ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語を見て、旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、ボランティアして、デモに行って、無いアタマでものを考えて・・・・そんな平凡な日常の記録である。

雑記

● 新型コロナウイルスの怖さに関する考察

 新型コロナウイルスが出現して一年以上になる。
 2021年1月10日時点の世界の累計感染者は8,800万人、死亡者は190万人を超えている。
 たった一年でこれだけ広がったのだ。
 これは2019年のデータではあるが、UNAIDS(国連エイズ合同計画)の発表によれば、世界の新規HIV感染者は年間170万人、エイズによる死亡者は年間69万人だった。
 新型コロナウイルスの一年間の感染者数は、過去40年分のHIV感染者数(推定7,570万人)を上回ってしまった。
 このウイルスの威力をまざまざと感じる。
 
 日本では2021年1月10日現在、累計感染者288,825人、死亡者4,066人である。(厚生労働省発表)
 ソルティは首都圏に住み、地元の介護の仕事に携わっているが、今や、身近なところで感染を聞くようになった。地域のデイサービス、認知症のグループホーム、市内の学校、骨折治療で世話になった病院・・・・。
 先日も知り合いの介護従事者が感染し、いま自宅療養中という。
 自分や自分の同居家族がいつ感染してもおかしくない状況になってしまった。
 なんということだ!
 ダイヤモンドプリンセス時代が懐かしい・・・・

 
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 このウイルスの怖さはどこにあるのだろう?

 むろん、死につながる病であることが第一である。
 が、それだけではないことも確かだ。
 同じ感染症で、かかったら死ぬこともあるという点では、インフルエンザと変わりないはずだ。
 感染力や致死率の違いが、新型コロナウイルスをインフルエンザより怖いものにしているのだろうか?
 それならばHIV/AIDSはどうだ?
 感染力や致死率はインフルエンザよりずっと低いのに、いまだに人々から恐れられ、忌避されている。
 そう。新型コロナウイルスをめぐる今の日本の状況は、35年前のAIDSパニックに近いものがある。
 そのあたりを考察してみたい。

 
新型コロナウイルスが怖い理由

理由1 病気そのものの怖さ
 ウイルス感染が個体にもたらす身体的苦痛と心理的苦痛がある。
 初期症状と呼ばれる発熱や倦怠感やのどの痛みから始まって、嗅覚・味覚の異常や止まらない咳、呼吸苦、肺炎、気管内挿入に象徴される治療の苦しみ、そして最悪の場合、死がある。
 運よく回復したとしても、後遺症に苦しむ人も少なくない。
 病気と闘っている間に生じるであろう不安、恐怖、孤独、絶望なども馬鹿にならない。
 無症状で自宅やホテルで待機している人もまた、「いつ発症するか」「いつ急変するか」という不安や恐怖を免れ得まい。

 病気に対する怖さに影響を与えるものとして、その国の医療レベル、治療へのアクセスしやすさ、社会保障レベル、個人が属する文化における病気や死に対する観念、それぞれの個体の持っている強さ(年齢・既往症・抵抗力・精神力ほか)などが挙げられよう。

 
理由2 スティグマによる怖さ
 スティグマとは烙印のこと、かつて犯罪者の皮膚に焼きゴテでつけた印のことである。
 新型コロナウイルスに感染することで、個人は周囲や社会からまるで犯罪者のような扱いを受けることがある。
 中傷、差別、プライバシー侵害、不必要な隔離などの自由の束縛。
 当人だけでなく家族も被害者となる。
 患者をケアする医療従事者もまた対象となる。
 すでにいろいろな酷いことがあちこちで起きているのを聞いている。

 スティグマの強さに影響を与えるものとして、社会の人権意識や科学性、メディアの扱い、病気や死に対する観念などが挙げられよう。たとえば、健康幻想が強いところでは、病気=悪とみなされやすい。
 一般に、迷信深い他罰的社会ほど、スティグマは強いと思われる。


理由3 周囲や世間に迷惑をかける怖さ
 自分が感染した。そのときに、周囲が被るであろう様々な負担や労力や被害に対する負い目が生じる。
 たとえば、病欠によって仕事に穴を開ける、同僚の負担を増やす負い目。自分と関わった人々を“濃厚接触者”にしてしまう(=2週間の自宅待機を余儀なくさせる)負い目。風評被害による経済的損失を作り出してしまう負い目。

 こうした負い目は、世間体を気にする社会、個人より組織を大切にする社会、「人に迷惑をかけるな」という教えが尊ばれる社会、同調圧力が強い社会ほど、個人にのしかかるであろう。
 日本はまさにそうである。


理由4 他人にうつしてしまう怖さ
 上記1~3の怖さのすべてを他人にも与えてしまう恐れ。
 それが見知らぬ他人でもつらいことだが、職場の同僚であったり、仲の良い友人であったり、同居の家族であったりすると、実に心苦しいものである。

 他人にうつしてしまう怖さは、たとえば、医療や介護や保育など濃厚接触が避けられない仕事に就いていればより強くなるし、同居する家族の有無によっても違ってくるだろう。
 厄介なのは、現在自分が感染しているかどうかが把握できないことである。
 無症状でも感染していることはあるし、検査で「陰性」が出てもそれは100%絶対ではない(=偽陰性がある)。
 また、HIV検査同様、感染して時間が経っていない段階では正確な判定が下せない“ウインドウピリオド”があるため、「陰性」は必ずしも今現在の状態を示すものにはならない。
 自分がすでに「感染している」ものと仮定して、相手に接するくらいの配慮(逆防御?)が必要かもしれない。


理由5 生活が破壊される怖さ
 新型コロナウイルスの影響による失業者は、本年1月6日時点で8万人を超えたと言う。 
 この先、もっともっと増えるのは間違いない。
 企業の倒産、閉店、廃業、解雇、雇い止め・・・・・。
 全国レベルでこれだけたくさんの人が生活の危機にさらされたのは、終戦直後以来初めてだろう。
 自粛の影響は、ひとり経済面のみならず、文化面、教育面、健康面(身体的にも精神的にも)にも深い影響を及ぼしている。
 昨年7月以降の自殺者数の増加傾向も指摘されている。
 社会保障がいまこそ重要だ。


 上記1~5の理由は相互に関連し、影響し合い、良くも悪くも相乗効果を生んでいる。
 たとえば、まかり間違えば死に至る病であるからこそ、スティグマも強いし、他人にうつしてしまうのが怖い。他人に感染させてしまう病であるからこそ、加害被害の関係が発生し、感染者を罰する空気が生まれやすい。世間に迷惑をかけることを非とする社会だからこそ、迷惑の元となった人に対するバッシングは厳しい。生活が破壊されるリスクがあるからこそ、病気の怖さが一段と増してくる。


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Gerd AltmannによるPixabayからの画像


 ソルティは専門家ではないし、ここは対策を考える場ではない。
 特効薬やワクチンの開発が一番であることは、素人でも分かるが・・・。
 ただ、政府の動きを見ていると、戦略のなさを指摘せざるを得ない。
 またしても、太平洋戦争時(8.15)や福島原発事故時(3.11)に露見したニッポン・イデオロギーによる愚行が繰り返されているような気がしてならない。
 台湾政府のような戦略的行動がなぜ取れないのだろう?
 そうだ。怖さの理由の6番目は「政府を信頼できないから」である。

 少なくとも、感染者に対する中傷や差別をなくすために、
  1.  医療・行政機関等からのプライバシー漏洩を絶対に避ける
  2.  悪質な中傷や人権侵害には罰則を設ける
 この二つは徹底してほしいと思う。

 別記事でも書いたが、エイズパニックの時同様、上記理由の2と3が強いと、1や4を凌駕する。
 つまり、他人に感染させる恐れがあっても、スティグマを恐れたり他人に迷惑をかけることに怯えたりすると、検査を拒否したり感染を隠したりする行動に流れやすい。むろん、治療にもつながらない。
 発症して入院につながる場合は別として、感染しているのに症状が出ないケース、いわゆる無顕性感染の場合、隠蔽しての行動は可能である。
 現在、ネットで購入できる検査キットが出回っている。
 住所・氏名を伝えなければならない(=感染者であることが特定される)検査所に行かなくとも、自らの感染状況を自宅で知ることができる。
 そこで自らの感染を知った人たちが、それを隠蔽して、これまで通りに通勤して仕事して友人と会食してをすれば、感染拡大が止まらなくなる。

