本当にしんどかった。
 体力的にも精神的にもこれほどしんどい思いは久しくなかった気がする。
 いわゆる3K(つい、たない、けん)と言われる介護の仕事そのものの問題もあるけれど、やはり四十代後半という年齢によるしんどさをつくづく感じた。
 毎日、仕事が終わるとヘトヘトになって帰宅し、風呂を湧かすのさえ億劫に感じるほど。朝起きても疲れは抜けず、頭もすっきりせず、「この仕事、自分には無理」と何度思ったことか・・・。
「少なくとも3日坊主はかっこ悪いよな」
「少なくとも一週間は頑張ろう」
「少なくとも一ヶ月は続けよう」
 そう思いながら自分を鼓舞し、なんとか乗りきった一ヶ月であった。

 我ながら賢かったと思うのは、正職員にならず週4日のアルバイトとして採用してもらったこと。疲れが限界になる頃に休日が入るので、リセットすることができる。これが週5日だったら、絶対にもう辞めているだろう。
 本当に「へたれ」になったものだ。

 一ヶ月時点での気づきを記す。

1. 介護の仕事は覚えることがたくさん。

 基本的な仕事の手順や一日の流れ、物品の配置、同僚スタッフの顔と名前はもちろんだが、なんと言っても、利用者の顔と名前と気質とADL(日常生活動作)と介護上のポイントを頭に叩き込まなければ話にならない
 具体的に言えば、Aさんについて、
○ 食事介助は必要か。誤嚥を防ぐために飲み物にトロミをつける必要があるか。DM(糖尿病)による糖分の摂取制限はないか。食べこぼし防止のエプロンをつける必要あるか。食前・食後薬を出すタイミングはいつか。投薬の仕方は? 嫌いな食べ物はなにか。
○ 口腔ケアに介助はどこまで必要か。義歯をつけているか。
○ 排泄介助はどの程度必要か。立位はどこまで取れるか。パットは何を使っているか。オムツの場合、オムツカバーは何を使っているか。
○ 入浴介助はどの程度必要か。個浴かリフト浴か機械浴か。衣服の着脱の注意点は何か。(脱健着患~健常部から脱ぎ、患部から着る~が基本) 湯上り後に軟膏等の処置はあるか。
○ トランス(移乗)介助はどの程度必要か。ベッドに移乗したあと、ベッド柵はどの位置にセッティングするか。褥瘡や痛みを予防するための体位やクッションの配置はどうするか。
○ どんな話題を好むか。どんな話題がタブーか。どんなこだわりを持っているか。例えば、お茶は熱いのが好き、風呂はぬるめが好き、食席は定位置、お風呂は嫌い、Bさんとは仲が悪い・・・e.t.c.

 こういった利用者についてのデータを頭にインプットしなければならないのであるが、担当フロアだけで30名以上いる。基本の介助テクすらまだ身に付いていないのに、これらも合わせて覚えなければならない。
 一生懸命メモを取り、毎日帰っては読み直し、休みの日にはデータ入力し、記憶を長期記憶に落とそうと努めていたが、情けないくらい「覚えられない」。
 30代なら少なくとも1回言われれば記憶できたことが、2回も3回も同じ間違いをしでかし、そのたび指導者に注意されることになる。注意されるのは腹が立たないが、自分の頭の悪さに腹が立つ。落胆する。
 短期記憶が鈍っている。さっき言われたことをもう忘れている。
 メモリーも小さくなっている。一度にたくさんの情報が注がれると、頭がフリーズしてしまう。結局、パニックするだけで、なにも残らない。
 若年性認知ではないかと、マジ思ってしまう。
 体力的なつらさもあるが、データ処理能力の低下がこたえる。

 自分は学生時代どちらかと言えば優等生であった。この歳になって「できの悪い子」の気持ちを理解するとは、面白いものだ。



2. 介護の仕事は気が抜けない。


 1時間の休憩時間以外は、ずっと気を張りつめていなければならない。
 なぜなら、利用者の中に転倒リスクのある人が多いからだ。自分でまったく歩けず車椅子を使っている人はまだいいが、杖や歩行器を使えば自分でなんとか歩ける人で認知のある人が危ない。自分の歩行能力を自覚していないので、車椅子から立ち上がって一人で歩きだしてしまうからだ。転倒すれば高齢者は骨折しやすい。下手をすると命に関わる。
 また、居室まで車椅子で自力で漕いでいって、車椅子からベッドに自己トランス(移乗)しようとして滑落することもある。そういう人からは目が離せない。
 たとえ、目の前の一人の利用者の排泄ケアなり口腔ケアなりに携わっていようが、全体に気を配り、誰が今どこにいてどういう状態かということを把握してないとならないのである。
 聖徳太子のようなアンテナが必要だ。

3. 介護の仕事は時間に追われる


 シフト入りしてから上がるまで、分刻みでやることがある。
 利用者の一日のスケジュールは決まっているから、それに合わせるようにすべての利用者を介助しなければならない。
 例えば、朝食を終えて、服薬介助して、口腔ケアして、排泄ケアして、居室に連れて行って、ベッドに寝かせて、必要に応じオムツ交換して・・・。全利用者がこの流れを終えて「ホッと一息」と思った頃には、もう10時のお茶の時間がせまっている。寝かせたばかりの利用者を起こしていかなければならない。(気持ちよさそうに眠っている利用者を起こすのは可哀相なのだが、日中熟睡すると夜間に眠れなくなるから仕方ないのだ。) お茶のあとはレクリエーション実施。昼食までの時間に記録をつけて、昼食のあとにはまた口腔ケアから始まる一連の流れが繰り返される。3時のおやつのためにまた起こして、レクリエーション。この流れの中に、各利用者のナースコールに対応しなければならない。「トイレに行きたい」「今日は何曜日か」「いつ家に帰れるのか」「オムツが塗れたので交換してほしい」「コーヒーが飲みたいから食堂に連れて行ってほしい」「頭が痛い」・・・・・等々。
 一日中、フロアを駆けずり回っている感じである。
 今度万歩計をつけてみよう。



4. 介護の仕事は矛盾が多い
 
 利用者の話をじっくり良く聴いて、気持ちを受けとめて、できる限り要望に添うように介護したい、と心ある介護者なら誰もが思う。介護者と利用者とが陽の当たる気持ちよさそうなフロアで笑顔でコミュニケーションしている姿が、介護職の募集広告などによく載っているので、利用者と会話するのが介護の仕事のメインと思ってしまうが、実情はそうではない。
 コミュニケーションの大切さは職員は分かっているし、もっと利用者と話す時間がほしいと思っている人も多いのだが、忙しすぎて一人一人の利用者とじっくり向き合う余裕がない。それに、一人に深く関わりすぎると、全体が見えなくなる危険もある。
 かくして、コールに追われ、忙しくフロアを走り回っている職員達を尻目に、食堂の決まった席で日がな一日、何することもなくボーッと時間を潰している老人達。
 これではボケも進むよな~、と正直思う。
 たとえば、一日30分でもいい。一人一人の利用者と向き合い、当人が一番したい話を丁寧に聞くことができたなら、当人の意識はずいぶんしっかりしてくるだろう。なにより、生き生きしてくるだろう。それが認知の改善やADL向上につながるだろう。
 だが、それができない現実がある。
 問題の一端は、人手不足。自分のところは30名近い利用者を常時2人か3人で見ている。これはどこの施設でも似たようなものだろう。安月給でも休みが満足に取れなくても利用者のためを思ってよく働く、良心的な介護職の自己犠牲によって、どうにか日本の介護は成り立っているのだとつくづく思う。
 もう一つは、利用者の側にある。
 独りでいる自分を支えるスキルを持っていない人が多い。一人で楽しめる趣味もなく、他者とのコミュニケーション能力もなければ(これは男の利用者に多い)、あり余るほどの時間は地獄の苦しみとなろう。
 ここがボケ老人と幼稚園児との違いである。幼稚園児は一人で楽しみを見つけることができる。友達をつくって(つくるという意識もなく)遊ぶことができる。
 逆に言えば、そういう人(一人遊びができない、コミュニケーション能力がない)が認知になりやすいのかもしれない。
 施設にいる間にどんどんボケが進んでいく老人を目の前に見ていると、いったい日本の介護はこれでいいのだろうかと思う。
 いや、日本人の年の取り方はこれでいいのか、と思う。



 とりあえず、自分の第一の使命は、仕事を覚えること、介護技術を身につけること、そして利用者の役に立てる介助ができることである。

 一ヶ月後には、どんな報告ができるだろうか。
 「辞めました~」でないことを祈る。


→「介護の仕事2」http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/6355170.htmlに続く。

● 介護の仕事2 (開始二ヶ月)

 家の近くの老人ホームに勤め始めて2ヶ月が過ぎた。

 数日前にやっと‘一人立ち’(先輩職員に就かずに、一人のスタッフとしてフロアを回すこと)した。
 はあ~、長かった。
 先生役の職員のしごきや罵倒に耐え、数々の失敗にもめげず、思いのままにならない利用者の対応に時にうんざりしながら、どうにかここまで来た。自分を褒めてやりたい。
 ちょっとずつ、それぞれの介助技術は身に付いてきている気がする。業務の流れも大方覚えた。体力的には依然としてしんどいが、休日には山登りできるくらいになったのだから、慣れてきているのだろう。糞尿はとくに問題なかった。というより、多忙と緊張とで糞尿がどうこうとか考えている余裕もなかったのが実際のところである。
 これからが正念場である。一人でフロアを回すことに自信が持てるようにならなければならない。
 なんだかんだ言って、やっぱり試用期間が3ヶ月というのは正解なんだなと思う。
 今は業務をそつなく(事故なく)こなすのにいっぱいいっぱいであるが、3ヶ月を超えればちょっと余裕が出てきて、もっと利用者一人一人をじっくり見て、必要なときに必要なこと(声がけ、介助、生活上のリハビリ、傾聴など)ができるような気がする。


1.介護の仕事は喉が渇く

 毎日仕事が終わると、帰り道にあるコンビニに寄ってアイスキャンデーを買うのが日課となった。62円の「ガリガリ君」である。店にあるのはソーダ味と人気の梨味。カジカジしながら、駅へと向かうのである。いい大人が、と思わないでもないけれど、渇いた喉はクールな刺激を求め、疲れた体は甘みを欲する。
 一日中空気が乾燥している施設の中にいて、フロアを動き回り、利用者の移乗などで体力を使い、レクリエーションで声を出して盛り上げ、入浴介助で汗を流す。しかも、常に転倒などの事故が起こらないように緊張している。喉が渇かないわけがない。
 スタッフの中には1リットルの水筒を欠かさず持ってくる人もいる。
 こんなにアイスキャンデーを食べたのは、高校時代の部活動(テニス部だった)の終わったあとの買い食い以来である。
 先日はガリガリ君に当たりが出た。


2.介護の仕事は痩せる! 


 上記の様なハードワークで体重がぐんぐん落ちると共に、介護に必要な部分(上腕や太もも)に筋肉が着いて体が引き締まってきた。仕事を始める前から4キロ減った。
 ウエストも細くなり、ベルトの穴も知らぬ間に一つずつ内側の穴へと移行し、いま一番内側の穴で止めてもまだ緩い状態である。これは実に20代以来の快挙。
 鏡で見る顔もあごのラインがすっきりして、顔全体が小さくなったようだ。
 中年太りからの離脱は、間違いなく健康によい。寿命も伸びたかもしれない。
 一方、職員の中には一年で5キロ太ったという人もいる。
 慣れてくると太るのかもしれない。気をつけよう。


3.介護の仕事は「ぎったんばっこん」、でも平常心が大切

 ある日は、特段何事もなく、穏やかに、利用者も落ち着いていて、安楽に仕事を終える。「自分はこの仕事続けられそうだ」と前向きに考える。
 ある日は、失敗をしでかして、落ち込み、不穏な状態の利用者に振り回されて、疲れ果てて仕事を終える。「やっぱり、自分にはこの仕事向いてないな」と捨て鉢な気分になる。
 介護の仕事は、気持ちが上がったり下がったりの「ぎったんばっこん」である。
 面白いのは、こちらの気分を読み取るかのように、利用者の状態も変化することである。これは認知症の人でも変わりない。いや、認知症の人ほどそうかもしれない。
 こちらが落ち着いていて穏やかな明るい気分でいれば、利用者も落ち着いていることが多い。こちらがパニクって焦っていたり、イライラしたりしている時は、利用者もまた不穏な状態になり、ますます事態は混乱し、悪循環に陥ってしまう。
 利用者の状態は、こちらの心の状態を映す鏡のようなものなのだ。
 何があっても平常心を保つこと。
 これがどうやら極意のようだ。


4.介護の仕事は「さ・し・す・せ・そ」

 しょっちゅう失敗し、先生役の職員に叱られた最たるものは、利用者の部屋のセンサーのスイッチの付け忘れと車椅子のストッパー(ブレーキ)のかけ忘れだった。
 これはどちらも利用者の転倒という文字通り「致命的な」事態を招くミスである。

 例えば、部屋のベッドから起きあがった利用者は、自分の歩行能力を過信して、あるいは失念して、ベッドから下りて自力で歩こうとする。ベッド脇にある車椅子に乗ろうとする。
 そのとき、ベッドの下に敷かれたコールマットのセンサーが入っていれば、フロアにコールが鳴り響いて、職員はすぐに駆けつけて介助することができる。(間に合わない場合もあるのだが・・・) センサーがオフになっていたら、誰にも気づかれないうちに、利用者はベッドから立ち上がって転倒する危険がある。また、自分で車椅子に乗ろうとして、車椅子のストッパー(ブレーキ)がかかってなければ、車椅子が勝手に動いてしまい、支えを失った利用者はやはり転倒する危険がある。
 この二つのミスは絶対やってはいけないミスなのである。
 もし、利用者が転倒し怪我をしたり、命を落としたりした場合、この二つのミスが要因としてあったら施設は申し開きできない。賠償問題となり得る。職員も目覚めが悪いことだろう。
 先生役の職員が何度も口を酸っぱくして叱ってくれたのは、だから、自分の為を思ってくれてのことなのである。
 だが、たとえば、一人の利用者を部屋で介助をしているときに、別の利用者のコールが鳴ったら、あとの利用者の方が転倒リスクの高い人だったら、「すぐに駆けつけなくては」という気持ちが働く。その結果、まえの利用者の部屋を急ぎ足で出てしまうことが多い。そのときに、センサーと車椅子の確認を怠ってしまいがちなのである。

 これは何か忘れないためのいい方法がないものかと思案して、部屋を出る時の「指さし確認・声出し確認」を考えた。それが「さ・し・す・せ・そ」である。


さ=柵       →ベッドの柵の開閉具合は、利用者の状況に合った通りになっているか。
し=下       →ベッドの高さは一番下になっているか。
す=ストッパー ベッドと車椅子のストッパーはかけてあるか。
せ=センサー  センサーはオンになっているか。
そ=装具     →利用者の装具類(手足の補助具、包帯、弾性ストッキング、クッションなど)は適切な状態になっているか。


 窮ずれば通ず。
 いいアイデアが浮かぶものである。


前段 →介護の仕事1
続き →介護の仕事3



 

● 介護の仕事3 (開始三ヶ月)

 老人ホームの仕事を始めて3ヶ月が過ぎた。

 この1ヶ月は時間が経つのが早かった。最初のひと月を100とすると、ふた月めは80、みつき目は40くらいの長さに感じた。慣れるとは時間の経過が早まることなのだと思う。
 先輩職員のマンツーマン指導から離れて一人立ちし、試用期間も過ぎて、まだ自信も余裕もないけれど、仕事が終わったあとに反省することのない日はないけれど、「事故なく一日が終わればとりあえずクリアかな」というお粗末な介護レベルではあるけれど、なんとか続けられそうな気配が見えてきた。
 今の目標はとりあえず半年である。


1. 介護の仕事は体力勝負

 これは分かっていたことだけれど、本当に肉体労働の世界である。
 仕事中は夢中で気づかないが、帰宅してから、あるいは翌朝に、肩や腰の重みや痛み、体のだるさをまったく感じない日はない。
 特にコタえるのは入浴介助。利用者のために十二分に暖められた浴室で、ポタポタ落ちる汗を拭う間もなく、何時間も洗髪・洗体介助を続けていると、気が遠くなってくる。利用者の下半身を洗うために、あるいは靴下やズボンを脱着するために、しゃがみ込むポーズは腰痛持ちにはご法度なのであるが、致し方ない。
 入浴介助のあった日は、だるさと眠気とで家に帰っても何する気も起こらない。自分の入浴も面倒くさくなる(笑)。
 そのうえ、ここ数日のとてつもない暑さ。
 先日も帰宅して、シャワーを浴びて下着姿でビール缶を開けたはいいが、気づいたらソファに横になったまま、部屋の電気も冷房もつけっぱなしのまま朝を迎えて、ビールはすっかり気が抜けていた。脱原発派として、恥ずかしい限りである・・・。
 最初のうちは、緊張と覚えることの多さに圧倒されて気力の消耗のほうが問題だったが、ここにきて肉体的な疲れや痛みが表面化してきたのであろうか。これも慣れてきた証拠なのかもしれない。
 若い頃は一晩ぐっすり寝れば取れた疲れが・・・なんて愚痴は言ってもせんない。自らの老化を受け入れてこその介護職である。
 そろそろ、近くのジムで水泳と筋トレを再開しようと思っている。



2. 介護の仕事は腰がネック


インゲン 001 腰痛は20代の頃からの長いつき合いである。
 背骨の腰椎と腰椎とをつないでいる椎間板が腰のところで擦り減っている。ずれて飛び出した椎間板が脊椎を走る神経に触れると、痛みと足のつりが生じる。いわゆる椎間板ヘルニアだ。今のところ完治方法はない。
 週に2回ほど、仕事帰りや休日にクリニックに通って、牽引と電気治療の処置を受けている。根本的な治療にはならないが、痛みを避けようと終始同じ方向に緊張している筋肉がほぐれる感覚はある。
 仕事中はもちろんコルセットをつけている。腰への負担が少ない体の使い方、いわゆるボディメカニクスを利用した介助方法の実践は必須である。ただ、それも万全でないことは、先輩職員の中にも腰や膝を痛めている人が少なくないのを見れば分かる。
 コルセット常に腰に時限爆弾を抱えながら働いている。






3. 介護の仕事はプライドのぶつかり合い


 ベテラン介護士のプライドは高い。
 自分なりの介護哲学や介護方法をそれぞれが多かれ少なかれ持っている。仕事に一所懸命な人であればあるほど、利用者のことを考えている人であればあるほど、その傾向が強い。みな、自分が一番利用者の状態を分かっている、と思っている。
 ある一人の利用者に対して、複数の介護士が抱く見解やベストの介護方法が一致すれば問題ないのだが、やはりそうは問屋がおろさない。A介護士が決めて申し送った介護方法を、B介護士がひっくり返すなどということがしょっちゅう起こる。
 例えば、利用者Dさんの入浴方法について、「独歩にふらつきが見られるのでリフト浴(浴室、浴槽にそのまま入れる専用の車椅子を使う)でお願いします」とA介護士が申し送った数日後に、「廃用性症候群(使わない体の部分が衰えて使えなくなってしまうこと)を避けるために、一般の浴槽を使ってください」とB介護士がひっくり返す。
 当然、意見を否定されたA介護士は面白くないだろう。
 こういう場合、表立てて意見を述べ合い議論して両者が納得する結論に達するというやり方は、日本人には馴染まない。対立が表面化するのを回避して、双方が黙ったまま、やり過ごす。
 しかし、それは決して、互いの違いを認めて寛容に対処するとか、自分が譲歩するという方向での妥協を生むのではない。表に出さないだけに、心の中で不満やわだかまりを抱えていくことになる。
 介護の仕事は人間関係が難しいとはよく言われるが、介護方法に対する見解の違いが結構大きな要因の一つであるとは、現場で働いてみるまで想定していなかった。単なる、「あの人が嫌い」とか「あの人とは気が合わない」という低次元のあらそいだけではないのである(それもあることはあるが・・・)。
 だが、利用者の側にしてみれば、介護してくれる人ごとに異なる介護方法を提供されることは混乱するばかりか、QOL(=Ouality Of life、生活の質)を上げる点で逆効果になることもある。
 だれか「この利用者にはこうしてください」と決定し命令できる権威か上部機関でもあればよいのだろうが、介護の仕事はまだそこまでの組織性は獲得していないようだ。 
 また、一般企業のように、あるいは、たとえば近い分野にいる看護の仕事のように、上意下達のピラミッド組織になることが果たして良いのかどうかという点もある。
 自分の場合、当然、介護の方法を提案することなどあり得ないので言われたままにやるしかないのだけれど、その言われることが先輩職員一人一人によって違うのだから結構面倒なのである。
 利用者の為を思うのならば、もちろん統一したケアが一番である。ある方法を試して上手くいかないのであれば、別の方法を統一してやればいいだけの話なのだ。
 そこにプライドを介在させる必要はない。



4.介護の仕事はチャレンジャブル


 食事、排泄、更衣、移動、入浴等々、それぞれの介護の方法に基本的ベース(たとえば、更衣する時の「脱健着患」など)はあるけれど、利用者の症状やADL(日常生活動作)は一人一人異なるので、それに合わせて介護方法を変えなければならない。バリエーションは利用者の数だけある。

 また、頻尿の利用者がいたら、ただ本人が欲求するままにトイレに連れて行けばいいというものでもない。なぜ、すぐにトイレに行きたがるのか原因を考えなければならない。水分の取りすぎなのか、膀胱内に炎症があるせいなのか、残尿の為なのか、精神的な問題なのか・・・。それを探り、適切な対処手段をとるためには、排泄障害に関する知識と、医療(医師や看護師)との連携が大切である。

 利用者に処方される薬についても、ある程度の知識は必要である。下剤が処方されたなら、折りを見てトイレに誘導する必要がある。(さもないと便意を訴えられない人の場合、失禁ということになる。もちろん、介護の負担が増す。) どんな副作用があるのかも知っておきたい。


 リハビリについての知識や技術も必要である。歩行訓練をする時に、どんなふうに、どの程度の介助が必要なのか、どんな声がけが本人をその気にさせるか等々、学べることはたくさんある。

 認知症の人の対応の仕方も奥が深い。どの程度の認知レベルなのかを把握することから始まって、どの程度のことが自分でできるのか、どんな時に不穏状態になるか、どんな言葉がけや話題が本人を活気づけるか等々、普段から観察と見守りと試行錯誤が欠かせない。

 介護の仕事は、学ぼうと思えば、学ぶことがいくらでもある。
 でも、その気がなければ、表面上の介助だけをたんたんと事務的にやることもできる。



5.介護の仕事と自己決定


 三ヶ月経って、自分がこの仕事に向いているのかいないのか、この仕事が好きなのかどうなのか、いまいち混乱している。
 利用者と話していて波長があった時、この仕事は面白いなあと思う。自分に向いているなあと思う。
 しかし、利用者が望んでいないことをしなければならない時、たとえば、入浴拒否やリハビリ拒否のある人に対して入浴やリハビリをさせなければならない時、自分には向いていないなあと思う。
 基本的に、自分は「本人がやりたくないことをやらせたくない」。
 それをやることがいかに本人の為になろうが、それをやらないことがいかに本人のマイナスになろうが、本人が望むならばその通りにさせればいいという考えが強い。自己決定の尊重と言えば聞こえはいいが、介護職としては無責任なのかもしれない。
 なぜなら、「死にたい」という人間の自己決定を尊重することは、殺人幇助に等しいからだ。

