ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語を見て、旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、ボランティアして、デモに行って、無いアタマでものを考えて・・・・そんな平凡な日常の記録である。

シャフクへの道

● 退会届、あるいはベーシック・インカム再考

 昨日、会員になっていたスポーツクラブを退会した。
 むろん、コロナのためである。
 
 昨年9月に入会したので、まだ7ヶ月ほどしか経っておらず、うち4ヶ月は足のケガで通えなかった。
 正味3ヶ月である。
 なのに、退会届を出すにあたって、ずいぶんと迷いあぐね、踏ん切りがつかず、度胸が要った。
 
 毎月8日が各種届の締切り日なので、この日を過ぎると翌月分も会員料金を取られる。
 銀行から自動的に引き落とされてしまう。
 4月分はすでに払い済みだが、5月分を払わずに済ませるためには、昨日が期限だった。
 
 骨折した足がある程度治ったところで、水中ウォーキングや筋トレマシーンでリハビリしたかった。
 だから、ここ4ヶ月はクラブに通えないにもかかわらず、毎月7000円の会員料金を納入してきたのである。
 
 今さら言うまでもないが、コロナ騒動でスポーツクラブ関連は甚大な被害を受けている。
 館内消毒を徹底する、定期的に換気する、プログラムを練り直して利用者の密集を防ぐ等々、クラブ側もいろいろと努力を重ねているのが、公式サイトから伺える。
 が、散歩の途中に窓の外から筋トレルームを覗くと、片手で数えられるほどしか利用者がいなくて、平素は隙間なく埋まっている専用駐輪場も櫛の歯が欠けたような有様。
 大丈夫だろうか?
 いつまで持ちこたえるだろうか?
 
 杖なしでも歩けるようになってきたので、本当ならそろそろクラブ復帰したかった。
 空いている夜のプールで歩行を楽しみ、トレーニングルームでヨガをしたかった。
 ミストサウナでぼーっとして、広いお風呂場でくつろぎたかった。
 思いっきり体を動かして汗をかいて、ぐっすり眠って、ストレス発散したかった。

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 もし、自分が高齢者や病人と関りを持つ介護の仕事をしていなかったならば、あるいは、80代の両親と一緒に暮らしていなかったならば、そのままクラブ会員であり続け、週3回通うであろう。
 おばさま会員のように、運動が終わってからロッカールームやサウナで長時間ぺちゃくちゃ喋るわけじゃないし、自分のメイン目的であるプールは塩素消毒が効いているから、コロナに感染する確率は低いと思う。
 満員電車での通勤のほうが、よっぽど危なかろう。
 とは言え、今は自分を守るためというより、他人を守るために、少しでもリスクある行動は控えなければなるまい。
 
 もし、3ヶ月後にコロナが終息すると分かっているならば、会員であり続けるかもしれない。
 その間お金はもったいないけれど、3ヶ月分くらいならば、クラブの経営を支えるために、クラブで働くスタッフの生活を支えるために、払い続けるのは惜しくない。
 つぶれてはこちらとしても困るのだ。
 
 そう、スタッフたちの生活・・・・。
 それを思うと、簡単に退会届を出せない自分がいる。
 彼らの失職に拍車をかける行為と思えば、心安からずである。
 
 一斉休校要請が出た3月半ばから「退会」という言葉が頭をかすめ、踏ん切りのつかないまま、昨日8日の期限を迎えてしまった。
 家を出てクラブに向かう途中も、クラブの入口の前のベンチでも、逡巡し続けた。
 運動を終え、はつらつとした表情の、肝の座った(?)利用者らが、三々五々出てくる。
 やっぱり、少ない。
 最盛期の5分の1くらいか?
 「ここまで利用者が減ったら、もう休館は時間の問題だろう・・・」
 そう思って、受付に向かった。
 
 退会手続きを取っている間も、人はやって来て、退会を申し出ている。
 やはり、皆ぎりぎりまで迷っていたのだろう。
 ソルティのように最近通い始めたのとは違い、何年も通い続け、日課となっている人も多い。
 スタッフと顔見知りになり、若い彼らとの交流こそが楽しみで来ている高齢者も少なくない。
 
 ここ数ヶ月ですっかり慣れたのだろう。
 担当スタッフは、淡々と事務的に、丁寧に、暗い顔ひとつ見せず、手続きを取ってくれた。
 「コロナが終息したら、また来てくださいね」
 
 こんなふうに、仕事の場がどんどん失われていっている。
 コロナ拡大防止のためには外出自粛も致し方ないけれど、失職した人たちへの補償をしっかりやってほしいものだ。
 失職した人々が失業保険申請のためにハローワークに駆け付ければ、感染拡大リスクが高まる。
 いっそ、スペイン政府のように、ベーシック・インカム(最低所得保障制度)を検討してはどうかと思う。

ウミガメ
また会う日まで





● だれもが当事者

たぶん40歳以下の人は知らないだろうが、今から30年以上前にエイズパニックというものがあった。
日本はもちろん、世界中で。

80年代初頭アメリカで、免疫力が次第に損なわれて死に至る奇病が、ゲイの間で蔓延した。
まもなく、原因はHIV(ヒト免疫不全ウイルス)であると判明し、AIDS(後天性免疫不全症候群)と名付けられた。
1985年に日本人第1号患者の報道があった。アメリカ在住のゲイの男性だった。

ここまでは対岸の火事。

1987年、神戸で日本人女性の感染が報告された。
そこからのパニックが凄まじかった。
マスコミはこの女性の氏名・住所をつきとめて顔写真入りで公開した。
風俗に勤めているというデマが広がった結果、歓楽街が空になった。
この女性が外国人と付き合っていたという噂が独り歩きし、その後に松本で起きたフィリピン人女性の感染報道と相まって、各地で外国人入店拒否などの差別が起こった。
検査所に身に覚えある男達が殺到した。
ノイローゼとなったある弁護士は、検査結果を待たずに自殺した。(結果陰性だった)


エイズパニック記事(神戸)
昭和62年1月18日のサンケイ新聞(当時)朝刊


感染者に対する差別は酷いものであった。
診療拒否、病院たらい回し、解雇、内定取り消し、入居拒否、さまざまなレベルのプライヴァシー破壊・・・・・。家族もまた差別された。
ソルティは、当時の様子を調べるため、関東地方のある大病院を取材したことがある。
その際、担当者は言った。
「最初にウチに入院した患者が亡くなったあと、彼が使っていたベッドを焼却しました」
パニックになると、科学的事実など簡単に吹っ飛ぶものだと痛感した。

HIVは当初、ゲイと血友病患者と風俗で働く(遊ぶ)人の特有の病と思われていた。
「不特定多数の相手とのセックスは避けましょう」と盛んに言われた。
そこに当てはまらない人間にとっては、当事者性が低い。
「血友病患者をのぞけば、性的にふしだらな人間がかかる病でしょう?」とみなされた結果、感染者は倫理的に断罪され、それが差別を助長した。

感染者と分かると差別されると知って、こんどは検査を受ける人が激減した。
「どうせ陽性と分かったところで治療法はないし、八分されるだけでしょう? なら、このまま何も知らずに、いままで通りの生活を続けるよ」
感染拡大防止の観点から、これがもっとも怖い展開なのは言うまでもない。
(※現在、HIVには何種類もの薬がある。血液中のウイルスを検出限度以下まで減らし、AIDS発病を抑制できる。相手に感染させるリスクもほぼゼロになる)

コロナウイルス


新型コロナウイルスは、人と関わって社会生活を送る人間ならば、だれでも感染しうる。
感染者に対する差別は、いずれ差別した当人にそのまま降りかかってくる。
倫理も、貧富の差も、地位も、職業も、性別も、セクシュアリティも、性行動も、国籍も、人種も、年齢も、関係ない。
大統領も、世界的スターも、政治家も、官僚も、医者も、金持ちも、宗教家も、そうでない人々と同じ俎上に上げられる。

だれもが当事者。
それが今回のウイルス騒動の特徴であろう。




 

● ほすぴたる記 その後 14 事故後90日


 ギプスが取れて、大地に足をつけられるようになってからの回復ぶりに、自分でも驚いている。
 ほんの10日前まで、
「ああ、今後一生、山登りも介護の仕事もサイクリングもできないかもしれない・・・」
 と半ばあきらめていたくらい、ケガした左足は硬さと痛みとでままならなかった。

 それが、日々リハビリするにつれて、何もつかまらずに仁王立ちできるようになり、物につかまってカニ歩きできるようになり、手すりをたよりに階段を上り下りできるようになり、片松葉杖でまっすぐ歩けるようになり、今ではヨロヨロではあるが杖なしでも歩けるようになった。

 まだ、右足にくらべると可動域は20度ばかり狭い。膝を曲げてしゃがむ姿勢が取れない。しっかりと地面を蹴って歩くこともできない。
 けれど、復帰までは時間の問題だろう。
 一昔前だったら、石膏ギプスをはずしてから本格的なリハビリが始まるので、回復までがつらく長かった。
 整形外科学の進歩をつくづく感じる。

 今日もまた、リハビリを兼ねた散歩の途中で公園に寄って、アーシング瞑想した。
 顔にあたる春の陽ざしとつがいを求める鳥の声が、今年はとりわけ心地よい。


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 今日は労災の休業補償の申請書を書いた。
 休業補償の算定は次の通り。
  1. ケガをして休業する直前の締め日を最後とし、3ヶ月間の給料を諸手当も含み総計する(ただしボーナスなどの一時手当はのぞく)。(例)ソルティの場合、昨年の9、10、11月分の給与が対象。
  2. その額を総日数で割る。(例)30+31+30=91で割る。
  3. これを「給付基礎日額」と呼ぶ。給付基礎日額の80%が、休業1日あたりの支給額となる。
  4. ただし、「最低保証平均賃金」というのが決められており、上記3で出した給付基礎日額がこれを下回っている場合、最低保証平均賃金が適用される。
  5. 休業補償請求の時効は、休業した初日から2年である。
 わざわざ書いたのは覚え書きのためもあるが、ソルティの場合、どうやら最低保証平均賃金の適用になりそうだからである。
 ワーキングプアの面目躍如である

 書類を担当地区の労働基準監督署に提出したあと、審査を受け、実際に支給されるまで、少なくとも1ヶ月以上みなければならないようだ。
 その間、収入がないわけだから、貯金のない人は困ることだろう。

 思えば、昨年は失業保険で始まり、労災保険で終わった1年であった。
 現在自分はペーパー・ソーシャルワーカーなのだが、社会保障制度の実際を身をもって勉強することになるとは・・・。
 残るは、生活保護か。





● 日英、車中生活者 映画:『ミス・シェパードをお手本に』(ニコラス・ハイトナー監督)

2015年イギリス
104分

 原題は The Lady in the Van 「ヴァンの中の淑女」
 劇作家アラン・ベネットが実体験をもとに書いたコメディドラマである。
 マギー・スミスとアレックス・ジェニングス共演で1999年に舞台化、15年間のロングランとなり、同じ顔触れで映画化された。

 内容からして、『ミス・シェパードをお手本に』という邦題はそぐわないし、ちょっとダサい。
 2001年に日本で舞台化されたときの邦題は、『ポンコツ車のレディ』。
 いいタイトルじゃん。なんでこれにしなかったのか?
 
 多くの芸術家が住むロンドンのカムデン・タウンに越してきたアラン・ベネット(=アレックス・ジェニングス)。独身の劇作家で、実はゲイである。彼はそこで、路上に停めたポンコツのヴァンの中で暮らす正体不明の老女ミス・シェパード(=マギー・スミス)と出会う。
 頑固で偏屈で不潔で感謝知らずのミス・シェパードの奇矯な行動に振り回されながらも、なぜか気になってしまい、何くれと世話するベネット。しまいには自宅の庭にヴァンを駐車させてあげるはめに。
 二人の関係は15年にも及び、やがてベネットは彼女の波乱万丈の過去を知ることになる。

 ―—といった話なのだが、この映画はタイトルや成り立ちやテーマやストーリーよりも、何を措いてもまず、英国の国民的名女優たるマギー・スミスの至高の演技を味わうべき作品である。ソルティがレンタルしたのも、マギー・スミスの演技が観たいからであった。
 期待を裏切らない、どころか期待をはるかに超えた本物の演技に脱帽するほかない。

ミスシェパード

 
 英国におけるマギー・スミスの位置づけを本邦の女優で置きかえたら誰であろう?
 すぐに浮かぶのは一昨年亡くなった樹木希林である。
 演技力といい、知名度といい、庶民的かつ個性的な顔立ちといい、頑固一徹そうな性格といい、演じた役柄の幅の広さといい、両女優は似ている。
 希林亡きあと、その座を占める女優はそうすぐには出てこないと思われる。一番近いところにいるのは、大竹しのぶだろうか。
 ちなみに、日本で舞台化されたときのミス・シェパードは黒柳徹子、ベネットは芝俊夫と田中健の“二人一役”だった。徹子さんは適役だったろう。
 
 ソルティは樹木希林の演技をあまり好まなかった。
 巧すぎてかえって鼻につく感じがしたのである。
 彼女が演じている様々なキャラクターのうしろから、「わたし、うまく演じているでしょう」という希林の心の声が聞こえてくるような気がした。とくに、物語が佳境に入り、最高の見せ場であるほど、深く複雑な感情表現が必要とされるシーンほど、その傾向を感じた。
 演じている自分をどこかで観察、計算、評価している、もう一人の希林の存在を感じた。
 
 一方、マギー・スミスは映画・演劇関係者のだれもが「上手い」と認めざるをない女優だが、彼女の芝居には「鼻につくような巧さ」を感じることがない。あまりに演じている役に同化してしまうから、観ている方もそこに、女優マギー・スミスでなく、物語の登場人物を観るからである。
 この映画でも、最初のうちこそマギー・スミスの名演技を鑑賞する心づもりでいたが、話が進むにつれ、ミス・シェパードという風変わりな老女の隠された過去や行く末に関心を寄せている自分がいた。
 ミス・シャパードとマギーが一体化し、あたかもマギーの“地”であるかのような自然さに達している。
 その意味では、樹木希林より大竹しのぶのほうが、よりマギーの演技に近いかもしれない。
 役をつくる人(姫川亜弓)と、役になりきる人(北島マヤ)の違いだろうか?