 感染の恐れのある人が安心して検査を受けられ、感染が判明した人が必要最低限の周囲の人に躊躇なく結果を伝えることができ、必要な補償を受けながら自宅待機や治療に安心して入られる状況をつくっていくことが望まれる。
 でなければ、だれも安心して感染者にはなれない。

 怖いのは病気よりも世間や社会である。











 



● トロイの木馬 マンガ:『白い旗』(水木しげる作画)

1991年(株)コミックスより刊行
2010年講談社文庫

 表題作ほか『ブーゲンビル上空涙あり』、『田中頼三』、『特攻』を含む戦記マンガ。
 ラバウルで戦った水木自身の体験や戦死した知人の話、伝聞などがもとになっている。

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 コロナ渦でいろいろと不自由や不安を強いられる現在であるが、齢80を超えるソルティの母親がよく口にするのは、「戦争のときにくらべれば全然マシ」
 食べ物も着る物もなく、いつ何時やって来るか分からないB29による爆撃の恐怖にさらされた子供時代(母は横浜に住んでいた)を思えば、「どうってことない」
 そりゃ、そうだ。
 おまけに、今回のコロナ戦争は、どこか特定の国だけが被害を受けているわけでなしに、全世界が平等に戦渦に巻き込まれている。
 日本だけが、日本人だけが苦しんでいるわけではない。

 あまり大っぴらに言うと不謹慎のそしりを免れないが、「もしコロナがなかったら、日本は今どうなっていただろう?」と想像することがある。
 2020 TOKYOオリンピックが大々的に開催され、(熱中症による死者を多数出しながらも)それなりに成功し、インバウンド効果で経済は活性化し、安倍政権は乗りに乗っていたことだろう。
 「ニッポン、チャ・チャ・チャ」のファッショな空気に乗じて国民投票法は成立し、憲法9条改正は既定路線に入っていたであろう。
 安倍政権の存続を願う世論が形成され、自民党の党則が改正されて党首の任期が現行の3期9年から無期限となり、首相の任期制限がないこの国において安倍政権は10年目に入り、ますます巨大な権力を獲得していたことだろう。
 あたかも中国の習近平国家主席さながらに。
 日本は、日本会議の理想とするところの「戦争ができる美しい国」に向かって、どんどん変えられていったことであろう。
 
 それを思うと、「美しい国」に反対のソルティは、今回のコロナを「100%悪い奴」とは受け取れないのである。(もっとも、今後どうなるかわからないが)

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 それにしても、今回のコロナ戦争においては、強大な軍事力を有し対外的に強い国家ほど状況をうまくコントロールできている、とは言えないところが皮肉である。
 対外戦争に一度も敗けたことのないアメリカは、26万人をも超える死者を出している。(11/28現在)
 すでにベトナム戦争時の死者数5万8千人を上回り、太平洋戦争時の29万人を超えるのも時間の問題であろう。(一番死者数が多いのは南北戦争時の49万人)
 外敵への攻撃には無類の強さを誇る全米だが、内部に侵入した20 nm (ナノミクロン=0.000 000 02 mm)のウイルスにかくもコテンパンにやっつけられるとは!
 ウイルスってのはまさにトロイの木馬だ。
 国民を守りたいのなら、何が本当に必要かつ大切なのかをコロナは教えてくれる。

 しばらく、水木しげるを読んでいきたい。



おすすめ度 : ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



 


● ダメ男と尽くし女 映画:『夫婦善哉』(豊田四郎監督)

1955年東宝
121分、白黒

 昭和初期の大阪を舞台とする人情ドラマ。
 船場の化粧品問屋のボンボン育ちのダメ男・柳吉(=森繁久彌)と、下町の芸者あがりで陽気でしっかり者の女・蝶子(=淡島千景)の切っても切れない関係を描く。
 当時の船場問屋の風景、狭い路地の入り組む法善寺界隈、難波や曾根崎新地でのお座敷遊びなど、戦前の大阪の風俗ドラマとしても楽しめる。

 柳吉は二枚目ではないが、女性がほうっておけないような魅力がある。外で強がっていても、飼い主の前では平気で腹を見せて寝転ぶドラ猫のような魅力というか。
 それはそのまま役者としての森繁の魅力に通じているようである。
 どうしようもないダメ男なのに、憎めない。
 蝶子もまた、淡島千景その人をモデルにしたかのようなキャラで、役柄と演者がぴったり重なっている。といって、素顔の千景がどんな人なのか知らないが・・・・・。
 あくまでイメージである。
 二人のコンビネーションが凹凸しっくりなじんで、本当の夫婦(内縁だが)のように見える。

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森繁久彌と淡島千景


 切っても切れない「ダメ男と尽くし女」。
 現代人の視点からすれば、この男女関係は、成瀬巳喜男『浮雲』の主役の二人(高峰秀子と森雅之)同様、「共依存」と定義されてしまうところであろう。
 戦後生まれの、とりわけフェミニズムの洗礼を受けた人間が見たら、ダメ男に尽くし続けて自分の人生を棒に振る蝶子のありように苛立つかもしれない。

 ソルティも、浪花節的人情ドラマ(=演歌の世界)が苦手なので、こういった映画というか関係は避けてきた。
 が一方、自立した近代的な男女(あるいは男男でも女女でも)が、互いの世界観をぶつけ合い駆け引きする米国TVドラマに見るような関係も、なんだか疲れる。
 結局、本人たちが幸せならば、周りはとやかく言うことはない。
 (それが、眞子内親王の結婚問題に対するソルティの気持ちである。30年近く不自由な暮らしに耐えてきたのだから、持参金くらいつけてあげたらいい)

 文芸映画の巨匠・豊田四郎の作品を観るのはこれが初めて。
 岸恵子主演の『雪国』、岡田茉莉子がお岩に扮した『四谷怪談』、同じ森繁×淡島コンビによる『花のれん』、芥川龍之介原作の『地獄変』など、観たいものが結構ある。



おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 初期症状もどきとPCR体験

 一週間ほど前から倦怠感と喉のつかえが続き、「風邪かなあ?」と思い様子を見ていたが、一昨日から下痢が始まった。
 いつもなら2回くらいトイレに行けば終息するのだが、4回、5回と繰り返す。食べるそばから水様便となって出ていく。おなかもグルグル鳴り続ける。滅多にないことである。
 熱はないものの、鼻の奥のほうに圧迫された感覚がある。
 「よもや?」と、ネットで『コロナ 初期症状』と検索かけると、案の定どれも当てはまった。
 
 思い返せば、まったく心当たりがないというわけではない。
 10月末に高尾山の麓の温泉施設に行ったとき、混みあった露天風呂と食事処に1時間以上は居続けた。当然、自分も周囲もマスクしていない。大声で喋っている若者グループも近くにいた。
 11月初めには、夜遅く乗った列車が人身事故でストップしたため帰宅できなくなり、会員カードを持っている繁華街のネットカフェで一晩過ごした。ブースの中で寝ているとき、知らぬ間にマスクをはずしていた。夜中、どこかのブースから咳が聞こえていた。
 ほかにも、列車のつり革や手すり、バスの降車ボタンやシート、エレベータのボタン、レンタルショップのDVDパッケージ、ドリンクバーの氷つかみ(トング)・・・・新型コロナウイルスと接触しうる可能性を数え上げたらキリがない。
 
 自分が一人暮らしならば、そして介護関連の仕事に関わっていなければ、「風邪だろう。食あたりだろう。更年期障害だろう」と自己判断し、そのままやり過ごしてしまうところだ。
 が、80を過ぎた両親と同居の身で、70~90歳の高齢者と日常的に触れ合う立場にいる。自分が直接彼らに触れないとしても、職場の同僚にうつしたら、そこから感染が広がりクラスターが発生してしまうかもしれない。
 
 昨日、思い切って仕事を休み、PCR検査を受けに行った。
 ネットで検索し、もっとも検査料の安いクリニックを選んだ。
 自宅からかなり離れているけれど、背に腹はかえられない。
 
混雑病院



 午前10時過ぎにクリニックに着くと、入口に掲示があった。

 「PCR検査を受ける方は、特設会場にお越しください」

 クリニックの建物の中ではなく、そこからやや離れた駐車場のような野外スペースに天幕が張られ、仮設の検査所が設けられていた。プレハブというかコンテナというか小さな建物が左右にいくつか並んだ中央のスペースに、パイプ椅子が20脚ほど間隔を置いて並べられ、完全防護したスタッフが忙しそうに立ち回っている。なんだか、野戦病院のよう(って映画でしか見たことないが)。
 
 平日の午前中だったので、それほど混んでなく、受付で待たされることはなかった。
 が、問診票への記入を済ませ、パイプ椅子に座って診察の順番を待っていると、見る間に人が増えていき、1時間くらいしたら椅子は全部埋まり、その周囲に数十名が立って順番待ちするくらいになった。土日、祝日はどれだけ混むことか。(そのクリニックは土日もやっている)
 幸い小春日和だったので、屋外でも長袖ジャケット一枚で過ごせたけれど、冬になったらどうするんだろう? 寒風の中、待たされるのだろうか?
 