 「風呂に入りたくない」と頑張っている高齢者を、言葉巧みになんとか懐柔して、説得して、気をそらして、入浴させてしまうのが良い介護士の資質なのかもしれない。あるいは、「風呂に入りたくない」という利用者の言葉の裏にはもっと別の深い要因が潜んでいて、そこを読み取ることが大切なのかもしれない。が、幾重にもよじれた感情の糸を解きほぐし理解し平らげていくのは、正直面倒くさい。

 元来、自分は他人との感情の駆け引きが苦手である。というよりそこに関心がない。「口には出さない本当の気持ちを察してくれ」と、持って回った(と自分には思える)感情ドラマの相手役をさせられるのは、うざったい。(だから、恋愛が億劫なのだ。)
 それに、すでに何十年と生きていて苦労を重ねてきている人間、自分の生活スタイルが確立している人間に、彼等から見れば洟垂れ小僧の自分が、「こうしなさい」「ああしなさい」と言うのは、おこがましい気がしてならないのである。
 一方、認知症の高齢者は「何が自分にとって良いのか」を十分に理解できない面もある。子供と同じだ。誰かが親代わりとなって面倒を見る必要がある。

 
介護と自己決定の問題は、突き詰めれば「尊厳死」をどう考えるかにつながる。もっとよく考えてみるべきテーマである。





前段 →「介護の仕事2
続き →「介護の仕事4

● 介護の仕事4(開始半年)

 老人ホームで働き始めて半年が過ぎた。

 慣れてきた、と言っていいだろう。
 日々の業務は頭に入った、というより体に染みこんだ。職場の雰囲気にも馴染んだ。一つ一つの基本的な介助もまずまずこなせるようになった。利用者ひとりひとりのADL(日常生活動作)や性格や好みやこだわりも見えてきて、その人に合わせた対応の仕方、話題の選び方、声がけのタイミング、介助のコツに注意が払えるようになってきた。
 たとえば、Aさんの入浴介助は頭でなく身体から先に洗うこと、Bさんを喜ばせるテッパンの話題は警察官だった父親の話、Cさんの機嫌が悪いときは下手に声かけせずにしばらく放っておくこと・・・というふうに。
 仕事に行くのが気が重い日ばかりだったけれど、暑さも盛りを過ぎ、朝晩涼しさを感じるようになると、体もラクになり、さほどの憂鬱や不安も感じずに職員用入口の扉を開けている自分がいる。もっとも、「さあ、今日も頑張るぞ~」とか「今日はどんな楽しいことがあるだろう」という前向きな気分にはまだなれないでいるが・・・。
 新人職員としての緊張は消えかかっているけれど、別の意味の緊張感だけは持続している。どんなに馴染んでも緊張だけは取れない。また、取ってはならないのが人の命を預かっているこの仕事の宿命かもしれない。
 半年あまりで数名の利用者が亡くなっている。


1. 介護の仕事は回転が速い 
 利用者も亡くなるが、職員もいなくなる。
 辞める人が多いとは聞いていたが、これほどバタバタ辞めるとは思わなかった。一ヶ月に一人は辞めている。それも知らないうちに。新しい職員もやってきて各フロアに挨拶回りしていくのだが、数日したら姿を見かけない。定着率も驚くほど低い。
 これが当たり前になっているのだろう。辞める理由について誰もそれほど詮索しないし、新しく入ってきた人に過大な期待はしない。いつかは別れると分かっているからか、深く知り合うこともない。
 自分のような介護新人の場合、定着率の悪さは、施設の環境や人間関係がどうのこうのというよりは、介護の仕事そのものに対する「向き不向き」が大きいだろう。向いているかどうかは一ヶ月あれば自覚できる。いや、「向いていない」ことは一ヶ月で自覚できる。半年たって続いている自分は、「向いていない」ことはないのだろう。
 ベテランの場合の退職理由は、他の職業同様さまざまであろう。給料が悪い、人間関係が悪い、体調(特に腰)を崩した、施設の方針に納得がいかない、家の事情、他の介護施設で働きたくなった・・・等々。
 だが、退職者の多い一番の理由はおそらく、介護職はいったん技術と経験を身に着けてしまえば(特に「介護福祉士」という資格を手に入れてしまえば)、今のところ売り手市場の業種であるところにあると思う。看護師同様、自分にとって最も快適な職場環境を求めて渡り歩くことが可能なのである。「包丁一本、さらしに巻いて~」の世界である。自分も早くそうなりたいものだ。(って、辞める気でいるじゃん)
 補充される人数より流出する人数の方が多いのだから、現場は常に人手不足となる。シフトの埋まらないところをフリーの立場にいる上司が入ってなんとか回して行くのだが、それでも当日になって誰かが病欠するとシフトに穴が開く。その穴を埋めるために、他のフロアに入っている職員たちが協力して時間を作り出して、病欠者の出たフロアの手伝いに回る。毎回なんとかしのいでしまうのだから驚く。長く残っている職員はやはりベテラン揃いで、よく気が回る人が多いというのも事実である。

2.介護の仕事はその人が「ムキ出し」にされる
 「回転が速い」からか、職場の人間関係は思った以上に淡白である。良く言えば、それぞれのプライバシーに必要以上踏み込まない。仕事さえきちっとやっていれば文句は言われない。 
 何十人の同僚はいても、日々一緒に仕事をするのは、同じ日に同じフロアに重なる時間枠でシフト入りするたかだか3~4名に過ぎない。その相手とも次に一緒に入るのは一週間後だったりする。下手すると半月近く顔を合わさないこともある。
 一緒にシフト入りしても、仕事中は利用者に注意を集中していないとならないから気軽に雑談している暇はない。利用者の情報を交わすのがメインとなる。
 他の施設は知らないが、飲み会も半年にいっぺんくらい。
 そういうわけで、半年たつのに不思議なくらい同僚のことを知らない。結婚しているのか、子供はいるのか、何年介護の仕事をしているのか、どこに住んでいるのか、この仕事に何を期待しているのか・・・。自分もまたあえて聞かれない限り自己開示しない。
 こういう人間関係をつまらなく淋しく思う人もいるだろう。気楽で心地よいと思う人もいるだろう。自分はどちらかと言えば後者である。
 だが、面白いのは一緒にシフト入りして仕事をすれば、特段話さなくとも相手がどんな人間かいっぺんに分かってしまうのである。それは、この仕事が高齢者いわゆる「弱者」相手の仕事であり、利用者に対する対応の仕方(特に声かけ)で、介護者の性格が「ムキ出し」になってしまうからである。
 利用者を幼児のように扱い子供言葉で声がけする人、自分の言うことを聞かない利用者を叱りつける人、常に敬語を用い利用者に作業(例えば、おしぼりたたみ)を手伝ってもらったあと感謝を忘れない人、学生時代の延長のようにタメ口で話す人、利用者の昔話をほとんど聞き流しテキパキと介助する人、ちょっとした用事で別のフロアに行った時もそこのフロアの利用者に必ず顔を見せて挨拶する人・・・・・。いろいろである。
 自分の対応の仕方も他の職員に観察され、評価され、正体が見定められていることだろう。
 こわい職業だ。

3.介護の仕事は「急がば回れ」
 高齢者はすべてにおいてペースがゆったりしている。そして、自分のペースを守りたがる。そのペースを無視して介護者都合で業務を行おうとすると、かえって余計な仕事が増えることが多い。三好春樹の言葉にもあったが「効率的にやろうとすればするほど非効率になる」のだ。最近になってようやくそれが分かってきた。
 食べるのが遅いKさんがいる。他の利用者すべてが食べ終えて、口腔ケアや排泄も済んで、寝巻きに着替えて、それぞれの部屋のベッドに横たわっても、まだ一人食堂で悠然と夕食を食べている。下手すると2時間近くかかるのだ。
 介護者としては、早いところ食事終了にして、歯磨きさせて、寝かせつけてしまいたい。これから日誌もつけなければならない。トイレのゴミ(パット類)も収集しなければならない。排泄や水分の集計もしなければならない。各利用者のケースも入力しなければならない。その間にも、いったん就寝した利用者が起き出してトイレに行きたがるのだ。夜勤の職員にバトンタッチし定刻に上がるためには、Kさんに「とっとと寝てもらいたい」のが本音である。
 ある日、Kさんをせかして食事を途中で切り上げ(一応90分で切っていいことにはなっている)、車椅子を洗面台までダッシュさせ、ほうっておいたら20分はかかる歯磨きを付きっきりで10分でやってもらい、トイレに連れて行き、便座に座らせた。
(やった~。これで40分は稼いだぞ)
 と思ったら、そのとたんあちこちの居室からナースコールが鳴り響き、目を覚ました利用者の排泄介助に追われるハメになった。その間、Kさんはトイレに座りっぱなし。やっと、手が空いてKさんの元に戻り、トイレから出ると、「まだ、歯磨きしていない」と言い張る。「さっき、一緒にしましたよ」「いや、まだしていない」「お口の中きれいですよ」「もう一度したいから連れて行って」
 結局、二度手間になってしまった。その上、すべてを終えて就寝してもらったあと、しばらくするとコールが鳴り「お腹が空いた」とおっしゃる。その対応に苦慮しているうちに、他の部屋からまたしてもコールが・・・。
 結局、定刻通りには終わらなかったのである。
 それぞれの利用者が持っているペースを無視すると、そのぶり返しがあとで必ずやってくる。本人の中に「ちゃんと食べていない」「ちゃんと歯磨きしていない」「ちゃんと薬を呑んでいない」という不全感が生じてしまうのである。
 また、一緒に暮らしている利用者同士には見えない不思議な連携が存在するように思うことがしばしばある。誰か一人のペースが乱されると、それ以外の利用者もいっせいにいつもと違う反応を示すのである。まるで「和」が乱されたことに不安を覚え、いっせいに異を唱えるかのように。
 あたかも互いが今どんな状態にあるのかを熟知し助け合うかのように、一人が救急状態に陥った時など、他の人々は~普段どんなに頻繁にコールを鳴らす人でさえ~その時に限って落ち着いて寝ていたりする。
 この利用者間のテレパシーのような「互助反応」は、まことに不思議なものである。
 それが分かってからというもの、できるだけ利用者のペースで介助を行い、待っている時間に他のできる雑用(ゴミ収集、洗い物、記録付け)を片づけるようにしている。


4.介護の仕事は「日々是好日」
 一日が無事に終わるとホッとする。同時に充実感に満たされる。
 この感覚はどこかで味わった覚えがある。そう、ヤマパンの工場で日雇いのバイトをしていた時の感覚である。その日の仕事はその日で終わり、という日雇い労働だけが持つ「完了感」である。
 むろん、介護の仕事は日雇いではない。利用者は今日も明日も明後日も(確率100%とは言えないけれど)そこにいて介護の継続を願っているし、職員も利用者の変化をある程度のスパンで見守りながら介護する。いきなりクビになることもそうそうない。持続性は保たれている。
 だが、その日その日が勝負だという感覚がある。
 加えて、だんだんと自分の先行きが気にならなくなってくる。この仕事がいつまで続くか、腰を痛めて続けられなくなったらそのあとはどうするか、自分の老後はどうするか、いくら貯金があればいいか。そういうことが気にならなくなってくる。
 これはどういうことだろう?
 自分だけに限ったことか?
 思うに、仕事に入る前にいつも願う「今日一日がとりあえず無事でありますように」という思いが、そのように(無事に)終わったとき、祈りが聞き届けられたような至福感につながるのだろう。それが「今日も無事終わった」という完了感となり、その繰り返しが「明日のことは明日心配すればいい。明日祈ればいい」という思い癖になっていくのだろう。
 この「無事」というのは「今日は利用者の転倒も誤嚥も救急搬送も死亡もなかった」という意味ではない。そういうことは避けられないし、実際自分のシフト中に救急搬送になったこともある。そうではなくて、自分の何らかの落ち度で利用者の命に関わるような事態にならなくて良かった、という意味である。
 介護職の退職理由の中には、そういう失敗をして以後高齢者に関わるのが怖くなったというのもある。この仕事で一番つらいのは、肉体労働のきつさでも、感情労働のしんどさでも、休みが取れないことでも、賃金が低いことでも、糞尿を扱うことでもなくて、自分のミスで利用者に致命的な害をもたらしてしまうことである。
 祈らずにシフト入りする日は一日たりともない。


前段→介護の仕事3
続き→介護の仕事5





 

● 介護の仕事5 (開始10ヶ月)

 老人ホームで働いて10ヶ月になる。
 日々の仕事にずいぶん慣れた。身体の使い方や業務をこなす段取りが上手くなったと思う。更衣・入浴・オムツ交換など一つ一つの介助を行うスピードも上がってきた。
 業務を円滑に行う上で「慣れてきた」のはいいことであるが、一方で懸念すべきこともある。
 一つは緊張感を失い基本を怠った介助を行った結果、事故につながる可能性。山登りでも峠を越えて一安心した頃が一番危ない。先日も落薬ミスをしたばかり。利用者に薬を投与する際に床に一粒落としてしまい、他の利用者に指摘されるまでそれに気づかなかった。
 もう一つの懸念は、施設で働き始めた当初に感じた「違和感」が薄れてきていることだ。
 施設の外の世界(一般人の生活空間)と施設の中の世界(介護生活空間)とは勝手が違う。外の世界の「あたりまえ」が中の世界では通用しない。中の世界の「常識」が外の世界では「非常識」。当初、そのギャップに強烈な違和感を持った。「これでいいのだろうか?」「これしかないのだろうか?」という疑問を抱いた。が、最近はそれが薄れている。施設の「あたりまえ」がだんだんと自分の「あたりまえ」になってきているのを感じる。
 それは脅威である。
 やっぱり「あたりまえ」にしてはいけない部分があると思う。
 風化しないうちに、それをもう一度洗い出して、検討して、言葉にしておく必要を感じる。


1.「外に出られない」ということ

 いったん入所したら、利用者は自分ひとりではもう外に出ることができなくなる。家族が訪れて本人を連れ出すとき以外は、必ず誰かスタッフが一緒についていくことになる。そもそも一人で生活するのが困難な状態に、終始見守りが必要な状態になったから施設に入れられたわけであるから、当然と言えば当然なのだが・・・。
 ほとんどの利用者は、多かれ少なかれ認知症があるので一人で外出したら行方不明になりかねない。転倒や交通事故にあう危険もある。
 施設では、利用者が勝手に外に出ないようにフロアのすべての扉や窓を三重ロックにしている。スタッフだけが出入りできるようドアの開閉には暗証番号を用いている。
 一方、外出を希望する利用者に対して、その都度希望を叶えてあげる余裕はない。スタッフが圧倒的に足りない。
 利用者は、好きなときに好きなだけ外を散歩することもできない。
 我々の住む「外の世界」では考えられないことである。
 ある意味これは「幽閉」である。「監禁」である。
 介護の世界では「利用者の拘束は虐待にあたります。やってはいけません。」と言う。ベッド柵を閉める、居室に鍵をかけて閉じ込める、車椅子から立ち上がらないよう紐で縛る。そういったことには目くじらを立てるのに、大本のところで自由を奪っていることに呵責を感じていないみたいである。
 毎日夕刻になると、フロアを徘徊する利用者がいる。外に出ようと、あっちの扉、こっちの窓と渡り歩いて鍵を開けようとする。その姿を見ていると「いったい自分たちは何をしているんだろう?」と思うことがある。まるで牢屋の番人のようだとも。

 利用者の安全を守るために、これは仕方ないことだと分かっている。徘徊する利用者の姿にも慣れたし、その対応方法もつかんできた。外に出すわけにはいかない。利用者の家族に介護をまかされている以上、命を守る責任がある。
 かくして、自分の部屋と食堂、その二つをつなぐ廊下。それだけが利用者の生活空間になる。
 働き始めた頃、あまりに覚えることが多いのと緊張とで毎日がストレスフルであった。仕事を終えて帰るときにこう自分に言い聞かせて励みとした。
「それでも自分は帰るところがあるだけマシだ。自由に外に出られるだけ幸せだ。」


2.「好きなものが食べられない」ということ

 長年、自分は、好きな物を好きな時に好きな形態で好きな量だけ食べる(飲む)のをあたりまえとする生活をしてきた。健康やメタボを考えて食べる量を減らしたり、食べる物を制限したりということはあるけれど、それだって結局自分の意志でやっていることである。食べたくないのに無理やり食べさせられる、飲ませられることもない。(学生時代、クラブの先輩に酒を強要されたくらいか・・・)
 施設ではこの自由も奪われる。
 朝昼晩メニューは決まっている。みんなと同じものを食べるほかない。量も決まっている。おかわりもできない。持病によって様々な食事制限がある場合、あらかじめメニューからはずされてしまう。(例えばワファリン服用者は納豆が禁止) 誤嚥による窒息や肺炎を防ぐために食事の形態も決められてしまう。元の食材が何だったか分からないほど、細かく刻まれたり、SF映画に出てくる宇宙食みたいにカラフルなペースト状にされる。酒やタバコも施設内ではダメである。これは健康上の理由もあるが、集団生活であること、防災上の理由もある。
 人間にとって最大の楽しみの一つである食べること。その自由が奪われる。
 一方、現在ホームにいる老人たちは、日本が貧しかった時代を生きてきた。子供の頃のひもじい思い、戦中戦後の食料難を知っている。「食べられる物があれば恩の字」という考えの人も多い。飽食の時代を生きている戦後生まれのような食に対するこだわり(グルメ)やわがままは希薄である。そこは救いかもしれない。
 食べることへの執着を手放していかないと老後は辛い。


3.「始終監視される、あるいはプライバシーがない」ということ

 安全を守るという大義名分のもと利用者は一日中監視下に置かれる。これを介護用語では「見守り」と言う。

 勝手に部屋の扉を開けられる。
 勝手に部屋に入られる。
 知らないうちにセンサーマットを入れられる。(転倒リスクの高い人がベッドから降りるたびに鳴り響く仕組み。)
 勝手にトイレの扉を開けられる。
 勝手にトイレに入ってこられる。
 用を足している間も職員が傍らに立っている。
 一人でゆっくり風呂に浸かれない。

 外の世界では考えられない話である。裁判沙汰になってもおかしくないことばかり。
 たとえ集団生活であっても、自分の部屋やトイレの個室や浴室は、人が独りっきりになってリラックスできる唯一の場所である。その空間が奪われるなんて今の自分には考えられない。
 最初のうちは利用者が用を足している脇で排尿や排便の音を聞きながら突っ立っているのに抵抗があった。逆の立場なら恥ずかしいのと緊張とで出るものも出ないだろう。
 だが今はやっている。一人で姿勢を保って便器に座るのが困難な人の場合、仕方ないからである。それができる人ならば、便器に座ってもらったら基本いったん外に出る。が、再度トイレに入る際にノックはするが返事は待たない。利用者に拒否権はない。
 翌日の入浴準備をするため、利用者が食堂にいる間に利用者の部屋に無断で入って利用者の衣類を引っ掻き回す。最初は戸惑ったことも今ではやっている。女性の下着だからとて容赦しない。外の世界で同じことをやったら、「空き巣」「プライバシー侵害」「準わいせつ罪」である。(無論、自分で準備ができる方には声がけしてやっていただくようにしている。)
 こういった非常識がまかり通るのは、利用者に認知症があって自力ではできないからであり、権利の侵害に無反応になっているからであり、「介護されているんだから仕方ない」という弱み(あきらめ)があるからである。そしてまた、業務があまりに忙しくて、すべてのことについて、いちいち一人一人の利用者の許可を得て介助するのは到底不可能だからである。

 自分のプライバシーについての感覚がずいぶん麻痺していると思う。外の世界の生活に波及しないといいが・・・。)


4.「好きな時に起床できない、横になれない」ということ

 隠居してせっかく丸一日自由な時間が得られたというのに、悠々自適な老後だったはずなのに、施設に入れば一日のスケジュールが否応無く決まってしまう。「今日は昼まで布団の中でゴロゴロしていたい」「どうせ起きても何もすることがなくて退屈だから寝ていたい」と思っても、具合が悪くない限り職員が起こしに来る。日曜・祝日も関係ない。
 規則正しい生活は健康維持には欠かせないし、日中臥床してしまうと夜眠れなくなり、しまいには昼夜逆転してしまう。夜勤スタッフにとって、夜中にフロアをふらつく利用者、トイレ頻回の利用者はごめんこうむりたいところである。それに、寝てばかりいて筋力が落ちるのも、褥瘡ができるのも困る。
 最初はこうしたことが分からなくて、「なんで本人が寝たいと言っているのに寝させてあげないんだろう?」と思っていた。
 大体、自分の基本的な考え方は「もうここまで十分生きてきたのだから、あとは好きにさせてあげたら・・・」なのである。が、それを認めてしまうと、負担は我々職員に跳ね返ってくる。一人一人の利用者の好き勝手を援助していたら、到底手に負えなくなる。
 丸一日時間を好きに使える休日を持てることの贅沢さを、この仕事を始めてから一層強く感じるようになった。


5.リハビリする意味って・・・?