琴弾八幡宮の白猫


 ところで、この映画をレンタルしたその日の夜、NHKスペシャルで『車中の人々、駐車場の片隅で』というドキュメンタリーをやっていた。やむを得ない事情のため長期間車の中で暮らさざるを得なくなった人々(車中生活者)を取材・調査した番組だ。
 それによると、全国1160の道の駅のうち335か所の駐車場に車中生活者が存在した。単身者ばかりでなく、夫婦、子連れ家族、ペット連れ、認知症の要介護者、病気を抱える人がいて、車中で亡くなる人も少なくない。年齢は幅広く、そうなったきっかけはさまざまであるが、失業や貧困や人間関係のストレスなどが多いようである。道の駅を利用する理由は、24時間無料でトイレや売店があり、他人と話す必要がなく、夜間追い出されることがないためである。
 インタビューを受けた当事者の一人はこう言った。
 「生活保護を申請するために役所に行ったら、車があるからダメですと断られた」

 ミス・シェパードは、ロンドン市民が住む街中で車中生活をしていた。近所の人々は一様に困った顔はしていたが、追い出したり、嫌がらせしたり、警察に通報したりはしなかった。時にはお菓子や食べ物の差し入れしながら、遠くから気にかけていた。
 彼女のもとには定期的にソーシャルワーカーが訪問し、様子を見守っていた。施設への入所を進めたが、これは以前入所した精神病院で嫌な体験をしたミス・シェパードによって拒否された。
 自由と尊厳が守れる車中生活を望むミス・シェパードの決定を尊重しながら、ゆるやかなネットワークで見守っていたのである。

 ミス・シェパードをお手本に。
 なるほどなあ~。


 
評価:★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





 

● 通俗道徳というトラップ 本:『生きづらい明治社会 不安と競争の時代』(松沢裕作著)

2018年岩波ジュニア新書

 図書館の新着図書コーナーで見かけ、気になって手に取ったら、字が大きくて読みやすそう。
 家に持ち帰ってからジュニア向けと気づいた。
 道理で・・・。

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 もちろん、ジュニア向けだからと言ってバカにするのは間違っている。
 むしろ、わかりやすさと読みやすさを配慮し内容が絞られている分、著者の言いたいテーマが明確に打ち出されていると感じた。
 著者は1976年東京生まれの歴史研究者。専門は日本近代史という。
 
私がこの本のなかでこれから述べることは、不安のなかを生きた明治時代の人たちは、ある種の「わな」にはまってしまったということです。人は不安だとついついやたらとがんばってしまったりします。みんなが不安だとみんながやたらとがんばりだすので、取り残されるんじゃないかと不安になり、ますますがんばってしまったりします。これは実は「わな」です。なぜなら、世の中は努力すればかならず報われるようにはできていないからです。
(本書「はじめに」より)

 どうだろう?
 出来事を時系列に並べた歴史書とも、むかしの日本の風俗や事件を面白おかしく紹介する娯楽本とも、明治時代を生きた庶民の苦難を描いた『ああ野麦峠』のような記録書とも、ちょっと毛色が異なるのが見えてこよう。
 一気に興味が増した。

 著者は、大政奉還と王政復古の大号令により始まった明治維新の混乱の中で、旧い制度の崩壊や不安定な景気、残存する身分制度や男尊女卑の桎梏といった背景にあって、多くの庶民が貧困に苦しんだ姿を描き出している。秩父事件に象徴される多発した農民騒擾、都市下層社会のその日暮らしの生活、家計を助けるため身売りされる若い女性たち・・・。
 しわ寄せが、最も弱い部分に来るのは昔も今も変わらない。高齢者、障害者、女性、子ども、失業者・・・。現代なら福祉の第一の対象となる人々である。
 だが、政府にも社会にもお金がなく、あっても富国強兵と殖産興業に回される時代、福祉にかける予算はないに等しかった。どころか、福祉に予算を回す必要性すら大っぴらに否定されたのである。
 そのバックボーンとなった考え方が「通俗道徳」であり、これこそが明治時代の人々がはまった「わな」である、と著者は言う。
 
人が貧困に陥るのは、その人の努力が足りないからだ、という考え方のことを、日本の歴史学界では「通俗道徳」と呼んでいます。この「通俗道徳」が、近代日本の人びとにとって重大な意味をもっていた、という指摘をおこなったのは、2016年に亡くなった安丸良夫さんという歴史学者です。

勤勉に働けば豊かになる。倹約して貯蓄をしておけばいざという時に困ることはない。親孝行すれば家族は円満である・・・・。しかしかならずそうなるという保証はどこにあるでしょうか。勤勉に働いていても病気で仕事ができなくなり貧乏になる、いくら倹約をしても貯蓄をするほどの収入がない。そういう場合はいくらでもあります。実際のところ、個人の人生には偶然はつきものだからです。
 ところが、人びとが通俗道徳を信じ切っているところでは、ある人が直面する問題は、すべて当人のせいにされます。ある人が貧乏であるとすれば、それはあの人ががんばって働かなかったからだ、ちゃんと倹約して貯蓄しておかなかったからだ、当人が悪い、となるわけです。

 どうだろう?
 明治時代の話が一挙に令和時代につながってこないだろうか?
 日々耳に🐙ができるほど垂れ流されている TOKYO 2020 のメッセージにつながってこないだろうか?

 上記の思想=通俗道徳を身に着けてしまえば、生活保護費の削減も、派遣切りも、シングルマザーの苦労も、ネットカフェ難民の増加も、加えて不倫した人間への過度な非難と代償も、「自業自得・自己責任」の一言で正当化できる。自分は「道徳的に優れている」という印籠を手に、好き放題コメントできる。
  
明治社会と現代日本社会が、「努力すればなんとかなる」「競争の勝者は優れている」という思考法がはびこり、それゆえ、競争の敗者や、偶然運が悪かったにすぎない人びとのことを考える余裕を失い、みんなが必死で競争に参加しなければならない息苦しい社会である、という点で似ているのはなぜか、その原因は、不安を受け止める仕組みがどこにもないという共通点があるからではないか、これが私の答えです。

 いまのジュニアはこんな本を読むことができるのか。
 いや、ぜひ読んでほしい。


評価:★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● シャフクへの道15(最終回) 春を探しに・・・

 第29回社会福祉士国家試験が終了した。
 
 足掛け4年、正味2年と9ヶ月の資格取得プロジェクト――その間には介護福祉士国家試験もあった――が満期を迎え、約7ヶ月にわたる受験勉強が終結し、ホッとしている反面、荷降ろし症候群にでもなるんじゃないかという虚脱感もある。
 ま、とりあえず一ヶ月は遊んで暮らしたい。

 1月29日はとても良く晴れ、風もなく、暖かかった。最高の試験日和(?)である。雪が降って交通機関がマヒしたり、会場の寒さで試験に集中できなかったりということがなかった。受験者それぞれが実力を発揮できたことだろう。(インフルになった人は悔しかろう)

 会場はお台場にある東京ビッグサイト(東京国際展示場)。試験会場に「東京」を希望した受験者の大半はここに集められたのではなかろうか。りんかい線とゆりかもめの国際展示場(正門)駅から、エヴェンゲリオンの第5使徒ラミエルを思わせるビッグサイトへと吸い込まれていく多量の受験者の流れに身を投じる。
 世代は20~30代の若者が多い。ソルティのような中高年もチラホラいる。中にはすっかり白髪の紳士の姿も。学ぶに遅すぎることはない。
 7:3くらいで女性が多い。頑張ろう、男性諸君。

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 見通しの良いだだっ広い会場には長テーブルと椅子が何百と並べられていた。各テーブルの隅には受験番号が貼ってある。セッティングだけでも相当の時間がかかったであろう。早く到着した受験者は参考書を広げ、最後のあがきに邁進中。
 席に着いたソルティは鉛筆と時計の用意をして、あとは始まるまで例のごとくヴィパッサナー瞑想を行っていた。これで完全に落ち着いた。

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 試験は午前2時間15分(共通科目)、午後1時間45分(専門科目)。あまり考え込まずにスイスイと進めたので、時間的には余裕があった。難易度は例年並みという気がした。(過去問の25回だけは格別に難しく、合格率が例年の10%近くまで下がった。合格者は4人に1人の割合が通例なのだが、25回は5人に1人以下だった)
 1時間半の昼休み。会場の脇を流れる運河の土手を歩くと、よく日の当たるベンチがあった。穏やかな運河の向こう、春めいた青空を背景に林立する大観覧車、フジテレビ、テレコムセンターらの建築物と、その下を縫うように移動するゆりかもめ。お台場もなかなか美しい。ここで昼食および昼寝をする。昼寝のお伴はマーラー交響曲第3番第6楽章である。

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 午後の専門科目のほうが易しかった。
 が、ここでちょっと手が止まった問題が二つあった。
 問題【97】および【135】である。


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 「未婚の母」問題である。
 正解は、「生んで子育てしたい」という本人の希望(自己決定)を尊重した選択肢2番である(各業者の模範解答によれば)。本人が未成年ならまだしも成年に達しているので、「クライエントの自己決定を尊重し社会資源を活用して支援する」というソーシャルワークの黄金律が適用される。2番で間違いない。
 しかし、ソルティの手は一瞬、3番の上で止まった。
 もし、ソルティの姪っ子が同じ状況にはまって彼女から相談を受けたとしたら、最終的に3番のように当人が自己決定するよう、はっきりとではなく遠回しであるが誘導助言してしまうのではないかと思ったのである。それはソーシャルワーカーのプロとしての立場ではなく、世の中というものを多少知ったつもりでいる、当事者と近い立場にある年長者の知恵(あるいは偏見)からである。心の中でこう考えるだろう。
 
 「女が一人で子供を育てるのがどんなに大変なことか分かってる? 途中で嫌になったからって投げ出すわけにはいかないんだよ。生まれてくる子供だって最初から片親という不利を背負わされるじゃないか。経済的にだって苦労するだろう。可哀想だよ。あんたは若いんだし、そこそこきれいなんだから、この先もっと素晴らしい相手に巡り合える。子供だってつくれる。
 そもそもあんた、つき合っている女の妊娠を知ったらとたんに音信不通になるようなどうしようもない男につかまったんだろう。今のままだと、この先だって同じような男にのぼせるに決まっている。男を見る目がないんだから。それでまた子供ができたら産む気かい? 苦労するのが目に見えている。
 せっかく希望した大学に入って大事な学業の途中なんだから、将来をよく考えて、お父さんお母さんともよく相談して、一時の感情に流されずに決めたほうがいい」

 これを老婆心、あるいはおせっかいババアの繰り言という。
 でも、世間的にはこうした因循姑息たる助言(別名「渡る世間は鬼ばかり」的教訓)がまだまだ多いのではないかなあ~。
 この女子大生のパーソナリティが説明されていないところもミソである。あるいは、子育てしながら自立して生きられるしっかりした賢い女性なのかもしれない。あるいは、男に優しい言葉をかけられたらコロリと騙されてしまう依存心の強い女性なのかもしれない。世間知ならば、本人の性格も考慮して助言するところだろう。
 本人のパーソナリティに関わらず、それこそ本人が何らかの障害を抱えていようがいまいが、選択肢2番のような対応をするのが現代のソーシャルワークの真骨頂である。

 

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 これはソルティの職域に関わる。
 認知症高齢者のフロア徘徊は日常茶飯事。他の利用者の部屋に勝手に入ったり、そこで放尿・放便したり、真夜中に手を叩きながら歩き回ったり、他の利用者から職員に苦情が寄せられたり、部屋に戻ってもらおうと声がけした職員が怒鳴られ殴られたり・・・・なんて珍しくも何ともない。
 しかし、利用者を部屋に閉じ込めて外から施錠することは身体拘束になる。虐待となる。利用者本人や他の利用者の安全を守るために一時的に「拘束止むなし」と判断したとしても、実施に際しては、前もって利用者の家族に了解を得る、拘束の期限を決めるなどの所定の手続きを踏む必要がある。ソルティの職場でもA介護職員がとったような対応は許されていない。
 正解は2つ。
 選択肢2番と5番はすぐに消去できる。
 4番が正解であることも疑う余地ない。
 すると、もう一つの正解は1番か3番となる。
 ソルティははじめ3番に丸をつけた。家族に「状況を説明し、了解を求める」のは大切かつ必要なことで良心的でもある。ソルティがL社会福祉士なら、まずこれをするだろう。
 しかし、事後報告・事後了解である。そこが問題だ。
 数秒考えた結果、1番に変更した。高齢者虐待防止法に以下の文言があるからだ。

第二十一条  養介護施設従事者等は、当該養介護施設従事者等がその業務に従事している養介護施設又は養介護事業において業務に従事する養介護施設従事者等による高齢者虐待を受けたと思われる高齢者を発見した場合は、速やかに、これを市町村に通報しなければならない。

 業者の模範解答を見ると、正解は1番と4番としているところが多い。(3番と4番としているところもあった)
 世間常識レベルで考えるならば、こうした対応(S町への通報)を、たとえ事業所の管理者であるとはいえL社会福祉士が個人判断でしてしまうことは、もしかしたら事業所の経営陣から睨まれる結果になるかもしれない。虐待者として通報されたA介護職員からは逆恨みを受けるかもしれない。事業所は混乱に陥る可能性が高い。L社会福祉士は「世渡り下手」ということになるだろう。(むろん、拘束を受けたMさんに怪我等の異変があった場合には、報告しないのは犯罪になろう。Mさんに何もなかったので「今回だけは大目に見る」という選択も現実的には結構あると思う)
 だが、原理原則を押さえて回答するのが資格試験のルールであろう。(このケースの場合、「何が虐待にあたるのか」を前もってA介護職員に伝えておかなかった点が一番の問題である。その意味では管理者のL社会福祉士の責任は免れまい)

 上記の2問以外はあまり迷わずにスイスイと進んだ。が、それはすべての問題について「正解がはっきり見えた」からではなくて、すぐに解答が出てこない問いについては「この問題に時間を割いても無駄だ」と素早く判断し、直感で解答したからである。
 結局のところ、5つの選択肢のそれぞれについて「正しいか、正しくないか」を判断するということは、「知っているか、知らないか」の問題、すなわち知識の有無の問題であり、記憶力如何にかかっているからである。思考能力はことさら関係ないので、「知らない」ものについていくら考えても無駄なのだ。(むしろ、下手に考えて選択肢を変更した結果、直感で選んだ最初の選択肢のほうが当たっていたということのほうが多かったりする)
 やっぱり、試験は最終的には記憶力勝負なのだ。
 その点で、若い人が有利なのは間違いなかろう。

 中高年の不利は記憶力減退のほかにもある。老眼である。
 マークシートが細かすぎて、上手く塗れない!
 近眼にして老眼のソルティは、眼鏡をかけていると老眼で苦労し、眼鏡をはずすと近眼で苦労する。(近眼の人は老眼になりにくいなんて嘘を言っていたのは誰だ!) 問題用紙を読むときは眼鏡が欠かせなく、マークシートを塗るときは眼鏡をはずしたほうがやりやすい。一問答えるごとに、いちいち眼鏡をはずしたり、掛けなおしたりしなくてはならない。うっとうしい。
 どうしたかと言うと、20問ずつで区切って(眼鏡をしたまま)問題用紙の選択肢に○をつけていき、(眼鏡をはずして)まとめてマークシートに転記するということをやった。
 自宅で過去問をやったときにマークシートを塗る練習もついでにやったのだが、そのときはコンビニでマークシート用紙をご丁寧にも拡大コピーしていたのである。阿呆か。
 
 そんなこんなで、とりあえず持てる力は出し尽くした。これで駄目だったら、この先何回受けても駄目だろう。いや、再受験する気力もない。
 
 いくつかの業者の出している模範解答は、解答の分かれるものもある。専門家が調べて考えて出した模範解答が分かれるってどういうことだよ、それって問題に不備がないのか――って正直思う。
 それぞれ模範解答によって自己採点した結果、150点満点中96~102点の間で落ち着いた。共通科目で64%、選択科目で73%の正答率だった。合格基準点は60%つまり合計90点以上なので、マークシートのミスさえなければまず問題なかろう。

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試験が終わって会場をあとにする人たち、みんなお疲れ様~! 