 15分くらいで名前が呼ばれ、プレハブの一つに案内された。
 中には誰もおらず、パソコンの乗ったテーブルとその前に椅子があるだけ。
 その椅子に腰かけるよう指示された。
 遠隔モニターによる診察であった。
 モニターの中の医師から症状の確認があった。
 
 また外で待つこと10分。
 名前を呼ばれ、こんどは一角にある奇妙な小屋の前に案内される。
 それは密閉された四角いブースで、一つの壁面の上半分だけが透明シールドに覆われている。シールドの下部に、二つの穴が横に並んで空いている。戦前のサーカスの見世物小屋を思わせる(って映画でしか見たことないが)。
 受検者がシールドの正面に置かれた椅子に腰かけると、ブースの中にいる看護師が、二つの穴から手袋をはめた両腕を突き出し、受検者の鼻の穴に綿棒を突っ込む。看護師は、粘液がついた綿棒を試験管に密封する。
 はたで見ていると面白い光景なのだが、いざ自分の番になると、鼻の穴に綿棒が突っ込まれるのはなんとも気色悪い。

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絵ごころなし

 
 検査が終わり、待つこと20分。
 名前を呼ばれ、会計となった。
 ネットに書かれていた通りに万札を用意していたが、「発熱、咳、倦怠感など何かしら症状がある人」は保険が適用されるとのこと。
 ソルティの場合、薬の処方料も入れて2000円であった。
 2000円なら、それほど敷居も高くない。
 3ヶ月に1回くらいは受けてもいいかもしれない。
 
 結果は、陽性(感染の可能性大)の場合、事前登録した電話番号に5~6時間後に連絡が来る。連絡がなければ陰性である。
 もちろん、体操選手の内村航平のように擬陽性(ほんとうは陰性なのに陽性判定されること。100人に1人くらい)が出ることもある。擬陰性(ほんとうは陽性なのに陰性判定されること。100人に30人!くらい)のケースもある。
 結果は100%保障できないのだ。
 陰性結果をもらっても、症状が続くようなら、再受診・再検査の必要がある。


紅葉の自転車

 
 今回、検査を受けようと決めるにあたって、このウイルスの厄介さをつくづく思った。
 発熱や倦怠感や喉のつかえや下痢を主な症状とする病気など、それこそ風邪や細菌感染を含めゴマンとある。コロナ特有の症状ではない。
 なんらかの体調不良があったとき、そのたびコロナ感染を疑っていたら、しまいにはノイローゼになってしまうだろう。キリがない。
 と言って、1%でも感染の可能性がある限り、「他の人、特に家族や高齢者にうつしてはいけない」という思いが働き、検査を考えずにはおれない。
 「ならば、はじめから感染する/させるリスクのある行動をとらなければいいではないか」と言いたいところだが、残念ながら感染リスクはそこいらじゅうに潜んでいる。そこがこのウイルスの厄介なところである。
 コロナウイルスは日常生活でうつる。とくに、介護や医療や接客業のような仕事に就いている場合、リスクを完全に避けることはほとんど不可能に近い。
 
 HIV(エイズウイルス)と比較すると分かりやすい。
 HIVの初期症状もまた「インフルエンザに似た」もので、発熱や倦怠感や筋肉痛が起こる。(コロナ同様、まったく無症状の場合もある) 
 この初期症状を「すわ、エイズ!」と思って、不安に陥る人も少なくない。
 しかるに、HIVは日常生活ではうつらない。バスや電車や温泉やスポーツジムや料理店やカラオケではうつらない。相手の体液(血液、精液、膣分泌液)とじかに接触する性行為でしかうつらない。
 つまり、予防できる。きちんと予防できているという自覚も持てる。
 発熱や倦怠感があっても、それに先立って「思い当たる行為=予防しない性行為」がなかったならば、HIV感染の可能性はないと断言できる。検査は必要ない。
 たとえ、感染の可能性ある行為をしていたとしても、他人にうつさない選択は簡単にできる。
 一方、コロナの場合、家に閉じこもって他人との接触を断たない限り、完璧な予防は難しい。
 どこまで予防すれば安全と言えるのか、どこまで気をつければ他人にうつさずに済むのか、誰も確かなことが言えない。
 HIVと違って、日常生活こそが危ない。(検査会場には老若男女がいた。若者が圧倒的に多いHIV検査会場との顔ぶれの違いは、まさに感染経路の違いによるものだ)
 
 毎日マスク通勤し、多かれ少なかれ周囲と会話しつつ仕事して、昼は外食し、休日はできるだけ大人しく遊ぶ、あるいは気晴らしに買い物に行き、家族や友人とGOTOキャンペーンを利用し小旅行する。コロナ禍におけるごく一般的な庶民の生活である。
 それでソルティのように発熱や倦怠感や喉の痛みなどが生じて、自分の過去数日の行動を振り返ったとき、「感染するような行為、思い当たる機会はまったくなかった」と言い切れる人が果たしているものだろうか?
 たとえば、今大ヒット中の映画『鬼滅の刃』を満席の劇場で観て、隣席の人が上映中に飲食し、くしゃみした。席を移ることもできない。数日経って38度を超える熱が出た。
 「もしかしたら、あの時?」といったん思い始めたら、感染不安のループにはまり込むのは必定である。

不安のループ


 これからの風邪の季節、「初期症状」に振り回される人が増えることは間違いない。 
 ノイローゼにならない為には、感染予防に関する自分なりの“行動ルール”の設定と、感染リスクの評価に関する自分なりの“線引き”が必要かもしれない。
 つまり、コロナについて心配する閾値(しきいち)を作っておくのだ。
 まあ、その前に、何と言ってもふだんの体調管理に気を付けるに如くはないが・・・・。


 結果的にクリニックからの連絡はなかった    




● 本:『Bライフの愉しみ 自作の小屋で暮らそう』(高村友也著)

2011年秀和システムより『Bライフ―10万円で家を建てて生活する』の書名で刊行
2017年ちくま文庫

 Bライフとは Basic Life、必要最低限の生活のこと。
 本書の主旨を汲み取ってより正確に言うなら、「一人の人間が自活して、誰にも気兼ねなく好きなことをし、かつ好きなだけ眠ることのできる、最低限の環境設定」といったところか。
 むろん、まったく働く必要がない大金持ちには最初から関係のない話である。
 庶民が、できるだけお金をかけず(働かないで)、他人の世話になることもなく、上記の条件を可能にする手段の追求こそが主眼である。

 著者は1982年静岡県生まれ。
 大学院を自主退学したあと一年くらい路上生活をし、その後、山梨の雑木林の一角を購入し、そこに小屋を建てて暮らし始める。
 その詳しい経緯やBライフの実践記録、およびBライフを始めるためのノウハウなどが書かれている。

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 生きるのに最低限必要なものは、日々の食べ物と着る物と寝る場所である。
 食べ物と着る物については、日本ではそれほど不自由しないであろう。
 ホームレスのための炊き出しもあれば、衣類のお古を配っているNPOもある。
 ゴミ出しや廃品回収の朝を狙えば、コンビニの廃棄弁当や各種衣類も手に入ろう。