 介護にはリハビリも付きもの。
 体の状態が良くなり、運動機能が上がり、自分でできることが増えることは、基本的に良いことである。トイレだって体を洗うのだって他人の手を借りるより自分でできたほうが良いに決まっている。トランス(移乗)だって柵をつかみながら自力でできれば、職員の手の空くのをじっと待っている必要はない。結果として、職員の負担も減る。
 一方で、首をかしげてしまうケースもある。
 これまで車椅子でしか動けなかった人が、リハビリの成果で杖で歩けるようになった。認知があるのでフロアを行ったり来たり徘徊する。忙しい職員は四六時中見守っていることはできない。それはつまり「転倒リスクを高めた」と言うことでもある。で、転倒して骨折して車椅子に逆戻り。
「いったい何をやっているんだろう?」


 歩けるようになることは若いクララ(『アルプスの少女ハイジ』)にとっては喜ばしいことである。好きなところに自分の足で行くことができる。散歩も買い物も海外旅行もできる。汗水流して働くことだってできる。恋愛の機会だって増える。
 一方、施設の利用者は歩けたところで家に帰れるわけじゃなし、自由に外出できるわけじゃなし、仕事が待っているわけでもない。歩けた先の目的がない。
 リハビリする意味って何だろう???と思うことがたまにある。
 もちろん、本人が自分から望むならばそれをサポートするのが職員の務めである。が、リハビリを拒否する利用者に対し、なんとかその気にさせようとする意味が見えない。言葉が見つからない。
「あなたが自分で立てるようになると、介護する私たちがラクになるんですよ」とでも言うのか。


6.「暇をもてあます」ということ

 一番の違和感というか粛然とさせられたのがこれだ。
 日がな一日、何するでもなくボーッと食堂の椅子に座っている利用者達。「することがない」とはこんなに辛いものかと思う。
 テレビを観るでなし(耳が遠い、目がよく見えない、世間的なことにもう関心がない)、他の利用者と会話するでなし(認知がある、耳が遠い、自分の話を聞いてほしい人ばかりで会話が成り立たない)、何か趣味に没頭するでなし(体の損傷でできなくなった、認知でできなくなった、インドアで一人でできる趣味を持っていない)、インターネットやゲームに興じるでなし・・・。職員が行うレクリエーションに参加するか、おしぼりをたたむのを手伝うか、トイレと食席を往復するか・・・。自発的に何かを楽しむということがない人が多い。
 もちろん、そうでない人もいる。自分の部屋にこもって好きな読書をしている人もいれば、パソコンをいじっている人もいれば、編み物している人もいる。積極的にフロアの手すりを使ってリハビリする人もいる。
 だが、多くの利用者は暇をもてあましている。
 これは世代的な理由もあるのだろうか。仕事や家事だけに生涯を捧げてきて趣味や娯楽に興じる機会の無かった世代の特徴だろうか。それとも年を取ると、様々なことに興味が失われてしまうのか。あるいは認知症のため集中力がキープできないためだろうか。
 日本人の平均寿命がそんなに長くないうちは、老後も短かった。仕事ができなくなってお陀仏、子供を生んで育てて孫の子守してご臨終、という切りの良さがあった。
 いまや職業生活を終えてから、家族の世話係を終えてから先の人生が長い。
 人生の最後の空いた時間に自分は何をするか、何ができるか。それを考えておくことの大切さを思わざるを得ない。


7.「嘘をつくこと」について

 これは個人的にしんどい部分である。
 認知症の利用者に対して「嘘をつく」のは日常茶飯事である。
 夕刻になると帰宅願望が起こる人は多い。「そろそろお暇します」とか「勘定お願いします」とか「家に電話して迎えに来るよう家族に伝えて下さい」とか言って、フロアをウロウロし始める。この状態を「不穏」と言う。
 職員はうまくなだめて落ち着かせなければならない。下手に対応すると感情的になって、職員や他の利用者への暴力行為につながったり、他の利用者にも「不穏」が伝染してフロア全体が収拾つかなくなったりするからである。出口を探して徘徊しているうちに転倒する危険もある。
 そんなときにやってはいけない対応は、「なに言っているんですか。あなたはここに入所しているんですよ。ここがあなたの家ですよ。帰れませんよ。」と、相手の言うことを否定して本当のことを伝えることである。本人が納得しないばかりか、職員との信頼関係が壊れいっそう不穏状態がひどくなる。
 対応の基本は、相手を否定しない。無理に説得しようとしない。
 たとえば、こんなふうに言う。
「今日はもう遅いからここに泊まって、明日お帰りになりませんか」
「わかりました。ご家族に連絡いたしますね。その間、夕食をご用意しましたので、良かったら召し上がって行ってください。」
 むろん、「明日お帰り」も「家族に連絡」も嘘である。当座をしのいで、帰宅願望のピークをやり過ごすのである。「方便」と言えば聞こえはいいが、やはり嘘には変わりない。

 自分が嘘をつきたくないのは、正直者だからではない。
 仏教徒として守るべき五戒の一つを破ってしまうからである。

 一、殺してはならない。
 一、盗んではならない。
 一、淫らな行為をしてはならない。
 一、嘘をついてはならない。
 一、酒や麻薬などを摂取してはならない。


 一番最後の「酒を摂取」がそうそう守れないので、せめてあとの四つくらいは守りたいと思っているのである。
 この仕事をやっている間は難しそうだ。


 こうして違和感を洗い出していくと、介護という行為の性質上、「仕方ないもの、止むを得ないもの」もあれば、スタッフの増員などの条件が整えば「改善できるもの」もある。暇をもて余している利用者への対応など、「何らかの工夫の余地があるもの」もある。そのあたりを見極めていくことがポイントだろう。
 また、こちらの見方・考え方を変えることで、取り組み方を変えられる場合もありそうだ。


 介護という仕事は、人の権利や羞恥心を踏みにじったところに成り立つ「やくざな仕事」である。
 プライドや喜びをもって精を出すのは全然構わないが、決して威張れるものではない。



前段→介護の仕事4

後段→介護の仕事6 

● 介護の仕事6 (開始丸一年)  

 老人ホームの仕事に就いて一年経った。
 長かったような、短かったような・・・。最初の半年は鈍行で、残りの半年は特急だった。特に今年に入ってからは、何十年ぶりに来た大波の片恋にポワ~ンとしているうちに、冬が終わり春が過ぎて、気がつくと初夏。空には恋のぼり、いや鯉のぼりが泳いでいた。
「時間を早く感じさせるもの。それは慣れと官能である。(byゲーテ)」←うそ
 このぶんだと、はるか先に思えた介護福祉士の試験も「あっ」という間かもしれない。
 4月には新しいスタッフが入ってきた。ほとんどは福祉系の学校を出たばかりか、ヘルパー免許取り立ての未経験者。一年前の自分と同じである。
 一年前の自分の苦労を思い出して、いろいろと助けてあげたいのはやまやまなれど、自分の子供と言っていい若人ばかり。やっぱり覚えるのが早い。頭の回転も早い。体もよく動く。先輩スタッフの見習いを離れてバンバン「一人立ち」していく様子を見るにつけ、「歳を取ると新しいことを始めるのが億劫になる」と言われる所以に納得する。


 1.介護の仕事は自分のADL(日常生活動作)を見つめ直すこと

  美内すずえの傑作演劇少女マンガ『ガラスの仮面』で、主人公北島マヤがパントマイムを使った一人芝居をするエピソードがある。天才少女マヤは、黒衣の師匠月影千草から「獅子の子落とし」の如く突き放されて、独力で初めてのパントマイムの稽古を開始する。そのときに、北島マヤは悟るのである。「パントマイムとは自分が普段何気なくおこなっている日常動作の一つ一つを見つめ直す作業なのだ」と。
 介護の仕事もそうである。
 たとえば、入浴介助。利用者の洗髪をするとき、どのくらいの時間頭をゴシゴシするか、指にどのくらいの力をこめるか、シャンプーを流すのに何秒かけるか。自分の頭を洗う時は何十年もやってきているので半ば無意識にやっている。他人に対して行う段になってはじめて「はて?いつも自分はどうやっていたっけ?」と振り返ることになる。体を洗うときや髭を剃るときも同じ。いつも自分は何回こすれば良しとしているか、カミソリを肌に押しつける強さはどのくらいか、唇の上はどういう角度で剃っていたか。自分でやる時は、効果を感じるのは自分自身なので案配がわかる。他人相手だと、相手の感覚は当然分からないから、ちょうどいい加減が分からないのである。 
 食事介助も同様。利用者の口の中に食べ物を入れた。咀嚼が始まる。さて、次の一口をいつ入れるか。燕下がしっかりしていて食べ物が喉を通るときの「ゴックン」が見える人ならいい。だが、中には分かりにくい人もいる。そこで自分の食べ方を振り返るのである。「自分はいつも何回くらい噛んでから飲み込んでいるだろう?」
 食事の席から立ち上がる動作も同様。両足の位置はどこにあるか、立ち上がる時の頭の軌跡はどうなっているか、両手はどこについているか、椅子はどこまで後ろに下げるか、立ち上がったあと右から出るか左から出るか(自分は左から出る方がやりやすい)。普段は何気なくやっているこういった一連の動作を意識して見つめ直さないことには、相手に対して適切な介助ができないのである。
 もちろん、自分がやっている日常生活動作をそのままの形で相手に適用できるわけではない。高齢者はそもそも動作が緩やかである。様々な痛みや身体障害を抱えていることが多いから、若い(相対的に)自分の場合と同じペースでやってはならない。洗体なども若い(相対的に)自分にやるように強く擦ると、老人の薄く弱い皮膚は簡単に傷ついてしまう。それぞれの人の身体状況や習慣や好みも考慮しなければならない。
 それでも、基本となるもの、学ぶべきものはまず自分自身のADLであるのは間違いない。無意識にやっていることを意識化する作業が、良い介助につながる。
 北島マヤ。おそろしい子。


2.介護の仕事は「段取り力」が物を云う

  介護施設での仕事、というべきか。
 やることはやまほどある。毎回シフト入りすると始めに前任者から申し送りを受けるが、その量の半端でないこと! 一人一人の利用者について2~3つの情報が伝えられる。体調の様子、介助方法の変更、排便の状況、使用しているパットの変更、家族からの要望、外出や受診の予定・・・・・もういろいろである。それが20名分ほどある。一回に申し送られる情報の数は50個近い。これが、食事・排泄・入浴・更衣・リハビリ・レクリエーションなどの基本的な日常介助業務に加えて、スタッフに襲いかかってくるのである。
 たとえば、
「Aさんの靴下が不足しているのでご家族が来たら持ってくるように伝えてください」
「Bさんの不穏時の頓用薬が出ました。不穏になったら服用させてください」
「Cさんが便失禁した衣類をバケツに浸して消毒してありますので、洗濯して干しておいてください」
「Dさんは食事量が少ないので栄養補助ドリンクを提供してください」
 ・・・・・・。
 メモは必至にとるけれど、到底すべてを限られた時間内でこなせるものではない。
 誓って云う。基本介助業務を円滑にこなし、しかも申し送られたこまごまをすべて完璧に果たした日など一日もない。(そんなことできるのは忍者ハットリ君かサマンサくらいだ)
 それでも会議は踊る、もとい介護は回る。申し送られた業務をそれなりに片付けなければならない。次のシフトの職員に手つかずのまま丸投げするのは酷である。恨みも怖い。どうにかして時間を作り出さなければならない。
 そこで重要となるのが「段取り力」なのである。
 時間の使い方、体の使い方、動線の取り方、優先順位のつけ方、利用者の動きや表情やクセを読んで次に起こることを読み取る力・・・。そんなものが大切なのである。
 たとえば、こんなふう。

  1. 共用リビングから一番遠いDさんの部屋からコールが鳴った。「なんだろう? ああ、この時間ならたぶんお茶が欲しいんだろう。」(手早くお茶を入れて持って行く) Dさんの部屋に着いた。やっぱりお茶だった。部屋からの帰りがけにテラスに寄ってEさんの洗濯物を取り込む。Fさんが夜使うポータブルトイレをセッティングしておく。倉庫に寄って、夕食分のおしぼりを補充する。Gさんの部屋に寄って、ポケットに入れて持ってきた目薬を差してもらう。共用リビングに戻る。Hさんの部屋からコールが鳴った。以下同様。
  2. Kさんが「トイレに行きたい」と言っている。Mさんも「私も行きたい」と言っている。Mさんは車椅子だが、Kさんは手引き歩行で連れて行く必要がある。まず、Mさんをトイレに連れて行き、便座に座ってもらう。「済みましたらコールボタンを押してください」と言って出る。次にKさんの手を引いて別のトイレに誘導する。Kさんが便座に腰掛けた時に、Mさんのコールが鳴る。Mさんの排泄介助が終わりリビングに戻って手を洗ったと同時に、Kさんの個室からコールが鳴る。(これが逆の順番、つまりリクエストがあった順序で実施すると、時間にロスが出るし、待ち時間が長くなるMさんが車椅子上で失禁してしまう可能性が生じる)

  仕事の速い要領のいいベテラン達は、みな段取り上手である。彼等の動きを見てマネしながら、自分も時間と体の使い方、優先順位のつけ方を身につけてきた。
  段取りという点でよく連想するのは、料理である。料理上手な人は段取り上手である。下ごしらえから始まって、できあがった料理を食卓に供するまで、無駄な時間(=手の動いていない時間)を一瞬とて作らない。料理を作るのと食卓を整えるのと汚れた調理器具を洗うのとを同時進行でやっていき、あたたかいものは温かく、冷たいものは冷たいままに、最短時間でテーブルに乗せてしまう。手際がいい。
 別の言葉で言えば「編集力」である。
 フロアをうまく回すには編集力が要る。
 自分が入ったばかりの頃、先生役の先輩スタッフがこう言った。
 「この仕事は頭が良くないとできない」
 介護の仕事は心と体で勝負するものと思っていた自分は意外な気がした。
 今はこの言葉の真意がよくわかる。
 施設で働くには、頭も必要だ。


3.介護の仕事はワークショップに似ている

 担当したフロアを数時間たった一人で回すのはしんどい。
 性格やADLや認知の度合いや体調の具合が異なる10数名の高齢者を、看護師やリハビリスタッフが時々助けてくれるとは言え、基本的には一人きりで世話しなければならない。
 車椅子から立ち上がり歩き出そうとする一人を抑え、認知でフロアを徘徊し他人の部屋に入ろうとする一人を見守り、全介助が必要な一人にトロミの付いたお茶を介助にて提供し、その間に他の利用者と一緒に童謡を歌う。ああ、HさんとSさんが一触即発の状態だ。二人を引き離して宥めなければ・・・。Pさんが傾眠している。部屋に連れて行って横にしなければ・・・。なんだか今日は全体の雰囲気が荒れているなあ。
 最初の頃は、一人一人の利用者の対応に追われ、いっぱいいっぱいであった。目の前で起こっている事象にその都度後追いで対応するほかなかった。後任者に引き継ぐと、重い荷物を肩から下ろしたようにホッとしたものである。(それは今でも変わりないか。) 
 最近よく感じることは、決められた時間フロアを回すことは、ワークショップに似ているなあということである。フロアの利用者たちが参加者で、介護者である自分がコーディネイターである。
  市民活動の経験を通して自分は数えきれないくらいワークショップに参加してきた。NPOの仕事に関わっていた前職ではまた、学生や行政職員やボランティア志望者など様々な人を相手に数えきれないくらいワークショップの企画やコーディネイトをしてきた。ワークショップの持っている効果や面白さ、コーディネイトする上でのコツや雰囲気作り、プログラムの作り方、様々な手法について、かなり知悉していると言っていいだろう。(自分のワークショップの師匠の一人は、日本のNPO界の立役者であった加藤哲夫さんである)
 ワークショップのコーディネイターの最も重要な仕事は、参加者一人一人の自発的な参加を促し、プログラムの進行とともにその場で起こるいろいろな現象(意見の衝突、感情の噴出、講師への反感、流れからの脱線、引きこもりe.t.c.)を肯定的に受容し、必要なときに必要な介入をして(そうでないときはなるべく場に任せて)、最終的には参加者一人一人が何かを学んで持ち帰られるようにすること、そして開始時は緊張と不安とある種の抵抗感から硬くなっていた場の雰囲気が、参加者(と講師)の生み出した前向きな気のハーモニーによって和らいで明るいものに変じているよう期待すること、である。そのためには、参加者一人一人の気を読む感性と、場全体の気の流れを読んで「いま何が起こっているか」を読み取る力が必要である。 
 十数名の利用者をケアする場にいると、「今日一日をワークショップに見立てたらどうだろう」という気になる。決着点は「利用者一人一人が心地よく落ち着いて過ごせて、フロア全体が明るく和やかな雰囲気に包まれること」である。
 そこには市民活動のワークショップのような具体的なプログラムも時間割も存在しないが、介護者が使うことのできる手法は、具体的な介助と声がけとスキンシップとレクリエーションである。ある場合には不穏に陥っているただ一人に向き合って話を聴き、ある場合には自分の中に引き籠もっている利用者の肩に手を回し、ある場合には退屈そうな複数の利用者に向かって冗談を言い、他の場合にはすべての利用者と共にリハビリ体操をして『青い山脈』を歌う。
 そうやって、決着点に向かって一日の流れをつくっていく作業が面白いなあと最近感じている。

  ワークショップのコーディネイターの最も大切な資質は「‘場’に対する信頼をもつこと」である。転倒や誤燕や救急搬送が普通にあり得る介護の現場において、‘場’に対する信頼を持つのは正直難しい。何よりコーディネイターがパニックったらワークショップは失敗である。
 だが、利用者の事故や急変は避けられない。介護現場ではそれはまったくハプニングではないのである。
 いつの日にか、そうしたアクシデント込みの‘場’に対する信頼を持てる日が来るのだろうか。


4.介護の仕事は自分のすべてで勝負できる

  一年経ってつくづく思うのは、「自分がこれまでやって来たことで役に立つものが多いなあ」ということである。
 上記に書いた市民活動でのワークショップやNPOでのカウンセリング経験、「段取り力」を身に着けるのに役立った編集者の仕事、相方との呼吸が大切なコンビニ夜勤の仕事、自然食品店で覚えた美味しいお茶の入れ方、なんていった職歴も役立っているが、他にもある。 

  • ●旅行をたくさんしてきたこと →日本各地に行っているので、利用者の故郷について共有できる話題が多い。名産や風習や行事や観光名所など。
  • ●昔の歌謡曲をたくさん知っていること →これは懐メロ番組をよく見て口ずさんでいた母親のおかげである。(『ここに幸あり』『別れの一本杉』『湖畔の宿』など)
  • ●昔の映画をたくさん観ていること →昔の生活ぶり、事件、世相、スター俳優について話が合わせられる。(先日は女性利用者と「赤線」の話で盛り上がった)
  • ●本をたくさん読んでいること →ことわざや昔の風習や民俗文化などの話題が共有できる。また、利用者の昔話に興味がもてる。古い言葉を知っている。(「文学」が何かの役に立つとは思わなかった)
  • ●畑作りをしていること →農業をやっていた高齢者は多い。土づくりや苗の選び方など、薀蓄を引きだすことができる。農業の苦労や喜びに共感することができる。

 極めつけはこれだ。
   ●仏教を学んでいること!

  介助技術や知識は時間がたてば誰でも自然と身につくが、経験や教養や趣味や特技は一朝一夕には身につかない。その意味で、50歳近くなってこの仕事を始めたことはそれなりに意味があるなあと思う。
 何と言っても平成生まれの同僚は、昭和天皇を知らないのだ!美空ひばりも裕次郎も知らないのだ!


5.介護の仕事はチームプレーが大切

 やることはやまほどある。一人では到底回すことができない。それぞれの介護士に得意と不得意がある。ウマが合う利用者と苦手な利用者がいる。
 介護士同士が助け合わないことには、全体としていい介護ができないのである。
 わかりやすい例は入浴介助である。
 入浴拒否する利用者は多い。理由はそれぞれだが、「入りたくない」という気持ちは固くて、ちょっとやそっとの声がけや懇願では入ってもらうことは叶わない。一回や二回入らないくらいなら別に問題ないが、十日や二週間入らないとなると清潔の点で問題となる。不潔にしておけば健康に害が生じることもあるし、入浴は利用者の皮膚の状態を観察する機会でもある。水虫や保湿剤などの薬を塗布する必要もある。施設に預けた家族の手前もある。
 この道二十年のおばさんベテランスタッフが何とか口車に乗せて浴室まで連れ行ったはいいが、服を脱がそうとした途端に大暴れ。この百歳近い老女のどこにこんな力が残っていたのかとビックリするほど抵抗する。介助するスタッフは腕を噛まれ、メガネを吹っ飛ばされ、腹を蹴られ、口汚く罵られ、「今回もダメだった」と引き下がることになる。それを見た当の老女は満面に笑みをたたえ凱歌を挙げる。
 そんな難物利用者でも、ある特定のスタッフが付き添うと、口では「イヤよイヤよ」しながらも結局入浴してしまう。それはこの道半年の若いイケメンスタッフである。
 経験よりも相性と言うべきか。三つ子の魂百までか。
 こういうことがあるから、ベテランも新人も協力し合ってこそ何とかなる世界である。
 自分が苦手なことや相性の良くない相手については無理せずに他のスタッフにお願いするのは恥ずかしいことではない。何より利用者にとっても、気に入ったスタッフに介助してもらう方がハッピーである。
 自分一人で何もかもやる必要はないし、そもそも到底できることではない。普段から他のスタッフとのコミュニケーションを良くして、相手が大変な状況の時は進んで手伝ってあげれば、自分が困ったとき・大変な時に援助が得られる。そもそもが困っている高齢者をサポートしたいという心がけからこの世界に入った人たちなのだから、人を助けるのは好きなのである。  
 スタッフ間で一番よく使われる挨拶が「お疲れさま」と「ありがとう」である時、確かにしんどいこの仕事を今後も続けていこうと思うエネルギーを得ることができるのである。



前段→介護の仕事5
後段→介護の仕事7

● 介護の仕事7(開始3年目)

 老人ホームの仕事に就いて2年2ヶ月。
 「板についてきたな」と思う。周囲の先輩を真似ながら恐る恐る利用者の対応をしていた時期は過ぎて、今は自分の勘や経験や特技を頼りに、より個性を打ち出した介護をするようになった。
 もっとも、移乗や食事介助など介助の基本技術や感染症予防や接遇マナーなど、プロとして当然守るべき知っておくべき部分は前提としてある。そこは各介護者の自由裁量や個性や勝手が許される部分ではない。
 そこを超えた部分で、一人一人の利用者との関係のとり方を工夫できるようになってきた。相手を観察し、いまどういう身体的心理的状態にいるかを推察し、それに合わせた声がけやスキンシップやコミュニケーションやレクリエーションを試みるだけの余裕が生まれてきた。
 仕事を覚えるのに精一杯だった1年目、業務を円滑にこなすのに精一杯だった2年目を経て、ようやく一人一人の利用者の体と(特に)心の状況に気を配るだけの余裕が生まれてきた。
 何事も3年は続けないと、モノにならないものだなあと実感している。


1. 介護者の勘


 「板についてきたなあ」と感じる理由の一つは、勘が鋭くなったことである。
 たとえば、
● Aさんが今日は落ち着き無くフロアを歩き回っている
 →「便秘しているのかもしれない」
 →排泄シートを確認すると5日も便が出ていなかった
● Bさんが今日はわけの分からない妄想を口走っている
 →「水分が足りてないのかもしれない」
 →水分摂取表を確認するとここ数日1000ml/日に達していない日が続いている。
●Cさんがさっきから席から動かず固まっている
 →「失禁しているのかもしれない」
 →トイレにお連れするとパットに排便していた。
●Dさんがなんとなくいつもより口数すくなく大人しい
 →「熱があるのかもしれない」
 →測ってみると37.5度あった
●Eさんが仏頂面して食事も残している
 →「なにか不快なことでもあったのかもしれない」
 →暇を見て居室に伺うと、テレビの音量の件で隣室のFさんと口論したとのことだった。
● どこかの部屋のコールが鳴った
 →この時刻のこのタイミングなら、「ポータブルトイレをセットしてくれ」というGさんの要求だろう。
 →その通りだった

 ・・・・というような勘が働くようになってきた。これはやはり日数を重ねてきた結果、利用者を観察してきた結果である。勘が鋭くなれば、事前の対応や即座の対応が可能になるから、それだけ事態の悪化を防げるし、介助も業務もラクになる。
 とくに、認知症の利用者は自分の状態をうまく説明できないことが多いので、介護者が観察力と想像力と推理力を働かせることが大切である。


2. 男性スタッフの価値


 ヘルパー2級の講座を受けながら、「介護業界に本当に男性スタッフの需要ってあるのかなあ~」と思っていた。実習で行った老人ホームは圧倒的に女性スタッフばかりで、女:男=20:1くらいだったから、これが介護現場の実態と思った。しかもこちとら40後半のおっさん。仕事が決まれば御の字と思っていた。
 運よく今の施設に雇ってもらったわけだが、意外に男性スタッフが多いのである。女:男=6:4くらいか。施設の方針なのだろうか、20~50代まで各年代の男達が働いている。
 果たして男性スタッフは利用者に受け入れられるのか。

 主要な介護に排泄と入浴がある。利用者は、どちらの性にやってもらいたいと思うだろうか。
 男性利用者なら当然女性スタッフであろう。生意気な若造なんかにシモの世話をまかせるなんてコカンに、いやコケンにかかわる。同性にケツを拭かれたりペニスを洗われたりするなんて想像するだにおぞましい。(ヘテロの場合) 母親のようなオバチャンスタッフか、うら若き女性にこそお願いしたい。
 女性利用者もまた同性を希望するだろう。特に、いまのお年寄りは「男女7歳にして席を同じうせず」の時代を生きてきた。殿方に世話してもらうなんて恥ずかしいし、決まり悪いし、申し訳ない。主人にしか許したことのない秘所を、自分より50も60も若い男にまさぐられるなんて・・・・・。
 という偏見で、いずれにせよ男性スタッフの出番は少ないと思っていたのである。
 ところが、である。
 実際に働いてみると、男性スタッフの人気は高いのであった。