 
 試験日前日には実習でお世話になった障害者施設の担当者(社会福祉士)から励ましの手紙が届いた。若い(20代のイケメン)のに本当によく出来た男だ。
 医学評論社の『社会福祉士の合格教科書』を基本参考書として選んで、これを繰り返し読んだ。著者の飯塚慶子先生に感謝。確かにこれ一冊で十分でした。
 通信教育の学校やスクーリングで出会った講師や仲間にも感謝。
 応援してくれた家族、友人、同僚にも感謝。
 そして、何よりも最後の追い込みで一筆書き学習法の機会を提供してくれたJR東日本に感謝。
 受かっても、受かっていなくても、春を探しに鉄道旅行に行きます。 
 
 
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● シャフクへの道14 千葉アイランド、あるいは140円の至福

 すでに趣味の領域に入った‘一筆書き学習法’であるが、今回は千葉県の上半分をぐるりと巡ってみた。

●乗車日 2017年1月18日(水)
●天候 晴れのち曇り
●経路 出発駅:国分寺駅 目的駅:西国分寺駅
10:48 国分寺駅発
  中央線(乗車時間44分)
11:54 東京駅発
  総武本線(39分)
13:00 千葉駅発
  総武本線(16分)
13:32 佐倉駅発
  総武本線(26分)
14:48 成東駅発
  総武本線(48分)
16:10 松岸駅発
  成田線(79分)
17:44 成田駅発
  成田線(41分)
18:27 我孫子駅発
  常磐線(13分)
18:50 新松戸駅発
  武蔵野線(58分)
19:48 西国分寺駅着
●所要時間 9時間(うち乗車時間6時間04分)  
●運賃  
犬吠崎めぐり 002


 東京駅から出る総武本線は、錦糸町駅付近でスカイツリーを左手に眺めたあと、江戸川を渡って千葉県に入る。そのまま房総半島の根の部分を切断するように千葉県を横断し、銚子半島の終点・銚子駅に到達する。その先は関東平野の最東端である犬吠崎が、太平洋の波に洗われている。
 だが、銚子駅まで‘ちょうし’に乗って行ってしまうと、一筆書きが成立しなくなる。松岸駅―銚子駅間で線が重複してしまうからである。松岸駅で下車して、銚子から戻ってくる列車を待たなければならないのだ。
 松岸駅からは成田線に乗って、茨城県との境をなす利根川沿いに我孫子駅まで遡る(途中、成田駅でいったん利根川から離れるが)。
 我孫子駅で水戸方面から来る常磐線に乗り、新松戸駅で武蔵野線に乗り換え、埼玉県を経由して都内に戻る。
 

犬吠崎めぐりrosenzu 002


 こうしてみると、千葉県が周囲を水に囲まれた県――川(江戸川・利根川)と海(東京湾・太平洋)とによって他県から断ち切られた土地、つまり‘島’なのだと実感する。


犬吠崎めぐり 005
千葉駅(新しく生まれ変わったエキナカの発車時刻案内板)


犬吠崎めぐり 007
佐倉駅(長嶋茂雄の故郷というイメージしかない)


犬吠崎めぐり 009
成東駅(周囲は広い野っぱら)


犬吠崎めぐり 008
成東駅のホームの待合所で50分の待ち時間を過ごす(むろん勉強中)



犬吠崎めぐり 010
折り返し地点となる総武本線・松岸駅(駅名から海が見えるかと思ったが、見えない)



犬吠崎めぐり 011
昔なつかしい駅舎に心和むひととき



犬吠崎めぐり 015
成田線・香取駅の駅舎(注連縄に注目。無人駅だが悪いことできないぞ)


 こうやって乗り鉄しながら関東地方を巡っていると、今更ながらだが、「関東は都会」と言ったところでそれは山手線の内側を核とした中心地帯、あるいは大きな駅の周囲だけのことであって、都心から1時間も列車に乗れば、まだまだ田畑が広がり、山や森の中に人家が点々とするような田舎なんだなあ、と実感する。(まさか、相模線に無人駅があるとは思わなかった・・・)
 
 どの沿線を走っていても共通して気づいたことが二つある。
 一つは、どこの地域でも高齢者施設が目立つようになったこと。介護保険導入(チョー高齢社会)の影響だ。一般に、田舎に行くほど高齢化も進めば、施設建設も(土地が安いから)進むわけである。
 もう一つは、太陽光発電のパネルが非常に増えたこと。民家の屋根だけでなく、線路沿いの陽当たりのいい空き地にモノリスのようなソーラーパネルが何百と並んでいる。これは福島原発事故の影響だろうか。

一筆書き学習法イラスト 002
八高線・児玉駅付近の沿線


 犬吠崎近くを走っていたら、風力発電の風車がいくつも並んでいるのが見えた。
 なんとなく不思議な光景で、SF映画を観ているような気がした。さすがに、巨人と間違えて槍で突進しようとは思わないが・・・。

犬吠崎めぐり 012


 車窓を流れ去る景色を漫然と眺めながら、‘つれづれなるままに’よしなしごとを考えている瞬間こそ、乗り鉄の至福である。
 

犬吠崎めぐり 014
 
 
犬吠崎めぐり 003
ゴールは西国分寺駅(ここで友人と待ち合わせ)


● シャフクへの道13 ツクバヤマハレ(筑波山晴れ)

 社会福祉士国家試験まで一ヶ月を切った。
 受験生には正月なんか無いのである。おとそ気分で浮かれている暇があったら、一問でも多く過去問を解くべし。
 というわけで、本日もまた参考書とホットコーヒー入りマグとデジカメを鞄に詰めて、一筆書き学習法を敢行した。

●乗車日 2017年1月4日(水)
●天候 晴れ
●経路 西国分寺駅 目的地:国分寺駅
12:14 西国分寺駅発
  中央線(乗車時間21分)
12:48 八王子駅発
  八高線(59分)
13:50 川越駅発
  川越線(23分)
14:21 大宮駅発
  宇都宮線(50分)
15:36 小山駅発
  水戸線(64分)
16:46 友部駅発
  常磐線(75分)
18:37 日暮里駅発
  山手線(10分)
19:04 神田駅発
  中央線(40分)
19:44 国分寺駅着
●所要時間 7時間30分(うち乗車時間5時間42分)  
●運賃 140円

水戸線と筑波山


 この学習法は‘乗り鉄’趣味を満足させてくれるので一挙両得なのであるが、学習効果もすこぶる高い。家や図書館や喫茶店で勉強するよりもずっと集中して取り組める。
 なんでだろう?
 理由を考えてみた。
  1. 列車内だと適宜(停車駅ごとに)換気してくれるので、常に頭がすっきりした状態を保てる。(暖房の効いた部屋で勉強していると、だんだん頭がぼうっとしてくる。と言って、こまめに喚起するのは手間である)
  2. 列車だと座席からそう簡単に離れられない。(他の乗客に取られてしまうので)
  3. 列車の振動が適度に体内感覚を刺激するので、かえって体と心が落ち着く。(一つところでじっと動かないでいるのは意外に苦痛である。勉強中の人が知らぬ間に貧乏ゆすりしたり、鼻をほじくったり、髪の毛をいじったり、ボールペンを回して遊んだりするのはそのせいだろう)
  4. 乗り換えのときに気持ちの切り替えができる。
  5. 疲れたら車窓からの景色を眺め、沿線で暮らす地元の人々を観察し、リラックス&エンジョイできる。
  6. 明るさ(照明)や室温や椅子の硬さがちょうど良い。
  7. 一人で勉強している孤独感が緩和される。(「家よりも喫茶店や図書館で勉強するほうがはかどる」と言う人がいるのはこのためだろう)
  8. おなかが空いたら乗換駅で簡単に食料調達できる。
  9. 外とつながっているため個室で味わえない解放感があり、脳が活性化する。
  10. 一筆書きの達成感が学習の達成感につながる。
 と、いろいろ考えてみたが、やっぱり一番大きいのは、

 11.旅情が味わえるので、勉強が苦にならない。

 今回も、小山駅から友部駅に向かう水戸線で、すっかり旅人気分を満喫した。
 
水戸線と筑波山 016

 小山駅を出てしばらくは、何の変哲も無い、日本のどこにでもあるような無味乾燥な住宅地が続く。
 鬼怒川を越える頃になると、畑が一面広がり、空が大きさを増してくる。地元の高校生が乗り込んできて、ローカル線らしさが際立ってくる。

水戸線と筑波山 017

 
 やがて、地平線の彼方に名峰・筑波山が悠々たる姿を現す。
 二つの峰を有し、裾野は他の山によって遮られることなく地平まで優美に流れる。
 平野(盆地)から見た筑波山の威容は、古来から信仰の対象となるのも道理と十分納得できる神々しさである。

水戸線と筑波山 020

水戸線と筑波山 023

水戸線と筑波山 024


 武蔵や多摩の山頂から見ると筑波山は独立峰に見えるのだが、実際には筑波山隗と呼ばれる1000m以下のいくつかの山々から成っている。水戸線で友部駅まで行き、そこで常磐線に乗り換え、折り返すように首都圏を目指すと、ちょうど筑波山隗を、北側(水戸線沿線)から、東側(友部駅)から、南側(常磐線沿線)から、角度を変えてぐるりと巡るように眺めることができる。これが3D映像ぽくって面白い。
 時刻は夕刻。
 旅情マックス!!

水戸線と筑波山 022
水戸線沿線から見る筑波山隗

水戸線と筑波山 003
JR友部駅構内から見る筑波山塊
 
水戸線と筑波山 001
常磐線沿線から見る筑波山塊


 勉強もサクサクと進み、上野駅に向かう常磐線でウトウトしていたら、気づかぬうちに車内は大きな荷物を抱えた乗客でいっぱい。田舎からのUターン客である。
「そうかあ。世間は今日で正月休み終わりなんだな」

水戸線と筑波山 005

 
 受験生には正月は無い。
 しかし介護職には、はなから正月は無いのである。
 そのぶん、「明日から仕事かあ~」という長期休暇後の憂鬱気分もここ数年味わっていない。
 
 神田駅構内で好物のかき揚げそばを食べ、一筆書きを完成させるべく中央線に乗った。
 さあて、ラストスパートだ。
 
水戸線と筑波山 007




 
 
 

● シャフクへの道12  本:『反貧困のソーシャルワーク実践 NPO「ほっとポット」の挑戦』(藤田孝典、金子充編著)

2010年明石書店発行。

特定非営利活動法人「ほっとポット」は、生活に困窮されている方や家を失った方(ホームレス)に対して、社会福祉士が相談や生活支援などの総合的なサポートをおこなうNPO(非営利団体)です。地域の福祉を良くしたいとの思いで、貧困、失業、病気、精神疾患、孤立、住居喪失といった生活課題を抱えた人たちに向き合い、司法や行政との連携を図りながら、権利擁護や日常生活支援等の専門的なソーシャルワーク(福祉実践)を展開しています。(本書カバーより引用)

 本書は、「ほっとポット」の設立者の一人である藤田孝典(1982年茨城生まれ)が、社会福祉を学ぶ学生時代にバイトに行く道端で出会ったホームレスとの交流をきっかけに貧困問題に目覚め、新宿の夜回りボランティアや地元埼玉での自主的な巡回活動を体験し、貧困を取り巻く様々な問題を机上だけでなく実地で学び、同じ社会福祉士の資格を持つ仲間と組んで同団体を立ち上げるまでを描いている。そして、その後4年にわたる「ほっとポット」の活動の実際を、活動の広がり・発展・成果・課題・著者の問題意識の変容・今後の方向性などをからめて描いている。
 ここ十数年の現場から見た日本の貧困問題を知るのに恰好の参考書であり、行政ではない民間組織――メンバー全員が社会福祉士という専門家――によるホームレス支援のありようを伺うテキストであり、社会問題を自分事として感じ取った一人の若者がその問題解決を仕事として選び取り生業として成立させていく過程を描くNPO誕生秘話であり、加えて一人の青年の成長物語としての面白さもある。

 読みながら一番感じたのは、現代日本社会にこういう若者たちがいてくれることの頼もしさ、有り難さである。
 別にソルティが‘いまどきの若者’に絶望しているわけでも過小評価しているわけでもない。いつの時代の若者も基本変わらないと思う。どんな時代にも、問題意識が高く、フットワークが軽く、ネットワークを作る才に恵まれ、戦略家であると同時に弱者に対する優しい心根を持った若者はたくさんいることであろう。
 有り難さを痛感する理由は、単純にソルティが老いを感じているからである。
 自分もいつ仕事ができなくなり、収入が途絶え、ホームレスになるかわからない。病気になっても病院に行けず、アパートで孤独死あるいはどこかの河原で凍死するかもしれない。そんな有り難くない予感が頭の片隅にちらつく昨今、「ほっとポット」のような活動をしている団体がいることは何と希望のあることか。自分とは直接関係のない、社会から見捨てられた他人のために、給料もそんなに(同年代の行政職員ほど)高くはないであろうに、八方手を尽くして動いてくれる若者のいることが、どれほど嬉しいことか。
 「ほっとポット」の意義はもちろん活動内容それ自体であるけれど、それとは違った次元で、「存在することそのもの」にあろう。こういう若者と出会うことは、つらく厳しい人生を送ってきて‘人をも世をも’信じるのが困難になったであろうホームレスの人々に、人間や人生を今一度信じる機会を与えてくれるのではないかと思う。人生の最後にマザーテレサと出会ったコルカタの貧者たちがそうであったように。
 
 むろん、マザーテレサと藤田孝典および「ほっとポット」は違う。
 一番の違いは、「ほっとポット」がその活動の理念および基本方針に、メンバーの共通する保有資格である社会福祉士の倫理綱領や行動規範を置いていることであり、その活動スタイルが現代のソーシャルワーク理論の主要潮流であるジェネラリスト・ソーシャルワークに則っていることであろう。
 
●ソーシャルワークの定義
ソーシャルワーク専門職は、人間の福利(ウェルビーイング)の増進を目指して、社会の変革を進め、人間関係における問題解決を図り、人々のエンパワーメントと解放を促していく。ソーシャルワークは人間の行動と社会システムに関する理論を利用して、人びとがその環境と相互に影響し合う接点に介入する。人権と社会正義の原理は、ソーシャルワークの拠り所とする基盤である。(2000年7月国際ソーシャルワーカー連盟が採択)

 
●ソーシャル・インクルージョン
  1. 社会福祉士は、特に不利益な立場にあり、抑圧されている利用者が、選択と決定の機会を行使できるように働きかけなければならない。
  2. 社会福祉士は、利用者や住民が社会の政策・制度の形成に参加することを積極的に支援しなければならない。
  3. 社会福祉士は、専門的な視点と方法により、利用者のニーズを社会全体と地域社会に伝達しなければならない。
  (公益社団法人「日本社会福祉士会」倫理綱領より抜粋)


●ジェネラリスト・ソーシャルワーク
90年代に確立したジェネラリスト・ソーシャルワークを理論的裏づけとする「総合的かつ包括的な相談援助」の基本的視座は、次の四つに集約される。
  1. 本人の生活の場で展開する援助・・・クライエント本人が生活する場を拠点として、クライエントとクライエントを取り巻く環境に一体的に援助を展開する。
  2. 援助対象の拡大・・・クライエントの側に立って総合的に問題を把握し、従来の法律の枠組みでは対応できなかった新しい問題や複合的な課題にも対応していく。
  3. 予防的かつ積極的アプローチ・・・予防的に働きかけ、問題が深刻になる前に対応することによって、より効果的な援助を提供する。また、サービスを拒否していたりニーズや課題があることに気づいていない人たちに対して積極的に働きかけていく。
  4. ネットワークによる連携と協働・・・複数の援助機関や地域住民等がネットワークやチームを形成し、連携と協働によって援助を提供することで、地域の社会資源を最大限活用し、援助の幅と可能性を広げる。
  (中央法規発行『新・社会福祉士養成講座6「相談援助の基盤と専門職」第2版』より抜粋)


 社会福祉士国家試験勉強中のソルティにしてみれば、「ほっとポット」の活動はまさに我が国の社会福祉の最先端をしゃかりきに道を拓きながら進んでいるブルドーザーのように思えるし、テキストで学んでいることの最も理想的な形がここに実現されているという感じを受ける。
 むろん、本書で藤田が書いているとおり、テキストで学ぶこと(理想論)と実際の福祉現場(現実)にはとてつもないギャップがある。本書にはあまり詳しく書かれていないけれど、ホームレス支援の活動をする過程で思い通りにいかない現実――たとえば、福祉事務所の硬直した対応、生活保護認定の不可解な厳しさ、地域の無理解や偏見、ナンセンスな法律や条例の存在、当事者の非協力的態度e.t.c.――に直面し、憤りを感じたり、落胆したり、悲哀を感じたり、バーンアウトすれすれまで行ったり・・・ということもあったにちがいない。まだまだソーシャル・インクルージョンは日本では(世界でも)「絵に描いた餅」である。
 それでも、藤田たちの熱意とプロ意識と(おそらくは)無私の純粋性にほだされて、ネットワークが広がり、協力者・理解者が増え、地域が次第に変わっていく様子を読んでいると、いまソルティが勉強している内容、つまり藤田らも履修した現在の社会福祉士養成課程というものが、おおむね正しい軌道に乗っているのだなあということを実感する。(と言うと、ソルティが養成過程に不信を抱きながら学習しているみたいに聞こえるか・・・。実は不信というほどではないが、「ソーシャルワークを仕事とするなら、もうちょっと他に知っておくべきことがあるのではないか」という思いは持っている。たとえば、日本の様々なマイノリティ問題についての情報量が決定的に不足している!)
 