 やはり、難しいのは寝る場所の確保である。
 夜露や寒さや雨風から身を守り、他人(とくにお上)に邪魔されず、誰にも気兼ねなく安心して好きなだけ眠ることのできる場所を見つけるのは、結構大変だ。
 むろん、家を買ったりアパートを借りたりすれば話は別だが、そのためには家のローンや家賃を払うために働かなければならず、「好きなことをしながら好きなだけ眠る」ができなくなってしまう。

 そこで、著者は田舎の低価格の土地を購入することを思いつく。
 自分の土地なら、何日テントを張り続けようと、誰にも文句を言われる筋合いはない。
 行政から立ち退きを命じられることもない。
 月々の生活費は年金、保険料、税金ふくめ20000円程度で済むので、週1日もアルバイトすれば十分やっていける。つまり、就職する必要はない。
 暇にまかせてホームセンターで資材をそろえ、自作の小屋を建てれば、快適なBライフが保障される。

 贅沢や社交や都会の殷賑や緊張感ある仕事や社会的成功を望む人にしてみれば、考えられない、理解できない生活には違いない。
 一人きりで森の中に住むこと自体、変人と思う人も少なくないだろう。
 だが、こういう人はいま若い世代を中心に増えているような気がする。
 コロナがそれに拍車をかけたのは言うまでもない。
 要は、自分にとっての幸せとは何か? 生きる上での優先順位は何か?――ってことを各自が自分自身に問いかけ、それを他人の目を気にせず追求する時代になったのだ。

 しばらく前から、ソルティも森の中の暮らしに憧れを抱いている。
 小さな木の家に住んで、木々のざわめきを耳にしながら、薪ストーブの火を見つめている自分が目に浮かぶ。
 朝は鳥のさえずりで目が覚める。
 小さな畑があって、犬と猫が走り回る。
 来たるべき冬のために薪をたくさん集めておかなきゃな。
 ハイジのおじいさんか・・・・。

 自らの望むもの・望まないものをしっかり見据えて、世間の価値観に流されずにオリジナルな道を歩む著者の姿勢に拍手を送りたい。
 日本人はもっと自由であっていい。



おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損




● 文庫の値段と昭和アタマ 本:『節約は災いのもと』(エミリー・ブライトウェル著)

2016年創元推理文庫

 『家政婦は名探偵』シリーズ第4弾。
 今回も謎解きとユーモアたっぷりの楽しいミステリーに仕上がっている。
 何かにつけお茶を飲みたがるイギリス人の風習が面白い。

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 若干気がかりなのは、このシリーズ、2015年から邦訳が発売され現在まで4巻立て続けに刊行されたものの、2016年以降は出ていない。
 5巻以降の発売予定はあるのだろうか?
 訳者のあとがきにも、「次回をお楽しみに!」的なことが書かれていないので、これで打ち止めなんじゃないかと憂慮する。
 なにせ今の出版事情である。

 ソルティは本書を近所の図書館で借りた。
 もし、図書館に置いてなかったら、あるいはブックオフで廉価で売っていなければ、わざわざ買ってまで読むことはしなかったろう。
 というのも、この300ページほどの文庫本、定価1100円(+税)もするのだ!

 発行部数の少ない思想書や学術書ならまだ分かる。
 が、推理小説の文庫本が1000円を超えるとは、ソルティの許容範囲外である。
 いつからそんなふうになってしまったのか?

 部屋の本棚から古そうな文庫本を引っ張り出す。
 角川文庫の『パノラマ島奇談』(江戸川乱歩著)昭和49年版は、500ページ近く(表題作のほかに2篇収録)で定価380円。消費税はなかった。

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カバーイラストは宮田雅之、解説は澁澤龍彦


 推理小説ではないが角川文庫の『ベニスに死す』(トーマス・マン著)、昭和57年版は226ページで定価260円。

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表紙はヴィスコンティ『ベニスに死す』タッジオ役のビヨン・アンデルセン


 同じく角川文庫の『ギリシア・ローマ神話』(トマス・ブルフィンチ著)、昭和60年版は670ページで定価620円。

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 ソルティがもっともよく書店で本を買っていた昭和時代、よほど分厚いものでない限り、文庫本が500円を超えることは滅多なかった。
 平成に入ってからは、もっぱら図書館や古本屋が中心となり、書店で購入するのは図書館や古本屋ではすぐには手に入らないようなハードカバーや“新書”の新刊、宗教関係書くらいになった。
 文庫の新刊は買わなくなった。
 その間に価格はどんどん上がっていたらしい。

 ソルティの昭和アタマの中では、いまだに文庫本は500円以下という感覚が強くある。
 ミステリーの古典たるウイルキー・コリンズ『月長石』のようなある程度の厚みがあるのなら定価500円以上も止む無しだが、1000円を超えるなんてちょっと考えられない。
 過去30年の物価の上昇を考えるなら、本の価格の上昇も当たり前と受け止めるべきなのだろうが。

 ソルティのように定価で本を買わなくなった人間が増えたればこそ、新刊本が売れなくなり、結果として町の本屋はつぶれ、出版社は新しい本がなかなか出せない、という結果を生んだのだ。 

 節約は災いのもと・・・・・・か。

 

 
おすすめ度 : ★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


 

● TWO RIGHT HAND 両方右手

 出先の街の本屋に、木の立体パズルのコーナーがあった。
 スカイツリーやエッフェル塔、恐竜や動物、飛行船や機関車やクラシックカーなど、いろいろな種類が並んでいる。
 コロナでおウチ時間が長くなった影響の一つであろう。
 結構売れているらしい。


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 手先の不器用なソルティはジグゾーパズル派(平面派)なのだが、よくある精巧模型ほどに難しそうでもないし、なにより接着材やカッターを使わずに組み立てられるというのが良い。
 展示されている模型の木の風合いも素敵だ。
 一つチャレンジしてみようかと棚を見回していたら、五重塔があった。
 仏教愛がほとばしった。


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 275ピースで、完成サイズは160×160×320ミリ、対象年齢12歳以上。
 これなら TWO RIGHT HAND(両方右手)のソルティでもなんとか作れるかもしれない。
 ( TWO LEFT FOOT 「両方左足」は不器用という意の英語表現。なので、TWO LEFT HAND と洒落るところだが、ソルティは左利きなので「両方右手」となる)

 家に帰って箱を開けたら、部品が並んだ木のボード10枚と簡単な説明書が入っていた。
 静かな秋の夜、ワイン片手にじっくり作ってみようかな。


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70番本山寺五重塔
四国遍路第70番札所・本山寺の五重塔






● 映画:『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(フィリダ・ロイド監督)

2012年イギリス
105分

 メリル・ストリープの演技力にまたしても舌を巻くための映画である。
 モデルとなった当人に似ているかどうかはともかく、一人の意志堅固な女性政治家像およびその老いた姿を完璧につくりあげている点が凄い。
 サッチャー(1925-2013)という政治家をまったく知らない人が見ても、そこに一貫した魅力あるキャラクターを見て取ることができよう。
 
 ドラマ自体は政治家としてのサッチャーの生涯を簡潔になぞったものである。
 家族ドラマとしても、社会派ドラマとしても、あるいは認知症でその生を終えた「鉄の女」を描いた人生ドラマとしても、深みには達していない。
 制作時には、サッチャーの子供たちはむろん、本人が存命していたせいもあろう。
 サッチャーとその時代のイギリスを知るには手頃な資料である。

 政治家を引退したサッチャーが、来日して地方の行政主催イベントによばれたときの講演料が1000万円だったことを思い出した。
 ときは90年代半ば、バブル崩壊が始まっていた。
 
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おすすめ度 : ★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 科白が入っていない!    


 舞台の本番を数日後に控えているのに、自分の役の科白を全然覚えていない。
 これからどう頑張っても覚えきれない。
 いったい自分は何をボケっとしていたのだろう?
 