 まず女性利用者の場合。
 もちろん、移乗や食事介助はともかく、入浴や排泄は男性に介助されるのはイヤという人もいる。そういう方には女性のスタッフが対応する。
 だが、たいていの女性利用者ははじめのうちこそ男性スタッフに戸惑いや恥じらいを感じるものの、すぐに馴れてその良さに味をしめてしまうのである。
 というのは、この世代の女性は男性(亭主を含む)に優しい言葉をかけられたり、丁寧に世話されたりという経験が少ないからである。
 人間の真実として、いくつになっても異性に優しくされるのは嬉しいものである。(ただし、ヘテロの場合) それが若くてイケメンだったりしたらもう有頂天になるのも無理からぬ話ではないか。(自分はイケメンでも若くもないが・・・)
 女性利用者にとって男性スタッフとは、まんま“ホスト”なのである。ちょっとくらい介護技術が劣っていたって、ちょっとくらい顔がまずかろうが、構わない。ホストになりきれるかどうかが、女性利用者間に人気を得る最大のポイント、施設の経営陣が手放したくないスタッフになる秘訣である。
 で、良い介護ホストの条件とは以下の通りである。
 ①女性利用者の話を良く聞いてあげられること。
 ②理由を見つけては女性利用者を褒められること。
 ③笑顔とスキンシップ
 
 一方、男性利用者の場合が意外である。
 女好き、とりわけ若い女好きの利用者ももちろんいる。介護する女性職員の胸やお尻をさわったり、セクハラまがいの言葉を投げたりする男は想定内である。
 が、それより目立つのは男尊女卑の男たちである。
 彼らは、女性、とくに若いションベン臭い女性に世話されるのは屈辱と感じる。彼女たちに指図されるのはプライドが許さない。
 そこで、男性スタッフの出番となる。女性スタッフには居丈高な態度を示していた利用者が、男性スタッフ(特に会社なら幹部クラスの中高年スタッフ)には従順だったりするケースが結構ある。
 また、体が大きく体重の重い男性利用者にしてみれば、力のある男性スタッフによる介助の方が安心でもある。
 そういうわけで、男性スタッフの需要は決して低くはないのである。

3.きれいになっていく妻たち

 長年連れ添った夫を施設に入れた妻たちは、介護の重圧から解放される。
 彼女たちは、たまに訪れて職員と挨拶を交わすと、持ってきた洗濯したての衣類を部屋のたんすに入れ、汚れた洗濯物を持ち帰り、車椅子上の亭主と会話を交わし、散歩に連れ出す。日がな一日、することもなく退屈していた亭主も嬉しそうである。
 入所当時は、介護に疲れ果ててやつれた表情だった妻たちは、日が立つに連れて目を見張るほど、おしゃれに美しくなっていく。皮膚に張りがよみがえって、スッピンだったフェイスに化粧が施され、アクセサリーも賑やかになっていく。明らかに十歳は若返る。
 そんな妻を見ている利用者である夫は、どんな気分なんだろう。
 自分の世話から解放され、きれいになっていく妻の姿は、うれしいのか悲しいのか。よもや浮気は疑わないとは思うが、微妙な心境だろう。
 反対に、介助が必要となった妻を施設に入れた夫は、実にこまめに訪れて、懸命に世話する。食事介助も率先して行う。
 この場合、夫は決してダンディにはならない。むしろ、尾羽打ち枯らした様子で、「ちゃんと食事できているのかなあ」とスタッフが心配するほど、やつれていたりする。
 この傾向はどうやらどの夫婦間でも同じである。
 女性が長生きするわけだ。


4 介護拒否は「問題」ではない


 利用者による介護拒否――食事拒否、水分摂取拒否、入浴拒否、更衣拒否、離床拒否、レク参加拒否、リハビリ拒否、整容拒否、服薬拒否等――は日常茶飯である。これらに悩まない介護施設、介護者はいないだろう。
 ともすると、介護者はこれらの拒否を「問題」としてとらえ、拒否する利用者を「困った人」ととらえ、なんとかして拒否解除させようと頑張る。食事だったら、本人の好きな食べ物を用意したり、食形態を普通食から刻み食に変えてみたり、声がけしてスプーンで口元に食べ物を運んでみたりする。服薬拒否なら、薬を粉々に砕いて食べ物に混ぜてみたり、利用者の家族の名前を持ち出して「娘さんがお薬を飲んでほしいと言ってましたよ」と勧めてみたり、一度目が駄目なら時間を空けて再度トライする。
 拒否することにより不利益を被るのは利用者なのだから、介護者がいろいろ工夫をするのは当然である。「薬を飲まないことで痛い思いをするのはあなたご自身ですよ」と言ってほうっておければラクなのだが、やはりそれは許されない。利用者の意思や自己決定は尊重すべきであるけれど、当人の不利益になることが明らかである自己決定をそのまま認めるのは、いまの日本の高齢者介護の基本理念から逸れている。当人に無理強いはできないけれど、介護拒否をする原因を探ってその原因の除去に努めよ、というのが正論であろう。
 一方で、思うに「拒否」は利用者にとって精一杯の自己主張ではないだろうか。
 体も容易に動かせない、認知や難聴や欝でコミュニケーションも困難な利用者にとって、唯一の自己主張が介助に対する拒否ということもあろう。
 であるとすれば、利用者による介護拒否を介護者が「拒否する(=否定する)」ことは、利用者本人の自己主張を否定することであって、すなわち本人を否定することである。
 介護拒否があるのはあたりまえ、拒否できるほど気概のある人、自尊感情のある人ととらえて、まずは拒否を肯定的に受け容れる姿勢が大切だと感じる。
 それがあってはじめて、利用者とのコミュニケーションの道が開かれるのではないだろうか。

 一方で、「イヤよイヤよも好きのうち」タイプの利用者(とくに女性に多い)もいる。表面上は介護拒否をするのだが、本心は介護者からの強引な誘いを期待しているのである。いわば、学級委員選挙で自分から立候補せずに、誰かから推薦されるのを心待ちにしている優等生のようなタイプ。
 考えてみれば、一昔前の日本女性は何事も自分から積極的に打って出ず、周囲にほだされて「それほど言うなら仕方なく」という態度を示すことが「奥ゆかしい」「女らしい」と褒められて育ったのである。
 平成時代の自立支援を柱とする介護保険の対象者になったからって、いきなり「自己主張」「自己決定」ができるわけもなかろう。


5 生きがいづくり


 人はパンのみにて生きるにあらず。
 人はADLのみにて生きるにあらず。
 人はレクのみにて生きるにあらず。
 人は友のみにて生きるにあらず。

 老人ホームに入ると、毎日の食事の心配をすることはない。持病や障害を持っている人は多いが、急性期や痛みの強い時期を過ぎれば、とりあえず日々の健康管理とADL(日常生活動作)における必要な介助があれば、落ち着いた生活を送ることができる。日課として体操や歌やゲームなどのレクリエーションもあるし、同世代の仲間もたくさんいるから話相手には事欠かない。老化のしんどさや間近に控えた死の恐怖、そして施設や介護者や他の利用者に対する苛立ちやストレスはあるものの、ありあふれる時間の中での穏やかな生活が待っている。
 我々介護スタッフの目指す目標は、この段階(=穏やかな日常生活の実現)である。 
 
 しかし実際には、利用者にとって本当に必要なのはこの先なのである。
 毎日毎日同じ日課で、同じことの繰り返し――朝起きて、朝ごはん食べて、排泄して、ちょっと寝て、お茶飲んで、リハビリして、昼ごはん食べて、排泄して、入浴して、ちょっと寝て、おやつ食べて、レクして、夕ごはん食べて、排泄して、テレビ見て、パジャマに着替えてベッドに横になる・・・。
 平和な、何の問題のない、安定した生活。
 だが、これではただ「生きているだけ」である。自分の存在価値が感じられまい。
 何より退屈である。
 2年間介護の現場に関わってきて、やっぱりこの問題は大きいと思う。
 つまるところ、生きがいの問題である。
 認知症になればこの問題もクリアになるのかなあと思っていたが、実際には逆で、認知症の人ほど「存在価値の喪失」が深甚にこたえ、その表出が理性や世間体でコントロールできないだけに率直で激しいのである。いわゆる徘徊や帰宅願望や介助拒否などの「問題行動」である。
 こうした問題行動は、脳の障害とか便秘や水分不足とか薬のせいとか、身体的・医学的原因に還元されてしまいがちなのだが、自分はそれもあるが、そればかりではないだろうと思う。
 老いて、社会から引退し、仕事も役職も、職場や地域の人間関係も失い、家族からも距離を置かれ、何の役にも立たない自分。誰からも必要とされていない自分。(――って本当は我々介護スタッフに「少なくとも経済的に」必要とされているのは間違いないわけだが・・・)

 自分を支えるには生きがいの創出が必要であろう。
 若いうちから老いてもできる道楽を持っている人はいい。一日中飽きずに絵を書いている男性利用者がいる。家族のために凝った編み物をしている女性利用者がいる。孫のために自分史を書いている人がいる。ベランダに蘭を並べている人もいる。(一人でできるインドアの道楽ってところがポイントだ。)
 他の利用者や介護スタッフとの交流に生きがいを見出す人もいる。ある女性利用者は、50歳年下の男性スタッフに恋している。彼女の表情はまんま「恋する乙女」である。一日そのスタッフのことを考えて煩悶するのが彼女の目下の生きがい。ただ、人間関係ほど不安定なものはないから、これに依存するのは得策とは言えまい。
 同じ恋するなら神に恋したほうが永続性はある。(少なくとも死ぬまでは。)
 すなわち、信仰を生きがいとするのである。これはかなり磐石な支えと言える。
 思うに、一番お手軽で気持ちのいい生きがい(=存在価値の自認)は「誰かの役に立つこと(=必要とされること、感謝されること)」なのではないだろうか。


 最近は、介護施設定番のタオルたたみ・おしぼりたたみはむろんのこと、食後のコップ洗いやテーブル拭き、モップや掃除機による床清掃、花壇の草むしり、果ては他の利用者の車椅子を押す仕事まで、思いつけばなんでもやれそうな仕事をばんばん利用者にふっている。もちろん、自分がそばで見守りしながらではあるが。
 施設を訪れた第三者から見れば、「入居者に仕事を手伝わせるなんて、なんて怠けた職員なんだ。なんて非道い施設なんだ。これは虐待じゃないのか。」と誤解されそうだが、「自分はドジでノロマな亀なんです(古い)。手伝っていただいて助かります。」と言うと、「いつでも言ってください。できることなら何でもしますよ」と笑顔で答えてくれる利用者を見ると、「いくつになっても人の役に立つのは嬉しいもんなんだなあ」と思うのである。
 そのような機会をルーティンの日常生活の中でどれだけ創出することができるか、というのが目下の関心事である。



介護の仕事6
介護の仕事8


 
 

● 介護の仕事8(開始2年半)

介護技術講習 先日、介護技術講習を受けた。

 専門学校を出ていない人間の場合、介護福祉士の資格を取るためには3年以上の実務経験と、毎年実施される国家試験に合格する必要がある。国家試験は1月の筆記試験にパスした者が、3月の実技試験を受けることができる。
 この実技試験がなかなか難物である。
 試験官数名の前で、その場で与えられた課題(移動、排泄、更衣、入浴、食事などの日常介護)を5分間でやらなければならない。むろん一発勝負である。どんなところが合否のポイントになるかは調べれば分かるのだろうが、当日緊張して頭が真っ白、体が思うように動かないなんてことになれば、せっかく筆記試験に合格していてもそれまでの努力が水の泡。もう一度、最初から受けなおさなければならない。
 それに、試験内容を自分なりに研究したところで、また、普段の介護業務にそれなりの自信があったところで、どうしたって「我流」であったり「職場流」であったりしがちである。実技試験のみの合格率は発表されていないのでなんとも言えないが、厳しい試験官のお眼鏡にかなって無事合格するには不確定要素がありすぎる。
 介護技術講習を受ければ、この実技試験が免除される。そうなれば、あとは筆記試験に精力を傾注できる。介護福祉士試験は、国家試験としては難易度が低く合格率が高い(6割程度)ので、かなり気楽である。自分の職場でも、あえて実技試験を選ぶという人は皆無に近く、実務3年経過したところで介護技術講習を受けるのが普通である。
 4日間の講習に5万円近くかかる。
「いい商売しているよな~。結局、お金で資格を買うようなものじゃねえか」
と苦々しい思いはしないでもないけれど、介護福祉士を持っているかいないかで職場での待遇も給与も転職しやすさも違ってくる。
 ここは経済の活性化に寄与することにした。

 4日間の講習は、座学3割、グループワーク1割、演習6割であった。
 介護過程の展開(介護計画作成含む)、実際の介護技術(コミュニケーション、移動、排泄、更衣、食事、入浴)の要点を座学と演習とで学んで、クライマックスは最終日の午後に行なわれる総合評価、いわゆる実技試験である。
 本番の国家試験の実技試験を免除するためのものなので、この総合評価で「落とされる」ことは基本ない。「合格させるための」確認試験である。出題課題も明らかで、それまでの3日間の演習でやってきた10個の介護シナリオの中から、どれか一つが出題されることがあらかじめ告げられていた。だから、10個のシナリオのセリフと動きを、役者が台本を暗記するように覚えてしまえばよいのである。
 それでも、本番さながらに、一人ずつ試験会場に呼ばれて、チェックボードを手にした試験官を前に、モデル役の講師を相手に、直前に発表された介護課題を5分以内で滞りなく行なうのは、緊張する。その場に立ってしまえば、もうまな板の上の何とやら、もう「やるっきゃない」わけだから肝も据わろうというものだが、名前を呼ばれるまでに他の受講生らと待機している教室の緊張感がはんぱない。待っている間は「私語は禁止、資料確認も禁止」なので、張りつめた沈黙の支配する空気の中、じっと何もせずに、緊張と不安と闘っていなければならない。しかも、自分の出番は最後のほうだったので、待つこと1時間弱。久しぶりに味わった緊張感であった。
 このときほど「瞑想を知っていてよかった~!」と痛感したことはない。
 1時間の待ち時間、ずっと椅子に座って、ヴィパッサナー瞑想をやっていた。
 そのおかげで、本番はとても落ち着いて、ほぼシナリオどおりにこなせたのであった。

 さて、この4日間の講習で感じたこと。


1. 介護は人なり

 演習とグループワークは、4日間を通して同じ顔ぶれで行なった。自分のところは8人グループであったが、その顔ぶれはいろいろであった。年齢も20~50代までいたし、職場も有料老人ホーム、訪問ヘルパー、老人保健施設、特別養護老人ホーム、デイサービス、重度知的障害者支援施設、障害者の就労支援施設とバラバラであった。
 超高齢化社会の現状を加味してか、介護福祉士の試験も、この介護技術講習も、高齢者介護を中心に編まれているので、障害者分野で働いている人にとっては普段全然やっていなくてはじめて知ることばかり・・・という感じだったようだ。
 演習では、はじめに講師が全員の前で食事なり排泄なりの介護課題の見本を示し、次はグループに分かれ、ペアになって介護者と介護を受ける高齢者の役を演じていく。
 面白いのは、基本全員同じこと(見本どおり)をやっているはずなのに、介護者役をする人の「普段現場でやっている介護」が出てしまうところである。荒々しい動作で介護する人、すぐに相手の体に触って助けてしまう人、上から目線で介護する人、自信なさそうに介護する人、段取りはいまいちだが気持ちのよい笑顔で相手に接する人・・・・。「たぶん、この人は職場でもこういう介護をしているんだなあ~」と丸分かりなのである。
 もちろん、自分の介護にも「自分」が丸出しになっているはずだ。
 介護には性格が出る。


2. 介護を支える人々

 介護技術講習は、専門の福祉系学校を出ていない人が受ける。多くは、ヘルパー2級講習(現在「介護初任者研修」と名前が変わった)を受けただけで、介護現場に出た人たちである。ということは、もともと介護の仕事を目指していたわけではなく、はじめは何か他の仕事に就いていて、訳あって介護現場に飛び込んだ人たちである。
 そういう意味で、バックグラウンドさまざまな人がいるのが面白い。自分の職場(老人ホーム)だってそれは同じことなのだが、職場は採用のときに面接官がある程度「職場の理念や雰囲気にあった人」を選ぶから、どことなく似たような感じの人が多くなる。
 同じ介護職でも異なった現場で働く人たちに会ってみると、介護を支える人たちのバリエーションの広さを実感する。自分と一緒のグループの人たちは、一流大学を出て名の知れた企業で働いていたものの転職を余儀なくされた中年の人、出産してから主婦一筋だったが子どもが手を離れたので「何か仕事を」と働き始めた人、高校卒業後フリーターでいろいろな仕事を渡り歩いてきた挙句に介護に辿り着いた人、不器用でどんな仕事をやっても続かなくて「介護くらいしかやれる仕事がない」という人、水商売と訪問ヘルパーを掛け持ちしている人・・・など「人生いろいろ」であった。
 一方で、福祉系の学校を出て、他の職種を経験することなく介護の仕事に関わるルートもある。純粋培養介護職とでも言おうか。彼らは、当然ながら福祉に対する思い入れが強く、理想に燃えていて、専門の学校で介護理論や専門技術をしっかり身につけてくる。概して頭もいい。(このルートだと今のところ、実務経験なしでも、国家試験を受けることなくても、介護福祉士資格が取れる。)
 2年半介護の現場で働いてみて思うのだが、「純粋培養介護職」よりも、社会に出て他の業種や人間関係を経験してきた「途中乗り換え介護職」のほうが、利用者の心に沿えるような感がある。というのは、利用者のほとんどが、介護職以外の社会人経験の持ち主だからである。
 介護職というのは、学歴社会ではないし、男女平等(むしろ女性のほうが強い)だし、会社のような上司と部下といった強い上下関係もないし、外部とのメンドクサイ折衝もないし(せいぜい利用者のご家族対応くらい)、ノルマもない。5K(きつい、きたない、きけん、くさい、給料安い)と言われるけれど、やることさえやっていれば給料は保障される。感謝もされる。経営陣を別にすれば、世間の荒波からはどちらかと言えば免れている。
 利用者の多くは世間の荒波にもまれて何十年と生きてきたのである。そういう年配者の気持ちを汲むには、純粋培養介護者ではなかなか難しいのではないかという気がしている。
(もちろん、本人の資質も大きいが。)


3. 介護のプロ化

 介護福祉士という国家資格が創設されたのは、介護のプロ化が目指されているからである。
 この「プロ化」が意味するのは、介護技術が巧みになるとか、利用者の様態の変化を敏感に察知できる観察力が備わるとか、利用者とのコミュニケーション能力が高まるといったような日々の具体的な介護力の向上を意味するだけではない。何よりも介護過程の展開を理解し、目の前の利用者について目的に沿った適切な介護計画を立てられ、計画通りのことが看護師や理学療法士等の他職種と、必要に応じ連携しながら実行できる、というところにある。目的とは「その人らしい尊厳のある自立した生活の実現」である。
 介護保険の開始に伴い、ケアマネジメントが導入され、介護計画が必須となった。介護福祉士たるもの、この介護計画を理解し、そこに沿った介護を提供できなければならない。行き当たりばったり、困っているところに手を貸す介護ではダメなんである。
 今回の講師がいみじくもこう言った。
「現在介護を受けている戦前生まれの高齢者は、‘介護してもらっている’という感覚の人が多い。自分たちが受けている介護のあり方について文句を言うことも少ない。でも、これから団塊の世代が介護を受けるようになります。権利意識の強い彼らはどんどん介護のあり方に口を出すようになるでしょう。そのときに介護職は、‘なぜいまこういう介護をするのか’という彼らの問いに、きちんとした根拠をもって答えられるようにならなければなりません」
 つまり、介護には「頭」が要る。
 「途中乗り換え介護職」が「純粋培養介護職」に後れを取るのはここであろう。
 福祉系学校で介護を学んできた者は、時間をかけて、体系的・理論的・学際的に介護を勉強してきている。介護保険という国の決定した枠組みの中で、今の介護がどうあるべきかを教室で専門家から学んでいる。その最たる部分が介護過程の展開である。
 今回の技術講習の最終日は、サンプルとなった利用者について、アセスメントによって取得した情報から分析を行ない、課題を見つけて、介護計画を立てるというグループワークであった。
 やはりここで、ある種の学力の差が出てくるのは否めない。リーダーとなって作業を進める人、自分の意見はガンガン言えるが作業全体の流れが読めない人、一言も発言せず他の人に任せきりの人、分析の意味が理解できない人・・・。ふと、中学校時代に戻って、授業でやったグループ作業(模造紙にグループで話し合った意見をまとめるようなもの)を思い出したのである。
 差別的に聞こえるのは本意ではないが、介護の仕事はかつてはどちらかと言えば「頭を使わないで済む仕事」=「たいして頭の良くない人でも就ける仕事」であった。逆に言えば、頭でっかちでない、心の優しい人や体力には自信のある人、ちょっとトロくても人あたりが良くて利用者に慕われる人が重宝されたはずである。
 介護のプロ化(資格化)は、そういう人たちに「心」や「体」だけでなく、「頭」を要求する。
 時代の流れ、状況の要請なのだろうが、本当に心やさしくて利用者を和ませる雰囲気を持った人が、資格(試験)の壁に阻まれて、介護の現場からはじかれるとしたら、もったいない話である。


介護の仕事7
介護の仕事9
 


● 健康幻想 本:『看護覚え書』(フロレンス・ナイチンゲール著、現代社)

看護覚え書1869年刊行。

 よもやナイチンゲール(1820-1910)の本を読むとは思わなかった。人生わからぬものである。
 本書は、生涯で150冊を超える本を書いたフロレンス・ナイチンゲールの代表作  Notes on Nursing の邦訳である。現代でも看護師を目指す者の必読書となっている――のかどうか知らん。
 が、人間相手に‘介護’をやっている者ならば、介護職を目指すものならば、ぜひ手に取りたい本の一つである。当時、看護と介護は分かたれていなかった。この本で書かれていることの多くは、現代では看護よりもむしろ介護の領域にあてはまる。
 介護の仕事をしている自分は、この本の「看護」という言葉を「介護」と変換し、「看護婦」という言葉を「介護職」と変換して読んだ。今でも十分通用する、勉強になる(=仕事の役に立つ)ことばかりである。
 あたりまえだ。
 150年前のイギリスであろうと、2015年の日本であろうと、看護や介護の対象となるのは人間であり、ミス・マープル(アガサ・クリスティの創造したお婆ちゃん探偵)の口癖の通り、人間性というものは時代や場所が違っても基本的に変わらないからである。

 本書でナイチンゲールが随所で繰り返し強調していて、頭にこびりついてしまうのは、‘換気の重要性’である。ナイチンゲール女史は、まるで「新鮮な大気フェチ」であるかのように、窓を開けて屋内の空気を外気と同じように新鮮に保つことの必要を訴える。