 共著者の金子充(かねこじゅう)は「ほっとポット」の幹事であり立正大学社会福祉学部の准教授である。いわば、会の活動の学術的裏づけを担保するアドバイザーであろう。
 こう書いている。

これまでの「社会福祉」――社会保障制度や福祉サービス――は、一般の人たちにとって非常に遠い存在であった。「社会福祉」といえば、私たちの生活の中にある「あたりまえのかかわり」ではなく、法律や行政のサービスとして存在していたり、「制度」として確立されているものを意味してきた。だから、身近なところにあるものではなく、どこか遠いところにある「難しい法律」や「特別な援助」を意味してきたように思う。


 別記事で紹介した勝部麗子の『ひとりぽっちをつくらない コミュニティソシャルワーカーの仕事』(全国社会福祉協議会発行)と並び、社会福祉士およびそれを目指すものにとって必読の書と言っていいだろう。




● シャフクへの道11 :JRに乾杯!

 今回は北関東を一筆書きしてみた。
 もちろん、車内では社会福祉国家試験の勉強(テキスト熟読&一問一答問題集)をやり、疲れたら車窓の風景で目を休めた。のどかな田園地帯が広がる地帯なので、疲れをほぐすのにはもってこい。このタイムスケジュールだと、すべての列車で座ることができた。

両毛線 018


●実施日 12月21日(水)
●ルートと時刻(括弧内は乗車時間)
11:39発 JR中央線・立川駅スタート
 青梅線(11分)    
12:01発 拝島駅
 八高線(24分)
13:03発 高麗川駅
 八高線(84分)
15:10発 高崎駅
 両毛線(102分)
17:03発 小山駅
 宇都宮線(42分)
17:51発 大宮駅
 埼京線(6分)
18:08発 武蔵浦和駅
 武蔵野線(26分)
18:42発 西国分寺駅
 中央線(2分)
18:44着 JR中央線・国立駅ゴール
●所要時間 7時間05分(うち乗車時間4時間57分)
●運賃 140円

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 八高線は、東京(八王子)から埼玉を縦断して群馬(高崎)まで行く長距離列車。
 運転系統が分かれているため乗換えが必要な高麗川駅(埼玉県日高市)のホームで、日光浴しながら鮭と昆布のおにぎりを食べる。
 冬至だというのにポカポカ陽気で気持ちいい。
 駅前ロータリーには韓国の民俗信仰である将軍漂(チャングンピョ)をモチーフにしたモニュメントが見える。

一筆書き学習法イラスト 001

 

716年に設置された武蔵国高麗郡高麗郷の地で、当時高麗郡大領に任命された高句麗王族の高麗若光を祭る高麗神社が鎮座する。高麗郡は668年に唐に滅ぼされた高句麗から亡命してきた帰化人を収容した。(ウィキペディア「日高市」より抜粋)


両毛線 009


 丹荘(たんしょう)駅(児玉郡神川町)と群馬藤岡駅(藤岡市)の間を流れる神流川(かんながわ)が、埼玉と群馬の県境である。

一筆書き学習法イラスト 003
水の少ない神流川。遠くに望むは赤城山。
 

両毛線 010


 さすがに高崎駅まで来ると、「は~るばる来たぜ たかさっきぃ!」という気分がする。

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 両毛線に乗るのは何十年ぶりだろう。
 20代の終わりのプー太郎(無職)時代に18切符で日本一周したとき以来かもしれない。
 この路線は、名前だけはよく耳にするけれどなかなか足を運ぶ機会のない観光名所が多い。
 たとえば、森高千里の歌で有名になった渡良瀬川、CMでよく耳にする佐野厄除け大師、日本にも旧石器時代が存在したことを証明した岩宿遺跡、古代から絹織物の産地として知られる桐生、そして国定忠治のセリフ「赤城の山も今宵限り」で全国的に有名な赤城山(最高地点1,828m)。
 シャフクの試験が終わったら、赤城山登山を中心にこのあたりを旅してみたいものだ。
 

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先頭車両から見た光景。線路の左にたたずむ男の姿が怖い(撮影時は気づかなかった)
 
 
 小山駅が近づくにつれ、学校帰りの高校生らに車両が占領された。都会では見られない光景である。それほど喧しくないのは、ほとんどの子がスマホをいじっているせいである。いいんだか、悪いんだか・・・。
 

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 小山駅では特大の鏡餅が飾られていた。そういえば正月だった・・・。
 
 勉強のほうはなんと二つの単元を読破し、計画の遅れを取り戻してあまりあった。
 実にはかどる
 しかも、‘乗り鉄’ソルティにとって、これは完全なる遊び(趣味)との両立である。勉強が少しも苦にならない。
 実にいい勉強法を見つけたものである。

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 小山からは、空いた車両で缶ビールと助六寿司で夕食をとりながら、ネオンの浮かぶ冬至の夜を見ながら、一人旅の孤独を満喫した。
 

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● シャフクへの道10 映画:『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)

1962年日活制作。

 鋳物の街でキューポラ(鉄の溶解炉)が多く見られた埼玉県川口市を舞台とした青春ドラマ。主人公ジュン(吉永小百合)の周りで起こる貧困や親子問題、民族、友情、性など多くのエピソードを描いている。
 脚本は浦山の師である今村昌平との共同執筆であり、日活の助監督だった浦山の監督昇格デビュー作である。ブルーリボン賞作品賞受賞作品。主演の吉永も今作でブルーリボン賞主演女優賞などを受賞し、大きく飛躍するきっかけになった作品である。(ウィキペディア「キューポラのある街」より抜粋)
 
 何といっても当時17歳の吉永小百合の輝きが最大の見どころ。
 まさにスター誕生!
 道で擦れ違った100人が100人とも振り向かずにはいられない可憐なる美少女ぶりもなるほど凄いものではある。が、最大の魅力は、溌剌とした生の輝きと、作為をまったく感じさせない体当たり演技の爽快感である。大人になった小百合が身につけてしまった「美しく」撮られることへの使命感から来る作為や、抑制された感情表現のつまらなさ、サユリストによって作り上げられてしまった「清純イメージ」の結界の中での自縄自縛が、まったくない。――でありながら、天然に「美しく、清純」な小百合がここにいる。
 全作品を観ていないので断言できないが、おそらく吉永小百合の生涯ベスト1であろう。
 半世紀以上、彼女がこれを超える作品と出会えなかったこと、これを越える印象的な演技を生み出せなかったことは、はなはだ残念だしもったいない気もするけれど、たとえば外国の女優を見ても、オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』、ヴィヴィアン・リーの『風と共に去りぬ』、リンダ・ブレアの『エクソシスト』など、若い日のたった1本の作品が女優としての代表作にして最高傑作になってしまう例はたくさんある。
 むしろ、吉永小百合と『キューポラのある街』との出会いの奇跡を祝福し、監督デビューにして見事、十代の小百合の魅力をあますところなくフィルムに焼き付けた浦山桐郎の手腕を称えるべきであろう。
 
 小百合のみならず登場する子役たちも素晴らしい。
 ジュン(小百合)の弟タカユキを演じる市川好郎は助演男優賞ものの闊達な演技。この人は、その後、『美しい十代 』(1964)、『網走番外地 悪への挑戦』 (1967)、『太陽を盗んだ男』 (1979)、『二百三高地』 (1980)、『人生劇場』 (1983)などを経て、1993年に亡くなっている。享年45歳とは若すぎる。この役者の代表作もやはりこれであろう。
 さらに、ソルティ世代では水戸黄門と言えばこの人、東野英治郎が頑固一徹の職人で酒癖の悪いジュンの父親・辰五郎を演じている。何の映画に出ていても、この人の存在感は半端ではない。
 日活時代の小百合の黄金のパートナー浜田光夫も隣家に住む青年として登場する。当時を知らない者からすると、「なぜこの人がそんなに人気あったの?」と不思議に思わざるを得ない平凡なルックス、平凡な演技である。小百合が引き立つから?
 さらに、ジュンの担任教師を演じている加藤武がいい味出している。この人は実際に英語の先生だったはず。昨年亡くなっている。市川崑監督「金田一耕助シリーズ」の「よしっ! 分かった!」が懐かしい。
 
 この映画では60年代初頭の貧しい庶民の暮らしぶりが描かれている。
 鋳物工場の危険な重労働、劣悪な労働条件、みすぼらしい路地の家々、職を失い酒浸り(今なら「アルコール依存症」)の一家の主、貧乏子沢山、お金がなくて進学をあきらめる子供たち、将来に希望が見出せず不良化する若者たち、在日朝鮮人差別と北朝鮮帰還運動、そして福祉の欠如・・・。
 ともすれば自暴自棄になりそうな底知れないぬかるみの中で、泥中の蓮のごとく、一人希望の光を放っているのがジュンこと吉永小百合であり、物語を暗さから救っているのが子供たちの無邪気さである。
 現在ソルティは社会福祉士国家試験の勉強をしていることもあって、こういうドラマを見ると、頭の中で自然とソーシャルワークしてしまう。
 この貧困と絶望の連鎖から抜け出るために、ジュンの一家はどういう制度が活用できるのか。
 シュミレーションしてみよう。
 まず、辰五郎は長年働いてきた鋳物工場を体の故障と年齢が原因で解雇される。そのことが、そうでなくとも貧しい一家の家計に深刻なダメージをもたらす。
 まず、解雇に正当な事由があるとしても、
  1. 退職金がもらえるかもしれない。
  2. 告知なしの解雇ならば、一ト月分の給料はもらえる。
  3. 雇用保険(失業保険)が3ヶ月の待機期間なしで受給できる。
  4. 辰五郎の体の故障はそもそも仕事中の事故が原因らしい。ならば、労災(労働者災害補償保険)認定が可能である。障害補償一時金や障害補償年金がもらえるかもしれない。
  5. 辰五郎夫妻には中学生以下の子供が4人いる。児童手当がもらえる。
  6. 辰五郎の再就職先が見つからず、どうにもこうにも生活が立ち行かないのであれば、生活保護を申請という手がある。
  7. 年金や健康保険料の納付に関しては減免手続きができる。
  8. ジュンの高校進学の学費については奨学金を申請する。 
――といった福祉制度の利用が考えられる。
 辰五郎一家はこのうちの一つも受給していない。社会扶助らしいものが出てくるのは、修学旅行に行く費用が工面できないジュンに川口市から補助が出るエピソードくらい。それも、担任教師の差配で可能になったのである。
 むろん、1962年にはなかった制度や特例もある。たとえば、⑤の児童手当は1972年開始だから、もらえるはずがない。(これがあったら、一家はかなり救われたであろう。今なら中学生以下4人の子供について月額50,000円もらえる勘定になる)
 それ以外の制度は、今ほど中身が充実していないにしても62年にはすでにあった。
 いくら良い制度があっても、実際に利用できないことにはどうしようもないという現実がここにはある。
 制度の存在(社会資源)と実際の活用状況(ニーズ)とのズレの原因は、いろいろあろう。
  1. 市民がそもそも制度の存在について知らない。福祉制度は基本、申請主義なので知らないことには利用できない。
  2. 制度の存在を知っていても(映画の辰五郎がそうであったように)意地やプライドから、あるいは「負け組」スティグマがつくのを恐れて、利用するのを拒む。
  3. 手続きの煩雑さにメンドクサさが先立つ。
  4. せっかく申請しても役所にシャットアウトされる。
  5. 表立って会社や公的機関と争う――争うのではなく当然の権利の行使なのだが――のを好まない日本人特有の謙譲の精神。
 映画では、一家の長である辰五郎の昔ながらの職人気質、依怙地なプライド、組合や労働運動(=アカという偏見を持っている)に対する不信感が、制度の利用を阻む主因となっている。クビになった工場の仲間たちが善意から集めた見舞金さえ、「アカの世話にはならない」と受け取るのを断る辰五郎。妻やジュンをはじめとする子供たちはそんな辰五郎をどうにも説得しようがない。気に食わないことがあれば酒を飲んで暴力すら振るうのだ。
 ここに、福祉制度の利用を阻む今ひとつの壁が指摘できる。
 ――家父長制。
 
 権力と決定権を持った一家の主が「ウン」と言わなければ、どんなに良い社会資源があっても、またそれが家族にとって役立つものであることが明白であっても、ニーズと資源とがマッチングすることは叶わない。妻子は、頑固親父の犠牲になるしかない。

 物語の最後で、元の職場にめでたく復帰することが決まり、祝い酒に酔う辰五郎に向かって、ジュンは宣言する。
「わたしは全日制の高校には行かないことにした。昼間は工場で働きながら、自ら稼いだお金で定時制高校に通う。お父さんにまた何かあると困るから」
 こうやって、戦後の女性たちは自立の道を歩んで行ったのだろう。
 
 「キューポラ」とは家父長制の象徴なのかもしれない。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 

● シャフクへの道9 :‘一筆書き’学習法

 社会福祉士国家試験まで3ヶ月を切った。
 現在、飯塚慶子著『社会福祉士の合格教科書』の2度目の通読をしながら、過去問に精出しているところである。さすが過去問をよく分析してポイントを絞ってわかりやすく作られたテキスト。過去問正答率は平均して7割。この時期ならまずまずだろう。
 平日は仕事前か仕事後の1時間、休日は最低2時間、勉強に当てる予定を立てたのだが、平日はともかく、休日になるとどうも怠けがちになる。時間があることがかえって「あとでやればいいや」という甘えを生み、遊んでしまって、気がつくと夜になっている。テキストを開いても、途中でスマホでネットを見たりゲームをしたりと、どうにも集中力に欠く。そうでなくとも、記憶力減退著しい五十路だというに・・・。
 
 とりわけ、今日のようなさわやかな秋晴れの日は、家にいても落ち着かない。
 「絶好の行楽日和を無駄にしてもいいのか。山が呼んでいるぞ。」
 悪魔のささやきを振り切って、
 「よし、勉強道具を持って喫茶店に行こう!」
と思ったら、あいにく財布の中は小銭ばかり。遠出なんてそもそもムリだった

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 そうだ!小銭で遠出する方法がある!
 しかも、勉強もしっかりできる!
 
 JR一筆書き大回りツアーだ!