 ―――という夢をたまに見る。
 悪夢というほどではない。
 にっちもさっちもいかない困った状態のまま目が覚めて、「ああ、夢でよかった」とホッと一安心する、というほどのこともない。
 ちょっと、心がざわついて、しばらくすると夢を見たことも忘れてしまう。
 
 似たような夢で、試験が近い夢や試験を受けている夢を見るという人がいる。
 学生時代の延長のようなストレスフルな夢だ。
 ソルティはこちらは見たことがない。
 どういうわけか決まって舞台がかかわっている。
 
 実際、ほんの少しの間だが芝居をやっていたことも過去にあり、そのせいかとも思うのだが、やっていた時は科白を覚えきれないとか、科白を忘れたという経験はなかった。
 トラウマになるほどの悲惨な失敗もしなかった。
 ステージフライト(舞台恐怖)に苦しんだこともなかった。
 
 いつからこの夢を見始めたのか覚えていないのだが、最初のうちは幕が開くのは2~3日後という設定だった。
 がむしゃらに覚えようとすれば間に合わないこともない気がする。
 もっとも、どんな内容の芝居なのか、どんな役を振り当てられているのか、どのくらいの量の科白があるのかまでは、はっきりした設定ができていないのだが。
 ただ夢の中では、「いまから覚えるのは到底無理」と半ば諦めている。
 
 そのうち、だんだんと幕開きまでの期間が短縮されてきて、「明日が本番」という設定がしばらく続いた。
 それがさらに短縮されて、「数時間後に本番」となった。
 だんだん追い詰められていく。
 ついには、「本番直前の楽屋」で扮装も化粧も済んで、幕開きを他の役者たちと待っているところになった。
 ソルティが全然科白を覚えていないことを他の役者たちは知りもせず、それぞれ自分の科白や動きを確認している。
 自分の中では「困ったことになった」と思っているのに、「いまのうち、みんなに告白しておかなければ・・・」とは考えていないあたりが不誠実きわまりない(笑)。
 
 先日、夢の中で気づいたら、ついに舞台上にいた。
 本番最中である。
 数名の役者と一緒に舞台にいて、観客の視線を浴びている。
 戸外のシーンのようで、草や木の大道具に囲まれている。
 周りの役者たちが流れるようなよどみなさで、代わる代わる科白を口にする。
 何を言っているのかはわからないものの、ソルティは「なかなか、上手いものだ」と感心している。
 なんとなくシェークスピアを思わせる科白回しだ。
 と、科白が切れた。
 舞台上を沈黙が支配する。

 ・・・・・

 それは芝居の「間」ではなく、明らかに「途切れ」と分かる不自然な沈黙。
 誰かが科白を忘れているらしい。
 役者間に緊張が走る。

 ・・・・・・・・

 瞬間、「あっ、ここは自分の科白なんだ」と理解する。
 が、むろん何をしゃべっていいのか見当もつかない。
 筋が分からないのでアドリブすらきかない。
 沈黙が続く。

 ・・・・・・・・・・
 
 しばらくすると、舞台袖に控えていた他の役者がその沈黙の理由に気づいたらしく、出番ではないのに舞台に登場して、適当な科白をその場ででっちあげて、事態をうまく回収してくれた。
 そこで夢は終わった。

 これでこの夢は終わるのか、この先があるのか。

 
黒子
 黒子がいれば問題ないのでは?
 

P.S. そうそう、肝心なことを書くのを忘れていた。この芝居の台本を書いたのはソルティ自身なのであった。自分の書いたものを忘れているのだ。






● ブルー・スカイ・ブルー

 ネットでポップアップテントというのを購入した。
 ワンタッチで組み立てられるポリエステル製のテントである。

 近くの公園で、昼寝したり、読書したり、瞑想したりする際に使ったら、「快適だろうなあ~」と思った。
 強い日射しや虫が防げるし、プライベートな空間がつくれるし、ちょっとしたキャンプ気分も味わえる。
 自粛で引き籠ってばかりのストレスも緩和されよう。
 むろん、ソーシャルディスタンスはばっちりだ。
 
 値段はピンキリだが、山登りに持っていくつもりはないので、3300円のキリにした。
 それでも一応、UVカットコーティングしてあり、小雨くらいならしのげる耐水加工してあり、広げたときのサイズも幅 200 × 奥行 140 × 高さ 110 cm という大型である。
 余裕で寝そべることができ、座禅を組むこともできる。
 それで重さは、持ち運びに便利な1kgなのだから、最近の技術革新には感嘆する。
 
 テントを組み立てるのは本当に簡単で、専用の袋から出して宙に投げるだけでよい。
 その名の通り、ポップコーンのようにPOP UPする(はじける)。
 あとは四隅にペグを差して、大地に固定すればよい。
 わずか30秒で完成。 
 魔法のようだ。


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 厄介なのは収納である。
 元通りにきれいな円形に戻すのにコツがいる。
 商品と一緒に送られてきた説明ビラではまったく理解できなかった。
 ネットで検索したら、たたみ方を丁寧に教えてくれる素人さんの動画があった。
 ありがたや~。
 部屋の中で2回ほど練習してマスターしてから、いざ公園デビュー!


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 夕方いくぶん涼しくなってから出かけ、公園の木陰に設置した。
 が、やはりテントの中は暑い。
 日中はサウナ状態になるのは間違いない。(それはそれで痩身目的に使えるかもしれない)
 また、重量が軽いというメリットは、風に弱いという弱点になるのであった。
 テントの中に人がいる時はいいが、テントから離れているときに強風が吹いたら、西部劇に出てくるタンブルウィードのように転がっていくテントを、追っかける羽目になりそうだ。


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RJA1988によるPixabayからの画像
 

 午後5時を過ぎたらテントの中も涼しくなった。
 テントの中から見える風景を楽しみながら、1時間ほど読書した。
 意外に集中できる。
 移動できるプライベートルームがひとつ増えたような気分。
 次回は瞑想してみよう。


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ポリエステル素材とメッシュ素材、出入り口は二重で開閉できる


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テントのてっぺんのフックは本来はランタンを吊るすため

 
 一点だけミスったかな?と思ったのはテントの色である。
 好きなスカイブルーを選んだのだが、考えてみたらこれは作業用ブルーシートの色にほど近かった。
 なんとなく、公園のホームレスのような感じも・・・。
 (遊んでいる子供らが覗き込んでいったのはそのせいだったのか?)
 
 
 
  




● 風評被害の生まれ方

 このまえの日曜の晩、友人と会食するために、一ヶ月ぶりに都心に出かけた。
 両者の住まいの中間にある池袋で会うことにした。
 池袋駅西口の東京芸術劇場前にある公園、いわゆるウエストゲートパークで待ち合わせた。

 しばらく前までここは工事をしていた。それも終わって、野外舞台のある円形劇場を兼ねた、明るく清潔な公園に生まれ変わった。
 一角にできたカフェもおしゃれで、芸術劇場のコンサート前後に寄るのにあつらえ向きである。

 かつてこの公園は、チーマたちの縄張り争いやホームレスのたまり場として、あまり印象良くなかった。
 ここで待ち合わせなんかしたら、オヤジ狩りに遭ってもおかしくはない雰囲気があった。
 円周の孤に沿って設置されている木のベンチに腰掛け、友人を待ちながら、そんな記憶をたどった。
 
 ベンチに座っている人たちは、隣りの人と1m以上の間隔を空けて横並びに座っている。
 もちろん、みなマスクをつけている。
 何も言わなくとも、自然とそのように配慮できるところが、日本人の美点だろう。


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 友人は酒を飲まないので、駅からやや離れたファミレスに行った。
 なるべく混雑は避けたい。
 さいわい店内は空いていて、テーブル間隔も十分離れているので、ここなら大丈夫だろうと思った。
 やはり、都心の繁華街での会食は気を遣う。
 池袋駅西口はまさに「夜の街」でもあるので、ウイルスが至る所にいるような気さえしてくる。
 見えない敵は厄介である。

 友人は現在テレワーク中で、毎日、自宅で携帯電話とパソコンを使い仕事をしていると言う。
 「自分のペースで働けて、さぼれるからいいねえ」と言ったら、思ったより忙しくて朝から夜までパソコンに向かっているという。
 積もる話をして、気づいたら3時間近く経っていた。
 どちらかがウイルスを持っていたら、相手にうつしていただろう。
 