良い看護が行われているかどうかを判定するための規準としてまず第一にあげられること、看護者が細心の注意を集中すべき最初にして最後のこと、何をさておいても患者にとって必要不可欠なこと、それを満たさなかったら、あなたが患者のためにするほかのことすべてが無に帰するほどたいせつなこと、反対に、それを満たしさえすればほかはすべて放っておいてよいとさえ私は言いたいこと、――それは《患者が呼吸する空気を、患者の身体を冷やすことなく、屋外の空気と同じ清浄さに保つこと》なのである。

 よっぽど当時の英国の室内は、空気の循環が悪く、汚れていたのだろう。(確かに、西洋の石造りの家屋は元来気密性が高い。)
 本書を読んでからというもの、自分もまた働いている介護施設で、2、3時間に一度は窓を開けて風通しを実行するようになった。冬の冷気もなんのその、寒がりな利用者にはその間一枚重ね着してもらっている。暖房代がもったいない気もするが、利用者の健康には変えられない。ナイチンゲールのお墨付きである。

 他にも、普段の仕事の中で「うんうん、その通り」とうなずくような記述がいっぱいあった。
 
病人の背後から、あるいはドア越しに、あるいは遠くから、あるいは病人が何かをしている最中には、けっして彼に話しかけてはならない・・・

 車椅子から立ち上がって歩き出す認知症の利用者は多い。自分の歩行能力を過信している(あるいは歩行能力が低いことを失念している)ので、立ち上がる=転倒リスク大である。
 車椅子から立ち上がった利用者を、職員がすぐに駆けつけられない距離に見かけた場合、絶対にやってはいけないのは、「声をかけること」である。「○○さん、立ち上がらないでください」とか「○○さん、危ない!」などと大声を出して、その声にびっくりした利用者が転倒してしまい、骨折→救急搬送→衰弱死という事故が実際にあった。転倒を防ごうとして、かえって転倒を引き起こすきっかけを作ってしまったのである。
 これは手痛いミスだ。その職員はしばらく落ち込んでいた。
 適切な対応は、立ち上がった利用者を発見したら、声を出さずに素早く静かに忍び寄って、まず両手でしっかり身体を支えることである。


・・・・・・患者が自分に関する話題から一刻も早く逃げ出そうとして黙然として何も語らず、ただシェークスピア劇の登場人物よろしく「ええ!」「はい!」「さあ!」「そう!」などとばかり受け答えしているようなばあいは、患者は友人たちの思いやりの無さに気が滅入ってしまっているのである。患者は、友人たちに取り囲まれていながら、孤独をかみしめているのである。彼は、自分に対する愚にもつかない励ましや言葉の洪水から解放されて、たった一人でもよいから、なんでも自分の思っていることを率直に話せる相手がいてくれたら、どんなに有り難いことだろうと思っているのである。そのような相手になら「もう二十年は生きられますよ。それが神の御意です」とか「まだまだ元気に働けますよ」などしつこく喋り立てる連中を抜きにして、自分の願いや今後のことなどを打ち明けて話すことができるであろうに、と思うのである。

この世で、病人に浴びせかけられる忠告ほど、虚ろで空しいものはほかにない。それに答えて病人が何を言っても無駄なのである。というのは、これらの忠告者たちの望むところは、病人の状態について本当のところを知りたいと言うのではなくて、病人が言うことを何でも自分の理屈に都合のよいように捻じ曲げること――これは繰り返して言っておかなくてならない――つまり、病人の現実について何も尋ねもしないで、ともかくも自分の考えを押しつけたいということなのである。

 一般に人は、「元気で健康=善、勝ち」「病気で無気力=悪、負け」と思い込んでいる。
 いわゆる、健康幻想である。
 だから、病気で弱っている人を見ると、「早く元気になって」と励まし、一般的な健康法(よく食べ、よく眠り、よくダし、規則正しい生活をするe.t.c)を持ち出し、独自の健康法(民間療法やらサプリメントや怪しげな呪いの類いe.t.c)を持ち出して、「こうすればいいよ」「そんなことはしないほうがいいよ」などと忠告したくなる。当人は善意からやっているつもりなのだが、実のところは、病気で弱っている人を見るとほかならぬ自分自身が言い知れぬ不安、不快になるからである。その証拠に「もう死にたい」とか「これ以上生きていてもどうしようもない」という言葉が病人の口から出ようものなら、すぐさま否定するか言葉に詰まってしまう。本音をこぼして否定された病人は、もう二度と同じ相手には本音を語らなくなるだろう。
 看護職や介護職は一般人以上に健康幻想を持ちやすい。
 仕事柄、当然と言える。看護(介護)する相手に、健康になってもらうこと、快癒してもらうこと、リハビリしてADL(日常生活動作)が向上すること、在宅復帰してもらうこと、最後までできるだけ自立して尊厳を保って過ごしてもらうこと、そのサポートをすること――それが、我々の務めであり、そのために給料が支払われているからである。
 だが、年を取れば転倒しやすくなるのと同様、年を取れば、いつでも、いつまでも、‘元気で健康’とはいかなくなる。老いて・弱って・病んで・死んでいくのは、生物としてのつとめ、避けられない条件である。認知症含め知力や精神力もまた同様に衰える。ベクトルを元に戻すことはスーパーマンでもできない。元に戻そうとエネルギーを注げば注ぐほど、そうはいかない現状に落胆することになる。
 これから先の人生が待っている回復力のある若い人たちをも相手にする看護職ならまだしも、高齢者を相手にする介護職は、健康幻想から解き放たれる必要があろう。我々は、老いて・弱って・病んで・死んでいく者の伴走者なのである。
 人生の何十年もの先輩である高齢者を励ます、ましてや忠告を与えるなど不遜以外のなにものでもあるまい。介護職に許され、かつ与えられた最大の特権にして貢献は、人生の終盤を生きている人々と「共にいること」であろう。
 
この世の中に看護ほど無味乾燥どころかその正反対のもの、すなわち、自分自身はけっして感じたことのない他人の感情のただなかへ自己を投入する能力を、これほど必要とする仕事はほかに存在しないのである。――そして、もしあなたがこの能力を全然持っていないのであれば、あなたは看護から身を退いたほうがよいであろう。看護婦のまさに基本は、患者が何を感じているかを、患者にたいへんな思いをして言わせることなく、患者の表情に現われるあらゆる変化から読みとることができることなのである。


 さすがナイチンゲール。
 繰り返し読み返したい本である。



 

● 介護の仕事9 (丸3年)

 四十後半にしてヘルパー2級を取り、老人ホームで働き出して、ようやく丸3年。
 介護福祉士の受験資格が整った。来年1月の国家試験を受けて3月には晴れて介護福祉士、人生初の国家資格である。(捕らぬタヌキだが・・・)
 この日が来るなんて夢のようである。

 介護の仕事に就く前は「まあ、やってみて無理だったら撤退しよう」くらいの気持ちであった。実際に働き始めてからは「1年持てば上等だ」くらいの気持ちだった。よもや同一施設で3年続くとは思わなかった。
 こちとら、腰痛(椎間板ヘルニア)という爆弾を抱えている身であるし、介護施設の仕事は「ブラックだ、安月給だ、人間関係が大変だ、辞める人が多くて慢性的に人手不足」といったマイナス情報ばかり耳に入ってくるし、高齢者--特に‘ジジイ’とのコミュニケーションに自信がなかったし、働き出してからはなかなか仕事が覚えられなくて失敗を繰り返しては先輩職員に叱られていた。
 我ながらよく頑張ったなあと思う。
 
 新しい施設のオープン間もない採用だったので、気がつけば上から数えたほうが早い古株になっている。介護歴だけみても、自分より介護経験の長い先輩たちがこの3年間で多く抜けていったため、今や中堅どころ。一緒に働いて気を使わなくてはならない(=敬語を使わなければならない)相手の数がどんどん減っていくので、動きやすい=働きやすい環境になりつつある。
 仕事にも慣れた。
 職員用入口のドアを開けるときの気の重たさ、シフト入りするときの緊張感、フロアにいて「何をしたらいいか、どう動いたらいいか分からない」身の置きどころ無さ、一つ一つの介助に対する不安、仲間に負担をかけることの引け目。そういったものがいつの間にやら消えている。
 一通りの介護技術と知識が身について、他のスタッフと利用者の介護方法を検討することのできる最低の共通基盤に達したと思う。新しく入所してくる利用者に接しても、「ああ、この人は前にいたAさんと同じタイプだな」とか「Bさんと同じような介助方法でよいのだな」とか「Cさんの時に上手くいった声がけを試してみよう」というように経験値が生かせるようになった。
 石の上にも3年。
 介護福祉士受験資格が「3年の実務経験」を要することの意味合いがよく分かる。
 つまり、「自分は介護士です」と自信を持って言えるようになるには、少なくとも3年の月日が必要なのである。


1. 蓄積疲労
 
 3年経って、経験と同時に、疲労も蓄積されている。
 首と肩のコリが結構きつい。目の疲れは老眼のせい、スマホ画面の凝視のせいもある。
 予想外だったのが腰の痛み。最初の2年ほどは毎週のように仕事帰りに腰痛クリニックに通っていたものが、3年目からは通院を必要としなくなった。腰痛を起こさない介助の仕方(ボディメカニクス)を常に心がけているため、背中や腕やインナーマッスルなど必要な筋肉が発達したのだろう。趣味の山登りとヨガのおかげもあるだろう。休憩時間に長椅子に仰向けに寝転んで腰を伸ばしているのも良いのかもしれない。腰痛不安から解放されたわけではないものの、突然「グキッ!」となることもなく、何とかうまく付き合っている。
 体の疲れは年齢のせいも大きい。入浴介助(7~8人を入れる)した日など、帰宅しても何もできず横になってしまう。20~30代の頃のように、仕事が終わってから街に繰り出すなどまず考えられない。毎日毎日が10キロの持久走を果たしたようでクタクタである。翌朝起きても100%充電完了ということはなくて、前日の朝の85%くらいの体力からのスタートになる。勤務3日目の朝は85%の85%で72%からのスタートだ。さすがに4日連続勤務は勘弁してもらった。
 もっとも、肉体的な疲労ならば山登りだって同じである。休日に山登りしても一晩寝れば体力は回復する。むしろ、パワーアップしている。
 
 真にきついのは精神的な疲労、いわゆる気疲れである。
 歩けないのに車椅子から立ち上がる転倒リスクの高い利用者、10分おきに「トイレに連れて行って」とせがむ利用者(複数!)、失禁して便臭ただよっているのにトイレ介助を拒否する利用者、徘徊し大声を上げながら出口を探し回る利用者、ささいなことで他の入所者と喧嘩する利用者、職員を罵倒し暴力を振るう利用者、「あれやって、これやって」と依存したがる利用者、誰かにかまってもらえないと一日中叫び続ける利用者、なかなか薬を飲んでくれない利用者・・・。
 こうした利用者への対応でスタッフはいつも緊張を強いられ、困惑し、うんざりさせられ、発散できない怒り――利用者に怒りをぶつけることはできない――にフラストレーションは高まる一方、ストレスの針はいつも振り切っている。多くの介護職が辞めていく理由の一つはここにある。気疲れのあまり鬱になってバーンアウトしてしまうのだ。
 自分の場合、①友人や気の合う同僚に愚痴を聞いてもらう、②休日の山歩きや温泉で気分転換をはかる、③瞑想する、④仕事以外のときは仕事のことを考えない(趣味やボランティアに没頭)、⑤仕事の中に楽しみを見つける工夫をする、といった手段でストレス解消をはかるようにしているが、それでも完全には払拭され得ない。
 介護職こそ長期のリフレッシュ休暇が必要なのであるが、現状ではなかなか・・・。
 蓄積疲労が喫水線に達したとき、どうしたものかな?


2. ルーチンワーク

 仕事を始める前は深く考えなかったことであるが、介護の仕事はルーチンワークなのである。
 って、今さら言うのも変?
 利用者の日々の生活を支える仕事だから、ルーチン(きまりきった仕事)は当たり前なのだ。起床→朝食(排泄)→10時のお茶(排泄)→体操→昼食(排泄)→入浴→午後のおやつ(排泄)→レクリエーション→夕食(排泄)→就寝→夜間の見守り、という一日のスケジュールの中で利用者を介助していく。逆に言うと、あらかじめ決められたタイムスケジュールに利用者全員を合わせるように、段取りを組んで、業務を行っていく。悪く言えば「スケジュールありき」だ。介護職員がよく口にする「フロアが回る」というのは、このスケジュールどおりに利用者が動いてくれた、という意味である。
 
 介護保険制度の基本理念は、「個人の尊厳」と「自立した日常生活」である。「自立した日常生活」とはADL(日常生活動作)が自分ですべてできるという意味ではない。介護者の手を借りながら、「自分の意思で生活の仕方や人生のあり方を選択し、決定できる」ということである。
 だから、理念どおりならば、施設のタイムスケジュールに従うも従わないも個人の自由である。朝食抜きでも、一ヶ月風呂に入らなくても、薬を飲まなくても、レクに参加しなくても、眠くなるまで共同スペースでテレビを見ていても、他の利用者の迷惑にならない限りは自由なはずである。

 しかし、そうはなっていない。
 施設側は、決められたスケジュールで利用者が動いてくれることを望む。介護職もそのほうがありがたい。集団生活なので、行動が統一されたほうが管理しやすいからである。少ないスタッフ数で、事故のないようにすべての利用者を見守るためには、学校や軍隊や刑務所のように、規律ある団体生活が営まれる必要がある。
 そしてまた、施設にしてみれば、時たま監査に入る行政や足繁く訪ねてくる家族の目も気になる。利用者の自由意志(別名「わがまま」)を尊重して、「風呂に入れていない」「食事を提供していない」「薬を飲ませていない」「レクに誘っていない」「リハビリをしていない」ということが明らかになれば、どういういざこざに発展するものか分かったもんじゃない。(たとえば、厚生省令では、介護老人施設では最低週2回以上入浴させなければならないことになっている。) また、食事の提供やリハビリの有無は、介護報酬という名の施設に入ってくるお金にも影響する。

 本人の自由意志を本当に尊重したいのなら、行政や家族などの外野がたとえ口を挟んでも施設が揺らがないでいられるだけの法的なバックアップ(根拠)が必要であろう。
 たとえば、本人の署名入りの契約書内で「薬は飲ませないでくれ。入浴は週一度の清拭で十分。夜間の見守りはいらない。延命処置は必要ない。以上の通り対応して何か起こってもそれは自己責任であり、自分も家族も施設には一切責任は問わない」と一筆もらっておけば可能かもしれない。
 だが、「和をもって貴しとなす」日本人でここまで徹底して自己決定できる人はそういないだろう。なにより、施設に入らなければならない高齢者は、多かれ少なかれ認知がある。どこまで本人の自己決定をそのまま受け入れるかは微妙な問題である。

 施設に入所したばかりの頃は、集団生活に馴染めず、‘わがまま’を連発していた利用者も、2~3週間過ぎると存外慣れてしまう。「あきらめがついた」と言うべきか。あるいは、フロアを汗だくで走り回る職員の姿を見て、‘年長者らしく’我を抑えるのかもしれない。すると、大概、世俗の垢がとれたように脱色した風情になる。
 我々介護職はそれを見て「○○さん、やっと落ち着いたね」などと言ってホッとするのであるが、自宅で自由に過ごしていたときの活気を失い、日がな一日食席に座って次のルーチン行事の始まりをぼーっと待っている利用者は、どうしたってボケが進んでゆく。ADL(日常生活動作)も落ちていく。
 介護スタッフはその様子を横目で見ながら、どうすることもできない。「フロアを回す」のに手一杯だからだ。一人一人の利用者とじっくり会話する時間はなかなか取れない。ADL維持あるいは向上のためのリハビリを実施する時間もなかなか取れない。
 ルーチンワーク(業務)が利用者も介護者も縛っている。


3.あっぱれ、Kさん

 Kさんという利用者がいた。
 鳶職をしていた大正生まれの男性である。
 Kさんは、転倒リスクがあるのに車椅子から立ち上がって歩いてしまう。施設に入る前にもそれで転倒を繰り返していた。むろん、認知もある。
 我々は、立ち上がって圧が無くなると電子音楽が鳴り出す仕組みの座布団(センサー)を車椅子の座面に敷いた。曲目はモーツァルトの『フィガロの結婚』に出てくる有名な劇中歌「もう飛ぶまいぞ、この蝶々♪」であった。Kさんが立ち上がって歩き出そうとするたびに、「もう飛ぶまいぞ、この蝶々♪」の軽やかな調べがフロアに鳴り響く。我々は、それが聞こえるとすぐさまKさんの元に駆けつけ、Kさんの体を抑えて、ふたたび車椅子に座ってもらう。あるいは、尿意を催して立ち上がったのであればトイレに誘導する。ほとんどの場合、帰宅願望の強いKさんは、家に帰ろうと出口を探して歩き廻るのだった。そんなときは手の空いている職員を見つけて、Kさんが歩き疲れるまで、フロアを手引き歩行してもらった。
 我々もKさんばかりを見ているわけにはいかず、結局数回転倒させてしまった。センサー(音楽)が鳴ってもすぐ駆けつけることができなかったのだ。一度は肩を骨折し、一度は顔の半分に大きな青あざができた。(「ファントム(オペラ座の怪人)みたい」と若い女性職員には好評だった。) 家族(息子さん)もしばしば来訪され事情は分かっていたので、全般協力的で、介護スタッフの苦労を申し訳ながっていた。
 数ヶ月過ぎ、入退院を繰り返してKさんも弱ってきた。椅子から立ち上がるだけの力を失い、居室や車椅子上で寝ていることが多くなった。我々も「やっとこれでKさんシフトから解放される」とホッと一息ついた。
 が、ここからがKさんの凄いところである。
 自力ではもはや立てない、歩けないことがわかると、なんとハイハイを始めたのだ。
 椅子から床に器用に滑り降りて、両手・両膝を床につき、フロアを赤ん坊のように這い回る。他の利用者が座っているテーブルの下、職員が事務作業するステーションの中、居室が並ぶ長廊下、夕食中であってもレク中であっても関係なかった。むろん、職員の制止はどこ吹く風。精神安定剤は出ていたが、終日効くわけではない。
 とりあえず転倒リスクはないと分かったので、我々は障害物を撤去し、Kさんの所在確認だけして、あとは放っておくしかなかった。そのうち入浴担当の職員が気づいたのだが、Kさんの両膝は打ち身のように青くなっていた。膝当てするようになった。
 Kさんはフロアを所せましと這いずり回った挙句、力尽きると、電池の切れたゼンマイ仕掛けのロボットさながら、その場で寝込んでしまう。自分が早番のとき朝早くフロアに上がってみると、廊下の突き当たりで芋虫のように寝転がっているKさんを見て、思わず笑った。聞くと、夜通し這っていたと言う。Kさんの寝顔は子供のように可愛かった。
 しばらくすると、ハイハイもできなくなった。車椅子上で一日こっくりこっくりするようになった。食事やおやつのときだけ職員の声がけで目を覚ます。大正生まれの人らしく、出された食事は残したことがなかった。「もう飛ぶまいぞ、この蝶々♪」の調べが流れることはなくなった。
 その後、Kさんは緊急入院した先で亡くなった。

 介護の仕事をはじめて丸3年、利用者である高齢者の抱える苦しみに‘鈍感’になっている自分に気づいてギョッとすることがある。勤め始めの頃は、施設生活を受け入れられず、帰宅願望で落ち着かない利用者に共感し、様々な‘問題行動’も無理からぬことだと同情していたのだが、現在はどうかすると、「なんでいい加減大人しくなってくれないんだろう」と管理者目線で遇している。
 一方で、ある程度‘鈍感’にならないと施設介護は務まらないとも思う。利用者の苦しみに深く共感してしまうと、どうにもならない現状(老い=苦)にやりきれなさを覚えて、介護者自身が鬱になってしまう。
 高齢者介護とはまた、本人はやりたがらないけれど本人の健康にとっては必要なことを本人に強いる現場でもある。断固として入浴拒否を続ける老女を浴室に連れて行き、数人がかりで服を脱がし、大声で叫び暴れる彼女を風呂場の床に敷いたマットの上に押さえつけて、手早く頭髪と体を洗い、一気にシャワーをかける。(もちろん家族了解の上だ)
心の声1 「これは虐待じゃないのか」
心の声2 「でも、何日も風呂に入れないでいることも虐待ではないか」
心の声1 「本人はあんなに嫌がっているじゃないか」
心の声2 「たとえば、子供が風呂を嫌がるからといって、何日も入浴させないで放っておく親がどこにいようか? それは親として失格だろう。認知症患者は子供と同じだ。」
心の声1 「・・・・・・・」
 こういう体験を重ねていくことによって、介護職員は次第に‘鈍感力’を身につけるのかもしれない。  

 入所して一カ月以上経つのに、なかなか集団生活に馴染めず、スタッフを手こずらせる‘対応困難利用者’を見ると、「勘弁してくれよ~」と思う一方で、最後の‘人間的な’闘いに力を振り絞った鳶のKさんをそのテーマ曲と共に思い出して、「あっぱれだったな、kさん」と一人ごちるのである。

● 介護の仕事10 (3年と9ヶ月)

 1月24日(日)、第28回介護福祉士国家試験を受けた。

 ついにこの日がやって来た。
 よくもまあ今日まで続いたものである
「ソルティさん、カイフクの受験資格を得るまでの3年間はここで頑張ったらいいよ」
と、新人のころに職場(老人ホーム)の15歳年下の先輩にアドバイスされた。
「はあ~、3年か・・・。長いな」
「あっという間ですよ」
と言った彼は上司とぶつかって早々退職してしまった。
 
 社会福祉士養成課程の施設実習が昨年10月いっぱいで終わって一息ついたあと、11月中旬からカイフクの試験勉強を開始した。毎日出勤前の1時間を過去問学習に充てた。問題集は昨年合格した職場の先輩から譲り受けた。

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 やってみたら思ったより簡単だった。8割近く解けた。
 というのも、三大難関資格と称される弁護士・公認会計士・医師をはじめとし、数ある国家資格試験の中で、介護福祉士国家試験はそれほど難しくない。合格率50%程度である。合格率30%で試験範囲のより広範な社会福祉士国家試験のほうがずっと難関である。
 やはり、超高齢社会――すでに日本人の4人に1人が65歳以上――の現実が、大量の介護のプロを今すぐに必要としているという事情によるのだろう。
 ソルティの場合、福祉系学校を卒業あるいは在学中の受験生とは違って、3年9ヶ月の実務経験がある。現場で身につけた(体で覚えた)知識がある。
 これがやっぱり強い。
 机上でテキストを読んで暗記するのとは理解の深度が違う。何と言っても、目の前に対象となる相手(=高齢者)がいて、介護福祉士やケアマネ資格を持つ先輩はじめOT(作業療法士)や看護師など経験豊富なプロ達の教えを受けながら日々介護実践しているのである。中でも、認知症高齢者の対応のコツなどは、日々の試行錯誤で第二の本能のごと身についている。(大げさ
 おおむね6割以上正答すれば合格ラインというのが例年の動向であるが、私見によれば、《一般社会常識+3年間の真面目な現場経験+過去問学習》で、まず合格できるようなレベルに試験問題が作成されているように感じる。職場の先輩達もほとんど過去問学習のみで合格している。(もっとも、出題傾向が高齢者分野に寄っているので、障害者分野で働いている人にとっては歴然と不利であろう。)
 さらにソルティは、過去1年半というもの、社会福祉士養成通信課程をやってきた。20冊以上の社会福祉関連のテキストを読み、30本以上のレポートを提出してきた。介護福祉士の試験内容は、かなりの部分が社会福祉士の試験範囲に含まれるので、知らず知らずカイフク試験の勉強にもなっていたのである。
 過去問をやってみて、「ま、これなら‘出たとこ勝負’でも大丈夫だろう」と思った。
 が、念には念を。ここでしっかり介護分野を頭に叩き込んでおけば、来年度の社会福祉士国家試験の基盤づくりにもなろう。
 