 リュックに勉強道具とアイスコーヒーを入れたマグボトルをつめて、意気揚々と自宅を後にした。
 (ご存知ない方はこちらを参照)

●ルートと時刻
14:40 JR中央線・西国分寺駅スタート
 武蔵野線    
14:50 府中本町駅
 南武線
15:50 川崎駅
 京浜東北線
16:50 東京駅
 京葉線・武蔵野線
18:30 武蔵浦和駅
 埼京線
19:10 新宿駅
 中央線
19:40 JR中央線・国分寺駅ゴール
●所要時間 5時間(うち乗車時間3時間46分)
●運賃 140円

 スタートは定期券が使える西国分寺駅。ここで隣り駅(国分寺)までの切符を購入する。
 日差しがまぶしい。
 
一筆書きツアー 001
 

 武蔵野線乗車。すぐ終点の府中本町駅に着く。
 東京の列車とは思えないほど長閑な南武線に乗り換える。

一筆書きツアー 002

 
 ここからは乗車時間が長い。座ってテキストを開く。
 今読んでいるのは「児童や家庭に対する支援と児童・家庭福祉制度」。子供も家庭もソルティには縁遠い存在のうえ、最近制度が変わったばかりでややこしい。なかなか頭に入らないのだが・・・。
 うん、家より集中できる!(他の乗客に対する「私は勉強中」アピールが効くのかもしれない)
 
一筆書きツアー 003

 
 川崎駅着。
 さすがに雑踏している。
 京浜東北線に乗り換える。この時刻だとまだ十分座れる。
 引き続きテキスト熟読。

一筆書きツアー 007

 
 東京駅着。
 VIPが新幹線を利用するらしく警備がものものしい。
 (あとで調べたら天皇皇后両陛下が京都訪問から戻られたらしい。)
 

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 京葉線に向かう長い動く歩道(水平型エスカレーター)に乗って、超スロウスピードで運ばれてゆく。周囲の壁に掲示されている千葉県の観光案内広告が旅心をそそる。
 階段を下りた右側に、ステンドガラスの美しい巨大壁画がある。
 素晴らしい。
 

一筆書きツアー 005
 『天地創造』 (福沢一郎作)
 
 
 構内のショップでアンパン(130円)を買って、乗車。
 始発なので当然座れる。アンパンを食べながらテキスト熟読。
 ふと窓外を見るともう日没。地平線を覆う墨色の雲に夕焼けが侵食されていく。
 
 舞浜ではディズニーランド帰りの人たちが遊び疲れた様子で乗り込んでくる。
 気づけば帰宅ラッシュ。車内はどんどん混んで来る。


一筆書きツアー 008

 
 武蔵浦和駅着。
 埼京線に乗り換える。もうすっかり夜。
 テキストはキリの良いところまで進んだので終了。別に持ってきた本『忘れられた日本の村』(筒井功著)を読む。
 面白いんだ、これが。
 

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 新宿駅着。
 なんだか懐かしい。
 なんの用事も持たない旅人気分で通過すると、雑踏すらも気にならないから不思議だ。
 青梅行きの中央線に乗る。さすがにここでは座れなかった。
 

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 目的地である国分寺駅に到着。
 あっという間の5時間だった。
 なんと、予定していた2倍の分量、テキストが進んだ。
 この充実感
 
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 安上がりで、集中できて、‘乗り鉄’趣味も満足できて、ちょっとした旅の気分も味わえて、頭休めに駅構内を散策できて、(これからの季節)暖房代も節約できて、VIPにも遭遇できて、これはまったく自分に合った良い学習法である。
 
 ‘車福’への道、今後も活用しよう。
 

● シャフクへの道8 8050問題って? 本:『ひとりぽっちをつくらない コミュニティソーシャルワーカーの仕事』(勝部麗子著)

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2016年全国社会福祉協議会刊行。

 8050(ハチマルゴーマル)問題をご存知だろうか?
 「80歳まで50本以上自分の歯を保とう!」
 それは厚生労働省と日本歯科医師会がやっている「8020運動」。成人の歯の数は、親知らずが全部揃っている人の場合32本が普通である。
 8050問題とは、「80歳代の親と50歳代の独身の子供が同居する世帯が抱える様々な問題」を言う。
 例えば、50歳代のひきこもりの息子を心配する80歳代の両親、80歳代の親の年金で暮らす50歳代の独身女性、認知症の80歳代の親を介護する50歳代の独身の息子・・・・・。
 
 8050問題の背景には世代間にある経済的格差が見え隠れしています。つまり、現在80歳代の親世代は、1960年代以降の高度経済成長の時代に終身雇用・正社員として働き、多くがマイホームをもち厚生年金を受け取って生活をしています。一方50歳代の子ども世代は、90年代のバブル崩壊以降にすすんだ「雇用の非正規化」の波に洗われ、若い世代と同様に非正規労働の割合が大きく増えました。正社員として働くことがむずかしくなった世代です。通常は、現役世代の方が豊かで、質素に年金生活を送る親世代を助けていくはずですが、現在の日本では、経済的な豊かさが逆になっている場合があります。・・・・・8050問題の多くのケースが、比較的経済的にしっかりした親世代に対して、それを頼りに生きてきた子ども世代が、親が亡くなったり病気になったりして、その支えを失い、問題を引き起こしています。(本書より)

 親の年金を頼りに暮らしてきた中高年の子どもが、親の亡くなったのを周囲に隠して白骨となった遺体と一緒に暮らしていたというニュースが時折り聞かれる。まさに8050問題のもたらした悲劇と言えよう。
 
 まったく他人事ではない。
 というのもソルティもあと数年で、80歳代の親を抱える50歳代の独身の子どもになるからだ。違うのは、親と同居していないことと、自分の稼いだ収入で暮らしを立てていることだ。が、50年間ただ一つの会社で正社員として働いてきた父親の受け取っている年金収入と、ローリングストーン(転がる石)のような30年間の職歴を持つ現在の自分の勤労収入を比べると、自分の方が低い。
 しかも、ローンが済んだ持ち家に住んでいる両親には家賃が発生しない。当然年金は払っていないし、税金も保険料も医療費も自分より安い。悠々自適と言うほどではないにせよ、財布の中身や銀行の残高と相談しながらケチケチ暮らす必要はない。まず、うらやましい身分である。
 この先、親に何かあったら同居の可能性が出てくる。在宅介護が必要となったら、仕事を辞めなければならないかもしれない。そうしたら、親の建てた家(実家)で、親の年金で暮らすことになるやもしれない。もろ、8050問題予備軍である。

 こうした8050世帯を、どう見守り、支援していくのかが、地域の新たな課題になっています。・・・・・8050世帯は、現役世代が同居して介護しているという認識から、見守りの対象だとは考えられてこなかったのです。もし何かあっても、必要があればSOSを出せるであろうと思われてきました。8050世帯は、いわば「見守りの狭間」「支援の狭間」に落ち込んでいたと言えます。

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 著者の勝部麗子は、大阪府豊中市社会福祉協議会所属のコミュニティソーシャルワーカーである。本書がおそらく初めての本だと思うが、彼女の顔や活躍は全国的に知られている。2014年7月にNHK『プロフェッショナルの流儀』に出演したからである。普段はテレビをまったく観ないソルティだが、どういうわけかこの回だけは観てしまった。あたかも呼ばれたかのように・・・。
 で、凄い女性がいるもんだと感心した。

 コミュニティソーシャルワーカーとは何か。

 コミュニティソーシャルワーカーの存在は、これまで地域で「助けて!」と言えなかった、SOSを出せなかった「サイレント・プア(声なき貧困)」を、住民の協力を得ながら発見し、行政やさまざまな関係機関と連携しながら、これまでなかった地域独自の解決の仕組みを創造していきます。それは、誰もが安心して暮らすことができる地域をつくるためのセーフティネットの構築であり、地域の福祉力を高めることでもあります。

 これまでの福祉は、いわゆる「申請主義」と言われていたように、生活保護でも介護保険でも、原則は本人の申請があってから、担当者が制度の対象としての要件に適合するか否かを検討しはじめるのです。
 コミュニティソーシャルワーカーの支援は全く違います。申請を待つのではなく、住民の協力を得て、「助けて!」と自らSOSを出せない本人を「発見」します。こうした方法を「アウトリーチ」と言います。

 まったく新しい社会的機能あるいは職種と思うかもしれないが、そうではない。
 「ケースワークの母」と呼ばれソーシャルワーカーの先駆となったメアリー・リッチモンド(1861-1928)が、米国慈善組織協会(COS)の友愛訪問員として貧困地域に足を運び実践していたこと、目指していたことが、まさに上記だからである。その意味では、勝部のやっていることは社会福祉の原点回帰であり、勝部はリッチモンドの正統の後継者と言うことができる。お役所への申請主義を常識としてきた「これまでの福祉」の方がずれていたのである。そこでは、福祉手続き担当者は窓口にふんぞり返って、来所した者が既存の制度に適合するかどうかだけを判定すれば良かった。だから、「今まで自分は土木のほうをやっていて福祉ははじめてなので・・・」という頼りなさそうな担当者――実際にソルティが出会った――でも、それなりに務まったのである。

 本書の最大の魅力は実用性にあろう。
 大阪府のコミュニティソーシャルワーカーである勝部が、実際の現場で発見し、出会い、支援し、何らかの解決につなげた「サイレント・プア」の事例が具体的に紹介されている。そして、解決に至るまでの道筋や手段や困難や支援のポイントが惜しみなく披露されている。「ブッダに握拳なし」ではないが、勝部は自らが何年間もの汗と涙と足のマメとで獲得した知恵や技術を、なんら出し惜しみすることなく、小売りすることなく、もったいぶることなく、地域福祉に日々悩みながら携わっている者やこれから携わろうと考えている後進に向けて伝授してくれる。うまくいったケースだけでなく、当事者の自死という残念な結果になったケースもありのまま語っている。とても誠実で公平な人なのだろう。
 コミュニティソーシャルワーカー必携のバイブルであるのは間違いない。

 同時に、本書で紹介されている勝部の関わった10のケース(以下)から、現代日本の地域社会に潜在している様々な深刻な問題が浮き彫りにされる。現代の日本人および日本社会が抱える最も本質的な弱点が見えてくる。

  1. ごみ屋敷の住人
  2. ひきこもりの子どもを抱える家族
  3. 徘徊する若年性認知症患者とその家族
  4. 8050問題
  5. ホームレス
  6. 高次脳機能障害者とその家族
  7. 大地震の被災者
  8. 一人親家庭の子育て
  9. 孤独死
  10. マイノリティ(外国人、セクシャルマイノリティ)
 
 これらがまさにサイレント・プアが息を潜めて生活する現場であり、コミュニティソーシャルワーカーがアウトリーチによって発見し働くフィールドである。
 これらのケースに共通して言えるのは、
① 既存の法律や制度だけでは解決できない。(制度の狭間にある)
② 行政機関や専門家だけでも、地域住民の力だけでも、解決できない。
③ 当事者からSOSが出しにくいため問題が潜在化し、こじらせてしまう。
④ 「人間関係の貧困」が背景にある。
といったところだ。
 見方を変えれば、現代日本社会(法や制度、国民性や文化・慣習、政治や経済)の矛盾や欠陥や弊害や限界が最も脆弱な部分に集まって、傷口からの膿出しを担っているのがこれらのケースだと言えよう。この10のケースのどれにも該当しない‘幸福な’人びとは、該当する人びとの犠牲の上に、市民的な幸福を享受している。
 とりわけ、10のケースに共通して指摘でき、典型的に表出されている「現代の日本人および日本社会が抱える最も本質的な弱点」が、人間関係の貧困=社会的孤立である。

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 町内会や寄り合いや自治会などの「地縁」、家族や親戚などの「血縁」、労働を通じて結ばれる「仕事縁」というものが、戦後どんどん希薄になっていったのは今さら指摘するまでもない。
 この背景には、産業構造の変化、都市化、核家族化、生活様式の変化(欧米化)、高齢化・・・・等々の要因が考えられる。個人はいまや、家族・親類から切り離され、地域から切り離され、労働現場から切り離され、個人主義の御旗のもと「自由」と「プライバシー」を手に入れたのと引き換えに、「孤独」と「不安」にさいなまされることになった。
 若くて健康なうちはそれでもいい。インターネットもあれば、飲みにも行ける。働き口もあるし、娯楽もたくさんある。だが、歳を取って弱ったとき、病気や事故で障害を負ったとき、災害や不運で家族と離れ離れになったとき、仕事が見つからず所持金が尽きたとき、孤独と不安は簡単に人を押しつぶす。昔だったらそんな危機の折には「血縁・地縁・仕事縁」といった‘人間関係のセーフティネット’が機能したのだが、自らそれらに背を向けてしまった。恥も外聞もかなぐり捨てて、「助けて!」の声を上げられなければ、サイレント・プアに嵌まり込んでしまう。
 
 「昔の日本に戻せばいいんだ!」「隣近所で助け合った良き時代へ帰ろう!」
 ・・・・というわけにはいかない。時を戻すのは無理な話。人びとの意識を一昔前に戻すのも無理な話。
 そもそも地縁や血縁や仕事縁を基盤としたかつての組織から人心が離れたのは、それなりの理由があったからである。それらはどれも内部においては、抑圧的で、同一の価値観を押しつけられ、権威主義的で、男尊女卑であった。プライバシーの蹂躙も容赦なかった。外部に対しては、閉鎖的で、差別主義的であった。
 新時代の人びとは、田舎から都会へ逃げるように、うっとうしい‘縁=しがらみ’から身を引き剥がしたのである。それは無理もないことであった。80年代バブル期に都会にあふれたフリーターは、まさに‘縁’を断ち切った者たちの象徴、輝かしいヒーローだった。アルバイトでもパートでも無職でもなく、「自由人(フリーター)」なのだ。彼らは好き勝手に仕事を選び、また選ぶことができた。
 それもバブルが許した幻想であった。ここでもやはり社会にお金がなくなると、その皺寄せは一番にフリーターに向った。フリーターは「派遣労働者」「非正規雇用」と名を変え、もはや企業の人件費削減の為の格好の調整弁でしかなくなった。8050問題における50歳代の子どもたちは、まさに元フリーターだった人々と重なるんじゃないかという気がする。
 
 ともあれ、静御前のように「昔を今になすよしもがな」と嘆いていても仕方ない。新しいルールとつながり方に基づいた新時代のコミュニティが必要になったのである。
 筆頭に上げられるのがNPOであろう。他にも、当事者団体、趣味・道楽の会、オフ会、宗教団体などが挙げられよう。要は、参加者が平等の立場で関わり、学歴や職歴などを持ち込まず、性別や年齢やその他の属性に関わらず参加者各人の権利が等しく守られ、価値観の多様性が保障されるような組織である。あらかじめそこに縛り付けられ選択の余地のない「血縁」や「地縁」に代わり、自分の意思で自由に選べて嫌になったら抜け出すことのできる「選択縁」が重視されるようになったのである。(「仕事縁」も若い世代では「選択縁」になりつつある)
 
 自分の所属するところは自分で選択する。
 基本これでいいのだと思う。
 そう思えばこそソルティも、ローリングストーンの半生を歩んできたのである。ソルティのようなセクシュアルマイノリティにとって、血縁や地縁はまさに「うっとうしい」ものの権化である。(昔、盆正月に親類一同が集まるたびに「結婚はまだか」と責められる農家の長男であるゲイの友人がいた。彼はどうしているだろう?東南アジアの女性と偽装結婚でもしただろうか?)
 一方、選択できないものもある。
 自分が生まれ育つ家庭は、子どもには選択できない。こればかりはどうしようもない。
 また、無人島にでも行かない限り、どこに住んでも隣近所は存在する。選択縁で出会った人々――たとえば同じ宗教組織のメンバーたち――と一つの村を作るのでもない限り、多様な価値観をもつ地域の人びとと共生していかなければならない。自らがサイレント・プアにならないように、地域でサイレント・プアを生まないように、助け合っていく必要がある。なぜなら、孤独と不安で孤立している住人が地域にいることは、地域のいざというときの脆さのバロメーターであり、また犯罪等の発生リスクを高めるから。
 そこではじめて「地域を育てる」という視点が生まれてくる。うっとうしい「血縁や地縁」から逃れ、孤独と不安と‘人間関係のセーフティネット’との大切さを十分に知った人びとが、自らが住むことを選んだ地域に、今度は自らが主体となって、新しいルールを他の住民と協同で創造しながら、‘縁’を作り出していく。それがいわゆる「共生の文化」である。
 コミュニティソーシャルワーカーの役割はその触媒となること。
 すなわち、 地域のサイレント・プアの支援を通じて地域の課題を顕在化させ、解決に向けて主体的に動く人を地域に作り出し、これまでにない新たな地域独自の解決の仕組みを作り、もって地域の福祉力を高めてゆくことである。
 その視点に立ったとき、8050問題の当事者をはじめ「サイレント・プア」の存在は、地域の未熟さを表す指標であると同時に、より社会的包括性に富んだ「優しい」地域を創造するためのきっかけを与えてくれるキーパーソンと言い得るのである。
 
 社会福祉士養成講座のテキストの受け売りのような‘理想論=絵空事’と思うかもしれない。
 だが、勝部麗子はそれをまさに自身が暮らしている地域で実践し、官民連携により10年で400件のゴミ屋敷を当事者の協力を得て解決するという‘奇跡’を起こしている。
 本当の改革者とはこういう人を言うのだろう。

 プロフェッショナル! 

 

● シャフクへの道7 飯塚慶子に賭けてみる!