 
 昨日は、足のリハビリのため、いつもの病院に行った。
 マッサージを受けながら担当の理学療法士と話していたら、こんなことを言う。
 「市内の〇〇という店で、スタッフに感染者が出たそうですよ」

 ソルティも知っている飲食店で、たまに店の前を通ることもある。
 が、主に若者をターゲットにしているこじゃれた店なので、オジサン、入ったことはない。
 「え? それどこからの情報?」と聞くと、
 「この前、髪切りに行って、そこの理容師から聞いたんです。その理容師は友だちから聞いたみたいです」
 「その友だちはどうやって知ったの?」
 「その友だちが、〇〇店の向かいの店でバイトしていて、ある日、〇〇店のシャッターが下りていて、そこに『感染対策を行うため、3日間休業します』と書かれていたんだそうです」
 「ふ~ん」
 
 家に帰って、さっそく家族に伝えようと思い、そこではっとした。
 ソルティの得た情報はまた聞きのまた聞きで、伝言ゲームのように誤って伝わっている可能性大だ。
 しかも、元の情報自体も確かなものではない。
 「感染対策を行う」=「感染者が出た」ではない。
 店内のテーブルの配置や座席の向きを感染対策用に変える、ということかもしれない。
 テーブル間に新たに衝立を設置しているのかもしれない。
 大体、本当にスタッフに感染者が出たら、3日間休業ではすまないのではないか?

 ここで下手に店の名前を口にしてしまったら、そこからまた噂は広がっていくことだろう。
 そのうち、ネットに店名や住所を書くヤツも出てくるかもしれない。
 風評被害ははかりしれない。

 こんなふうにして、自分でもたいして意識しないうちに、コロナ差別に加担してしまうのだなあ。

 
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Gerd AltmannによるPixabayからの画像





● 圧着ハガキ

 先日、厚生労働省から圧着ハガキ(情報保護のため糊付けしてあるやつ)が届いた。
 「なんだろう?」
 はがしてみると、雇用保険の給付に関するお知らせであった。

 「厚生労働省が所管する統計について、長年にわたり不適切な取扱いをしていたことにより」、2004年8月以降の雇用保険の給付額が低く計算されていた。ついては、表記の通り追加給付を行う。
 ――という知らせであった。
 
 ソルティは、2011年7月~2012年4月まで失業保険をもらっていたので、対象者に当たる。全国で1860万人以上が該当するという。
 昨年の秋くらいだったか、最初の通知が届いた。
 「そうか。低くもらっていたのか」と思い、指示に従って同封されてきた用紙に振り込み口座等を記入し、送り返した。
 「9ヶ月分だから結構な額になるかも。飲み代2回分くらいは還付されるのでは・・・」と期待しながら。
 それから、骨折事故があり、コロナも発生し・・・。
 すっかり忘れていた。
 
 「さて、いくらかな?」

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 脱力・・・・・・

 むろん、思ったよりずっと少なかったからということもあるが、それよりも、このわずかな額のために使われた人件費や郵送代などを思ってのことである。

 調べてみたら、追加給付の総額は約300億円だという。
 1860万人に通知するための圧着ハガキ作成費と郵送料と銀行振込み手数料だけでも30億はゆうに超えるだろう。人件費(委託費)を加えたら、いくらになるだろう?
「お役所仕事」という言葉が頭に浮かんだ。

 むろん、不正がただされ、適正に会計処理されることは大切である。
 だが、一般企業で同様なことが起きたら、担当部署は具体的な形でなんらかの責任を取らされざるを得ないだろう。
 アベノマスク然り、GOTOキャンペーンも然り・・・。
















● マルセイバターサンド臭の謎

 数週間前ほどから、頭皮から甘ったるい匂いがして、気になっていた。
 むろん、オヤジ臭あるいは加齢臭であっても、ちっともおかしくない年齢なのだけれど、その匂いはあまりにもきつく、異様に甘ったるい。
 六花堂名物のマルセイバターサンドを頭皮に擦り込んだような、ココナッツミルクを頭からかぶったような、強い洋菓子臭である。
 これが加齢臭なら、ケーキバイキング好きの若い女性が寄ってきそうである。


ケーキバイキング
 
 
 頭皮を触って手についた匂いは、ちょっとやそっと洗ったくらいでは落ちない。
 コロナ対応で家の各所に設置してある消毒液を塗りこんでも消えなくて、そのうち鼻腔にもついて、始終その匂いに包まれるようになり、さすがに気持ち悪くなった。

 もしや、身体に異変があるのか?
 血管内の過剰な糖分が、汗腺からにじみ出しているのでは?
 つまり、糖尿病?
 
 たしかに昨年末の骨折と今年に入ってのコロナ自粛で、運動不足は否めない。
 夕食後、映画を観ながらのスナックぼりぼりも続いていた。
 体重はここ半年で4キロ増えた。
 おなか周りもプヨプヨである。
 加えて、 
  • おしっこが近くなった。
  • 慢性的な疲労感がある。
  • 皮膚が乾燥して痒い。
  • 感染症にかかりやすくなった。
  • 目がかすむ。
  • 切り傷やその他の皮膚の傷が治りにくい。
  • 性機能の低下(ED)も・・・。 
 ネットで見つけた糖尿病(2型)の初期症状のほとんどに見事当てはまる。

 高血圧、インスリン投与、腎不全、透析治療、失明、動脈硬化、脳卒中・・・・

 起こり得る事態がすぐさま浮かんできてしまうのが、いろんな病人を見てきた介護職の因果なところである。
 そういえば、最後に健康診断を受けたのは一昨年の夏であった。

 
 先週、透析治療をやってる近所のクリニックに行き、ドクターに症状を話し、尿検査と血液検査をしてもらった。
 数日後、結果を聞きに行った。
 血糖値69(基準値は70~109)。
 尿に糖やタンパクは出てなかった。
 「とくに異常はありませんよ」
 糖尿病ではなかった。
 
 しかし、渡された検査報告書を見てがくぜんとした。

 総コレステロール    262 (基準値120~219)
 LDLコレステロール  183 (基準値70~139)
 中性脂肪        234 (基準値35~149)

 生活習慣病予備軍と言ってよかろう。
 このまま行けばマジで、糖尿病や動脈硬化や心筋梗塞への道をたどってしまう。
 帰り道、間食や夜食をやめて、運動不足解消に努めようと夏空に誓った。


夏空と信号



 先日はとても暑かった。
 30度を超える気温は、冷蔵庫の外に置きっぱなしにされた、牛乳をヨーグルトに変え、大豆を納豆に変え、麦茶をビールに変え、バナナをナマコに変える、そんな苛烈さだった。
 外出から帰ったソルティは、いつものように玄関の靴棚の上にあるアルコール消毒液をプッシュして、手に擦り込んだ。
 その瞬間、甘ったるい匂いの正体に気がついた。

 消毒液が原因だったのである!

 消毒液がついた手で、いつもの癖で髪の毛をいじっていたから、頭皮に匂いが移ったのだ。
 すぐさま、「消毒液、甘い匂い」と検索をかけて、裏をとった。
 犯人が特定できた。

 ジアセチル(diacetyl, C4H6O2)
 
 酵母や乳酸菌などの微生物による発酵の際に生成する有機化合物である。
 
ジアセチルは強いバター様・チーズ様の匂いを持ち、低濃度では蒸れたような匂いを発する。共存する物質により異なるが、弁別閾値は低く、製品中0.1mg/L程度の濃度で問題となる。2,3-ペンタンジオンも同様の匂いを持つが、揮発性が低いため匂いは弱い。一般に、発酵バターや一部のチーズなど乳酸発酵により製造される乳製品には不可欠な香りであるが、酒類などアルコール発酵により製造される飲食品では好ましくない異臭とされる。
(ウィキペディア「ジアセチル」より抜粋)

 おそらく、空気中の乳酸菌が消毒液のボトルの中に侵入し、アルコール発酵したのだろう。
 その日は特に暑かったので発酵の度合いが激しく、それと気づくほどに匂いがきつかったのである。
 臭いを消そうと消毒液を擦り込めば擦り込むほど、逆効果だった。

 このジアセチル、醸造業界ではダイアセチルとも呼ばれ、なんと「つわり香」と呼ばれているそうである。
 なるほど、妊娠初期の女性にとってはつらい刺激臭である――って分かるのか!