 年が明けてからは勉強時間を毎日2時間に増やし、専用の参考書を購読して熟読した。最後の10日間は、本も読まず映画も観ずブログ更新もせず、ブックオフで手に入れた一問一答問題集を暇さえあれば開いていた。

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 50歳過ぎてつくづく感じるのは、記銘力の低下である。なかなか記憶に残らない。記憶したものを引き出すのはさらに困難。試験は5択のマークシート方式だからいいが、これが筆記試験だったら、まず解答すべき概念は分かっていても単語が脳ミソから引っ張り出せないことだろう。
 一方、50歳過ぎだからこそ、認知症予防としてこういう試練をあえて自分に課すことの意義も感じた。二ヶ月継続してやっているうちに、だんだんと頭の中の霧が晴れてきて、あちこちでピックアップした用語や知識が脳の中で体系化してくるのを実感した。そうなると、記憶に残りやすくなる。そう。学生時代に暗記が得意だったのは、単に脳ミソが若いからだけではなく、毎日学校で授業を受けて脳を活性化していたからなのである。
 「使わなければ退化する」は生物学的事実である。

日大キャンパス
 
 自分が指定された試験会場は、京王線下高井戸駅にある日本大学文理学部。
 開場1時間前の午前8時に駅に到着した。早くも参考書を手に会場に向かう人の列がある。ここ数年、全国で約15万人が受験している。
 コンビニでサンドイッチを買い、ネットで見つけておいた駅近くのインターネットカフェに直行する。
 6時間パック1500円を支払う。これで、昼食休憩の居場所も確保した。
 隣のブースから、ネットカフェ難民らしき60がらみの男がビニール袋をガサゴソといじくる音がする。まさに「日本の高齢者問題、ここにあり」だ。
 ネットカフェの個室で、飲み放題のコーヒーとサンドイッチで腹ごしらえをしたら、いざ最終チェック!
 ・・・ではなくて瞑想をしていた。
 ここまで来たらもう、やってもやらなくても同じこと。むしろ、いかにして平常心を保ち、いかにして寝不足の頭を――案の定、前夜は5時間弱のレム睡眠(夢を見る浅い睡眠)であった――すっきりさせるかのほうが大事である。
 長年の修行の賜物で、30分も瞑想すれば集中状態(定)に入り、気は充実し、心はすっかり落ち着いた。
 その状態を維持したまま、会場入りする。

 受験者でいっぱいの教室を緊張感が支配している。
 試験開始前のお決まりの説明では、一つ予想外のことがあった。普通は試験開始後1時間で退出自由となるのだが、「本日、雪のため交通機関が乱れ、鹿児島県内の会場で開始時間が1時間遅れます。そのため、今回は途中退出はなしとします」とのこと。
 朝から寒かった。西日本のほうで降雪予報が出ていた。しかし、まさか鹿児島県とは・・・。
 試験時間は午前が1時間50分、午後が1時間45分。問題数は午前が68問、午後が52問。一問解くのに1分使っても十分時間が余る。途中退出を目論んでいたのだが、ふいになってしまった。

 試験内容は・・・・。
 1.一般常識(良識)及び読解力で正答できる 30%
 2.普段の業務で習得した知識で正答できる 30%
 3.過去問や参考書を入念にやっておけば正答できる 30%
 4.勘が良い、あるいは運が良ければ正答できる 10%
 といった感触であった。
 ソルティは昔から、こと試験に関しては勘が働かない(=分かっていることしか正解できない)タチなので、上記4を除いた90%得点を目指したのであるが、帰宅後、業者の解答速報で答え合わせしたら正答率85%であった。ケアレスミスと‘裏を読みすぎ’ミスが数問あった。
 むろん、合格圏内である。

 試験終了後、日大キャンパスに一斉にあふれ、下高井戸駅までの道を埋め尽くした受験生の数に、わが国の介護需要の高さを改めて感じた。
 こんなにいるのに、まだ足りない・・・。  

 最後に、ソルティが「やっておいて良かった」とつくづく思ったことは何か?
 1. 模擬試験を受けた。
 2. マークシートを塗りつぶす練習をした。
 3. 同じ職場の受験する仲間たちと励ましあった。
 4. 試験会場の下見をした。
 5. 当日ズボン下にスパッツを履き、厚手の靴下を2枚重ねした。

【正答】5番
【解説】暖房が入っているとはいえ、1月下旬の大学の広い構内や教室は底冷えする。女性と中高年男性は下半身の冷えに悩まされ、集中力が削がれる危険がある。トイレも近くなるであろう。老化は足から。「脱健着患」よりも「頭寒足熱」を。


介護の仕事9 

 

 

● スモール・イズ・ワンダフル! :介護の仕事11(開始4年2ヶ月)

 介護の仕事に就いて5年目に突入した。介護福祉士の資格も取って、職場(老人ホーム)の中では上から数えたほうが早い古参になってしまった。新人の頃、5年目の先輩職員と言ったら、「便失禁も救急対応も帰宅願望も徘徊も介助拒否も、怖いものなしの大ベテラン」という感じで見ていたが、果たしていま自分も新人からはそう見えるのであろうか。
 いささか心もとない。

 さて、ソルティは男としてはチビである。加齢により骨密度が減少してきているためか、ここ数年少しずつ背丈が低くなって160センチを割ってしまった。一時は65キロもあって生活習慣病危険区域に達していた体重も、この仕事を始めたおかげで10キロ近く減少、日々の肉体労働により上腕筋や胸筋や背筋が発達、胴回りもすっきりし、20代の奇跡のボディラインをキープしている。
 由美かおるか!
 介護の仕事のメリットの一つは、運動不足の解消と肥満防止にあるのは間違いない。周囲を見ても、新人の頃はマシュマロマンのように丸々太ってドタドタ動いていた奴が、半年過ぎると体全体が絞られて、きびきびとした身のこなしで颯爽と介助にあたっている。寿命も数年延びたであろう。

 社会に出たての20代の頃、体の小さいことがコンプレックスになっていた。
 背が低いと、ほかの男たちから文字通り‘下に見られやすい’。体格の立派な男に比べると、どうしたって押出しがよろしくない。貫禄に欠ける。そのうえにソルティは父親譲りの童顔であった(ある)ので、まず年相応に見られたことがない。仕事上でも日常生活上でも(たとえば混んでいる電車の中とか喫茶店で注文するときとか)人と接する場面において、どうも軽くあしらわれやすい。むろん、自意識過剰ゆえの被害妄想の部分もあろう。
 ヘテロの男だったらそこに「背が低いと女にもてない」という黄金律が加わるから、余計にコンプレックスは高まることだろう。ソルティの場合は、幸か不幸か対象が女でなかったので、そこはあまり重要ではなかった。
 スモール・コンプレックスはいつの間にやら消失した。「背丈で勝てないなら中身で勝負!」と意気込んて自分磨きに勤しんだわけではない。二十歳過ぎればもう身長は伸びない。「変えられないものは悩んでも仕方ない」と受け入れたのが一つ。そして、「他人から下に見られようが軽んじられようがどうでもいいじゃん」と思えるようになったことが一つ。風采とか押出しの良さとか威厳とかあまり関係ないような職種、競争や評価や出世と無縁な職種、単純に言えばスーツを必要としない職業ばかり経巡ってきたのである。

 そんなこんなで数十年経った今、こう思っている。
 
「体が小さくてつくづく良かった~」
 
 介護職の多くが「勘弁してほしい」とため息をつく利用者は、体の大きな、体重の重い、立ち上がることのできない利用者(ほぼ男性)なのだ。自分の力で立ち上がることも側臥位になる(横向きに寝る)こともできない体重80キロの大男を介助するのは、実に骨が折れる重労働である。
 ミステリー好きの自分は、犯人が死体を処理するのに苦労するシーンを本で読んだりテレビで見たりして、「人一人動かすのがあんなに大変なのかなあ」と不思議に思っていた。なんとなく意志(魂)の抜けた体は、当人の抵抗がない分、自由に動かしやすいといった錯覚があった。それに、学生時代ぐでんぐでんに酔っ払った友人をアパートまで連れて帰るのに肩を貸したときなど、たしかにこちらの体にいつゲロが吹きかけられるかわからないスリルもあって厄介な作業ではあったが、一人でできないことはなかった。だから、人間の体がいかに重いものか、はっきりとわかっていなかった。
 だが、80キロは80キロなのである。スーパーで売っている米袋を歩いて持ち帰ろうとするなら、やはり10キロが限度だろう。重量挙げの選手なら80キロでも持ち上げられようが、それとて数十秒のことである。
 生命のない人体、完全に意識を失った人の体、立つ意欲を失った肉体は、重い。まんま80キロの物体である。酔っ払っているときでも人は、自分の力で立とう、歩こうとしているのである。こん睡状態になったら、数人がかりで担ぎ上げて車を呼ぶしかない。

 80キロの利用者をトイレ介助するには一人では無理である。最低でも二人必要だ。
  1. 一人が車椅子の前に回り腰を低くして、両腕を利用者の両脇から差し入れて利用者の背中で両手を組む。
  2.  「いち・にの・さん」と反動をつけて、両腕を前に引きながら腰を上げて、利用者を立たせる。足で踏ん張ることのできない利用者の全体重は介助者にかかる。
  3.  その間に、背後に控えた今一人の介助者が利用者のズボンとパンツを素早く下げて、尿取りパットをはずして「OK」を出す。(このとき便失禁していると厄介である)
  4.  前側の介助者は、下半身丸出しになった利用者を抱えながらゆっくりと便器のほうに回転して、ひざを曲げて腰を落としながら利用者を便座に座らせる。
 この一連の作業にかけられる時間は、女性職員や自分のように背が低くて非力な男性職員の場合15~20秒が限界である。それを超えると腕がしびれて、力が入らなくなってくる。上背のある利用者の場合、介助者は下から持ち上げないとならないので余計に力が要る。介助している間は常に、肩や腕や腰に負担がしいられる。毎回毎回(トイレ介助は一日数回ある)、毎日毎日、これを繰り返すと痛みが固定されてしまう。介助者の職業寿命が縮む。
 だから、くだんの利用者の介助は自然と後回しになる。施設介護は常に時間に追われているので、介助者は時間のかからない軽介助の利用者から次々と対応していく(片付けていく)傾向にある。体の重い利用者を先にやることで体に負担を残したくないのもある。ほかの利用者のトイレ介助がひととおり済んで、フロアが落ち着いて、二人の介助者が個室に籠っても大丈夫なときになってようやく、くだんの80キロ利用者の番が来るわけである。
 ここだけの話、あまりに忙しい時や職員が病欠して人員不足の時など、「一番分厚いパットを当てているし。一回くらいトイレを抜いてもいいか」と飛ばされてしまうこともある。尿意や便意のない(訴えられない)利用者は黙ったままである。
 こういう介助にこそロボットがほしいと切に思う。どんなに重い利用者でもやさしく持ち上げて立位を取らせ、そのまま90度回転させて、また下にやさしく降ろしてくれるロボットだ。簡単に作れると思うがな・・・。
 

ロボット


 そう遠くない将来、そんな介助ロボットが登場するとは思うけれど、それまでは体の大きな・体重の重い・介助の必要な利用者には受難の日々が続くであろう。若いときに誇った堂々たる体格や異性の注視を浴びた上背を、「よもやこんなことになろうとは・・・」と苦々しく思いつつ、トイレの順番を濡れたパットに耐えながら待つことになる。人によっては、職員の負担となっている自分の巨躯を呪わしく感じることもあろう。
 世の若き女性たちも3Kだ何だと欲張っているのも考え直したほうがいいかもしれない。超高齢社会のこれからは、パートナーを介護しなくちゃならない日のことを考えて相手を選んだほうが利口かもしれない。なんと言っても男のほうが先に倒れる確率が高いのだし、いずれは施設に預けるとしても、それまでは妻の手で多かれ少なかれ在宅介護することになる。
 「大きいことはいいことだ♪」は昔の話である。
(――というジョークが通じたのも昔の話である。)

 



● 愛ではどうにもならないこともある 映画:『Mommy/マミー』(グザヴィエ・ドラン監督)

2014年カナダ映画(フランス語)
上映時間 138分

 グザヴィエ・ドランは1989年カナダ生まれ。今もっとも世界から注目され、惜しみない喝采と賞賛に浴し、次回作が期待される映画監督である。「映画界の救世主」という声すらある。
 ちなみにゲイである。

 未亡人のダイアン(=アンヌ・ドルヴァル)には、15歳の可愛い息子スティーヴ(=アントワーヌ・オリヴィエ・ピロン)がいる。スティーヴは入居している施設で放火騒ぎを起こし強制退所させられてしまう。ダイアンは息子を引き取り、母子2人の生活が始まった。ありあまる若さと持って生まれた障害ゆえのスティーヴの型破りな行動に、ほとほと手を焼くダイアン。
 二人の家の向かいに住むカイラ(=スザンヌ・クレマン)は、夫の仕事の都合で転々とする生活を送っている。元高校教師だったカイラは精神的なストレスのため言語障害となり、現在静養中である。ひょんなことから知り合った3人は仲良くなり、スティーヴを中心に笑いの絶えない関係が育くまれてゆく。
 生きる希望を取り戻すダイアンだったが、スティーヴの放火で火傷を負った施設の入居者家族から治療費を支払うよう訴えを起こされ、窮地に陥る・・・・

 第67回カンヌ国際映画祭において審査員賞を受賞しただけあって、確かに傑出した才能に圧倒される。とても20代の青年が撮ったものと思われない。技術的にも内容的にも。早熟の天才か、幼形成熟(ネオテニー)か、あるいは‘アンファンテリブル(おそるべき子供)’か。(この‘アンファンテリブル’という言葉を聞くと、いつも『ティファーニで朝食を』で有名なアメリカの小説家トルーマン・カポーテを思い出す。そう言えばカポーテもゲイだった)

 この映画のテーマは「母と息子の愛」。陳腐にして永遠なる催涙テーマである。
 が、そこにひとひねり加えている。スティーヴは注意欠陥・多動性障害(ADHD)なのである。

注意欠陥・多動性障害(attention deficit hyperactivity disorder、ADHD)は、多動性(過活動)、不注意(注意障害)、衝動性を症状の特徴とする神経発達症もしくは行動障害。
次のような症状が特徴的である。
  • 簡単に気をそらされる、細部をミスする、物事を忘れる
  • ひとつの作業に集中し続けるのが難しい
  • その作業が楽しくないと、数分後にはすぐに退屈になる
  • じっと座っていることができない
  • 絶え間なく喋り続ける
  • 黙ってじっとし続けられない
  • 結論なしに喋りつづける
  • 他の人を遮って喋る
  • 自分の話す順番を待つことが出来ない
  (以上、ウィキペディア『注意欠陥・多動性障害』より抜粋)

 日本では、自閉症、アスペルガー症候群、学習障害などと共に発達障害の一つに含まれ、発達障害者支援法(2005年成立)により、障害の早期診断・療育・教育・就労・相談など様々な公的支援が受けられるようになった。

 ただでさえ子育ては大変なものであるが、発達障害の子供を育てるのはどんなにしんどいものだろう。

 ソルティは社会福祉士の資格を取るための実習で障害者施設(生活介護)に行き、そこではじめて発達障害者(大人である)と近しく関わった。むろん、それまでも自分がそうとは気づかないだけで発達障害者(児)は周囲にいたであろうし、たまに電車の中で不可思議な言動をしている人に気づくと、他の乗客同様、見て見ぬフリ聞いて聞かぬフリをしていた。発達障害と統合失調症の区別すら、よく分かっていなかった。
 実習で出会ったのは、自閉症の人たちだった。

 まあ、大変であった。
  • 奇声を上げる。
  • 忙しい職員を捕まえて同じ質問を一日中し続ける。(職員はそのたび同じ答えを返す)
  • 部屋の中でぴょんぴょん飛び跳ねる。
  • 一つところでイスラム舞踏のように旋回し続ける。
  • いきなり自分の顔面を拳骨で思いっきり叩きだす。
  • 床に頭をゴンゴン打ち付ける。
  • コマーシャルの文句をオウムのように繰り返し言い続ける。
  • 大の男が急にぼろぼろ泣き出し、自らの腕を血が出るほどに噛む。
  • 突発的に他人に突っかかって、容赦なく殴り始める。
  • いきなり服を脱ぎ、全裸になる。
  • てんかん発作を起こす。 

 正直に告白する。
 最初に自閉症フロアに入ったとき、「いったいここは動物園か?」と思った。
 「この人たちとコミュニケーションなんかできるのだろうか?」
 「いや、それよりも身の危険はないだろうか?」

 ソルティは、職場(老人ホーム)で認知症高齢者のケアをしているので、わけのわからない言動には慣れていた。わけのわからない言動でも、本人の中ではちゃんと筋が通っていてそれなりの意味があるのだ、ということは知っていた。だから、本人の表情や仕草から、「いまどんな気持ちでいるのか」「何をしたいのか」「何がほしいのか」を読み取るよう努め、気持ちに沿うように介入する。なによりも本人の感情(不安や怒りや焦燥感や寂しさ)を受容し共感することが大切であり、その地点に立ってはじめて適切な介助もコミュニケーションも可能となる、と学んでいた。基本、同じ人間である以上、自閉症の人もそこは同じであろう。
 結論から言えば、確かに同じであった。受容・共感・傾聴・自己覚知の姿勢は対人援助の黄金律であり、相手が誰であろうと通用する。最終的には、自閉症の人たちに受け入れられ、仲良くなることができた。(誤解を恐れず言えば、自閉症の人はピュアで感情表現がまっすぐで何とも言えず可愛いらしかった。40歳のヒゲ面のおっさんでさえ!)
 ただ、認知症高齢者と違うのは、自閉症の彼らはまだ若く(20~40代)、エネルギーにあふれていて、腕力も脚力も人一倍強く、感情の起伏も激しいという点。そして、おそらく、自らが置かれている状況について、認知症の人よりもクリアに理解できている点。それだけに、当人も介助者も大変なのである。(自閉症スペクトラムという言葉があるように、自閉症にもいろいろなタイプが存在する。自閉症の作家東田直樹の本を読むと、外見からは見誤ってしまわれがちだが、多くの自閉症の人が高い知性と深い感情と瑞々しい感性を持っているらしいことが推測される)
 ともあれ、ソルティも慣れるまでは、彼らの破壊的なパワーと感情の暴発ぶりと予測のつかない行動に圧倒された。
 と同時に、彼らと毎日一緒に過ごしケアをしている職員に頭が下がった。
 本当に、並みの体力、並みの腕力、並みの精神力ではつとまらない仕事である。
 一例を挙げると、自閉症の人たちの行っているプログラムに「散歩」があった。毎日午後、隊列を組んで、近くの公園まで数時間かけての散歩に出かけるのである。自閉症の人は一般に自然に触れるのが好きだと言うこともあるし、若い彼らのエネルギーを幾分でも発散させて疲れさせ、家に帰って暴れないよう、つまり家族支援としても散歩は有効なのである。ソルティも毎日のように散歩に付き添った。
 毎日公園を散歩できるなんて、なんて楽な仕事かと思ったら大間違い。はしゃいだ彼らは、道中いろいろやらかすのである。ピンポンダッシュしたり、帽子を脱いでよその家の中に投げ込んだり、興味を示した看板の前で立ちどまって石のように動かなくなったり・・・。こういう一群を、来る日も来る日も、安全に気をつかいながら引率する職員の気力というかモチベーションはどこからくるのだろう? 給料だけでは到底つとまるまい。(まあ、認知症高齢者の介護の仕事も外野からはそう思われているのかもしれない・・・)

 しかし、職員は結局のところ赤の他人である。当事者と関わる時間と場所は限定されている。休日には自由な時間を満喫できる。仕事が嫌になったら辞めることもできる。
 それが許されないのは家族、とくに親である。
 実習施設には毎日、自閉症の子供(すでに大人であるが)を送迎する親たちが来ていた。ほぼ母親だった。中には自分がそろそろ介護施設の世話に・・・という年代の母親もいた。みな明るく、逞しく、実習生に過ぎない自分にも丁寧に挨拶してくれた。
 わが子が他の子供とどこか違うと気づいてから、あるいは自閉症と診断されてから、どれだけ苦労してきたことだろう。どれだけ周囲を気遣い、謝ってきたことだろう。
 若くして亡くなった戸部けいこ(1957 - 2010)の漫画『光とともに・・・ ~自閉症児を抱えて~』(秋田書店)を読むと、自閉症の子供を持った親御さんがどれだけ苦労するかがよくわかる。それだけに、わが子の成長を実感したり周囲から理解を得られたときは喜びも一入(ひとしお)であり、そこにドラマがあるわけだが・・・。この漫画の描かれた頃(2001~2010年)には日本でも自閉症についての研究や支援が進み、主人公光君の母親は然るべく場所に相談に行って専門家から自閉症児の育て方のコツなんかを伝授されている。同じ自閉症の子を持つ親たちと知り合い、励ましあいもする。それでも、やっぱり苦労の連続には違いない。
 ましてや、自閉症の原因が脳の障害にあることが判明していなかった時代、親の育て方に原因があるなどと誤解されていた時代は、針の筵を這いつくばって暗闇を手探りで進むような状況だったのではないかと想像する。

公園


 さて、映画の主人公スティーヴは、最終的には閉鎖病棟に入れられてしまう。母親の愛だけではどうにもならなかったのである。
 ある日、「旅行に行く」とスティーヴを騙して病院に車を乗り入れたダイアン。建物から3人の屈強な看護士が出てくるのを見て事態を悟ったスティーヴ。
 逃げるスティーヴ。
 追う看護士。
 泣き喚くダイアン。
 あっけにとられるカイラ。
 映画のクライマックスであり、おそらくほとんどの観客を泣かせるシーンであろう。
 たしかに切なすぎる。
 しかし、ソルティは泣けなかった。
 なぜなら、老人ホームで働くソルティの立ち位置は、上の「屈強な看護士」にあたるからだ。愛し合う家族を力づくで切り離す無情で無慈悲な塀の中のケアラー。映画の中で看護師が着ていたグレーの制服に象徴されるように、自由を希求する者を束縛する、事務的で非人間的な法(福祉制度)の手先。
 しかしなあ~。
 『カッコーの巣の上で』は75年のアメリカ映画である。法だって、福祉制度だって、施設だって、治療法だって、施設利用に対する世間の価値観だって、当時とはずいぶん変わっているだろうに。「家族を施設に入れること=家族を見捨てること」という固定観念こそ、当事者を苦しめる枠だろうに。
 母と息子の絆を表現するために施設収容による離別の悲劇を利用するというステレオタイプな筋書きが、映画界の新しい旗手にしては‘あまりにアナクロ’という気がした。



評価:B-


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● 介護の仕事12 イカルスの翼 本:「老いていく親が重荷ですか。」(アルボムッレ・スマナサーラ著)