 来年1月末の社会福祉士国家試験に向けて、勉強を開始した。
 
 まずは、実際の試験がどんなものなのかを知るために、昨年度(第28回)の試験問題いわゆる過去問に挑戦してみた。全19科目計150問、制限時間250分である。
「・・・・・・む、むずかしい」
 予想はしていたが、今年受けたばかりの介護福祉士国家試験とは比べものにならない難レベル。合格率26~27%というのも頷ける。「これは正答だ」と自信を持って言える問題が3割もない。介護福祉士試験は、一般常識で答えられるもの(専門職でなくても正答できるもの)が3割程度あったが、こちらは1割ない。しかも、介護福祉士試験のときは、すでに介護現場で3年以上働いているという強みがあった。こちらはそれも効かない。
「う~ん。性根を据えてやらないと、こりゃ一発合格は難しいぞ」
 冷水をかけられた気分で答え合わせしたところ、なんと150点中94点(正答率62.7%)。
 第28回試験の合格ラインは88点(58.7%)と発表されている。
「えっ?合格??」
 驚いた。勘の良さに・・・。
 介護福祉士試験のための勉強を3ヶ月やっていたから試験問題慣れしていたようだ。5つの選択肢の中から「当たっていそうなもの」を見抜く勘がついているのだろう。
 しかし、62.7%はこころもとない。安心することなど全然できない。勘にかけるわけにはいくまい。
 8割(120点)獲得を目指して、これからギャップを埋めていけば間違いないだろう。

 まずはテキストが必要だ。
 通信教育で使った中央法規「社会福祉士養成講座」のテキスト20冊はあるが、もちろんそれ全部読み直すのは時間と労力のムダ。試験によく出るポイントだけをしっかりと学んで記憶できる、それさえ熟読しておけば何とかなる、やる気を失うほど分厚くない、かと言って頼りなさを感じるほど薄くもない、19科目を網羅したテキストがほしい。
 ブックオフや書店を回って、各社のテキストをパラパラとめくって、一冊を選んだ。
 医学評論社『2017社会福祉士の合格教科書』。約450ページ。

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 著者の飯塚慶子は、慶應義塾大学文学部、全国社会福祉協議会中央福祉学院卒業。株式会社ベネッセコーポレーションや横浜市内介護老人保健施設相談員を経て、現在は大学や養成施設で社会福祉士やケアマネや精神保健福祉士などの資格取得のための受験対策講座を担当している。
 読みやすい紙面で、字も大きく(中年にとってはこれが一番大事)、整理・暗記しやすいような図表もたくさん載っている。450ページなら途中で息切れすることなく読み通せるだろう。
 よし。この一冊に賭けてみよう!

 福祉制度は変化が激しい。法や制度はコロコロ改正されるし、新設されるし、廃止される。通信教育で学んだ内容も2年たてば古くなる。
 刻々更新されていく福祉情報に触れる手段として週刊『福祉新聞』というのを購読することにした。霞ヶ関にある福祉新聞社から出ている4ページの新聞である。昨年、社会福祉士養成課程の実習で障害者支援施設に行ったとき、読売新聞や朝日新聞などと一緒にロビーに並べてあるのを見て存在を知ったのである。現在論議されている法律や制度についてのみならず、現場で起こっている問題(たとえば利用者への虐待や介護離職など)や福祉分野での新しい潮流・取り組み(たとえば介護ロボットや認知症カフェなど)が取り上げられていて、わが国の社会福祉の動向を知るにはもってこいだ。介護・社会福祉士の読者が一名、毎回顔写真入りで登場し、普段の仕事の様子や福祉への思いなどを語るリレーエッセイもなかなか面白いし、資格取得へのモチベーションを高めてくれる。

福祉新聞
 

 よし、これで用意万端。
 来年1月まで社会福祉士合格を目標に、生活にハリをもたせることにしよう。
 脳の老化防止、認知予防にもなるから、一石二鳥である。





 
 
 


 
 



● シャフクへの道6  祝 杯 

 社会福祉士養成課程(通信教育)の修了証が届いた。
 1年10ヶ月(正味1年7ヶ月)の学習が正式に終わって、晴れて国家試験の受験資格が得られた。長かったような、短かったような・・・(しみじみ)。

サンシャイン終了証 002
 

○ 完読したテキスト20冊
○ 提出したレポート33本(各1000~1200字)
○ 参加したスクーリング4回(計10日)
○ 現場実習180時間(約1ヶ月)
○ 払った学費 約30万円(テキスト代含む)

 振り返ってみると・・・・結構面白かった。
 自分(ソルティ)は過去20年くらい市民活動やNGO活動に関わってきた。その中でカウンセリングや福祉手続き支援などの相談援助も行ってきた。その時その時で、自分で調べたり上司や仲間に教えてもらったり研修を受けたりして、実際のやり方や留意点を学んできた。それらの経験は自分の中に蓄積されて肥やしとなっているのは間違いないだろう。が、それぞれの知見や経験は脳の別々の場所に個別に保管されていて、また学術的・制度的な裏づけも弱いままであった。
 それが今回体系的に学んだことで、バラバラだったジグゾーパズルのピースが然るべき位置にあてはまって全体の絵柄が判明してくるように、自分がやってきたことの全体像が立ち現れた。個々の経験が社会福祉の全体像のどこに位置しているのかが見えてきた。それぞれの支援方法についても、「なるほど、あの時の援助はこの法律のこの制度に基づいていたんだな」とか「あの時、上司が言っていたことは、日本の社会福祉の歴史の中のこういう経緯に基づいての発言だったんだなあ」とか「自分のやってきた(学んできた)カウンセリングや対人援助技術の要は、バイスティックの七原則にあったんだな」とか、いろいろ後付けされ、活動の根拠が明確になり、今さらながら合点がいった。
 もちろん、新しいことを学ぶ面白さもあった。
 とくに、2000年以降の社会福祉基礎構造改革の流れについて学べたのはとても為になった。高齢者支援も、障害者支援も、児童・家庭支援も、低所得者やホームレス支援も、刑務所から出てきた人の更生保護も、生活保護も、あらゆる福祉領域がいま基礎構造改革の影響を受け、180度と言っていいくらいに中味(理念)も制度も支援スタンスも以前とは変わっている。 
 それゆえに、『社会福祉法』『介護保険法』『障害者総合支援法』『難病法』『子ども・子育て支援新制度』等々の成立を経て、基礎構造改革が一定の成果を上げて落ち着いてきたこの時期に、社会福祉について広く深く体系的に勉強できたのはベストタイミングだったなあと思っている。もっと早く勉強して、もっと早く社会福祉士の資格を取ることもできたのだろうが、それだと基礎構造改革以前の古い理念や支援スタンスを引きずったままのテキストや授業内容であった可能性があるし、学んだそばから法律やら制度やらが変わっていくことになったろうから、混乱しそうである。
 今で良かった。

 スクーリングも面白かった。
 いろいろな福祉現場で働く受講生との情報交換や苦労話(愚痴)も面白かったし、グループワークでの事例検討も参加者それぞれの人となりや背景が、その人の発言や振る舞いからうかがえて、人間観察とコミュニケーションスキルを磨く良い機会になった。受講生は、いろいろな年代の社会人ばかりだったので、それぞれに背負ってきたもの(仕事面でも家庭面でも)がある。若い学生ばかりのグループとはまったく違った‘ディープさ’が話の端々に感じられた。やっぱり、成功よりも失敗や挫折において、人は学ぶし成長するものだと改めて実感した。
 内気な自分。誰とも連絡先交換はしなかった。
 が、狭い世界。そのうちどこかで会えるだろう。

 最初から一番の重荷は約1ヶ月の現場実習だった。
 すべてのレポートやスクーリングを合わせた以上に、現場実習が気がかりであり、不安であり、ときに気重ですらあった。
「変な施設だったらどうしよう?」
「意地の悪い担当者だったらどうしよう?」
「施設の職員や利用者とうまくコミュニケーションとれるだろうか?」
「一ヶ月、体力・気力続くかな?」
・・・といった心配があった。50歳過ぎても、こういう‘はじめてのこと不安’はついて回るものである。元来、悲観的なタチなんだな、自分。
 ありがたいことに、しっかりした運営基盤を持つ、地域で評判の高い施設であり、スタッフも担当者も親切で(担当者は剽軽なイケメンで)、利用者と楽しく交流することができ、体調を崩すことなく最後まで元気に通うことができた。実習生をたくさん受け入れている施設で、自分と重なる時期に社会福祉士志望の実習生が3名いて、同じ立場で励ましあうことができた。これがずいぶん助かった。
 以下、学校に提出した実習報告書より抜粋。

 障害者の生活介護の現場を見るのは初めてであった。
 まず、様々な障害を持つ利用者と出会い、障害の多様性に気づかされた。「障害者」とひとくくりにして支援できるものではなく、障害の種別に応じ、またそれぞれの方の性格や年齢や家族背景やADL(日常生活動作)や生活歴に応じ、個別の丁寧な支援が必要であることを、利用者やその家族を知る中で、またスタッフの支援方法を間近に見ることで、実感した。
 とても重い病気および障害を持ち常時の医療支援が必要な利用者がいた。通所中は2名の看護師がそばについて生活支援員と連携を取りながら適宜療養の世話を行い、本人が仲間と一緒に日常活動に参加できるようサポートしていた。障害者福祉の主要理念であるノーマライゼーションを実感した。また、自閉症の方々に接し、障害の特質を知り、これまで自分が持っていた偏見・誤解を是正することができた。
 普段の自分の職場である高齢者介護施設現場との違いをまざまざと知り、その理由を考察する機会になった。人手不足と業務過多のため「自立支援」という言葉がなかば形骸化している今の高齢者介護のあり方について改めて疑問を感じ、また‘スピード優先’で、利用者のできることでも奪ってしまいがちな自分の介護のあり方を反省すること度々であった。
 一般に、障害者福祉の方が、職員配置含めケアが手厚く、本人や家族の権利意識が強く、施設運営への関わりも深いと感じた。(障害者自立運動の歴史、および面倒を見る相手が自分の親である場合と自分の子供である場合との違いに拠るのであろうか。)
 実習後半は、利用者の中から一人選び、その方の個別支援計画を作る作業をした。自分は20代のダウン症の女性を選んだ。朝から夕まで、彼女の近くで日常の様子を見守り交流しながら、できること・できないこと・興味あること・どのような支援が可能なのか・・・といった検討をし、個人ファイルからご家族の要望や入所以降の状況を把握し、自分なりの支援計画を作成した。
 ここでもやはり、自施設の支援計画書に慣れた自分の作った計画書は、当事者の意思や要望を尊重するという点で思慮の足りないところがあった。相談援助における主役はあくまでも当事者であるという基本を改めて学ぶことができた。
 振り返ると、利用者の魅力とスタッフの方々の親切な指導に助けられて、乗り切った実習であった。深く感謝するものである。
 今後は、広い分野の社会福祉の現場に関心を持ち、動向を知り、新しい情報を取り入れるとともに、できるだけ現場で働く人や当事者の声を聞いて、生きた情報を取り入れていきたい。そして、当事者の自立や自己決定を尊重し、人としての尊厳を保つことのできるような相談支援や介助のあり方を学び、身につけていきたい。

中央法規テキスト


 社会福祉士を取って「どうする」というのは、現段階では実はあまり考えていない。
 ただ、今やっている介護の仕事は体が資本なので、いずれ限界が来るのは間違いない。すでに、ここ最近、膝と腰が悲鳴を上げはじめている。右目もよく見えなくなった。重大事故につながる前に、身を引いたほうが無難だろう。少なくとも、体力や筋力や敏捷性を必要とするようなヘビーな現場からは・・・。
 その後、どうするかな?
 
 ただ、たとえ社会福祉士の資格を取れなくても、そういった仕事にこの先就くことがないとしても、この2年弱の勉強は無駄にはならないと思う。やって良かったと思う。変わってゆく社会情勢を知って頭の中をアップデートすることができ、これまで知らなかった世界(障害者施設)でディープな体験ができ、学生時代にはあまり味わえなかった‘知ること’の面白さを味わうことができ、毎日を張りを持って過ごせたのだから。

 今夜は一人で祝杯だ。

祝杯
 



● シャフクへの道5 映画:『ショート・ターム』(ディスティン・ダニエル・クレットン監督)

2013年アメリカ。

 現在、自分(ソルティ)は社会福祉士国家試験の受験資格を得るために、障害者施設で実習中である。
 馴染んだ職場を離れて、約一ヶ月(180時間以上)の他施設での現場研修は、緊張と戸惑いの連続であり、結構疲れるものである。指導担当者(イケメン!)は自分の息子世代であるし、スタッフの9割は間違いなく自分より年下である。変なプライドがあったら、とうてい続くものではない。
 我ながらよくやってる
 スクーリングの時の先生が言っていたが、「実習から一番傷ついて戻ってくるのは、児童養護施設に行った学生たち」だそうである。
 さもありなん。
 親に虐待されたり育児放棄されたりした子供たちの可愛そうな姿に若く純粋な心が傷つくのではない。ケアの対象者であるほかならぬ子供たちに苛められて傷つくのである。言葉をかけても無視されるのはまだいいほうで、暴言・暴行・持ち物を隠される・帰りがけに下駄箱から靴を取り出したら、中にウンコが詰まっていた、なんて学生もいたそうだ。
 「恵まれない子供たちのために、私はマザーテレサのような無辺の愛を注ぐ」なんて気高い志を持って入っていったら、みじんに打ち砕かれることだろう。

 この映画は、そんな子供たち――家庭環境に恵まれず行き場を失ったティーンエイジャーが、次の行く先が決まるまでの短期間(ショートターム)を仲間とともに過ごす寮が舞台となっている。深い傷を負い‘ぐれた’子供たちの起こす様々な問題行動と、怒りの裏側に彼らが抱える孤独や絶望や悲しみを描くことが、一つのテーマとなっている。
 主人公は、この寮で働く若く有能な女性グレイス(=ブリー・ラーソン)と、彼女の同僚かつ恋人である優しく剽軽なメイソン(=ジョン・ギャラガー・Jr)。二人は、互いを信頼し尊敬し愛し合っているかに見える。が、グレイスはメイソンには言えない子供の頃の深い傷を抱えている。それが二人が結婚し親になる上での障害となっている。これがもう一つのテーマ。
 二つのテーマをうまく絡ませながら、大団円に導いていく脚本が優れている。
 子役を含め演技者も良い。とくにブリー・ラーソンは存在感があって、美しく知的で、かつてのジョディ・フォスターを髣髴とさせる。(もしやレズビアン?) 休学して施設に研修に来た学生ネイトを演じるラミ・マッレクは、オリエンタルな風貌のキュートなイケメン。息詰まりそうなディープな物語の中で、“箸休め”のような役割を果たしている。
 
 グレイスやメイソンは、なぜこのように大変な骨の折れる仕事をユーモアを持ってできるのだろうか。囚人を見張るサディスティックな看守のようでもなく、慈愛あふれる(しかし子供たちに裏切られる)教会のシスターのようでもなく、なぜ子供たちの心に入り込み、信頼を得られるのだろうか。
 メイソンは、孤児院育ちであることが明かされる。素晴らしい養父母に出会えて、愛されることの喜びを知ったことで、「今の自分がある」と自覚している。彼の経歴が、仕事のモチベーションになっているのである。
 一方、グレイスはどうか。彼女が、どうしようもない両親のもとに育ったことが少しずつ明かされていく。男をひっかえとっかえする母親。刑務所に収容されている父親。子供の頃から続く自傷癖。
 しかし、彼女が悲惨な身の上をはじめて打ち明けたのは恋人のメイソンではなかった。怖くてそれはできない。彼女が気を許せた相手は、寮にやってきたばかりの少女、父親の虐待を受けているジェイデンだったのである。自分と同じ境遇に置かれている少女を目の前にし、救いたいという一心が、グレイスに勇気をもたらしたのであった。