 また、ジアセチルは30~40代の男の「おやじ臭」の原因物質でもある。
 現在50代のソルティが発する「加齢臭」は、ノネナールという成分が原因であり、両者は化粧品業界によって厳密に区別されているらしい(笑)。
 言われてみれば、マルセイバターサンドは10年前くらいの頭皮の匂いだったかも・・・?

 くだんの消毒液は取り換えた。
 一件落着。

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● 五十の手習い

 最近新たに始めたことの一つはオルガンである。

 30年ぶりに戻った実家には、嫁いだ妹が弾いていたオルガンがある。
 誰も使わず、埃にまみれ、天板は物置きと化していた。
 そこを片付けて、数年ぶりに蓋を開け、電源を入れたら、ちゃんと鍵盤が鳴った。


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 ソルティは幼年の頃、一年ばかりピアノを習った。
 自分から習いたいと言ったわけでなく、音楽の才を見出されたわけでもない。
 左利きを矯正する一環だったのだろう。
 同時に書道も習わされた。

 バイエルの途中で終わってしまったので、とてもとても「弾ける」というレベルではない。
 両手弾きにやっと入ったあたりで、自分から辞めたいと言ったわけでなく、辞めさせられた。
 きっと、家計が苦しくなったのだろう。
 ちなみに、今はバイエルはあまり使われていないらしい。

 近所の楽器ショップで一番簡単そうなクラシックの楽譜集を買った。
 誰もが耳にしたことある有名曲ばかり52曲も収録されている。
 たとえば、
 
 G線上のアリア
 きらきら星変奏曲
 アイネ・クライネ・ナハトムジーク
 エリーゼのために
 美しく青きドナウ
 別れの曲
 トロイメライ
 ブラームスの子守唄
 ジュ・トゥ・ヴ
 亡き王女のためのパヴァーヌ
 ラプソディー・イン・ブルー
 月の光~「ベルガマスク組曲」
 花のワルツ~バレエ音楽「くるみ割り人形」
 アヴェ・マリア
 パッヘルベルのカノン
 恋とはどんなものかしら~歌劇「フィガロの結婚
 交響曲第5番 Op.67「運命」 第1楽章
 交響曲第9番 Op.125 第4 楽章「歓びのうた」
 白鳥~組曲「動物の謝肉祭」
 誰も寝てはならぬ~歌劇「トゥーランドット」
 サマータイム~オペラ「ポーギーとベス」
 e.t.c.  

 なんと言っても良いのは、音符の上に「ドレミ」が表示されているところである。
 調も半音(黒い鍵盤)が少なくなるようアレンジされている。

 指使いもテンポもまったく自己流。
 気の向いたとき小一時間ほど鍵盤に向かって、しんでいる。









 





 
 

   

● ソルティはかた、かく引っ越せり

12年近く暮らしたK市のアパートを離れた。

ここ一ヵ月は荷物や家具や家電の整理と処分に追われた。
引っ越す先は実家なので、家具や家電は必要ない。

市の粗大ごみセンターに連絡して、電子レンジ、ガスコンロ、ストーブ、カラーボックス、机と椅子、食器棚、衣装ケースなど計20点あまりを引き取ってもらった。
手数料として計7千円くらいかかった。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンは行政では扱ってくれない。
購入した店に持って行くか、専門業者に頼まなければならない。
12年以上前に同居していた友人から、ここへの引っ越しの際に譲り受けたものばかりなので、どこで買ったかわからないし、領収証等もない。
ネットで見つけたいくつかの業者に見積もりを頼んだら、6~6.5万円だった。
最後に連絡した業者との交渉で、5万7千円で引き取ってくれることになった。

両親が60年近く住んでいる実家は、物であふれている。
買ってばかりで捨てることをなかなか良しとしない世代なので、空いていたソルティの部屋が倉庫のように使われて、布団を敷いたら床がほとんど埋まってしまう。
アパートの12年分の荷物を運び入れるなど到底無理なので、大胆な断捨離を挙行し、最終的に段ボール箱6つ分にまとめた。
半分は本とCDである。

仏教関係の書籍と30年間収集したクラシックCDはなかなか捨てられない。
それにくらべれば、衣類の捨て甲斐あること。
大半が資源回収か燃えるゴミに消えていった。

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今回は、思い切った断捨離も決行した。
過去数回、引っ越すたびに一緒に持ち運んでいた古いアルバム、若い頃の創作ノート数十冊、仙台にいた30代の頃つけていた日記5~6冊を、思い切って庭で燃やしてしまった。
過去の自分との決別、と言えばカッコよいが、時折押し入れの奥から引っ張り出して読み返して感慨にふけるといった趣味もないので、「とっておいても意味がない」と、いい加減気づいた。
一緒に、数年前に完成させて部屋に飾っていたレオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』の巨大ジグソーパズルも火の中に投じた。
これが一番もったいなかったかもしれない。
が、この機会になるべく身を軽くしたいという欲求が強かった。
世界の名画と共に、若かりしソルティの愚作の数々と、恥じ多かりし青春の日々が燃え尽きていった。


最後の晩餐


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野菜作りに励んだ庭と自家製焼却炉

 
12年近く暮らしたアパートは、ソルティにとって理想的な物件であった。

・陽当たり抜群(東と南に窓)
・風通しがいい
・閑静である
・自然に囲まれている(南側が梨とミカン畑、東側が梅林)
・プライバシーが守られる(裸族可)
・隣室が空いている(12年間!)
・駅まで8分
・コンビニ、スーパー、郵便局まで5分
・図書館まで10分
・二十畳ほどの自由になる庭がある!(野菜作りを覚えた)
・友人の家まで自転車で15分


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ミカンの木に囲まれた梨畑


 年寄るまでここで過ごしたいと思わないこともなかった。
 が、一つ気になったのは、部屋の東北から南西の筋に「霊道」が走っているような感じがした。その筋の上で寝ていると、首を絞められるような圧迫を感じ、うなされることがよくあった。
 アパートの隣室とその上の部屋が埋まらないのも、それと関係しているような気がした。
 ここに来た当初空いていたソルティの上階は数年前から埋まっているが、そこに住んでいる中年男性が数回救急車で運ばれるということがあった。
 交流はなかったので、理由はわからない。
 
 ともあれ、「ここらで年老いた両親としばらく暮らしてみようか」という思いが、今回の引っ越しの理由の一つである。
 井上理津子の『親を送る その日は必ずやってくる』(集英社)を読んだせいもあるかもしれない。
 
 粗大ゴミの業者が来るのを待ちながら、「特別なことは何もなかったようで、いろいろなことが展開した」12年の歳月に good-bye した。


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● 来神、来仙 

 いま読んでいる本の中に出てきた言葉で、一瞬意味が分からず戸惑い、そのすぐあと「アア」と了解し「フッ」と笑ったのは、「来熊」という言葉であった。
 「熊が来る? そりゃ大変だ」

 
パンダ

  
 著者は熊本県に住む元高校教師で、教員時代に作家の三島由紀夫が取材で熊本を訪れたとき一緒について回り、案内した。そのくだりで何の説明もなく「来熊」が出てきたのである。
 もちろん、これは三島由紀夫が「熊本に来る、来た」の意である。そのあとのほうで「帰熊」「在熊」という言葉も出てくるので、熊本県民の間では普通に使われているのだろう。
 ちなみに、読み方は「らいくま」「きくま」「ざいくま」ではなく、「熊」を「ゆう」と読んで「らいゆう」「きゆう」「ざいゆう」である。 
 
 今を去ること25年前、ソルティが東京から仙台に居を移したとき、現地発行の新聞や印刷物の中に見つけて、やはり最初何のことだか分からず、意味を知って面白く感じたのが、「来仙」「帰仙」「在仙」という言葉であった。なんだか中国の奥地にある桃源郷から、白く長いあご髭を生やした御老体が雲に乗ってやって来る、みたいなイメージである。
 こんなふうに使われる。
 
 ベンチャーズ、最初で最後の来仙公演!
 いま北海道に出張中です。帰仙したら「白い恋人」もって伺います。
 在仙25年になるのに、いまだよそ者扱い。東北の人は閉鎖的だね。