2016年河出書房新社刊行。

 喫緊の社会問題にして極めてパーソナルな問題でもある老人介護についての本である。
 80歳にならんとする両親(おかげで二人とも健康)を持ち、老人ホームで働いている介護士であり、加えて仏教徒でもあるソルティにとって、まさに自分のために書かれたような本である。
 スマナ長老は以前に、『老いと死について さわやかに生きる智慧』(大和書房)という本を書いている。ブッダの教えをもとに、誰にとっても避けられない老いと死を、賢く冷静に穏やかに迎えるコツを助言されている。本書はその続編とも姉妹編とも言える内容で、今度は立場を変えて、老いや死の只中にある親に対して子供はどのように向き合ったらよいか、どのような心構えで介護したらいいかを説いている。なので、両冊揃えて読むといいと思う。
 今回もまた話のポイントとなるのはブッダの教えである。生老病死は仏教の中心テーマであり、生老病死の苦しみからいかにして脱するかを説いたのがブッダだからである。仏教の独壇場と言っていい。
 まず、仏教では老いや死をどうとらえているか。

 そもそも、仏教においては「生」と「死」は同義語であり、いわばコインの裏表のような関係です。生きることは、死ぬことなのです。生きている以上、最後に待ち受けているのは死です。その事実は決して変わりません。私たち“人”は、毎日毎日、一歩一歩、生きることによって死へと近づいています。今生きているということは少しずつ死んでいっているということです。
 そうした観点から言えば、「老いる」という発想自体がありません。
 私たちは、ただ変化しているだけです。

 お釈迦様はこう言っています。
「年をとる、老化する、死に向かって生きていくという現実を素直に認め、認識できる人こそ、この世でもっとも幸せに生きられる人である」
(以上『老いと死について さわやかに生きる智慧』より引用)
 
 老いや病気を不幸だと思わないこと。
 いまある状況を、自然な変化なのだと考えること。
 (本書より) 

 これが大前提である。
 老いや死に直面している当事者はむろんのこと、彼らを介護する者もまた上記のことをしっかりと認識して心に落としておけば、不安や恐れや苛立ちを乗り越え、できることを淡々と理性的に行うことができる。来るべき最期に向かってソフトランディングできるのである。

 以下、ソルティが心に留めた介護する者へのアドバイスを引用する。

1. 美しく諦めること
 
 介護問題に直面した人は、それは業が自分に与えた宿題であると思い、正しく対応すれば、介護を受ける側もする側も幸福で穏やかにいられるのです。
 運命を自分の思いどおりに変えることは不可能です。それにも法則があります。運命または業に真っ向から抵抗するのではなく、現実を受けとめるという「諦め」が必要なのです。
 仏教用語の「諦め」は、降伏という意味ではなく、状況を理解して納得することを言います。

 Never Give Up(決して諦めるな)は、長嶋的ではあっても、仏教的ではない。諦めが悪い人のことを「往生際が悪い」というが、まさに「生」に対する執着を表す言い回しである。
 本来、「諦める」は「明らむ」、つまり「物事の真理を明らかにする」ことなのだ。


2. 認知症への処し方
 
 脳の機能がかなり低下している場合も、介護する人の感情はちゃんと伝わっています。認知症の介護における救いはそこにあります。
 知識が通じなければ、「感情」でコミュニケーションすればいいのです。

 まさにその通り。ソルティも5年の介護経験を通じてコツを習得した。逆に、このコミュニケーションスタイルが身についた結果、認知症でない高齢者に無意識にこれを適用してしまうと、意外に嫌がられるのである。普通の大人は、知識や理屈で感情を糊塗する傾向があるからだ。


3. 介護は修行

 介護者は、自分の目の前で、刻々と死に向かって進んでいる人の姿を観察することになります。すると「生きるとはいかに虚しいのか」とありありと見えてきます。

 さらに観察すると、それでも人は「生きていきたい」と願い、弱く衰えた身体にしがみついて生を渇望する「存在欲」が見えてくるはずです。「人生とは何か?」と、まざまざと観察するのだと言えるでしょう。

 自分が4K(危険、きつい、汚い、給料安い)と言われ、一般に人気のない介護の仕事を続けていられるモチベーションの一つは、それが「修行になる、善行為になる」というところにある。ブッダの四門出遊のエピソードに象徴されるように、「老」「病」「死」を深く観察することが「道」へと人を誘う。その意味で、介護は「他人のため」ではなく、「自分のため」である。

 すでに数百人となった利用者との出会いと別れの中で、「いったいどういう老い方が一番幸福なんだろう?」「どういう最後が楽なんだろう?」と問い続けてきた。それは結局、「どういう生き方が一番幸福なんだろう?」につながるわけだが・・・。
 今のところ一つ自信を持って言えるのは、「結局最後にモノを言うのは、その人の性格だ」ということ。老人ホームに入って、家族も知り合いも遠のき、財産も学歴も業績も地位も関係なくなり、暇をつぶしてくれると同時にアイデンティティの源泉にもなった様々な道具立て(酒や趣味や仕事や特技や家事)も身体的・環境的変化によって奪われていく。最後まで残るのは性格だけなのだ。認知症になっても性格はちゃんと残る。
 性格がいい人は幸福である。本人も自分の環境を受け入れて穏やかに過ごせるし、性格の良さゆえに介護者からも優しくケアされるから、ますます幸福度が増す。
 老人ホームというまったく同じ環境の中にあって、そこを天国とするも地獄とするも、その人の性格次第という面は少なからずある。むろん、介護保険の制度や施設運営自体にも改善の余地は山ほどあるけれど・・・。


4. 傲慢をなくす
 
 仏教では、病気で倒れている人や不幸で力を失っているような人を見たら、このように考えます。「これは生命本来の姿なのです。私も同じです。私もいつかこうした状態になる可能性は高いのです。私も老いて死にます。この方々は私に、私の将来を見せてくれているのです」
 こう思うと傲慢さがなくなり、自分自身をいたわるように、相手のお世話をする気持ちになれるのです。

 ソルティのような中高年スタッフのメリットの一つは、対象となる高齢者との年齢差が(比較的ではあるが)小さい点にある。世代間ギャップが小さいから、若い世代たとえば平成生まれのスタッフに比べれば、通じる話が圧倒的に多い。昔の風俗や習慣、昔の歌や映画やスター、昔の出来事や風物や食べ物、昔の価値観など、共通ネタや共感できるテーマが多い。それらが、相手の考えや気持ちを理解するときの手がかりになることも少なからずある。
 また、自分もまた老いの入口に入ったことで、頭が働かなくなることや身体が言うことを聞かなくなることを身をもって実感しつつある。メンドクサイ文明から取り残されていく不安と淋しさも感じつつある(最近ついにスマホを解約した)。老いは他人事ではない。‘ゴーマンかまして’いる場合じゃない。


5. 介護の最終目的 

 誤解を恐れずにあえて言えば、私は介護の最終目的、最良の介護とは、親を幸せに死なせてあげることだと思っています。

 介護でいちばん大事なのは、心の悩みをなくすことです。
 親の気持ちを常に安らいだものにしてあげること。やさしい言葉をかけ、笑顔を向けること。・・・・・・
 最高の心のケアとは、この世に対する執着をなくせるように、アドバイスをすることです。

 「これぞスマナ節」の大胆発言。
 だが、これこそ仏教の核心である。良い転生(生まれ変わり)を繰り返した挙句の果てに輪廻から解脱すること、もはや二度と生を受けないことが、仏教の最終目的だからだ。そして、良い転生を得るには、幸せな最期を迎える必要がある。亡くなる瞬間の心の状態が次の転生先を決めるとされているからである。
 

 こうしてみると、仏教は本当に近代西洋社会の価値観とはズレていることが分かる。
 近代西洋社会の特徴は、①個人主義、②進歩主義、③合理主義、④民主主義、といったところにある。このうち③と④は仏教の価値観とそれほど齟齬をきたさない。仏教――少なくともテーラワーダ仏教では合理的であることを重視する。神秘主義や実証されない事柄への信仰をありがたがらない。「カーラマー経」の教えに見る通りだ。④も、出家の集まりであるサンガが非常に民主的に運営されていたことから立証されよう。
 問題は①と②である。
 西洋の個人主義は、自己の発見(コギト・エルゴ・スム)と自己の確立から、「自己主張」「自己実現」「自己決定」への道を切り拓いた。端的に言えば、「自己」の絶対化・固定化である。これが仏教の「諸法無我」と袂を分かつ。仏教では「自己」は幻想であり、自己の固定化こそが苦しみの要因であるとする。
 次に、進歩主義は、植民地主義や資本主義のバックボーンとなったと同時に、個人においては夢と野心の追求(=利益と欲望の充足)を許すことになった。これが環境破壊や資源枯渇、個人においては精神的ストレスを生んだ。この進歩主義の背景には、ダーヴィンの進化論はじめ近代科学の発展が大きく作用していることは言うまでもない。一方、仏教は末法思想や輪廻転生思想に見るように、進歩主義を採らない。人類は(生命は)智慧を開発しない限り、無明に置かれたまま永遠に転生を繰り返す。そして、智慧とは「諸行無常」「諸法無我」「一切行苦」。一切が変化して、一切が苦であるなら、そこに進歩などあり得ない。
 そこで―――だ。

 そこで、現代の日本の福祉制度の理念および制度体系は、アメリカやイギリスやドイツや北欧諸国などの近代西洋社会がつくった枠組みに則っている。これは、文明開化後の日本が西洋をモデルとし、戦後の日本の制度全般がGHQによって彫琢されたことの延長上に、そして戦後日本社会および日本人の価値観がアメリカナイズされたことの帰結としてある。イスラム教国と比較してみれば分かりやすい。日本は近代西洋文明の末席(?)に連なっている。個人主義、進歩主義は、現代日本人の意識を規定している。
 介護の世界においてもそれは浸透し、利用者の「自己決定と自己実現」は金科玉条のごとく唱えられている。最後まで自己の可能性を追求してやりたいことをやって死ぬのが理想という考えも広まっている。いつまでも若く、いつまでも美しく、いつまでも強く、いつまでも青春で、いつまでも輝いて――。
 平均寿命が90歳に至らんとしている昨今、ある程度まではそれも良いと思う。
 しかし、誰の生の最後にも「死」という着地点がある。
 今の日本の介護現場、日本人の「老い」は、太陽という輝かしい「生」を目指して右肩上がりに飛び続けるイカルスみたいだ。老いて病んだ人を「生」の側に押し戻そうとひたすら努力している。その結果、多くの老人たちは、死や老いについての心構えも準備もないままに、それといきなり直面することになり、パニックに陥る。太陽の熱で翼が溶けたイカルスさながら、錐揉みしながら「死」に向かって墜落していく。まるでゼロ戦のように。

 なぜ、ソフトランディングという選択をしないのだろう?

Icarus3
マルク・シャガール作「イカロスの失墜」

 



● 介護の仕事13  雨の日の傘談義

 老人介護の仕事の面白さの一つは、昔のことを当事者から聞けることである。
 昔のこと、と言っても明治生まれはもう数えるほどしか日本にはおられないので、大正後期から昭和の初め(戦前)にかけてのことである。
 ソルティが興味を持つのは政治や事件などの社会的出来事ではなく、日常生活のちょっとした雑学である。

 先日もご利用者と一緒にレクリエーションで童謡を歌っていた。今日のような雨の日であった。
 北原白秋作詞、中山晋平作曲の『あめふり』(1925年=大正14年発表)を歌い終わったときに御年89(昭和4年生まれ)の女性が言った。
「蛇の目って、お金持ちがさしていたのよね」
 すると、周囲の女性たちも「そう、そう」といっせいに頷いた。

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

「へえ~。蛇の目ってミシンのことじゃなかったんですか?」とお約束通りボケる。
「あははは。違うわよ。傘よ。じゃ・の・め・がさ」
「それ、どんな傘ですか?」(ここぞとばかり「回想法」による認知機能アップをはかる姑息なソルティ)
「骨組みは竹でできて、そこに和紙を張って油を塗るの」
「ああ、水をはじくために油を塗るんですね」
「そう。傘を開いたとき上から見ると蛇の目模様しているから、蛇の目って言うのよ」


蛇の目傘               
蛇の目傘

和傘はおもに竹を材料として軸と骨を製作し、傘布に柿渋、亜麻仁油、桐油等を塗って防水加工した油紙を使った。和傘には番傘(ばんがさ)や蛇の目傘(じゃのめがさ)、端折傘(つまおれがさ)などの種類があり、蛇の目傘は、傘の中央部と縁に青い紙、その中間に白い紙を張って、開いた傘を上から見た際に蛇の目模様となるようにした物で、外側の輪を黒く塗ったり、渋を塗ったりするなどの変種も見られる。(ウィキペディア「和傘」より)


 会話は続く。
「ふ~ん。それで蛇の目がお金持ち御用達なら、貧乏人は何をさしていたんですか? あっ、わかった! 蓑笠だ!」
「あははは。違うわよ。庶民は番傘を使っていたの」
「へえ~」

 ソルティは蛇の目傘と番傘の違いを知らなかった。
 番傘とはなにか。

和紙を張った粗製の雨傘のこと。江戸時代の中頃から竹製の骨に厚めの油紙を張った雨傘が普及した。上等のものが蛇の目傘であるが,番傘は一般に2尺6寸 (約 80cm) の柄に 54本の骨を糸でくくり,直径は3尺8寸 (約 115cm) 。商家で客に貸したり,使用人が利用するため,紛失を防ぐのに屋号や家紋とともに番号をつけたので,この名が出たといわれる。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「番傘」より)

 時代劇でよく浪人したお侍さんが内職で傘を作っているシーンが出てくるが、あれは番傘を作っているのである。今の感覚で言えば、番傘=ビニール傘ってところか。もちろん使い捨てはしなかっただろうが。

 「じゃあ、この歌に出てくる子供の家は裕福なんですねえ」
 「そうらしいわね。ウチは番傘しかなかったわ~」

番傘
番傘

 傘が出てくる童謡と言えば、ほかに『雨降りお月さん』がある。

雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
お馬にゆられて 濡れてゆく
(野口雨情作詞、中山晋平作曲、1925年=大正14年発表)

 ここに歌われている「からかさ」は唐傘と書き、紙と竹でつくられた和傘一般のことを言う。語源の由来は「唐(中国)から来た傘」という説と「からくり傘」を略したという説がある。上記の歌の「からかさ」は、お嫁入りに使われるのだから番傘ではあるまい。蛇の目を想定しているのだろう。


 蛇の目傘について調べていたら気になる記述があった。

 元禄年間からは柄も短くなり、蛇の目傘がこの頃から僧侶や医者達に使われるようになった。(ウィキペディア「和傘」より抜粋)
 
 なぜ、僧侶や医者から始まったのだろう?
 
 ここからはソルティの推測に過ぎない。
 まず江戸時代以前の医者は僧侶も兼ねているのが普通であった。なので、蛇の目傘はなによりまず僧侶の印だったのだろう。傘をさしていると禿頭が見えない。そこで蛇の目の印をあしらうことによって、道行く人に「ここに坊主あり」と知らせる働きがあったのではなかろうか。

蛇の目紋


 なぜ蛇の目か?
 蛇の目はそもそも家紋の一種であった。豊臣秀吉の家臣であった加藤清正が好んで用いたと言われる。加藤清正と僧侶の接点はなにか?

ほかに、蛇の目を使用した人物には、日蓮宗の開祖日蓮がある。これにちなみ、使用者は日蓮宗宗徒であることがあり、南部実長、加藤清正などの使用がある。(ウィキペディア『蛇の目』より)
 
 ビンゴ!

 つまり、最初に日蓮宗の僧侶が宗派(兼所有主)を示す印として「蛇の目」を傘にあしらったのが、時を経て一般の僧侶たち(医者も含む)にも広まり、さらに庶民(裕福な階層)に広まったということではなかろうか。


 ご利用者とのちょっとした会話に端を発した雨の日の探求であった。


P.S. 「ジャノメミシン」の社名の由来についてはこちらを参照。




● 介護の仕事14 センチュリーパワー(Century Power)

 勤め先の老人ホームに101歳の女性がいる。
 P子さんとしよう。

 P子さんはアルツハイマー認知で大昔のことは覚えているが、昔のことや最近のことやちょっと前のことは思い出せない。歩行は厳しいので移動のときはスタッフが車いすを押している。固形物はもはや体が受け付けないようで、スタッフが介助で口に入れても戻してしまう。プリンやゼリーや甘みのついている高カロリー栄養剤を少量補給するのがせいぜいである。 
 そんな状態でも日中は食堂のご自分の席でバッチリと目を開けてスタッフの動きを物珍しそうに見ておられるし、耳元で大声で呼びかければ返事もするし、調子のよい時は近くの席の人を相手に昔話を始める。風邪で寝込んだり、肺炎で入院したりということもない。いたって元気なのである。
 なんでも家が地方の庄屋だったらしい。繰り返される昔話の中に、「お手伝いさんがね・・・」とか「女学校の送り迎えのときに・・・」とか「家の蔵の中に着物がたくさんあって・・・」なんて言葉が当たり前のように出てくるのを聞いていると、箱入り娘として下にも置かず可愛がられた着物姿の少女が思い浮かぶ。長生きで健康なのは育ちの良さから来るのかもしれない。
 今でも風貌はお嬢様というか「おひいさま」の名残をとどめている。豊かで艶があり櫛どおりのいい白髪、染み一つない白い肌、こじんまりした品のいい目鼻立ち。若い頃は相当の美人であったろう。他人の話には興味を持たず自分の話だけ一方的にするあたりも、単に加齢や認知のせいばかりではないのかもしれない。ほうっておいても周りがチヤホヤしてくれたのだろう。
 
 100歳を超えると人間は天使になる。存在するだけで「奇跡がここにある」といった印象が生じる。80歳以上の高齢者があまた集う中でも別格といった雰囲気が漂う。何を言っても、何をやっても、もう憎まれるとか邪険にされるということがない。介護拒否が強くスタッフを悩ませムッとさせる90歳のうるさがたの婆さんが、101歳のP子さんの前ではしおらしくしているのを見ると、「世紀の力(century power)」ってすごいと思うのである。そのうえ、P子さんの場合、可愛らしい容貌とアルツハイマーならではの無邪気でトンチンカンな語りの持ち主なのだから、スタッフ人気は絶大である。20~30代の若い女性スタッフの間では「P子さんって可愛い」というのが口癖である。むろん、男性スタッフも同じように心の中で思っているだろう。「あと80歳若かったらなあ・・・」とか(笑)

 先日、出勤したソルティは、担当フロアを回ってご利用者一人一人に挨拶をしていた。P子さんの席まで来た。
「P子さん、おはようございます。今日もよろしくお願いします」
 そう言って頭を下げると、P子さんはこちらをまじまじ見つめてこう言ったのである。

「あら、可愛い坊やだねえ~」

 周囲は大爆笑。
 齢五十を超えて「可愛い坊や」とは!
 世紀の力は凄い。


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● 介護の仕事15  ここで一体なにをしているのかね? 

 認知症のHさん(87)は大工の棟梁だった。
 若い頃はずいぶん遊んで奥さんを泣かせたらしい。はじめての入浴介助時にHさんの右肩から腕にかけて見事な倶利伽羅紋々があるのを見て、昔の東映ヤクザ映画に出てくる賭場の光景(高倉健や菅原文太)が思い浮かび、「修羅場をくぐり抜けてきたんだろうなあ~」と畏怖とも尊敬ともつかぬ思いを抱いたものである。

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 江戸っ子の職人らしく、竹を割ったような裏表のないさっぱりした気質と率直な物言いが好ましかった。施設に入ったことに対しても、「しょうない。人間どうせ最後はこれよ」と片手で自分の首を刎ねる仕草をしてみせるのが常であった。人としての尊厳、男のプライドを大切にしながら対応すれば介護拒否することもなく、スタッフをよくねぎらってもくれた。認知はあったがトイレや食事は自立していたし、杖を使ってフロアを歩き回ることもできた。

 ――と過去形になるのはその後Hさんの認知がどんどん進んでいったからである。
 何度かの転倒と骨折と入退院を繰り返し、Hさんは車椅子生活を余儀なくされた。自分がどこにいるか、どうしてここ(施設)にいるかが分からなくなり、「家に帰る!」と言っては車椅子から立ち上がって歩き出そうとされる。自力で歩くことは転倒につながるので、我々スタッフは都度Hさんを押しとどめて、車椅子に押し戻す。すると、Hさんの怒りが爆発するのであった。
「なんだ、貴様! オレに逆らうか!」
 ドスの効いた大声で怒鳴る。こうなると、若い頃ならした喧嘩魂がよみがえるのか、その猛々しい振る舞いと鬼の如き形相は女性スタッフを震え上がらせた。

 Hさんの怒りがスタッフへの暴力となるに及んで、薬が処方された。精神安定剤である。
 しばらくすると、Hさんは日中車椅子上でほぼ傾眠(まどろみ)するようになった。車椅子から立ち上がることもなく、スタッフの言葉に応答することもなくなった。一日中、呆けたようにぼーっとしている。トイレも食事も自発的にすることはなく、スタッフが全介助するようになった。たとえば、食事の時はHさんの隣に座り、耳元で「Hさん、口を開けてください」と声をかけながら一匙一匙食べ物を運ぶのである。
 車椅子からの頻繁な立ち上がりと暴力行為がなくなったので、職員は「やれやれひと安心」という気分になったのは事実である。Hさんらしさが無くなったのは寂しいけれど、介護職だからといって利用者の暴力に甘んじていいわけないし、ケアを必要とする他のご利用者のことを思えば、一人の特定の利用者に手がかかり過ぎるのは問題である。 
 そんな状態でしばらくHさんの介護は続いた。

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 薬が体に慣れてきたのか、しばらくすると日中でもHさんの覚醒状態は良くなり、意識が幾分しっかりしてきた。前のように立ち歩いたり、スタッフを威嚇したり暴力をふるったりすることなく、日によって食事も半分くらい自分の手で取れるようになった。意識のはっきりしているときは、以前のようにスタッフと昔話することも可能になった。覚醒状態に波はあるものの、いわゆる「落ち着いて」きた。
 
 先日、ソルティはHさんの昼食介助をしていた。
 自力で食べるのが難しい覚醒レベルであったが、口元までスプーンを運べば口を開けて飲み込んでくれる。Hさんが食事途中に寝込まないよう、棟梁時代の話を適宜振りながら介助していた。
「Hさんのところには何人くらい職人がいたんですか?」
「家一軒建てるのにどれくらいの日数かかりますか?」
(むろん、これまで何度も繰り返して答えを知っている質問である)
 しばらくそんなふうにして恙無く食事は進んでいたのだが、不意にHさんの意識が澄み切ったらしかった。ソルティに力強い視線を送りながら、こう言ったのである。

「で、ここで一体なにをしているのかね?」


「Hさん、食事しているんですよ」
と、まともに答えそうになって、ふとその質問に内包されている意味の重層性に思い至り、手が止まった。
 つまり、

①「俺はいまここでなにをしているのかね?」
  ⇒
ふさわしい答えは、「食事をしているんですよ」である。

② 「俺はここで(この施設で)なにをしているのかね?」
  ⇒介護の教科書的にふさわしい答え(建前)は、「病気を治して家に帰れるようリハビリしているん  ですよ」である。老人ホームも在宅復帰が第一使命である。
 ⇒身も蓋もない本音を言えば、「死ぬのを待っているんですよ」である。身体の障害ならともかく、認知では在宅復帰は難しいのが現状である。よくてもグループホームである。Hさんの進み具合では集団生活はもはや難しいだろう。あと何年あるのか知らないが、死ぬまでホームにいるほかない。

③ 「お前(ソルティ)はここでなにをしているのかね?」
 ⇒「なにをしているんだろう?」
 介護をしている、仕事をしている、生計を立てている、社会貢献している(つもりになっている)、人の老死を観察している、一日が終わるのを待っている、暇つぶしをしている・・・・

④ 「俺とお前は、ここでなにをしているのかね?」
 
⇒「Hさんとソルティはなにをしているんだろう?」
 一方が一方を介護している、介護と報酬という形で互いに助け合っている、介護ごっこ(茶番)をしている、Hさんの最期の時を共に過ごしている、医療制度と介護保険制度に縛られて命をもてあそんでいる、お互いに学びあっている、縁によって出会って業(カルマ)をつくっている・・・・


⑤「(俺とお前を含む)人類は、ここでなにをしているのかね?」
 
⇒「人類はこの地球で一体なにをしているんだろう?」
 生殖活動している、次世代を育てている、欲望を追求している、仕事している、金儲けしている、戦っている、殺しあっている、開発している、他の生物を殺している、環境破壊している、長生きしようと闇雲に精を出している、勢力争いしている、武器を作っている、遊んでいる、助け合っている、良い来世のために修行している、なんの疑問も持たず決められた社会ルールのもとに生きている、目的も分からぬまま破滅するまで生きている・・・・・

 水に落とした墨が広がるように、瞬く間に脳裏に広がった上の5つの問いとその回答に、刹那言葉を失い、軽く目まいした。

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「おっと、今やることは目の前のHさんの栄養補給だ」
 そう気を取り直してHさんに向き合うと、腹が満ち足りたのか、Hさんはすでにうつらうつら舟を漕いでいるのだった。


  

 

 

● 介護の仕事16  かんてき?