 すべからく、人を助ける人間は、助けられる相手によって、また助けられている。
 そんな真実を教えてくれる一本である。
 (自分の実習も利用者に助けられている部分が大きい。) 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● シャフクへの道4 本:『善意からソーシャルワーク専門職へ』(メアリー・リッチモンド著)

善意からソーシャルワークへ 001

1907年原著刊行。
2014年筒井書房より邦訳発行。
 
 100年以上前の本である。
 が、いまだに古さを感じさせないところが名著の名著たるゆえん、改革者の天才の証である。

 メアリー・リッチモンド(1861-1928)はアメリカのソーシャルワーカーの先駆となった女性で、のちに「ケースワーク(個別援助技術)の母」と呼ばれるようになった。彼女の一番の功績は、この本のタイトルが示すとおり、「善意からソーシャルワーク」への道を切り開いたところにある。

 それまで欧米では、地域に住む貧しい人や病む人を助けるのは、教会関係者を中心とした篤志家や善意のボランティア達であった。むろん、公的機関も救貧院を作ったり、貧しい家庭に食糧や衣類の配給を行ったり、仕事の斡旋をしたりしていた。
 これらの活動の特徴は、一言で言うと「施し」である。そこでは、富める者を社会的にも宗教的(霊的)にもますます優位の賞賛すべき立場に押し上げる一方、貧しい者からは自尊心や自立心を奪い、「施し」への依存を高め、彼らをいよいよ堕落させてしまうことが少なくなかった。
 何日も飲まず食わずで餓死寸前とか、大雪の晩に泊まるところがないとか、といった緊急時の援助としては「施し」は役立つし、必要であることは明白である。が、長い目で見たときに「施し」では人は救えない。人間は簡単に現状に甘んじてしまうものであり、働かずに食える手立てをいったん知ってしまうと、楽な方向に流れるからである。だから、福祉ゴロなんて言葉も生まれる。

 そもそも、人を救うことなど誰にもできない。自分を救うことができるのは自分だけである。周囲ができるのは、そのための力の存在に本人が気づき、力を発揮できるように障害物を取りのぞく手伝いをすることくらいであろう。
 貧困家庭を訪問する慈善組織協会(COS)の友愛訪問の活動を通じて、リッチモンドが骨の髄まで悟ったのは、当人の自立・自律を育むように関わることの重要性と、当人だけを対象とするのではなく周囲の環境(家族・友人・近隣・職場・支援団体等)をよく知り、本人とそれらとの調整をはかっていくことの大切さであった。
 「自立支援」と「環境調整」――まさに現代まで続く社会福祉の基本理念、ケースワークの原点である。
 これは「施し」のような一時的、表面的、無差別、無計画な行動からは、決して達成され得ない。(とはいえ、ただ一回の「施し」が人の一生を変えることもあろう。)
 リッチモンドは、友愛訪問による多くの体験や知見の蓄積を科学的に分析・体系化することで、人を支援する上での効果的で汎用性ある方法論を打ち立てた。
 それがソーシャルワークである。

 リッチモンドは長年にわたり当時のケース記録を分析し、1917年に『社会診断』を発刊した。リッチモンドはこの『社会診断』でケースワーカーが共通に所有することのできる知識、方法を確立し、次世代のソーシャルワーカーを養成するための知識と方法を伝えようとした。(新・社会福祉士養成講座『相談援助の基盤と援助』中央法規)

 おかげさまで100年後の現在、我々は欧米のソーシャルワークを、体系的・学際的・包括的・総合的・専門的・実践的に学ぶことができる。自分が今学習中の通信教育のテキストなど、それこそ21巻からなる大著である。各巻のタイトルだけ挙げてみても、いかに現代のソーシャルワーカー(社会福祉士)が広範な知識と技術を身につけることを期待されているかが分かろうものである。
 
善意からソーシャルワークへ 002

 100年前に欧米で萌芽した慈善活動に関する新しい概念や方法論が、その後1世紀間の人間や社会に関する新たな知見や研究成果によって彫塑されながら次第に充実して、現代日本にここまで組織だって浸透していることに素直に感動を覚える。
 一方、ソーシャルワーク揺籃期の情熱や意気込みが全編から湧き出している本書に、すでに現在の社会福祉の仕事のキーワードがほとんど出揃っていることにも驚きを禁じえない。
 自立支援、環境の調整、他機関との連携、当事者の未来を視野に入れた具体的・現実的な支援計画を作ることの必要性、事実に基づいたアセスメントの重要性、公的資源よりインフォーマルな資源(家族や友人やご近所など)を優先すべきe.t.c.・・・・
 すべてはリッチモンドから始まったのである。
 そのうえに、本書には、自分が今勉強している専門用語や制度名や法律名だらけのお固いテキストには載っていない、ケースワーカーが貧困者に実際に関わるときに役に立つ‘金言’とでも言うべきエッセンスが随所に盛り込まれている。
 そこが何よりの魅力である。
 
以下引用。

 貧しい男性との友好的な関係を形成する過程で、しばしば苦労するのが、共通の話題づくりである。ここに、豊かな者と貧しい者に、最低でも1つの共通した話題がある。それは、彼らが共通して多くの不平をもっていることが認められることである。共通の不平のなかで、良い友好的な関係のきっかけをつくれるものは何なのか?である。もう1つの共通の話題は、その日のニュースである。非常に貧しい者さえ毎日の新聞を読むからである。

 留意すべきもう1つの事実は、貧しい人の近隣のつながりと相互依存の結びつきが、慈善事業によって弱められることがある。それは、そのような自然発生的で健康的な関係を考慮しないためである。豊かな地区、あるいは施し物が潤沢に与えられる地区では、貧しい人々がお互いに親切ではない。親切な人々の無差別の施しは、かえって近隣の相互支援的な雰囲気を全体的に低下させ、近隣の助け合いをなくし、不信と嫉妬を生む。

 衛生環境、家計費と収入、経歴、食料についての入念な研究をしても、何がその家族の喜びなのかを知るまでは、実は私たちは彼らを理解できていないのである。ある訪問員は、その家族と心から大笑いできるまでは、貧困家庭を理解したとは感じられないと述べている。訪問員がユーモアの精神に欠けていると、仕事はうまくいかなくなってしまう。貧しい人々も、陰気な人々が嫌いな点では私たちと同じなのだ。

 友愛訪問は、貧困家庭の喜び、悲しみ、考え、感情、および生活の全体像について、本質的にまた絶え間なく理解し、共感するものなのである。それがあれば訪問員は、救済やそのほかのことで失敗することはあまりない。もしそれがなければたいへんな失敗を、家族との慈善的関係においてしでかすことになるだろう。訪問員は、私に、友好的な感情に駆られて訪問し続けたけれども、自分たちが何らかの役に立ったのかわからないと述べた。
むしろ特に報告すべきことがないという訪問員が、最大の貢献をすることがしばしば見られる。

 かかわりを深めるために続けて訪問することにより、やがて訪問時に関心をもつ力が私たちの中に生じる。貧しい人々との接触において、私たちはいつもおおらかに自分を提示しているわけではない。彼らについて知ることに集中して、彼らが私たちについて聞きたがっていることを忘れてしまう。もしいつも同情を示す代わりに、私たちがそれを問うてみたらうまくいかなくなるだろうか? もし私たちが自分の友人の喜びと悲しみについて彼らが質問してくることに注目すると、しばしばすばらしいものがある。このような相互関係は彼らの恵まれない生活の幅を広げ、私たちとの接触をより人間的なものにする。

 ソーシャルワークが今のように体系化・専門化し、大学でも通信教育でも学べる学問として成立していることは、別の観点から言うと、マニュアル化・テクニック化・機械化が進んだということでもある。
 そのことによって失われてしまうものがある。
 一人の人間と一人の人間との‘今ここ’での関わりにおいて生じる言葉にできない‘何か’、それがなければどんなに立派で非の打ちどころない自立支援計画も無に帰してしまうような‘何か’、それあればこそ「支援する・支援される」の垣根を越えて両者が一緒にくつろげる‘何か’。
 その‘何か’を忘れないで社会福祉に関わっていきたいものである。






 
 

● シャフクへの道3:生活保護未満

生活保護 昨年4月から始めた社会福祉士養成通信講座。
 毎月、社会福祉の様々な分野やテーマ毎に編纂された分厚いテキストを1~2冊読んでは、レポートを提出している。
 現在読んでいるのは『低所得者に対する支援と生活保護制度』(中央法規)である。
 ホームレス支援には興味があるし、自分もまた長らくワーキングプアの1人であり、いつ生活困窮者自立支援法(2015年4月より施行)や生活保護制度のお世話になるやもしれないので、勉強がはかどることこの上ない。
 やはり、自分に関係ある、役に立ちそうな情報は頭に入りやすい。

 生活保護はわが国の貧困者を救う最後のセーフティネット(砦)である。
 ここから落ちたら、もはやホームレスになるか、犯罪者になるか、自殺するか、出家するしかない。というより、前の二つの境遇まで‘落ちて’はじめて、生活保護が受けられるケースが後を絶たない。セーフティネットというより‘金魚すくい’である。
 
 平成23年(2011年)時点での生活保護を受けている人は約207万人(世帯数だと約150万世帯)、もちろん戦後最高である。もっとも少なかったのは平成7年(1995年)の約88万人(約66万世帯)である。16年間で約2.4倍になっている。
 気になる国家予算であるが、平成25年度の生活保護費は約29兆8614億円。天文学的な数字である。国家予算に占める生活保護費の割合をみると、対一般会計予算比で3.1%、対一般歳出予算比で5.3%、対社会保障関係予算比で9.8%となっている。ちなみに、防衛費は対一般歳出予算比で10%くらいである。
 被保護世帯の類型でみると、高齢者世帯、母子世帯、傷病・障害者世帯が総数の約8割を占めている。高齢化が進むのは確実であるから、生活保護世帯数も国家予算に占める生活保護費の割合も今後ますます増大することは明らかである。
 一方、生活保護費の不正受給やワーキングプアとの逆転現象--生活保護を受けずに働いている者の生活レベルが、生活保護をもらっている者より低い--などがメディアに取り上げられて、生活保護に対する締め付けが強くなっている現状がある。「生活保護に値するかどうかを調べる資力調査(ミーンズ・テスト)をもっと厳しくせよ」とか「生活保護基準を引き下げよ」という意見も多く聞かれる。
 不正受給対策はともかく、生活保護基準の引き下げはどうなのだろう?

 生活保護法の存在が、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある」と規定する日本国憲法第25条(生存権)に依拠するのは周知の通り。日本国は、すべての国民に対して「健康で文化的な最低限度の生活」の具現を保障しなければならない。
 では、「健康で文化的な最低限度の生活」とはどのレベルを言うのだろうか。
 とても抽象的な概念である。
 「健康」はまだしも「文化的」というのが曖昧模糊としている。
 具体的に言うのならば、「いったい一ヶ月いくらあれば、‘健康で文化的な最低限度の生活’が保障されるのか」ということになる。
 その基準を示すのが、厚生労働大臣が定める「生活保護基準」である。 

生活保護基準は、生活保護制度によって保障される生活の水準を表しているだけでなく、国民にどの程度の生活レベルを国家が保障していくのかというナショナル・ミニマム、いわば社会保障制度の根幹にかかわる機能を有している。この水準は、・・・・・・単に生理的生存が可能な水準ということではなく、人間としての尊厳と体裁が維持できる社会的・文化的生活が充足される水準でなければならない。(上記テキストより抜粋)

 簡単に言えば、国が保障してくれる「日本人としての最低レベルの暮らし」を、生活・教育・住宅・医療・介護・出産・生業・葬祭の8種類の扶助に分けて、具体的な金額として示したものが生活保護基準である。
 生活保護基準の中でもっとも基本的な扶助である生活扶助(食費・被服費・光熱費・家具什器費など)は、おおむね要保護者の①年齢、②世帯人員、③所在地の3つによって自動的に決まる。それに、本人が妊産婦であったり、障害者であったり、要介護状態であったり、母子世帯であったり、特別な事情がある場合に加算がある。
 自分(ソルティ)の場合をやってみよう。
① 年齢   41~59歳 
 ※0歳から70歳以上までを8つの年齢層に分けている。12~19歳の層がもっとも基準額が高い。
② 世帯人員 1人暮らし
③ 所在地  東京都(1級地―1)
 ※ 全国を物価との兼ね合いから6つの地域に分けている。(1級地-1)がもっとも基準額が高い。
④ 特別加算なし

 上の条件をもとに定められた算式によって計算してみると、平成25年時点におけるソルティの一ヶ月あたり生活扶助費は80,380円であった。年間にすると、964,560円。これに期末一時扶助(年末に出る‘餅代’のようなもの)が13,500円、冬場(11~3月)の燃料費である冬季加算が15,200円。
 合計すると、一年の生活保護でもらえる金額は、993,260  ・・・・・・①
 次に、東京都の場合、1人暮らしの住宅扶助の上限額は53,700円である。つまり、家賃53,700円以下のところに住まう限り、住宅費はかからない。
 年間にすると、644,400 ・・・・・・②
 したがって、基本的な生活を整えるのに必要な衣食住について、年間1,637,660(①+②)の扶助がもらえる。・・・・・・・・③
 加うるに、生活保護受給者の場合、医療扶助(医療費は基本タダ)、税金免除、国民健康保険料免除、介護保険料免除、国民年金免除となる。

 さて、ソルティが実際に昨年(平成26年度)払った医療費その他は以下の通りであった。
 医療費           5,000円
 所得税(源泉徴収)  36,800円
 住民税           82,700円
 国民健康保険料  62,300円
 介護保険料      49,400円
 国民年金        45,780円(減免措置を受けている)
  合計           281,980円   ・・・・・・・④

③+④=1,919,640

 ソルティの昨年度の収入が1,919,640円を下回っていたら、生活保護以下の生活ということになる。
 残念ながら(?)スレスレではあるが上回っていた。
 だが、単純に月給だけでの計算なら確実に下回っている。年数回支給のボーナスによって、あるいは医療費のかからなかったことによって(健康に感謝!)、あるいは国民年金の減免によって、あるいは扶養家族や要介護家族がいないことによって、かろうじて生活保護レベルを上回ったに過ぎない。
 そしてまた、ソルティが住んでいるアパートの家賃は月45,000円である。生活保護の上限である53,700円の物件を同地域で探せばもっと広いところに住める。
 明らかにワーキングプアである。
 
 とは言うものの、「こんなの理不尽だ!生活保護基準を落とせ」と言いたいわけではない。
 自分のPoorは自己選択の結果である。ワーク&ライフバランスを優先するため、通常の日本人のようには目一杯働いていないせいである。(それでも年間200日は出勤している)
 ただ、生活に余裕がないのは事実。月々の支出が収入を上回って、なけなしの貯金の切り崩しが進行している。自己投資とはいえ、社会福祉士養成講座のために数十万円支払ったのも大きい。テキスト代もバカにならない。
 
 一番何とかならないかなあと思うのは、税金や保険料などの公租公課である。
 払いたくないわけではない。義務をきちんと果たしてこその権利の行使である。
 だが、毎月2万3千円強の支出はコタえる。
 むろん、税金や保険料などは累進性になっていて、収入の多い人ほど高い割合で納めている。その意味では、自分などはもっとも低率でこれらを支払っているはずだ。
 だが、たとえば月収100万円の人の30万円(収入の30%)と、月収10万円の人の1万円(収入の10%)とでは意味が違う。前者は税金を支払ったあとに70万円残る。贅沢するには十分だ。貯蓄も出来る。後者は9万円しか残らない。食費と家賃と光熱費・電話代でほとんど消える。爪に火をともすような暮らししかできない。貯金など出来るわけがない。病気や事故など何か急な出費が必要になったら、たちまち窮地に陥ってしまう。加えて、冠婚葬祭にも出席できない。
 結局、どこで切り詰めるかというと、公租公課(NHK受信料含む)を滞納するほかない。
 これがのちのち仇となる。
 なぜなら、税金や年金や保険料を滞納することで、市民としてのプライドを失っていくからである。お役所に対する敬遠意識が生じて、本当に困ったときに公的サービスが受けにくくなるからである。また、体調が悪くても病院に足が向かわなくなるから、病状が悪化してしまう。
 挙句の果てに、就労困難となって生活保護を受給せざるをえない事態になるのなら、税金の使い方として稚拙というほかない。公的支援のタイミングを誤っている。
 
 生活保護基準を落として被保護者の暮らしをワーキングプアと同等レベルにするのではなく、ワーキングプアの生活レベルを底上げするような対策こそが望ましい。
 一案だが、上記の自分の例の場合(1級地-1で暮らしている1人暮らしの40-50代)で言うと、生活保護受給者が貰える年間の生活扶助費と家賃(上限)の合計1,637,660円(③)を12で割ると136,472円。月々の収入がこれを下回るワーキングプアについては、年齢・世帯人数・居住地・年間労働時間数に応じて、税金・健康保険料・介護保険料・年金を減額あるいは免除するようにしたらどうだろう? そうすれば、少なくとも‘逆転現象’は緩和される。
 実際のところ、都内で暮らして月収13万円以下では、公租公課にまで回らないであろう。行政がこの収入レベルの滞納者層に対して請求する労力や経費は、それによって回収できる金額を上回るのではないだろうか?