 面白いのは、宮城県については聞いたことがない。つまり、「来宮」「帰宮」「在宮」という言葉は使われていない。「宮」を「御所」と取って、ご大層な意味と勘違いされる可能性があるからだろうか。
 
 こんなふうに、どこか遠くから発話者のいる土地に、人が「やって来る」、「帰ってくる」、あるいは「滞在している」ことを表すのに、「来」「帰」「在」という漢字に地名の一字を組み合わせることはよく行われる。というか、地方に住んでいる人ならそんなこと今さら言われるまでもないだろう。
 仙台に越した27歳になるまでソルティがそういう風習を知らなかったのは、それまで埼玉県と東京都でしか暮らしたことがなかったからである。

 埼玉の場合、「来埼」「帰埼」「在埼」あるいは「来玉」「帰玉」「在玉」なんて誰も言わない。県民の郷土愛が低いのであろうか? 団結性に欠くのであろうか? 
 東京の場合は、「帰京」「在京」は見聞きするが、「来京」は使われない。おそらく、「来〇」という言葉は、「中央で活躍しているお偉い先生、人気あるスターがわざわざ当地まで足を運んでくださる」というちょっと卑下の入ったニュアンスがあるから、日本の中心であり各地域にいま流行りの人物を派遣・紹介する立場にある全国区・東京には要らん言葉なのだろう。「徳島県で大人気のお笑い芸人がついに来京!」とか、ギャグみたいに聞こえる。
 
 ネットで調べてみたら、「来(帰、在)+都道府県名の一字」が使われている都道府県と、宮城や埼玉のように使われていない都道府県があった。 

● 頭文字が使われる
青森、岩手、秋田、福島、栃木、群馬、富山、福井、
長野、岐阜、静岡、京都、鳥取、岡山、広島、香川、
徳島、高知、福岡、佐賀、熊本、鹿児島、沖縄

  ※群馬の「来群」は稀である。
  ※秋田の「来秋」は、「来年の秋季」という意味にも解釈できるため、避けられる傾向がある。

● 語末の字が使われる
山形(来形)、千葉(来葉)、大阪(来阪)、長崎(来崎)、大分(来分)、北海道(来道)

● 特殊なケース

新潟(来越)・・・ 越後国に由来
奈良(来寧)・・・ 雅称である「寧楽」に由来

● 該当する語がない

宮城、茨城、埼玉、東京、神奈川、山梨、愛知、石川、
滋賀、和歌山、兵庫、三重、島根、山口、愛媛、宮崎

 鳥取県の「来鳥」や鹿児島県の「来鹿」は、「来熊」と並んでアニマルランドな感じである。
 福島、福井、福岡の「来福」はなんとも縁起が良い。(中華料理店を思わせる?) 
 愛知と愛媛の「来愛」がないのは残念。
 兵庫の「来兵」はなくて良かった。

 また、「来仙」のように、都道府県でなく都市名に付くケースも多い。

来神(神戸)、来甲(甲府)、来札(札幌)、来旭(旭川)、来函(函館)、
来盛(盛岡)、来水(水戸)、来浜(横浜、浜松)、来名(名古屋)、
来沢(金沢)、来勢(伊勢)、来姫(姫路)、来博(博多)・・・など


 埼玉県では「来埼」や「帰埼」は使われないと書いたが、都市名ではどうだろう?

 なんと、これがあったのである!

 来秩

 秩父である。「菅原文太、来秩!」なんてニュースがネットに載っている。
 さすが、秩父事件の地元である。
 郷土愛、団結性はゆるぎない。


秩父札所めぐり2日 057










● ただいま冬眠中


眠る猫

Z・Z・Z・・・










● 多摩ニュータウン探訪

 コンサート終了後、パルテノン多摩の背後に広がる多摩中央公園を散歩した。曇りがちではあるが、暑くも寒くもなく、夕刻の涼風が素肌に心地よい。
 木々に囲まれた広大な芝の広場は、円形劇場のようにゆるやかな傾斜を持って底面の池を囲んでいる。空も大きく、どうしたってここで寝転がりたい気になる。
 久しぶりにゆっくり空を見て、思考という名の雲の行く末を追っていた。


多摩センター 004

多摩センター 007
テントを張っている人もチラホラ
 
 
 広場の奥には森木立があり、散歩道がついている。
 江戸時代から代々の村主をつとめた富澤家の遺構が残っている。明治天皇はじめ皇族方が、この地に兎狩り()に来られた際、休息所として利用したという。

多摩センター 008


 丘の中腹に多摩市立グリーンライブセンターがある。
 四季折々の草花の観賞、植物に関する相談、散策や休憩もできる施設で、恵泉女学園大学・多摩市グリーンボランティア連絡会・多摩市の三者で運営管理している。庭園のほかに温室やオーガニックコーヒーの飲めるホール、相談コーナーなどがある。

多摩センター 015

多摩センター 016

 
 今の時期は、なんといっても薔薇である。
 庭全体が色とりどりの薔薇で埋め尽くされ、おとぎの国のようであった。
 『ガラスの仮面』で一躍有名になった‘紫の薔薇’がソルティの目を引いた。

多摩センター 011

多摩センター 014

多摩センター 012
その名もアメジスト・バビロン


 丘のふもとには白山神社がある。
 立看板によると、「御神体として祀られている木造の神像七躯は遠く平安時代(1180)に遡る」とあり、その後、江戸時代の元和四年(1618)に加賀・白山大権現の神霊を勧請したとの由。
 某サイトによると、ここはパワースポットだとか・・・。
   神社のすぐ前に風俗店があった。
 なるほどパワースポット

 
多摩センター 019


多摩センター 018

 
 
 このあたりは1960年代後半から始まった多摩ニュータウン造営計画によって、すっかり開発された地域である。当時立てられた団地はいまも残っている。

多摩センター 023
落合3丁目団地から多摩センター駅方面を眺める 
 

多摩センター 022
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なぜか駐車場にD-51が置かれていた


 散歩の終わりは極楽湯。
 土曜の午後、さすがの混雑であった。

多摩センター 024



● カーネル in 五月人形

 ベートーヴェン《第九》の第4楽章「歓喜の歌」が、18世紀ドイツの国民的詩人フリードリヒ・フォン・シラー(1759-1805)の創作した『自由』という詩がもとになっていることは有名である。
 実はこの詩、フリーメイソンの理念すなわち「自由」「平等」「友愛」「寛容」「人道」を謳ったものであり、シラーはドレスデンのフリーメイソンの儀式のために書きおろしたと言われている。
 なので、「歓喜の歌」を理解するためにはフリーメイソンについてある程度知っておいたほうが良いと思われる。(たとえば、歌詞の中に頻繁に出てくる「Bruder(兄弟)」は、フリーメイソンの会員同士がお互いを呼ぶときの呼称である。)
 作曲したベートーヴェンがフリーメイソンの会員であったかどうかは意見の分かれるところらしい。が、彼が尊敬するモーツァルトも、同時代の偉人シラーやゲーテも会員であったことから、かなりシンパシーを持っていたのは間違いあるまい。
 というより、欧米では何らかの分野で成功し‘ひとかど’の人物になった男子は、上記の基本理念に反対ない限り、フリーメイソンに入会するのが通例なのではないだろうか。歴史上のフリーメイソン会員のリストを見ると、つくづくそう思う。

 そんなことを考えながら街を歩いていたら、鎧兜を身につけたカーネル・サンダースに遭遇した。
 
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 店員たちの創意工夫が光っていて、段ボールや包装紙を使った安上がりにしてゴージャスな手作り感が好ましい。前垂れに威勢よく泳ぐは名古屋城のシャチホコを模したのか。

 そう。恵まれない子供たちへの慈善活動を積極的に行ったカーネル・サンダースもまたフリーメイソン会員であった。



 




● 重陽の虹

 9月9日午後4時
 滝のようなどしゃぶりが上がって、部屋の中に日が差し込んだ。
 「もしかしたら」と思って、東の窓を開けると・・・。

虹をわたって 001
 
虹をわたって 003

虹をわたって 004

 これだけ見事な虹は、しばらくぶりだ。 
 ご近所さんも通りに出て眺めていた。


 
 
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