施設介護の仕事に付き物のレクリエーション。
日勤シフトで入ると、午後のおやつ後の約1時間ほどを、ご利用者を食堂の一角に集めてレクリエーションしなければならない。

内容を考えるのも一苦労である。
毎回同じような内容だと、利用者も自分も飽きてしまう。
それに、レクの種類によっては参加できない利用者も出てくる。

たとえば、両腕とも麻痺している人はボールを使ったゲームや風船バレーはできない。
認知の強い人はクイズや脳トレなど頭を使うプログラムに参加できない。
最も多くの利用者が参加できて楽しめるものと言えば、やっぱり歌に尽きる。
童謡や懐かしのメロディーあたりが鉄板レクである。

なので、1時間のプログラムを組み立てる際は、20分ずつ3つに区切り、第1部はボールを使って体を動かし、第2部はクイズで頭を使い、第3部は合唱で気分よく締める、というふうに計画したりする。
これなら、おおむねすべての利用者がどこかで参加することができる。

3つのうちでは、クイズが工夫のしどころである。
難しすぎず、易しすぎず、頭の活性化にもなり、楽しめるクイズを、担当職員たちはいろいろ考えてくる。
ソルティがやったことのあるものを挙げると、

●仲間づくし系
都道府県名をすべて挙げてもらう。ほかにも、東京23区、山手線駅名、花や鳥や木の名前、世界の国名などでもできる。

●読み方当て系
魚偏のつくいろいろな漢字を板書して何と読むか当ててもらう。
木偏、けもの偏でもできるほか、変わった人名や地名、世界各国の漢字表記などでもできる。

●写真を使った系

歴史上の偉人や有名人の顔写真を見せて誰だか当ててもらう。
ほかにも、日本や世界の観光名所、昔の生活道具などでもできる。
準備が必要である。

●言葉遊び系

早口言葉、ことわざ、俳句、しりとり、各地の方言など。
ランダムに並べられた文字(例えば「も・し・こ・う・ろ・と」)をみて、意味のある言葉(正解は「と・う・も・ろ・こ・し」)にするといった、やや高度のゲームも好評。

●五感を使った系

虫(鳥や動物でも可)の鳴き声(関連サイトより)を聞いて何の虫か当てる
目隠しして手渡された品物を当てる。


介護の仕事6年余りで、ずいぶんとレパートリーが増えた。
今やインターネットとプリンターがあれば、いくらでもヴィジュアルで楽しいクイズが創れる。
ノートパソコンとプロジェクターがあれば、シーツをスクリーンにして映写もできる。
便利な世の中だ。

自分なりに考えて下調べして準備したレクが、上手くツボにはまって、利用者が楽しんでくれるのを見るのはうれしいものである。

「亀の甲より年の功」で、逆に利用者から教わることも多い。
認知の利用者の天然そのものの思いがけない回答に笑わされることもしばしば。

面白かったものを紹介したい。

1.ことわざクイズで

有名なことわざを途中まで読んで(犬も歩けば)、あとを続けてもらう(棒に当たる)単純なクイズ。
高齢者は実によくことわざを知っている。(逆に今の若い職員たちの知らないこと!)
時にはこんな楽しい間違いも・・・。


1 魚心あれば → 下心
2 二階から  → ぼたもち
3 雀百まで  → わしゃ九十九まで 
4 目くそ   → 鼻くそ、耳くそ
5 一富士   → 二太郎、三かぼちゃ
6 江戸の敵を → 東京でとる



正解)
1 水心 
2 目薬  ※「棚からぼたもち」と混線
3 踊り忘れず  ※「お前百まで、わしゃ九十九まで」と混線
4 耳くそを笑う
5 二鷹、三なすび  ※「一姫、二太郎」と混線
6 長崎でとる  ※距離的間隔が時間的間隔に変換。これはこれで意味が通るし面白い



2 昔の道具当てクイズで

下の写真は何でしょう?

七輪


昔の人なら誰でも知っている日常生活用品。
レクに参加していた20名ほどの高齢者はいっせいに、

「七輪!」

と正解した。

ところが、ただ一人、Kさん(85歳女性)だけが違う言葉を叫んだ。

「かんてき!」

えっ、なにそれ???

感激?(そんなに懐かしかったの?)
官敵?(ソルティのこと?)

尋ねてみると、彼女は大阪出身で、関西では七輪のことを「かんてき」というのだと。

知らなかった。

そこにいた高齢者の中で、関西出身はKさん一人。
東北や四国や九州出身の人もいたが、みな「七輪」と答えた。
関西人だけが「かんてき」と言うらしい。

ちなみに、「かんてき」には「怒りっぽい人、癇癪もち」の意味もあるが、これはたぶん「すぐに熱くなる」からであろう。
大阪や神戸には何度も行っているし、知り合いもいるのに、はじめて知った。
(「神戸焼肉かんてき」というお店が都内にもあるらしいが、ソルティ、基本的にあえて外食してまで肉を食うことはしない)

Kさんが言うには、「でも、今じゃ、大阪の若い人もよう知らんな」

1960年代頃までは、一般家庭に多く見られた器具ではあるが、高度成長期からの全国へのプロパンガス・都市ガス普及や、熱変換効率が高い電磁調理器の登場によって、家庭での実用目的での利用はほとんど見られなくなった。(ウィキペディア「七輪」より)




● 介護の仕事17 現場を離れて (開始6年4ヵ月)

6年4カ月勤務した老人ホームを退職した。
現在、無職。
M78星雲に無事帰還した。

星雲2


辞めた一番の原因は肉体的限界である。
6年あまり酷使ししてきた腰、膝、肩の痛みが、もう誤魔化しようなくなった。
とくに、ここ1年程で急激に悪化した左肩の痛み。
左腕を床と水平以上に挙げると鈍い痛みが走る。
トイレの高い棚に置いてある介護用品(オムツパット)を腕を伸ばして取ろうとすると、ズキンッと鋭い痛みが走る。
思わず新しいパットを便器の中に落としてしまったこと数回(ヒミツ)。
五十肩の兆候である。
(ツクシさん、奇遇です)

10年ほど前に四十肩をやったことがあり、その苦しみはいまも忘れていない。
早めに治療すれば良かったのだが、自然治癒するだろうと高をくくって悪化させてしまい、四六時中痛むようになった。
重い荷物が持てない。
列車の吊り革がつかめない。
頭を洗えない。
頭から被るタイプの上衣が着られない。(前開きのシャツばかり着ていた)
夜も痛くて眠れない。
地蔵化した子泣きジジイが24時間肩に乗っている感じだった。
それが半年以上続いた。

今回も、ほうっておけば悪化の一途をたどることは目に見えている。
早めの治療が必要だ。
が、通院したところで、介護の仕事を続ける限りは治療効果は期待できまい。

しばらく休暇を取る?

痛みは消えるかもしれないが、仕事を再開したら同じことだ。
老後はきっとつらいことだろう。
無理して働けば、そのうち修復不可能なほど、肩や腰や膝を毀してしまうかもしれない。
自分の体だけならまだしも、利用者を抱え損ねてケガさせてしまうかもしれない。

また、一年くらい前から存在を主張してきたモロボシダン病もここ数カ月で本格化してきた。
健康診断や脳ドックで異常は見つからなかった。
とりあえずホッとしたけれど、原因が特定されないのもかえって気味が悪い。
さまざまな症状から素人判断するに、自律神経失調症じゃないかと思われる。
精神的な要因である。

元来、ソルティはストレスに弱い。
12年ほど前に耳鳴りとめまいが続いたことがあり、そのときはメニエール病の可能性を示唆された。
原因は「ストレスだろう」と医者が言った。
たしかにその時期は、職場の人間関係のゴタゴタで、ストレスフルな日々であった。
治療薬が効いたのか、ゴタゴタが収束したためか、そのうちに耳鳴りは治まった。
メニエールではなかったのだろう。
今回のモロボシダン病は、おそらく「ストレス+更年期障害」が原因だろうと思われる。
更年期障害は仕方ない。
半世紀以上生きてきたのだから。
(ソルティが20代の頃、今のソルティの年齢でもう定年=余生だった!)

問題はストレスである。

これまで介護の仕事をして、あんまりストレスを自覚したことはなかった。
仕事を覚えるまではもちろん精神的プレッシャーは多々あったけれど、いったん仕事を覚えて、フロアをまずまず穏便に回せるようになってからは、むしろ楽しい日々であった。
ご利用者との会話は楽しいし、認知症高齢者の介護は自らのコミュニケーション能力を磨く絶好の機会となってチャレンジングであった。
何より彼らの突拍子もない言動が面白くて、大いに笑かしてもらった。
観察眼の鋭くなってきた結果、自ら異常を訴えられない利用者の熱発や便意や発疹などをいち早く発見し、医療職に報告し然るべく対応できた時など、「自分はこの仕事が合っている!」と内心誇らしく思った。
職場の同僚もいい人ばかりで、介護現場でよく聞く派閥争いやイジメはなかった。(自分が気づかなかっただけかもしれないが)

加えて、ソルティは多趣味である。
山登り、寺社巡り、家庭菜園、クラシック鑑賞、落語、読書、映画、芝居、ボランティアやデモ、乗り鉄、資格試験にチャレンジ、こまめなブログ更新・・・・・・我ながら活発である。
職場をいったん離れたら、仕事のことはほとんど頭になかった。
そのうえに、何と言っても自分には仏教がある。
仏教という生きる糧、仏法という心の礎、瞑想修行という生き甲斐があるので、日常(=俗世間)のこまごましたことは、「どうでもいいや」と内心思っている。
仕事も人間関係も決していい加減にするわけではないが、やるだけやって上手くいかなくても、それはそれで仕方ない、別に深刻に思うほどのことではない、と思っている。
どちらかと言えばストレスとは縁遠いと思っていたのである。


夏空


一方、心のどこかで「だいぶ無理してるな」と感じているところもあった。
それは、介護の仕事5に書いたことに関係する。
そこでは、介護の仕事をはじめて10ヵ月したところでソルティが感じた違和感を挙げている。
  1. 利用者が「外に出られない」ということ
  2. 利用者が「好きなものが食べられない」ということ
  3. 利用者が「始終監視される、あるいはプライバシーがない」ということ
  4. 利用者が「好きな時に起床できない、横になれない」ということ
  5. 利用者がリハビリする意味について
  6. 利用者が「暇をもてあます」ということ
  7. 介護者であるソルティが「嘘をつくこと」について

施設の外の世界(一般人の生活空間)と施設の中の世界(介護生活空間)とは勝手が違う。
外の世界の「あたりまえ」が中の世界では通用しない。
中の世界の「常識」が外の世界では「非常識」。
当初、そのギャップに強烈な違和感を持った。
「これでいいのだろうか?」「これしかないのだろうか?」という疑問を抱いた。
が、最近はそれが薄れている。
施設の「あたりまえ」がだんだんと自分の「あたりまえ」になってきているのを感じる。


簡単に言えば、ソルティははじめて老人ホームに入って介護の仕事を始めたときに、非常なカルチャーショックを受けたのであった。
「こんなのまともな人間の生活じゃない!」
「何十年も家族や社会のために尽くしてきた人間の最期がこれなのか!? これしかないのか!?」
と半ば同情し、半ば義憤にかられたのである。
ところが、上記のように、歳月を重ねるごとに違和感がだんだんと薄れてきて、6年たった時点ではまったく感じられなくなっていた。
中の世界の「常識」が、すっかり介護者である自分の「常識」になってしまった。
「洗脳された」「流された」ということだろう。

もっとも、上記のような不自由な境遇に置かれている利用者に対し、「少しでも安楽に過ごしてもらおう。」「日々の生活を楽しんでもらおう」と、それなりに心がけたつもりではある。
他の職員よりは積極的に利用者と会話するよう努めたし、いろいろなレクリエーションを考案し少しでも楽しい時間を持ってもらおうと骨折った。
介護そのものも、機械的・事務的にならないように、目の前の利用者とコミュニケーション取りながら、できる限り丁寧にやってきたつもりではある。
幾人かの利用者とは心の通う関係がつくれたと自負している。
現場の雰囲気も、利用者の表情も、ソルティが働き始めたときより格段と良くなったと感じている。(これはもちろんソルティひとりの力ではない。)

しかし、やっぱり限界はある。
というのも、「自分の親をこの施設に入れたいか?」「自分が年とった時にこの施設に入りたいか?」と問われたときに「YES!」と自信をもって言えないのは、開始10ヵ月の新人のときも、6年以上経ちベテランと呼ばれるようになった現在も、変わってはいないからである。
勤めていた施設が悪いからではない。
これは、施設介護の限界であり、いまの介護保険の限界であり、我が国の少子高齢化対策の失敗の結果であり、日本の社会福祉政策の貧弱さの露呈であり、家族や地域の力が弱体した帰結であり、現代日本人の死生観の空洞化の表れなのである。
すなわち、何十年も家族や社会のために尽くしてきた人に、本人が望むような最期を提供できていない、あるいは少なくとも、本人が望まないような最期を提供しないことができていない――ということだ。

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当初感じた強烈なカルチャーショックや違和感に蓋をして、「まずは同僚に迷惑かけないよう仕事を覚えるのが先決だ」と心の底に封じ込めてきた結果が、5年過ぎたところで自律神経失調症となって浮上したのではあるまいか。

実際、利用者がトイレで用を足しているまさにその最中に、ドアを開けて入っていくことにあれほど抵抗を感じた自分であったのに、今では半開きしたドアの敷居に立って、トイレの中の利用者を見守りながら、同時にフロアにいる転倒リスクの高い利用者を見守ったりしている。(それもこれも、数十人を見守るには職員数が足りないからだ。)
要領が良くなった、仕事のコツを覚えたと言えば聞こえはいいが、高齢者の「尊厳の保持」という介護保険の理念からすれば、「???」であろう。

そもそもソルティの前職は、人権関係のNGOだったのである。
当時自分があちこちの学校の講演で生徒たちに偉そうに話していたことと、介護現場で自分がやっていることとのギャップは、何よりも自らの心に隠しようもない。

ここいらで少し、現場を離れてみることが必要なのかもしれない。
いろいろな体の不調はそのことを告げているような気がする。

――というわけで退職を決めた。

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6年4カ月の介護の仕事を一言で振り返ると、「面白かった!」というに尽きる。
介護という仕事の奥深さややりがい、さまざまな人生を歩んできた高齢者との出会い、利用者と家族とが織りなす人間模様の綾、相談員や看護職やリハビリ職との連携、自分の様々な経験や特技がじかに活かされる現場、不穏な利用者など困難なケースを同僚たちと頭をひねって対策を講じ、なんとか乗り越えた時の達成感・・・。

思った以上に介護職が、現場が、性に合っていた。
お世話になった方々には感謝するばかりである。


P.S.
現在、鍼治療に通っている。
初回に院長に体を触診してもらった時に、「どこもかしこもコンクリートのよう」と言われた。
ツボ押しの痛いこと。
鍼のズドンと地鳴りのように響くこと。
体が一斉に悲鳴を上げた。
というか、文字通り喉頭から悲鳴が上がった。
やっぱり、限界だったのだ。


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● 危機意識のグラディ―ション

 通勤途中、山手線駅の構内ですれ違った男(30代)は、透明のプラスチックの顔面シールドをつけていた。むろん、その下はマスクである。
 髪の毛を完全に覆い隠すナイロン製の帽子、表地がナイロン100%のジャージの上下、ビニール製の防水ブーツ、そしてやはりナイロン100%の手袋をつけていた。
 つまり、素肌がほとんど大気に晒されていない。
 その徹底ぶりに驚いた。
 
コロナ防御

 
 今、つくづく感じるのは、新型コロナウイルスに対する危機意識が、人によってずいぶん差があるということである。
 メディアで見聞きする限りでも、ゴルフ場に堂々と出かけてプレイ後は混雑したレストランで鯨飲放談する親父たち、風俗に行く国会議員、地元商店街の人混みに繰り出す一家、繁華街の人気ショップに行列する若者たち・・・・といった危機意識の低い、“楽観的な”一群がいる。
 
 一方で、上記の完全防御男のように、高い危機意識を示す者がいる。
 彼の場合、おそらく外出せざるを得ない事情があり、身を守るために考えられる最大の措置として、あのような恰好になったのであろう。本心は家に引きこもっていたいに違いない。
 本当に家から一歩も出ないで、通販や出前やUber Eats(ウーバーイーツ)等の宅配を利用して過ごしている人もいるだろう。
 危機意識が過度になると、「コロナ感染が怖くて、ノイローゼになって自殺」みたいな、パラドキシカルな例も見受けられる。
 
 ソルティはその昔、エイズの電話相談に関わっていたことがあるが、実際、エイズノイローゼになった人は、間に5分と置かずコールしてくる。
 それも、本当に性行為があって感染の可能性があるのならともかく、「公衆トイレのドアのノブを触ったらベタベタしていた(気がする)」とか、「ジョギングで擦れ違った男の息が、自分の顔にかかった(気がする)」とか、「病院の待合室で蚊に刺された(気がする)」とか、HIV感染の可能性のまったくない事柄について心配している。
 「心配なのは、HIV感染でなくて、あなたの精神状態のほう。むしろ、感染してしまったほうが精神的にはラクだろうに・・・」――と思いながら、日に何十回と繰り返される話に、いい加減辟易しつつ、付き合っていたのを思い出す。
 
 まあ、ここまで極端でなくとも、大概の人は現在、それぞれなりに危機意識を持ちながら、日々過ごしているはずである。
 人によって危機意識の高低がある、言い換えれば危機意識のグラディ―ションが生じるのは、当然と言えば当然である。
 
  • これまでの体験の違い(たとえば、エイズパニックを経験しているか否か、インフルエンザに罹ったことがあるか否か、戦争や自然災害を経験しているか否か・・・等)
  • 想像力の多少(たとえば、今後起こりうる事態をどこまで頭の中で描けるか)
  • 気質の違い(楽観的 or 悲観的? 現実逃避的 or 現実直視的? 強気 or 弱気?)
  • 体力や健康に対する自信
  • 信仰(たとえば、「神が守ってくれるから大丈夫」とか、「悪いことを考えると現実化するから、考えない方がいい」というスピリチュアル的妄想)
 こういったことが、危機意識の差をつくる要因として考えられるだろう。
 
 ソルティは、かなり危機意識の高い方だと思うが、それは、
  • 以前働いていた介護施設で、ノロウイルスやインフルエンザの蔓延を経験し、ウイルスの恐ろしさや次々と利用者やスタッフが倒れていく修羅場を見ている
  • 最悪の事態を想像して覚悟する気質(あるいはネガティブ志向
  • 加齢による体力や健康への不安(足の骨折もあり)
  • 現政権に対するどうしようもない不信
 といったあたりが、その大きな背景を成す。
 
 そしてまた、今回、ひとつ気づいたことがある。
 
 ソルティは足のケガのため、4ヶ月近く仕事(介護施設)を休んでいた。
 その間に、新型コロナウイルスは発生し、ダイヤモンド・プリンセス騒動の一部始終を家や入院先のテレビで見て、このウイルスの特性について専門家が語るのを聞き、国内に感染者がぽつぽつと増えていく様を眺めていた。
 相当にやばい状況だと感じた。
 「医療崩壊」はまだ叫ばれていないときであったが、むしろ、その先に来るであろう「介護崩壊」を想定し、ぞっとした。
 なにかしら持病を持つ高齢者ばかりが密集し、仕事の性質上「濃厚接触」が避けられない介護施設に、ひとたびコロナウイルスが侵入したら、ひとたまりもない。
 職員がやられたら、介護する人間がいなくなる。
 先んじて来るであろう医療崩壊で救急搬送や入院ももはや不可能。
 想像するだに恐ろしい光景が頭に浮かんだ。
 ・・・・・・・。

 松葉杖を卒業し、今月より職場復帰した。
 そして、すぐに職場の人間と自分との危機意識の違いに驚かされた。
 あまりにも生ぬるい感染症対策がそこにあった!
 
 ソルティにしてみれば、いったいなんで他のスタッフがこんなに楽観的でいられるのか、不思議で仕方なかった。不思議で仕方ない。
 アメリカやイタリアの介護施設で起こっていることが、目の前に迫っているのに!
 「自分だけは大丈夫、自分のいる職場だけは大丈夫」と思うのだろうか?
 それとも、ソルティが特別で、ひとりネガティヴ志向なのだろうか?

 
コアラ
コアラはストレスに弱い

 
 ところが、である。
 職場復帰して半月もたつと、次第に自分の危機意識が薄れてくるのを感じたのである。
 「なんだ。ちょっと自分、大げさに考え過ぎたかな?」と思ったりしている。
 なぜそうなってしまうのか?
 自己分析してみた。
 
 ここまで市中感染が広がれば、ある一日にコロナウイルスに感染する可能性は、「感染する or しない」の1/2である。
 どの日も同じ1/2である。
 相当に高い。
 ところが、丸一日感染せずに過ごせた「今日」を手に入れると、そのあくる日には、無事乗り越えた「昨日」を安全の証拠として採用してしまうのである。
 「昨日と同じことをしている限り、感染はしない」と勘違いしてしまうのだ。
 すると、1/2の感染リスクが目減りする。
 無事の日々が積み重なるほどに、想像上のリスクが減っていき、現実にある1/2リスクが軽視されていく。
 「自分だけは大丈夫なんじゃないか。ここだけは免れるんじゃないか」
 という根拠のない楽観に次第に身を任せていくようになる。
 
 人には恒常性の維持(ホメオシタシス)という機能が備わっている。
 環境が変化しても体の状態を一定に保とうとする働きである。
 それと同様、心にも「恒常性の維持」が備わっているのではなかろうか?
 心の状態を一定に保とうとする働きが、感染リスクを過小評価させるのではなかろうか?

 日常性に潜んでいる罠というべきか。



  
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