  

● シャフクへの道2 : ジェンダーギャップ

相談援助演習テキスト 今年の4月に始めた社会福祉士養成通信講座もターンに差しかかった。毎月提出のレポート作成のコツもつかめ、毎朝眠い目をこすりながらの出勤前テキスト講読を続けている。
 先日は2回目のスクーリング(2日間の相談援助演習)に参加した。
 集合時刻ぎりぎりに指定された教室に入ると、20名くらいの同輩が席についていた。8月のスクーリングで一度会ってグループワークした仲なので、緊張感はない。それに相談援助演習は、講義形式ではなく、与えられた事例についてグループごとに検討作業するワークショップ形式なので、気持ち的にラクである。
 今回も、「クラスメートのいじめが原因で不登校になっている女子中学生」、「脳梗塞を起こし夫に死別し情緒不安定になり、娘の仕事場にしょっちゅう電話をかけてくる高齢の女性」、「認知症が進行してきて徘徊や盗食を繰り返す老人ホーム在住の独り者の女性」、「要介護状態の同居の母親に暴力を振るう無職の30代の鉄道オタク」等々、今日的でどこにでもありそうな事例をもとに、グループのメンバーたちと意見交換し、状況分析を行い、どのような社会資源を用いてどのように援助していくかを話し合い、また登場人物(当事者とソーシャルワーカー)になってのロールプレイを行った。ディスカッションの合間や休み時間には、お互いの職場の話や実習の話など面白く有意義な情報交換ができた。
 やはり普段福祉現場で働き、社会福祉士を目指す人びとだけあって、共通した性格のようなものを感じる。総じてみな聞き上手で優しく、頭が良く、控えめである。話していても、思慮深さと視点の鋭さ、それに対人コミュニケーションの柔らかさを感じる。(自分を褒めてる?) ここでは自己主張の強い人がやけに目立つのである。
 また、弱者や問題を抱える人の支援をしたいという動機の一つには、自分自身が同じような問題を抱えている、また克服してきたという体験を持っている人が多い。互いに打ち解けてきた話し合いのさなかに、ふと子供の頃の被虐待経験やパートナーからのDV体験、認知症の親の介護の苦労話をカミングアウトする参加者などもいて、なかなか濃くて面白い2日間であった。
 
 そんななかで、自分の属していたグループで白熱した議論があった。
 それは、DV(家庭内暴力)を受けている妻の事例。
 だいたいこんな内容だ。
 

 Aさん(30歳女性)は専業主婦。夫Bさん(32歳)と子供C子(4歳)の三人暮らしである。結婚後、妊娠した頃からBさんによる家庭内暴力が始まった。
○ Aさんが外出するたびに行く先を執拗に問いただし、少しでも帰りが遅くなると怒鳴りつけ、果ては「誰のおかげで食べられると思っているんだ!」と平手打ちする。Aさんは外出を控えるようになる。
○ ささいなことでAさんを怒鳴り、「お前は何をやってもダメだ」と頻繁に言う。
○ Aさんは実母に相談するが、「あなたのほうに落ち度があるんじゃないの?」と逆に非難される。
○ Bさんによる暴力は頻度を増し、激しくなっていく。
○ Aさんの沈んだ表情と腕の青あざに気づいたC子ちゃんの幼稚園の先生が、声をかけ面談する。
○ Aさんは先生に紹介された配偶者暴力相談支援センターに足を運び、一時保護所の利用を勧められるが、なかなか決心がつかない。  

 グループは男が自分を入れて3名、女が3名の6名であった。
 Aさんが一時保護所の利用について「なかなか決心がつかない」のはなぜか、今後どんな支援が考えられるかといった演習課題をまず一人一人が考えて、順に発表するという段取りであった。自分は進行役を振られた。
 最初に発表してもらった女性・山崎(仮名、30代)がいきなりこう言った。
「実は自分がまったくこの事例と同じ経験をして夫と離婚したのです。まだ記憶が生々しくて、入り込めないんです。ごめんなさい。」
「そうですか。では、無理のない範囲で参加してください」と自分は言って、次の人に回した。
 順々に各自が意見を発表していって最後になったのは50代の男性・中山(仮名)で、知的障害者の日常生活支援を仕事としている人だった。体格が良く自己主張の強いタイプで、夏のスクーリングのときから目立った存在だった。
 こう言ったのである。
 「正直、なぜこれがドメスティック・バイオレンスなのか自分は分からない。こんなのはどこにでもよくある家庭問題のレベルで、この程度で相談支援センターを紹介したり、一時保護所を勧めたりして、家族を崩壊させるのはどうなのか。福祉予算の浪費ではないか。」
 とたんに、グループ内の女性2人が色めき立った。隣席にいた山崎が息を呑む音が聞こえた。50代の元学校教諭・坂本(仮名)がすぐさま反論した。
 「どう見たってこれはDVです。このまま放っておいたら何が起こるか分からない。AさんやC子ちゃんの命が奪われてからでは遅いじゃないですか。」
 自分以外のもう一人の男性・森岡(仮名、30代独身)は、「自分はDV問題には詳しくないから」と前置きした上で、こう発言した。
 「自分はA子さんの母親の言葉にも一理あると思う。夫婦の問題は他人からは分からない、見えないことが多い。この事例からはそこが読み取れないけれど、A子さんの態度が夫の暴力を招いている可能性もあると思う。幼稚園の先生は、もう少し客観的に事態を見て行動してもよかったのではないか。」
 かくして、男女間のバトルが始まった。
 今一人の女性は20代(独身)で、あまりピンと来ないような様子で、発言を控えていた。(処世術か。)
 自分は進行役だったので、どちらにも肩入れしないで交通整理をし、グループの雰囲気の険悪化を防ぐのに終始した。(処世術か。)
 一方で、自分と同性である中山と森岡の発言に胸中驚いていた。
 「へえ~、これがDVと思わないのか。普段福祉の仕事をしていて、社会福祉士になろうとしているコイツらがこうだとするなら、福祉関係でない一般の男たちはなおさらであろう。世の中からDVが無くならないわけだ。」
 そしてまた、口元まで出かかっていたけど、抑制して飲み込んだセリフがあった。
 「あのさ、中山さん。これが‘DVでない’と言うこと自体が、実際に目の前にいる被害者(山崎さん)に対するセカンドレイプみたいなもんですよ」
 この事例がDVであること、幼稚園の先生の取った行動がまったく理に適っていること、そしてAさんがC子ちゃんと共に一時保護所に身を隠すことが最善の策であると、例題を読んだときから疑いもしなかった自分は、やはり男としては‘例外’なのだろうか。
 ゲイである自分は、ジェンダー的にやはり女性視点を持っているのだろうか。それとも、セクシュアリティとは関係なく、HIVボランティアを通じて知り合ったフェミニストの友人たちの影響か。(ゲイの中にも――いやゲイだからこそ?――男尊女卑のマッチョがいるものである。)
 そんなことが頭の中をグルグル経巡った。
 議論は女性の剣幕に恐れをなした(?)中山が意見を引っ込めたところで時間切れとなった。
 
 げに不可思議はジェンダーギャップ。


● シャフクへの道1 本:『人間の発見と形成 人生福祉学の萌芽』(メアリー・リッチモンド著、杉本一義訳、出版館ブック・クラブ)

社会福祉テキスト シャフク(社会福祉士)の資格を取るため4月より通信教育を始めた。
 1年8ヶ月間、毎月のレポート提出(多いときには4本!)と4回のスクーリング参加(各2日~4日)、そして180時間(約4週間)以上の現場(施設)実習で、社会福祉士国家試験の受験資格が得られる。
 2016年1月の試験で合格すれば社会福祉士とあいなるわけだが、自分の場合、カイフク(介護福祉士)の試験と重なってしまうので、先に難易度の低い介護福祉士を取得し、翌2017年1月にシャフク受験を予定している。(試験日が同じため両方一挙には取れない。)

 現在、日々の仕事にしていて(老人ホームの介護職)、3年経過すれば自動的に受験資格が得られる介護福祉士だけでなく、なぜあえて社会福祉士の資格も取ろうと思ったのか。
 実は自分でもよくわからない。
 福祉系の就職に有利ってのはあるだろうが、齢も齢だし、今さらどこかの組織に属し社会福祉士(=ソ-シャルワーカー)として生計を立てるなんて気持ちはない。
 それに、社会福祉士は名称独占であって業務独占ではないので、別に国家資格を持たなくても同種の活動はすることはできる。(実際NPOで働いていた時に相談援助業務はやっていた。)
 あえて言うなら、暇だったから。
 漫然と日々を送ってしまうよりも、何か目的を立ててそこに向かっていくほうが、充実感が得られる。
 そして、職場の若い同僚に社会福祉士を目指しているイケメンがいて、触発されたから。(共通の話題が持てる!)
 純粋なような、不純なような動機であるが、いくつになっても学ぶに遅すぎることはない。(ということを自身に証明したいっていうのもあるな。)
 50万円近く自己投資して、「五十の手習い」をスタートした。

 学び始めて驚いたことに、ここ20年くらいで、我が国の社会福祉をめぐる状況は180度(と言っていいくらい)変わっているのである。
 その根本にあるのは、一つには、高度経済成長を過去のものとした現代日本社会における福祉ニーズの多様化、複雑化、高度化である。
 障害者や母子家庭や生活困窮者など一部の特定の(恵まれない)人々のみが福祉の対象となるのではなく、ホームレス、ニート、ワーキングプア、家庭内暴力、子どもや高齢者などへの虐待、引きこもりの増加など、なんらかの形で福祉を必要とする層が増えている。少子高齢化はその最たる要因で、2005年には国民の5人に1人が高齢者(65歳以上)となって、福祉を必要とする層は今後も増加の一途にある。
 つまり、福祉の普遍化が始まっている
 もう一つは、国際的な社会福祉の潮流(ノーマライゼーション思想や自己決定権の尊重)および福祉予算の増大を受けて、我が国の福祉政策に根本的変革がもたらされたことである。
 それが2000年前後から始まった社会福祉基礎構造改革である。
 ポイントを取り上げると、以下のようになろう。
1.「措置」制度から「契約」制度へ
2.民間団体も含めた多様な経営主体の参入促進
3.情報公開制度の導入と第三者によるサービスの評価
4.「施設」から「在宅(地域)」へ
5.「救貧的福祉」から「普遍的福祉」へ
6.「無料給付型福祉」から「応能負担型福祉」へ
7.「縦割り主義」から「統合的」へ
8.「パターナリズム(庇護主義)」から「自立支援」へ

 この改革の典型的モデルが2000年から施行された介護保険制度である。
 その後、この流れは他の福祉分野にも広がっていく。
 障害者(難病患者含む)に関しては、2005年の「障害者自立支援法」を経て、2013年施行の「障害者総合支援法」で一応の完成を見、児童・家庭福祉分野では2017年施行予定の「子ども家庭福祉制度」で構造改革が遂行される。

 この改革には賛否両論あるのだろうが、家族が面倒見切れなくなった障害者や高齢者について、これまで行政が一方的に行き先を決めて(措置)、しかもサービスの質は外部評価を受けないだけに酷かったものが、当事者の自己決定が全面に押し出され(契約)、民間団体の参入により競争原理が働き、情報公開制度によりサービスの質の向上につながることは、十分プラス評価に値する。
 また、「介護の社会化」という言葉に象徴されるように、福祉が法律や制度という安定的な基盤をもち、資格を持つプロによって遂行され、介護保険料や消費税などの税金による国民の相互扶助の精神で目に見える形で支えられていくことは、最終的には(うまくいけば)北欧型の福祉制度に近づいていくことを予想させる。

 過去20年、HIV感染者という「身体障害者」を対象とするボランティアに関わりながら、こういった日本の社会福祉事情の変化に疎かった自分にビックリするが、「基礎構造改革」が議論されていた当時の首相が自民党の小泉純一郎だったことが無関心の主たる原因だったのだと思う。彼の振りかざす「自己決定=自己責任」論は新自由主義の匂いが芬々とし、弱者に対して厳しい政策が進行しているという印象があった。
 また、HIV感染者は後天的な内部障害ということで、肢体不自由者とも知的障害者とも介護の必要な高齢者とも、ちょっと位相が異なるというのもある。(施設に入る必要などないのだから。) しかも、現在ではHIV治療の進歩によって、感染してもAIDS発症を抑えることができるから、基本今までどおりの自立生活が可能なのである。

 ともあれ、指定されたテキストをたよりに昨今の社会福祉の動向について勉強を開始したことで、自分が抱いていた「社会福祉」および「社会福祉士」のイメージは大きく変換を迫られることになった。自分の中では、90年代に仙台で市民活動をしていた頃の(基礎構造改革以前の)情報とイメージが固定したままだったのである。
 社会は変わる。時代はめぐる。
 やはり、いくつになっても学ぶことは大切である、ということを痛感している今日この頃である。

what is social work さて、メアリー・リッチモンド(Mary Richmond、1861 - 1928)は、アメリカのソーシャルワーカー(=社会福祉士)の先駆となった女性である。貧困層の救済を目的とした「慈善組織協会」で個別訪問に力を入れ、収集したケースワークを分析・理論化することにより、それまでの「慈善」から科学的な支援の方法としての「ソーシャルワーク」への道を切り開いた人物である。
 彼女が1922年に発表した『WHAT IS SOCIAL WORK?(ソーシャルワークとは何か)』という本の邦訳が本書である。(タイトルはそのまま訳したほうが良いのにな・・・)
 社会福祉の仕事に関わる者にとって、彼女の言葉は今でもまったく輝きを失っていない。

 

●ソーシャル・ケースワークとは人間とその社会環境とのあいだを、個々に応じて意識的に調整することにより、パーソナリティの発達をはかるさまざまな過程からなるものである。


●ケースワークという特殊な努力形態が成功するためには、まず個人の特性に対する高度な感受性が要求される。パーソナリティ、とりわけ自分自身とは似ても似つかないようなパーソナリティに対して本能的な敬意を払うこと、それはケースワーカーのもつ資性の一部でなければならない。ケースワークの目的はある優秀な典型をつくりあげ、人びとをそのような典型に合わせていくことではない。むしろ、各個人のなかにある最善の長所を発見し、それを解放し、伸ばしていくことがケースワーカーにとっての特権である。それは人間性の無限の変化に富むパターンに、さながら画家にも似た努力をもって深く働きかけ、その色調の深さと豊かさを発展させることなのである。

●人間は独立心を欠いた家畜ではない。人間が動物と異なっているという事実は、人間の福祉をはかる計画を立てたり、その計画を実行する上で、みずから参加する必要があることを明確にしている。個人はそれぞれの独自の意志と目的をもち、受動的な役割を果たすようにつくられてはいない。したがってもし人間がつねにそうした受け身の立場にとどまれば墜落しさえする。


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